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アメリカ西海岸訪問記その4
3月8日(土)
この日は移動日である。
再び送迎のシボレーでLAXへ。
国内線なので物々しい手続など無く、チケットを発行し座席を選び、荷物を預けて搭乗検査を経れば、国内線向けのジェット機の中である。
LAXからSFへは1時間程度。日本で言うと伊丹-羽田便のような雰囲気であり、映画のサービスもない。一応モニタはあるのだが、英語かスペイン語しか言語が選べないとあっては、持参してきた新書「絶望の裁判所」を読むほかない。
私の座席は三列の真ん中で、左にはアジア系の若者、右にはYが座る。アジア系の若者に座った時会釈すると、なんだか話したそうに挨拶を返してきたが、そこはコミュ障のなせる技、そのまま流れるような動作で本を取り出し読みふけると、若者は諦めたように眠りに入った。
そんなフライトを経て昼過ぎに到着したサンフランシスコ国際空港は、LAXの薄暗さとは打って変わって明るさに溢れる空港であった。
感動しながら荷物を受け取り、送迎の人と合流すると、ここではHISのSF支店から日本の係員が来てくれていた。
言葉の通じる気安さからYとともに、買い物はどこがお得か、危ない場所はあるのかなどいろいろ質問する。
するとやはり空港の免税店がおすすめなようで、治安もLAよりは安全で、中心の繁華街を除けば夜歩いてもそんなに危険ではないという。
そんな会話をしながら駐車場行きのモノレールのようなトランスポートシステムに乗り込む。どうやらこれにこのまま乗っていても空港外に出られるらしい。バス頼みのLAXとは大違いである。
車に乗って、宿となるヒルトンサンフランシスコに向かう。途中、対岸にオークランドが見える。松井のおかげで日本でも有名になったSF近郊のこの街は、治安があまりよろしくないようである。
BARTやカルトレインをみて個人的にテンションを上げながら、ホテルに着く。今回はスムーズにデポジットのためのクレジットカードを渡す。
係の人はホテルのロビーで我々に今後の予定を聞いてくれ、ケーブルに乗ってフィッシャーマンズワーフに行きたいと言うと、地図に行き方を記してくれた。次の日にスタンフォードを友人の案内で見に行くと言うと、「友人の方がいるのは安心ですね」と。どうやらスタンフォードはSFから遠いらしい。
係の人と別れ、リッツミルナーとは違う高級感あふれるエレベーターで部屋のある階に昇り、これまた高級感あふれる部屋に荷物を置き、身軽になってケーブルカーを目指す。
ホテルから歩いて5分ほどで、ウェストフィールドサンフランシスコセンターというショッピングモールの前にあるケーブルカー乗り場に着く。ここには路面電車の乗り場もあった。
ケーブルカーは観光客で列ができていた。
ひとまず切符売り場で乗車券を買い、その列に並ぶ。
↑列。早朝と深夜終電間際なら並ばずにすむよ(白目) ↑これが切符売り場。有人でした。
↑1人6ドル。デザインが良い。 ↑5〜10分に1本来る感じである。時刻表は無かった。
↑方向転換は手動! ↑右下の木の部分が転車台。
↑車掌がデッキに乗る
2〜3本待つとやっと乗れた。デッキで風を感じながら乗るのも魅力的だったが、幸い座れたので木のベンチのような椅子に座る。
満員だったので、外を見るのに苦労した。
↑これに乗りました。 ↑併用軌道なので車がすれすれまで近づく
↑車両は木製らしい。使い込まれている。 ↑坂の街サンフランシスコ
↑けっこう高低差がある ↑しかし車内からの撮影もひと苦労な混雑である。
街の中心を抜け、チャイナタウンの中を通り、のぼって下ると45分ほどで終点に着く。
↑終点なので何台か休んでいた。 ↑こうやって乗りたかった…(危ない)
ここから10分ほど歩けばフィッシャーマンズワーフである。
日本の漁港のような生臭さもなく、お洒落な港町の雰囲気である。まあ観光地だしな…
↑きれいな建物の土産物屋などが並ぶ ↑マリーナが併設。どこかにアシカがいるらしいが見逃した
↑路面電車が街の中ほどまで入り込んでいる。ケーブルとは違う海岸沿いを大回りして中心街に続いている。↑アシカの銅像は見れた
ここではカニがうまいとYが言っていたので、ガイドブックにも乗る有名な店のあるピア(埠頭)39を目指す。フィッシャーマンズワーフの真ん中あたりに太平洋に向かって突き出てるので、ケーブルの降り場からは少し距離があった。
↑ピア39の中には様々な店が並ぶ ↑お店見つけました。クラブハウス(直球)
クラブハウスはカニ料理専門で、各国語のパンフが用意されていた。なので難なく注文することが出来た。
↑店からは港が見える。 ↑注文したカニ。これで一人前でかなり大きい。
ガーリックバター風味の蟹を頬張る。鮮度が高く、大ぶりでとてもおいしい。カニの甲羅を割るはさみの存在に食後に気付くというミスを犯し、手をカニまみれにしながら必死に食べた。
2人で50ドル程度だったと思う。
食べ終わる頃には日が暮れていた。ピア内にある土産物店に立ち寄り、日本へのお土産をいくつか買い込む。このころはまだセント硬貨を覚えきれておらず、レジに並べて必要な分を抜き出していたら店員が「うん、それであってるよ」という感じの事を言ってくれる。やさしい。
ピアを出て、サンフランシスコ在住のSと合流すべく、中心街に戻ろうと路面電車(トロリーバス)の乗り場を探す。上手く見つけられないでいると、Yが現地のおばさんに話しかける。しかし帰ってくる返事が分からず、私は乗り場をどう聞いたらいいかわからずフリーズする。どうやら8番ののりばだと教えてくれているらしいことが分かってきて、「8よ。8。8はあなたたちにとってはラッキーナンバーでしょ?」と言ってくる。どうやら中国人と勘違いしていたらしい。まあ我々日本人も「八」は末広がりで間違ってはいないのだが、そのあとで出身を聞かれ日本と答えると「あ、ちがったかしら」みたいな反応があったのでどうやらそういうことなのだろう。
そのおばさんは我々との会話を諦め、他に道を聞いてきた観光客の方へ向かったので、自力でおばさんの指示していた方角へ歩き、路面電車(トロリー)のりばをさがすと何のことは無い路上に線路が見つかったので、それに沿って歩くと乗り場に着いたのだった。そんなに離れていなかった。。
↑トロリーバスの車内 ↑後ろは開くんだろうか?
年季の入ったトロリーで30分ほど、夜のサンフランシスコを走る。LAと違い、そんなに危ない感じはしない。
2ドル払い、ダウンタウンで下車。
ここからはSとの待ち合わせ場所であるジャパンタウンに向かう。歩いて10分ほどで、アジア風の石積み(パコダ?)が見え、平屋のショッピングセンターに着く。
連絡手段がメールくらいしかないので、無事落ちあえるか不安だったが、風邪のためマスクをするというアメリカ人らしからぬ風体の我々を向こうがすぐに見つけてくれたのだった。
およそ7年ぶりに会う友人Sは、多少アメリカナイズされていたが、変わらぬ姿で安心した。
彼の案内でジャパンタウン内の日本料理屋に向かう。
↑日本のモールにもこういう和食屋あるよね。 ↑メニューはもちろん英語
↑定食は10ドルしない。日本とあまり変わらない水準。 ↑うどんを頼んだらラーメン風うどんが出てきた…
Sはてりやき定食、Yと私はうどんを頼む。うどんは味噌味のラーメンスープに炒めた野菜がぶち込んであって、非常に味が濃い。Sの定食は普通の照り焼きチキンにサラダにご飯、だったので、この店では定食の方が当たりかもしれない。この日本料理屋にSは来米当初から通っているそうで、その頃にはバイトに日本人がいたが、今やアジア系でもタイ人しか残っていないとのこと。
彼にアメリカよもや話を聞きつつ、うどんらーめんを頑張ってすすりながらかの地での彼の苦労に思いを馳せるのだった。
↑珍しい物を見せてもらう。2ドル札! ↑帰りはホテルまで車で送ってもらいました。
Sとはこの日から帰国まで、本当にお世話になった。ありがたいことである。
つづく
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