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習志野原の掲示板 過去ログ 2006年1月
政令指定都市 投稿者:take 投稿日: 1月29日(日)23時14分3秒
こんばんは
本日の朝日新聞の千葉版に「船橋市や市川市が政令指定都市を目指す方向を示している」との記述がありました。
実現できれば国道(県が管理している)や県道が市の管轄になり、交差点改良などが容易になり渋滞解消!まではいかないけど緩和されるのでしょうか!?
松戸(続) 投稿者:エル・アルコン 投稿日: 1月28日(土)22時12分56秒
なんか消化不良な結果だな(苦笑)
八柱霊園とか松戸花火とか、全然でてこないし。
まあ五香の五番街が出てきたのには笑いましたが。あそこ、ひと昔前はどんなテナントが入ってもすぐ撤退と言ういわくつきの場所なんですが、五番街になって長続きしてますからそれなりの実力?があるのかな。
それにしても、テレビ大阪の番組として視聴したんですが、TVO管内で土地勘を持ってみてたのはいったい何人いるのやら(苦笑)
http://www.geocities.jp/straphangerseye/index.html
松戸 投稿者:エル・アルコン 投稿日: 1月28日(土)21時21分27秒
いまアド街が「松戸」を取り上げてます。
まあ、船橋が既に2回取り上げられています、と言うと実も蓋もないのですが(笑)
さて、ゲストの面々のコメントで、ボックスヒルが出てきたのには同意。17位でしたね。しかし、幕張や船橋が松戸にあこがれていたと言うのはあり得ません。ウソつくな!(笑)
総武沿線が松戸にあこがれるってことはないですよ。津田沼にパルコがある状態で、松戸に何を??松戸自体、柏に押されている状況で、千葉県内の常磐沿線で存在感をもてたのも昭和時代までがせいぜいです。
あと、早々に上本郷の新京成模型館が出ましたね。
新京成OBの方が新幹線「はやて」を運転していましたが、昔摂った杵柄と言うイメージでで出ていたものの、「閉塞よし」とか声出し確認はそもそも新京成でしていたかと言うと、う〜ん...(苦笑)
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Re: 幻の京成新線 投稿者:矢切 投稿日: 1月12日(木)21時17分26秒
京成・小湊・新京成の幻の新線計画について、京成電鉄55年史に書かれている部分を抜き出しておきました。
http://www3.ocn.ne.jp/~skylark7/data/ksnewline.html
その後および現状について確認したいのですが、
★ 東陽町〜千葉寺は免許されず
★ 柴又〜松戸は免許失効
でしょうか?
もちろん免許が失効していなくても今更作らないでしょう。
乗じてたわごと 投稿者:こうやま 投稿日: 1月12日(木)21時00分47秒
年末年始が忙しくて全然見てなかったら(本当は掲示板以外が出来た時
別の場所にリンク分けしたら、巡回が面倒くさくなったのも理由だったり)
えらい盛り上がり様ですね。
主な話題は出尽くしたみたいなので、外側の事をいろいろ書いてみます。
優等列車の停車駅は、長年見ているとチョクチョク変わるとは言え、京成
は結構変わる側の様ですね。昔パソコン通信時代(主催者のタチの悪さが
外部に漏れる様な運営でしたが…)に京成の停車駅の話題が出た時、皆が
駅名しか書かないので、私が玉棒式で書き直したのですが、一部の区間や
時代がフォロー出来なかった事を思い出しました。
同じ種別名を標識板の●と▲で区別する事は、小田急でもしていました。
南海本線も赤準急と青準急がありましたが、こちらは赤準急が高野線に
あわせて区間急行になっていますね。
前回の改正から区間急行が主要優等になりました。
スカイライナーが30分から40分に減った理由ですが、開港当初の
ゴタゴタから客が少なかった事と、1編成焼き討ちされて予備本数が確保
出来なかった事によります。30分×6連→40分×6連→40分×8連
と変化してきた訳ですが、客の増加とパターンダイヤを考えて、20分×
6連でもいいのではと思います。
こうして20・40分サイクルに30分間隔・毎時2本を入れる方法は
各鉄道会社ともいろいろ苦労している様で、主な方法はたまたま下の
http://www1.odn.ne.jp/beni/rail/kosatsu/cycle.html
「20分サイクル」の所に書いたので、暇な方はご参照を。
千葉線の優等がかつて本線各停、千葉線のみ通過運転だったのは、アイ
デアとしては面白かったかも知れないが、競合関係で見ると不十分ですね。
今なら津田沼〜千葉のどこか(稲毛駅の南に新駅を作るとか?)に退避
設備を作って、津田沼以西特急と同じ・幕張本郷・稲毛・千葉以遠各停と
言うダイヤを作って欲しいのですが、今の京成ではやらないだろうなぁ。
真面目にやればJRに勝てなくても、ある程度の客が掴めると思うんだが
P.S.
習志野原ではないが、お隣東武伊勢崎線でも列車種別を交えた大改正が
行われます。詳細は企業公式サイト参照。
http://www1.odn.ne.jp/beni/
幻の京成新線 投稿者:エル・アルコン 投稿日: 1月10日(火)00時38分57秒
ダイヤ話に埋もれた格好ですが、京成の東陽町−オリエンタルランド−千葉寺の免許申請が事実だったと言うことには驚きです。これは2ちゃんねるなどで「あった」と言う書き込みがあったものの、事実かどうかの確認ができなかったものですが、矢切さんの発掘で事実と言うことが分かりました。
それにしても、県内の新線計画としては事業主体といい、免許申請まで行ったという段階と言い、A級の路線と言えますが、京成のその後の歴史からあたかも抹殺されたかのような格好であり、また、県内の鉄道の歴史を語るなかでも全く触れられていない(ex:鉄道ジャーナル昭和53年4月号。「房総の鉄道」特集での青木栄一教授による房総の鉄道の変遷についての文章)わけで、埋もれた歴史をどう解き明かしていくかと言う作業が楽しみです。
http://www.geocities.jp/straphangerseye/index.html
京成ダイヤ(超長文) 投稿者:エル・アルコン 投稿日: 1月10日(火)00時29分14秒
さいたま市民@西浦和さん、こちらではいらっしゃいませ。
広島から帰ってきました。実は「京急ダイヤ100年史」のくだりは、たまたま広島駅前の福屋デパートにあるジュンク堂書店で同書を見つけたので、それを活用しました。(自宅でも所有)
で、自宅の大型時刻表を確認して書こうとしたら、さいたま市民さんに先を越されてしまいました(笑)
私が参考にしたのは復刻版の昭和47年2月号と、元からの蔵書の昭和46年10月号で、確認しますと時刻表の表記はまさにそのとおりです。ただ、さいたま市民さんの写し間違いと思われますが、特急は平日の上野発7:00のみで40分毎というのは上下とも休日のみ。快速はラッシュ時30分毎となっています。(両号とも)なお、千葉線の運転間隔が5〜20分毎になっています。
昭和49年12月改正後の状況ですが、復刻版の昭和50年2月号を見ますとスカイライナーが平日3往復、休日6往復、特急と急行が40分毎、都交直通急行が20分毎、千葉線は〜10分毎になっています。
一方で昭和41年と昭和47年のダイヤを参考にしたと言うピクの京成特集(No.632)の佐藤信之氏の文章には、千葉線に急行が毎時3本設定され、のちに普通を線内折り返しにするのに替えて上野直通の快速になったとあります。また、津田沼まで毎時準急3本、各停6本で、以遠は準急が成田まで直通するだけだったのが、津田沼折り返しの普通3本が総て大和田に直通し、都交直通の急行が佐倉まで毎時3本とあります。
ちなみに、昭和56年10月改正の京成時刻表初版では、都交直通急行が20分ヘッド、上野発は特急と急行が40分ヘッド、大和田行き普通が40分ヘッド、残りの普通は千葉行きとなっており、各駅に停車する列車は大和田までと千葉線が40分に4本、佐倉までが40分に3本、成田までが40分に2本というラインナップです。(特急は40分に1本)
現行が特急が40分に2本、うすいまでと千葉線が40分に4本、成田までが40分に2本ですから、志津〜うすいから佐倉以遠に行く場合のみサービスダウンになっているほかは、ほぼ変わりがありません。
これらのデータから推測すると、
特急(日暮里、青砥、高砂、八幡、東中山、船橋、谷津遊園、津田沼、八千代台、佐倉停車)は平日下り1本以外は休日のみ40分ヘッドの運転で、下り18本、上り19本の運転か。開運号が1日1往復、空港開港前のスカイライナーが休日6往復ですから行楽客やお参り客輸送の主力は特急だったようです。
急行(逆さ台形・佐倉まで八千代台のみ停車の優等運転)は20分ヘッド、これと急行(○に急・セ競から各停)も20分ヘッドで、大和田まで普通毎時3本が入る。これにより大和田まで10分ヘッド、以遠20分ヘッドが通過駅のベース。
こうなると千葉直通普通は毎時3本のみ。佐藤氏のそれが全部快速で、別途津田沼始発の普通が毎時3本入るのか、快速は時刻表の注記通りラッシュ時だけなのか。これが不明。
昭和49年改正ダイヤとの整合性を考えると、平日は急行(逆さ台形)の半分が特急になったことで津田沼−佐倉の速達列車が半減。ただし成田まで速達列車が出来た。休日は津田沼−佐倉の速達列車が1/3になっています。40分あたりの増減で見ると、速達列車が佐倉まで平日2、休日3が平休とも1、成田まで平日0、休日1が平休とも1。各駅停車が大和田まで4、成田まで2が大和田まで4、佐倉まで3、成田まで2となり、速達列車は減量気味だが各駅停車はやや厚めになります。
津田沼以西では急行毎時6本(「逆さ台形」と「○に急」は津田沼−青砥の停車駅は同じ。谷津、セ競、船橋、東中山、八幡、真間、高砂)、青砥以西では急行毎時3本ずつ(上野線急行は堀切菖蒲園、町屋、日暮里停車)になり、平日急4、休日特1急4が平休とも特1急3に、また上野線は平日急2、休日特1急2が平休とも特1急1となっています。
この時、快速が日中に設定されていたとすると、40分当たり2本。快速は上野線内で急行と同じ停車駅(青砥−津田沼間各停)ですから、昭和49年改正で上野線の優等が半減以下という俄かには信じられない事態でも発生していない限り日中の設定はなかったのではと思う反面、あの楕円形の快速マークを日中に見た記憶もあるわけで、分かりません。
「○に急」は佐倉以遠に行っておらず、そうなると「逆さ台形」がないと大佐倉、酒々井、宗吾参道に停まる列車がなくなります。(成田行き普通を設定すると、佐倉まで普通10分ヘッドと言う現在でもない高頻度運転になってしまうのでありえないのでは)
あるとしたら逆さ台形は実は40分ヘッドで、快速が40分ヘッドで入り上野線の優等を補うのか。しかしいくら大佐倉でも40分は無いでしょうし...
ちなみにラッシュ時ですが、通勤特急が10分ヘッドで都交直通というのは大型時刻表情報。通勤急行が津田沼以遠各停で上野−成田間に設定(昭和49年改正の急行からセ競、谷津を通過した停車駅)されており、通急が10分ヘッドだったのか?
(大型時刻表の時刻には上下方向の早朝深夜に通急の停車駅の「急行」がありますが、これはどうでしょう)
ここで快速が入ると上野線内の優等が過剰ですし、通急を減らすと成田線内で大和田ではなく佐倉か成田発着の普通を出さないと本数が少なすぎるわけで(当時は勝田台を通特が通過)、ラッシュ時の快速のほうが無さそうです。
http://www.geocities.jp/straphangerseye/index.html
千葉線優等はラッシュ時のみだった? 投稿者:矢切 投稿日: 1月10日(火)00時25分12秒
エル・アルコン様、さいたま市民@西浦和様、情報をありがとうございました。
昨年末からの休暇取得と自宅ノートPCトラブルの影響で、過去の停車駅表やメールが読めるのは12日以降となっています。もしメールを頂いていたらごめんなさい。
本線青砥津田沼間の一般優等が昼間に毎時6往復体制になったのは、総武快速開業による減種別改正ではなく、その前であることが分かりました。
また、一般優等が毎時6往復体制になったのと地下鉄直通優等が20分毎に設定されたのはほぼ同時期(ともに昭和43年か?)であることも分かりました。
> 「京成千葉線」欄の欄外には「ラッシュ時区間快速10分毎運転」の記事があります。
失礼ですが、区間快速は快速の誤りではないでしょうか。
恥ずかしながら今まで全く気づかなかったのですが、快速はラッシュ時だけだったのか・・・?
今までは昼間に千葉線快速が20分毎に存在し、地下鉄直通優等と千葉線快速(青砥津田沼間各駅停車)が青砥で連絡していたものと推測していましたが、誤りのように思えてきました。
京成のダイヤ 投稿者:さいたま市民@西浦和 投稿日: 1月 9日(月)22時58分53秒
こんばんは。こちらではお初にお目に掛かります。今後ともよろしくお願いいたします。
では、管理人さんと矢切さんのご参考に。
手元の1970(昭和45)年8月のJTB大判時刻表の「都営地下鉄各線」の欄では、
西馬込発佐倉行急行7:22〜16:09
佐倉発西馬込行急行9:04〜17:02 20分毎 所要92分250円
西馬込発成田行特急16:47〜18:18
成田発西馬込行特急6:20〜7:50 10分毎 所要98分270円
との記述があります。
また、「京成電鉄各線」の欄では
「成田線欄」に上野6:45の急行〜22:10の急行の「この間」欄に普通2〜10分毎・急行20分毎・特急上野発7:00〜20:10所要65分40分毎との記述があります。上りも同様に急行20分毎・特急成田発7:19〜18:59所要65分40分毎となっています。
「特急開運号」欄のダイヤは1日1往復上野発9:30、成田発14:30で上下とも59分運転です。
「京成千葉線」欄の欄外には「ラッシュ時区間快速10分毎運転」の記事があります。
停車駅については「成田線」欄の記載駅名が上野・日暮里・堀切菖蒲園・青砥・高砂・小岩・八幡・中山・東中山・船橋・競馬場前・谷津遊園・津田沼・八千代台・大和田・佐倉・成田となっており、急行は中山と競馬場、谷津遊園を通過しています。
私の子どもの頃の記憶では、千代田線が出来る前までは急行は日暮里の次が堀切菖蒲園で、住んでいた千住大橋や町屋は通過だったことを覚えています。準急は町屋や関屋に止まっていたような…。通勤急行かな?
千代田線シフトのダイヤ改訂以後ですよね。町屋や千住に急行が止まるようになったのは?千住大橋にまだ追い越し線がなかった頃です。
それから、千葉線直通の「快速」が出来たのは総武快速線シフトの改正からでしたか。
次に87年10月のRP「京成特集」の滝田氏の記事では、昭和53年のスカイライナー運転開始時のダイヤに触れており、スカイライナーの30分パターンと無料特急・乗り入れ系の40分パターンの組み合わせで複雑な2時間パターンを組んでいたとの指摘があります。この時には千住・センター競馬場の追い越しが完成していますね。この2時間パターンは昭和60年まで行われたとのことです。お二人の方が詳しいですね。
挿入図の昼間時ダイヤによれば、上野発は
00ス・03急・06普・15普・21特・24普・30ス・35普・41急・54普・00ス・06特・07普・14普・20急・24普・30ス・37普・42特・54普
となり、高砂発では
03普千・10特・11普千・14ス・15普岩・20普大・22急・30急佐・31普千・35普岩・38特・41普千・44ス・50急・53普千・55普岩・58普大・02急・05普岩・08急佐・12普千・14ス・15普岩・20普千・23特・30急・33普千・38普千・40急・44特・50急佐・53普千・55普岩・58普千
となります。
何かのご参考になれば幸いです。長文ご容赦。
http://tool-karing.blog02.linkclub.jp/index.php
社史 投稿者:矢切 投稿日: 1月 9日(月)17時15分58秒
先に70?年史と書いたのは、「京成電鉄85年の歩み」の誤りでした。
これにはダイヤの情報は出ていないのでしょうか。
各年2ページを裂いて掲載している部分にはダイヤは出ていませんが、巻末あたりに付録があるかどうか。
傍証 投稿者:エル・アルコン@広島 投稿日: 1月 8日(日)21時44分17秒
尾道の渡船桟橋でお互い家族連れの同僚と出会って面食らいました(笑)
ダイヤパターンの傍証として、吉本尚先生の京急ダイヤ100年史に都交直通開始時の京成直通が、日中急行20分ヘッドとあります。
あとは大型時刻表の粗い注記から推測するしか無さそうです。
資料は何処に? 投稿者:矢切 投稿日: 1月 7日(土)20時42分19秒
55年史ではS41年までしか分かりません。70?年史なら載っているのでしょうか?
都営線はいつから6分毎が5分毎になったのかも気になります。
革命はいつ 投稿者:エル・アルコン@広島 投稿日: 1月 7日(土)18時19分41秒
さっきのは出掛けの即興です(笑)
昭和56年?の京成時刻表初版を見ると、上野線が特急、急行各40分ヘッド(優等20分ヘッド)であり、そのレベルであれば逆さ台形急行と快速の両立が怪しくなります。
快速の運転時間帯とか分かれば見えてくるんですが。
その頃のダイヤは何分サイクルだったのかな?
Re:革命の時期 投稿者:矢切 投稿日: 1月 7日(土)14時32分58秒
コメントありがとうございます。また、昨晩は携帯からの書き込みでうまく書けなかったことをお詫びします(口調が変)。
いまだ矢切滞在中で、帰宅しないと「みもみ相原さんの停車駅表」が見られないのが痛いです。
S41までの時点では昼間は地下鉄直通の優等はほとんど無かったみたいです。
55年史では各系統の終日の回数(S41を除く)と運行間隔が記載されていますが、
S38の急行・準急は30分等間隔と明記されているのに対しS40は準急が15〜20分毎と書かれておりハッキリしません。
20分等間隔だったかもしれないし、急行と準急を合わせて都内で15分間隔だった可能性もあります。
S43からの地下鉄直通急行が20分間隔だったのかどうかがはっきりするといいですね。
革命の時期 投稿者:エル・アルコン 投稿日: 1月 7日(土)12時00分11秒
昭和49年12月改正までの停車駅パターンが確立したのが昭和43年なので、そのあたりでは。
日中のパターンを考えた時、西馬込−佐倉の「○に急」の急行(セ競以遠各駅)と「逆さ台形」の急行(佐倉以遠各駅)が対になるはずです。(これ以外は「普通成田行き」が頻発しないと無理だが、普通は大和田行きの印象しかない)
無料特急がどのくらいの頻度か分かりませんが、両急行が毎時3本ずつなら日中は急行毎時6本という体制が可能ですし、「○急」が押上に行く抜け目に快速(高砂−津田沼間各停)が入れば津田沼から上野まで同じ停車駅で10分ヘッドが可能になります。
ちなみに逆さ台形急行は、昭和48年に遠足で成田に行ったとき乗った記憶があり、平日の日中時間帯も走っていたはずです。
http://www.geocities.jp/straphangerseye/index.html
革命はいつ? 投稿者:矢切 投稿日: 1月 7日(土)01時27分55秒
昭和38年は閑散時に急行と準急がそれぞれ30分毎だった。昭和40年には急行が減って準急が増えている。
では、高砂〜津田沼で昼間の優等が毎時6往復になった「速達革命」はいつなのか?55年史からは昭和41年より後としか分からず。
ひょっとして総武快速線完成頃の大改正(S47?48?)なのか?そうであるなら、その改正は「急行停車駅増加の改正」という汚名でなく、「速達革命」と呼ぶに相応しい。
http://www3.ocn.ne.jp/~skylark7/
古ダイヤ 投稿者:矢切 投稿日: 1月 7日(土)01時09分3秒
昭和40年
種別 系統 度数
特急 上野成田 4
急行 上野成田 7
急行 上野千葉 7
準急 上野成田 37
通急 大門佐倉 8
通準 上野成田 13
普通 上野成田 15
普通 上野青砥 16
普通 大門津田 21
普通 大門東中 22
普通 大門小岩 5
普通 大門青砥 107
普通 上野千葉 64
普通 上野金町 58
普通 押上金町 14
推測ですが、昼間に頻発した優等は20分毎?の普通準急(東中山以東各停)だけで、これに急行が少し加わっただけではないか。
(続く)
幻の京成新線 投稿者:矢切 投稿日: 1月 7日(土)00時21分8秒
京成の55年史を閲覧する機会に恵まれました。
ゆっくり読む時間はなかったものの、東陽町〜オリエンタルランド〜千葉寺の免許申請は事実と確認できました。千葉寺で小湊新線に乗り入れ、東陽町で5号線に連絡、南千葉で国鉄房総線と連絡。
免許されていれば田園都市線のような優良なニュータウン新線になっていたかも知れませんね。
新京成の柴又延長は常磐線に並行せず、園芸学部前〜松戸高校〜中矢切と通すつもりだったようです。筑波高速の松戸支線免許が国分経由だった事との関連は不明。
まずは取り急ぎ報告。後日、自サイトに詳しく書きま。
東葉・東西線の改正の穴 投稿者:エル・アルコン 投稿日: 1月 4日(水)19時04分4秒
東西線の夜の渋滞、JTBの私鉄時刻表で見てみました。
改正前を東京時刻表で見ると、この時間帯、10分に快速と各停が1本ずつでしたが、快速の運転間隔を12〜14分に伸ばし、各停を増発して快速1と各停2にしていますね。
増発自体は良いんですが、20時台の1:2の時間帯と違い、1本前の各停が葛西退避なのに対し、2本前を西船橋まで逃げ切らせているのが問題の根源となっているのでは。
妙典開業で1:2の時間帯の2本前は概ね原木ではなく妙典退避になっていますが、これを西船まで逃げ切らせると言うのは無理がありすぎるのではないでしょうか。行徳手前で快速が追いつくのでは、妙典退避でもいっぱいいっぱいでしょう。
あとは22時台の26分待ちの時間帯。西船では先行の快速と14分、後続の快速と16分差になるのですが、都内での間隔が重要です。
この先発の各停は西船で4分停車しており、6分後を行く西船橋行きを直通にして(東葉線内は2〜3分程度繰り下げ。これでも勝田台折り返しには支障しない)、大手町で10分、21分(現状は5分、26分)の間隔にすればまだ違うのですが。
22時台のこの間隔、開業当時の2本しかなかった22時台を思い出します。
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SKカード 投稿者:エル・アルコン 投稿日: 1月 2日(月)00時54分1秒
新京成ではまたまたN800系にお目にかかれませんでした...(涙)
ところで、東葉の駅改札は2枚投入機があるんですが、新京成に乗り継ぐ際、北習志野の連絡改札にはないというのに気がつきました。ちょうど2枚投入機があれば、と言う事態だったのですが、精算機を使う破目に。しかもその切符をポケットに入れたつもりがどうも落としてしまい、新京成のホームにあがったときには既に行方不明。高くつきました(号泣)
新京成の某駅で再度支払ったんですが、そこで2006年「戌年」のSKカードを購入。
確か1996年の「子年」からスタートした企画ですが、これで十二支のうち11まで来ました。私も市川、さらに神戸に引っ越したあとも年末年始に沿線に来る機会に恵まれ、結果的に全部コレクションしてますが、いよいよ来年の「亥年」で「完結」です。
新年の記念カードと言う位置づけでしょうから何周でもするんでしょうが、取り敢えず来年2007年は一つの区切りです。淡々と二周目に入るのか、それともデザインが変わるのか、楽しみです。
ひょんなことから 投稿者:エル・アルコン 投稿日: 1月 2日(月)00時46分11秒
あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願いいたします。
さて、年末に東葉線、新京成線、総武快速を利用しました。
下にも書いた北海道旅行絡みの話ですが、急に新京成沿線の親戚の家に行くことになり、新幹線を降りて日本橋から東葉線直通快速に乗り、翌日は津田沼から総武快速で東京に出ています。
22時に近い時間帯、日本橋に出たとき、ちょうど快速勝田台行きが来て、木場で座れたまではよかったのですが、南行徳の先でノロノロ、そのまま西船橋に至っており、先行する各駅停車の遅れのようです。
朝はこの手の事象は日常茶飯事のようですが、年末とはいえ、平日夜間で「電車の渋滞」というのはいただけません。快速の運転時間帯の拡大など乗り通し客への対応を久々に改善した(東葉直通客には遺憾ながら改悪としか言いようがない}のに、朝も晩もこれでは信頼性回復には程遠いのでは。
翌朝は平日の朝、荷物も多かったので、快速のグリーン車に乗ったのですが、6時半過ぎの快速に11連があるんですね。グリーンにしといて良かったと思ったのですが、グリーンの座席は案外とガラガラで、定期券併用可、混雑が厳しい11連と言うのに肩透かしを食った感じです。まだ早いので、混んでいてもグリーン車を使うような客層はごく少ないと言うことでしょうか。
その電車は東京止まりだったんですが、折り返しは「エアポート成田」でした。ここで当時の記憶がよみがえったんですが、7時半頃津田沼を下る「エアポート成田」は11連でしたね。11連なので下りですが混雑が激しかったように記憶してますが、未だに改善されてないんですね。
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