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習志野原の掲示板 過去ログ 2007年4月


高架化あれこれレス 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2007年 4月29日(日)00時55分12秒
●北総線(サニーさん)
情報ありがとうございます。
工事の進捗はまだら模様と言ったところでしょうかね。
新線区間とあわせて夏の帰省で見に行くつもりですが、どうなっていることやら。

●金町線(こうやまさん)
えっ、5ヶ月も前のニュースですよ(苦笑)
ついでにいえば、こんな記事もアップしてますが。

一瞬、サーバーの不調で昔の投稿が今頃アップされたのかと思いましたよ。
http://www.geocities.jp/straphangerseye/index.html




高砂駅金町線のみ高架化 投稿者:こうやま 投稿日:2007年 4月27日(金)20時54分58秒
 mixiをうろうろしてたら、こんなニュースが入って来ました。

http://www.keisei.co.jp/keisei/kouhou/news/18-052.pdf

 高砂に金町線専用ホームを作るのはいいんですが、どうせなら柴又〜金町を地下複線に
するとかもして欲しいなぁ。オープンカットで簡単に出来るし、6連化も出来るのに。

P.S.
 最近はウィキペディアでこんなものとか書いてます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8A%E5%81%B4%E7%81%AF
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9A%E9%81%8E%E6%A8%99%E8%AD%98%E7%81%AF
http://www1.odn.ne.jp/beni/



報告 投稿者:サニー 投稿日:2007年 4月27日(金)13時44分57秒
成田新高速鉄道に伴う北総線内の工事について電車から見ただけの一部状況
 新鎌ヶ谷駅の上りホームに屋根の鉄骨が組み上がっておりますが、線路等はまだそのままです。新京成線高架工事はなかなか進捗していないように見え何ヶ月も同じ工事風景です。
 工事関連だと思いますが、あまり客が入っていなかった構内の立ちそば屋さんはなくなりました。
 新松戸駅の上りホーム新設についても工事が始まっております。
 時々工事車両のために使われております西白井駅の旧車庫の側線は一部撤去されております。



まだまだ増補計画 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2007年 4月20日(金)00時50分22秒
断面図を見てませんでした(汗)
横断図だと思っていたら、縦断図なんですね。

さて、計画高水位、計画高水敷、計画低水敷の数字が見て取れます。
横断図の堤防断面を見ますと、高水敷に片側10mの幅を持ち、低水敷まで1:3の勾配で下がっています。高水敷と低水敷の高低差が4m程度。ということは法面部分でも10mはあるわけです。土手の構造を見ると、低水敷の水平部分を除いて110mはあるわけで、全体の横幅を考えると相当な規模です。

ここで問題なのが、縦断図で見た標高です。
計画高水位が利根川との分岐で海抜9m程度。東京湾で3m程度です。堤防は計画高水位+2mとなっています。
我孫子市内の台地を抜け、手賀沼を横断するのですが、手賀沼の水面は海抜2mですから、ここに10m近い堤防を築くことになります。手賀沼や印旛沼は利根川本流の水面より低いため、ポンプ場が戦後にできるまでは内水を利根川に排水できず、これがために内水氾濫による洪水が多発していましたが、計画を見る限り内水は放水路に自然流入できそうに無く、手賀沼を完全に干拓しないと厳しいです。

台地の開削もさることながら、この手賀沼付近、印旛沼から伸びる神崎川流域など、低地の横断ではこんどは高い堤防を築くわけで、ものすごい光景になっていたんでしょうね。もし出来ていたら。

ちなみに台地開削の難易度ですが、実は障壁になるのは地盤の固さではなく、脆さなんです。
印旛沼の新川〜花見川の開削も、横戸付近での泥炭質の土壌が計画を阻み続けてきたわけで、増補計画の放水路も同様の地質に苦しむ可能性がありました。
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増補工事おかわり 投稿者:さいたま市民@西浦和 投稿日:2007年 4月18日(水)23時49分19秒
放水路の幅ですが、確かに狭い感があります。ただ、利根川流域の総合的な治水政策として構想されていますので、江戸川の整備や、利根川中流域の遊水池の性能との関わりで流量が計算されていたようです。
そして、断面図を見ていただければおわかりのように、計画分流点(おそらく常磐線鉄橋直下流付近)の高水位が約10m弱、ここから台地を掘り割って、谷津田をつないで谷津干潟までの開削ですが、深さを確保すれば流量が確保できるという計画です。台地の地質は赤土と砂岩でそんなに固いものではなく、戦争がひどくならなければ計画が進んでいたかもしれません。荒川放水路の開削に匹敵する大工事になったでしょう。堀割った後の土砂はもちろん塩田跡や干潟の埋め立てに使われたのでしょう。
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利根川増補と放水路 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2007年 4月18日(水)00時39分35秒
利根川増補工事(昭和放水路)計画を確認しました。
印旛沼系統とは別に手賀沼から花輪まで持ってくる計画なんですね。もしこれが完成していたら船橋市は真っ二つ?だったわけで、地勢も大きく違ってたんでしょう。

まひろさんが指摘されている通り、県船の東隣のグラウンド?はどうもこの放水路用地のようです。米軍空撮を見ると、ここから花輪付近に向けて耕作地がそれらしく区分けされています。
ただ気になるのは、増補計画で江戸川本流とこの放水路の流量は3:2(戦後の改定で5:3)なんですが、それから考えると花輪の橋脚から推定できる川幅は狭すぎるような気がします。

この放水路ですが、実は印旛沼系統(新川−花見川)が完成していない時点での計画なんですよね。
こちらも千葉市横戸付近の丘陵横断にかなり手間取っていたわけで(それを考えるとほとんど完成させたが天保の改革の挫折で中止した水野忠邦はすごいと思う)、同様に丘陵横断をする昭和放水路計画はどうなんでしょうね。
県船付近の標高は20m台。かなり掘らないと北側の谷津田から水は越えてきません。

ルートとしては、花輪から東船橋駅付近を通るルートで開削し、海老川、北谷津川を拡幅し、金杉台付近から咲が丘あたりまで開削。神崎川流域に入り、神々廻付近を開削して手賀沼へと言う感じでしょうか。3箇所想定される開削区間は標高が20〜30mあり、地質次第でしょうが、そんなに簡単でもなさそうです。
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RE:谷津支線 投稿者:まひろ 投稿日:2007年 4月17日(火)23時26分4秒
横から失礼します。
さいたま市民さま、興味深い資料有難うございます。
Googleマップの航空写真で見比べると60年前の道路がほとんど残っているので大体の場所が解りますね。谷津支線の右半分は京葉道路の一部になってるんですね。
もしかして今の県船高の校庭はこの放水路工事の名残りなのでしょうか?



利根川増補工事 投稿者:さいたま市民@西浦和 投稿日:2007年 4月17日(火)01時28分37秒
管理人様。大ネタで恐縮です。こんな話題はどうでしょう。

利根川放水路は、紆余曲折の結果、印旛沼〜花見川で落ち着いたわけですが、昭和14年には、昭和10年、13年の洪水を受けて、「増補工事」が計画され、一部着工されました。
この計画は、印旛沼とは関係なく、手賀沼から白井の野原を横断して、海老川の上流の谷をつないで谷津の干潟へ落とすというものです。これは大工事で、戦中ならではの軍事的な背景もあったようです。検索してみると、土木学会図書館のアーカイブに図や計画書がありました。
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/j_naimusyo/kawa/22722/tone-zoho.htm
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/j_naimusyo/kawa/22722/zu1.pdf
管理人さんが観ている空中写真である、1947年撮影のUSA-M389-167においても、現在のR296のガードに当たる地点に橋脚が3本×2列、道路用と京成用が見られます。それから、この橋脚への取り付け部分の土盛りも見ることができます。
現在の京成線の旧千葉街道踏切の位置が変わらないとすれば、現在の競馬場駅は踏切の西側で、花輪駅はさらに西側の14号と離れてからの場所にあったわけです。写真では、小さな貸家らしき住宅の屋根が7×2=14軒ある長さが当時の花輪駅で16m電車4両分程度の長さでしょうから、小さな駅だったでしょう。この写真では花輪駅に電車が止まっていますね。上りの2両編成かな?
国道14号の方ですが、旧道と現在の14号、そして放水路への盛り土がぴっちりと並んでいるわけで、その後、この盛り土を削って現在の国道が若干海側へずれて、京成の土地が海側へ広がって現在の2面4線の競馬場駅となったと考えることはできないでしょうか。そうしますと、おそらく辻褄が合うと思われます。
それから、谷津遊園は、古くは塩業試験場だったはずで、米軍はこれに続く塩田と勘違いしてしたたか爆弾を落としたのでしょう。案外不発弾が埋まっているのかもしれません。
1947から49年に掛けてアメリカ軍が日本全国を撮影した空中写真は、地理学をやった人ならみんな知っている資料です。掲示板をお読みの皆さんも、主要地域については国土地理院のHPから見ることができるようになっていますので、是非ご活用ください。

長文乱筆ご容赦。
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航空写真分析 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2007年 4月15日(日)22時56分42秒
さいたま市民さん、これは大ネタを(笑)

まず、利根川放水路計画ですが、印旛沼から花見川への計画なら知ってますが、谷津に抜けるプランがあったんですか(驚)確かに習志野市の谷津干潟関係の記述を見ると、京成から谷津干潟近辺の土地を同計画のために購入したと言う記述があるのですが、千葉市の横戸から天戸の間を抜けるルートは田沼意次の時から不変ですから、そこから「西進」するとは。小学校の時の副読本、「すすむ千葉県」や「水のはなし」にも無かった気がします。

谷津支線ですが、1947年撮影のUSA-M389-167を見ていますが、やはり白土氏の論文の通りだと思います。
京成の南側を並行するR14に向かい、船橋大神宮のところで東金御成街道から南へ分岐した旧千葉街道が接近して、京成を渡るところがありますが、ここが今のR14とR296の分岐です。
その西側、旧千葉街道から南下して、京成を渡り、R14をクランク状に交差して海に向かう道路がありますが、この踏切が現在の船橋競馬場駅西側の踏切で、2面4線になる前のセンター競馬場前駅は写真の通り、その西側にありました。

谷津支線と本線の分岐は踏切の西側、旧駅のすぐ東であり、R14を越えて南下するのは踏切を越えてまもなくであり、R296よりかなり南側になります。
なお、現在ららぽーと行きのバスが出ているロータリーは旧駅の駅舎がありましたが、よく考えるとあの広さは、谷津支線の用地を転用したのかもしれません。

この地図と現在の地形の対比ポイントですが、R14の南側の耕作地のさらに海側に塩田か何かとおぼしき荒地(そこに点在する円形の痕跡はまさか爆撃痕?)がありますが、左手のR14が海老川河口を渡るところからの海岸線、そして耕作地との境界線に今も道路があります。
河口側の海岸線の一部は今も舟入になり、谷津寄りの「荒地」は船橋競馬場になります。このラインと谷津支線跡が交差する地点で同じく交差する南北道路は今の船取線で、ここが花輪インターの中心です。
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無情の回送 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2007年 4月15日(日)22時37分27秒
通特佐倉さん、いらっしゃいませ。

3/29というと、朝から乱れて終電まで尾を引いた日ですね。
この回送の後に客扱いする列車が来たのでしょうが、どうせ宗吾取り込みなんでしょうから、客扱いするくらいの機転がほしいですね。回送だって車掌は乗ってるはずですから。
こういう日は船橋や津田沼、勝田台といった振替客が戻ってくる駅での対応如何で、印象は大きく変わります。
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谷津支線の謎 投稿者:さいたま市民@西浦和 投稿日:2007年 4月14日(土)02時00分0秒
ご無沙汰しております。

さて、ずいぶん暖めたネタです。国土地理院がすてきなページを作成してくれましたので、話題にしたいと思います。
RP「京成特集」の白土先生の谷津支線に関しての文章について、蛇足を加えたいと思います。

谷津支線が大正の後半から昭和初めの一時期運行されたことは、皆さんもよくご存じでしょうけれども、この線路跡が地理院の空中写真にくっきりと写されている写真が公開されています。撮影は1949年、アメリカ軍によるもので、縮尺は約1万分の1の結構詳しいものです。谷津遊園の施設が一部写っています。この写真では、後に千葉市役所になる有名な建物は写っていませんが、池や住宅地があることを確認できます。もちろん駅舎はありません。本線の谷津遊園の駅との間は、田んぼの中を並木のある道が続いていて、まだ、おみやげ屋などは建っていません。花輪駅は現在の競馬場駅の船橋側にあることもよく分かります。ただし、ホームは短いと思われます。
先生は、14号線から花輪インターへの取り付け道路が線路跡であることを否定されています。
しかし、空中写真にはこの花輪駅から、非常に浅い角度で本線に分かれ、14号線を横断し(14号線がクランクになっていたかも)、水田の中をS字を描いて谷津住宅地の北辺へ結ぶ線路跡が写っています。さらに、この線路跡の南側に水田を埋め立てた区画がみられます。おそらくは住宅地用に造成された土地かもしれません。これが現在の京成バスの車庫になっている区画であれば、この土地の造成が京成によるものである事も想像できます。
この線路跡が後に、県道船取線ですか、14号線や京成をオーバークロスして台地上へ登り、北へ向かう県道へのアプローチ道路になる形が分かります。HPで公開されていない1960年代の写真を見ますと、線路跡が道路になっていることが分かります。

さて、この現在の県道・花輪インターに埋もれた橋脚があったことが、前回のRP「京成特集」で取り上げられていました。これは昭和の初め計画され、中途まで建設された「利根川放水路」を渡るものであることは、船橋習志野の皆さんはご存じだと思います。実際、この米軍の空中写真にも、橋脚が写っています。で、線路跡の南側、谷津住宅地の北側には、水路となったかもしれない池が写っているのです。
ここからはネタ出しの妄想になりますが、当時の京成電軌がこの利根川放水路計画とほぼ同時もしくは先だって谷津支線を建設したと考えれば、放水路予定地に2本の鉄道橋を建設しなければならなくなります。さらには、谷津遊園の土地自体が放水路の河口部分に当たっていたかもしれません。そして、これは当時の内務省の仕事となったでしょうから、京成電軌は膨大な費用を払うことになったか、または膨大な補助金・補償金を得ることになったかと思われます。
白土先生の文章にも、谷津支線の建設費が異様に高いことが当時の経済雑誌に書かれていたとの指摘がありますから、当時なりの目論見があったのかもしれませんね。
そして、明治以来、国の塩田であった谷津遊園の敷地が、現在また、沿岸を「谷津干潟」として公的に保護されていることは歴史の輪廻を思わせるものがあります。

真相は歴史の記憶の彼方へ行ってしまった事でありますから、80年前のロマンということで、あとは「郷土史家」の先生方にお任せすることとしましょう。

長文乱筆まさにご容赦。

参考文献
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewResult.do(国土地理院のHPから入っていただければわかりやすいと思います)写真番号USA-R587-1
http://tool-karing.blog02.linkclub.jp/



はじめまして 投稿者:通特佐倉 投稿日:2007年 4月13日(金)20時02分39秒
初めて投稿します。
3/29 ダイヤ乱れて24.50
振替輸送で上野から銀座線東西線東葉勝田台で帰路に着きました。
ところが勝田台で回送が目の前を通過しました。
遅れているのなら客扱いすべきと思いますが
客よりも車両のやり繰りが大事なんでしょうか。



Re:船19 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2007年 4月12日(木)23時42分4秒
まひろさん、いらっしゃいませ。

一気に船19が廃止ですか。二軒家方面から来て夏見に入る向きの走行がこれで「廃止」になったということですね。
夏見経由は乗ったことはありますが、この船19のコースは、以前は朝に集中しており、それ以外の時間はないので、乗っていません。
http://www.geocities.jp/straphangerseye/index.html




船19 投稿者:まひろ 投稿日:2007年 4月10日(火)00時06分39秒
はじめまして。
ここではまだ取り上げられてないのですが、船橋新京成バスの4月1日のダイヤ改正で船19船橋駅−夏見間の運行が無くなりました。
夏見経由のバスは毎時2本ほど残ってますが、全盛期を知る者としてはかなり寂しいです。
http://e331.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/19_538b.html




佐倉観光循環バス 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2007年 4月 5日(木)23時43分37秒
ちばグリーンバスが2月10日から土日祝日とお盆に限り、佐倉市街を回る観光循環線を運行しています。
1日8便、日中1時間ヘッド見当で、歴史民族博物館や市立美術館、堀田邸と京成駅、JR駅を回るコース。同時に京成駅から170円までの区間を500円で1日乗り放題になる1日乗車券も土日祝日とお盆に発売しています。

佐倉市街は見所が多く、歴博と市立美術館はなかなかのものですから、ようやく公共交通が対応するようになったわけで、遅いですが、やらないよりはマシです。

あとは川村美術館をカバーしていればベストだったのですが、こちらは遠いのか対象外。
バスも思い出した頃にしか来ないため、使えません。
http://www.geocities.jp/straphangerseye/index.html




ダイヤ混乱 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2007年 4月 3日(火)01時19分5秒
事実上の新年度初日の2日、京成でお昼頃から夕方いっぱいまで全線で電車が止まる大混乱だったようですね。
運航システムトラブルと新聞にはありましたが、ただでさえ複雑な運行形態だし、空港輸送の重責を担っているのですから、このあたりのメンテやケアはしっかりお願いします。
http://www.geocities.jp/straphangerseye/index.html




「京成朝市」登場 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2007年 4月 1日(日)00時05分56秒
京成電鉄では、2010年の成田新高速開通に伴うダイヤ改正までに竣工を予定している日暮里駅改良で、構内に「京成朝市 ひぐらしの里」(仮称)を開業する。
これは、現在朝上りで1本運転されている行商専用車両が、遠からぬ将来、行商利用者が減少して中途半端なものになった場合の対応として、販路を自ら拡大することで、一定の行商利用を促進、特に代替わりでの利用を促進する狙いと見られるが、近年ますます高まる自然食品への関心の高さもあり、新生日暮里駅の商業施設の目玉としての位置づけもあるようだ。

当面は行商専用車両が運行される日の、日暮里到着時刻にあわせて、平日朝10時頃からの営業となるが、おいおいは土曜、休日での販売希望状況に応じて、行商専用車両を土休日にも設定して、営業を拡大することも考えている模様。

なお、日暮里駅ではあわせてJR駅部分の改良も進んでおり、出店場所をJR側の「エキナカ」にする可能性も含めて、調整中という話である。

今年は渋く行って見ました...
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