このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

習志野原の掲示板 過去ログ 2013年2月


何とも地味なVVVF100%記念乗車券 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 2月28日(木)20時35分20秒 返信・引用
新京成はパスネット導入の5年前から磁気SFカード(SKカード)を導入していましたが、SF磁気カードが廃止になりICカードになったことで、それまで折々に発行されていた「記念カード」を買う楽しみがなくなりました。
かつてのカードは未使用で退蔵される可能性は低かったですが、それゆえに乗車の際に使うと言う前提で購入されるため、「バラシリーズ」とか地味にも見えるシリーズものでもそれなりの人気がありました。

カードがなくなり、シリーズものはおろかさまざまな「記念」にも対応できないのでは増収機会を逸すると考えたのか、最近は先祖返りじゃないですが記念乗車券の発行が相次いでいます。

まあ磁気カードと違い、紙に印刷するだけですから発行コストが安く、決められた区間の券面が付いているので使い勝手がよくないので退蔵されやすいので、会社的にも濫発とまではいいませんが、けっこうなピッチで発行しています。
そういう意味では500円と言う価格は手頃であり、付いている切符が京成津田沼と松戸からの250円区間と、全線近く乗る人でないと使いづらいのでは、買ってそのまま、と言う人も多いでしょう。

その記念乗車券で今回出たのが「VVVF制御電車100%達成記念」です。
なんともマニアックなテーマですが、それこそマニアでないとその意味や価値が分からない内容です。

券面には1986年に世界で初めて直流1500Vの長編成電車に導入されたことも書かれていますが、その当時はSKカードもなかったわけで、記念乗車券が出たかどうかの記憶がありません。1977年の30周年記念乗車券、1979年の北総乗り入れ記念は買いましたが、8000系のときも出た記憶がなく、8800系もどうだったか。

ちなみに8800系が量産編成として投入されたのは大阪市の20系に次ぐ早さで、向こうは750Vの第三軌条ですから、架空線1500Vとして、量産タイプとしてロールアウトしたのはまさに世界初です。純電気ブレーキの全面採用とあわせ、親会社をしのぐ新京成黄金時代の象徴です。

8連といえば100%ボロが来るという時代に、最新鋭として登場したスターでしたが、京成千葉線直通対応という建前で6連化が始まり、12編成あった8連もあと3編成を残すだけで、それも6連4編成になることが決まっています。編成数は16編成に増えますが、8連といえば8800系だった日々を思うと寂しい限りです。

昔は特に発車時の「プィーン」と言う音を音階を上げながら繰り返していくのが特徴でしたが。今では機器を交換したのか全然音がしない感じです。このあたりは当時釣り掛けの旧型車からカルダン車の800系、界磁チョッパの8000系と静かになったのに、にぎやかな8800系に戸惑った記憶があります。

今回の記念乗車券は8800系の足跡と大いに関わるのですが、なかなか8800系だけがテーマにならない不思議もあります。




もうひと声の改善 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 2月28日(木)20時33分33秒 返信・引用
別に怒ってはいませんが...(謎笑)

明日の晩から運転開始される船橋新京成バスの深夜バスですが、快速と緩行の最終をそれぞれ受けるという明快なダイヤです。
習志野新京成バスも頑張って欲しいと書きましたが、快速最終連絡については現行の最終である0時35分発が微妙な設定であり、これを若干繰り下げて接続指定にすれば丸く収まります。ついでに言えば、京成津田沼の発車も繰り下げれば羽田からの最終リムジンからの接続が確実になりますし。

翌朝の始発との間隔が気になりますが、接続が危うくなるのは北習志野での西船橋行きが5分、新鎌ヶ谷での船橋行きが8分、松戸での快速上野行きが6分となっており、東葉と野田線は需要があまり無い方向の接続でしょうからここは目を瞑り、松戸の常磐快速の接続を最小限にして3分下げはどうでしょうか。この分を前夜の最終に捻出して、京成津田沼0時34分、新津田沼0時38分発です。

ちなみに始発の3分繰り下げで、新鎌ヶ谷でこれまで3分だった北総上りからの接続が6分になり、2分では無理だった野田線柏発からの接続も5分あればいけるでしょう。八柱も3分繰り下げても東京行きからは2分は無理ですが、府中本町行きから4分は行けそうで、このあたりの好転も考えたいです。

快速最終連絡は電車で対応するとしても、緩行最終接続を考えたいです。便利な平和交通深夜急行バスをご利用ください、というつもりでもないのなら、津田沼1時30分頃の便があれば船橋口と揃うのですが、無理ですかね。
まあ薬園台くらいだと歩いてますし、タクシーでも高が知れていますから、平和交通が既にカバーしている習志野台や高根台に、というのは手間やコストに見合わないと判断しているのでしょうか。

船橋口のように大仏の車庫が終点になるのと違い、習志野台や高根台だと習志野車庫までの回送が必要ですから勤務時間もさらに伸びますし。(これは早朝便の設定も同じ問題がある)
あっ、船橋口の深夜便は旧船05のルートに近いから、三咲や二和向台もカバーしないので、公団から三咲、二和経由で大仏に向かう深夜便にして船橋新京成に担当させるという手も。そして津田沼発大仏行きということで津01の復活、とまでは、京成に取られているか...




新京成からTXへは 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 2月28日(木)00時04分41秒 返信・引用
珍しくつくばエクスプレス沿線に用事があり、直行直帰で出掛けたのですが、新京成沿線からだと微妙に行き方に悩むことになりました。

要は環状方向を走る武蔵野線と東武野田線のどっちをアプローチに使うか、という話ですが、手前側で短絡する東武野田線が有利に見えたのに、実は武蔵野線が便利だったというオチです。

新鎌ヶ谷−八柱が12分、流山おおたかの森−南流山が4分ないし5分というプラスαに対し、新八柱−南流山が6分なのに、新鎌ヶ谷−流山おおたかの森が原則柏乗り換えで30分前後かかるため、敢えて遠回りになる武蔵野線ルートに軍配が上がるのです。

特に帰りに東武野田線を使ったところ大ハマりで、柏で8分待ち、というか柏到着直前の船橋方面との並走区間で船橋行きが走り去るという糞ダイヤに加え、新鎌ヶ谷でもタイミングが合わず、武蔵野線経由だと1本前の新京成に乗れた、という惨状でした。

乗り換え駅の利便性と言う意味では、東武野田線ルートは新鎌ヶ谷は遠いが流山おおたかの森は近い、武蔵野線ルートは新八柱が案外と近く、南流山も近いが、高架(厳密には盛土)と地下の関係はおおたかのほうが近い感じで、総合的には武蔵野線ルートかな、という感じです。

東武野田線は柏の乗り換えに加え、単線区間があるため交換待ちがあり、最高速度も低いのが敗因です。それでももう少しキビキビ走ればもう少し使えるのですが...



船橋新京成バスの改正(後編) 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 2月25日(月)21時24分37秒 返信・引用
そして深夜便もアグレッシブですね。
最終は1時22分となり、総武線が時刻通りに走り、積み残しがなければ、1時15分発の最終津田沼行きを受けることになります。
ルートもかつての船05のように馬込沢から船取線に入り、初富交差点を越えて新鎌ヶ谷駅に至り、そこからは短命だった鎌02のルートで鎌ヶ谷大仏までとなります。

もともと0時5分の船12が深夜バスの最終であり(船03は23時42分)、その後に0時15分、0時45分にコープ野村行き、0時33分、1時22分に新鎌ヶ谷・鎌ヶ谷大仏行きが今回設定されました。
こちらは明らかに平和交通対策であり、八重洲0時35分、夏見台団地1時15分、新鎌ヶ谷駅1時30分の印旛日本医大駅行きに対応して、さらに秋葉原0時45分の最終から乗れるということでセールスポイントを打ち出しています。

さらに言えば、総武線最終連絡と言う意味では成田空港交通の内ゲバ路線となった千葉ニュータウン、成田線と条件が一緒になり、馬込沢と鎌ヶ谷大仏は新京成でもいけるということになります。(鎌ヶ谷大仏は大回りになるので競争力がないですが)

今回の新路線はサイトのイラストだと「船01」を名乗るようです。二和道、鎌ヶ谷大仏、西白井駅経由富塚への路線が名乗っていて、2000年8月の改正で廃止になった系統が番号だけですが復活です。01を残していると津01のように京成に取られるという危機感なのか、本来なら船05のほうがしっくりくるのに01を名乗りました。

ちなみに新設停留所は東道野辺7丁目、鎌ヶ谷高校入口、東武鎌ヶ谷駅入口、初富駅入口、新鎌ヶ谷駅、市制記念公園入口、五本松小学校、初富稲荷神社入口、東武分譲地となっており、船05時代の道野辺坂上、丸山坂上、鎌ヶ谷高校入口、鎌ヶ谷電話局、東武鎌ヶ谷駅、富岡、学校前(以下初富、火の見下、東武分譲地を経て鎌ヶ谷大仏へ)とは違います。また新鎌ヶ谷駅からも、鎌02時代は鎌ヶ谷消防署、市制記念公園入口、五本松小学校、南初富交差点、中央児童センター入口、東初富、東武分譲地、鎌ヶ谷1丁目と停まって鎌ヶ谷大仏だったので、こちらもけっこうな差異と言うか通過です。

深夜・早朝便については例のトップドア車が入るのか、と思いましたが、0時33分で出した後、1時22分までに行って帰るのは難しく、車両は一般車でしょう。

早朝便のところでも書きましたが、習志野新京成バスが津田沼口で頑張って欲しいですね。成田街道沿いや習志野台、高根台がエアポケットになってしまいましたから。
そう、私もエアポケットの住民です(涙)





船橋新京成バスの改正(前編) 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 2月25日(月)21時23分37秒 返信・引用
3月1日の船橋新京成バスの改正はなかなか意欲的です。
證大寺昭和浄苑バス停の新設はともかくとして(それとて県民の森とさざめざく間という北部地域での新設は珍しい出来事だが)、早朝便と深夜バスの増強は驚きです。

特に早朝便は津田沼4時56分、船橋5時ちょうどの始発快速に接続ということで、バスと言えば朝寝坊と言うイメージを払拭するどころか、新京成の電車よりも早起きです。(三咲駅で従来が三咲5時52分発(土休日56分発)が4時15分発と97分の繰り上げ)
これまで新京成の始発だと津田沼5時17分の快速にしか乗れなかったのですが、東京6時の始発新幹線接続は果たしていますが、羽田空港早朝便などへの対応と言う意味ではいまひとつで、今回の改正で品川でエア急乗り継ぎで羽田国内線6時1分となったため、津田沼リムジンと比較しても、2タミで5分程度、1タミで同着、国際線は逆に10分近い早着という感じです。

また、東海道線など早朝の電車への接続が改善されることから、近郊への行楽、特に中央線関係の接続が改善されることからハイキングなども行きやすくなります。(早朝便は土曜日と平日の翌日となる休日も運転)

悔しいのは電車の始発に変化がないため、鉄道駅で言えば鎌ヶ谷大仏、二和向台、三咲の3駅のみ恩恵と言うこと。滝不動は駅の西側の駅勢であれば御滝不動か桜ヶ丘に出られるのですが、滝不動の駅東側や、高根公団以南と言う津田沼に近い側のほうが「不便」になってしまいます。

ここは習志野新京成バスに高根公団から北習志野駅を通り津田沼駅への早朝便を設定して欲しいものです。
北習志野駅から郷土資料館までは、ここ数十年路線がなかった東消防署の前を通る道経由で走れば、前原までの総ての駅をカバーできますし。




名称変更をするのなら... 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 2月24日(日)01時20分25秒 返信・引用 編集済
千葉東金道路→圏央道の名称変更ですが、ネットワーク性と言う意味からも分かりやすい変更です。
そう考えたとき、県内では館山道関係の「わかりにくさ」はどうにかならないのでしょうか。

もちろん普通の人は「館山道」で通じるのですから特に必要ないと言われればそれまでですが、道路交通情報やカーナビなど杓子定規なケースを相手にすると「不便」なのです。特にカーナビではICを目的地にする時、項目選択の際に道路名で選択するうえに、道路名が高速道路と一般有料道路で分かれているケースがあるのです。

高速自動車国道としての「館山自動車道」に一般有料道路としての「富津館山道路」の存在。さらに館山道の起点がはっきりせず、いつのまにか「京葉道路」から変わっているというあたりとか、分岐するアクアラインもアクア連絡道と言う区間があったりと、なかなかややこしいです。

さらについでに言えば、「東関東自動車道」と「新空港自動車道」も微妙で、確かに後者は前者からの分岐ですが、同様の館山道の木更津南ICへの分岐区間は名称がそのままですし、東関道と新空港道の分岐地点は「成田JCT」を名乗らず、直後に現れる成田ICは東関道のICの扱いです。

このあたり、新名神の草津田上IC、上信越道の藤岡ICや紀勢道の勢和多気ICとの微妙な差異が気になるところで、草津田上、藤岡と勢和多気はそれまでの名神、関越道と伊勢道の扱いから分岐側の扱いになり、草津田上は新名神、藤岡は上信越道のIC番号になり、勢和多気は伊勢道IC番号のままで、成田は東関道の扱いのまま(当然IC番号も)です。どちらかというと名神と京滋BPの大山崎JCT/ICと同じ扱いですが、あちらは本線に入る感じがなく出口に至るので、成田ICとも違います。

そもそも新空港道自体が成田ICのロングランプとした方がいいわけで、成田空港の先にある芝山千代田駅や芝山はにわ道方面へは成田ICで降りてR295側に入る必要があり、逆に新空港ICまで進むと行けないという罠もありますし。(検問所手前で間違いましたというと専用通路から出してもらえるが)

館山道ですが、富津竹岡ICで館山道から富津館山道になるというのも、君津ICで対面2車線になるといった目に見える変化がないだけに分かりづらいです。笑うしかなかったのが、2005年に君津IC−富津中央ICを残して開通した際、富津中央IC−富津竹岡ICは館山道、以南は富津館山道と律儀に区分したことでしょう。

このあたり、「山陰道」のように、「山陰自動車道」とその他の一般有料道路や地域高規格道と合わせて一連の「山陰道」としているのに倣い、富津館山道路と合わせて「館山道」とできなかったのか。また、アクア連絡道も案内上は「アクアライン」にできなかったのか。
(上述の京滋バイパスも、瀬田東IC/JCT−久御山ICが京滋バイパス、久御山IC−久御山淀ICが京都第二外環状道路(にそと)、久御山淀IC−大山崎JCTが名神の枝線だが、全線で京滋バイパスと案内されている)

さらに、京葉道路から何でもない地点で館山道に変化するという全国でも例がないケースもあるわけで、IC単位で考えれば蘇我ICまでが京葉道路、市原ICからが館山道ですが、蘇我ICを館山側に出入りしても京葉道路なのです。

これは気にし過ぎと言われればそれまでですし、今更変えるのもかえって不案内かもしれませんが、木更津南ICまでの区間を篠崎ICから連続して「京葉道」として案内し、木更津南JCT−富浦ICを「館山道」と案内するか、宮野木JCT・千葉西TB以南を「館山道」と案内したほうがすっきりすると思うのです。
そしてそのチャンスが今回だったのですが...




「東金道路二期」の終焉 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 2月23日(土)23時47分5秒 返信・引用 編集済
2012年度開通とされていた圏央道の東金JCT−木更津東IC間の42.9kmが年度明けの4月27日に開通します。
これで既開業の木更津JCT−木更津東IC間7.1kmと合わせて県内の圏央道は50kmの大台、と思いきや、同日から県内の圏央道は66.1kmになります。

何のトリックが、というところですが、これは千葉東金道路の東金JCT−松尾横芝IC間が同日から圏央道に名称変更されるからです。
そもそも東金道路のこの区間、東金道路二期として別扱いの存在であり、料金も東金道路はIC間料金の単純合算でしたが東金を挟んで一期側は1区100円、二期側は1区300円で、東金ICもいかにもJCTです、という構造でした。

1998年に開通したこの区間、青梅IC−鶴ヶ島JCTに次ぐ圏央道2番目の開通区間、となるはずが、なぜか東金道路の扱いになってしまったのが発端ですが、これは「東金道路」として建設費の京葉道路などのプールに組み込ませて無料償還を伸ばすスケベ心があったわけで、道路公団民営化でプール制が無くなったこともあり、今回晴れて?圏央道になったわけです。

既に本線上のIC番号は圏央道仕様に変更されており(山武成東:7→94、松尾横芝:8→93)、IC手前の一般道での案内も「千葉東金道路」の表示が白く消されています。
ICそのものの看板には従来のIC番号が残り、松尾横芝ICには入口に「千葉東金道路」、出口に「千葉東金道路 終点」の看板がありますが、これも見納めです。

なお、今回の開通で東金JCTから木更津JCTまでのルートが2ルート化しますが、東金IC−木更津東IC間の料金が現行1600円に対し1550円になる、ということは、山武成東以遠と木更津JCT以遠(木更津南、アクアライン方面)については料金の変更は微妙なところです。
これまで打ち切り計算となっていた東金JCTをはさんで圏央道として通算するのであれば安そうですし、一方で館山道経由のほうが高速自動車国道として賃率が安いからです。

プレスリリースでは新規区間相互と、湾岸市川、木更津金田から新規区間内への料金表しか出ておらず、その辺りが不明です。



やれば出来る子!? 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 2月22日(金)23時49分34秒 返信・引用
今週に入って「神」対応というか、やれば出来る子状態ですね。

中線通過扱いでの運転継続は逆にやり過ぎ感もある位の対応であり、こういう柔軟な対応が定着するのかどうか。

何で急に目覚めたのかが気になりますが、輸送指令関係に人事異動があったか、それとも監督官庁から大雪対策のお小言のついでに日頃の輸送障害対応までやり玉に挙がったか。まぁ監督官庁対応という意味では従前と一緒でしょうから、別の筋、政治家筋あたりから強く言われたのかもしれません。まぁ揣摩臆測ですが。





今朝の武蔵野線 投稿者:dai 投稿日:2013年 2月21日(木)08時21分58秒 返信・引用
新秋津で205系が故障して上り本線を塞いでいるのですが、何と中線を利用して新秋津通過の電車を走らせています。

JREに何があったのでしょうか…。



真相は如何に 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 2月21日(木)00時26分52秒 返信・引用 編集済
緩行線の人身事故でダイヤが乱れていた夜の総武線でしたが、快速線に動きがあったようです。

東京20時48分始発の2005Fに乗ったのですが、ホームの放送が何か妙なことを告げているように聞こえたのです。しきりに「ホームライナー千葉3号」と言っていたようなんですが、これは新宿始発の列車なのになぜ東京駅で、と思っていると、21時17分発と言う声も聞こえてきました。

21時発の「ホームライナー千葉1号」も混乱していたようで、ホーム上の案内は回送表示ですが運転します、とアナウンスが流れ、2005F発車の頃には発車案内も直っていました。

「千葉1号」は所定の3番線に据え付けられましたが、その直前に2番線に列車が入っています。
所定でこの時間帯に入る列車は無く、「千葉3号」の案内と合わせると、どうも察するに緩行線のダイヤ乱れを受けて本来は新宿行きの1016Mを東京に取り込み、20時46分頃、1021Mと入れ替わりに2番線に到着。これが変3313M「ホームライナー千葉3号」として東京始発で運転したのでしょうか。

ただこのタイミングで1016Mが到着するには、市川で抜いた1932Fと、千葉から続行の2022Fが大幅遅れになるため、どこかで1016Mが足止めされていたのか。

大階段のところなどで発車案内を見ておらず、かつ2005Fに座れたので腰が重く、確かめなかったのは不覚ですが、もし東京始発で「千葉3号」が運転されていたとしたらレアな事態ですがどうだったのでしょうか。1016Mの東京取り込みはあっても折り返しは回送にするのが常道でしょうし。

津田沼では「千葉3号」の運休がスクロールされていましたが、東京駅での放送が気になります。聞き違いかもしれませんが、敢えて東京で「千葉3号」の情報を流す理由もありませんし、何かあったことは確かでしょう。



早春の椿事 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 2月19日(火)22時31分38秒 返信・引用
早春の椿事、ということなんでしょうか。今朝の津田沼駅は。

改札を通りホームに向かおうとすると、アナウンスが「総武快速線は...」と告げてきたので、ダイヤ乱れか、と覚悟をしたのですが、そのようでもなく(この時点では聞き取れず)、「平常通り運転しています」と結んだので何じゃそりゃ、と始発ホームに向かいました。

ホームに下りると拡声器を手にした駅員がうろうろ。そしてひっきりなしに叫ぶ内容でようやく事態が分かりました。
快速線の放送装置一式が故障し、構内放送、発車メロディがダウンしたとのこと。電光掲示は生きており、そこまで含めてのシステム一式ではなく、音声系だけなのが不幸中の幸いです。

発車メロディが鳴らないので、「笛を吹いたらドアが閉まります」と何度も注意喚起をしたり、下り線の通過電車への注意も拡声器と笛が頼りと大変な状態です。

3番線の状況がややこしく、4番線側の放送一式は生きているため、そちらを使って放送はしていますが、発車メロディはダウンなので、放送と笛で対応していました。

駅員総出で安全確認と拡声器での案内に回ったため、整列乗車に人手が割けないことから、整列乗車は中止です。
ただ、放送が故障しているので整列乗車が中止、と言う説明は因果関係がイマイチ伝わらないでしょう。「乗務員への連絡が出来ない」とか「駅員がホームの安全確認を行っているため」とか、説得力のある理由をつけたほうがいいでしょう。

ドア閉めのタイミングが難しいのでは、と見ていたら、逆に笛は短く鳴らすしかないので、だらだらと乗り込まずにサッサと乗り込んでおり、この方がいいかも。挟まれも少なかったですし。
ヲタからはメロディにしてくれ、ボクの好みの曲を希望、と言う声が出る発車メロディですが、今朝の様子を見ると、笛はさすがにしんどいですが、メロディをそれなりに流すよりも短くベル(チャイム)で切ったほうが駆け込み防止にも有効な気がします。

あとは、私鉄各社やJR他社で多く採用されている車側スピーカーや乗降促進チャイムがこういうときに有効と言うこと。
今回もこれらがあればスピーカー経由でドアを閉める旨アナウンスし、乗降促進チャイムを鳴らせばスムーズにドア閉めが出来たでしょう。

今朝は、普段はギリギリまで事務室にいて整列乗車の対象列車の車内確認だけ出てくるようなバイト駅員も総動員でしたが、往年に比べると減っていることを痛感します。
往年の体制なら、2両に1人くらいは立っていたので、放送がダウンしても肉声で案内できましたから。


やれば出来るのに 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 2月18日(月)22時54分25秒 返信・引用
週明けからダイヤが混乱した都心のJRですが、ちょっといつもと違う感じでした。

総武快速で京浜東北線の人身事故(ただし奇跡的に線路の隙間に入って無事)が放送されたのですが、そこで、「一部電車は山手線の線路を使って運転しています」と来ました。

末端部、与野でも港南台でも全線見合わせがデフォルトなのに、ど真ん中の上野での事故で、しかも山手線の線路まで使って動かしているとは普段のあの会社とは思えない対応です。

山手線も動いており、これは人身とはいえ死傷ではないためでしょうが、普段からこれが出来れば、と言う感じです。

山手線の線路を走る京浜東北線を見たくもありましたが、下手に行けばドツボにはまるのでおとなしく品川まで行きました。
品川に着くとちょうど運転再開とのことで、階段規制もありませんでした。

今朝のNHKでの交通情報では、雀宮での踏切脱輪事故で「一部電車に運休」と言っていましたが、これも普段なら湘南新宿ラインも含めて全線見合わせになってもおかしくない事態であり、京浜東北線といい、宇都宮線といい、何かあったのか?と言いたくなるような運転整理でした。
しかし、やれば出来るのに、やっていない、と言うことがよく分かる瞬間ですね。

さて、ラッシュのピーク時に山手線と京浜東北線が線路を共用して捌いたことで、致命的な混乱は避けられたわけですが、震災のときの状況も考えると、非常用の渡り線をもっと大量に整備すべきでしょう。
ラッシュ時はともかく、日中であればお互い4〜5分ヘッドですから、線路を一部で共用してもダイヤをあまり痛めずに運転を継続出来ますから。

山手線と京浜東北線の並走区間であれば、駅構内での支障であればホームが間に入り作業空間の確保に問題はないはずなので、主要駅、出来れば全駅の前後に両渡りを入れ、事故発生時には向かいに流せるようにする。さらに途中折り返しを可能にするため、主要駅では上下線間の両渡りを入れる。こういった対応が必要でしょう。

先月の大雪、さらには震災の体験を通じて、都心部のJR線が動くか動かないかで他線、他社線藻大きく左右してしまうことが分かっています。山手線などが1駅でも動けばミッシングリングがつながり機能するのであり、少しでも動かせるように設備を対応させると言うのが、首都の鉄道の義務と言えるからです。

コストが、とお決まりの批判が湧いてきて、公共が補助を出すのなら、という甘えた声も聞こえてくるのでしょうが、都心部の輸送を独占してその果実を十二分に享受しているのですから、それくらいの義務は課されて当然です。




初富駅 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 2月17日(日)19時06分12秒 返信・引用
初富の仮上り線が出来て2週間が経ちます。
今後は下り線を旧上り線側に移して高架線を作るのでしょうが、鎌ヶ谷大仏側、鎌ヶ谷中の脇のあたりは旧上り線と新上り線が近接と言うか建築限界的には重なっており、新下り線を設置するには現行線路の中間にずらす必要があります。

新上り線の到着寸前に2軒の民家すれすれに通る箇所がありますが、鋼材と壁で仕切らているとはいえ、あまりの近さに驚きます。電車がベランダを削ってしまった山陽電車荒井駅の事故のようなことは無いでしょうが...

そしてえんえんと通路を歩かされる新ホームですが、電車を降りた時のフェイントの連続も厳しいです。
まあ慣れれば大丈夫なんでしょうが、後部側の車両に乗り今までの感覚で後ろを向くと階段がなく、振り返ると階段らしいスペースがあってここかと思うとEVのスペース。階段はもう少し先です。
そして線路をくぐって通路を歩いて、というのはしんどい構造です。

気になるのは、新ホームから本線をくぐって上がった場所から改札までの仮設感が半端でないこと。
階段とEVのあるスペースの作りと比べても数段落ちます。
壁の向こうの作業スペースをよく見ると駅広を置けるような感じでもあり、駅がここに移転してくると考えれば構造も得心が行きますが、どうなんでしょうか。

新下り線ホームは旧上り線側に移設し、相対式ホームになり、新しい駅舎から階段とスロープですぐアクセス、という構造が予想できるのですが。




内陸鉄道の概要 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 2月17日(日)18時33分48秒 返信・引用
1970年台初頭の千葉県が真顔で検討した「内陸鉄道」ですが、各ルートの概要です。(表現は報告書から)

Aルート:
船橋から現存住宅団地、計画住宅団地の外郭を巡り、八千代市中部から佐倉市西部をかすめ、四街道町を貫き千葉市東南部を通り、五井に至るルート。
既存路線との交差は新京成線は滝不動駅、京成線は臼井・志津間、総武本線四街道・物井間、房総東線誉田駅で、それぞれ駅を設ける。(以下同じ)
起終点含め(以下同じ)13駅。53.9km、各駅停車で64分

Bルート:
船橋から発し、最初のうちはAルートの内側を通り、八千代市南部、四街道町西南部、千葉市東南部を通過し、市原市姉ヶ崎に至るルート。
交差は新京成線習志野駅、京成線八千代台駅、総武本線四街道駅、房総東線誉田・土気間、小湊線海土有木駅。
12駅53.3km、各駅停車で63分

Cルート:
船橋から八千代台までBルートに同じ。さらに総武本線佐倉まで直進するルート。
交差は新京成線習志野駅、京成線八千代台駅、総武本線佐倉駅。
8駅21.7km、各駅停車で27分

C'ルート:
船橋から習志野を通り、京成線と志津で交わり、Cルートと同じく総武本線佐倉に至るルート。Cルート寄り北部を通過する。
交差は新京成線習志野駅、京成線志津駅、総武本線佐倉駅。
8駅22.3km、各駅停車で27分

Dルート(野村総研提案):
京葉線計画の通過地で千葉駅西方に位置する地点(仮称新千葉駅)から発し、国鉄千葉駅と交わり、東金線東金駅にほぼ直進するルート。
交差は国鉄千葉駅、東金線東金駅。
8駅24.8km、各駅停車で30分

※A〜Dルートの相互接続は考えていない。

駅間は2km台後半から5km程度、3km台が多いが、郊外を環状に通るA、Bルートは4kmから7kmで、特にBルートの海土有木の1つ手前から姉ヶ崎までの2区間は7km超となっています。

川島氏も真っ青な計画ですが、大風呂敷を広げたものです。




今日は 投稿者:% 投稿日:2013年 2月17日(日)10時10分59秒 返信・引用
お久し振りです。

最近、雪で電車が70%運転となったりとか、
止まったり・・・。

多いでしょう。

お気をつけなさって下さい。

私は、今年は、初夏に、鉄道ジャーナル等の書籍で、新・旧の総武本線の全駅の記事の掲載された書籍を買うつもりです。

気にしていた馬喰町とか新日本橋も載っているから・・・

みなさまがたは、買われますでしょうか?



ギャラリートレイン 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 2月16日(土)01時20分18秒 返信・引用
結局雪は積もるどころか降りませんでした。傘を持って行ったんですが、退勤時には雨も上がっておりこちらも空振りです。朝の予報では低気圧の発達が弱く、寒気の引き込みもなさそうだったのも原因でしょう。

さて、通勤ではたまに乗る新京成のギャラリートレインですが、先日ようやくじっくり見ることが出来ました。
記念乗車券との被りも少なく、3月でお蔵入りにするには惜しい写真です。

網棚上が各駅の今昔で、中吊りが懐かしの車両たちと言う仕立て。やはり気になるのは車両のほうです。
そしてツボにはまるというか、通好みな写真も多いですね。五香車庫の写真とか、くぬぎ山駅のカラー写真も、旧型車の方はよく見るとモハ609で、新京成に転じたのは2両だけという少数派をノミネートしています。

また、1970年ごろに更新改番された20系のさらに1両しかない電動車であるモハ27の写真と言うのも絶妙の選択。さらに知ってか知らずか、カラーの「九十九里号」千葉行きが初代のモハ1105でこれは後に中間車化されてサハ1107となり、モハ27が二代目のモハ1105になるという関係です。

気になる写真としては、1976年にくぬぎ山車庫の脇で撮影された100系の6連。特別修繕直前の編成ですが、100系など旧型6連は4M2Tに組成され、2両目と5両めにクハ2000系かサハ1110系(もとのクハ500系)が入っていたはずなのに、この写真では津田沼方先頭のモハ105からモハ100系が3両続き、4両目にクハ2000系が見えます。天井高さから5両目もクハ2000系の可能性がありますが、そうなると先頭から「Mc」-「Mc」-「Mc」-「Tc-Tc-「Mc」というバランスの悪い編成になります。(5両目のTcの向きは判読できず)

みのり台で撮影されたモハ102を殿にした100系は、後ろから2両目がサハ1110系で、3両目、4両目がモハ100系とセオリー通りの編成ですから、くぬぎ山の写真の編成が何かの事情でイレギュラーだったのか。

あとは北習志野駅の写真。手前に停車中のバスはD240台かD270台の前折戸の上側ガラスが三角形で、非バス窓のグループです。行先は習志野日大か高根公団駅か。文字の感じからすると日大のようにも見えます。

このギャラリートレインですが、外側のラッピングやヘッドマークには「65th Anniversary」と入っていますが、そこにあしらわれたイラストは800系です。旧型でも8000系以降の現役でもなく、初の完全新車となった800系という選択も渋いです。

そして、当然旧塗装の800系が掲げるパタパタ式の行先表示は隅切りの八角形ということで、鎌ヶ谷大仏行きのようです。(イラストには文字は書かれておらず、形状で推測)
これも渋い選択ですね。そういう意味ではかなり遊びがあるというか、写真の選択も含めて「見る人が見れば」という遊び心が垣間見えました。





ダブルで来るか 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 2月14日(木)22時46分38秒 返信・引用 編集済
さて今日は京成の厄日なんでしょうか。
帰りの総武快速の車内でスクロールしていた情報は、【京成線 遅延】とのことでしたが、その原因がすごいというかなんというか。

「堀切菖蒲園〜お花茶屋駅間の踏切内交通事故および公津の杜〜成田駅間の人身事故...」

ダブルで来たのは初めて見ましたね。


と書きましたが、お花茶屋のほうはグアムの事件とまではいかないものの、故意に近いひどい事故だったようです。追突事故を起こして逃走したクルマが車止めのある踏切に突っ込み、乗り上げてそのまま踏切を横断する格好で宙を飛び踏切の向こう側で横転。その際に踏切を横断していた自転車2台をはねて1人死亡、1人負傷と言う大事故です。

自動車が通れないはずの踏切を自転車で通行中に正面からクルマが「飛んできて」ぶつかるという有り得ない出来事が何重にも重なって来たような事故と言うか事件で落命ですから、何とも運がない話ですが、ちょっと酷すぎますね。犯人は業務上過失や危険運転ではなく、未必の故意を問うていい話です。



またまた来襲 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 2月14日(木)22時44分1秒 返信・引用
またまた南岸低気圧です。
記録的な降雪となった1984年の年明けを思い出すような来襲であり、1月14日を除いてうまく逃げていますが、一歩間違えれば19年前のようなドカ雪もありえるパターンです。

明日は南岸低気圧の接近、通過が午後とあって雨を中心とした予報ですが、進路は八丈島やや南とストライクゾーンであり、前2回のように日本海などに小さな低気圧もなく、一気に発達する可能性を持っています。

ただ、寒気団の位置が北に寄っており、雪が降るレベルの寒気が南岸にかかるのは16日に入ってからの模様ですから、低気圧がどの程度寒気を引き込むのか。
低気圧の西側にある高気圧も移動性の様相であり、雪と断言できる材料は少ないと見ます。
まあ、金曜の夕刻以降に降雪、積雪となると厳しいですから、雨であって欲しいです。




結果論ですが 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 2月13日(水)22時10分41秒 返信・引用
ちょっと昨夜は茶々気味でしたが、結果論から言えば積雪は多摩エリアまででした。朝の総武線は三鷹出区の緩行線編成が雪をうっすら被っていたので、そちらは積雪が確認できたようです。

交通機関については今回は何事もなし、と言いたいところでしたが、上野駅での信号・ポイント故障は残念でした。宇都宮、高崎、常磐の各線の要ですから影響が大きかったです。
そして昼前からは低気圧に向かう強風で埼京線や東西線で運転見合わせとなりましたが、まあこれは致し方がないです。

さて、雪の件ですが、昨夜指摘の通り南岸低気圧以外の低気圧の存在がミソであり、寒気を巻き込む渦が関東平野部にまで届かないのです。標高が高いとか、もともと寒冷な気候である山梨、長野では積雪になりましたが、関東平野、それも沿岸部になると0時前に5度程度気温があっただけに、0度台まで下がることはほとんどなかったわけです。

あとは低気圧のスピードであり、雨のピークは4時から5時頃。気温が最低気温をつける一歩手前の時間帯であり、これも命運を分けました。ただこれは予報の段階で午前9時の天気図が実際とほぼ同じ状況だったわけで、想定がつきます。
もちろんどこかで歯車がずれたら大変だったわけで、時間雨量は3ミリ程度とそれなりにあっただけに、ピークが6時から7時くらいだと積雪に転じた可能性はありました。(それまでの雨で積もりづらいですが)

また、雨のピークが最低気温の前と言うことで、状況によっては架線凍結と言う一番厄介な事態もありえたので、そこは積雪よりも警戒すべき点といえます。




前回より悪い状況 投稿者:リリカルゆかりん 投稿日:2013年 2月12日(火)22時45分0秒 返信・引用
すでに、中央道の長野県内でチェーン規制がかかり、東海北陸道の濃尾平野で除雪作業に起因すると思われる渋滞があること、伊勢湾岸道まで雪による速度規制が生じていることを勘案しますと前回よりも明らかに状況は悪いと考えられます。前回は前夜の時点で西の方の高速道路に目立った規制は生じておりません。

また今日の東京の最高気温が7度止まり(前回は前日に13度まで上がる暖かい日でした)だったことを考えると明らかに寒気の流れ込みは強いと考えるべきでしょう。日本海の低気圧ですがこれは上空に寒気を伴っている寒冷低気圧であると考えられ、これ自体の寒気が影響することも考えられます。

今回は各所とも通常対応のようですが、またまた見逃しの大雪になって混乱という事態にならないことを祈るばかりです。



悩ましい南岸低気圧 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 2月12日(火)22時23分49秒 返信・引用
さあまた悩ましい南岸低気圧が来ます。
通過位置は八丈島付近、発達の度合いは18時から明日9時までで1014→1004とあまり深くなく、現時点で日本海にも弱い低気圧があり、先週と同じ傾向です。予報のほうは深夜が雪で、未明から雨に変わる予報。最低気温は2度とこれも微妙です。
9時の予報天気図では南岸低気圧が八丈島の南を通過し、日本海と関東東方に弱い低気圧があるため、寒気の流れ込みもそれほどではないでしょうが、油断は禁物です。

さて、まがいなりにも雪の予報が出ているのに、今回はメディアもだんまりです。まあ積雪の予報がないから当然なんでしょうが、前回の「空振り」があるので黙っているのが見え見えです。
リスクを過大に見積もり前回の対応を擁護した向きは、今回も「悪い方向に外れるかもしれない」として、対策を取るべし、と訴えないのかな...




千葉県内陸鉄道 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 2月11日(月)15時32分46秒 返信・引用 編集済
さて唐突に前振りだけしていた話ですが、1971年に千葉県企画部企画課が野村総研に委託した「千葉県内陸鉄道調査」です。

例の新聞記事の見出し抄録によると、1970年2月24日の朝日千葉版に「”千葉山手線”建設構想動き出す」という記事が掲載されており、その構想の検討結果となるレポートが1971年12月に上記題名で刊行されています。

同書の「はじめに」では、「千葉県内陸鉄道とは代替ルートを中心とした内陸鉄道の代替案をいくつか設定し、同鉄道が沿線に及ぼす影響とその範囲を明確化し、各案の費用・有効性比較を行い、併せて既存ネットワークとの連関、経営収支分析を通じて鉄道建設に必要な条件を明らかにすることがその狙いである。」とあり、県がイメージしている母案に対する代替案を設定し、比較検討しているものです。

ルートは新聞が「千葉山手線」と言ったように、船橋から船橋市北東部、八千代市、四街道市、千葉市緑区などを経て市原市に向かう2案と、船橋から東葉高速ルート、もしくは八千代市からそれぞれ佐倉に至る2ルート。最後に野村総研の提案として、京葉線千葉みなと付近からR126ルートで東金に至る1ルートの5案が提示されています。

開業は1978年を想定していますが、結論から言うと営業収支的には散々で、野村総研案と佐倉へ抜ける2ルートが若干マシな程度。当時の国鉄と同じ賃率で、佐倉ルートと野村総研案が400前後、賃率を2倍、定期割引率を6掛けにすると佐倉ルートが150強、それ以外は250前後と、事業化は厳しいという結論です。

その中の前提条件として挙がっていたのが、下記の新線(と開業時期)です。
・地下鉄10号線:都内〜北初富〜北千葉中央〜成田 北初富〜北千葉中央が1974年、他は1978年
・京葉線:船橋〜蘇我 1975年
・地下鉄7号線・京葉線:都内〜船橋 1980年
※京葉線は有楽町線と乗り入れるという前提
・小湊新線:千葉〜赤井〜海土有木 赤井まで1973年、海土有木まで1975年

そしてもう一つが地下鉄11号線で、都内〜船橋を1980年の開業と言う前提になっています。

流れ図を見ると、地下鉄11号線計画は原木中山で東西線と交差し、京葉線と接続する格好。船橋の海側で京葉線と11号線、内陸新線が十字形に交差しており、相互乗り入れを想定している感じです。

京成の湾岸新線、さらに北総線二期区間が全く入っていないですが、後者は小金線計画を織り込まずと注釈にある位なので、敢えて触れなかった可能性はありますが、前者については「55年史」から4年が経ち、全く顧みられない状況、つまり、免許が下りなかったことの傍証かもしれません。

この千葉県内陸鉄道構想、私も偶然書架で手にして初めて知ったのですが、京成の湾岸新線同様に封印されている感じです。小学生だった1970年代の副読本でも無視されていますし。
唯一そのほんの一部への言及と言えるのが、八千代市のサイトにある市史で、1970年のところに「千葉県内陸鉄道促進期成同名が発足(東葉線の原点)。」とあることでしょう。

単純にこれだけを見れば東葉線計画への対応と考えてしまいますが、この計画を踏まえて考えれば、「内陸鉄道」の用語が俄然光るわけで、東西線の延長、というだけでなく、県の内陸鉄道構想を作るならここ、という主張が見えてくるのです。





Re: それが当たり前という無神経 投稿者:dai 投稿日:2013年 2月11日(月)04時57分31秒 返信・引用
これを見ると、京成シティライナーにもやりようはありそうなんですけどね。8連固定編成を使いまわそうとしたから失敗したのであって、一般車の両先頭車だけデュアルシートに改造して、最後尾になる時だけ指定席として運用するとか。

千葉線接続を本線特急から新京成重視に切り替えてしまったのも、この局面だけ見ると間違いだった気がします。



それが当たり前という無神経 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 2月11日(月)01時41分37秒 返信・引用
日中、都内に用事があり11時前の快速で出掛けたんですが、津田沼到着の段階で15連の快速は増結1号車まで立客がいる状態でした。
津田沼に加え、船橋、市川と乗り込み、錦糸町でも降車がそこそこ出ましたが、乗り込みも多く、結局東京まで立客多数という状況でした。

3連休の中日、普段よりもお出かけ需要が多いのかもしれませんが、着席サービスが全く考慮されていない状況というのもお寒い限りです。

乗った電車はNEX退避で東京まで33分。それくらい立つのが当たり前、としたり顔で言う人が続出しそうですが、夕方ころの帰宅ならこちらも着席が期待できないわけで、往復立たされる状況が「当たり前」と言われるような移動手段に何の疑問を抱かない方が不思議です。

エコだなんだと言っても、往復立たされ、歩かされて疲れるわけです。そこまでして公共交通機関を使ういわれも義理もないわけですし、それで疲れても誰も補償してくれません。
ラッシュ時ならともかく、休日のお出かけ利用ですらこれで、「公共交通機関利用がエコ」と言われて素直に頷ける人はマゾかと思いたくなります。

公共交通機関のサービスに対する認識は、それを利用して向かった先での「目的」におけるサービス水準のイノベーションと比較して、停滞、退歩といえる代物でしょう。そういうと「サービス業じゃないもん」「輸送するのが義務ですから」と逃げに走るあたりが姑息というか、「殿様商売」というのを痛感します。





あとは減損会計かな... 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 2月11日(月)01時23分1秒 返信・引用
公団から千葉ニュータウン鉄道への譲渡がなされた2004年当時の状況ということですね。独禁法なら2005年改正前の規定になります。

公団の鉄道事業については独禁法上の「重要部分」に該当する資産でしょうし、譲受会社の売上高により独禁法の審査対象になりますから、公団の「処理」と合わせて公取の審査を経ている暇はない、ということでしょう。

もう1点指摘するとすれば、2005年度の会計年度から導入された減損会計も影響しているのかも。
千葉ニュータウン鉄道のスキーム(線路使用料収入)と自社経営との間に、将来キャッシュフロー計算上の差異が出るとしたら、公団から買いました、減損しましたでは負債だけが残り大変な事態になりますから、それが回避できるスキームということになります。

ファンドの購入に関しては、可能性が全くないとは言いませんが、何とも甘い見通しですね。
ファンドが購入するとすれば、空港輸送の将来性への着目でしょう。でも、だからといって北総線区間の値下げをすることにはつながりません。逆に競争がない北総線区間からは絞れるだけ絞りとって、空港輸送は京成本線経由よりも安くする、というような現状や当初案(両ルート同額)よりも悲惨な事態になっていたかもしれません。

さらに言えば、購入価額を買いたたいて来る可能性もありますし、公団が備忘価額に近い状態に減損するのを待つ可能性もあります。いずれにしても公団側の赤字がかさみ、国民全体での負担が増加しますが、自分達が安くなれば知ったこっちゃない、という姿勢が見えるわけで、あまりいい感じはしませんね。





Re: 例の「ゲットした」の負担がベースの話です 投稿者:しょーた 投稿日:2013年 2月10日(日)13時01分58秒 返信・引用
> No.2631[元記事へ]

公団線を、北総にも京成にも譲渡できなかった理由としては、利益相反の問題がかなりのウエイトを占めていましたが、
もうひとつ、当時(平成14年〜15年)の独禁法にも抵触する可能性が高く(大企業への重要な事業資産の譲渡の制限)、
京成株主のほか、公取委(?)のお墨付きを得ないといけないので、
非常に時間がかかるので断念せざるを得なかったという話を聞いたことがあります。
また、公団側が、公団線部分の分離単独明朗会計を求めた(運賃・経費の特殊なやりとりの
継続を念頭に)ともいわれています。

建設費総額400余億(簿価は193億)のものを、安く150億でゲットしたと叩く人もいますが、時価評価すれば妥当でしょうね。
某掲示板では、公開入札にすれば企業ファンドなどが手を挙げた可能性もあったのに・・・、
などの意見も出ましたが、果たしてどうでしょうかね。(アンチ京成・北総側の非現実な妄想?)





Re: 例の「ゲットした」の負担がベースの話です 投稿者:dai 投稿日:2013年 2月10日(日)11時12分21秒 返信・引用
都市機構が北総の株主に入っていたのを失念していたのは迂闊でした。

あくまでも頭の体操ですが、公団が北総に鉄道設備一式を現物出資する、京成と千葉県が用意した現金も資本金にして資本比率を崩さないようにする、というやり方ではどうだったのでしょうか。

公団の解散と成田スカイアクセス着工はどちらも小泉政権時の政策であり、京成の「ゲットした」感が拭うことはできなかったのかと、後知恵ながら思います。



Re: 西船橋駅今昔 投稿者:cubics 投稿日:2013年 2月10日(日)01時35分45秒 返信・引用
> No.2612[元記事へ]

エル・アルコンさんへのお返事です。

> 1958年の北口駅前の写真もありますが、驚いたのは橋上駅から降りてくる階段が今と同じなんですね。露天の大階段。今は上がると右手に屈曲して自由通路になっていますが、1958年当時の写真を見ると、当時は自由通路が真っすぐで、橋上駅舎が右手にあったように見えます。

これまで述べさせていただいたように、総武快速線の西船橋駅構内の空間については、総武線複線だけだった時代(以下「複線時代」)の島式ホームによって線路が広げられたことを引き継いでいるのではないかという推測をしているということでして、細かい点に関しては、現在の配線と総武線複線時代の配線が全く同じものだという意見ではないわけであります(複線時代のホーム廃止・撤去、貨物駅の開設と廃止、快速線の移設という流れの中でまあ、いくらかの移動があってもおかしくないということです)。

で、ふと思ったのは、ものごとをもっと単純に考えてみれば、複線時代の橋上駅舎の構造も引き継がれているわけでして、そうであればたとえば駅舎下部の構造物が邪魔をしていれば、複々線化以降も「線路間に隙間を開けずに敷き直す」ことはできないでしょうから、それで結果的に駅舎下部に隙間が残ったのではないかということです。

おっしゃるように旧駅舎の写真では北口の階段は今の位置で、自由通路があったとすれば、その通路は駅舎の船橋駅寄りを南北に貫いており、駅事務室や改札口は下総中山駅寄りとなります。
その南に建設中の新駅舎は、南口なのか工事用通路なのか旧駅舎から南に伸びる通路が突き当たる位置にあり、自由通路は旧駅舎の通路に比べて下総中山駅寄りにずれています。この食い違いを解消するべく通路でつないだために、現在 Dila の部分で通路が斜めになっていると考えられます。

ホームであろうと構造物であろうと、ともかくも旧橋上駅を温存しつつ新駅舎を建設した結果、快速線に隙間が残らざるを得なかったということでしょう。
あたかも新築で立て直さずに建て増しで改築した家で、変な段差や隙間ができちゃうのと同じで、何かのために積極的に作ろうとしたわけじゃないけれど、あれこれその場しのぎでやったら仕方なくできちゃった、みたいな。



例の「ゲットした」の負担がベースの話です 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 2月 9日(土)23時27分10秒 返信・引用
公団資産(譲渡当時は機構ではなく公団でした)の譲渡代金193億円の絡みでしょう。
千葉県からの補助金が43億円、さらに京成電鉄からの親子ローン150億円で支払ったわけですが、その受け皿を北総鉄道に出来るかどうかということです。

北総鉄道の株主は京成電鉄が50%で京成の連結子会社ですが、千葉県が22%、都市機構が17%、その他沿線自治体となっています。

この時、北総鉄道を受け皿にすると、譲渡人が譲受人の3番目の大株主であること。補助金の交付先に県資本が入っていること。京成電鉄は50%の資本に過ぎないのに100%の融資を行うこと。
いずれも利益相反の問題や、資本比率に見合わない負担ということで、会計検査院や県議会、京成の株主に対する説明が大変な事例になります。

北総鉄道を受け皿にした場合の問題はさらに、引き継ぎ後の苦しい時期に北総が京成に対する返済をリスケする、つまり、企業として信用を著しく毀損する事態が不可避になる可能性が高かったわけです。
千葉ニュータウン鉄道を噛ましたことで、北総との間では整備新幹線スキームのように事業収入の範囲で線路使用料として負担するスキームになり、京成との間ではリスケを起こしても外部借入をしていない、つまり、信用毀損の影響を受けないスキームですが、北総鉄道の場合は事業会社として外部借入を視野に入れないといけないのです。(現状は設備未払金負担と親子ローンだけだが)

またこれと関連して、資産と見合いの負債、金利負担が積み上がるわけで、財務体質は確実に悪化します。

このスキームを否定する人が多いのですが、このスキームでなければ193億円の出し手が見つからないわけです。もちろん公団が暫定的に営業を継続することになるのでしょうが、引き受け手がないから赤字を垂れ流してでも継続せよ、というのは暴論でしょう。

千葉県は京成に補助を出すことで1/4程度の負担をしています。公団は債権放棄をしています。出資比率から言えば京成の負担は97億円のはずであり、超過分の53億円を印西市や白井市など沿線自治体が負担できない以上、こうならざるを得ないのです。





千葉ニュータウン鉄道 投稿者:dai 投稿日:2013年 2月 9日(土)21時29分59秒 返信・引用
北総線の運賃問題とは切り離した疑問として、京成が公団線の受け皿を作るにあたり、北総開発鉄道の増資ではなくて新会社設立を選んだのは何故なんでしょうね。

北総開発の少数株主に口出しされるのを嫌ったのかもしれませんが、金を出さず口だけ出す地元への牽制球を投げるいい機会だったようにも思います。



千葉ニュータウン鉄道の新車 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 2月 9日(土)19時00分55秒 返信・引用
北千葉道路の整備が進んでいますが、鉄道の方も変化が出たようです。
全くノーマークだったのですが、ネット上での情報だと北総線用の新車9200系が甲種輸送されたようです。

京成新3000系の姉妹車であり、京成グループでの統一は相当徹底している感じです。
いや、北総はすでに新3000系タイプといえば7500系を導入しているはず、なのになんで新しい型式が、と疑問に思ったんですが、どうもこの「9200系」は、千葉ニュータウン鉄道の持ちもののようです。

住都公団→都市機構となり、鉄道事業から撤退した際に、京成が受け皿会社となる千葉ニュータウン鉄道を設立し、駅や線路などの設備一式と、車両(9000系、9100系C-Flyer)を所有したわけですが、今回の9200系の投入は、9000系の引退を意味することもさることながら、所有にかかわる話なので、一見無駄に見えますが厳格に区分していることを示しています。

7500系とは微妙に色を変えたという話もありますが、東武〜野岩〜会津の6050系(と100番台、200番台)のように、デザインを完全に共通化し、番台区分も基本は一緒にして編成を管理する番台で区分しなかったのはなぜなんでしょうね。管理は北総が行っているので、「北総鉄道」の表記まであるわけで、同じ車両なのにわざわざ別番台、別カラーにする意味があったのか、ちょっと疑問です。

ちなみに千葉ニュータウン鉄道、北総線の値下げを訴える勢力からは、北総鉄道から線路使用料をふんだくる存在として蛇蝎のように嫌われている存在ですが、設備購入代金、そして今回の9200系投入の設備投資と、北総鉄道で賄えなかったのですから、仕方がない話です。

北総が受けていれば、「線路使用料」に見合う減価償却費と設備未払金の支払いがのしかかっていたわけですし、北総が苦しい時代にはその使用料も負けてもらっていた事を忘れてはいけません。
だいたい、当時の北総の経営状況で、機構から購入する資金を調達できたかというと疑問だったわけですから。



北千葉道路ミニルポ 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 2月 9日(土)18時46分55秒 返信・引用
ちょっと北千葉道路を見てきました。
まずは昨年5月の専用部開通時のドタバタで「消した」車線削減の跡が時を経てはっきりと見えるようになっています。これは勘違いしたクルマがいきなり車線変更するといった重大事故につながりかねないものであり、もっとしっかり消さないといけません。

今回見たのはもっぱら牧の原IC−鎌苅北ICの専用部工事。重機も入り本格的に動き出しましたが、今回気が付いたこととして、先に開通した区間と同様、専用部のスペースを捻出するには斜面を削って擁壁を立てて確保しないといけないということ。

車両基地への分岐がある龍腹寺交差点(陸橋)付近で工事が始まっていますが、ニュータウン中央IC−牧の原ICの区間の例だと、2010年初めに草深交差点付近の切り崩しなどの土工が始まっており、その伝で行くと2年後、まあ距離が短いのでトータルの整備期間が短縮されるとしても1年半はかかりそうです。
そうなると2014年度末の完成がいいところなのかもしれません。

あと気になったのが、車庫への分岐線が本線を乗り越す箇所の橋脚。専用部を通すための門方の橋脚が用意されているのはいいのですが、その東側に2箇所、橋脚を守るように盛土を切り開いてコンクリートの擁壁が線路と交差方向にしつらえてあります。

この擁壁の位置は完全に専用部に掛かっており、盛土を切り崩した時点で擁壁もお役御免で解体し、専用部が走るのであればいいのですが。

もうひとつ、鎌苅北ICの構造が気になるところで、成田側からr65にはアクセスできますが、鎌ヶ谷側からアクセスできるのかどうか。現道と専用部の間にIC設備が出来るのかどうか、現時点では見えません。西行きは線路と一般部に高低差があり、ICを作るとなると専用部のかさ上げが必要です。

あとはあまり変化なし。今年度中、つまり3月末までに開通予定となっている北須賀と船形の間ですが、甚兵衛大橋東詰付近の交点の整備はまだまだ。線路北側の路盤はそれなりに整備されており、舗装して強引につなげればいけそうです。

一方で船形側の交点は路盤自体が未だしの状況。
その割に甚兵衛機場付近の排水路を渡る橋梁付近はすっかり完成モードで、防音壁の設置が始まった箇所も。妙なのは2車線分だけの開通とあるのに、線路を挟んだ両側が整備されていること。しかし甚兵衛大橋東詰付近の現道との交点は、線路南側の路盤は明らかに出来ておらず、両側それぞれ1車線ずつ共用するのか、それとも北側だけで対面通行なのか。印旛沼橋梁の整備を見たら後者なんですが、甚兵衛機場のあたりは前者にも見えるわけで、なんかちぐはぐです。

そこから成田方面はあまり変化がないようです。
以上、2月初旬の状況でした。






準備なき非定常作業 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 2月 9日(土)11時14分3秒 返信・引用
運転整理の基本ですね。6番線の入線を遅らせるのは。それが出来ないのなら運転順序を入れ替えて6番線→5番線の順で出すと。混乱している時に先発に追いついて乗り換えが可能なら総入れ替えに近い状態になるのは分かり切っている話です。

状況に応じた手順書がない。ノウハウがない。行き当たりばったり。
間引き運転を急に実施するのならともかく、前日から予定してるのなら、それに応じた手順の確認くらいあるはずでしょう。

こういう「非定常作業」はトラブルや事故が起きやすいので、従来に増して手厚い対応、調整、手順の確認が必要なんですが、それが出来ないということでしょう。

だったら間引きをせずに遅延時の対応だけで乗り切る方が「安全」といえます。



津田沼駅上り緩行の出来事 投稿者:ごろごろ 投稿日:2013年 2月 9日(土)00時03分47秒 返信・引用 編集済
発車表示板には、5番08:50始発/6番08:55/5番09:00始発 となっていたので、之幸いと5番の始発に乗車しました。
先発8:50臨時津田沼始発が1分前に5番線入線しましたが、折り返しで手間取り、次発6番線8:55発に追いつかれる始末。6番線からの乗換待ちで2分ほど待ってから扉締めするも、発車できず。結局数分して再開扉し、扉を閉めて発車しました。
津田沼始発を仕立てて、かえって列車間隔を空けてしまうというドタバタ劇でした。おかげで激混み。
6番入線を待たせて5番を出せば、途中駅からの乗り込みも捌きやすかったでしょう。5分間隔ですから、津田沼始発発車後に幕張本郷発車とする安直な方法もありそうです。

あ、もしかして、8:50と8:55は意図して追加間引きし、9:00臨時津田沼始発(5番線案内板に表示されていた)として出したのかなあ。

前日から予定の間引きなのですから、この程度の障害ケースは予想して対応方法をあらかじめ検討しておく、なんてこと期待する方が無茶なんでしょうかね。



荒天ではなく能力不足リスク 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 2月 8日(金)22時28分5秒 返信・引用
いや、基本的に「10cmの雪」が「荒天」か、というそもそも論があるわけです。
台風のように出社などで外出したら危険、というレベルかというとそうでないわけで、単に首都圏の交通インフラが対応できないだけ、という「特殊事情」が大騒ぎにしているだけですから。
だいたい、その程度の雪で社会活動が停止するというようなコンセンサスはありません。

とはいえ交通インフラの問題はあるので、企業だって対応は取ってるんですよ。私は出張中でしたが、一斉メールで、始業時間にかかわらず手なりで出社していい、定時出社と見做す、という扱いでしたから。
しかしその斜め上を行っちゃったわけです。今回のJREは。

10割(か、可能な限りの最大限の)運行だが遅れる、ということまでは想定していたのに、本数が減るとは誰も想定していないし、時間を前後させても出社する前提なのに輸送力が釣り合わなくなったわけです。
遅れを見越して行動したのに、遥か上を行く混乱だったわけです。

確かに7割運行でリスクを想定すべきと言われればそれまでですが、「7割運行だからお前ら休め」と言われても、「馬鹿も休み休み...」としか言いようがないわけで、本末転倒の話なのです。
そこを厳しく指摘しないと、冬場の「あけぼの」のようにイージーに機能停止する日が来るでしょう。



荒天が予想されるのだから 投稿者:リリカルゆかりん 投稿日:2013年 2月 8日(金)22時02分38秒 返信・引用
ブログのコメント欄とどちらに書くか迷ったのですが、荒天が想定された(結果として外れたとはいえ)時点で各企業も相応の対応ができなかったのかという思いはあります。JRが減量運転を決めたこと自体は98年1月の大雪で、駅間に多くの列車が立ち往生したことを教訓としてのものですが、少なくとも通常通りにいかないことが確定した時点で先手の対応はあった筈です。

私自身昨年秋に、台風接近の報があったにも関らず、参加予定の行事が「強行」されたために大変な難行の帰宅をした経験があります。これ自体は会場や出演者のスケジュールを考えれば決行止む無しという面があったとはいえ、こうした事情のあるもの以外は柔軟な対応するというのがこうしたときの王道でしょう。

事実、大学等の入試では開始時刻を予め繰り下げるなどの対応をとったところもありましたし、私の勤務先も前日の夕方に「特定部署以外は6日の午前は任意出勤」という内部報が回ったため、正午前にゆっくり座っての出勤をなりました。自治体に勤める友人は特にそうした連絡はなかったものの、遅延証明が取れることを見越していつもより遅めに出発して難を免れたと言っておりましたし、6日朝の混乱はJRにも責任がないとは言えませんが、7割運行が発表された時点で混乱は十分予想されたのに「通常通りの出勤」を要求した多くの企業にも原因があると言えるのではないでしょうか?



何もないのに遅れるのは... 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 2月 8日(金)20時44分59秒 返信・引用
あまり名指しになることは言いたくないのですが、過日乗った東空交便の津田沼リムジンには参りました。

まあ良く言えば安全運転、その実は漫然運転と言える代物で、片側3車線の湾岸道路で左端車線に張り付いて動きません。
遅いクルマの集団に敢えて住みつくような感じで、上り坂ではかなり速度が落ちても追い越し車線に移ることはほとんどなく、こんな夜半に渋滞?と何人もの乗客が伸び上がって前方を見る始末でした。

80kmの制限速度を超えろとまでは言いませんが、明らかに流れが読めない走りであり、渋滞が全くない状態というのにのんびり走るのです。

湾岸習志野を降りても速度があまり変わらない感じでしたから(R357は60km規制)、相当なものです。
信号待ちもあまりない状態で、京成津田沼着は5分強の延着。1タミから39分で走るのが所定で、工事規制などによる渋滞や混雑がなければ概ね定刻か1分程度の早着の時間帯で5分の延着は困ります。

京成津田沼やJR津田沼で行程が終わりという人は少なく、その先の電車やバスがあるのですから、夜半の時間帯で無為に遅れると最終的な帰宅時間に大きな差が出ることもありますし、終バスを逃すといったケースも出てきます。私も新京成を1本遅らす破目になりましたし。

朝の羽田行きのように定刻が無理なダイヤでないのですから(2タミ5時50分着は経験則上無理。早くて3分遅れ、通常は5分遅れ)、暴走しろとは言いませんが、何もなければ定刻で走るというのは最低限のことです。



間引きではなく手抜き運転 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 2月 8日(金)00時26分27秒 返信・引用 編集済
間引き運転というよりも手抜き運転でしょう。6日朝の混乱は人災です。実は今週はまったく別の場所にいるので被害を免れましたが、それにしてもひどいです。

間引くのは雪が激しくなった段階で決めればいい話です。総武線なら幕張や津田沼の始発出庫を様子を見ながら止めればいいだけでした。ラッシュ後半なら折り返しをせずに幕張に取り込めばいいのです。
朝ラッシュ時のフル体制から車両も要員も減らすだけの話を、なまじ間引きを決めていたからリカバリーショットが打てないという最悪の状態です。そもそも首都圏の重通勤路線においては遅延よりも輸送力不足のほうが影響するわけで、そもそも論の部分が判っていない対応です。

他社への迷惑も激しく、京成は京急の影響でダイヤ乱れと出ていましたが、これは間引きに加え湘南新宿ラインの運休が大きく、負荷が高まって通常運行が出来ない状態ということです。これが高じるといわゆる「振替返し」の状態になるわけで、京急の混乱で最初に乱れていたJRに集中するというお決まりのパターンです。

だいたい何で今回は間引いたのか。総武線関係だとこれまで遅延の原因になることは分かりきっている単線区間からの直通を頑なに維持して遅延を招いてきたのに、間引くべきときに間引かず、間引くべきでないときに間引くのでは話になりません。

動かして止まれば批判、動かさなければ批判、と居直り強盗のような利用者批判をする向きもありますが、臨機応変の対応、その状況に応じた対応が出来ません、という能力の低さを理由にするとは実に恥ずかしい話です。
このあたりは、末端区間の支障でも全線止めて、全部お膳立てが整ってから再開するという、客の迷惑より自分の都合、という対応に慣れきった体質が今回の「間引き」に現れているのではないでしょうか。





Re: 止めるだけの安易な対応 投稿者:dai 投稿日:2013年 2月 6日(水)20時35分46秒 返信・引用
オゴレルミニクイジエーアールヒガシニホンニテンバツヲクダス、的な結果に終わりましたね。

実は私は長らく武蔵野線の埼玉区間ユーザーで、豊田から新習志野への車両移管に不満だったのですが(ストの巻き添えを喰らうんじゃないか)、今冬の雪対応で認識を改めました。車両が豊田や東所沢にいたのでは、西船橋分断をスムーズにやれなかったでしょうから。



Re: 止めるだけの安易な対応 投稿者:dai 投稿日:2013年 2月 6日(水)06時20分17秒 返信・引用
武蔵野線は実際には平常通りの本数です。ただし西船橋分断の様子。



止めるだけの安易な対応 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 2月 5日(火)21時57分31秒 返信・引用
明日の雪の予報は、1月14日の再来との声もあり、前日の段階から備えに走っています。
高速道路は凍結防止剤、融雪剤の散布準備に余念がなく、受験シーズンゆえ大学などは試験開始時刻を遅らせますし、企業も無理に出社をしないように呼びかけているところもあります。

そうした準備の一環と言うつもりでしょうか。JREの「間引き対応」が発表されています。
ダイヤ混乱を未然に防ぐという名目で、70%程度の運転に間引きです。湘南新宿ラインは午前中全面運休とさらに上手です。

しかし、他の鉄道会社、新幹線はそのような対応を取りません。上記の道路の対応ですら、「走れるようにする」という平常化に向けた「前向き」な対応なのに、ひとりJREだけが「後ろ向き」な対応です。

確かに「大雪」の予報ですが、それもたかだか10cm程度。パンタグラフへの雪の付着問題はありますが、この程度でその危険性を重視するレベルでは無いでしょう。
間引くことを考える前に、ポイントのカンテラを焚くとか、終夜運転をして凍結を防ぐとか、ホームや駅前に凍結防止剤を撒くとか、動かす前提の対応はどうなっているのか。

雪や風の予報で夜行列車をすぐ運休させる対応がここ数年の慣わしでしたが、通勤電車まで「走らせない」対応で済ませるとは思いませんでした。公共インフラは動かすことが「義務」といえるわけで、間引いても動くのだから、と「物分りのいい」対応を取るべき状況で無いことは、他私鉄の状況などを見れば自明のことといえます。

間引き対応をせざるを得ないにしても、それは降り出してからでも出来る話です。
出来るだけのことをする。インフラとして機能の維持を大前提にする。そういうスタンスが全く見えない今回の「早すぎる間引きの決定」には、「公共」の二文字を背負う矜持が見えません。


まさかの新京成ネタ 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 2月 4日(月)22時43分4秒 返信・引用
いまNHKで流れている「ファミリーヒストリー」、俳優の船越英一郎のルーツを探るという仕立てですが、父親で俳優の船越英二のエピソードとして、戦時中学徒出陣で陸軍の船舶幹部候補生(強襲揚陸部隊)に配属になった際、あまりの厳しさに脱走を考えたことが上部にバレたのですが、その際に上官が鉄拳制裁ではなく、「逃げたら悲しむ人がいる」と諭したそうです。

その諭した上官(映像では陸軍少尉)が90歳くらいで存命だったのですが、それが何と新京成の社長、会長を歴任した細川春雄氏だったとのこと。ご本人が出演しており、ナレーションが「新京成の会長だった」と読み上げています。

番組自体に新京成は何の関係もありませんが、新京成のトップを務めた方にに「名優」との縁があるとは意外でした。




アク特で羽田まで行ってみた 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 2月 4日(月)21時51分21秒 返信・引用
日曜日、久々にアク特に乗ってみました。
午前中の新鎌ヶ谷から羽田までの乗車ですが、まずは新鎌ヶ谷での緩急接続、新鎌ヶ谷からの乗車の大半が待ち合わせる普通からの乗車です。NT中央と印旛日本医大は普通に乗らないでしょうし、印西牧の原もNT中央で乗り換えるでしょうから、小室、白井、西白井の3駅からの乗客と考えられるわけで、小室の寂れっぷりを考えると、多くは白井市民でしょう。

そう考えると、車内の自動放送で「今日も京成電鉄をご利用頂きましてありがとうございます」というように、「京成電鉄成田空港線」の電車として運行しているのに、北総鉄道の総取りとなる「アク特通過駅発着」の乗車券で利用している人が多いというわけです。新鎌ヶ谷到着時には目が届く前2両は座席定員の6〜7割程度で、新鎌ヶ谷から立客が出ており、到着時と乗り込みは4:6から半々という感じ。アク特停車駅相互でも京成:北総1:2の按分であり、線路使用料の問題における「真実」が気になりますね。スカイライナーで京成有利といいながら、数が多い一般列車で相当北総有利ですから。

アク特の賑わいは押上でひとつの区切りという感じ。有意な段落ちが認められ、そこからは降車が勝り続け、泉岳寺の段階では相当空いています。品川で乗り込んできますが座席が埋まるまでには至らず、蒲田に停車していればそこそこ乗ってたでしょうに。
ただ、羽田に着くと既に停車中の南エア急を差し置いて先の折り返しになっており、この時間を捻出するための蒲田通過という感じがします。

アク特の案内で気になったのは停車駅案内の押上の案内。
「押上(スカイツリー前)」になったので、そう案内していますが、自動放送で聞くと押上の次に「スカイツリー」という駅があるように聞こえます。




ご指摘感謝 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 2月 4日(月)21時50分4秒 返信・引用
第三京成さん、ご指摘ありがとうございます。
確かに常磐線の推移を失念しておりました。大変失礼しました。「総武線」の数字だけを念頭にして書いていましたが、西船橋も常に津田沼のすぐ後ろに迫っていました。

なお、「見るかげもなく」という部分ですが、2001〜2008を除く津田沼ユーザーの体感としての話でもあります。
ピークから2割以上数字を落としていますし(新京成は1/3落ちてます)、間引きの話は快速線の始発の話ですが、それでも回ってしまう(これは市川あたりでも積み残していない)こと、西船橋の例の中間改札が成立しちゃっていること、東西線直通の混み具合を見ても、東葉開業前の様子と比較すれば、数字が落ちているという実感になります。

もちろん快速の場合はE217系になって収容力が増したことが大きいのですが、それを差し引いても3本に1本減らしても回る現実があります。ゆえに快速を西船橋に停められない、という見立てが崩れていると考えたのです。

快速線ホームの建設についての障壁がエキナカというのは仰せの通りです。ただ、何となれば再改造できるという話もありますし、快速線まで覆う形で橋上駅部分を整備しているのは「準備工事」ともいえます。もっとも、下から見るとそれっぽいものはありませんし、橋脚が階段等の設置を邪魔している感じですが。




Re: 習志野出張所 投稿者:takapee200 投稿日:2013年 2月 4日(月)00時45分46秒 返信・引用
> No.2610[元記事へ]

エル・アルコンさんへのお返事です。
八千代台駅始発の習志野出張所行は,京成バス:習志野出張所という表示になっています。
http://blogs.yahoo.co.jp/jreast_c57180/folder/1288304.html
津田沼駅始発の習志野出張所行は,済生会習志野病院経由の表示がされています。

http://blog.livedoor.jp/b1688/archives/3651637.html




Re: 西船橋の快速停車 投稿者:第三京成 投稿日:2013年 2月 3日(日)23時43分25秒 返信・引用
> No.2597[元記事へ]

エル・アルコンさんへのお返事です。

初めまして。
突然で申し訳ありませんが
エル・アルコンさんの認識が気になりましたので横から失礼します。

> 県内No.1、2の乗降客を誇る船橋、津田沼があり、快速線も緩行線もそこから大量の乗り込みがあるわけです。

他の考察でも同様の記述をされておりますが、津田沼の乗降客が県内№2とはいつのことを指しているのでしょうか?
東葉開通前の時点でも県内No.1は柏で、津田沼は№3ですよ。

ttp://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h05.html#11

> そして今は東葉線の影響で津田沼の乗降客が見る影もなく、ダイヤ乱れで津田沼始発を間引いても特段問題が無い状態です。
> そうなると快速停車の障害も無くなったばかりか、葛西地区重視で使えなくなっている東西線依存を軽減し、東京直通の総武快速に乗り換えられるというメリットが出てくる東葉線にとってもいい話であり、昔よりはハードルはかなり低いです。

見る影もなくとは言いすぎでは?
現在でも乗車人員が10万を超える大きな駅で、無視できない数字です。
ラッシュ時の混雑が緩和されたというには程遠い状況です。
また、東西線直通を間引いも問題が無いわけではなく、打ち切った場合は西船橋駅構内が大変混雑します。
あと、西船橋駅の場合、エキナカが快速線の真上にあるので、ホーム設置のハードルはむしろ上がったと考えています。



遠地地震/初富切り替え 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 2月 2日(土)23時41分13秒 返信・引用
揺れが来て、それが続くうちに少し強くなったので腰を浮かしたところで収まりました。
TVをつけると既に震度速報が出ており、北海道の地震がここまで届いたということです。
北海道内陸でのM6クラスは珍しいですし、深さ120kmというのも珍しく、ゆえに千数百km離れてもなおしっかりとした揺れになったのでしょう。

さて、初富の切り替えを明日に控え、現駅での上り電車の営業は間もなく終了します。
仮線に移行しますが、用地の関係なのか完全に3線分の幅があるところもあれば、鎌ヶ谷中の横のように上り線の線路と被るかのように接近している箇所もあります。

仮駅への地下通路の降り口のところ、小ぶりなロータリーがあったので駅舎が移転するのかと思っていましたが、今回はありませんでした。
仮線とはいえ、線路わきの民家はすれすれまで防音壁が迫っており、切り替え後の住環境は相当悪そうです。

ホームもご丁寧に島式ホームなのに上り線側にあったベンチや自販機が撤去(自販機は下り線側に移設)されており、ホーム上には線が引かれていることから封鎖するのでしょう。ただ、そうなると高架線の建設順序が気になりますね。下り線を現上り線に移設するのならわかるのですが。





西船橋駅今昔 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 2月 2日(土)22時33分1秒 返信・引用
西船橋駅の昔ですが、なかなか手ごわいですね。郷土資料室でも資料が見当たりません。
現在の緩行線、東西線ホーム時代しか知らないだけに、イメージも湧かないのです。

ただ1点だけ、ドンピシャという時期の写真を見つけました。
「JA西船橋45年の軌跡」、まさかのような資料ですが、もしやと思い手に取ると、やはりありました、地域の様子としての西船橋駅周辺の写真が。

1969年、東西線乗り入れ用の新駅(現駅)開業直前の写真で、今の快速線に当たる下り線をC57牽引の客レが通過しているシーンです。

自由通路からの写真ですが、上下線間にあり、今の緩行線の副本線への分岐付近まで伸びていた引上線が見えます。次のページには1958年の開業当時の跨線橋から見た駅の一部が写っていますが、そこにあるホームの幅と、完成直前(快速線として長年親しまれていた時代と同じ)の幅は明らかに違い、この段階では仮ホームが出来ていたのかもしれません。(SLが走る下り本線の枕木がコンクリで、貨物引上線の枕木が木というのも何かを物語っている気がします)

この段階で貨物駅を抱き込んだ快速線の原型が出来上がっているわけで、そこから1972年までの3年間を過ごしたようです。

なお、西船橋以西の高架化は例の県内ニュースの見出し資料によると、1970年7月に切り替わっているようです。西船橋の貨物駅が出来上がり、市川、下総中山の貨物扱いが移転したことで晴れて高架線を使えたのでしょう。
なお1971年か72年に高架線の市川駅で黄色い快速と緩行の緩急接続を経験している記憶がありますが、快速線の施設を暫定使用していたのでしょうか。

1958年の北口駅前の写真もありますが、驚いたのは橋上駅から降りてくる階段が今と同じなんですね。露天の大階段。今は上がると右手に屈曲して自由通路になっていますが、1958年当時の写真を見ると、当時は自由通路が真っすぐで、橋上駅舎が右手にあったように見えます。




新宿線ルート/船橋 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 2月 2日(土)21時57分36秒 返信・引用
江戸川区内の開発というのは魅力ですが、都心回帰よりも郊外へ、という時期にあたるわけで、地下水汲み上げ規制直前で地盤沈下の代名詞のようだったエリアで宅地開発が成立したかどうか。
あと、新宿線と浅草線の乗り換えが神保町並みに便利だったとしても、浅草線はやはり立地が微妙で、神保町乗り換え三田線は筋が良いとはいえ、遠回りですから、「都心部のルートが...」と言われていたでしょうね。

ネタを出し惜しむようで恐縮ですが、1970年頃には地下鉄11号線(今の半蔵門線)が船橋方面に伸びる計画もあったのを確認しており、千葉と東京を結ぶ路線の計画はまだまだ発掘されていない話が多そうです。

なお、京成のゴタゴタ?のうち、船橋のカーブは、地元との軋轢ではなく、街の中心だった九日市(本町付近)になんとか寄せるための苦労の跡です。あそこから海老川、大神宮を交わすとなると、あの無理やりのカーブになったわけです。

総武線を越えてからもっと中心に寄せても良かったのですが、遊郭もある賑やかだったエリアそこは用地取得に失敗したようですが、もともと総武線に併設する計画が、地元の要請で九日市を通ってほしいときて、こうなったのが真相です。このあたりは鉄道忌避伝説が言われながら、実際はこうだったという話でもあります。




習志野出張所 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 2月 2日(土)21時48分33秒 返信・引用
新しいバス系統が出来てから1ヶ月以上が経ちますが、この新しい行先のバス、表示は単純に「習志野出張所」だと新京成と紛らわしいと思ったのか、「三山車庫 習志野出張所」となっています。

経由も分かり無難ですが、ちょっと違和感を感じたのが、単純にこう並べたことで、三山車庫の出先が習志野に出来たというようにも見えます。

もちろん新都心営業所習志野出張所なんですが、ただの羅列が意味があるように見えるというのも罪作りです。








Re: 新宿線ルートでのアプローチ 投稿者:dai 投稿日:2013年 2月 2日(土)16時23分49秒 返信・引用
現状を基に考えると確かに微妙ですが、江戸川区内は京成電鉄自動車部の地盤だったわけですし、新線建設と沿線開発をセットにして乗り出すのはありだったのでは?と思います。兜町・八重洲・新橋へは浅草線乗り換え、大手町・丸の内・霞が関へは三田線乗り換えで、昔のビジネス街へのネットワーク性も悪くないと思うのですが。

京成がオリエンタルランド以外では沿線開発に絡めなかったのは、何か理由があるんですかね。鉄道だけ見ても、浅草乗り入れ失敗・船橋つの字カーブ・千葉駅強制移転・成田山乗り入れ拒否と、地元との関係がいまひとつな感があります。


Re:臨時シティライナー 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 2月 1日(金)22時47分13秒 返信・引用
東怪人さん、情報ありがとうございます。

成田山輸送に便利な側の状況が見えないだけに何とも言えませんが、お出かけ需要という意味では厳しい数字ですね。さすがに1月のシティライナーは乗っていたという話も聞きますが、大入りというには程遠いとも聞いており、シティライナーも完全退場が近いのかもしれません。

それにしても、2010年7月改正までは船橋利用者がそれなりにいたのに、見事に消えましたね。
利用目的を考えたときの時間帯の悪さ、宣伝不足、いろいろあるでしょうが、需要の創出ならぬ消失の典型例としていい教材になりそうです。



新宿線ルートでのアプローチ 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 2月 1日(金)22時37分15秒 返信・引用
京成の都心アクセスをどう評価するか。つまり、都営新宿線ルートをどう評価するかですが、江戸川区内の状況を考えたら、迂回気味とはいえ人口集積のある現行ルートを見捨てた第二ルートを建設するのはどうでしょうか。

もうひとつ言えば、「都心部」の評価も微妙であり、東京も上野も絡まずに新宿を目指すのはどうなのか。
淀橋浄水場跡に新宿副都心を建設するという都市計画が決定したのが1960年です。淀橋浄水場の閉鎖が1965年で、まさに「海のものとも山のものとも」という段階です。

秋葉原から新宿を通る総武緩行線のルートが「不便」ということで、1972年の総武快速線(新総武線)開業が歓迎された時代です。新宿志向を打ち出していたら、相当苦戦は免れないのでは。
それと、新宿線ルートの都心部も、靖国通り沿いと、新宿線が開通した今なおいまいちイケてない感がありますから。






川崎路線の評価 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 2月 1日(金)22時33分6秒 返信・引用
話を元に戻して恐縮ですが...(苦笑)

確かに1959年の改軌という一大イベントから間が無い時期ですが、一方でこの時期は「所得倍増計画」に代表される高度成長期にあたります。この時期に積極策を打たずしてどうするのか、というわけですし、京成(グループ)沿線を見ても、大規模な公団住宅の開発がスタートした時期ですから、今では信じられないような財務体質も合わせると、大風呂敷でも足りないくらいかもしれません。

湾岸地域の開発は千葉方式と呼ばれたやり方が有名ですが、公水面の埋め立て許可は県が事業主として取得し、埋め立て、造成とそれに伴う権利関係の整理はデベロッパーが行い、完了時に県から原価で譲渡を受けるというものです。
事業費の負担はデベロッパー持ちという説と、県と分担という説がありますが、要は「土地ころがし」のメリットが色濃く出ているスキームです。

これへの批判は昔から根強いですが、京成としてはもし京葉間の湾岸地域の開発を県と二人三脚で実施できていれば、東急の多摩田園都市と比肩する私鉄による沿線開発事例になったでしょう。
「夢の王国」が「千葉方式」の上に成り立っているように、ダーティであってもその成果が歴史の評価に耐えうるものであれば、それは成功例であり、「京成疑獄」のトラウマがあったとはいえ、もう少し上手に立ち回って湾岸開発に関与できていれば、と思います。そしてそれこそが京成の「イマイチ感」ターニングポイントだったと思います。

当時の川崎社長の「イケイケドンドン」が1970年代中盤から後半の「地獄の淵」を招いたというのが定説ですが、改めて考えると、単純に「イケイケドンドン」を全否定しては、高度成長期に乗り遅れて逆に退場を促される危険性もあったわけです。

結局は、湾岸地区など沿線の有望な開発に乗り遅れてしまい、その投資先を沿線外の北関東や東北に求めてしまい、土地勘の無いところでの不動産投資を中心とする事業投資で致命傷を負ったというのが現実でしょう。



臨時シティライナー 投稿者:東怪人 投稿日:2013年 2月 1日(金)18時34分9秒 返信・引用
こんばんは

1月の土休日ダイヤ施行日に臨時「シティライナー」が1往復増発されましたが、運転最終日である
1月27日に上り「シティライナー82号」に乗る機会がありました。
ダイヤ改正前の「シティライナー80号」に約20分先行する設定ですね。

例によって乗客は数えられるレベルでしたが、実数を数え忘れました(レポート失格)。
見た感じだと船橋通しが10人ほど、船橋下車が6人ほど、船橋乗車が6人ほどでした。
前回7月に「シティライナー80号」に乗った時より少し少ないという程度ですが、
相変わらず、一個列車として成立する乗客数ではありませんね。

それでも11月に乗った「シティライナー81号」よりは利用者数が多いわけで、
成田山輸送よりも成田から都心へ向かう需要のほうがつかめるというのが実情のようです。
なお、青砥で降りて向かいの押上線に乗り換えたのが2名ほど。

京成湾岸新線で掲示板が盛り上がっていたためにちょっと投稿を躊躇していたので、
ネタの鮮度が落ちてしまいました。(苦笑)



川崎社長 投稿者:dai 投稿日:2013年 2月 1日(金)08時05分39秒 返信・引用
さすが東京ディズニーランドの礎を築いた経営者という感じですよね。大映の永田ラッパと相通じるものがあります。

>改軌
他に近鉄名古屋線ぐらいしか例がない大事業ですよね。

ただ京急と規格を合わせることが、京成本線にとってメリットがあったのか。前に書き込んだように船橋以東でへの字ルートを許容して、総武線に対する競争力を下げたとも解釈できます。

改軌は押上線のみに留めておいて、新京成なり北総が延びてくるのを待つ。本線は馬車軌のまま、浜町延長に意欲を示していた京王と連携する。これが最良のシナリオだったような気がします。



埋もれてしまったのは 投稿者:リリカルゆかりん 投稿日:2013年 2月 1日(金)00時09分1秒 返信・引用
実現していればという夢はある計画ですが、翻ってみれば当時の京成は浅草線乗り入れ対応のための全線改軌という大事業(これはもっと評価されてもよいと思うのですが)を果たしたばかりであり、これほどの大風呂敷が実現できる体力があったかは疑問です。『これからの京成』の内容にしても、それが社内で本気で検討されていたのか、あるいは社長の私情だったのかを考えると、付随した具体的な動きの形跡が見られない以上後者のように思えます。

それでも、国策に反してでも空港乗り入れを申し出、青砥-高砂の複々線化を計画しこの2つは後の暗黒時代に入っても白紙撤回と言う選択は回避して実現させたというのが、現実に即した最良に近い選択であったようにも思えます。

尤も馬車軌のままであれば、後年に新宿線とドッキングするという選択肢が取られたと考えられこちらの方が良かったのか?とも思えますが。



習志野原の交通局へ戻る

掲示板過去ログページに戻る

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください