高校生の頃・・・1978年だったか79年だったか、明確な年月は思い出せませんが、
KATOが先発のEF57の動力を使用して、専用台車と専用ボディーで纏め、EF58を製品化してしまいました。
雑誌の予告に電気機関車としてはNの世界で初と思う、
色違いのバリエーションを同時発売とさりげなく宣伝され、発売を待ち遠しく思ったと記憶しています。
当時EF65と6輌の20系寝台客車を除くと小規模だった貨物中心の我が鉄道に、
旅客用電気機関車としての増備は・・・都内の大型文具店にて果たされました。
その後TOMIXが製品化したのと同時期、KATOも避雷器・正面手摺の追加に留まらず機種を追加し、
1995年に全面リニューアルしてからも、これでもかこれでもかとバリエーションを増やしています。
当鉄道もそれに合わせて、恥ずかしい程の増備となってしまいました。。。
*購入1輌目
左:初回ロット品!実は車体を再生産の物に付け替えています。
右:右が初回ロットの先台車。車軸が左右で分離しています。
1979年頃かと思います。
今ではNの取り扱いはなくなってしまった、都内の大型文具店で購入したのがこの1輌です。
初回ロット品はDUカプラ−装着の為、先台車のカプラ−側の車輪が左右で分離している特徴があります。
購入時正面警戒色の塗り分けのにじみが酷く、こんな物なんだろうと諦めていました。
(確か・・・にじみの修整をしようとして、もっと酷い状態に失敗した数年後)
何回目の再生産だったか不明ですが、
インナーの表示が変わった製品を見ると塗り分けが非常に改良されていたので、
思い切ってボディの買い替えをしたものです。
車体の買い替えと同時に、当時流行っていたパステルで屋上の汚し、
正面端梁の両脇に穴を開け銀河モデルの掴み棒を追加する等、軽い加工を施しています。
*購入2輌目
左:避雷器は元モールドは上からドリルで穴を開け筒状にし、
削りシロを薄くしてから削ぎ取って、パーツを付け替えてます。
右:銀河モデルが限定発売したスポーク動輪・・・見えないけど・・・
1982年頃だか。。。
車の免許を取得後、学生の分際で車を入手し行動範囲が広がった頃、
県境の川の近くに小さな模型屋「(仮称)R」を発見。
今はもう存在しないその模型屋Rは、数年の間自分の行き着けのお店になりました。
アルバイトでいくらかの貯金を確保すると、
都心に出るまでも無くそのお店で登場する新製品を伺いに行ったものでした。
当時当鉄道では他の事業(趣味)に掛かる予算の関係上、編成物の投入は不可能であった為、
お目当てはロコ中心でした。
Nの製品はまだ少なく・・・当鉄道に必要なロコは一通り揃っていた為、
同一形式の複数購入の検討をするしかありませんでした。
模型屋Rに初めて訪れた時、
KATO製EF58は一般色4両と茶色数両の在庫が有った事を、明確に覚えています。
どれも塗り分け等状態は素晴らしく、売れ残ったE851と共に、気になる存在でした。
青大将や特急色があったかどうかは記憶にありません。
とにかく一般色だけが気になりました。
Hゴムの表現されたキハ58の正面窓ガラスパーツを使用して、バリエーションを増やすんだ!
と言う思いがあり、これが2輌目の購入のきっかけとなったのでした。
しかし結局、その思いはなかなか実行に移せず・・・
数ヶ月後、掴み棒の付いた改良品の先台車に交換し、
避雷器を削ぎ取り現行品まで続いている別パーツをつけています。
尚、この車輌、実は銀河モデルのスポーク動輪をおごっているのですが、
その効果は・・・ご覧のように全く目立たない結果となりました。。。
*購入3輌目
エアフィルターがくろいのは・・・
雑誌にいろいろな加工でバリエーションを増やす記事が載っていたからか、
銀河モデルが専用のパーツを販売したからか・・・記憶にありませんが
屋根上の半ガーランドベンチレータを削って排気ダクト化を計画し、
同じ模型屋Rで購入したのがこの車輌です。
とてもきれいな製品でした。
無謀な改造や加工で、いくつものスクラップを作ってしまった過去の反省からか・・・
計画しても全く行動に移せずに、しばらくの間そのままの形で残っていました。
ところがある日の事。
側面から屋上に掛けて塗料を付着させてしまったんです!
今であれば「水抜き剤」に漬け込んで付着した塗料を落とすところですが、
当時はそんなことは知らず、KATOのショウルームに行って車体を新調する事になりました。
車体を交換する為に、無残にも塗料の付着した元ボディーを外そうとすると、
その塗分けのしっかりした車体が訴えます。
「おいおい傷ひとつない俺を捨ててしまうのかい?」
そこで・・・65一般型の塗装剥がしの記事で紹介したように。
シンナーを染込ませたティッシュを患部に当てて塗装を剥ぎ取る工法で
側面から屋根の元塗料を剥がす事にチャレンジしてみました。
シンナー中毒に成りかかりましたが、結果は良好。
以前にEF65を改造した時に調達した、安価な缶ボンベを使用するスプレーガンで、
自家調合した塗料を製品に合わせてユズ肌状に吹くと・・・最高のレストアが実現してしまいました。
最高のレストアではありましたが、残念なのが黒くなってしまった側面エアフィルター。
これは元の塗料が綺麗に剥がせず縦の筋が乱れてしまった為、
薄く溶いたつや消し黒を流し込んでしまった結果です。
今から見ると黒々しく、後日エナメルの青を薄く溶いて上から流し込んでみようと考えています。
・・・という訳でとても愛着の出た1輌なのでした。
ところでショウルームで購入した車体は、これから2004年まで、20年弱の間眠ることになります。。。
*購入4輌目
同一タイプの重複購入は止まらない・・・
TOMIXがEF58を発売した頃、KATOは冒頭のように製品のてこ入れと共に、
大窓とヒサシ付のバリエーションを追加しました。
確か行き付けの模型屋Rにも、すでに大窓とヒサシ付製品がお店の中に陳列し
てあったかと思います。
そんな中、ひとつ売れ残った標準色「ブルー」と、
行き付けてから数両が売れたのか・・・残り1輌となっていた「茶」が異様に気になりました。
長きに渡りこの店の在庫は、バイトの報酬が溜まる度、確実に自分だけが1輌1輌買い続けています。
そして・・・売れ残った最後の1輌「ブルー」が訴えているんです。
「自分も仲間のところに連れて行ってくれ!」
自分は警戒色の入った小窓の形が異様に好きなのです。
この店を知ってから最後に残った売れ残り。
そんな感情で新しいバリエーションはいつでも買える・・・!とこの1輌を購入してしまったたかと思います。
*購入5輌目
模型屋Rの58最後の在庫立ったのかだったのか・・・
社会人になってから、中々自由な時間がなく、数年の間当鉄道も休転状態となってしまいます。
1980年の後半のある日、思い出したように模型屋Rを訪れてみました。
すると・・・Nの世界は縮小され、ラジコンやファミコンが中心に商品陳列されていました。
新しいバリエーションだったひさし付や大窓は全く店頭には無く(勿論青大将も特急色の存在も無く・・・)、
他店にも在庫が無いことから、買いそびれた事を実感しました。
「カタログ機種はいつでも購入できる。。。」という、自分の常識が否定されてしまいました。
メーカーが多種少量生産に転換した事を感じ取った時代でした。
そんな中・・・58小窓の「茶」が1輌、陳列棚の片隅に転がっているのです。
「こっこれは!!」
そうです。
・インナー。
・上げるとちょっと曲がったパンタグラフ。
模型屋Rを初めて訪れてから、4輌目を購入する時にもまだ存在していた旧製品小窓「茶」、
そのものだったのです。
今はもう存在しない、模型屋R。
この「茶」との久しぶりの対面は、一つの時代が変わることを予感した中で、
数年前、この店に初めて来店した時の事を思い出します。
・Nの世界の華やかさ。
・多くの子供たちがこの店でNの製品を眺め、はしゃいでいた光景。
当時は子供たちのNゲージブームが終焉に近かった頃で、
模型屋と言っても・・・もうおもちゃ屋に近かった模型屋R。
売れ残っている思い出の1輌。
自由奔放に勉学・・・というか遊びに呆けていた自分が社会に入って肯定されたり否定されたりし、
もがき苦しんでいた時のご対面。
おセンチな気持ちで即刻購入し、久しぶりの増備でもありましたが、弱い自分を慰めました。
初期の当鉄道に於いて、このEF58はEF65P型に次いで、1バージョンだけの大所帯となり、
今に至っているのです。。。