このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

2011年3月25日は私の通う大学の卒業式があるはずの日だった。

しかしいわゆる東日本大震災の影響で、卒業式は中止、証書は手渡しまたは郵送という措置が取られた。
その頃すでに進学先である関西地方に移住していた私は、その当時の状況に少し迷ったものの、サークルの追い出しコンパが行われることなどから、結局当初の予定通り東京に向かった。

行きの新幹線はガラガラだった。新横浜から使った横浜線や橋本で乗り継いだ京王線は節電ダイヤ(快速や急行が姿を消していた)、さらに多摩センターからのモノレールは間引き運転で普段よりも時間がかかった。原発停止で電力需要がひっ迫したため節電が呼び掛けられ、駅構内の各所は照明を落とし暗くなっており、また上京数日前には東京の浄水場で基準値を超える放射性物質が検出されたこともあり自販機の水はすべてが売り切れている、という穏やかではない雰囲気を感じながら大学に向かった。
昼過ぎに大学へ着いた私は、同じ学部の友人らと戯れたり、同じ高校にいた後輩を呼び出して語らうなど大学最後の日を楽しんでいた。

そして夕方。私は同じ学科でポフ仲間のM君(チンニ)とぐだぐだしていた。 


私は卒コンまでの時間つぶし、彼もゼミ飲みまでの時間つぶしをしていたのだが、だらだら喋っているのも少し飽きてきた。そこで私は「祠に行ってみないか?」と彼を誘い、魑魅魍魎の跋扈するキャンパスの山の中へ向かうのだった。 


生協前から125周年記念で綺麗に改装された道を下る。白門前ではどこかのオールラウンドサークルが騒いでいた。彼らは喧騒に始まり喧騒に終わる集団なのだな、と改めて思った。 

その彼らの脇を通り抜け、ラグビー場のある方面へ向かう山道に足を踏み入れる。 


まず「山火事注意」の看板…

その看板を過ぎると、坂が急になる。舗装されているのが救いだ。 

坂を登りきると中大隧道の真上にくる。道はそこで左に大きく曲がり、ラグビー場の上に出た。ここにはもう使われていないだろう錆びた鉄棒や砂場が放置されていて、寒々しい光景を醸し出していた。 

…とここまでは映研の撮影で来たことがある。問題は祠の入り口がわからないことだ。 
辺りを見回すと、Cスク裏手に抜ける道の脇にひっそりと階段が見つかった。 
緑地公園などにある木を使い土を固めただけの簡便な階段であった。 

そこを2人で登っていくと… 




まむし、って毒ヘビですよね…((((;゜Д゜))) 



さらにすこし登ると 



マムシ注意の看板は計3つほど。以前Cスクエアで「この付近でマムシを捕獲しました。多摩動物公園に持ってったのでもう大丈夫!(*要約)」という掲示を見かけたことがあったが、その原因がここで分かった気がした。 

冬なのでマムシはいないだろう、と自らに言い聞かせながら、鳥居が連なる奥へと進む。 


息切れがしてきた頃、ようやく祠に着いた。 


小さいながらもしっかりした作りで、脇に奉納されたのぼりの残骸が残っていたのが不気味だった。 



賽銭を入れ、参拝する。賽銭は回収していないのか結構貯まっているようだった。 


↑由来を書いた木札 
どうやらキャンパス移転時からあるようだ。 


祠から周りを見渡す。なかなか見通しがいいのは木立がそこまで茂っていないせいもあるのだろう。祠の周囲が案外拓けている(↑)のと、奉納されたのぼりから察するに運動部などが必勝祈願に使っていたのかもしれぬ… 


満足して祠から下る。途中の景色が田本駅や小和田駅に負けず劣らない雰囲気を出していた。 
突然↓のようにポンプ施設が出現するあたりも似ている。 


参考↓田本駅周辺 



いやはや、中大は面白い場所を隠し持っているものである。

おわり (2011年3月31日mixi日記から一部改)




おまけ。

↑サークル棟。

↑内部はキャンパス移転後30年来の落書きだらけ。外の目に触れる外壁の一部は時折消していたが、内部は放置されているらしい。


↑廊下の様子。ちなみにこの奥には壊れたオルガンと古いソファーが並べられた「スナックよしこ」なる簡易集会スペースが存在する。
ここだけは大学の管理という手があまり及ばない、解放区のような雰囲気がある(スラムとも言えるが)。
もし24時間開放していれば住み着く猛者がいただろう。
←学園紛争の遺産も多々残されている。現在でも活動中の団体がいらっしゃるらしい。さすがに武力闘争はしていないが。

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