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ポフ旅行!!!

2011年2月17日(日)
午前8時すぎ起床。よく寝たので寝覚めがいい(私限定)。

徹夜大富豪でダウンした数名を残し、朝食に向かう。

大広間では4人で向かった我々を8人分の食事が待ち構えていた。
正統派の日本食朝ごはん。普段はトースト一枚の私には天国である。焼きじゃけに卵に味噌汁(固形燃料で温めてある!)…贅沢にバイキングもありだが、こういう旅館チックな朝ごはんもいい。
しかしいかんせん量が多い…。食に自信ありのゴローちゃんはフル稼働であったが、3割弱ほど残す結果になり旅館に申し訳なく思いながら退散。

部屋に戻ってだらだらする。どうせチェックアウトは12時だし…と思っていたので。

ところが午前9時50分。突然部屋の電話が鳴る。そしてそれに出た奴の顔がみるみる青ざめる。
なんだ…?と思ったら我々はチェックアウト時間を間違えていたのだった。
午前10時に出ないと延滞料金が発生するとのこと。いそいで荷物をまとめ、隣の部屋で未だ寝ている何人かを叩き起こし、慌ててチェックアウトの手続きに入る。
居場所がなくなった我々は、とりあえず向かいのおしゃれなカフェ「水辺のカフェテラス」へ移動。今回のパック旅行の特典にここの無料チケットが付いていたのでそれを使うためでもあった。


↑いただいたモンブランとコーヒー。美味しかった。 ↑アイスクリームを頼んだナツキ君とnaoさん     脇にある池にはコイが泳いでいた↑
                                                                      (ゴローさんカメラ)

おいしいデザートとコーヒーを楽しんだ後、寝不足で完全ダウンしたいけちさんをカフェに残し(預け?)、鬼怒川の散策に出かける。

カフェを出てホテルの前の通りを南へ。大きな道路と交わるところで道を折れ、川沿いの散策路に出る階段を下りる。今日もとても天気がいい。冬場れの鬼怒川である。


川沿いの散策路は川辺に建てられたリゾートホテルの裏手になっていて、薄暗い感じがした。脇には排水溝があったが、さすがここまでくると流れる水もきれいである。
鬼怒川の両岸は崖のようになっている。川面を見ようとすればそれなりに覗きこまねばならず、ここがまだかなりの上流であることを感じさせる。向こう岸には立派な岸壁があり、覗き込んだ水面はエメラルドグリーンであった。



また散策路の途中には渓谷美を楽しむための張り出しが設けられていた。しかし季節は冬、除雪されていない張り出しの上で都会っ子な我々は、やはりというべきか、雪で遊んだ。

(2枚ともゴローちゃんカメラでnaoさんによる)

ホテルの裏を抜け、少し広い場所に出ると、そこには鬼怒盾岩大吊橋という観光スポットがあった。文字通り鬼怒川を吊橋で渡れる、という場所である。
水面からはかなりの高さのある橋を、みなで渡る。こわごわ渡る人もいれば心臓が毛むくじゃらなのか、すたすた進む者もいた。鋼鉄製で新しい感じがして安定性はあるのだが、そこは吊橋、かなり揺れたように感じた。しかし吊橋の途中からの眺めはとてもよく、怖々でも渡ったのは正解であった。

↑吊橋                            ↑なかなかの距離


↑頑張って渡りました!                 ↑吊橋途中から北側の景色

↓南側の方が見晴らしがよかった(ゴローちゃんカメラ)。



渡りきったところには、鬼怒川にちなんだ鬼の置物があった。皆で記念撮影(ゴローカメラwithnao)


さて、誰が隠れたでしょうw

散策を1時間ほどで終え、ベースキャンプwのカフェへ戻る。

↑右手の建物がカフェ。しかし本当に好天に恵まれたものである。

無事帰還。


ここで充電中(睡眠)のいけちさんと再会。彼は少し寝たことで体力を取り戻していた。
元いた席に戻り、これからの予定を話し合う。私は宇都宮市に行き、餃子を食べ、「 美術空間散歩 」という本で取り上げられていた宇都宮美術館に行きたかったので、その旨話すとチンニさんとピロさんが賛同してくれた。ゴローちゃんやnaoさんはもうすこし日光の街を散策したいとのことだったので、私・チンニ・ピロ・いけち(餃子食べる部分に同旨w)の四人が宇都宮へ、残りのナツキ・nao・ゴローの三人が日光へ向かうことになった。下今市までは同じ行程をたどる、というか本数が少なく同じ列車に乗ることになるので、鬼怒川温泉駅12時47分発の浅草行き区間快速に乗るべく店を出て駅に向かう。



と、ここで思いがけない客が我々の目の前に現れた。




それは……









野生のニホンザル。



↑撮影する我々


宿泊先のホテル玄関前に突如として現れたのである。北側の屋根から非常階段を使い上手にするすると移動する。ホテルの番頭らしき人が慌てて出てきたり、近くの団体旅行のご婦人がたが騒いだりと、彼(彼女?)は一気にその場の人気者の座を射止めたが、あまり人慣れしていないらしく、険しい顔をしながら元来た方へ逃げていってしまった。

突然の来客に驚きつつも列車の時間が迫っているので駅に急ぐ。思いもかけないサプライズに一同皆興奮し、喜んだ。鬼怒川の街から卒業のお祝いとしての粋な計らい、だろうか?

鬼怒川温泉駅からはこの旅行5度目の6050系。この二日間でこの車両には愛着に近い慣れが生じた。固定クロスでデザインも好ましかったのでたっぷり乗れたことに大満足である。20数分で下今市駅着。ここで私の組はナツキらと別れ、県都宇都宮を目指してJRの今市駅へ向かう。ちなみにゴローちゃんとピロさんは「今市」という街の名前の語感が気に入ったようである。「下今市」「上今市」等の駅名票を写真に収めたり、その後しばらくポフ内の用語として「今日は上今市だなぁ」「上今市だから床屋に行ってきた」等々が会話に織り込まれた。ポフ会員のこうしたセンスやノリは接していてやはり楽しい。

下今市から今市駅までは徒歩で15〜20分ほど。観光地で無い見知らぬ街を歩くのは、探検のような雰囲気がして面白い。日光街道と交差し広い県道に出るまでは細い道を歩くことになったが、車の通りも少なく、日曜の昼間にしては人をあまり見かけなかったように思う。途中昭和に取り残されたような旅館ホテル(垢ぬけないホテルのこと。私の造語。)を見かけ、はたしてこの街の駅から中途半端に離れたこの位置で需要があるのかと、首をひねってしまった。


↑JR日光線・今市駅                   ↑今市駅前。ロータリーが整備され、タクシーが待機しているところを見ると利用はそこそこあるか。

駅では待ち時間が少しあったため、駅近くの新聞販売店に行き、この地方の県域紙である「下野新聞」を手に入れる。販売店では自販機で買おうとした私に店員のおじさんが「広告入ってるからこっちの方はどうだい」と、店の中から今日配達した物の残りと思われるものを分けてくれた。その広告のローカル色の強さに思わずうれし泣きしたことは言うまでもない。


↑今市駅構内を跨線橋から。この写真だけだと東北のローカル線のようだが、ここは北関東であり701系ではなく107系が来る。

JR日光線は初乗車であった。優等列車の設定も無く今市駅は有人でこそあったが列車は1時間に1本程度しかこず、今回の宇都宮入りでは列車の調整に苦労した。これでも観光シーズンには海外からのバックパッカーで普通列車の車内は混雑し、修学旅行専用列車が多数乗り入れるという。しかし彼らの目的地は日光であり、途中駅である今市はあまり恩恵に与れていないようであった。

←観光用塗装が施された107系電車。

今市駅13時42分発。宇都宮へは30分ほど。107系は外装や車内ポスターこそ観光向けにされていたものの、車両自体は何の変哲もない近郊輸送用のロングシート車である。微妙な混雑であまり車窓が楽しめないまま宇都宮に着いた。カフェのケーキ以降何も食べていなかったため空腹を我慢していた、という要素もあったと思う。いずれにせよ今市〜日光間が未乗のまま残ったので、機会があればまた乗りにくるつもりである。107系以外が走らないかなぁ…
宇都宮駅着。余談だが日光線はドアが半自動扱い(手動)である。

ほぼ1年ぶり(私)の宇都宮、腹をすかせた男4人が餃子を目指す。「 みんみん 」という店が有名らしく、一度来た土地勘のある私が記憶を頼りに店を探す。そして駅の東口、車両基地跡地の再開発計画が頓挫し何もない場所に、ずん!と建つピカピカの餃子専門店が見つかった。
新興の郊外立地のファミレスに見えなくもない。だが餃子屋だ。

店内に入ると、昼時を過ぎているにも関わらず、テーブルが8割がた埋まっていた。レジ横の無料ロッカーに荷物を預け、四人がけのテーブルに陣取り早速メニューを開く。メニューは「餃子専門店」の老舗と言うだけあって、焼き餃子・水餃子・揚げ餃子の三つと言ういたってシンプルな構成。値段も1人前240円と安く、空腹の我々は一種類ずつ三人前で頼んだり、焼き2:水1という頼み方をしたり、と各々が自分の食欲を満たす頼み方をした。ライス大がそこに加わっていたことは言うまでもない。特に学生時代柔道で鳴らしたいけちさんは6〜7人前を頼んだ。私は運ばれてきた彼の皿の大きさに驚き、その上に載る餃子の山がどんどん消えていくさまにも驚いた。
焼き餃子が私的にはベスト(チンニさんは揚げだと言っていた)だったが、水餃子も美味しかった。焼き立て、ゆでたて、揚げたての肉汁滴る餃子(今こうして書いていても空腹を呼び覚ますw)を、ご飯とともに思う存分かき込んだ。

腹を満たして時刻は15時10分過ぎ。西口に行き百貨店をうろついて用を足したりATMを使ったりする。宇都宮から湘南新宿ラインを利用して帰るいけちさんは、ここで離脱。残る三人(私、ピロ、チンニ)は駅西口からバスで宇都宮美術館へと向かう。

15時55分発のバスに乗車。車内は席がほぼ埋まり、立ち客もいた。我々は幸いにも最後尾の座席に三人並んで座ることができた。
バスは宇都宮の駅から、宇都宮の中心市街地に続く通りを少し走ると、市街地の入り口で右に折れ、市の郊外を目指す。いくつか停留所を過ぎると、車窓には田畑が見えるようになった。客は乗る人よりは降りる人の方が圧倒的に多く、30分弱で終点手前の「宇都宮美術館」に着いた時は片手で数えるほどしか残らなかった。

←乗ってきた関東バス

美術館は市の郊外、新興住宅地の近くにあった。周囲は多摩と同じような丘陵地帯で木が生い茂っている。宇都宮の大通り辺りから寝ていたピロさんが下車後周囲を見回し「(^ω^)どうしてこうなった!」と驚いていた。


さて念願の美術館。私ははやる気持ちを抑えつつ外観を写真に収める。


↑建物外観。黒い屋根の下が入り口。  中庭にある彫刻。↑調べたところ クレス・オルデンバーグ の「チューブに支えられた中身」という作品だそう。


中に入ると、入館時間ぎりぎりだった。急いでチケットを買い、特別展「荒井孝展」の会場に急ぐ。この画家はここに来て初めて知ったのだが、栃木県に生まれ宇都宮を代表する日本画家だそうである。国内外場所を問わない風景画を得意とし、特に人々の息遣いや四季が感じられる作品が多い。優しい眼差しの感じられるタッチとしっかりとした色の使いで、見ごたえのある作品ばかりだった。チンニさんは彼の作風を特に気に入ったようであった。
しかし閉館まで30分しかない。観賞はおのずと慌ただしいものになってしまったのが残念である。
私は一足先にコレクション展にも足を運ぶ。ここに収蔵されているカンディンスキーやマグリットの作品を目に焼き付けておくためであった。
一通り観賞を終えミュージアムショップへ。ここでは一番好きな作家であるマレーヴィチの宇都宮美術館所蔵作品「衣装 エス—キス」、の絵葉書を手に入れることができ、満足する。


↑美術館内部。光の取り入れ方などこうした部分に設計者のこだわりが見てとれる↑

名残惜しいが閉館の時間を迎えてしまう。夕焼けに染まる外観を撮りつつバス停に戻る。



帰りのバスは乗車時はガラガラであったが(当り前か)、市中心部に近づくにつれ客が増えていった。帰りは東武宇都宮駅を利用するため、我々は行きにバスが右折した市街地入り口の「宮島町十文字」で降りる。ここから東武宇都宮へは徒歩で15分ほどである。
日もすっかり暮れた夜の宇都宮をとぼとぼと歩く。途中、大きな鳥居にぶつかった。宇都宮二荒山神社という由緒ある神社だそうである。


↑中心市街地。                       ↑いきなり出現する。驚いた。この奥に小高い丘があり、そこに社殿があるそうだ。

鳥居から少し歩き、オリオン通りと呼ばれる商店街を土産など探しながら抜けると東武宇都宮駅に着く。百貨店を併設していて、ぱっと見では線路が見当たらない駅らしからぬ装いをした駅である。↓



栃木発19時25分の特急「きぬ138号」に乗り帰京しようとすると東武宇都宮駅を18時45分の列車に乗り新栃木で19時17分発の区間快速浅草行きに乗り換えて栃木に19時21分に着く、というルートを取らなければならない。まずは一つしかない窓口で特急券を購入する。係員に乗車券の有無を問われ、「あ、(所持しているフリー切符の範囲外である)東武宇都宮〜新栃木の乗車券を買わねば。」と条件反射的に券売機に向かい乗車券を購入。後ろの同行2人もそれに続いたため、特急券を発券した係員に代金を払えと慌てて呼び戻される一幕があった。

そうしたごたごたがありつつもなんとか帰途の切符を取ると発車まで30分弱。てけ(ポフ“ミラクルビューティー”副団長、種島ぽぷら的存在)への土産や各自の家へのお土産を買いに百貨店の土産売り場へ急ぐ。私はサークル用にたくさん入っていて値段がそこそこな“バラマキ”用お菓子を買った。てけには栃木の地場グルメ「レモン牛乳」のクッキーをみなで買った。後日彼女に渡したところ喜んでいたという。
なおナツキ達も彼女への土産を買っておりそれを受け取った彼女の反応は

「もう、みんなからの愛を受け取ってミラクルビューティー副団長は感動のあまり泣いちゃったよね。特にあの猿のあめとかね。どんなハイセンスだよっていうね。」

というものだったとか。

土産を選んでいると時間が来た。

←駅ホーム。一面二線の狭さ。

初めて6050系以外の車両に乗り、新栃木へ。車内は帰宅客で混み合い、新栃木までは立ちっぱなしの状態だった。
新栃木駅では乗り継ぎ時間が1分しかなかったのでひやひやしたが、幸い向かい側の6050系に乗り継ぐだけだったのでよかった。
19時21分、予定通り近代的な装いの栃木に着く。ずっと田舎の地上駅ばかりだったので、高架になると新幹線の駅に降り立ったような気分になる。


↑最近改装されたようだった。             ↑帰りもスペーシア車両。白い顔がまばゆい。

行きは個室だったが帰りは普通の座席。それでもスペーシアの座席はふかふかで乗り心地がいい。東武スーパーチケットの特典で飲み物を大量に貰うという贅沢をし、うたた寝をしているうちに埼玉県を過ぎ、東京都に入った。北千住着20時22分。
ここで降りたのは乗り継ぎの都合である。三人とも小田急ユーザーなので、ここから便利な多摩急行を利用し一気に帰宅するのである。
駅近くの閉店間際のショッピングセンターにフードコートを見つけ、ここで夕食を済ます。「おでんそば」なるものを見つけた私は好奇心に駆られ注文。こんにゃくが入りからしの効いた温かいスープはそばによく合い、とてもおいしかった。値段も500円以内で財布にもやさしかった。

ケータイで次の多摩急行の時間を調べる。21時30分と出たので千代田線ホームに上がり、2本ほど列車を見送って待つ。さすがに三人とも顔には疲れが出ている。始発駅に近い北千住だったので幸いにも座ることができた。睡魔が襲ってきたので目を閉じ、次に開けるともう小田急線内を走っていた。下車駅の手前でピロさんを起こすと「(^ω^)どうしてこうなった!」とまた驚いた。


見慣れた行き先、慣れた友。



おしまい



おまけ(ナツキ君グループも日光の街を楽しんだようでなにより。以下全てゴローちゃんカメラ)


↑流行った「下今市」「上今市」


↑自分と同じ名前の土産を見つけてご満悦のゴローちゃん。もちろん購入したそうな。


↑東照宮へ通じる道。奥の男体山がきれいである。今回はほんと、天気に恵まれたなぁ…





*ポフの方へ*

まずは私の拙い文章と写真を読んでくださって、ありがとうございます。
書くと宣言してからもう半年以上過ぎてしまいましたが、何とか完成させることができました。
時間が空いてしまったため、記憶違い、誤解などあるかもしれないです。指摘していただけると幸いです。

写真の仕様を快諾して下さり、データを下さったnaoさんとゴローさん、ありがとうございました。
書きあがった旅行記を試読してくれたナツキ君にも感謝します。

この旅行は2日間だけでしたが、中身がとても濃く、それ以上に長く感じました。
修学旅行のようで、とても楽しかったです。また行きたいな、と思えるような旅でした。
1人旅や2人旅もいいですが、大人数の旅行には特別な面白さ、醍醐味があります。


今後、それぞれが自分の道に進むと、こうして皆で集いばか騒ぎをするのは難しくなるでしょう。
だからこそ、この旅行は記録に残したいと強く思い、筆を取りました。
大学時代の楽しい思い出として、時折見返してくだされば幸いです。


 また、どこかでお会いしましょう!(ゴローちゃんカメラより)




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