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栄光の国鉄急行列車 |
2009年1月3日新設
2010年5月23日更新
立山〔TATEYAMA〕 EC急行 PC急行
大阪から北陸本線で、富山まで運転してい急行列車。運転区間は大阪〜富山間、1956年11月改正で、PC急行として誕生、1965年10月改正で、475系による電車急行となり、同時に、先行して電車急行で運転されていた越山も吸収し2往復となりました。そして1968年10月改正では、1往復の夜行も加わり、合計、4往復となりました。この頃が、北陸電車急行の黄金期でした。
写真は、大阪駅に停車中の電車急行立山です。車両は471系、473系、475系のいずれかで、冷房工事前の姿で、屋根上には、分散式冷房装置は、見られません。先頭車は、クハ451又はクハ455で、この頃は、電動車以外は、クリームの帯は、塗装されていませんでした。1968年頃に、TAKEMASU様が撮影された貴重な写真を掲載しています。
急行<立山> 大阪駅にて 1968年頃 TAKEMASU様撮影
写真は、大阪駅に停車中の立山です。1970年頃に、TAKEMASU様が撮影された写真を掲載しています。1969年頃より普通車にも冷房工事が施され、この編成は、冷房工事後の姿です。
急行<立山> 大阪駅にて 1970年頃 TAKEMASU様撮影
写真は、大阪駅、11番ホームで出発を待つ457系立山です。先頭車はクモハ457-19、1974年10月撮影。当時、60HZ向けの471系、473系、475系電動車には、車体側面下部にクリーム帯が巻かれていましたが、1969年から登場した50HZ、60HZ共用の457系は、クリーム帯はありませんでした。北陸本線では、471系、473系、475系、457系が共通運用されていました。ヘッドマークは大型です。このヘッドマークは、1978年10月改正で小型化されましたが、北陸本線の電車急行列車は廃止される晩年までヘッドマークが取り付けられていました。
急行<立山>457系 大阪駅にて 1974年10月 筆者撮影
写真は、大阪駅で撮影した寝台特急彗星と並ぶ457系立山です。上記の写真撮影後、横の10番ホームに彗星が入線してきたシーンです。
寝台特急彗星と並ぶ急行<立山> 大阪駅にて 1974年10月 筆者撮影
下の写真は1973年にSakamaki様が撮影された立山です。車両はクリーム帯がある事から、60HZ専用の475系と思われます。
急行<立山>475系 1973年 Sakamaki様撮影
その後、急行立山は、1972年10月の改正では、1往復が特急に格上げされる形で廃止され、1982年11月改正では、昼間2往復も廃止になり、夜行の1往復のみが、不定期で残りましたが、1985年3月には、この不定期列車も廃止されました。この晩年の夜行急行において、475系から583系が使用された時期がありました。この様に、急行立山は北陸本線のオール特急化時代の中で消えていきました。
下の写真は1979年頃にデジアナ様が山崎にて撮影された立山です。ヘッドマークは既に小型化されています。10両編成で、この頃は、行先は糸魚川、富山地方鉄道の宇奈月温泉、立山まで足を伸ばしていました。
急行<立山>457系 山崎にて 1979年頃 デジアナ様撮影
下の写真は大阪駅に到着した晩年の立山です。1981年4月にデジアナ様が撮影された写真を掲載しています。
急行<立山>457系 大阪駅にて 1981年4月 デジアナ様撮影
下の写真は、夜行急行として、1往復のみ残った晩年の583系立山編成の貴重な写真です。1984年頃、デジアナ様が、撮影された写真を掲載しています。
当時としては、特急寝台車両の急行使用で、挽回を図ったが、前述の様に1985年3月には、この1往復も廃止されました。
急行<立山>583系 山崎にて 1984年頃 デジアナ様撮影
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