このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
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修正日:2014年02月18日 再訪日:2014年02月12日 公開日:2012年07月13日 探索日:2012年07月09日 | ||||||||||
本町駅(護国神社前駅) | ||||||||||
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(国土地理院 淡色地図1/25000より引用) | より大きな地図で 瀬戸線 を表示 | |||||||||
(名古屋市都市計画情報提供サービス S33 1/2500より引用) | 昭和33年の地図です。 お堀の中を通る線路と本町駅(黄色)が描かれています。堀の下へ下りる坂道(緑色)が描かれています。 | |||||||||
11:45
現在地(マピオン)
本町橋から瀬戸方面(東側)を向いて撮影した写真です。写真奥に本町駅がありました。 | ||||||||||
角度を少し変えて撮影した写真です。写真中央の左右に広がった部分にホームがありました。 | ||||||||||
2012年07月09日探索時の写真 緑の濃さが全然違います。 | ||||||||||
現在地(マピオン)
余談ですが、今いる本町橋が狭くて複線の用地を確保できず、複線の線路同士を重ねて単線の用地にはめ込む、単複線(ガントレット)と呼ばれる方式が採用されていた。 煉瓦作りが時代を感じます。西側の断面です。 | ||||||||||
ガントレットのイメージ図です。 現役の頃の写真はもっていないので、ネットで検索してください。 | ||||||||||
おしゃれなランプが付いています。この橋なんと明治44年7月竣工なんです。 | ||||||||||
しかし!反対側(東側)は近代的だった。 ほとんど幅は変わっていないはずですが、多少拡幅しているようだ。 ちなみに塗装工事をしていました。 | ||||||||||
11:48
現在地(マピオン)
話は戻りまして、本町橋の南詰め東側に少し開けた場所があります。 コンクリートの残骸が見えますが、本町駅の駅舎の残骸と思われます。 写真右側、東西の道に沿って堀の中のホームへ下りていく道が見えます。 | ||||||||||
まっすぐ東方向へ下りていき、90度左へ曲がっています。 | ||||||||||
反対から撮った写真です。 | ||||||||||
カメラを右に向け堀の中の方向へ。 | ||||||||||
反対から撮った写真です。かなり急な坂道になってます。 | ||||||||||
遺構と思われるレンガが残っています。 | ||||||||||
(国土地理院 空中写真より引用) (名古屋市都市計画情報提供サービス S33 1/2500より引用) | 上の写真は 1950年(昭和25年)の空中写真で、 下の地図は 1958年(昭和33年)の地図です。 ホームへ下りていく通路がハッキリと写っています。 地図に記載してある、 名古屋市電は1914年(大正3年)に開通してます。 | |||||||||
(名古屋市都市計画情報提供サービス S33 1/2500より引用) | 日本鉄道旅行地図帳によると、開業期間、距離不明で「護国神社前駅」の記載があります。 年表を一度振り返ります。 1911年(明治44年) 本町駅が開業し、 1935年(昭和10年)4月に現在の位置に移転してきた。 また社名が 1901年(明治34年)「官祭招魂社」、 1939年(昭和14年)「愛知縣護國神社」と改称したと公式サイトにある。 このことから、1939年(昭和14年)以降に呼ばれていた、本町駅の愛称であったと推測します。 | |||||||||
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