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あすか先輩は何を読んでいるのか

久美子が昇降口へとたどり着くと、すでにあすかはそこにいた。彼女は壁にもたれかかった状態で、文庫本へと視線を落としている
(武田綾乃「響け!ユーフォニアム3」宝島社文庫P210〜211)引用箇所は以下同じ

 響け!ユーフォニアム3では、あすか先輩が話の中心になるのだが、作中ではこのように彼女が読書している描写がある。趣味の設定は公式にはないようだが、人を待つときに(漫画ではない)本を読んで待つというのは、スマートフォンが普及した2010年代の高校生にしては珍しいので、吹奏楽以外の趣味というと読書になるのだろう。

(個人的経験から、2000年代でも本を読む高校生は珍しいとまではいかないが少数派だったように思う。大岡昇平「俘虜記」を読んだと国語科教員に話したら「今時珍しい」と言われたことがある。所謂伝統的進学校でそのようなお寒い状況なので、半数がAO入試・専門学校に進むらしい(夏紀先輩曰く「進学校ちゃうし?」2巻226頁)北宇治では察する他ない。エンターテイメントがたくさんある今般の状況では仕方ないことではあるが。)

 上記の描写の後、あすか先輩の麗しい横顔が陽光に照らされる様に久美子が見とれるシーンを挟んでから次のようなやり取りがある。

「あぁ、久美子ちゃん」
パタンと、あすかが音を立てて本を閉じる。やけに分厚い本だ。好奇心を隠せず、久美子はその表紙をのぞき込んだ。聞いたことのない題だった。
「気になる?」
「あ、はい。おもしろいですか?」
「うーん、まあまあかな」
そう答え、彼女は本を鞄へとしまい込んだ。あすかの黒色のスクールバッグには、何の装飾もつけられてはいなかった。実用性を追い求めただけのような、シンプルなデザインだ。


 ここで分かるのは、彼女の中での読書の位置づけである。
 彼女は「歩くwikipedia」(wikipediaがどんなところか知っている人間にとっては侮辱だと思うのだが)とあだ名されるくらいの吹奏楽部内での知識の権化で、吹奏楽関連でうっかり彼女に何か質問しようものならとても長い講釈が返ってくる、というのがお決まりのパターンとして描かれている。
 それをこの場面にも当てはめるなら、彼女は自分の読んでいる本について嬉々として解説を始めるはずである。それをしないのは、彼女があまりそういう気分ではない、というのもあるのかもしれないが、読書をプライベートなものとして扱っているからではないだろうか。
 図書館の貸出履歴はその人の思想信条を如実に表すものであるから図書館はみだりにそうした履歴を外へは出さない、という話が示すように、何を読んでいるかをあまり人に教えたがらないというのは、ままあることである。あすか先輩も読書は自分のプライベート領域のものと考えて、あえて詳しい解説を避けたのではなかろうか。
 もっともブックカバーを用いていないようなので、本当に隠したがっているわけではないのかもしれないが。(よく読むと「表紙をのぞき込んだ」とあるので、カバーはあるのかもしれない。この辺はもはや作家本人に聞くしかない。個人的には講談社の水色文庫カバーを使っていてほしい。)

 そして本題の、何を読んでいるかについてである。
 
上記の描写からわかるのは、かなり分厚い文庫本、まあまあ面白い、久美子が知らないレベルの本、という3点である。

 まず、かなり分厚い文庫本、ということについて。

 文庫本は持ちやすさを意識した、廉価な本であり、ポケットに入れて持ち運べるくらいが望ましいとされる。なので分厚い文庫本というとなかなか矛盾している気がするが、現実に分厚い文庫本は存在する。

 有名なものでは京極夏彦作品がそうである。「鈍器になりそう」という感想を抱くそれは、厚さが5センチを超えるものが存在する。
 
しかしここで閉じたときの音がヒントになる。さすがに5センチ越えでは「パタン」という軽い音では済まないだろう。また久美子の表現も「辞書みたい」と言うはずである。

もっともやけに分厚いとあるから、通常の文庫本を「響け!ユーフォニアム2」程度(厚さ1,2cm、321頁)とすれば、この倍くらいはありそうである。手元にマーティン・クルーズ・スミスの「ハバナ・ベイ」(講談社文庫)があるが、これが590頁で2,5cmだった。600頁を超すと「かなり厚いなぁ」という感想を抱くので、500~600頁の作品だろうと推測される。そして、日本の有名作家だと300頁ずつに上下2分冊されてしまうことが多い(例として高村薫「神の火(上・下)」、400頁ずつだが)ので、海外のちょっとマイナーな作家の可能性がある。海外のちょっとマイナーな作家と書いたのは、マイクル・コナリーが初期の扶桑社文庫時代と、途中のハヤカワ文庫「シティ・オブ・ボーンズ」が1冊で済まされているのに、日本で有名になってきて講談社文庫が扱う近時の作品では判で押したように上下2分冊となっているからである。

(個人的な怨嗟がこもってしまった。コナリーを分冊にするのはやめてください、持ち歩きに2冊は不便でして、と「夜より暗き闇」あたりから講談社に向けてずっと念じているが、リンカーン弁護士あたりで諦めた。同じ講談社でもC・J・ボックスについては分冊されないので、売り上げ>分冊の手間、になるかどうかなのかもしれない。)

次にまあまあ面白い、これはヒントにならないので飛ばす。

 では久美子が知らないレベルの本というのはどうか。
黄前久美子は設定では宇治市のマンションに住み、16歳の高校1年生である。幼少に東京に住み、公立小、中を出て府立北宇治に進み、10歳からユーフォニアムを吹いている。サラリーマンの父、専業主婦らしい母、東京の大学にいる姉の4人家族である。

 アニメも含め、彼女が行き帰りの電車内で本を読む描写はなく、家で読んでいる描写もないので、読書家というわけではなさそうである。そうすると、彼女が知る範囲の本は、書店平積みでテレビに取り上げられるような大ベストセラーか、ドラマ、映画に頻繁に取り上げられる作品、教科書に載るくらいの有名古典、と考えられる。つまりこれらの範囲の作品ではないと言える。
 
 そうするとあすか先輩が読んでいる中からは、よくドラマになる東野圭吾作品は除外される。村上春樹も、そもそも文庫に厚みがないこともあるので除外され、宮部みゆきなんかもアウトだろう。林真理子もNG…と除外を挙げるときりがない。
 
 むしろ平均宇治市民の女子高校生が知らないジャンルの本である、と考えられる。
 
 そこで先ほどの推測、海外のちょっとマイナーな作家というのが生きてくる。厚みも勘案するとハヤカワ文庫はかなり高い確率であすか先輩の読む本と言えそうである。ただし海外作品は総じて高い。特に600頁もあると1000円超えは確実である(先に記した「ハバナ・ベイ」は1400円!もはや単行本が買える…)。あすか先輩のお家は裕福とは言えないらしいので、入手に苦労しそうである。
 (かくいう私も中学高校時代は苦労し、図書館をフル活用したり親の書棚から借りたり、大学に入ってからは古書店を回ったものです…。)
 
 なお作者視点に立つと、作者は恋愛ものを得意としたいようなので、江國香織や石田衣良、有川浩などの可能性も残されているが、彼ら彼女らは結構入試や教科書に使われるので、やはりここは海外のちょっとマイナーな作家の本説を推していきたい。

 さて、先輩の本についての解読はこのくらいだが、引用の最後も見逃せないところである。
あすか先輩のバッグは実用一辺倒らしく、イマドキ女子高生のようにかわいらしさはない。あすか先輩らしいところだが、読む本についてもこれが反映されて、ジェイムス・エルロイのようなハードな小説を読んでいるかもしれない。エルロイなら厚さもピッタリである。しかしエルロイを2010年代に手に入れるのはネットを使わないとなるとちょっと不便なのでジョージ・P・ペレケーノス、デニス・ルヘインあたりかもしれない。

 あすか先輩がその優秀さで北米に頭脳流出した暁には、実用本位の車であるリンカーンタウンカーや、G車と揶揄されるフォードクラウンヴィクトリアに乗って、グローヴボックスにはショットショーで買った実用本位で安全性に優れ堅牢なS&WのM10(3インチモデル、38spl)を携行してほしい。でも儲かったらBMWの7シリーズあたりに乗っていただいて、護身用で持つのはsigsauerのP232とかP239がいいです。

(自分の趣味に走るend)

おわり

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