このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

アメリカン・スナイパー(2014・アメリカ)

ジャージーボーイズに続く、クリント・イーストウッド監督作品である。
イラク戦争で140人以上を射殺し、伝説の狙撃手と言われたクリス・カイルの半生を描いている。

米南部テキサス州で生まれたカイルは、厳格な父親にハンティングを教わり、教会に通い、ひ弱な羊を守る「番犬(sheep dog)たれ」と育てられる。1998年のタンザニア・ケニア米大使館テロをニュースで観た彼は、米海兵隊に志願。その後の訓練で狙撃手としての才能を見い出され、イラク戦争へと派遣される。初陣では的確な判断でゲリラ攻撃する母子を斃し、称賛を受けるものの、狙撃を重ねるにつれPTSDに苛まれるようになる。しかし戦場で仲間を救わなければという彼の“番犬”意識から、結果として4度ものイラクへの派遣を経験、3ケタもの敵を倒し、米軍内で英雄として祭り上げられる一方で、武装勢力には懸賞金をかけられることとなった。

イラク側には、彼のライバル狙撃手としてムスタファという元オリンピックシリア代表が登場する。カイルが西側のレミントンM700を使うのに対比して、ムスタファはドラグノフのカスタムモデルを用いて、カイルに迫る。ムスタファはセリフが無く、時折映し出される彼の住居からその人となりが判別できる程度であるが、元シリア代表という設定、表彰式の写真が映し出されるのを観ると、中東への侵攻がなければ彼の生活はどうであったのだろうと考えさせられる。

原作はカイルの自伝「ネイビーシールズ最強の狙撃手」であることから、狙撃手の活躍譚、としてこの映画を米軍プロパガンダにすることもできたはずだが、いぶし銀のイーストウッドはそんなことにはしなかった。

ひとつには兵士の家族の描き方である。
カイルの妻タヤは、僅か三日のハネムーンで、愛する夫をイラクへ送り出すこととなる。
戦地から電話してきた夫に対し、妊娠中のタヤは「ベビーベットを1人で組み立てているのよ」と返す。
また戦場から携帯電話でリアルタイムに電話できることになった現代戦ならではの弊害だが、通話中にカイルが戦闘に巻き込まれ、激しい銃撃が耳元で展開し、夫の安否に生きた心地がしなくなるという場面もある。
さらに、無事帰還しても、心は戦場においてきたままというカイルにうんざりし、再び志願することに強硬に反発する姿が描かれる。祖国、仲間を守らなければというカイルに対し、あなたは妻子を守れてないのよと返すタヤの存在は、戦争映画としては新鮮である。「銃後の守り」として家族に忍従を強いて、それを美徳として称賛する人には、ぜひこの映画は見てもらいたい。もっともそうした人たちには、かっこいい狙撃シーンだけが頭に残って、作品の問題提起が伝わらない恐れはあるが。

もうひとつ、新鮮に感じたのは兵士の描き方である。海兵隊特有の強い連帯感が描かれている一方で、楽をして生き延びようとする兵士も多い。「あと3週間で帰れるのだから余計なことはするな」と言う、武装勢力のナンバーツーの探索に消極的な同僚や、カイルが狙撃地点である安全な屋上から降りて、危険度の高い探索チームに加わろうとするのに「勘弁してくれ。俺は生きて帰りたいんだ」と言って同調しない観測手などである。軍隊物の作品ではこうした兵士は「弱虫」として描かれ、あまり良い目にあわされないことが多いように思う。
しかし、実際にはこうした兵士が多いのではないかとも思う。学費やグリーンカードのために、割り切って志願する兵士の多い米国のこと、戦争がなければ海外駐屯地のミサイル警備といった戦闘地域ではない従軍も多く、平時ならば死を覚悟する必要が多くない実態からすると、一般志願兵の多くは、イラク派遣はババ抜きのババだととらえていてもおかしくはないだろう。ヴェトナム戦争では派遣が免除される国内での州軍勤務に希望が殺到(子ブッシュはこれで派遣を逃れたという話もある)、日本でも二次大戦末期はコネを持つものが内地の教育隊に入って生き延び、そうでない一般民衆は南方や大陸に散っていったのだから。

こうした個々の兵士やそれを取り巻く者の率直な心情を誤魔化さずに描くのが、イーストウッドの良さである。

カイル自身は、自分を鼓舞するためにか、そうした兵士を軽蔑している節がある。弟も軍に入り、イラクへと派遣されるのだが、その弟が帰還するところにカイルが遭遇する。弟は一度の派遣で疲弊していて、戦闘に意欲的な兄に向って「ここはクソみたいな所だ」と言い放ち、故郷に戻っていく。

カイルは弟とは対照的に、自ら戦場に戻ることを望み、仲間の敵を討つことに腐心する。
4度目の派遣で、自分の仲間を殺したライバルである狙撃手をとうとう見つけ、1920mもの距離から仕留める。しかしそこは敵地。大勢の武装勢力に囲まれ、猛攻撃を受けながら辛くも砂嵐の中脱出。そこで軍を辞めることを決意する。それまで愛用してきたライフルを置き去りにしての帰還であった。

帰還後、PTSDによって感情が鈍麻し、暴力傾向が表れる。心配した妻の連絡で軍病院の精神科医の診察を受け、そこで彼は、自分の狙撃は蛮人から仲間を守るための正当な行為だと主張する。その彼の信念は最後まで揺らぐことはなかった。この部分は、アメリカ国民の内の、イラク戦争を支持した者たちに共通する思いではなかろうか。

その精神科医の提案により、帰還兵らとの交流を持ったクリスは、射撃を通じた帰還兵のカウンセリングを受け持つことで、自分の存在意義を再確認し、PTSDから快復していく。ないがしろにしてきた家族とも関係が修復され、よき父親となったカイルが最後に10分ほど描かれた上で、悲劇的な事件が彼を襲ったことがテロップにより映し出され、彼の葬列の様子を写す現実のニュース映像で映画の幕は下りる。
このニュース映像、「英雄」の乗る霊柩車をテキサスレンジャーが先導し、沿道で帰還兵や市民が必死に星条旗を振っているのが「南部アメリカ」の鮮烈な印象を残す。

この映画を観終えた直後は、せっかく快復してよき父親となれたのに、何と理不尽な、と思った。
しかし冷静になって考えると、彼は140人以上の人を殺しているのである。そう考えると、彼の最期は、それについての報いが来たとも思える。

戦争を70年経験せず、建前上は軍隊の無い国に生まれた私にとって、この映画は考えれば考えるほどとらえるのが難しい。
自国に対するテロや攻撃に憤怒し、志願するという直情的なアメリカ国民の一部を垣間見ることができるといえばそうなのだろうか。


おわり

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