このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください





●旧石器・縄文・弥生時代
※遺跡位置は 「守山区遺跡分布図」 の頁に有ります。

名古屋市及びその周辺の地形は大きく分けて、東部が丘陵地、中央部が洪積台地(熱田層)、その周辺が沖積層で構成されている。古くは氷河期、間氷期など地球環境の変化により海水面の上昇(縄文海進)、下降(縄文海退)を繰り返したが、弥生時代以降は気象環境も落ち着き、内陸部からの堆積物が台地周辺を埋め尽くし現在のような地形になってきた。
名古屋市内の遺跡はその後の人々の営みにより多くは破壊されたが、名古屋市中区竪三蔵通遺跡、旧紫川遺跡では旧石器時代のナイフ型石器を含む多様な出土物があり時代幅の広さで現在市内最大の旧石器、縄文遺跡とされている。また名古屋市瑞穂区瑞穂陸上競技場一帯の大曲輪(おおぐるわ)貝塚では縄文時代前期、抜歯が施された完全な仰臥屈葬の成人男性の人骨が発掘され、縄文・弥生・歴史時代と長期にわたる遺跡として国指定遺跡となっている。
弥生時代の遺跡では名古屋市西区・清須市・春日町と広い地域に展開する東日本屈指の環濠都市、朝日遺跡が有り、そして庄内川を挟んで守山区の北に位置する春日井市勝川町・長塚町には弥生時代中期から江戸時代におよぶ大量の木製品、条里制跡、寺院跡などを出土した勝川遺跡が有る。
平成2年度の調査によれば名古屋市内には909ヶ所の遺跡が登録され、守山区はもっとも多い172ヶ所が登録され、古墳においては201基が登録され、守山区は134基登録されておる。


●守山区の旧石器・縄文・弥生時代の遺跡及び遺物散布地(抜粋)
樹木遺跡後期旧石器時代 上志段味樹木
1961年、宅地内(熱田層)から槍先形尖頭器1点が出土。その後の発掘調査でチャート剥片と共に槍先形尖頭器が再度1点出土。同地内では他に縄文時代の石鏃も出土。
※左スケッチは1963年、二度目の発掘時に出土した槍先形尖頭器(長さ3.8cm)。名古屋市博物館蔵。
※1961年出土の槍先形尖頭器は実測図(長さ5.5cm、幅2cm)のみで実物は現在所在不明。(現存図からの測定では長さ7.4cm、幅2cmが想定される。)
※槍先形尖頭器(打製石器)木の柄の先に固定装着し槍として使用。
大塚遺跡縄文時代 上志段味大塚
古墳群周辺から旧石器〜縄文時代の多数の石器が出土するも詳細は不明。
大久手下・大久手池東縄文時代 上志段味大久手
石鏃やチャート製有舌尖頭器片及び完品が採取されるも詳細は不明。
深沢1号墳周辺縄文時代 吉根深沢
1号墳調査時に封土や周辺からチャート製剥片が採取されるがその存在等詳細は不明。
上島古墳群周辺縄文時代 吉根上島
上島古墳群の調査時、チャート製石鏃や剥片を採取するも遺跡存在等詳細は不明。
白鳥遺跡縄文時代中期 上志段味東谷・白鳥
県道改修工事時多くの土器片(加曽利E式)を採取。東谷山西麓遺跡と含めて上志段味遺跡と呼ぶ場合もある。
茶臼山古墳周辺縄文時代 小幡北山
古墳発掘後の埋め戻し土中よりチャート製剥片を検出。周辺に遺跡の存在はないが石器加工等の場があったのか詳細は不明。
ニノ輪遺跡
縄文時代晩期 上志段味ニノ輪
甕棺用に使用されたのか深さ50cmの大型深鉢を出土。
笹ヶ根古墳群周辺縄文時代晩期 吉根字笹ヶ根
笹ヶ根1・2号墳発掘調査時に縄文時代晩期後半の条痕文のある土器片・石鏃など出土。同地に同時代の遺跡の存在が推定される。
東谷山西麓遺跡縄文時代〜弥生時代 上志段味東谷
群集墳周辺から多数の石器が出土するも詳細は不明。
牛牧遺跡
縄文時代後期〜弥生時代〜古墳時代及び中世から戦国時代 牛牧中山・高島町・小幡中三丁目
守山市(現守山区)が昭和33(1958)年初めて行った学術的発掘調査遺跡。その後も現在まで愛知県埋蔵文化財センターにより発掘が継続されている。縄文時代の遺物始め住居跡、土抗墓、甕棺、立石遺構、土偶片、赤色顔料が施された土器など多くの土製品、石器など出土。弥生時代遺構として竪穴式住居跡を検出。中世以降の柵列一列も検出。守山区を代表する大型遺跡。
川東山遺跡縄文時代〜古墳時代 川字東山
多数の石器が出土したものの遺跡の存在等詳細は不明。
天白・元屋敷遺跡
弥生・古墳・中世の複合遺跡 上志段味天白・元屋敷
庄内川南岸、砂堆積上に有り、弥生式土器から中世・近世までの遺物を含んだ大型遺跡。近年の研究では中世の大型川湊遺跡として注目されている。
※写真左奥の山「東谷山」
志段味銅剣出土地弥生時代? 上志段味上島
1920年頃開墾中に出土したと伝えられる細形銅剣(長さ17.6cm)が出土。その後同地で古墳状の高まりが見つかったが副葬品か否かは不明。
牛牧離レ松遺跡弥生時代中期〜古墳時代 城土町
方形周溝墓群など多数の遺構・遺物が検出され、4号遺構では多くの初期須恵器を出土し、9号遺構では窖窯焼成された二突帯三段、タテハケ目のこの地方とは異なる形式の円筒埴輪の出土を見る。
須恵器:朝鮮半島からもたらされ、ろくろ成形、登り窯あな窯等の高温の還元炎で焼成された暗青色の焼き物。専門工人集団の存在が有ったと思われる。
宮前遺物包含地弥生時代中期?・古墳時代? 中志段味宮前
志段味地区には弥生遺跡が少ないが、出土した須恵器、土師器などから過去に滅失した古墳か同時代の集落跡か。
西城遺跡 弥生時代後期後半〜古墳時代前期 小幡西城
現小幡城本丸跡で一軒の住居跡を検出。欠山式(弥生時代後期後半)の土器多数出土。守山区内で住居遺構を持った貴重な遺跡。



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