このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

30年前の関水カタログ



LM328iがNゲージを始めた頃・・・・1970年代初頭の、関水金属のカタログです。
現在のKATOの隆盛ぶりを見ると、まさに隔世の感・・・という感じです。

ページ数が少ないので、全ページを紹介します。


表紙写真は卓上サイズのレイアウト。
ホーム有効長は2両+αといった感じで、当時のNゲージが、
「省スペース」を売りにして「固定式レイアウト」志向だったことがわかります。
シーナリィとストラクチャーが無国籍風なのも、和風製品がなかった当時の特徴です。


Nゲージとは?・・・という解説では、HO(16番)ゲージとの大きさの比較ばかり論じられています。
この当時、まだ鉄道模型と言えばHO(16番)で・・・Nゲージはオモチャと見られていました。


蒸気機関車のラインナップでは、発売中なのはC11とC62だけでした。
日本初のNゲージ機関車だったC50は品切れ中で・・・
リニューアル再発売されたのは、10年ほど後のことになります。
尚、私がこのカタログを入手してから間もなく、D51が発売されています。


注目なのは左ページのD52とD62。
この後しばらく、カタログが改版されてもずっと予定品として掲載され続けましたが、
いつしか予定からも消え、KATOからは製品化されることはありませんでした。
この当時から製品番号までついているのに。。。
蒸機が牽く客車は、右ページの戦前型17m車のオハ31系しかありません。


電機はEF70とEF65500の2種類のみで、他の形式は予定すら書いてありません。
そもそも最初の電機に、首都圏とは縁遠いEF70を選んだ理由は何だったんでしょう?
EF65はその下回りをそっくり流用したため、長さがオーバースケールとなり、その寸法は今も変わらずです。


電機に牽かせる客車は20系のみがラインナップ。
ほぼ標準的な形式が揃っていますが、何故か緩急車はナハフ20とナハネフ23でした。
この2両を切り継いで、ナハネフ22を作った人も多かったようです。
窓枠、行先表示窓、標識灯などは全く塗り分けられていませんでした。


気動車はキハ20系の3種、それぞれ、動力車とトレーラーがあったので、比較的自由な編成が組めました。
実車はヘッドライト回りも朱色に塗られているのに、製品では屋根と同じ色になっているほか、
サッシ、Hゴム、テールランプが塗り分けられていません。


電車は103系のみで、しかもこのときはまだ、エメラルドグリーンはありませんでした。
確かモハ102は後から追加されたように記憶しています。
パンタ付きの車は全て動力車なので、長大な編成を組ませることが難しいという状態でした。
サッシ、Hゴム、テールランプ、行先表示窓などは塗り分けられていません。


貨車は、一番ラインナップが充実していたのではないでしょうか?
しかしコキ/コキフ、ワキは10000番台の高速貨車で、
5000番台の標準タイプの貨車は、発売までやはり10年ほど待つことになります。
コンテナは5つまたは4つがまとまった状態で固定されており、
積載状態に変化を持たせることはできませんでした。
レ12000とヨ6000は、形式表記のフォントが、実物とはかなり違う形をしていました。
しかしこれらの貨車のほとんどは、2004年現在でも同じ型で生産されています。


線路は固定式レイアウトで使用する前提の、道床のないバラ線路とフレキシブル線路でした。
実は当時の関水の線路は、米国ATLAS社の規格・システムを採用しています。
一部、ATLAS製をそのままOEMしていたものもあったかもしれません。


ポイントはスイッチ機能がないタイプなので、ギャップをたくさん設ける必要がありました。
ポイントマシンやスイッチは、ATLAS製です。
パワーパックのスピードコントロールは固いレバー式で、微調整が効かない使いづらいものでした。


左ページは、今で言うところのASSYパーツですね。
でも実際は・・・ショウルームへ行けば、ネジ1本でも売ってくれました。
右ページは取り扱い注意事項。
「オイルはささないこと」「線路は必ずベニヤ板などに固定すること」「ポイントスイッチは長時間押さないこと」
・・・というような、今では信じられないようなことも書いてあります。


有限会社 関水金属という社名が、時代を語っています。
このモザイク画は、関水社屋の壁に描かれていたものだと聞いたことがあるような・・・






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