このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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SL試運転


京都・梅小路からさほど遠くなく、全線に渡ってほぼ平坦で、かつ列車密度が高くない北陸本線米原口は、SLの試運転が走行する線路としても知られている。
編成は、試験する蒸気機関車が1輌、その伴走車として機関車と客車がそれぞれ1輌ずつの計3輌が基本形態となる。だが簡易的な試運転では客車連結と上りの試運転が省略される。
運転経路は、梅小路-木之本間の1往復。梅小路-米原[操]間は他の機関車に牽引される。
この試運転では、上りの試運転でバック運転が行なわれ、C57の場合は日本でも珍しいパシフィック機のバック運転を見ることが出来る。

ここでは、JR西日本管内のSL運転をすべて引き受ける2機の蒸機の試運転の模様をご紹介しよう。

 

'04/4/6


試9292レ・C57 1 + DE10 + スハフ12

人生初の試運転の撮影。当時小学6年生、撮影機材はCanonのIXY DIGITAL 300a。当時はまだ発売から3年くらいしか経っていなかった。
なぜこんな謎な構図なのかというと、何を血迷ったか当時の僕は動画で撮影していたためだ。このカメラの動画能力は百も承知していたはずなのに…。
すでに2003年11月のダイヤ改正をもってSL北びわこ4号のバック運転を取り止め、1号の返却同様宮原区のDD51形でもって米原まで回送していた。そのため、この頃にはバック運転は見ることができなくなっていた。

この試運転では、通常は取り外される集煙装置を取り付けたまま行なわれており、通常は見ることができない帽子姿をみることができた。

ちなみに、こちらがバック運転中のC57 1牽引のSL北びわこ4号。ヘッドマークを取り付けるためにナンバープレートを上にオフセットしており、ヘッドマークを外すと非常に不恰好になるのではないかと、今となっては思ってしまう。はてさて、SLやまぐち運転時、展望室から見るシゴナナのテンダはどのように写っていたのだろう。ちなみに、上記の試運転では元の位置に戻されている。
この冬の運転が、C57での北びわこ号最後のバック運転となった。

 

'06/4/7


試9292レ・C57 1 + DE10 + スハフ12

またしてもバック運転。というのも、当時の僕は、たまたま線路にいたら下りが来たので、上りは撮りに行かねばならないな…というパターンが多く、下りはスルーすることが多かったからだ。初撮影から2年も空いているのもこの辺りから来ている。現在でも運行情報は知らないことが多いし(故に撮り逃しは多い)、知っていたとしても時間の都合上行きは撮れないことが多いので、結局下りを撮る機会は非常に少ない。

この試運転では、検査開けのC57の試運転が行なわれた。テンダの白い縁取りもなく、各所が暫定的といった感じだった。次位のDE10の番号は覚えていないし、写りこんでもいないのだが、汽車會社製だったことだけはなぜか覚えている。
この試運転で不具合が見つかり、再び梅小路に入場した。そのため、ゴールデンウィークに運転されたこの年のSLやまぐちとSL北びわこの牽引機が振り替えられ、北びわこがC57形、SLやまぐちがC56形の牽引で運転された。

ところで、このC57 1にはテンダ容積を示すプレート(シゴナナであれば12-17Dと表示されている)が取り付けられていない。同様に動態保存機のC56 160には取り付けられているし、遠く東北の僚機C57 180にも取り付けられている。このプレートは戦後に取り付けられ始めたとのことだから、戦前の姿を再現しているのか。しかしそれだと各所の縁取りがなされていることと矛盾してしまう。果たして真相やいかに。
それからどうでもいいことだが、C57 180のテンダは、給水が地上にいながら行なえたり、後部ステップが梯子に交換されていたりと、使い勝手が良くなるような改修がいくつか施されており、バック運転時の美しさはC57 1の方が良い。パシフィック機がバック運転することなどそうないので、本当にどうでもいいことである。

こちらがその年の5月に運転されたSL北びわこ。出場がやまぐち号の運転に間に合わないため、小郡にはC56 160が持って行かれ、回送までの時間が比較的少ない北びわこの運転はC57 1が担当した。試運転時には入れられていなかったテンダの白い縁取りが入れられているのが分かる。
新緑の北陸線、春用ヘッドマーク、3輌の12系と、すべてが異色づくめの運行だった。しかしその異色づくめの運行も、シゴナナの不調故のことで、そう思うと複雑な心境だ。

 

'07/4/20


試9292レ・C56 160+ DE10 + スハフ12

検査明けの試運転。こちらも学校が半日なことをいいことに託けて撮影したため下りの撮影はなし。
この年の4月に全般検査が行なわれ、非常に美しい姿を披露してくれた。足廻りには点検を示す赤色のマーキングが目立った。前面の排障器のボルトなど、一部部品も新品に交換されていた。

ちょいと一服。といっても木之本駅からひと駅しか離れていないわけだが。手前に座っているのは機関士、テンダに持たれかかっているのは機関助士だろう。

磨き上げられた足廻り。真っ白のIマークが目立つ。元空気ダメには19-2という検査表記が。

発車。その後桜とのツーショット。

 

'09/2/26


試9291レ・C57 1+ スハフ12 + EF65


試9292レ・C57 1+ EF65 + スハフ12

カメラ故障中につき、古いカメラで撮影した試運転。この1日後にこのカメラも壊れたため、その後新しく買い直した。この時の前に買い直していれば…というのは、後の祭りですね。

この1ヶ月ほど前、テンダを新製したものに振り替えており、テンダ交換後初の試運転だった。確かに、比べてみるとボイラ部とテンダではテカリ具合が違う。基本的な構造は新製前のテンダと変わっておらず、側面リベットの本数や、後部のディティールもそのまま。台車は旧型テンダから引き継がれたそうだ。新製してもなお、先述のテンダ容積を示すプレートはない。それから、テンダの前照灯の輝度が前より上がっている気がする。
よく考えてみれば初の9291列車の撮影だったわけだが、PFをはみ出させまいとしたがために、デッキが切れてしまうという大失態…。

機関車がEF65になっているが、2008年3月のC57形試運転ではすでにそうなっていた。2008年3月の試運転では、軸焼けのために米原到着後に梅小路へトンボ帰りし、別日に仕切りなおすというすったもんだがあった。この試運転でも不具合が見つかったため、その箇所を修繕した後3月6日に再度試運転が行なわれている。この際は客車の連結はなく、上りの試運転も行なわれなかった。

 

'09/7/7


試9291レ・C56 160+ スハフ12 + EF65

七夕の日に行なわれた試運転。どうにも時間が合わず、木之本に到着した時点ではすでに上の写真のようになっていた。 


試9291レ・C56 160+ EF65 + スハフ12

機関士も添乗員も、身を乗り出さずにテンダの切り欠きから前方確認していることが分かる。スローピングバックテンダの効果がよく分かる。


試9997レ・EF65 + スハフ12 + C56 160

梅小路への回送。プッシュプルのような感じだが、シゴロクはバイパス弁を開いて絶気状態。

 

'11/1/27


試9292レ・C57 1+ EF65 + スハフ12

3年振りとなるC57形の北びわこ号牽引となる2011年冬の運行に先立ち、雪の降りしきる北陸線で試運転が行なわれた。写真ではキャブの窓から機関士が身を乗り出して前方確認していることが分かり、改めてC57はバック運転に不向きな設計なのだと思う。シゴロクであっても後ろを向くと加減弁に手が届かなくなるそうで、そのような状態で2003年まではバック運転も行なわれていたというのだから恐れ入る。

河毛駅で撮影したのだが、河毛駅ホームの北端というのは、列車が止まることがない関係で除雪されていない。連日の雪のため膝くらいまで雪が積もっていた。通過10分くらい前に意を決して行こうと思ったら、すでに3人の人が待機していた。聞くところによると、自分達が来た時間はまだ写真ほど降ってはいなかったという。だからといって行こうと思えるほどの深さではなく、さすがというほかない。北東の風をともなっていたにもかかわらず、レンズに雪が付かなかったのは奇跡だった。


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