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三江線よ永遠なれその2

8月23日(火)

この日も晴れ。暑くなりそうだ…
9時57分の三江線に乗るため、ホテルを9時30分に出る。

駅に行くともう列車が入線していた。売店で中国新聞を買い、3番線のキハ120へ急ぐと、車内は同業者で埋め尽くされていた。なんとかロングシートに2人分席を確保する。

↑キハ120の単行である。途中の石見川本行きだが、この列車が石見川本で江津行きに変わったので実質通しの列車だった。

広島から列車(9時53分着)から乗りついできた同業者で立ち客が出るほどになってから発車。時間が時間だけに通学客もなく、地元の用務客らしいのも全く見られない。
前夜はIと話が盛り上がってしまい、寝不足ではあるががんばって起きて車窓を眺める。寝そうになるとIが容赦なく話しかけて起こしてくる。スパルタやのう。
発車後数分で泊まったホテルの脇を抜け、昨日くぐった高架橋を渡りしばらく走ると、最初の尾関山駅である。駅舎はあるが無人で、乗ってくる客もいない。次の粟屋を過ぎ、川沿いに山へ入っていく。この次は秘境駅で有名な長谷駅だが、この列車は通過する。先頭へ行き、通過の瞬間をカメラに収めた。


この次の見どころは宇津井駅である。道中は「寺社勢力の中世」を読んだIが墓などを見つけ、その町の生い立ちを推しはかろうとするなどして面白い。瓦の色がオレンジ系統が多く、これはどこかで色が変わるそうである。私は私で郵便局や駐在所、学校の有無で町の規模を測ろうとしていた。

宇津井までの間に何度か意識を失いかけたが、Iのおかげで立ち直り、宇津井駅は堪能することができた。同乗のオタクたちもワサワサ動いて撮影していて面白い。

↑城北線並みの高架駅だけあって見晴らしがよい

←駅の看板。一度降りてみたかったが…

宇都井からさらに江の川に沿ってうねうねと1時間ほど走ると、列車は石見川本駅に着く。列車が変わることに備え、荷物を持って下車。
駅はPOS端末が備えられ、駅員がいた。

↑二面二線で交換可能                                 ↑改札口


↑切符売り場。みどりの窓口ではない(非マルスだから)             ↑待合室には自販機があった。いちおうコインロッカーも整備されている。


↑駅舎。タクシーが1台だけ客待ちしていた。

駅前は広く、バスも乗り入れてくるようだった。コンビニは無かった。
次の江津行きまで1時間ほどあるので、昼食に街へ出る。


↑駅前の通り

駅から数百メートルの所が町の中心部らしく、山陰合同銀行の支店やGS、コープにJAなんかがある。コンビニは隣駅の因原にポプラがあるそうだ。
歩いているうちに簡易裁判所の看板を見つけ、見に行きたいとIに話すと快諾されたので、暑い中そちらへ向かう。途中、以前にIが来た時に立ち寄って時間を潰した古本屋が営業しているのを見つけた。店主は昼食で不在だったが。


町役場の前を過ぎ、町に迫る丘の方へ坂を登っていく。小奇麗に建て替えられた警察署の近くに、目指す簡裁はあった。隣には区検もある。


↑住宅の裏を行く                                     ↑質素な建物の簡裁


↑区検                                            ↑国の合同庁舎だった。明らかに1つ減ったっぽい。。

区検の入る川本地方合同庁舎は、エレベーターが使用停止になっていて、ハローワークの求人票もあまりなさそうだった。

川本簡裁はHPによれば毎月第1・3水曜に出雲から填補で判事が来るようである。かなり古いデータになるが、1987年における最近5年の平均事件数は21〜30件だったそうである(判タ652号6頁)。人口が当時の半分くらいとなった今では推して知るべしか。なお川本町には2015年12月に渋谷からIターンした東大工学部卒の司法書士が事務所を構えたそうである( 参考記事 「元気力【司法書士 香取さん】1—必要とされる仕事求めて◆川本町にIターンした司法書士 香取 亜希さん(27)◆」朝日新聞デジタル)。
ちなみに弁護士は浜田や大田まで行かないといない。川本署あるけど、身柄事件は本庁(松江)に送るのだろうな。

↑川本警察署。署長は警視で小規模警察署の模様。

川本町の公共機関を巡った後は、最近開店したらしい駅近くの喫茶店で昼食にカレーライスを食べる。同業者が何人かいた。

駅へ戻り、窓口でこの後益田から山口まで乗る特急「スーパーおき」の特急券と乗車券を買う。POS券なので細かく見ると書体とかが異なるようである。なにより石見川本駅発券というのはこの先手に入らないだろうからな(泣)。下車印も貰った。


↑切符や定期券の駅での購入を求める張り紙。売り上げに直結するからなぁ…

←列車は1日に5本。終電は8時台…

今度もロング部分で13時43分に出発。持ってきた鉄道ジャーナル(2016年9月号)によると、水害時にレールのある部分が水没しないようにする水門が何箇所か設けられているようである。それとなく気を付けて乗っていると、川を渡る前後で盛り土の切れ目を走る箇所があり、そこに水門が備えられていた。1度来たことあるIもこれは知らなかったようで、水門を通過するたびに喜んでいた。私は水門が気になりつつも少し寝た。江の川に沿って山を下って行き、1時間ほどで江津に着く。江津本町の手前からは、川幅の広くなった江の川が見えた。漁船なども係留されている。山陰本線が見えて合流するが、そちらも単線非電化なのだった。


↑三次から走破してきたキハ120。ついぞボックスには座れなかった。       ↑隣の山陰本線と比較しなくても閑散ぶりがよくわかる

三江線は三次から乗り通した同業者が殆どで、途中駅から乗降した地元民と思しき客は1ケタにとどまった。通勤通学時間帯でない、夏休みだということを考慮してもこれは少ない…。石見川本鉄道研究会という川本町在住者のtwitterによると、三江線の現行列車が全て定員乗車されても黒字にならないとのことなので、もはや使命を終えたのかなぁ…という感じである。全通時から予測されていた話なのかもしれないが、沿線人口も含めここまでの減りは予想外だったかもしれない。


↑江津駅。キオスクもあり、みどりの窓口もある。                  ↑ここからキハ126初乗車!スーパーおき4号と交換。

江津からは15時21分のアクアライナーで益田へ。それまで30分ほど時間があったので、駅前や駅構内を散策した。山陰合同銀行の綺麗な支店があった。土産物屋を兼ねた商店でコーヒーを買う。コンビニコーヒーのような挽きたてを出す機械が設置されており、こんな地方までこうした物が広まっているのは凄いなぁと思った。少し酸味のきついアイスコーヒーであった。
そして駅構内には開業当時からの跨線橋が残っていた。鐡道院表記は興味深い。


アクアライナーはJR西が県に金を出させて作ったキハ126系。初乗車で、車内は温かみのある小奇麗な作りの上、クロスシートだったのでテンションが上がった。
日本海のオーシャンビューを楽しみながら浜田を経由し益田へ。途中の三保三隅でIが昔赤券を買ったらしい。まだ駅員配置のようであった。


↑浜田駅では17分停車。途中下車して山陰中央新報を買った。駅裏には看護学校を併設した病院がある。通いやすそう。↑浜田駅前


↑晴れ渡る空の下、日本海は綺麗だった。

浜田からは各駅に停まり、益田には16時48分に着いた。


↑益田駅。2階建ての昭和感ある駅舎だ。テナントも昭和っぽい。        ↑しかし駅前は綺麗に整備され、マンションまで建っている。


↑ここからは特急でワープ

山口線で山口までワープする。2両編成の特急は近鉄南大阪線を除けば九州横断特急以来のような。
1号車が指定で2号車が自由席。当然自由席に座る。車内は2人がけが1人ずつ、6割ほど埋まっていたが、車両後方が空いていたのでそれぞれ左右に分かれて座った。
スーパーおき5号は夕暮れの山口線を快走する。山口線は初乗車だったが、単線非電化で、沿線は近鉄大阪線の名張近くのような田舎だった。途中津和野には転車台があった。SLやまぐち号にも一度乗ってみたいなぁと思う。
1時間20分で山口駅に着く。県庁所在地の駅だからか、エレベーターが整備されているので助かる。


↑山口駅。駅ビルは無いけどなかなかの存在感。                 ↑駅前。津もこんな風なのだろうか?


↑架線がないので構内が広く感じる                          ↑キハ47の天国である

キオスクで山口トライアングルというタウン誌を買ってみる。ちょうどオリンピックで、山口ゆかりの選手の記事などがあり、県内の美味しいお店の情報など地域密着の情報がたくさん載っている。350円。こういうローカル誌を買って読むと、旅先が身近に感じられるので楽しい。

18時56分の新山口行に乗る。キハ47の2両で、ロング部に座る。県庁所在地なのに非電化2両はすごい。なおIが山口へ来た時は、県庁が街の中心にそびえ、17時のチャイムが鳴ると帰宅者がぞろぞろ出てきたのだという。絵にかいたような公務員天国を感じた。もっとも地方は店が早く閉まるので、残業させると生活が成り立たないという事情はあるのだが。

新山口は19時18分に着く。3分接続で危惧していたが無事21分の下関行きに乗ることができた。小郡駅の頃の面影は無く、橋上駅舎は綺麗に改装されていた。
夜の山陽本線を走り、宿泊地の下関へは20時29分に着いた。


↑真っ黄色に乗った。前面は113なのに2扉なので激しい違和感を覚えた。Iによれば117系の改造なのだそうだ。

下関ではJR九州色の415系を見て、いよいよ熊襲の国が近いと感慨深い。

宿は1人2100円という破格のビジネスホテル、スマイルホテル。駅下のスーパーでお茶などを買いこみ、駅からペデストリアンデッキを歩いて5分ほどで着いた。旅装を解き、この旅の第2の目的、鮮魚居酒屋「おかもと」へ向かう。
吉田類の酒場放浪記で観て以来、一度は来たいと思っていた店だったので、テンションは上がる。


↑魚店が経営する居酒屋。安くて新鮮。最高かよ!                 ↑魚屋らしいケースが並ぶ。

海鮮丼や刺身定食もあり、昼に来ても楽しめる。先に訪れた大学の先輩が、海鮮丼をつまみに飲むと刺身がぬるくなると言っていたので、刺身盛り合わせを頼む。
山口らしく獺祭があったのでそれも頼む。


↑Iが撮影。最高の夕食だ。                               ↑吉田類の本が置いてある。さすが。

刺身は鮮度も良く、脂も乗っていて期待を裏切らない素晴らしい味だった。つきだしのサザエも美味しい。
獺祭も口当たりがよく飲みやすい日本酒だった。
鯨盛り合わせもあり、日本人として捕鯨に敬意を表しながら食す。が、脂がきつく、最初の一口で十分だと思った。頑張って全部食べたところお腹を壊してしまったよ…

今度は昼に、定食か丼を食べに来ようと誓って、締めに鯛茶漬けを食して退散。人生相談などもしながらの、充実した酒宴であった。
←鯛がたっぷりでおいしかった

宿に戻り、テレビを付けると大韓航空機爆破の話が出ていたので70年代トークになり、Iに吉田拓郎の「基地サ」というマニアックな曲などを教えてもらった。

日付が変わる頃に就寝。

「北部九州訪問記」へ続く

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