このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
近鉄志摩線は元は志摩電気鉄道が前身で、三重交通に合併後は近鉄に合併するまでは単線、狭軌、750ボルト直流 電化の路線でしたが、鳥羽線建設ともに志摩線の改良が行われ、1500ボルト昇圧、広軌化、曲線改良が行われまし た。その際に在来の車両は廃車、養老線転属となっています。 昭和63年から志摩線の複線化が始まり、平成5年に一部の区間を除き、複線になりました。その際、青峰峠(白木〜 五知間と志摩磯部〜穴川〜志摩横山間が新線に切り替わりました。ここではその廃線跡とその他で撮影した画像を紹 介します。1996年(第1次)、2001年(第2次)、2003年(第3次)に探索を行いました。 鳥羽城からみました。この城は九鬼嘉隆が築きました。今の線路がある所は海で戦国時代は鉄甲船が停泊していた と想像します。ちなみに九鬼水軍の本拠地でした。右は中之郷駅付近にある狭軌時代のトンネルです。 志摩線白木〜五知間の旧線跡(1996年撮影)。右の画像はほぼ同じ地点で2001年に撮影しましたが、あまり変化 はありません。 左の画像は上の画像からもう少し賢島よりに進んだ所にあります。2001年の時点ではキロポストも残っていました。 その他、右の画像のようにレールが撤去されている所もあります。 |
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