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ローカル私鉄紹介
京福 叡山本線(叡山電鉄) 更新 2000.9.15 PAGE 1
京都市街と洛北方面、出町柳〜八瀬遊園の5.6kmを結んでいるのが、京福電気鉄道、叡山本線で、現在は鞍馬線と共に京福電気鉄道から分離し叡山電鉄となっています。
このページでは、京都市電が廃止された1978年9月30日に京都市電と平面交差していた元田中に訪れた時の様子を紹介します。又叡山本線ではこの頃まで、ポール集電を続けており、日本最後のポール集電の電車として有名でした。ここで紹介する叡山本線の電車は、ポール集電時代の姿です。
京福デナ21形122 元田中にて 1978.9.30撮影
写真は東大路通で、京都市電と平面交差するデナ21形122です。この頃は遮断機は無く、赤旗を持った駅員さんが出てきて、歩行者や車を止めて、電車を往来させていました。
デナ21形122は鞍馬線の前身、鞍馬電鉄が1928年11月に新造した日本車両製の車両で、同時期に新造された叡山電鉄のデナ21形21〜24と同一の車両で、区別のため鞍馬電鉄の車両は100が加えられ、デナ21形121〜126となりました。
デナ21形は当初、非貫通でしたが,貫通路が設けられ、写真の122のみ両側が貫通化されました。又デナ21形は当線のシンボル的な存在でしたが、1995年までに全て廃車となっています。
京都市電と叡山本線が交差する元田中にて 1978.9.30撮影
写真の元田中では、1949年〜1955年の間、京都市電が、ここから、山端(宝ヶ池)まで乗り入れていました。京都市電のポール集電→ビューゲル化により乗り入れは短期間で中止されました。写真撮影時には渡り線のレール跡も無くなっていました。
京福デナ500形507 元田中にて 1978.9.30撮影
写真の面長の電車は元阪神のデナ500形507です。
この車両は1928年、川崎車両で製造された元阪神の831形849です。阪神831形は20両製造され、この内、1964年、阪神での廃車時に10両が移って来ました。阪神では当初、ポール集電でしたが、後にパンタ化され、京福に来てから、再びポール集電に戻されました。他の車両と同様に1978年10月のパンタ化されましたが、1979年9月に、この507は廃車されました。又他の500形も1983年4月までに全て廃車となりました。デナ500形の電装品、台車を更新使用してデナ600形が製造されました。このデナ600形は、昔の叡山本線の雰囲気を伝える車両として数両、生き残っています。
京福デオ200形204 元田中にて 1978.9.30撮影
写真のややスマートな電車はデオ200形204です。デオ200形201〜204は戦後の1951年1月に叡山本線に久々に登場した近畿車両製の新造車です。このデオ200形もすでに廃車となっています。
叡山本線は、既に電鉄部門を開業していた京都電灯が、叡山電鉄を建設、1925年(大正14年)9月27日に出町柳〜八瀬にて運転を開始したのが始まりで、1928年12月には鞍馬線となる鞍馬電鉄が京阪と京都電灯により開業しました。その後戦時中の電力統制政策をきっかけにして電鉄部門が分離され、1942年に京福電鉄が設立され、京福電鉄の叡山本線、鞍馬線となりました。そして1986年4月1日には京福電鉄から分離し、再び叡山電鉄となりました。叡山電鉄は京阪グループの一員で、1989年に開通した京阪鴨東線(三条〜出町柳)により、出町柳にて京阪電車と接続しています。
叡山電鉄では、パノラミック電車900系「きらら」など次々と新しい車両を登場させ、近代化が進んでいます。又2000年9月27日には叡山本線が開業して75周年をむかえます。
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