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習志野原の掲示板 過去ログ 2013年3月


「森のシティ」塗装バスの使い道 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 3月31日(日)17時18分8秒 返信・引用 編集済
「森のシティ」と名称が決まった旧旭硝子工場のみらSATOですが、大規模開発とインフラ整備の不均衡が目立ちます。
まず道路事情。印内習志野台線(市場通り)が主要な動線になりますが、行田団地への都市計画道路に出ると南下して船橋中央病院のところのR14との交差点、北上して木下街道との交差点とも渋滞の巣ですし、なによりも船橋駅方面が夏見バイパスと建鉄方面からの道路の合流に、さらに印内習志野台線(市場通り)に合流して天沼へというトーナメント方式ですから大変です。
森のシティ起点の流動に加え、イオンモールを目的地とする流動が重なるので、両方向渋滞という始末に終えない状況が懸念されます。

その「森のシティ」につき、建鉄循環の船35も「森のシティ経由」と表示されるようになったのですが、大仏の車庫に森のシティ専用塗装のバスが配属になっています。
前中扉の路線車なのに貸切カラーで現れ、専用塗装に衣替えした車両は4台確認していますが、新船橋駅駅近で船35もあるのにわざわざ新車に衣替えなのか、いろいろ憶測を呼んでいます。

その使い道がどうやら判明しました。
森のシティの開発は道路インフラだけでなくあらゆる公共インフラが追い付いていないようで、特に小学校がないのです。本来の学区である海神や夏見には空きがなく、何と遠く離れた市場小に通うようです。
今回の新車はどうもそのスクールバスになるようで、それに対応した試運転を確認しました。

森のシティ塗装の新車が現地を走り回っており、新船橋駅を正面に見る1街区と2街区の間の道から、船35がかつて走っていたルートで夏見バイパスとの交差点に出て、夏見バイパスに戻り、イオンタウンのところで森のシティに戻る巡回コースを走った後、船35の旧ルートに沿って市場通りに出て、天沼を直進したのです。

そして市場の手前というか富士見橋の手前で右折し、市場小の裏手にでました。
ここは北口駐車場へのクルマが誘導される通りですが、マイクロ以外の大貨、バスの通行禁止ですから、特認があって、おいおい「路線バス・特定バスは除く」となるのでしょう。
市場小の正面は大神宮下に抜ける通りですが、ここへ入るとバスが帰れなくなるし、降車扱いで道路を塞ぐのも厳しいので、裏手からちょっと歩くようです。

バスは駐車場へのルートと同じく右折して北口駅前通りに向かい、そこから右折して天沼に戻りましたが、スクール運用だけならこのルートでしょう。

ただ、天沼(船橋駅北口交差点)手前と市場通りは渋滞が厳しく、市場小裏手に右折するところも右折レーンがないので、果たして4台口の通学輸送がうまくいくかどうか。想定される小学生は市議会の質疑などを見ると300人規模とされており、詰め込んで渋滞では厳しいです。





アドレスの件など 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 3月31日(日)01時39分45秒 返信・引用
北千住一丁目踏切跨線橋さんからご指摘のありましたメールアドレスの件ですが、掲示板の仕様変更で記入欄が消えておりますので、タイトル周りに書いておりました注記を削除しました。対応が遅れてしまいご迷惑をおかけしました。

さて、「新車」の件ですが、この部分は北総、公団とも「甘さ」はあったでしょうね。
特に北総は1979年の開業当初の7000系投入時、1編成しか事実上使っていなかったのに(朝のみ2編成使っていた)3編成も揃えたわけで、その後の苦戦が読めなかった時期とはいえ、無駄は否めません。

公団も同様で、2000系(のちの9000系)に9100系と、特に後者は「金をかけた」感がありありとした編成であり、身の丈という意味では疑問でもあります。

もちろん新しい鉄道、ニュータウンの顔、という意味で考えれば、新車で人目を引くアコモというのも一種の戦略としては有効ですから一概に否定はできません。

7000系の後という意味では、新京成800系、京成3150系とリース車が続き、7300系は京成3700系の「色違い」ですし、7500系も京成3000系と同設計です。
北総系統が京急乗り入れになったことから、先頭M車の条件がクリアできない3600系を投入できず、3500系は京成本体の戦力(京急乗り入れ対応&4連の供給源)ということで、京成側にリースのタネ車が手薄になったことも、中途半端なリース導入になっていると思います。





Re: 9200系に見る京成の「支援」 投稿者:北千住一丁目踏切跨線橋 投稿日:2013年 3月31日(日)01時01分19秒 返信・引用
> No.2700[元記事へ]

いつも楽しく拝見させていただいております。

> 当然今回の9200系投入にしても、北総の所有だったら減価償却費が重くのしかかり、
> 償却済みかもしれないような7260系はともかく、7300系は設備負担の軽減と言う京成の支援と言えます。
> というか、そもそも北総の財務体質で新車を買うような資金調達が出来ないわけです。

この部分が気になります。
このたび芝山鉄道の車両が変更になり、今の3600形8連が3500形4連になるという内容が
芝山鉄道のHPにあります。3500形は更新車ですが、今回も中古車両ですね。
また、東葉高速も今の車両になる前は、営団5000系の中古車両を使用していました。
そう考えると、北総も中古車両で揃える考えはなかったのでしょうか、と思いました。
7000形や9000形の置き換えを、償却済みかもしれないような7260形のリース編成数を
複数にすることで賄ってしまうと、減価償却費や設備負担の軽減にはなるかと。
ただ、3300形自体元々全部で54両なので、8連では6編成が限度ですが。
ただし、7000形を7500形に置き換える時に、7500形投入か7260形のリース増か比較検討した
かもしれない結果なのでしょうし、今からでは3300形の淘汰が進んだので間に合わない話です。
北総車を7260形で揃えてしまうと、性能上困難な運用があるのかもしれませんね。

(メールアドレスの記入箇所がわからなく、申し訳ありません。)



青砥駅の張り紙 投稿者:東怪人 投稿日:2013年 3月30日(土)20時46分40秒 返信・引用
こんばんは。

今日私用で青砥駅を使用したのですが、上りホームの下り階段付近に張り紙がありました。
見ると「←①押上駅(スカイツリー前)は全ての列車が停車」と書いてあり、スカイツリーへの
観光客対策なのかな、と思ったらその下に
「立石・四ツ木・八広・曳舟は普通列車のみ停車」という張り紙が。

どのような利用者を想定した張り紙なのでしょうか…。



冷静なコメントに感謝します 投稿者:凡人 投稿日:2013年 3月30日(土)18時28分31秒 返信・引用
北総鉄道に関する裁判についての、
掲示板上での冷静なコメント、よく理解できました。
ありがとうございました。



「やれば出来る」対応が続く 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 3月30日(土)12時05分32秒 返信・引用
先月から「神対応」になっているJREの異常時対応ですが、今週も「違い」が見えました。

金曜は朝食をマターリと摂っていた時に流れた「横須賀線は信号装置点検で逗子−久里浜間運転見合わせ」で、総武快速も混乱か、と覚悟したんですが、至って平穏。9時前の品川で横須賀線上りに10分前後の遅れは出ていましたが、その程度です。
事象発生後の横須賀線上りが総武線内に来るのは8時台なので、まだ影響していなかっただけかもしれませんが、下手に東京分断をすることもなく、自然体で流して対応してくれました。

木曜も7時過ぎに何かトラブルがあって上り快速と緩行線に遅れが出ていましたが、津田沼での対応に見るべきものが。
おそらく時間的に影響を受けた610Fが遅れて、折り返しの711Fが遅れたのでしょう、津田沼で6分遅れの見込みと放送が流れた後、2番線発車に変更と案内されました。

実はこの時間、上り始発は765F→864Fの折り返しを2番線で行った後、667F→866Fの折り返しが1番線になり、677F→876Fの折り返しが2番線となります。これは866Fが8時20分発で677Fが同着なので2番線のホーム繰りが厳しく、677Fを866F出発後の到着にするには、677Fを追い上げる2011Mに当たりが出る、866Fは2730Fの通過後発車と頭を押さえられていて繰り上げが難しいという事情でしょう。この時間帯の1番線発車は昔から続いています。

そこで遅れの711Fを待って667Fを出すと、津田沼1番線折り返しというタイトな状況で866Fの発車が遅れ、2011Mの通過に支障するので、おそらく667Fと711Fを入れ替え、711Fは667Fと677Fの間を走り、空いている2番線を使って通り抜けたのでしょう。

始発待ちの行列に影響は無く、ダイヤもそんなに痛まない小技が効いた対応であり、まさに「やれば出来る」でした。




言えない本音を利用する? 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 3月29日(金)22時24分6秒 返信・引用
前に白井、印西両市の出資比率が低いため、北総が値下げを強いられても、その原資を出資者として被ることが少ない、という「特殊事情」について指摘しました。
第三セクター鉄道の多くは自治体出資が大半であり、値下げを要求して通っても、結局経営側が自治体だと税金で値下げしてその分は増税と言う「付け替え」になるのですが、北総の場合は京成が過半数の株式を持つ京成の連結子会社のため、自治体の被る割合が低いですし、とりわけこの両市は出資比率が特に低いのです。

「回り回って」の部分が断絶しているからこその要求や、共同歩調からの離脱要求ですが、こうした「特殊事情」の存在を「上手く使って」いるのは他にも見えます。

北総の値下げ原資を京成の負担にしようとする動きがそれであり、例の「線路使用料」の話のように、京成が北総から搾取している、というストーリーがその疑いが強いのです。
実際にはアク特に関する収入や、CNT鉄道を経由した負担の平準化のように、よく見ると北総に対する「支援」がそこかしこにあるわけです。

一方で北総は100%子会社じゃないので、連結納税制度に基づくグループ間での贈与等に関する損金・益金不算入がありませんから、そういった規制をかいくぐる必要がありますし、上場企業である「京成電鉄」の株主に対する配当は、「京成電鉄」単体の利益が源泉になりますから、北総への「支援」をあからさまにすると、県などのグループ外出資者に対する少数持分利益としての流出により(北総が無配だからそもそも北総に渡った時点で減少確定ですが)、配当原資が減少している、というわけで、下手をしたら株主代表訴訟の対象になります。

ですから京成は出来るだけ北総への「支援」をあからさまにしたくない、わかりづらい状態にするしかない、という事情があるわけで、「線路使用料」の「真相」は、値下げを要求する勢力の言い分と真逆の理由で明らかに出来ないといえます。

そしてその事情がうすうす(?)判っているから、反論できないのをいいことに「京成の不公平」を主張して、値下げ圧力をかけているといったら言いすぎでしょうか。




メンバーたちにはそういった視点が欠如している 投稿者:NT市民 投稿日:2013年 3月28日(木)17時14分51秒 返信・引用
> No.2700[元記事へ]

>この問題に「ご執心」の朝日は、・・・・

以前は「毎日」の某記者が、この手の話題を書くのがお家芸でしたが、今回はどうしたことか、静かです。(苦笑)


さて、エル・アルコンさんの書かれた「経営のキモ」であるお金の流れ、いわゆるキャッシュフローの面でのオモテに現れない京成の支援について、メンバー達には考えが及ばないというかそういった視点が欠如しているのですよね。

私自身も日頃、北総線のユーザーですし、あの10万人署名のころは期待感も高まっていました。
例の地域誌での特集記事は参考になりましたが、内容を掘り下げれば掘り下げるほどボロがでるというか、「わかっていないんだな」感が強くなっていきました。
以前にはそのサイトの掲示板では議論もありましたが、やはり企業財務やキャッシュフローといった「現実」を知らない人の無責任な投稿が続き、いつのまにか閉鎖しましたし、「裁判の会」での掲示板でも、同様でした。

今回は19歳予備校生を前面に出しての「同情狙い」なのかもしれませんが、新京成とあわせて、しかも6か月定期での金額で、定期代○○円とは、いかにもな印象操作です。

私は、そもそもJRや大手私鉄と比べるのが間違っていると思います。
運賃収入や利用人数が一桁二桁違っていますし、債務の状況、売上(収入)に対する返済金額など、同じ土俵では比べられない経営規模です。
複線、電化、運行本数といった表面的な数字だけで「大手私鉄」と同等とするには無理があります。(一方、中小私鉄に区分されている他のローカル私鉄とも違うのは明らかです)





9200系に見る京成の「支援」 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 3月27日(水)23時33分7秒 返信・引用
北総鉄道の季刊誌「ほくそう」の春号は何時に無く鉄分過多で、9200系の甲種輸送と印西への送り込みのレポートが掲載されています。豊川から逗子への輸送と、逗子から印西への回送の状況がたっぷりで、あまりこうした情報をオープンにしない会社も多い中、詳細に書かれています。

この9200系を京成(新)3050系の発展系と説明していましたが、LCDモニターは確かに3050系からの装備ですが、性能面などでは7500系と同一であり、LCDモニター設置と言うことでは、京成(新)3000系の最新編成にもあるわけで、京成グループ標準車と定義したほうが正確です。

さて7500系の増備車ではなく新しい形式を起こしたのは、ご存知の通り千葉ニュータウン鉄道の車両だからです。
公団鉄道を引き継いだ同社は車両も所有しており、最古参の9000系(旧2000系)の置き換えとして導入されたのです。

この新車導入を見ても、北総鉄道と千葉ニュータウン鉄道(CNT鉄道)の関係が、必ずしも北総を搾取しているのではない、と言うことが分かるのです。

北総鉄道は小室−印旛日本医大間の線路使用料と、CNT鉄道の車両使用料を負担していますが、それはすなわち小室−印旛日本医大間の施設と車両に関する設備投資をしていないことになります。
減価償却費の償却方法にもよりますが、基本的に設備投資を行えば原価償却費を定率法か定額法で費用に計上し、設備投資のお金を一括即金で払うことは出来ませんから、キャッシュの支払いも発生します。

自腹で負担する場合、収入がどうなろうと支払わなければいけない金額は決まっていますから、最悪の場合キャッシュがショートします。ところがCNT鉄道のスキームではその使用料を収入比例で支払いますから、キャッシュショートにならず、必ず資金が残る格好になります。公団鉄道の移管当初はそのスキームでかなり助かっているはずであり、足下の利用者増で使用量が増大して「おかしい」と言う批判は、負担の平準化も理解していないといえます。

当然今回の9200系投入にしても、北総の所有だったら減価償却費が重くのしかかり、利益が大幅に減りますし、キャッシュの支払いも増加することで、キャッシュショートの危険性が高い財務体質が危機的状況になります。

北総が7260系や7300系の一部を京成からリースを受けているのも、こうした財務面での弱さをカバーするためと言うことは容易に分かるわけで、償却済みかもしれないような7260系はともかく、7300系は設備負担の軽減と言う京成の支援と言えます。

というか、そもそも北総の財務体質で新車を買うような資金調達が出来ないわけです。南海貴志川線を引き継いだ和歌山電鉄が、「新車が買える会社にする」と言ったように、当たり前のように見える新車導入は実は簡単ではないのです。
それをCNT鉄道が購入し、北総が使用すると言うスキームは、CNT鉄道(=京成)が北総に対して与信を出している、事実上の親子ローンであり、調達力の無い北総にとっては有効な支援です。

さらに言えば京成はこうした「迂回融資」での支援をしているわけで、京成の信用力に、税務上贈与と看做されない利鞘を乗せても北総が出来るであろう資金調達よりも安いわけです。北総が単独で資金調達は出来ないでしょうし、出来たとしても京成の保証が必要でしょうから、その時点で支援となりますし。

こうした融資の中には、京成が政策銀から借りた資金を転貸しているものもあるわけですが、そもそも事業資金のためにある制度金融を、転貸することが制度上可能なのか疑問ですが、まあ北総救済のために「そういう制度」が出来たのでしょう。
このあたりも京成が国を巻き込んで北総を救済しているわけです。

北総の財務体質で何でもできると思っている人は、京成から経営権を取り上げて、とか、自分でやれば、と非現実的な話をしていますが、現実は非常に厳しいのです。
資金調達がどれだけしんどいか。CNT鉄道の引き継ぎだって京成が資金をかき集めたから出来た話です。

資金が枯渇したら経営が破綻する。そんな単純な話も分からないのでしょうね。井笠鉄道が破綻して、定期券が紙くずになったのは記憶に新しいですが、救世主として迎えられた両備は定期券の債務を引き継ぎませんでした。
京成を悪者にするのもいいですが、京成の支援が無ければ井笠鉄道の二の前、いや、先例になっていたかもしてないということは、認識すべきでしょう。




原告適格は意味があったが 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 3月27日(水)23時31分39秒 返信・引用
北総線の運賃訴訟は請求棄却で終わりましたが、この問題に「ご執心」の朝日は、原告適格性が認められた、さあこれからだ、という「前向き」な記事に仕立てています。

運賃認可で利用者に原告適格を認めるかについては、確かに今回の判決は意味があるわけで、会社が申請し、形作りの審議会を通して監督官庁が認可、という「意見も聞いてみました、テヘッ」というアリバイ作戦ですべてが通らない余地を残したことは大きく、そこは素直に評価しましょう。(ここは見落としがちですが、北総以外の鉄道でもいろいろな形で起こりうるのです)

しかしその先が「拙い」わけで、内容の判断に至らないで棄却されたのと違い、「内容に問題なし」と言う判断付きの棄却です。
心情的には確かに「高い」運賃であり、それが止むを得ないものかそうでないものかの限界事例で「問題なし」の判決を引き出してしまったことで、国の運賃認可について争う場合の要件につき、最初からかなりハードルが上がった格好になりました。

もちろん感情的な訴訟、濫訴を避けるという意味では厳しい先例の存在は大きいですが、利用者にとってのハードルを上げてしまったことは、原告適格を認めてもらう代償としては大きすぎるでしょう。




司法判断は「厳しい」ものに 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 3月27日(水)00時01分15秒 返信・引用
北総線の運賃を巡る訴訟は原告敗訴の判決が出ました。
運賃設定については問題が無く、線路使用料の妥当性については原告としての適格性がないとしました。前者は全面敗訴であり、後者は京成と北総の間の私的自治の範疇であり、当事者間で合意している内容を第三者がとやかく言えない、と言う原則の再確認です。

司法が暴走する中で懸念された判決ですが、まあ妥当といえましょう。しかも運賃設定については問題ないという判断を出したわけで、「隣の芝生」を理由にしても無理、ということと、逆に原価計算の正当性にお墨付きが出た格好になったわけで、原告にとっては厳しい結果と言うか、不利な方向で司法判断を付けてしまったことになります。



Re: 司法判断への懸念 投稿者:NT市民 投稿日:2013年 3月26日(火)17時10分2秒 返信・引用
> 次いで26日には北総線の運賃が高過ぎると上限運賃の認可取り消しを求める訴訟の判決が東京地裁でありますが、昨今の司法の「世間知らず」の度合いを見ると、住民側の意見が次々通る「無理が通って道理引っ込む」の判決が続く悪寒がします。

東京地裁判決
『運賃設定に問題なし。』
『京成電鉄(スカイアクセス)が北総線の一部区間を使用している条件の認可取り消しも求めていたが、判決は、この訴えについては住民らに訴訟を起こす資格がないとして却下した。』

さすがに司法もそこまで非常識ではなかったようで、ほっとしました。
メタボだのなんだの揶揄して、会長はくっだらない本まで出して、なんとか高運賃をアピールしようとしているが、そのことと我が国の資本主義社会と会社法などの法律に基づいた企業活動の原則や基本とは、大きくかけ離れているうえ、この裁判の原告側の訴えの内容も、高運賃の違法性を言っているのかとおもいきや、そうでないし。。。

高運賃は誰もが(私も)認めているのだから、それをできるだけ緩和させるような、マトモな方策を考えるべきなのに、専決問題もそうですが、アフォな議員が多すぎです。




行商専用車の廃止 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 3月26日(火)00時27分37秒 返信・引用 編集済
「京成らしさ」をある意味象徴する存在だった「行商専用車」が、遂にこの3月29日の運転をもって姿を消します。

京成津田沼駅の時刻表に張られた「お知らせ」によると、

「いつも京成電鉄をご利用いただきましてありがとうございます。
平日の当駅 8時46分発 普通上野行列車の行商専用車両(最後部車両)は、平成25年4月1日(月)より、一般のお客様へ開放いたしますのでご利用ください。
駅長」

とあり、これまでもあった年末年始などの臨時開放と違い、恒常的な開放、つまり廃止となるようです。

行商人は4月から乗るな、ということではないでしょうから、今後は混乗でしょうし、ならば八千代台以東の各駅にある行商人用のホーム荷物台も残るでしょうが、開始時期も定かでない(おそらく戦後すぐでは)伝統の行商列車がこれで名実ともに幕を閉じます。





東京シャトルの絶好調ぶり 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 3月23日(土)15時00分34秒 返信・引用
当初はどうなる?と思っていた京成の「東京シャトル」ですが、まさかのヒット商品となりました。
まあ実入り的にはデビュー割の800円からいつ本則の2000円になるかと思っていたところ、粋割なる900円んと空港発の1000円体制から、遂に今回本則が900円と、3000円のリムジン、1000円のBTグループともども置き去りにした最安値を確立しました。(深夜便4便のみ無予約は1000円)

特に深夜便の大ヒットには驚きで、成田開門を途中休憩で待つというまさかの、しかしベタな手法には客が付くか懸念さえしていましたが、一番の人気商品となり、早朝便の増強にリムジンも追随、グループ内の成空交の深夜急行による空港輸送兼務と拡大し、そして今回改正では深夜便が増発され、東京駅3番線1時半、4時、5時に次いで2時発が加わり、ほぼ終日運行になった関空リムジンの向こうを張っています。(1時半は2台口になったという話もある)

東京発60分ヘッド、成田発20分ヘッドというアンバランスな体制が気になりますが、予約対応となる東京発は続行便対応でしょう。往路は狙い乗車で集客し、復路は到着後待たせるとNEXやリムジンに流れるでしょうから、待たずに乗れる体制をアピールです。

BT系の「アクセス成田」との関係も気になりますが、こうなると潜在需要の掘り起こしで、取り合い、奪い合いでなく「捌く」という段階かもしれません。
またBT系はマイタウンライナーで顕著ですが、数寄屋橋を拠点にする強みがあるわけで、夕方以降の空港周辺ホテル行きと同様、ピンポイント的な需要をしっかりつかんでいるのでは。

あとは成田発深夜便の増強でしょうか。成田の門限が延長され、LCCの到着に対する制約が軽減されることで、早朝発同様夜半以降着も増えそうです。
東京駅発1時半はまだしも、4時に加え2時と、二次交通機関がない時間帯の需要が見込まれるということは、裏返しとなる深夜時間帯の到着も十分勝算がありますから、成田0時頃までの出発が出来そうです。

余談ですが、羽田や成田のリムジンは原則地上ポーターなしでも捌いているのが強いですね。それも柔軟な増発につながっているのかも。
津田沼リムジンなんか、満席便でも運転手が津田沼での乗降で、2タミ、1タミ、国際線と3ヶ所のトランクに仕分けて積んだり、到着時に降ろしたりしていますから。羽田で数人でやっていることを運転手1人でやっています。




損害賠償請求権放棄について 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 3月23日(土)13時51分37秒 返信・引用 編集済
【ご指摘の通り白井市議会は支出賛成派が多数になっています。判決を受けても今後の支出に影響はありません。前回の投稿の一部につき訂正しています】

議会による請求権放棄議決や条例の制定は、住民訴訟の効力を骨抜きにするわけですが、一種の直接民主制である住民訴訟の制度は、本線である間接民主制を侵せないという制度相互の調整という意味では妥当なのかもしれませんが、すっきりしないです。

神戸市の公金支出に関する2012年4月20日の最高裁判決によれば、「当該請求権の発生原因である公金の支出等の財務会計行為等の性質、内容、原因、経緯及び影響(その違法事由の性格や当該支出等を受けた者の帰責性等を含む。)、当該議決の趣旨及び経緯、当該請求権の放棄又は行使の影響、住民訴訟の係属の有無及び経緯、事後の状況その他の諸般の事情を総合考慮して、これを放棄することが普通地方公共団体の民主的かつ実効的な行政運営の確保を旨とする地方自治法の趣旨等に照らして不合理であってその裁量権の範囲の逸脱又はその濫用に当たると認められるときは、その議決は違法となり、当該放棄は無効となる。」と判示しています。

白井市のケースでは、補助金支出について上記の要素を充足しないため(補助金の支出自体が法令違反なもの、補助金の受益者が不当利得になるといった要件を満たさない)、議会が議決すれば通るでしょうが。

ちなみに株主代表訴訟においては、株主が選出した取締役が取締役会で請求権放棄の決議をしても強制的に会社が請求する(取締役会の意思決定)になる仕立てですから、住民訴訟においては、取締役会に相当する議会の権限が強すぎますね。

住民訴訟は濫訴を防ぐために入口は厳格にする代わりに、その判決を骨抜きにすることがないように改正すべきだとは思います。



Re: 司法判断への懸念 投稿者:しょーた 投稿日:2013年 3月23日(土)12時56分58秒 返信・引用
> No.2692[元記事へ]

北総線の運賃問題をめぐるさまざまな団体は、実質的な活動メンバーはほとんど同じで、名前だけいくつも使い分けており、昨今は、一個人や地区の町内会にまで、質問状と称する高圧的な態度がエスカレートしています。
一方、歴史のある地域紙は、その発行人が某団体の会長を務め、同一人であるにも関わらず、まるで多重人格者であるがごとくの論調が、地域の一般住民や企業からも敬遠されつつあります。

そんななかでの判決ですが、昨日の専決処分については、自治体補助を通すがために、当時の市長が画策して謀った、明らかに事務手続き上(議会運営上)の暴挙ですから、これはやむをえない判決でしょう。
ただ、市が元市長個人に支出金額を請求しなさいよという判決ですが、以前どこかの市では、このような個人への請求は、議会が請求しないという決議をして実質的な効力をなくすことがありましたが、どうなのでしょうか。(今は補助金支出賛成派が多数です)


もう一つの方は、新聞記事の内容と裁判上の争点がズレており、昨日も数時間で巨大掲示板では1000を超える投稿がありましたが、あの記事を見た人は単に金額の高い低いだけでの議論に終始していますから(一般人だとその程度でしょうね)、別モノという感じですね。






司法判断への懸念 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 3月23日(土)11時58分48秒 返信・引用 編集済
いわゆる北総の「高額運賃」を巡る裁判の判決が週末を挟んで相次ぎます。
まずは2010年の北総線普通運賃5%、通学定期25%の値下げを巡る自治体補助につき、市議会の反対決議に反して専決処分で支出した白井市長に対する住民訴訟の判決が22日に千葉地裁であり、市長の行為は専決処分として認められる要件を欠くとして住民側全面勝訴の判決が出ました。

次いで26日には北総線の運賃が高過ぎると上限運賃の認可取り消しを求める訴訟の判決が東京地裁でありますが、昨今の司法の「世間知らず」の度合いを見ると、住民側の意見が次々通る「無理が通って道理引っ込む」の判決が続く悪寒がします。

専決処分判決については、確かに純司法的な視点で見れば「違法」なんでしょうが、ではそこで白井市の反対で値下げがご破算になった際の影響はどう評価するのか。司法だけの視点であればそれがどうしたということでしょうが、白井市の「反乱」で値下げが出来なかったという損失を白井市がどう負担するのか。自分達が負担せずに値下げだけよろしく、というスタンスで共同歩調を乱すことが許されるのかどうか。

市議会の決議に合理性がなければ印西、船橋などの各市に対し、「ただ乗り」分の賠償請求をされてもおかしくありませんし、最悪は値下げの中止、もしくはかつての補助金時代のように住民確認を行い、白井市民でないことを条件に割り引く、という対応でないと、きちんと負担している市と納税者が馬鹿を見ます。

【現在の白井市議会は支出賛成派が多数で、支出する予算も可決しているので、白井だけ払わないという問題は起こりません。お詫びして訂正します。】

いやいや、北総の運賃が高いのが悪い、というのでしょうが、高額訴訟もそうですが、自分達が乗っている路線の「原価」を無視して、他社と比較して高い、というある意味身勝手な論理はどうなのか。

線路使用料の問題ばかりクローズアップしますが、経営の危機とも言える時代に京成が支えてきた有形無形の支出は完全無視です。公団鉄道からの引き継ぎでも、固定費や金利負担といった固定部分を無視して、収入比例で線路使用料を設定しており、北総が破綻しないように京成が損を被った制度設計になっているのも無視です。

朝日が「学生の訴え」として情に訴えていますが、ならば苦しい時に支援しないで、ようやく花咲いて実が成ってきたら、「ワシらにも寄越せ」とずかずかと上がり込むようなやり方はどうなのか。井戸を掘る人への感謝、という話がありますが、それを無視して水が飲めて当然、というような対応ですし、自治体やその議会は、安定期に入った今になって出資して京成から経営権を奪おうとするのですから、井戸を掘らせて水が出たら奪うような思考回路とも言えますし、実際に公言しているから始末に負えません。

かつて値下げを要求しに行った住民団体が、「金を出していないくせに」と会社側にたしなめられたエピソードがあるように、沿線自治体は北総鉄道への出資はわずかですし、公団鉄道の引き継ぎにも金を出していません。東葉高速やつくばエクスプレスなど、全国の都市型三セクの中でも異常とも言える自治体の「関与」であり、にもかかわらず要求だけは人並み以上なのです。

スカイライナーの線路使用料が、という反面、アクセス特急に「ただ乗り」していることについてはだんまりというのもどうでしょうか。アク特通過駅発着の乗車券類は北総総取りですが、アク特の運行経費は京成持ちです。昨秋の改正で基本新鎌ヶ谷での緩急接続になり、白井市が一番メリットを受けているのです。

停車駅相互も本数按分(北総2、京成1)であり、実乗と乖離しています。(比率的には逆では)
ですから北総の手取りがかなり減ってもおかしくない中、実際には1割程度の減収になっているのは、相当手厚い北総への所得移転が行われているのですが、それも無視です。

厳しい表現でお目汚しとなり恐縮ですが、原価や建設費負担、資金調達といった金回りのことを全く理解しないで、JRと比較して高いと主張するような論理は受け入れられません。
今回もし住民勝訴になったら、事業の経緯を無視して「高いのはおかしい」という主張が通る悪しき先例になるわけで、税金どっぷり投入でもない限り、鉄道の整備など出来なくなりますし、東葉高速やもっと高額な地方ローカル鉄道とかでもどんどん訴訟を起こして値下げに持ち込もう、という事態になります。
そうなったら経済原則を無視した価格統制であり、「蕎麦は2文下げるべし」と強制した江戸時代のような体制になり下がります。

今回のケースで思うのは、自治体の出資比率が低いため、無理難題を持ち込んでも回りまわって税金負担とならないため、安心して要求できるという構図です。東葉なんかは値下げを受け入れたら結局は自治体が被りますが、北総の場合は特に白井、印西両市の出資比率の低さ(白井0.08%、印西0.02%)を思うと、言ったもん勝ちの状態です。

朝日新聞が「学生の訴え」と情に訴えていますが、厳しいことを言えば、経済活動もせず、納税者でもない学生であるが故の「世間知らず」でしょう。
鉄道は天から降って湧いて出来るものではありません。建設にも運営にもお金が必要です。北総の場合はそのコストがかかり過ぎたのです。設備が過剰と言いますが、ならばその恩恵の最たるものであるアクセス特急も我慢してください。金は出さずにメリットだけ、という部分が目立つから、どうしても彼らの主張を支持できないのです。同様に北総に出資し、東葉への出資者でもある千葉県や船橋市の納税者として。




前原駅 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 3月21日(木)22時39分56秒 返信・引用
津田沼のヨーカドーで開催されている今昔写真展のパネルは、創成期から1970年代にかけての駅の写真が現在の写真と合わせて掲載されているのですが、創成期はともかく、昭和時代末期まで、ターミナルや一部の駅を除けばホーム上の屋根は限定的でした。
もちろん今でも全通で屋根がある駅は少ないですが、屋根付きエリアのほうが広くなっており、当時は1両から2両分だけの屋根が当たり前だっただけに、格段の進歩です。

そうした中で例外的に露天エリアが広かった前原ですが、津田沼方への延長・設置工事が進行しています。
前原では改札の関係で後ろ詰めに停車していますが、6連化の進行で後ろから2両目が新津田沼の階段横となるため、編成後部への集中が著しく、前寄りの階段前に回ってもらうにしても、露天部分なので雨や夏の日差しが厳しい時期は回ってもらえません。

それを解消する効果も期待できる屋根の設置ですが、着工した段階で、ホームの端ではなく1/3くらいまでが仮囲いされたのを見て、そこまで作業スペースがいるのか、と疑問に思ったのですが、屋根と壁が立ち上がってくると仰天です。ホームのギリギリに壁を立てるのでなく、かなり入った場所に立っているのです。
つまり、ホームの幅がかなり狭くなったのです。
これでは逆にホームを歩きにくいと元から屋根のある場所に集中するのではないでしょうか。

何でまたこんな妙な施工にしたのか、といいたくなりますが、おそらくホームに隣接する民有地、民家との関係でしょう。
民法の相隣関係に関する規定で、建物は境界線から50cm以上離す必要がありますし、雨水が直接他人の土地に流れ込む屋根や構築物は作れません。
ホームの向こう側が道路であればそうした制約は無かったのですが、直接民有地と接することでホーム幅全体を有効に使えなくなったのでしょう。





武蔵野線 投稿者:dai 投稿日:2013年 3月21日(木)07時25分42秒 返信・引用
越谷レイクタウンで架線に付着物で、京葉線直通中止・運用変更多発です。

全線見合わせを回避するようになったのは評価しますが、乗った東行きの行き先が、10分間に東京→吉川美南→西船橋と変わりすぎるのも問題ですね。吉川美南になっていた時に停車した某駅では、新三郷より先に行くお客様は次の電車をご利用くださいと放送してましたし。



今昔写真展を見て... 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 3月20日(水)22時47分46秒 返信・引用 編集済
さて、もっとやっつけ仕事だったのが、津田沼のヨーカドーで始まった「新京成今昔写真展」です。
ギャラリートレインの写真をパネル展示するという企画ですが、各駅と懐かしい電車の写真を展示していたギャラリートレインに対し、展示のしょぼいこと。

津田沼店の2階が会場ですが、入口前は催し物がいつものようにあり、どこでやってるのか、と思いながら入ると「出口」と書かれたラインが。ほほう、ここか、とよく見ると、市内で人気のパン屋の出店でした。
展示はその奥、柱を囲むようにパネルがありましたが、えっ?これだけ、という規模です。
展示は駅だけで電車は無し。しかも駅は京成津田沼から鎌ヶ谷大仏と、八柱、松戸と「南半分」です。

いくらなんでも、という規模に愕然ですが、まあ網棚上の掲示だった写真をじっくり見るいい機会です。
改めて見ると、高根公団や三咲のように同時代で見ていた駅舎を見るのは懐かしいです。ちょうど単能式ではない券売機が導入された頃で、新京成内のほか、京成、総武線、常磐線の各連絡切符のボタンがあり、子供用ボタンはカバーがかかっているやつです。

高根公団は1台だけ。三咲は連絡社線用と自社線専用の2台です。高根公団のそれは総武線連絡を黄色で書き、三咲は青色ですが、私の記憶では青色だったような。ということは券売機の数と言い、高根公団のほうが微妙に年代が早そうです。

北習志野の写真に写る新京成バスの車番はD263でした。サッシ窓で前面が傾斜しているタイプ。
このあと傾斜していないタイプになり、D301からの側面方向幕が中扉上から戸袋窓前の窓上部に変更になったモデルチェンジへと続きます。

記念乗車券にもそれなりに写真が出ていましたが、ギャラリートレインの写真を写真集にして市販してほしいですね。今回の中途半端な展示を見てその思いを強くしました、



やっつけ仕事の赤電臨特 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 3月20日(水)21時50分32秒 返信・引用
赤電リバイバルカラーのさよなら運転がありましたが、敢えて「特急」とするからにはなにか仕掛けが、と思いきや、赤字に白抜きの「特急」幕表示で、その下側に「さよなら/赤電/リバイバルカラー」のシールというのはちょっとやっつけ仕事に過ぎるのでは。

駅の表示も「特急 成田 4両」と「普通の」表示ですし、まあ4両というのが今となっては目新しいとはいえ、もう少し小技が欲しかったです。

さて、東怪人さん、ご確認ありがとうございます。
ネームドトレイン由来ということは私も考えました。というか、100周年の「おもいでのヘッドマーク電車」にあった1977年の「くろしお」の写真が、六角形に横書きの特急に、縦書きで「くろしお」と入っており、ピク増刊にあった1973年の「くろしお」も丸に横書きの特急に、縦書きで「くろしお」だったこともあり、一般列車のマークをアレンジしたという認識でした。

一つあり得る解釈として、1968年改正まで一般特急は無く、当時はネームドトレインとして臨時に設定されていたため、丸に横書き+縦書きで愛称が基本だったことから、一般特急は丸に横書きという案内をしてきたが、1968年の改正で定期の設定が出来た際、何らかの事情で通特と同じく縦書きになったのに、案内は変えそびれたという感じでしょうか。。


鉄ピク増刊で「特急」を探す。 投稿者:東怪人 投稿日:2013年 3月20日(水)12時02分48秒 返信・引用
こんにちは。
特急の種別板の話題が出ているので、手元の鉄ピク増刊で「特急」が出てくるのを
できる限り探してみました。
私自身は1980年代生まれなので、記憶には当然ないですが。

…なのですが、1974年以前の特急の写真は、全部○に縦書きでした。
(一枚だけ3300系2次車の写真があるが、幕式なので除外)
青砥で押上線から入線してくる「特急 成田」の写真もあり、これは確実に通勤特急ですが、
やはり○に縦書きです。
同様に泉岳寺行きの写真もあり、○に縦書きでした。

どうも、「特急も通勤特急も縦書きだった」が真相なのかもしれません。
では横書き特急はどこから出てきたのかが不明ですが、特急のネームドトレインがすべて
  開
(特 急) のように「種別が横、愛称が縦」のスタイルなので、これが出自だったのか…。
  運

ところで、成田山号、城ケ島マリンパーク号、逗子号の写真はあるのだが
パシフィック号の写真が見当たらない…。



ユザワヤ南側の交差点変更 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 3月20日(水)02時30分20秒 返信・引用
よこむきさん、いらっしゃいませ。

奏の杜の情報、ありがとうございます。
ユザワヤ南側の交差点形状の変更を見てきましたが、駅からの道路が道なりに緩カーブを描いていたのを、モリシア南面の道路がそのまま直進して奏の杜に入ることになるため、直交する十字路に改造していました。

南北方向に右折車線が出来ているため交差点での滞留はなさそうですが、駅から来るとS字カーブを描いて交差点に入るし、手前でモリシア南面の道路に入る専用車線が分岐するので、慣れないと混乱しそうです。

新設の専用車線を深夜急行が走ることになるわけですが、津田沼駅(ユザワヤ前)のバス停があったバスベイのような切り欠きが封鎖され、歩道化する工事が進んでいました。
深夜の一便だけだから影響はほとんどないのでしょうが、車線を塞ぐ格好での客扱いになります。





特急の種別板 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 3月20日(水)02時21分52秒 返信・引用
1974年改正前の一般特急の種別板についての疑問を書きましたが、ネコから出ている「京成赤電ものがたり」(石本祐吉氏)に掲載されている一葉の写真もあり、丸に縦書きで特急だったと確認しました。

1973年2月の成田行きの写真で、丸に縦書きの特急です。
通勤特急の可能性も考えましたが、2月に下り通特を明るいうちに撮影することは不可能であり、上野系統の一般特急です。1973年ですからほぼ最晩年であり、1968年から最後までこのスタイルでしょう。

しかしそうなると、やはり疑問なのは「急行列車停車駅ご案内」です。
種別板の形状にあれほど忠実に描いているのに、特急だけ「ウソ」だったわけです。紙に印刷されていただけのものであり、差し替えは簡単なはずですが、なぜかそのままです。
昔から京成らしいと言えばそれまでですが...



京成の急行 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 3月20日(水)02時06分59秒 返信・引用
ブログの方で急行と快速の「ねじれ」について書いた際に、京成を引き合いに出したら、1974年改正前の「逆さ台形に急行」と「丸に急」の「急行」が併存していたことのほうが分かりにくいというコメントがありました。

これは京成の場合は乗り入れ先に合わせたことが直接の原因です。もともと特急は開運号だけで、一般列車の最優等は急行だったのです。
優等列車の基軸はちょっと前までの東武伊勢崎線同様準急だったのですが、京急側は特急が「普通に」走っている状況で、直通当初は普通のみ直通とはいえ、将来の拡大などを見越したのか1968年の三直開始前に京成がインフレアップした格好です。

地下鉄直通の日中の優等はこの時に運転開始であり、朝夕運転の最優等列車を「通勤急行」から「通勤特急」にしたように、京急同様特急−急行の体系になり、「丸に急」の急行となりました。
停車駅的には当初市川真間を通過していた違いはありますが、「丸に急」と本線準急の停車駅はほぼ一緒であり、インフレアップがなければ準急であった種別です。(1968年の数次に亘る改正の最初期には「丸に急」と「逆さ台形」は津田沼以西で一旦同じだったという説もある)

逆さ台形の急行は「護摩電」由来で準急(≒「丸に急」)より停車駅を絞ってましたが、準急廃止時に休日のみ(平日も少しあった)一般特急が走るようになったため、逆さ台形の急行と「丸に急」の急行の停車駅が津田沼以西で揃った経緯があります。

東武が準急にしわが寄っていたのに対し、京成は急行にしわが寄っていたわけです。
このあたり、関東では相当最近にならないと導入例が無い「区間○○」を使えばすっきりしたわけで、丸に「急」は区間急行でよかったのです。(青砥−津田沼で逆さ台形と停車駅は一緒)

種別の整理という意味では、名鉄流の「特別停車」がいいのか、阪急神戸線のように1駅でも停車駅が違ったら種別を変えるのがいいのか、というところですが、現状は1駅でも変えたら種別を分ける傾向にあるようです。阪急神戸線の場合は特急+塚口=通勤特急+六甲=快速急行、急行+武庫之荘=通勤急行と徹底していますし、京阪もかつては「朝ラッシュ時のみ守口市通過」で対応していたのを、「通勤」を付けて区別するようになっています。

また、将来の復活に備えてなのか、「欠番」があるのも悩ましく、2月改正で「特急」が復活した京王の場合、特急は無いのに「準」特急があるという妙な状態でした。(急行が無いのに特急があるケースは多いですが、「準」や「区間」のようなサブ種別で親が無いというのは珍しい)

阪急京都線も同様に「急行」が無く、特急や快速急行や準急があるのに、本来その比較の土台となる「急行」がありません。
ただしここは全区間優等→高槻市から各駅となって消えたわけで、将来どのような性格で「復活」するのか分かりませんが。

百花繚乱の種別ですが、ひとつ言えることは、特別停車や途中からの各停化の場合は「通勤」とか「区間」を付けて、メインとなる区間の停車駅によって特急、急行、快速などのカテゴライズを図ることを徹底して欲しいです。
京王が調布までの間で快速の停車駅を増やしたことなどで、通勤快速の位置づけが快速よりも急行に近くなったことから区間急行とカテゴライズを変更した例もありますし。




津田沼・奏の杜 投稿者:よこむき 投稿日:2013年 3月19日(火)18時39分56秒 返信・引用
初コメント致します。

津田沼駅南口から谷津方面へ進むと「奏の杜」の建設工事により、昔は一面の畑だった風景が様変わりしましたね。

既に2月1日より谷津町内の一部が公式で奏の杜に住所変更が行われ、バス停も近々、谷津七丁目→奏の杜2丁目へ変更されることと思われます。

特徴としてはユザワヤ南側の交差点形状が変更されており、完成後は交通流動に大きく混乱が予想されるかもしれません。



赤電の終焉/「特急」の謎 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 3月18日(月)22時21分53秒 返信・引用 編集済
京成のリバイバルカラーは結局立て続けに廃車になるようです。赤電はさよなら運転をするのに、青電、そしてファイヤーオレンジはそのまま運用離脱で、やはり借り物の塗装や黒歴史の時代は早く消したいのでしょうか。

新3000系の8連2編成投入での淘汰ですが、3500系更新車2本をバラして4連4本を捻出する、ということでしょう。そういう意味では残る3300系は4本なので、もう一回同じ事が起きる、イメージでは2013年度に新3000系8連2編成を投入して引退でしょうか。

ただ、忘れられがちですが、北総にリースされている7260系、4+4の堂々の8連がまだ健在です。朝夕のエア急だけでなく、日中の快特運用に入ったという話もありますが、京成本体の3300系が全廃されてもなお残るのか?新3000系の増備を1編成増やして、3500系の更新車4+4の8連をリースするのか?そうなると更新車8連も1編成になるはずで、現在同様普通運用オンリーの京成に対し、優等運用の北総という構図になるのか。

3月20日当日はどういう「お化粧」をするのか。「特急」の種別板を付けて欲しいですが、1974年以降の六角形か、それ以前の円形か。「開運号」復活の際には貫通扉ごと付け替えて電照式のヘッドマークを復活させましたが、少々不細工でもいいから「板」を復活させて欲しいです。

余談ですが、六角形になる前の「特急」の種別板につき、縦書きか横書きか悩んでいます。
ウィキペディアによると、通勤特急と特急はどちらも縦書きで、通特は青色の縁取りがあったとあるのですが、電車内に掲出されていた「急行列車停車駅ご案内」(宗吾に保存されているモハ204車内に現存)では、通特は縦書き(確かに青色の縁取りあり)で、特急は横書きになっています。

私自身は1974年改正前の種別板は実は特急だけは見た記憶が無いのですが、「急行列車停車駅ご案内」だけははっきり覚えており、特急以外の種別板と開運号の愛称板が現物に忠実に描かれているだけに、特急は横書きだと思っていたのですが、2000年に成田山霊光館であった「成田の鉄道」展で丸に縦書きが「特急」と言う現物が展示されていました。

展覧会は白土貞夫氏監修ですから滅多なことは無いはずですし、ピクの増刊、2007年の京成特集では、縦書きの特急日暮里行きの写真があり、上野線に通特は無いので、物証という意味では縦書きなんですが、そうなると「急行列車停車駅ご案内」がここだけ堂々と間違っていたことになるわけで、悩んでいます。






改正後最初の平日 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 3月18日(月)22時19分19秒 返信・引用
ダイヤ改正後最初の平日ですが、いきなり春の嵐です。
今朝は864Fに乗ったのですが、東京あたりでいきなり「総武快速線 運転見合わせ」のスクロールが流れました。
江戸川橋梁の風規制のようで、運転は再開したようですが遅延と直通中止のスクロールに変わっており、まさに間一髪だったようです。

品川に着くと、スカ線内では後続となる731S(通勤快速)は遅れ表示がなかったものの、その後のNEX2号は15分遅れの表示。アナウンスは下り電車が当分来ないので東海道線や振替乗車を利用するように促し、上りも東京止めになる旨放送していました。

夜は万が一を恐れて早めに帰ったのですが、幸い何もありませんでしたが、前回の強風もそうでしたが、京葉線が動いて総武線が止まるというこれまでにないパターンが定着しかけているのには参りました。
京葉線は遮風壁が奏功しているようですが、ならば総武線にも設置してほしいです。

さて、朝夕の変化はあまりない感じの改正ですが、前回改正で不可解な変更をされた部分が元に戻りました。
津田沼7時57分の752Fと8時1分の始発832F、前回改正までは752Fが東京止めで832Fがスカ線直通だったものが、前回改正で752Fをスカ線直通、832Fを東京止めにしたが752Fが東京で長時間停車して832Fに追いつかれるという妙に凝った?ダイヤになりました。

これが今回元に戻ったわけで、いったい何だったんだ?と言う感じです。




赤青併結は無かったのか 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 3月17日(日)19時20分34秒 返信・引用 編集済
fasさんご指摘の通り、確かにピクの97年6月増刊の京成特集では、旧3000系は塗装変更時にATSと応荷重装置を設置とあります。ただ、一時期の話ですから応荷重装置を装備しても「殺す」という手もあるわけで、設置=併結不可ではないと思います。

同じピクでは青電塗装の3000系4連の急行「護摩電」の写真もありますし、それなりに4連運用があった3000系が一時期とはいえ2連しか組めない状態になると、車両繰りがかなり厳しいことになります。

ただ、3050系が投入されているので、3000系の塗装変更、改造を睨んで見合いの旧型車の淘汰(新京成移籍)を遅らせて対応できますね。この段階のダイヤは1960年12月の都営直通の直前で、3000系投入前のダイヤを使ってましたから、赤電限定というような運用はなかったでしょうし。(営業上限定していたかもしれませんが、性能的に限定はないのでは)



挙動不審?のトップドア車 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 3月17日(日)19時03分7秒 返信・引用
まひろさんと東怪人さんの目撃情報の時間差を考えると、船橋で1時間強の差があるように見えます。
そうなると何かしらの営業に就いていたというよりも、訓練運転か何かの気もしますが、東怪人さんがご覧になった「3人ほどの乗客」が気になるところです。実は運転手だとすれば訓練ですが、本当に「客」だとどうなのか。

市場通り方向というのも謎ですね。大仏に帰るのなら直進ですし。
あとは市場通り方面のマンションの限定輸送を始めたとか。23時半頃に船橋駅で張り込んで見るか(苦笑)



LED化した駅名標 投稿者:% 投稿日:2013年 3月17日(日)16時03分27秒 返信・引用
昨日


東京 新日本橋 馬喰町 で、駅名標がLED化をしたことを、
確認ができました。


なんとなく、うれしい一時でした。

おそらく、2月の終わりから3月に掛けて、更新をされたのだと思います。


Re: 嘘から出た誠 投稿者:fas 投稿日:2013年 3月17日(日)00時14分29秒 返信・引用
> No.2673[元記事へ]

1960年頃はまだ2連が多いですし、塗装変更と同時にATSと応加重装置を取り付けたとの記述を見た事があります。ブレーキの利き具合が前後で変わってしまう事になるので、混色は無かったと思います。






Re: 噂のトップドア車 投稿者:まひろ 投稿日:2013年 3月16日(土)16時04分19秒 返信・引用
> No.2674[元記事へ]

偶然ですね。私も昨日午後9時40分頃に京葉線の車窓から、首都高湾岸線西行きを走るそのバスを目撃しました。ちなみに自分の乗っていた電車は、舞浜駅で緊急停止ボタンを押された関係で徐行運転をしてました。



噂のトップドア車 投稿者:東怪人 投稿日:2013年 3月16日(土)12時59分2秒 返信・引用
こんにちは。

昨日は会社で飲み会があり、(飲めないのに)午後10時30分まで新宿でつき合って船橋に午後11時35分に戻ってきました。

北口から歩いて帰宅中、車道に見慣れないバスがあり、目を凝らすとトップドア車、しかも側面の行き先幕には「船橋新京成バス」と書いてあるではないですか。
車内には3人ほどの乗客がいて、何かと思ったので最初の交差点が歩車分離式なのを利用してできる限り先回りしたところ、船橋駅北口入り口交差点を右折して行きました。
深夜バスが設定されていない市場通りへ向かったのですが、どのように利用されているのでしょうか。



嘘から出た誠 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 3月15日(金)00時58分18秒 返信・引用
>…どうせなら、青電と赤電を繋いだ8両編成で花道を飾ればよかったのに(おい)。

1958年に青電色で登場し、1960年に赤電色に変更されている旧3000系は、2連7編成14両全車が一斉に塗装変更されたとは思えないので、青赤併結の4連を組んだ時代があったはずです。

嘘から出た誠じゃないですが、編成は倍増になるものの、53年ぶりの青赤併結と謳って花道、ということになれば大向こうも唸る企画でしたね。





Re: 赤電リバイバルの終焉 投稿者:東怪人 投稿日:2013年 3月14日(木)23時30分19秒 返信・引用
> No.2671[元記事へ]

> 青電はひっそりと消えましたが、赤電はさよなら運転と、同じ形式なのにこの処遇の差は、と言う感じです。

やっぱり、青電は「リアルウソ電」だったというのが大きいのでしょうか。赤電シリーズの青電は3000系で存在してはいるものの、今回は両開きでしたし。
これでファイヤーオレンジだけが残りますが、京成にとって黒歴史を意味するこの車両はどういう処遇の花道になるかが注目でしょうか。

…どうせなら、青電と赤電を繋いだ8両編成で花道を飾ればよかったのに(おい)。



赤電リバイバルの終焉 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 3月14日(木)22時39分38秒 返信・引用
2009年、京成電鉄創立100周年記念で赤電、青電、ファイヤーオレンジのリバイバルカラーになった3編成の赤電ですが、青電についで赤電も引退です。赤電は2007年の3295編成の引退時にリバイバル「開運号」として登場し、2009年から3324編成に編成を替えて再登場していました。

青電はひっそりと消えましたが、赤電はさよなら運転と、同じ形式なのにこの処遇の差は、と言う感じです。
さよなら運転は3月20日に上野→成田の下り1本で実施。上野駅と成田駅でセレモニーがあるそうですが、成田のそれは回送電車のお見送りまでと言うことで、宗吾に向けてのまさに「帰らざる旅路」のお見送りと言うのもシビアです。

そのさよなら運転、種別は特急とのことですが、津田沼までは正月臨で運転された臨時「シティライナー」の影スジに乗ります。
津田沼までは普段カラ退避になっているスジを生かし、そこからは支障する列車がいないので盛りスジになるようです。厳密には臨時「シティライナー」スジは津田沼通過ですが、今回の「特急」は停車するので、退避の快速と分単位では同発になっていますが、快速が若干遅らせるのでしょう。

どうせなら「快速特急」にすればいいのに、「特急」であり、佐倉から12分かかるのを見ると、大佐倉〜公津の杜に停車するようです。成田駅でのセレモニーを考えると、芝山千代田からの電車が来るまでに終わらせるという意味でも「快速特急」として早めの到着のほうが都合がいいはずですが、なぜか「特急」です。

ここで六角形の種別版を復活させたら「神」ですが、そこまでするかどうか。ファンサービスのカスタムトレインなのに「特急」に拘るのは、往年の種別板との整合性と信じたいですが。
余談ですが青字幕の赤電塗装は1979年頃に存在しており、字幕が行先だけとか、飾り帯が塗装とか、ライトの位置が腰に下りたといったどうしようもない違い以外は復原できています。あっ、クーラーが最大の違いか...




「神対応」はありませんでした 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 3月13日(水)23時31分56秒 返信・引用
今日の強風はすごかったですね。昨夜から風が唸ってましたが、出勤時あたりから凄味を増しました。
電車も見合わせ続出でしたが、今回の特徴は総武線の断続的なダウンと京葉線の粘り腰でしょう。普段なら京葉線の様子を見て「そろそろ総武線か」と判断していたのに、総武線が先にダウン。京葉線は快速中止、武蔵野線直通中止、7割運行とふらふらながら運転見合わせだけは回避です。
これは整備された防風壁の効果なんでしょうか。

その総武快速線ですが、運転再開となったあと、19時前に東京駅に行くと思ったより人がいません。
振替はまだ出しているので京成か東葉でもよかったのですが、敢えて乗って見たのです。
乱れている快速に、NEXと「しおさい」の運転が電光掲示板に見えたので、どう捌くかが見ものでしたが、かなり混乱してました。

先月からの「神対応」にも期待していたのですが、結局2番から4番への番線間際変更とか、いつもの「誤案内」の炸裂のほか、抑止で時間がずれたとはいえ、いきなりの11連登場とか「ああやっぱり」の世界でした。

まあ上下のNEX発着に、「しおさい」の折り返しもあり、快速の番線間際変更も実際には好プレーとも言える施策でしたし、柔軟に東京を送り出して、市川でNEX、津田沼で「しおさい」退避と、ありがちな元ダイヤの墨守ではなかったです。

ただやはり問題なのが折り返しはいいんですが、折り返すまでの冗漫な時間。
既に荒川や江戸川の風速規制はなくなっており、テキパキと東京で折り返せない理由は無いはずなのに、20分程度の時間がかかるのはなぜでしょう。

ここが時間を空費することで、東京行きが各駅で抑止され、そればかりか平井駅前後では上り線で駅間抑止の快速とNEXという状況を見ると、まだまだ改善余地は大きいです。




自動放送など 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 3月13日(水)00時39分51秒 返信・引用
113系の時代はそれなりでしたが、最近は電車の行先表示などで「XX線」に妙なこだわりが出ています。
帰りに品川で快速を待っている時に見かける東海道線では「東海道線」「小田原」というように反転表示していますが、伊東行きの場合は「東海道伊東線」と律儀と言うか却って分かりづらい?表示です。
ただ京浜東北線の場合は「京浜東北・根岸線」とは横浜方面にならないと出さないのですが。

房総方面でも房総ローカルに投入された209系は「総武本線」「銚子」と言う感じで出ますが、東金線経由成東行きが伊東行きと同じ感じで「外房・東金線」になります。

房総方面で注意したいのが、快速の車内の自動放送です。
行先が総武快速線内で完結する列車の場合は、「総武快速線 千葉行きです」と言うのですが、千葉以遠や横須賀線に直通する列車は「総武快速線」の言葉が消えます。
千葉以遠直通の場合は「内房線直通 快速 君津行きです」となり、横須賀線直通の場合は「横須賀線直通 快速 逗子行きです」と言う感じになるのです。

「●●線」の部分ですが、「内房線」「外房線」「総武本線」「成田線」になり、佐倉行きは「総武本線」、鹿島神宮行きは「成田線」になります。(「エアポート成田」は「快速エアポート成田 成田空港行きです」と路線名が入らない)
なお英語部分は「直通」がなく、「 This is Uchibo Line Rapid Service for Kimitsu 」というように直通先の線名だけになります。

厳密なように見えて、複数の路線名を重ねることは避けています。「総武快速線」については、線内止まりの場合は言いますが、そうでない時は「快速」で分かるだろう、と言う扱いです。まあさらに向こうの横須賀線内では「総武快速線直通」と割り切っているようですが。




強風の中で... 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 3月10日(日)22時10分14秒 返信・引用 編集済
今月に入って地味に東奔西走していますが、PM2.5に黄砂まで、というなかですからきついです。
しかし今日は伊丹ですごいものを見ましたね。休日になだれ込んでの出張も終わり、早めについてラウンジに行くところ、ちょっと展望デッキに出たら「祭り」でした。

お昼頃ですが、ちょうど寒冷前線が通過して風が北に振ってさらに強まったなか、羽田からのNH021が772の巨体をふらふらしながら着陸。そのあと便名が確定できないのですがANAのボンバルディアが何と着陸復航、というかタッチアンドゴーです。
さらにAMXの熊本発はいかに高翼機とはいえ展望デッキから翼の裏が見えるような傾きを見せながら何とか着陸。直後のJAL便は水平飛行で空港上を通過、そして何機か着陸したあと、またもANAのボンバルディアが着陸復航です。

いやいや、着陸できるか、出来た、と思った瞬間に再浮上と言う状況に、展望デッキでは「えーっ!」「あーっ!!」と言う声が上がっていました。

前線の通過に気温が急降下しましたが、首都圏は煙霧が観測されるような状況で、大変だったようです。



順序入れ替えは奏功していました 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 3月 9日(土)00時50分8秒 返信・引用
東怪人さん、レポートありがとうございます。
昨日の状況がいまいちわからなかったのですが、そういう感じだったんですね。

津田沼駅での順序入れ替えは748Fのあと、次の始発の752Fもやってました。
758Fが入れ替わって752Fの後走りとなってましたが、この時点でかなり詰まった状態でした。
千葉方面からの上りが収束していたこともあり、742Fは順序を入れ変えずに発車。758Fにつづき、608Fと728Fを出して所定の順序としたため5分近い遅れでしたが、728Fまで入れ替える必要は無かったようです。

742Fが遅れて669Fの取り込みが遅れていたようですが、4001M、639Fに当たりが出ますが、723Fから折り返しの822Fあたりで収束しているかどうか。

ただ752Fあたりから団子になっており(津田沼を出はずれたところで停止していた)、船橋の到着がかなり遅れ、新日本橋でも東京駅満線ということでかなり待たされました。
品川は10分以上の遅れとなってしまいましたが、間引きもなく、津田沼発車時点では5分程度まで取り戻しているので、上出来の整理と言えましょう。



馬喰町駅 &・・・。 投稿者:依存症 投稿日:2013年 3月 8日(金)22時17分41秒 返信・引用
こんばんは、本日の退社後に、馬喰町駅を、久し振りに観ました。

駅名標を貼られているだけ、である箇所は、今の時代では、
真ん中のシールド部分の、コンクリートの部分「だけ」であり、

昔の馬喰町の面影。

なくなったなぁって、思います。

ところで、新日本橋駅は駅名標を、いつまでも、他の駅のように、漢字にはせず
LED式にもせず、だなぁ、ほぼ昔のままで、天井付近も、「同じ」だな

40年間以上の間ずっと・・・

それも、ちょっと、不思議に思いました。



神とは行かずとも 投稿者:東怪人 投稿日:2013年 3月 8日(金)22時09分38秒 返信・引用 編集済
こんばんは。

昨日のネタですが(パソコントラブルで書きこめなかった)、船橋駅に着くと、通勤快速2604F列車が千葉駅で車両点検の事案が発生し、10分程度遅れていました。
ここのところ運転整理の対応が良いJR東日本なので、普段は緩行線なのですが、取材目的で快速線を利用してみました。

船橋駅の時点では、君津発の682F列車が次列車として表示されており、こちらも10分遅れとなっていましたが、
この間に入るべき津田沼発748F列車はすでに定刻通り発車したようでした。

通勤快速2604Fは11分遅れの7時39分に発車。ここから本気の走りを見せ、所定は18分かかる錦糸町まで
特急「あずさ」より早い12分で走破し、5分遅れの7時51分に到着。
亀戸手前で信号に引っかかって徐行していましたが、順序交換になった748Fが錦糸町7時48分発なので
この列車が錦糸町を発車するのを待っていたようです。

ここでの次列車は「しおさい4号」。所定でも市川で682Fを追い抜く列車なので、ここは順序通りとしたのでしょう。
「神」対応とは行かなかったでしょうが、津田沼発を先に出したあたりは以前より柔軟になったのでしょうか。
(ただ単に2番線が詰まってしまうからという理由もあるかもしれませんが…)
通過した市川・新小岩は748Fが客を拾ったようで、それほど列は伸びていませんでした。



三井の夢の跡? 投稿者:dai 投稿日:2013年 3月 2日(土)23時42分58秒 返信・引用
1960年代のモノレールといえば横浜ドリームランドがありますが、何と東芝とともに三井物産が訴えられていたんですね。

三菱の鉱区からの輸送を想定した路線に並行してモノレールを建設しようとした件といい、三井不動産と親しい川崎社長の根城からのモノレール構想といい、三井グループのモノレールにかける情熱が伝わってくる感じがします。



Re: 五井、木更津へのモノレール計画 投稿者:dai 投稿日:2013年 3月 2日(土)23時07分7秒 返信・引用
1961年に免許を巡る汚職事件で有名な武州鉄道(吉祥寺〜秩父)が免許になっており、モノレールで敷設する計画だったという説がネット上で散見されます。

アクアラインモノレール?も同時期の話ですから、政官財でモノレール推しだった時期なのでしょう。

ちなみに武州鉄道、西武秩父線と真っ向から競合する計画ながら埼玉銀行が出資していました。西武秩父線のバックには三菱マテリアルがいることから、秩父セメントは武州鉄道寄りだったと考えられ、モノレールを巡る財閥の主導権争いが垣間見える感じがします。

羽田と那覇ぐらいしか成功例がないモノレールですが、オイルショックがなかったら、路面電車の代わりとして各地に建設されたかもしれないんですよね…。



五井、木更津へのモノレール計画 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 3月 2日(土)10時06分29秒 返信・引用 編集済
ついでに「千葉県内陸鉄道」以上に空想と言うか、夢物語があったというお話。

内陸鉄道ですら大風呂敷ですが、川島氏も裸足で逃げ出すような計画がかつてあったようです。
1961年1月に千葉日報と毎日(千葉面)が相次いで報じたのが、東京湾岸を走るモノレール計画です。

1957年に上野動物園で開業し、東京モノレールの開業は1964年という段階での話です。「夢の交通機関」ということで飛びついたのかもしれませんが、夢にしても桁外れの夢です。

ルートもまた当時としては破格で、千葉日報は東京と木更津を結ぶ、とあり、毎日は新橋−五井とあります。毎日は10年後の夢の計画、とあり、大風呂敷の段階に過ぎないことは確実なんですが、それにしてもまだ非電化(木更津までの電化が1968年)の房総西線(当時)沿線に都心直通のモノレールと言うのもすごい発想です。

まさかアクアライン経由と言う線はさすがにないでしょうが(調査開始が1966年)、ここまでの大風呂敷となると、当然構想くらいはあったはずの横断道路に併設、という構想かもしれません。(記事は見出ししか分からないので内容は不詳)

新橋から、という計画に京成電鉄の影が見えるわけで、あの川崎千春氏が社長に就任したのが1958年ということを考えると、一連の「川崎案件」の走りなのかもしれません。

さすがに湾岸新線計画を掲載した55年史もこれは無視していますが。



東西線勝田台延伸の話 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 3月 2日(土)09時54分42秒 返信・引用
老人らしく昔話でも(苦笑)

例の県内関係の新聞記事の見出しを集めた書籍からの話ですが、東葉高速の建設についてです。
地下鉄5号線計画において、東陽町から西船橋方面への延伸を検討することになったのが1962年の都市交通審議会で、1964年の改定で西船橋延長が決まったわけですが、勝田台への計画は1972年の審議会答申というのが公式記録になっています。

一方で前にも触れた千葉県内陸鉄道計画では演習場を挟んだ格好で南北に分かれた船橋−八千代・佐倉のルートが検討されていたわけで、1970年の話ですから、5号線計画とリンクすると考えていいでしょう。(内陸鉄道計画の調査報告書では5号線への直通などについての詳しい言及はない。ただし流動の流れ図では5号線が分担する格好になっている)

また、1960年代終盤に新京成沿線に住むようになった親は、東西線の延長を前提に家を買ったと言っており、「公式」以前に話があったのは確実です。

これについて新聞辞令ではどうだったかというと、1969年2月に千葉日報が「地下鉄5号線 西船橋から延長検討 団地の足確保へ」と報じており、この段階で確度の高い「検討」になっていたと思われます。
もちろん地元が陳情を行うなどの前段階はあるわけで、地元では「地下鉄が来る」という話が出回るのもあり得ますし、親世代の行動も矛盾しません。





深夜バス 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 3月 1日(金)23時37分43秒 返信・引用
3月1日に改正された新京成の深夜バスですが、公式にアップされた新ダイヤを見ると、小室線の備考欄に妙な記述があるのが気になります。「金印〜金杉台団地経由鎌ヶ谷大仏行き深夜バス(運賃倍額)」という表記、時刻表本文には掲載がない系統ですが、出てくるのでしょうか。

終バスの大幅繰り下げが話題の改正ですが、実は23時台は変化がないというか減便になっています。
船12の深夜バスが一般便最終の23時5分以降、改正前は12分ヘッドで0時5分が最終だったのが、15分ヘッドで0時5分となり、1本減便です。新設された船16と船01は0時15分以降なので、23時台は減便です。

ところで小室線時刻表の「金印」(わさび漬けみたいな表記だ...)ですが、船09の一般便最終が22時45分で、深夜バスが23時55分まで70分空くバランスの悪さを補うように船12の深夜バスを延長するのならいいのですが。船03の深夜バスが一般便最終の39分後、一般便の最終1本前との間隔が18分と言うのに対し、船09が一般便最終1本前との間隔が20分なのに、深夜バスは70分空くというのは不便ですから。

船12の23時20分が「金印」になれば、一般便最終の後35分ヘッドになるのでバランスがいいのですが、どうでしょうか。
ただ、この時間帯、まだ電車が走っているだけに、金杉台団地から三咲駅方面に延長してもどのくらい使われるか、というところdすね。もちろん桜ヶ丘とか利用の多い停留所がありますが。

ただ、今や高齢化に悩む金杉台団地に手厚く深夜バスと言うのも不思議な気がします。買い物難民対策としてイオンモールへのお買い物バスの設定が話題になったくらいですが、深夜バスを利用する現役層が多いのでしょうか。
昔は小室線と分けないと賄えませんでしたし、最初の深夜バスは夏見経由で金杉台団地への船13系統だったのですが、今も旺盛な需要があるのでしょうか。

余談ですが、かつては日中新津田沼の待機所で昼寝をしていた101〜104の前後扉車が使われていましたね。船13の深夜バス。




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