1.鉄道模型との出会い
小学校4年の時、違う学校の子と何故か知り合い、その子の家に遠路はるばる遊びに行きました。
うちと違って大きなお屋敷のその家は、子供心にも裕福な家庭を実感させます。
遊んでいるうちに・・・蒸気機関車を走らせないかとの話。
そのころ「鉄道模型」の存在は、プラモデルでしか知りませんでした。
恐らく有井だと思いますが、田舎の親戚に遊びに行った時、
プラ製エンドレスの付いた、かなりデフォルメされたHOサイズのD51蒸気機関車を買ってもらったこと。
子供心に・・・パッケージの絵と違い、4つある車輪(動輪)が3つしかないのは、かなりの不満を覚えました。
それでも完成させて付属のレールを走らせると(稼動したかどうかは忘れましたが)、
ピストンシリンダーから繰り広げられるロッド類の造形が、
幼心に機関車の構造やその動きを想像させ、ワクワクさせられたものです。
(最近の模型誌にこの製品を動力化された方の記事が載っていて、まだ売っているのかと驚嘆しました・・・)
その後、同じメーカーの9mmサイズだと記憶しますが展示用のプラケース付きのSLを買ってもらった事。
保守的fだったのか、マイカー等夢の夢の環境であったのか、
線路の上に乗る物体は・・・車、飛行機よりも非常に親近感を感じ、
思い通りに線路を敷けば、思い通りに走ってくれる事に非常に魅力を感じ、
上記のロット類の構造・動きと共に、子供ながらに鉄道の素晴らしさを空想するのでした。
その位しか知識の無い学童にとって、
持ち出されたHOサイズのブラス製C62型蒸気機関車は、まさに度肝を抜かれる物体でした。
道床の付いた線路を設置するまでに約一時間は掛かったでしょうか・・・
その苦労もなんのその、C62の走る勇士は、
既に身近で無くなった蒸気機関車が、駅に行くと頻繁に走っていた・・・
幼少期の九州、山口の思い出を搾り出すと共に、
彼の「爺さんがいれば煙を出す事も出来る」という言葉が追い討ちをかけ、大変な感動を覚えました。
初めて知った鉄道模型の世界。
これは10歳に満たない自分にとって、異次元の物体であって、
心の根に突き刺さる記憶として残っていきます。
早速その事を学友に話すと・・・家が化粧品屋を営む一人が、自分も通勤電車を持っているとの事。
そう聞いた帰りにその子の家に行き、同じように鉄の道床を組み、持ち出された車輌を目にします。
HOカツミ製のオレンジの101系か103系。
連結して走らせると、そのジョイント音がすばらしい。
重厚にカタンカタンと聞こえるその音は、またまた心の根をえぐる様にして、
大変羨ましいという気持ちのみを残すだけでした。
当時は鉄道模型と言うとOゲージから切り替り、
多量生産品として店のウィンドウを飾っていたHOゲージが主体であり、
子供が容易に足を踏み込めるような環境になく、購入には必ず親が伴う高嶺の花。
自分の親が好き好んで買ってくれる訳も無く、諦めていくのでした。。
そんな中197●年4月、小学5年に進級する際のクラス換えで、
小学2年まで同クラスだったLM328iと再度同じクラスになります。
彼は自分と違い、身近な乗り物には異常なほどの知識があり(と言っても、車と鉄道だけですが・・・・)、
特に鉄道では、彼の興味に自分が着いて行く形になります。
東急3000、5000、5200、6000、7000、7200、・・・・
営団3000・・・・
東武・・・
身近な沿線の車輌は全て彼の知識を譲り受け、JNRの通勤、近郊、急行、特急と発展し。。。。
小学校の写真コンクールだ!と言えば鉄道写真。
学校が終われば実機の観察!と自分を鉄道漬けにしていくのでした。
そんな彼から、「渋谷の東急東横店に鉄道模型を見に行かないか?」との一言。
模型・・・・・
心の底から、1年前の記憶が沸いて出て来ます。
渋谷まで子供15円。
慣れない手で、その頃既に自販機で売られていた切符を手にして、
改札の駅員に心地よい音を発する挟みを入れてもらい、いつもだったらおめかしして行く渋谷へ。。。。。
おもちゃ売り場の外れにある、と言ってもその特性と物量から、堂々としたコーナーは、
11・2歳のガキにとっては次元の違う世界でした。。。。
子供など一人として立ち寄る雰囲気は無く、
一人いた初老(・・・と言っても今にして思えば40後半位の方か・・)の方が、
シゲシゲと店員と客とを隔てる長いウインドウケースの中の車両を物色している。
その視線は真剣で、その雰囲気だけで舞い上がった思い出があります。
自分もそのショーケースを見ると、そこにはカツミ、エンドウ、つぼみ堂・・・・
メーカーを読むだけが精一杯だったようで。。。。
後ろのおもちゃ売り場を見れば、プラモデルコーナーがにぎやかな事。
自分もあそこに立てばウキウキ出来るのに、この雰囲気は何なんだろう。。。。。
そんな舞い上がっている自分に対し、LM328iは来馴れているせいなのか、
「僕これ持ってるよ。」
と余裕の一言。
彼の指差すその方向を見ると、今まで見たことも無い、
周りの製品に対して半分サイズの電車が透明プラケースに入っている。
プラ製で750円。動力でも2650円。
これならいつか買える!!
・・・それが関水金属、いや、Nと言うゲージとの初めての出会いでした。
その後、彼の家で見せてもらったオレンジ色の103系。
線路に道床など全く無く、薄い鋼を曲げて作ってあるジョイントで繋げていく。
すでに幾度も繋げて運転しているそのジョイントは、甘くなって開いてしまっている物もあり、
線路を設置していくだけで心細くなる、今まで携わったHOとは別の物と感じました。
さあいよいよ通電。
その走りに期待したところ、ジィッと走ってびくともしない。
へぇっ!?と思うと同時に、ちっ!と吐き捨てる手馴れたLM328iは、
どこから出したのか、すでにペンチを手にしており、
緩んだジョイントをパチンコの釘師のようにホイホイと締め上げていきます。
瞬く間に出来上がったエンドレス。
そこを走る4両編成の103系は、自分を虜にするには十分な物でした。
しかし重厚感はまるでなし。。。。
ジョイント音は、乾いた蚊の泣くような小さな音で、体験したHOとは全く違う。。。。
それよりもシャーシャーとうるさい線路と車輪のこすれる音。。。。
しかし、組んだ軌道の上を、編成を組んだ物が、
しっかりとパワーパックのスロットに忠実に走っていくその光景、
「いつか買える」と直感したその感動が 自分を虜にします!!
そのとき「ぎゃっ!!」っとLM328iの声。
・・・脱線です。。。。。
その後、真剣にこの手にしたい!と言う気持ちが空回りしていきます。
なにせ一ヶ月の小遣いは500円貰っていたかどうかという時代・・・
それでも駄菓子屋に行けば、10円使えば物凄い買い物をしたと罪すら感じた時代ですから、
たとえNとは言え、自分にとっては高嶺の花には変わらないものだったのです。
そんな自分にLM328iが一言。
「一度にそろえることなんて出来ないんだから、まず線路から集めたら?」
渋谷の百貨店だったか・・・最初に買った、1本30円の288mmの直線バラ線路3本。
家に持ち帰ると、乾いた黒いプラ製枕木に取り付いた線路の表面に薄い油膜があるのか、
その油膜からかかすかな独特の模型の臭いを感じます。
おもちゃじゃない、模型の線路!!
この感動は親に話してもわかってもらえず、LM328iIだけが共にしてくれたかと思います。
その後、この3本の線路は、親に購入をねだるのに大活躍します。
たとえ自分が貯めた小遣いとは言え、無駄遣いは許されなかった時代。。。。
自分で貯めた小遣いで、玩具じゃない、模型を買わせてくれ!!と言う気持ちをぶつけます。
親がそれを分かってくれたのどうかは不明ですが、
隣町の坂の途中にある、掛かり付けの歯医者の手前に小さな模型店があることを知り、
治療の帰りに購入の許しをくれたのです。
当時のカタログに載っていたタキ3000、これが最高に欲しかったのですが・・・
予定品である事に少々残念な気持ちで。。。
今に比べてればかなり少ないラインナップの中から、
「まずは車掌車だろう」、と購入したのが、ヨ6000でした。