このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


夏過ぎにしー1

節はすでに夏を過ぎ、秋の頭にかかろうとしている
朝夕はなぜか物悲しい風が、誰の心にも吹き抜けるようであった
春樹はそんなロマンティックな気分どころか、現実に生と死の狭間で戦っている

賢次が病院の入り口付近に車を止めて、自動販売機にふと目をやると、そこにいる静子に気がついた
「おばさん!」
「ん?」静子は遠くから春樹を見て、その姿の確認が出来れば、すぐにでも帰るつもりでいた
「賢次さん、春樹にお見舞いに来てくださったのね。」
「ええ、母から洗濯物を持って帰る様にと言われているもんですから。おばさん、探しましたよ。春樹はね、担当医からは治療の方法を変えてから回復に向かっているとの報告を受けているんですよ。もう、ご心配に及びません。もう少しです。春樹を励ましてあげてくださいませんか?」
「そうなの?皆様のお蔭でそこまで回復したのですね。今日は、一先ず家に帰ります。改めて春樹に電話してから来ますので、それでいいでしょうか?」
「おばさんのお考えもあるでしょうから、了解しました。」
「ありがとう。じゃ〜私は帰りますから。かなこさんによろしくお伝えしてね。」
「はい。」
そう言ってから、静子は急ぎ足で駅方向へと立ち去った。
秋色に染まった街には、これから秋を迎えるには、まだ早い思いの人々が、足早にそれぞれの時間を過ごしていた。
夏は、名残おしいとばかりに、まだ、お昼間はその日差しは強く、人は涼しさを求めに、日陰を探しながらであった。
道行く人は、まだ、夏姿だし、気ぜわしく真っ直ぐ前を見ながら駅に向かっていた。

その頃、春樹は、急のめまいを起こして、昼食は受け付けずであった。
春樹に早い冬の試練が待っているのであろうか。
それとも・・・・・
「兄さん。」
ドアを開けたとたん、そこには・・・・・

夏過ぎにしー2

そこには、枕元の折鶴に囲まれて、ぐっすりと寝ている兄の姿があった。
側にある椅子にどっかと座って、賢次は折鶴に囲まれた兄を、ただじっと見つめていた。

それから、しばらくして、主治医に呼ばれた。
「三枝さんの病状ですが、一時的なめまいがありました。しかし、治療とはそれほど関係なく、治療していての疲労が症状として出たのだと推察しています。白血病細胞を抗がん剤で殺し、寛解を目指します。まず、抗がん剤療法により白血病細胞を殺し白血病から回復させる療法を行い完全寛解をめざします。完全寛解とは骨髄中の白血病細胞が5%未満になり他の臓器の浸潤も消失し、一時的に良くなった状態をいいます。治ったと言わずに寛解というのは、完全寛解になっても患者さんの体内には少数の白血病細胞が残存しているので、放っておけば必ず再発するからです。
そこで完全寛解のあとに寛解後療法を行います。これには導入療法と同じ程度の強さの治療をする地固め療法と、退院後外来通院中に行う維持・強化療法の二つがあります。
白血病の治療法は、多種類の抗白血病剤を組み合わせて使う多剤併用療法を行うのが普通です。これは、互いの抗白血病作用を増強し、個々の薬剤が持つ副作用を少なくするためです。三枝さんは、もう、退院の時期にきたと確認できました。後、一ヶ月が退院の見込みと思ってください。」

賢次は大きくため息をついた。
後一ヶ月で退院となると、早速、その準備にかからないとならない。あ〜もう、秋なのか〜この一ヶ月で、兄を迎える準備をせねば。

夏の名残が、人々の心を、なぜかノスタルジアにかきたてる.

春樹の洗濯物を袋に詰めて、そっと病室を出た。
喫茶・プチでは、相変わらず、賑やかな明るい声が外からでも漏れ聞こえる。
喫茶プチには、しばらく振りに麻里が遊びに来ていた。
賢次はプチのドアを開けた。
かなこが麻里と何かの交渉をしていた。
「麻里ちゃんが、学校をご卒業されたそうよ。就職が決まったって、今、聞いたところよ。」
賢次は「それは、おめでたいじゃない。麻里ちゃん、おめでとう。」
「賢次さん、ありがとう。やっと、やっとの卒業ですよ。単位もそれなりにとれましたし。親もほっとしてくれています。」
「俺もほっとしたよ。それで、就職はどこに?」
「図書館の司書です。」
「ほー、優秀じゃないの。がんばったんだね。」
「一先ず、今の大学内で募集があったんです。応募者は結構多かったのですけど、ゼミの関係で、優先的に採用されたんじゃないかしら。どちらにしても、ラッキーでした。」こぼれる笑顔の麻里は、そう言って熱いコーヒーを懐かしく飲むのであった。


夏過ぎにしー3

賢次はおめでたい事は続くものだと思った。
麻里が帰った後、夕食時にかなこに春樹の退院の時期を報告した
かなこの反応は、意外と冷静だった。
「若いから、回復は早いのね。春樹さんご本人は?まだ、知らされてないのかしら?いい事は早めに知ったほうが、身体にもいいと思うよ。明日、私がお見舞いの時言っておこうか?」
「そうだね、それがいいと思うよ。それから、そろそろ、自分の事だけど、職場復帰していい?」
「そうそう、あなたにも長くお世話になったね。助かったわよ。」
賢次はそう言ってから、次の言葉につまった。母に自分の結婚の事を今言うべきか。けれど、やはり、春樹の退院を終えてからにしようと思い直して、二階の自室に駆け上がった。
夏遠く過ぎにし、秋近く・・・そんな宵であった。
秋の夜長を鳴き通す虫の声は、賢次にとって、心の安らぎでもあったのだ。
「賢次。賢次—!」
「ん?」母、かなこの賢次を呼ぶ声が聞こえた。
「なんだい?」
「比呂美さんからよ。携帯に連絡できなかったって、そう、おっしゃってたわよ。」
「充電中だったのじゃないの?」
比呂美からは、明日逢いたいとの電話だった。
充電を終えて着信記録を見ると、比呂美から一件あった。

—結婚の申し込みをお受けいたします。これからもよろしくお願い致します。<(_ _)>

賢次は一瞬びっくりしたと同時に、少しの感動と嬉しさで、胸がいっぱいになった。
麻里の就職、春樹の退院の報告、そして、自分の人生の伴侶が決まった、そんな嬉しい一日だった。
その夜、寝支度を済ませて、床につく前に、携帯に着メロがなった。
—賢次さん、静子です。今、病院です。春樹から、まもなくの退院の知らせを聞きました。長くの間にお世話になり、感謝します。お礼は後ほど改めて伺いたいと思っています。夜遅くにごめんなさい。嬉しい事を聞いた後ですので、早くメールしたくて、失礼をしました。では〜
賢次は静子を思うと、春樹の健康をなおの事願わずにはいられなかった。そんな秋の夜長だった。


夏過ぎにしー4


実は静子には、新しい伴侶が決まっていた
春樹に言うきっかけもなくいままできた
春樹は36歳
年頃をとっくに過ぎ、いまだに独身
静子が春樹の苦しみを分かち合えない苦しさで、家を出て、故郷に身を寄せた
長くなるかは自分でもわからない長き人生の旅のはじまりだった
あの時、列車を降り立った静子を迎えたのは、古びた駅舎
故郷だ・・・・・
春樹と賢次を身ごもって、そして、子育てに夢中だったあの若かった頃、故郷は遠きにあった
パートナーを亡くして路頭に迷い、かなこ夫婦に助けられ、やっと幸せに・・・
ところが息子の病という残酷な運命とどう闘えばいいのだ
今、苦しさに耐える事も出来ずに故郷の土を踏んだ
父も母も亡き故郷の古屋・・・と思いきや、綺麗に片付いていた
兄夫婦はすでに静子と同じに都会暮らし
家を手放したとも聞いてはいないから、管理は出来ている様子
静子は兄に電話をかけて、しばらく滞在の許可を得る事にした
そこでの生活をしている内にひとりの男性とかかわった
つまり、春樹と賢次の父の実の弟
賢次の直属の上司としていつも賢次を見守っていたその人だ
三枝徹は兄である強志の死から影で支えていた
けれど、訳があって、兄とは絶縁状態だった
まともには助け船は出せない事情もあったのだ
春樹が病と闘っていると知って、静子には連絡しながら、故郷和歌山へも時々足を向けていた
徹はすでに妻を病で亡くしている
何かと兄家族のバックアップに力を注いでいる内に、静子と一緒になろうと打ち明けたのだった
心の強さを無くした静子は、もやは力も尽きて、徹を頼らざるおえない気持ちになっていた
時は、秋深き流れになり、団塊の世代の恋も、静かに華開きはじめたのだろうか
春樹が再び命の息吹きを得て、再び春来る人生の切符を得た頃に、二組のカップルが誕生の時を待つ

夏過ぎにしー5

それから間もなくだった、ある日の午後の病室から、二組のカップルが春樹を囲んでいた。笑顔いっぱいの部屋から、時々冗談を飛ばす春樹の姿があった。
「おい、冗談じゃないよ。退院するなり、お袋の結婚?それに比呂美君が?おいおい、俺にお嫁ちゃん探してくれよ。」

秋深き、間もなく長い冬のはじまりだった。
春樹の病状は医者も驚くほどの回復をみせていた。
後一週間後には、退院の日を迎える春樹の枕元には、すでに職場からは職場復帰のお祝いメッセージが所狭しと置かれていた。
暫くすると、ドアを一気に開く音で、徹、静子、賢次、比呂美、そして、春樹がいっせいにドアの方向に目をやった。
「先生!」
春樹が担任をしている生徒達だった。

春樹は実は中学の教師であったのだが、途中から小学校へかわろうと決心したのだった。
教育は基礎が第一。
中学生はすでに鉄も打ち終わった後にて、人間形成もほぼ完成に近い。
出来るならば、小学校からの教育に力を注ぎたい、そう思うようになったのは、30歳になった頃だった。
中学生は、自分の力で生きてゆく事も可能な年頃。
鉄は熱いうちと昔から言われている通り、小学校からの教育にこそ、その生きがいを見出した春樹であった。

秋風が爽やかにそそぐ午後のひと時だった。30名の瞳の中には、ほころぶような愛情の春樹、その人が映っていた。
その姿を見て、静子は、今、最高の幸せを味わっている・・・そんな自分が、たまらなく眩しかった。
大人たちが、ふと、気づいたのは・・・生徒のひとりが一枚の画用紙に描いていたその絵は、まさに、「赤い華」であった。
風薫る秋
秋色は幸せ色
そんな暖かい太陽が、病院全体を包むのであった

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