このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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 作者  おばく堂 

門司港駅 (もじこう) 鹿児島本線 路線検索        各駅停車の旅      Mankichi Station


1891(明治24)年 九州鉄道により門司駅として開業。
1942(昭和17)年 関門トンネル開通計画に伴い門司港駅と改称。
1987(昭和62)年、国鉄民営化によりJR九州に引き継がれる。






鹿児島本線 門司港駅 2008年3月19日撮影


門司港駅
は関門トンネルの開通まで「門司駅」と呼ばれたように門司市の代表駅、九州の拠点駅としての役割を果たしてきた。
明治24年九州鉄道の門司駅開業と同時にそばに赤煉瓦造りの九鉄本社が置かれ、
国有化以降は帝国鉄道庁九州帝国鉄道管理局鉄道院九州鉄道管理局
鉄道省門司鉄道局、日本国有鉄道西部支社、九州支社、九州総局がすべてこの地に置かれてきた。
大正3年駅舎は海寄りに新築され、関門航路への連絡設備、小森江の貨車航送設備など大規模な水陸連絡設備が整えられていった。
しかし、昭和17年関門トンネル開通とともに、幹線ルートから外れ、門司港駅に改称、大里駅が門司駅となったが、
昭和63年12月19日駅舎は全国の駅では、はじめて国の重要文化財に指定、九州の鉄道のシンボルとして新たな息吹を与えられた。





門司港駅名標 2008年3月19日撮影 







切符売り場入り口



関門連絡船通路跡

関門連絡船の生涯

本州と九州を結ぶ輸送機関として、明治34年5月に発足した関門連絡船は、およそ半世紀にわたってその使命を果たした。
最盛期の昭和16年には、下関丸、長水丸、豊山丸などの新鋭船を擁し、1日平均53往復して、
年間約880万人(1日平均2万4000人)を輸送する活況を呈した。
しかし、昭和17年関門海底トンネルが開通、同19年にはトンネルが複線化され、さらに33年の関門国道トンネル開通により、
昭和38年には利用客わずか40万人に減少した。
これらの時代の流れと世の中の変遷により、関門連絡船はそれまで本州と九州を結ぶ輸送の幹線動脈としての使命を失い、
ついに昭和39年10月31日午後10時40分門司桟橋発の最終便を最後に、その63年にわたる栄光の歴史を閉じた。
この通路は、当時、駅から桟橋までの約100mを結んだものである。 と書かれてある。


   
  

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