このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
カルテルランド(アメリカ:2015)
監督:マシュー・ハイネマン 製作総指揮:キャスリン・ビグロー
<あらすじ>
メキシコ・ミチョアカン州。麻薬カルテル“テンプル騎士団”による抗争や犯罪が横行するこの地では、一般市民を巻き込んだ殺戮が繰り返されていた。政府は腐敗しきり、警察も当てにならない。そんな過酷な状況に耐え兼ねた医師のドクター・ホセ・ミレレスは、ついに銃を手に市民たちと自警団を結成する。
時を同じくして、アメリカ・アリゾナ州のコカイン通りとして知られるアルター・バレーでは、アメリカの退役軍人のティム・“ネイラー”・フォーリーが、“アリゾナ国境自警団”と呼ばれる小さな準軍事的グループを率いていた。メキシコ国境沿いで麻薬の流入や、不法入国を防ぐために日夜奮戦するフォーリーは自らの仕事に大きな誇りを持っている。「俺のやっていることは正しい事だ。自分が戦っている相手は悪なんだ」
一方、ミレレスの活動も活発化していた。彼は精力的に各地を訪れ、麻薬カルテルの脅威にさらされる人々に呼びかけた。「殺されるのを待つか、銃を買って自分を守るか?政府が住民の安全を守ろうとしないなら、我々には命と家族を自らの手で守る権利がある!」。ミレレスに賛同した者たちはユニフォームと銃を支給され、自警団のメンバーとなって、ギャングや密売人たちを追い詰めていく。その活動は大きな成果を上げ、各地で自警団はカルテルを撃退し、ミレレスは一躍、正義のヒーローとして担ぎ上げられる。しかし、組織が肥大化するにつれ、内部で違法行為を行う者、はては麻薬製造を堂々と行う者まで現れてしまう。組織は次第にコントロールを失い、思わぬ方向に暴走し始める——。
(
公式サイト
より)
<感想>
米墨の麻薬戦争を舞台にしたドン・ウィンズロウ「犬の力」「ザ・カルテル」を読んでいたことから、実際はどうなのだろうと興味を持ったため鑑賞。
メキシコ・ミチョアカン州の田舎では街そのものがカルテルの支配下に置かれる事態にあった。州司法警察も連邦警察(フェデラーレ)も軍も動こうとしない中で、住民がライフル銃で武装。1つずつ街をカルテルから取り戻していく。
その先頭に立ったのが医師ミレレス。自らFN-FALと思しき銃を手に、我々でやるしかないと自警団を結成する。
赴いた街では住民の歓迎を受け、武装解除に来た軍が逆に追い返される始末。角材を手に小隊を取り囲み、投石も辞さない構えで、武装した軍人で満載の車を押し返すメキシコ市民の逞しさは頼もしいが、これだけ肝の座った人々でもカルテルにやられるということは、カルテルがどれほど恐ろしい集団なのかを物語っている。
解放した街で町民評議会による統治をするように呼びかけるミレレス。彼にはカリスマ性があり、行く先々で人々が彼を取り囲む。
そんな彼をカルテルが警戒したのか、ミレレスは飛行機事故に遭い、重傷を負って活動休止を余儀なくされる。それまでに自警団の規模は膨れ上がり、無謀な自警活動や家探し、略奪、果ては誘拐に拷問と、カルテルと区別がつかないような行為が目立つようになる。
自警団員が誇らしげにスタンガンを見せ、これで車から引きずり降ろすのが楽になると言う。自分たちに発砲した車と同じ車種の車を止めて、乗っていた家族から父親を引きはがして銃を突き付けながら尋問する。ここで父親にすがりつく娘が「連れていかれるのなら自殺する。ナイフで首を切ってやる。」と大変物騒な発言をしていたので、街の雰囲気が子供にもろに影響しているのかと衝撃を受けた。
自警団は基地を持ち、そこには父親のように連れてこられた男たちがトイレで拷問されている。耳元でスタンガンを使われるのはまだかわいい方で、カメラの外では激しい叫び声が上がる。こわい。
こうした自警団の活動に住民の中には不満を持つ者が現れる。「隊員が酒場で女を口説いていた」という苦情さえ寄せられる。ミレレス自身も、家族を愛しているように振る舞いながらも、自分の娘ほどの年齢の美女を口説く。中南米系は隙あらば口説いているイメージがあったが、この映画のせいでその偏見が増した。
政府は勢力を増した自警団への対応に苦慮し、とうとう合法的な警察部隊として治安機構に組み込む決断をする。警察や政府を信用しないミレレスは反発するも、もはや一枚岩でなくなった巨大自警団はここに瓦解し、大半の団員が嬉しそうに銃(ガリルをくれたと喜ぶシーンがある。)と制服を受け取り、地方防衛隊が発足する。
このようなメキシコ側の自警団と対照的に、アメリカ・アリゾナ州の国境地帯でも、退役軍人を中心に自警団が結成される。彼らは「アメリカを守る」という熱意から、カルテルと関係していると(彼らが)思う不法移民を捕まえては国境警備隊に引き渡していく。「違う人種がいれば対立が生じる(だから不法移民を追い出さねば)」と発言するものも中にはいて、トランプ人気の下支えを感じる。
彼らが判で押したようにFOXニュースを見ていたのは面白かった。
アメリカ側の自警団の活動はとにかく地味である。スキャナーを大枚400ドルはたいて買い、麻薬カルテルのやり取りを傍受しては「偵察員」と呼ばれる国境での密輸を助ける構成員を追い詰める。しかしたいていは逃げられてしまい、彼らの活動には無力感が漂う。
メキシコ側と違い、アメリカ側で彼らの身に具体的な危険が生じているわけではない。彼らはニュースで麻薬組織がアメリカ側で事件を起こしているのを見ては、危機感を覚えているばかりである。「トゥーソンの警察に電話してもここへは1時間半かかる。だから攻撃には我々で対処すべきなんだ」と語るものの、自警団の活動は国境の山岳地帯へメキシコ人を狩り出しに行くようなものである。どこかねじれを感じざるを得ない。
映画はメキシコ側の覚せい剤製造現場に始まり、製造現場で終わる。作っている男が言う。「我々は金を稼がなくてはならない。良心の痛みなどは邪魔だ。」作っている男のシャツをよく見るとpoliciaの文字がある。地方防衛隊の中にはこのような密造のほか、誘拐や殺人に加担するものも多いと言われる。もはやカルテルに対抗するために別のカルテルが生まれたようなものである。あるいは敵対するカルテルが自警団を利用したとも考えられる。
ここでタイトルの「カルテルランド」の意味が腑に落ちる。メキシコの地方はもはや各カルテルが群雄割拠する、カルテルの国なのだと。
卒論でメキシコの麻薬戦争を扱って以来、「メキシコ麻薬戦争」(ヨアン・グリロ)のようなノンフィクションや先に記したドン・ウィンズロウの小説で文字からその酷さを知るようになっていたが、それをインパクトある映像で補完してくれる良作だった。
首を切って路上に放置する映像も流れればイスラム過激派のように人質を撮ってネットにアップする手法も映し出される。上納金を拒んだばかりに虐殺された牧場労働者の葬儀での遺族の悲痛な叫びや、さらわれた揚句目の前で夫を殺され、乱暴された未亡人の淡々とした語りからは住民の受ける被害の悲惨が伝わってくる。このような被害を目の前にしては、銃を持って自警団が立ち上がるのも無理からぬことである。
自警団が夫殺しの首謀者を見つけ、銃撃戦を繰り広げながらも捕まえ、フェデラーレに引き渡す。取り締まる側であるフェデラーレといえど連行に際しては情け容赦なく首謀者を蹴りつけるし、自警団もその後の取り締まりで捕まえた構成員に殴る蹴るをする。もはやハンムラビ法典の世界である。フェデラーレに引き渡すだけマシかもしれない。しかしその後、自警団員の口から1日と経たず釈放されたと恨み節が漏れる。警察とカルテルの癒着が今後も続く限り、自警団の活動も続くのだろう。
カルテルの国の正義は暴力と紙一重であり、そこから生まれるのが麻薬“戦争”なのである。
おわり
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