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ローカル私鉄紹介
京福 嵐山本線、北野線 更新 2000.9.15 PAGE 1
京都の繁華街、四条大宮から、太秦、嵯峨野を経由して、洛西の名勝地、嵐山までの7.2kmを結んでいるのが、京福電気鉄道、嵐山本線です。又この嵐山本線の帷子ノ辻(かたびらのつじ)から分岐し、洛北の北野白梅町にいたる3.8kmの支線が北野線です。
沿線には、多数の名勝、名刹があり観光路線の性格が強く、嵐山本線は全線が複線で、途中1.7kmの併用軌道があり路面電車の一面も持っています。北野線は常盤〜鳴滝間が複線以外は単線で全線専用軌道です。
このページでは1983年に静かな北野線の住宅街の駅、高雄口を訪れた時の様子を中心に紹介します。
モボ121形125 高雄口駅にて 1983年撮影
写真は嵐山線の代表的な車両であったモボ121形の125です。モボ121形121〜130は1936年と37年に各5両づつ合計10両、新造された川崎車両製の電車です。京都の街によく合った、嵐電タイプと呼ばれた独特のスタイルの車両でしたが、現在は既に廃車となってます。
モボ121形125 高雄口駅にて 1983年撮影
写真は高雄口、北野白梅方面行ホームに到着する125です。北野線は終日ワンマン運転で、左側扉しか開閉できないため、上下ホームが別々で、斜めに向き合っています。
モボ121形128 高雄口駅にて 1983年撮影
写真は高雄口、帷子ノ辻方面行ホームに停車しているモボ121形128です。
高雄口駅上下ホーム、1983年撮影
写真は高雄口の帷子ノ辻方面行ホームから、北野白梅方面行ホームを見たところです。古いホーム跡が見えますが、帷子ノ辻方面行ホームは元の場所からずらされて新設された様です。
モボ101形103 北野線常盤〜鳴滝間にて 1976年頃
写真はモボ101形103です。モボ101形101〜106は1929年に新造された藤永田造船所製の半鋼製ボギー車で、当時としてはモダンなヨーロッパスタイルの高速路面電車として登場し、嵐電タイプを確立し、これはモボ111形、121形に受け継がれました。しかし老朽化のため、1968年、台車を取り替えたのに続き、1975年には武庫川車両でモボ301形と同一の車体を新造し、モボ301形と同一の車両となりましたが、形式名だけは残りました。
嵐山線は日本最後のポール電車としてファンの間で有名でしたが、1975年12月14日にZパンタ化が行われました。叡山本線では1978年までポール集電が行われたが、嵐山線が最後までホイールであったのに対し、叡山本線はスライダーでした。上の写真の103はZパンタ化されて直後のもので、ポール集電のなごりが車体に残っていました。
モボ101形106 北野線 等持院にて 1997年12月31日撮影
写真は最近のモボ101形103です。モボ101形は冷房化改造等をされていますが現在も活躍しています。
嵐山本線は、1910年(明治43年)3月に嵐山電気軌道として発足し、洛西の観光を目的として四条大宮〜嵐山が開通したのが始まりです。その後、1918年に京都電灯に買収合併され、京都電灯は1926年(大正末)までに、この嵐山線に新たに分岐路北野線を建設しました。その後、他の京都電灯の路線と同様に、戦時中の電力統制政策をきっかけにして電鉄部門が分離され、1942年に京福電鉄が設立され、京福電鉄の嵐山本線、北野線となりました。
嵐山本線では、ニュースタイルの新造車を次々に登場させており、これに老朽化した旧型車の電装品、台車を流用しているため旧型車は一掃されてしまいました。しかし最近では、レトロ調のモボ21形をデビューさせるなど、京都の「らんでん」として市民に親しまれる鉄道として走り続けています。
レトロ調電車モボ21形26 北野線 1997年12月31日撮影
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