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熊本に帰省して Part3
筑豊電鉄の直方駅からJRの直方駅へと向かいます。 僕はてっきりお互い近くにあるのかと思いきや、 けっこう離れているんですね。 直方といえば、昔は炭坑で栄えていたところです。 一時期は地盤沈下していましたが、 いまでは博多へのベットタウンとして、また人気を取り戻しているようです。 その影響か、直方と博多を結ぶ篠栗線も電化されています。 | |
直方駅から折尾駅へと向かいます。 ここには、予備校の時の友達が住んでいます。 久しぶりに会う約束をし、焼き肉を食べに行きました。 ついでに、北九州を高速道路で一周してもらうことに。 友達が言うには、熊本が懐かしいとのことですが、 東京に住んでいる僕としては、北九州でもいいから九州に住みたい。 と思うのでした。 | |
次の日は家族とハウステンボス方面へ。 久しぶりの家族旅行です。 ここは一時期倒産しかけましたが、 なんとか別の企業が支援してくれることになりました。 写真は全日空ホテル。 建設当時、ディズニーランドの成功をもとに、 あちこちにテーマパークが出来ましたが、どれも失敗に終わりました。 テーマパークも作ればいいというわけではないようです。 | |
ハウステンボスへ行った後ホテルで一泊し、 翌日は西海橋を経由して、長崎へと向かいます。 母は学生の時に西海橋を利用したようで、 しきりに当時のことを行っていましたが、 僕からすれば、そんな大昔のことを言われても。 という気がしました。 | |
長崎では原爆記念館やにょこ堂を訪ねました。 にょこ堂、ここには永井博士が住んでいたことで有名です。 僕が小学生のとき、一度訪ねたことがあります。 当時と比べて、記念館ができたり広場が出来ていたりして、 きれいに整備されていました。 | |
つぎに訪ねたのが、シーボルト記念館です。 ここへ来るまで道が狭かったので、大変でした。 いまの日本があるのは、 彼のような人たちが日本に興味を持ってくれたからに違いありません。 写真は元鳴滝塾があったところで、いまはなにも残っていません。 シーボルトもまさかここに原爆が落とされることになるとは、 思わなかったでしょうね。 |
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