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ローカル私鉄紹介
京福電気鉄道 三国芦原線 更新 1998.8.31 PAGE 1
京都府と福井県に多くの路線を持つ京福電気鉄道の中で、福井県の福井市街から日本海沿岸の三国町を結んでいるのが、三国芦原線です。路線は越前本線、福井口から分岐し、北へ向かい、九頭竜川の河口、三国港に至る25.2kmの路線で、軌間は1067mm、電圧は600Vを使用しています。
このページでは三国芦原線を1982年(昭和57年)の早春の3月に訪れた時の様子を紹介します。三国芦原線は京福の路線の中で、唯一、日本海まで達している路線で、終点、三国港付近で港風景とローカル私鉄の電車の組合せを撮りたく出かけました。
三国港駅にて 1982.3.22撮影
写真は三国港駅に停車中の当時、三国芦原線の主力であったモハ2001形の2013(左)と2011(右)です。三国港駅は海に接していますが、港と電車の組合せは良いアングルがなく撮影できませんでした。
このモハ2001形は元南海の1200形で、南海の600Vから1500Vの昇圧の際に、旧型車の淘汰のために、16両が京福電鉄に譲渡され、これにより、福井支社の旧型車のほとんどが廃車となり、近代化が進められました。南海の1200型は戦前の優美な南海スタイルの電車で、45両もの数量をほこり、初期の古いタイプから、戦災復興の戦後型にいたるまで、形態は様々です。京福には1972年(昭和47年)に入線しました。南海では1995年まで、貴志川線で使用されていました。
モハ2001形2001 三国港にて 1982.3.22
写真は2001と2002(下)です。モハ2001形のスタイルは南海の流れをくみ、二段上昇窓、一段下降窓、スカートの有無等、バラエティーに富んでいました。
モハ2001形2002 三国港にて 1982.3.22
このモハ2001形は、三国芦原線の主力車として活躍しましたが、当線の車両近代化のため1982年(昭和57年)より、電装品、台車等をモハ2101形に譲って、廃車されました。モハ2101形は阪神の5231形の車体にモハ2001形の足回りを組合せた車両(計16両)で現在、三国芦原線の主力となっています。
三国芦原線を走る283+284 1982.3.22
三国芦原線の歴史は、京福電気鉄道の前進、1888年(明治21年)創業の京都電燈会社が、福井支社を設置し、北陸地方で発電所の建設、電力の供給を始めましたが、余剰電力の活用先として電鉄建設に乗り出し、福井地方の電鉄部門として越前電気鉄道に続き、1924年(大正13年10月)に三国芦原電気鉄道を設立し、1928年(昭和3年)12月に福井〜三国で開業したのが始まりです。その後、1932年(昭和7年5月)に路線を景勝地の東尋坊口へ延長し全線25.8kmとなりました。そして戦時中の昭和17年に電力統制政策をきっかけにして、鉄道部門は分離され、京福電気鉄道が誕生し、三国芦原電気鉄道は当社に合併されました。
路線は1944年(昭和19年)、芦原〜三国間で並走していた国鉄三国線が休止となり、三国〜三国港間1kmを国鉄から借用して電化、代わりに東尋坊口までの1.6kmの営業を廃止しました。その後、国鉄三国線の金津(現芦原温泉)〜芦原間の営業が復活しましたが、1972年(昭和47年)に廃止になっています。このため芦原湯町駅(芦原より改称)は国鉄時代の駅舎、ホームを使用しています。
モハ281形283+284三国芦原線 1982.3.22
写真はモハ281形の283+284です。このモハ281形は、東急のデハ3300形を譲り受けたものです。さらにこのデハ3300形は元、1911年(明治44年)に鉄道院新橋工場で製造されたホデ6110形で、国鉄電車創生期の山手線用電車でした。東急の東京横浜電鉄時代に、この電車の台枠を利用して、川崎車両で1937年(昭和12年)に剛体化されました。
モハ283は院電デハ6312→東急デハ3309、モハ284は院電ホデ6112→東急デハ3306で、1975年(昭和50年)に1500Vから600V仕様に改造され入線しました。モハ281形は4両在籍し、片運転台で2両で編成を組み、モハ284のみ前面が貫通化されていました。在籍中は最古の現役電車でしたが、すでに廃車されています。
現在の京福三国芦原線は元阪神5101形のモハ1101形、元阪神5231形(モハ2001形の足回りを流用)の2101形、元阪神3301形の新性能冷房車2201形、元南海のロマンスカー11001形の3001形が活躍しています。
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