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習志野原の掲示板 過去ログ 2003年5月


R357の「延伸」 投稿者:エル・アルコン  投稿日: 5月28日(水)14時57分56秒

(551さんのところとマルチポストです)

6月4日付けで「一般国道の指定区間を指定する政令の一部を改正する政令」が施行されますが、これにより千葉市内のR16とR357に一部変化が発生します。特にR357は起点が11.5kmと大きく南下することになります。

●変更の概要
一般国道の指定区間(直轄区間)につき、R16として指定されている中央区登戸1丁目から寒川町1丁目、同蘇我町1丁目から村田町893番地までの区間を解除し、同区間を含む美浜区稲毛海岸5丁目から中央区村田町893番地までをR357として指定。(ただし中央区登戸1丁目まではR14と重複指定)

※地名解説:
登戸1丁目:R14が千葉市中心街方面に分岐し、R16になる地点
寒川町1丁目:寒川大橋
蘇我町1丁目:蘇我駅西方の交差点
村田町893番地:R16バイパスとの分岐
稲毛海岸5丁目:R357とR14が合流後しばらく南下した地点
天台6丁目:穴川ICのR16バイパス分岐

これにより、R16は指定区間が天台6丁目からバイパス経由一本になりすっきりしました。
で、海沿いの自専道計画ありとなっている区間ですが、どうも扱いが一筋縄でないようです。
R16はロードマップでは天台からモノレールの下を進み、東千葉駅前を経て広小路に至り、そこから登戸まではR14となり、登戸から自専道計画区間に入り、寒川町、蘇我町を経て村田町に至ります。
ところが政令を見ると、「稲毛区天台6丁目から中央区登戸1丁目まで及び、中央区寒川町1丁目から中央区蘇我町1丁目を除く」とあります。おまけにR14の項目を見ると登戸1丁目以東広小路までは指定区間でなく、結局東京方面からの指定区間はR16に入り登戸から寒川町まで続き、なぜか途絶えて蘇我町から村田町に至りバイパスと合流して木更津方面へという虫食い指定だったのです。

今回の改正により、虫食い区間だった寒川町から蘇我町の区間を含めて登戸から村田町までR357として指定しています。これによりR357は起点が美浜区稲毛海岸から中央区村田町まで南下したわけで、自専道の行く末はともかくとして、「湾岸道路」の「輪」が伸びました。

***
余談ですが、もともとR14としての指定区間だったR357との合流点から登戸の区間ですが、なぜR357が稲毛海岸までという中途半端な区間だけ重複指定されてたんでしょうか。またR16やR14の指定も謎で、R16がかつて広小路から本千葉駅前を通り寒川大橋に至っていた名残で寒川町が区切りになっているのかもしれませんが、蘇我町はホンマもんの謎です。おまけに虫食い指定ですし、R14は市街地まで指定されていません。

ちなみに今回の改正で、登戸−村田町はR357のみの指定区間ですが、現行のR16の指定外区間との重複となるのでしょうか。天台−村田町の「旧道」は総て指定外になったのですがさすがに県道格下げはないでしょうが、重複区間はどう表記されるか、また「おにぎり」はどうなるのか、マニアックな興味が沸く区間です。




今日5月13日は... 投稿者:エル・アルコン  投稿日: 5月13日(火)01時47分18秒

明治6年(1873年)4月、明治天皇行幸のもと、陸軍大将西郷隆盛、同少将篠原国幹(両名とも同年秋の征韓論で下野。西南戦争で薩軍側になり戦死)率いる近衛兵の演習がありました。天皇の幕舎があったのは現習志野台4丁目、一説に演習での篠原少将の統監ぶりを褒めての「習篠原」(篠原を見習え)、また一説に「習練を志す原」として、明治天皇が「習志野原」と命名したのが、130年前の今日、5月13日です。

その由来を刻んだ石碑、「明治天皇駐蹕之處」は船橋市郷土資料館の庭にあります。




虹色バス通り 投稿者:エル・アルコン  投稿日: 5月 9日(金)09時52分03秒

ちばレインボーバスのホームページ(「虹色バス通り」には参りました(笑))によると、5月6日から神崎線(津田沼駅−八千代緑が丘駅−船尾車庫−木下駅)のダイヤが変わり、平日の朝夕は従来の津田沼駅−船尾車庫通し運転を八千代緑が丘駅で分断するようになりました。

http://www.chiba-rainbow-bus.jp/

「渋滞にリベンジを。お客様に安心を。」とはけっこう刺激的なキャッチコピーですが、成田街道での渋滞で特に八千代緑が丘駅から八千代市北部や印西市方面に向かうバスの時間が読めなくなっている現状を打破するため、緑が丘で分断し、緑が丘以北での定時運行を図るようです。

これに伴い、八千代緑が丘駅と船尾車庫での乗り継ぎ制度もスタートしました。
緑が丘駅もしくは船尾車庫止まりの便に乗車して、2時間以内に同じ神崎線のバスに乗車する場合に限り、終点でそこまでの運賃を支払うことで「のりつぎ券」が発行されます。これにより乗り継ぎ先のバスの降車時の支払は「通し運賃−前のバスでの支払運賃」となります。共通カードでの利用も可能ですが、その場合は乗り継ぎ時先のバスでは乗車時にカードリーダーを通さずに、降車時に運転手のマニュアル操作による減算になります。
適用除外は定期券及びゴールドパス等の均一パス(これはそもそも「のりつぎ券」が不要)、エコ定期制度での別途乗車(1乗車100円を厳守)です。

***
成田街道の渋滞対策はHPにもあるように「深刻な道路渋滞という、もはや一バス事業者の力だけではどうにもならないところに原因がある」わけですが、出来る人が出来るところからという積み重ねも大切です。
ただ、成田街道の渋滞は平日もさることながら、土休日の実籾街道入口〜新木戸も筆舌に尽くし難いのが実情で、緑が丘分断は平日朝夕のほか、土日日中にも導入して欲しかったです。




複雑... 投稿者:エル・アルコン  投稿日: 5月 8日(木)22時34分13秒

takaosaさん、情報ありがとうございます。

中型車って、高根線や飯山満線といった狭隘路線のワンマン化用のイメージがあり、96年の再編時、飯山満線が津14を除いて全廃になったときはせっかくの車両をどうするのか心配したくらいです。短命だった緑01なんか中型の有効活用かと思ったくらいですし。

2000年の再編で高根線が廃止になり、いよいよ中型車はどうなると思ってたら、大型車を運用していた路線に進出、増備とは実に複雑な心境です。
ワンステ登場時のN-747nなどが微妙にサイズが小さくて収容力が無く、次からは従来車と同じサイズに戻ったくらいなのに、ここ2年程度でそんなに輸送量が減ってるんでしょうか。





新京成バス近況 投稿者:takaosa@飯山満  投稿日: 5月 8日(木)21時32分06秒

ご無沙汰しています。
最近になって、芝山線(船28A・東01)にも新造の中型ワンステップバス(N-M40,N-M45,N-M48など)が続々と運用されています。ここのところ、平日夕方以降の東船橋駅発芝山団地行(東01)では、大型車だとかなり空いている感じであって、東葉高速線に乗客が流れているように思いました。
先日、中型ワンステップバス使用の船橋駅発北習志野駅行(船23)最終バスに乗車、中型車であるために車内が大型車よりも結構混雑している感じでした。




道路ネタ 投稿者:エル・アルコン  投稿日: 5月 8日(木)00時21分10秒

国交省道路局HPの「道路開通情報」が更新され、新年度の開通予想区間が織り込まれてますが、その中に、湾岸道路(R357)の葛西西行き立体が夏に、高浜東行き立体が年度中に開通予定となっています。(ほかに横浜ベイブリッジ一般部も年度中)
高浜の完成は大きく、これで東行きしかない高谷の信号(実はやり方次第で解消可能)を無くせば、市川の千鳥町から船橋の栄町まで信号が無くなります。
葛西もそうで、舞浜から若洲入口までノンストップですからこれも大きいです。

で、千葉ニュータウンも激変したようです。
県道61号(船橋印西線)の島田台交差点の先、八千代市佐山から、従来は神崎から船穂にでて県道4号(千葉竜ヶ崎線)に合流していたんですが、これが直進して多々羅田(印西花の丘公園の脇)で建設中だったR464とのインターチェンジにつながったそうです。(県道自体はさらに北進している)
また、R464の印西牧の原駅北側が完成し、駅の北側を大きく迂回していたのが改まったようです。まああそこはジョイフル本田絡みの渋滞が最近目立つようで、以前のように草深を過ぎるとついつい...というのも昔語りのようですが。

個人的には県道4号が草深交差点の方にクランク状に迂回するのを解消する短絡路(年末の時点ではすでにおおかた整地され、R464には隠されてはいますが道路標識もあります)が早く開通して欲しいです。




最近の新京成バス 投稿者:北習住人  投稿日: 5月 7日(水)23時12分27秒

ラッピングバスも見かけるようになりました。それから、船橋バスの新デザインのバスも見かけました。







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