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JR東日本の保存車輌、ナデ6141です。東京の品川区にある大井工場にて、2000/8/26撮影。東急から旅たった、というほどのものではないのですが、まぁ、居た、ということで……。 生い立ちはかなり複雑、端折ってご紹介するとこんな感じです。 鉄道院の新橋工場で1914年(大正3年)に誕生。ホデ6110形として設計されましたが、6110形シリーズを制作している間に「ホデ」→「ナデ」への形式改称があり、新製時からナデ6141号と名乗っています。山手線や中央線などを走っていましたが、電車線を600Vから1200Vに昇圧することになり、1925年(大正14年)、ナデ6110形の仲間は鉄道省から私鉄へと払い下げられることに。 そんななかに池上電鉄や目蒲電鉄も払い下げを受けていて、このナデ6141号は目蒲電鉄に1926年(大正15年か昭和元年)入籍。デハ41を名乗りました。 −・− ナデ6110形は明治44年製の10番から大正3年生の44番まで作成されました。ナデ6100形は0番から9番まで。ナデ6145形というのもあり、6145から6150まで作成されました。形や機器はいろいろと違う3形式ですが、初期のボギー電車として技術の蓄積を重ねていったことでしょう。目蒲電鉄に来た6110形は全部で22両、デハ20形4両、デハ30形8両、デハ40形10両。という内容で、なぜ番号が分かれていたかは不明。おそらく、入線した時期がずれていただけだと思われるのだが……。このうち5両だけがモハ20形に改称、その後台枠のみ使用して鋼体化したものがモハ150形(→デハ3300形)やサハ1形(サハ3350形)になっていきます。なお、池上電鉄の6110形はすべてモハ20形になっています。これはたぶん6110形でも後期のものが多かったためと思われます。ようするに、あまり出来が良くなかったのでは……。 −・− 入線して間もない1930年(昭和5年)、なぜか神奈川県の鶴見工業地帯を走る芝浦製作所に他の1両とともに譲渡されます。翌年にはモハ510形が登場していることを考えても、ブランクがあったはずで、なぜ譲渡できたかは調査中。芝浦製作所での車番は41号、のちに鶴見臨港鉄道に鉄道自体が買収され、車番はモハ202となりました。その後1940年にモハ142へと改番、1943年(昭和18年)に国鉄に買収されるものの、車番が変わった形跡はありません。 写真提供はA.Yamagutiさん、多謝!!(禁転載) そして月日は流れ、あとから入ってきた車輌に押され気味になり、出番も少なく、予備車的な扱いを受けていたとき、1968年(昭和43年)に現存する唯一の木造国電ということで保存運動が起こり、国鉄側が代替車を提供するかわりに無償譲渡されました。そして、鉄道開通100周年を記念する車輌として1972年(昭和47年)3月に大井工場へ入場、復元工事を受けたのち、鉄道記念物『ナデ6141』として公開されました。 この数奇な運命?をたどった車輌の詳しいことは、鉄道ファン誌に特集が組まれていたりするので読んでみるとおもしろいと思います。(No.319と、あともうひとつあったような……) 大井工場での保存は動態保存ではなく、工場正門近くの屋外に置かれていたため痛みが激しくなり、民営分割後の1986年11月から大規模な修繕工事を受けることに。走行可能なところまでの修理をすることになり、前後ポール集電だったものを片方のみPS13に、バッテリーに充電した電気で走行するかたちを取りました。さらに予備電源のディーゼル発電器を搭載、木造車体も修理して1987年(昭和61年)7月完成、8月1日の工場公開日に披露されました。 2000年8月26日の公開では、車庫から出して展示する、という内容でした。自走できる修繕をしたのですが、写真のように車止めをはめて離れたところから見るだけでした。バックにいるのはピッカピカのE231系。来年は並べてほしいなぁ……。 というか、書き終えて思ったのですが、端折ってないね、もしかして……。 更新:2001/1/12 |
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