このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

小和田駅訪問記その2

ようやく小和田駅へ降り立つ事ができた。もちろん降りたのは我々3人のみ・・・と思いきや、かなりの人(それでも9人ほど)

↑小和田駅で降りた人々(H先輩撮影)            ↑ホームにある三県境界駅の碑

鉄道作業員が半数を占めていたが、鉄道ファン4人(管理人らを含む)、郵便局員1人が降りた。そして列車が発車して行き、辺りは静寂に包まれた。ホームを撮影してから駅舎の中へと入る。中には作りつけの長いすと、机(引き出し付)があり、駅事務所(使われていない)のカウンター上に駅ノート(駅にあるらくがき?帳)が5冊ほどあった。そして公衆電話ももちろんある。ちなみにここは携帯の圏外である。さらにここで(旧姓)小和田雅子様にちなんで結婚式を挙げたカップルの写真が飾られていたり、外には発売中止の自販機さえある。

↑小和田駅駅舎。かなりの年代物である。           ↑小和田駅駅前。見えるのは廃墟と山道のみ......

付近の散策を開始。まず見えるのが雅子様ご成婚ブームの時に建てられた小屋(写真右の奥)。ここには「愛の椅子」という物があり、2人一緒に座れるというもので、座ると以前は音楽が流れたが、今はもう流れないそうである。そしてさらに行くと昔式場に使われた建物がある(写真右の長そうな建物)。また、ここには2階建ての事務所があり、たまに使われているそうである。なお、ここで小和田池神社へと向かう道が分岐している。

↑これが「愛の椅子」というものである。もう誰も座らないだろう。 ↑事務所付近にある案内板。

さらに先へと向かう。この道は舗装されている。といってもただコンクリート板を敷いただけだが。ここからくもの巣が頻繁に登場するようになった。そのため、豊橋で買った新聞でくもの巣を払いのけながら進んでいった。途中、元製茶工場だったという建物を見てから、柵の無い橋にさしかかると、向こうから同じ列車で来た鉄道ファンが来た。聞けば高瀬橋(天竜川の対岸へと渡る橋)までここから10分程度だと言う。彼は、列車から降りていった郵便局員を追いかけていったが追いつけなかったとも言っていた。我々は彼に礼を言い、再び歩き出した。

↑このような風景を見ながら進む。対岸には県道1号線が走る。↑昔製茶工場だったという建物。

道は天竜川から離れてゆき、山の中へと入っていった。しばらくすると目の前にこの近辺で唯一の民家が現れた。さっき走っていった郵便局員はこの民家へ郵便を届けたのだろう。中国映画「山の郵便配達」のような感じだが、日本でもこのような地域が少なくないという。

↑この家にとって小和田駅は必要不可欠だろう。        ↑この民家のためにある物資輸送用ロープウェイ

ここから高瀬橋へ向かう。ここからは未舗装の山道となる。柵も無く、道幅もかろうじて2人通ることができるぐらいである。そこを1列になって進む。途中崩壊した小屋が1、2軒あった。山火事注意の標識もあり、静岡県の名があった。そして分岐点から7分ほどたったとき、道が広くなり高瀬橋のたもとにたどりついた。

↑このような道を延々と・・・・・・                   ↑これが高瀬橋。現在は崩壊し渡ることができない。

この高瀬橋は昭和30年代に作られた人専用つり橋で、昭和50年ごろにはすでに通行が困難な状態だったという。現在は中央部分がかろうじて原型を保っているらしいが、すでに両端の部分は崩壊し通行不能である。我々はこの橋の写真を撮った後、今来た道を引き返し駅へと戻った。そしてそこで先ほどの鉄道ファンと再会。その彼も牛山氏の「秘境駅へ行こう」を見て来たという。郵便局員もそこに居たので、先ほどの一軒家について話を聞く事ができた。そして田本駅へ行くという彼とともに我々は次の目的地である中井侍駅へ行くために12時59分発の列車へと乗り込んだ。

                                  次へ→

                                 

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください