このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
海の見える丘〜神奈川県立近代美術館葉山館訪問記〜
大学2年の時、「美術空間散歩」(Eブックス)という本を買った。美術館や博物館の建物自体の芸術性を取り上げた軽い写真集のような本だったが、この本をきっかけにしてそういったアート性の高い建物や空間を好きになった。
その本の中で取り上げられていたのものの一つが、今回訪問した神奈川県立近代美術館葉山館である。
「海の見える美術館」とキャプションがつけられ、ガラスとホワイトキューブをうまく組み合わせた建物が相模湾に面している写真に心奪われ、私は訪問する機会をうかがうようになった。ただ行くだけよりは、興味深い展示の時に訪れよう、と考えたのである。また海に近いという点から浜辺が混雑しない夏を避けるということもあった。
今回(2010年)、9月18日〜11月23日まで日本の初期シュルレアリスムを代表する作家、古賀春江(1895〜1933)の展覧会が開かれると知り、秋も深まる11月12日(金)に意を決して葉山へと向かった。
今まで私がよく訪れた都心の美術館に比べ、この美術館は不便な場所に立地する。逗子あるいは新逗子というJRと京急の枝線の先っちょから、さらにバスで揺られて20分かかるのだ。しかし芸術にある程度の犠牲はつきものである。そもそもここでめげていたら群馬にある富弘美術館(ここも前述の本に掲載)などはまず行くことができなくなるだろう。しかし自宅から片道1000円以上かかるのは金に苦しい学生には厳しいものがあった…。
目減りするSuicaの残高に心痛めながら、私が逗子駅に降り立ったのは午後3時すぎであった。大学が創立125周年記念式典準備のために休みだったので気が抜けてほぼ正午に起きたツケである。肝心の美術館は午後5時閉館、腕時計をにらみながら京急バスに乗り込む。一応進行方向左側に座ることができたが、鉄道の通じない葉山方面に向かうバスだからか、立ち客が出るほど混んでいた。
その客たちは予想に反して鐙摺(あぶずり:葉山マリーナ手前)くらいまでで多くが降りて行った。葉山町中心街までは海岸周りでないバスの方が早いからだろう。その客が減ったあたりから車窓には相模湾が展開するようになった。特に真名瀬漁港のあたりの景色にハッとさせられる。前に座ってた女性がデジカメを手早く取り出し撮影していた。
私は帰りに撮影した。後に知ったがここは富士山で有名な撮影ポイントだそうだ。
真名瀬を過ぎるとすぐに近代美術館だった。私以外に降りたのはデジカメで海岸を撮影していた女性と、おっさん、おばさんの4人であった。
とうとう目指す神奈川県立近代美術館葉山館に辿り着いた。感無量である。
しかし時刻は午後4時10分前、建物に見とれるのもそこそこにエントランスに入り、古賀春江の展示を観賞する。
私は彼の作品は以前に国立近代で「海」をみただけであった。というか、中学の美術の教科書で見たことがあったのがその作品だけだったので、そういうタッチの物ばかりを想像していたのだが、見事に裏切られた。
4部構成で彼の成長と作風の変化をわかりやすく取り上げていたのだが、初期の作品はほぼ水彩の風景画であった。上京後、西欧のキュビズムなどに影響され、さらにわが子の死産が契機となり、きつい油絵でカンディンスキーさながらの作品を描いたかと思えば、クレー風に変貌する。そしてシュルレアリスムに到達した円熟の筆が「海」のような有名作を生んだようであった。
こうしたキュビズムやシュルレアリスムの作品を観ていると非常に疲れることが多いのだが、今回はそれがあまりなかった。被写体が普段見慣れた日本の風景だったからだろうか。わが子の死産を契機に描かれた「埋葬」は悲しい場面のはずなのに、なぜか温かみを感じた。手前に描かれた女の子が笑っているようにも思えた。
また今回は、絵だけでなく彼の残した詩やスケッチブック、ノートなども併せて展示されていたので、彼の心境の変化をよりとらえやすかった。私以上に悪筆だったのには勇気づけられた(笑)。彼の寄稿した当時(戦前)の雑誌も展示されていたが、その広告欄や彼とは全然関係の無い部分の記事などを読むのも楽しかった。戦前の雰囲気や文化は2度と行けない外国のようなものなので、それに触れるのは楽しいのである。
私の見方がせっかちなのか、4部すべてを1時間弱かからずに見終えてしまった。時刻は午後4時半、わくわくしながら外のミュージアムショップやテラスのある中庭に出るとそこには本で見た風景が広がっていた。
素晴らしい、の一言に尽きる。
夕暮れ時、広がる水平線が日々の雑事や悩みを私から遠ざけてくれた。海岸ではサーファー達が波と戯れていた。
ミュージアムショップで画集を買ってから散策路へ降りてみると、漁船を模した作品が置かれていた。
なぜひっくり返っているのだろうか…
そのまま歩いて行くと、美術館の南側、正面入り口に出た。そこにも作品が数点飾られていた。
↑ハーモニーⅡ(富樫一)、という作品だった。 ↑右の錆びた鉄のかまどのようなものが作品。安田春彦『地平の幕舎』だそう。
なかには水飲み場を兼ねた「実用的な」作品もあった。なんか飲むのが怖かったので水を出すだけにとどめた。
↑左下に飲料水という表示がある ↑水飲み器の脇の地面にボタンがあって、それを踏むと出てくる。
↓美術館を正面入り口から。ここで働けたら面白そう…
正面エントランスを抜けて中庭に戻る。同年代と思しき垢抜けない男の2人連れが中庭に面したガラス張りの建物のソファーにどっかりと腰をおろしていた。一瞬そういう関係のパートナー達かと思ったが、どうもそういう雰囲気ではないようだった。思えば私も高校時代の男の友人と美術館巡りをする。傍から見ると私もああなんだろう…。先ほど中庭にいた時は外回り途中のような中年のサラリーマンがいて、海に向かい一人物思いにふけっていた。平日の美術館というのは風変わりな客層が多い。空いていることが多いから好きなのだが。
さらに周囲を散策し、美術館地下にある美術図書館などをのぞいているうちに閉館時刻となったので、バス停に向かう。ちょうど17:01発の逗子駅行きがあったのでそれに乗り込む。行きのデジカメの女性とおばさんがまた一緒だった。もう日はすっかり暮れていた。
おわり
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