このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
”千の風になって” の思いで |
原稿は 市村 素子さんより 先日母子寡婦会の総会が美郷でありました。その時 中央福祉事務所の成見さんという方が童謡10曲をヴアィオリンで演奏して下さいました。最後に「千の風になって」を聴かせて下さったとき、会場はそれぞれの思いが胸に交錯したかのように声を合わせ最後は合唱の様になりました。 今年の二月に私の母が亡くなりました。明治、大正、昭和、平成と四世代を生き抜き、死にもの狂いで私たち三人の子供を一人で育てて呉れました。晩年は良き医療と介護に支えられ、目を開けなくてもいいから頑張っての家族の励ましの声もむなしく、65年前に42歳で亡くなった父のもとへ静かに旅立ちました。99歳と3ヶ月でした。 七日ごとの法要の時、ひ孫の写した母の元気な時の写真がにこやかに私たちを見下ろしておりました。どうしても母が亡くなったと言う気持ちが抜けきれず「千の風になって」のCDを母の気持ちになって何度も何度も聞きました。 桜の花が満開の三月下旬少し肌寒かった納骨の日。風と共に桜の花びらがたくさんたくさん舞い降りていました。 まるで、母が千の風に乗っていってしまったかの様に、大空から、ふりそそいでくるのです。 思わず手を合わし、「おかあさん、ありがとう、ご苦労様、これからもお父さんと一緒に千の風になって孫、ひ孫、やしゃごがたくましく生きていけるようにいつまでも見守って下さいね。お墓の中で眠らないで・・・」と、心の中で言わずにはいられませんでした。 「千の風になって」を聞くたびに父母のことが感謝と共に思い出される昨今です。 |
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