このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

美祢線 大嶺駅物語

12マイル15チェーンの終着駅

明治37年の日露戦争当時、大嶺から産出する無煙炭を軍艦の燃料として
使用するため 時の海軍大臣は、山陽鉄道株式会社に対して 厚狭〜大嶺間に
鉄道を敷設するよう命じ 1年余りの工事により 翌年913日に開通しました。

 鉄道敷設にあたって現在では、起点駅から何キロという「キロ程標」を設けていますが
その当時は、マイルで測量標示していたものらしく「哩(マイル)程標」が大嶺駅ホームの
よう壁に「12M 5CH12マイル5チェーン》と石に刻んではめこんであります。
1マイル=80チェーン≒1.6km 1チェーン=16フィート≒20m

 チェーンとは、文字通り鎖で測量に使用したもの つまり20mの鎖で測量し 起点の厚狭駅から
12マイル15チェーンのところに「大嶺駅」を設置したものです。

 現在のように機械力はなくチェーンを引きづりながら ツルハシで岩を砕きモッコで土砂を
運びながら 山峡を切り拓いて線路を敷き ようやくにして「12マイル15チェーン」の刻石を
終着駅のホームにはめ込んだときの工事関係者の感激を十分に偲ぶ事が出来ます。

 また駅舎や倉庫等の屋根瓦に 当時の山陽鉄道株式会社専用の瓦を使用していたものらしく
昔のままの駅倉庫の屋根に それが残ってます。中でも会社の社標入りの『鬼瓦』は、当時の
鉄道会社の地位と力の面影を残してます。

 この「哩程標」と「鬼瓦」は、他を探してももう出てこない貴重な遺産であり、鉄道資料としても
重要な物で これの保存管理に配慮するよう要望されていた。

 豊かさの不安とか『不確実性』の社会などと言われている現代社会生活の中にあって
数年前までは、炭鉱の駅として栄えていた終着駅 大嶺駅の『哩程標』と『鬼瓦』そして付近に
点存する寂莫としたボタ山は、70数年前の僻地の文明の夜明けの記録を 素朴に確実に
今 伝えます。

1982822大嶺駅長より

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大嶺駅関係鉄道年表  

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