このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

秋の祖山参拝@1年

管理人の通っている学校は、毎年秋に知恩院へ参拝しに行くという学校行事がある。今回はそのときの様子を紹介する。

11月30日朝、1年生、360人が名古屋駅メディア1前に集合。新幹線ホームに上がり名古屋8時27分発のひかり141号岡山行きに乗り込む。(ちなみに、JR東海のHPで予約状況を調べたところ、この列車だけが「空席残りわずか」となっていた。)

↑ピンぼけしているが名古屋駅に進入する700系ひかり。 ↑米原駅。この駅で7分間停車。

清洲城を通り過ぎ、「SANYО」の巨大建造物を見ながら岐阜羽島駅を通過。関ヶ原を通り抜け(天気が悪く伊吹山は望めなかった)8時50分、米原へ到着した。この駅は交通の要所である。ここで通過待ちの為7分停車するのでドアから写真を撮った。そして発車すると近江鉄道と少しの間並走する。そして近江鉄道と別れ、水田地帯を突っ走る。びわこ栗東駅予定地を過ぎ、東山トンネルを抜けて、京都9時19分着。ここで八条口から駅前に出てバスに乗る。三十三間堂で降ろされここから班別で自由行動。13時までに知恩院に行けばよいので、まずは方広寺へ向かう。あの大阪夏・冬の陣の原因になった鐘を見るためである。着いたが予想と違い小さい寺だった。鐘を見ると、その原因となった文字が白く目立たせてあった。

次に行くあては特に決めていなかったのでふらついていると、「六波羅蜜寺」と書かれた看板が目に入ったのでその寺へ行く。ここには他の班も結構来ていた。本堂へ上がり宝物館を見る。この中に収められているのは、すべて重要文化財指定を受けており、鎌倉時代のものが多いという。寄木造りで作られていて目には水晶が入っていた。そのなかでも特に目を引いたのは、「空也上人立像」で、念仏を唱える様子を表すために口から6体の小さな仏像が飛び出させてあった。

次に北へと向かい、八坂の塔を見る。付近には人力車引きの兄ちゃんがいて、修学旅行に来ていた女子高生をナンパしていた。(なにやってんだか………。)

←八坂の塔。中には入れなかった。

そしてそこから少し二年坂を歩くと霊山観音に着く。ここで土産&昼食タイム。30分ほど土産物屋の前のベンチで過ごす。その後入館料代わりに線香を買い、霊山観音へ入る。

←霊山観音本体。でかい。

入ると昭和30年に完成したというおおきな観音様がある。その観音様の下で線香を焚き、内部へと進む。中はそんなに広くなく、いくつか仏像が祀ってあった。

外へと出てこんどはお隣の高台寺を尋ねる。

↑紅葉真っ盛りの高台寺境内。                ↑茶室は茅葺屋根。

そこは紅葉がすばらしく、また京都らしく枯山水の庭もあった。

←これぞ京都というような枯山水の庭園。

高台寺を出て、竜馬の墓を見に行く。竜馬の墓は維新の道という坂を上りきったところにあった。また、そこではちょうどテレビの撮影が行なわれていた。

↑志士たちの墓。                     ↑墓からは京都を見渡せる。

坂を下り、知恩院へ向かい、そこでおつとめをし、そのあと知恩院の方につれられて境内の見学をする。まずはNHKの「ゆくとしくる年」にもよく出る鐘を見学する。この鐘は15人くらいのお坊さんでつくという。次に重文指定をうけていて、滅多に中を見ることができないという三門を見る。2階部分に上る階段は急で、はしごの様であった。2階部分に到着すると、中は極彩色の絵が壁から天井にかけて描かれていた。さらに案内の方の話によれば、壁の端のほうに百年以上前の落書きが残っているという。よく見れば確かに墨で書かれた文字がかなりあった。今も昔も人は変わらない。

↑三門から見た風景                                                             ↑知恩院入り口の階段。

そして三門を下り見学は終わった。バスで京都駅へ向かい、16時34分発のひかり126号で帰名した。

                                                            

                            おわり   旅行記トップへ

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください