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突発的京都訪問記
筆者の通う大学では今年(2008年)、ゴールデンウィークが伸びた。
通常ならば4・29、5・3〜6の飛び石であったが、珍しく大学は空気を読んで4・30〜5・6までが休みになったのである。
そこで毎度の如く実家に帰省する運びとなった。
しかし、である。
筆者は重度の慢性的な京都病に罹っていた。
この病は京都という街に住むことを願望とし、年に何度か無性に京都に行きたくなるという症状が出る。
今回もやはり発生し、4・29(昭和の日だけど授業あった…)の夜に新宿を出るJRの京都行夜行バスの切符を取った。
バスは2350発。2230に家を出ても余裕で間に合うだろうな…と高をくくっていたのが運の尽きであった。
夜の京王線新宿方面は急行ですらなく、23時台は快速となっていたのである。
おまけに下りラッシュの影響で上りも数分遅れていた。
結局新宿着は2341。ダッシュしてバスにはかろうじて間に合った…。
バスは乗車率50パーセントといった感じ。
筆者は夜行バスこれが初体験であったが、三列独立シートは「あかつき」のレガートシートよりもよく寝られたように思う。
バスは途中境川PAで休憩したのち、中央道をひた走り、目が覚めた頃には京都五条付近を走っていた。
京都駅前に定刻より20分早い0721に着く。
早朝の古都…う〜ん素晴らしい!!
とりあえずコンビニで朝食におにぎりを買って食べ、それからポルタをうろついて烏丸線の朝ラッシュをやり過ごしたあと、市バス・地下鉄の観光用一日乗車券を買って地下鉄乗りつぶしを決行。
まず行ったのは竹田駅。ここは近鉄との接続駅でもあり、乗り入れもしている。
ちょうど奈良行き急行が来たが誘惑を振り切って国際会館に向かう。寝ているうちに着いたw
国際会館近くには宝が池というのがあったので散策してみた。
←宝が池。散歩してる人が多かった。
駅へ戻ろうと会館脇の広めの道の歩道を歩いていると、車いすを押した人が横断歩道を渡っているのが見えた。
その道路は交通量が結構あったが、信号は設置されていなかった。
ちょうど京都府警のパトカーが走ってきたが、なんとそのパトカーは速度を落とす気配さえ見せずに横断歩道に侵入していた。あやうく車いすの人々を轢きかけていたようにも見えた…。
ブレーキを軽く踏むこともできなかったんだろうか?
そんな疑念にとらわれつつ駅に戻る。
余談だが駅の広告には通訳センターとかのが多かった。さすがは国際会館か。
そして今度向かうは、一月に開業したばかりの東西線太秦天神川駅である。
東西線は発車メロディが古都らしくてよろしい。
肝心の駅だが、東西線自体が浅築なのであまり他駅と違いがなかった。
ここからは折り返しに、地下鉄には珍しいクロスシート車に乗る。京阪800型といい、京阪線の浜大津までを乗り入れている。
←車内。2+1の配置。
車内は平日の昼間ともあって空いていた。しかしクロスシートで地下を走るというのはなかなか無い感覚で楽しい。
メトロホームウェイに乗ったらこんな感じなのだろうか。
ずっと乗り続けて御陵駅(みささぎ。これもなかなかな名前の駅で…)から京阪京津線に乗り入れ。客が増えてきた。くねくねとカーブしながら走る。上栄町からは併用軌道区間に入り、四両編成の巨体をゆっくりと走らせていた。
折り返しの列車でふたたび御陵へ戻る。ここから今度は六地蔵へ。
途中、なんとなく山科駅に立ち寄ってみた。
京都のベッドタウンのひとつ、といった感じで、駅前には複合百貨店が建っていた。
郊外の景色というのはあまり変わらない。この駅前も星が丘や多摩とそんなに差はない。
その後六地蔵まで行く。
六地蔵駅ではJRと接続しており、おりしも221系の快速が走って行くのが見えた。
ちなみにこの駅の南方には黄檗宗萬福寺がある。また今度来ようと思った。
(のちに調べると萬福寺の最寄り駅はJR奈良線黄檗駅だったが)
それから普通に烏丸まで戻り、京都在住の友人Iとの待ち合わせ場所である北大路に向かう。
直前になって連絡を取ったのだが、運の良いことに彼は実習が休みになって昼間は空いていた。
彼は大学からバスでやってくるので、バスターミナルでの待ち合わせとなっていた。
北大路バスターミナルは市内有数の大きさを誇っているらしく、そしてさらに地下にあった。
バスターミナルに行きかけたが、彼はすでに先着しており地上に上がって待っていた。
北大路バスターミナルには小さいショッピングモールが併設されており、そこの中のお好み焼屋で昼食をすます。
ランチでご飯とかいろいろついて700円台だったのでまあまあお得だったろう。
その後は、私の寺が見たいというリクエストで下賀茂神社に行った。
↑鳥居 ↑拝殿
↑立派な門 ↑南側の参道の入り口
平日ともあって人は少なかったが、それでもちらほらと観光客らしい人はいた。
神社では結婚式が行われていた。重文指定の建物で結婚式とは豪華である。
ふと今の日本で一番豪華な結婚式がしたかったら、皇族と結婚するのが一番なのかな?とこの結婚式を見て思い、それをIに話すとあきれられた。
その後は神社内を徘徊し、発掘跡を見たり禊をしたりしてから南方に抜け、鴨川を渡り出町柳経由で彼の下宿へ。
そしてなぜかやっぱり京大に三度目の訪問を果たし、新たな趣味である大学ボールペン集めとロースクールパンフレット入手を達成。
そして市バスの17系統で寝ながら京都駅に向かい、午後六時過ぎの「のぞみ」でようやく家路につく。まだ陽はあった。
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