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春近し〜その1
賢次は約束の時間より少し遅れた
実は、予定通り事は運んでいたのだが、思わぬ電話が携帯に入ったのだった
「賢次?お母さんだけど、今、いい?」
「お母さん?急に僕の前から姿を消して。そうそう、僕の移植は効果抜群だったですよ。ご安心ください。母かなこも喜んでいます。」
「かなこさんには申し訳ない事を・・・・・」
「ご心配いりませんよ。じっくり話せばわからない人ではありませんから。」
「ごめんなさい。又、連絡しますからね。じゃ〜」
「了解しました。出来るだけ早く春樹のもとへ帰ってあげてください。」
「・・・・・。」
そこで電話がぷっつりと切れた
約束の場所では、すでに比呂美が待ちぼうけ
「ごめん。急用が出来ちゃって。」
「そうだったの。何かあったと心配しちゃった。」
「ところで、どこへ行こう?」
「そうね、久しぶりだから、思い出の喫茶へ行く?」
「思い出って?城馬車?」
「ええ、あそこなら、広くてゆっくりお話が出来そうよ。」
「ゆっくりの話って、よくわかったね。」
「あら、だって、春樹さんの事で相談があるんじゃないの?」
「春樹の事と思ったの?」
「そうじゃないの?」
「城馬車に行って話すよ。」
「あら、もったいぶって。それにしても、賢次さんは暫く見ない間に、少し感じが変わったよ。」
話を続けながら、ふたりは城馬車へと向かった
学生時代に時々大勢で溜まり場として使っていた懐かしい喫茶だった
懐かしく、暖かいその思い出の喫茶の椅子にふたりは腰をかけた
どちらともなく、同時に「それでね。」
ふたりは顔を見合って笑った
春近し〜その2
「それでね・・・・・比呂美。」
「何なの?」
「春樹の事も大切だけど、その前にね、君に伝えたい事がね・・・・・あるんだ。」
「伝えたい事?」
「僕は、今、職場へ届けを出している。兄の看病があって。休職届けだよ。でね、それに関してなんだけどね。」
「兄って、賢次さんにお兄さんがいらっしゃったの?」
「春樹だよ。」
比呂美に春樹と自分との関係を知ってもらいたいと思ったのは、比呂美との結婚を考えてからであった
春近し
賢次の言葉を拾った比呂美は、信じられないような顔をしていた
その頃、春樹と賢次の母である静子は、遠く故郷の土を踏んでいた
原点に戻ろう
そう思って行き着いたところは、生まれ育った和歌山であった
春樹の病の願かけと自分を故郷へ一旦戻して、正常心を取り戻そうと思った
既に実家は両親も亡くなり、兄夫婦がその後を守っていた
近くの旅館に宿をとり、何日か過ごした
先祖の墓参りに行くと、心が静かになれた
今までは何の問題もなかったにもかかわらず、春樹が病に臥してから時計が狂いだした
感情的になり、思わぬ行動に走った自分だった
息子の春樹の事を思うと、居たたまれなくなって賢次にしがみついた
そんな状態だった
別に告白のつもりではなかった
女ひとり、どうしていいか不安の最中に偶然が重なった故の事だったのだ
春樹の病を春樹自身から聞いた静子は、その後、買い物に行き、途中で賢次と出逢った
紫色の唇を見た賢次が聞いた
「叔母さん、真っ青になって、どうかしたの?」
北風が静子の真横を過ぎ去って行った
賢次は実の母とも知らずに静子を思いやって、こう聞いた
「叔母さん、あなたは僕のお母さんなの?」
一言も言っていない・・・・・それなのに
春近しーその3
「ん?」
一瞬耳を疑った静子は、身体が震えるほどの動揺を抑える事が出来なかったのだ
「今、何と?」
「気のせいです。ごめんなさい。気にしないでください。」
賢次は、静子に最近自分が似ているような気がしただけなのだ
大らかな春樹は亡き夫似で、賢次は自分に似ていると思った
それからの静子は言葉を止める事なく、いままでの事情を賢次に話して聞かせた
話が終わって、賢次は暫く黙っていたが、春樹が病に倒れた事態を重視
友としてではなく、弟として兄を助けたい
賢次の心に兄弟愛が宿ったのだった
静子が皆の前から姿を消したのは、それから一ヶ月後である
賢次に、春樹を頼むと言って去ったのだった
喫茶「城馬車」で賢次はそんな事情を比呂美に話して聞かせた
「それで、こんな重大な話を何で君にしたかって言う事を今から話すよ。」
「・・・・・」
「つまり、あっ、お水ください。」
店員に大きく手を挙げて賢次は唾を飲み込んだ
水がくるのを待って話を切り出した
「単刀直入に言うよ。」
「・・・・・」
「結婚してほしい。」
そう言ってコップ一杯の水を一気に飲み干した
賢次と比呂美の春は近かった
大阪駅の阪急寄りにある花屋では、春の花が、店いっぱいに咲き誇っていた
ひとりの男性が両手いっぱいの花束を抱えていた
「娘のピアノ発表会だけど、こんなもんでいいのかな?」
若い店員に明るい声で聞いていた
「はい、カラーも明るめだし、ステキだと思いますけれど。」
「そうか、じゃ〜これにしておくよ。」
春爛漫
キラキラと人々の行きかう姿の中に、賢次と比呂美もいた
春近しーその4
比呂美は賢次と大阪駅の陸橋で一先ず「さようなら〜」
なぜか比呂美は、一滴の涙を、そっと拭った
それは、前に一度賢次と別れた時に貰ったハンカチであった
その頃、賢次は、春樹の病院へと向かっていた
—俺は、自分の運命を、どう理解すればいいのか?母ふたり・・・兄春樹は、今、病で苦しんでいる。が、しかし、何もしてやれない己が歯がゆくってならない
二卵性の双子が今までこんな運命をたどっただろうか
最近、春樹は、比較的病状も安定して、回復の兆しが見えてきた
静子の行方がわかりしだい、春樹の病状がいい方向に向かっている事を知らせねばと心が痛むばかりであった
病室を訪ねると、そこにはいつもの笑顔の兄がいた。
春樹は、夏休みが終わって秋が来ると、春樹を待っているその児童達のもとへ帰る
その子達の添え書きを読んでいた
・ 先生、早くよくなって僕達に算数を教えてください。女の先生はもうすぐ春樹先生は僕達の教室にお帰りになるとおっしゃっています。凄く、凄く、すごーく楽しみです。先生、僕は昨日逆上がりが出来ました。
・ 春樹先生、わたしは仲良し三人で、小さな山に行ってきました。そして、頂上で大声でいいました。せんせーい、病気になんか負けないでがんばれ!先生、聞こえましたか?
・ 先生、僕の親戚に名医がいます。治らなくても、大丈夫です。その名医が治します。安心してください。
・ 先生、私は、夏休みにたくさんの本を読みました。また、感想を聞いてください。名犬コリーという本です。名犬コリーはとても身体の弱い犬だったんですけれど、魔法の薬で元気になれたんです。先生にも、そんなお薬があればいいなと思って本を読み終えました。
春樹の受け持ちのクラスの生徒から、たくさんの折鶴と寄せ書きが、ベッドの側にあった。
賢次は、子供のエネルギーって、凄いなと、その時改めて思った。
夏がすでに秋の様相に変わった頃、春樹はめきめきと健康を取り戻すのであった。
春遠く、夏が過ぎにし、秋来たり・・・そんな時の流れの中に、それぞれを演じる人達がいた。
「もう、秋なのね・・・人恋しいなぁ〜。」
ふとつぶやくひとりの夫人が、春樹が入院している病院にポツンと立っていた
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