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習志野原の掲示板 過去ログ 2013年5月
東部医療センター線 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 5月31日(金)20時56分17秒 返信・引用
船橋市の交通不便地域に関する実証実験として運行されていた船橋新京成バスの八木が谷線、丸山循環線、京成バスの田喜野井線はこの4月から本格運行になりました。
今年度からの実証実験は医療センター輸送対策事業としての北習志野駅・飯山満駅−医療センターということで市からもアナウンスされていましたが、6月10日からの運行開始ということで、船橋市、船橋新京成バスの両者から正式発表がありました。
路線名は「東部医療センター線」、何か医療センターの分院が出来たようなイメージですが、市の東部と医療センターを結ぶという意味でしょうね。系統は北習志野駅系統が「医01」で、飯山満駅系統が「医02」です。芝山のバス通りで教習中の中型車を見ており、道路の制約もなく、運行形態から見ても中型車以上の運行でしょう。
運行は「医01」が朝方に毎時2本、日中はほぼ毎時1本で、北習志野駅発7時27分から16時8分までの運行。医療センター発が同様に朝方毎時2本で、日中はほぼ毎時1本。医療センター発7時55分から17時30分までの運行。
「医02」は日中にランダムに5往復の運行。毎時1本でもなく、30分程度で次がきたり、2時間以上空いたりと微妙ですし、夕方の帰り便がありません。(医01はある)
運行は今年度いっぱい。平日のみの運行です。ICカードは使えますが、定期券、ダイヤモンドパスやバス通楽など特殊乗車券も使えません。
ただ、並行する豊富線や医療センター線の定期が使えるかとなると、使えないとは書いていないので、使えるかもしれません。
運賃は医療センターから北習志野駅280円、高根木戸駅230円、飯山満駅190円となっています。
経路はシンプルで、芝山のバス通りを直進し、焼肉宝島のところで医療センター線の経路にスイッチするだけ。深夜急行線の運行開始で船取線−雄鹿野への分岐の間の路線が「復活」しましたが、今回の運行で逆向きも「復活」です。
特筆事としては、その雄鹿野への分岐直後に馬込台バス停が「復活」します。芝山線の運行開始から、芝山線、豊富線の雄鹿野経由化まで存在したバス停です。
あとはグリーンハイツ線の米ヶ崎に停車し、残るは既存の豊富線、芝山線、医療センター線と同じです。
ダイヤですが、既存の船23との調整がないのがもったいないですね。毎時1本見当の船23と医01が近接しています。
北習志野駅、高根木戸駅から新高根、芝山地区の利用が高齢者を中心にそこそこあるし、聖人塚が最寄りの船橋東高校への通学需要も考えられるだけに、そういった「目的外」の利用を掘り起こして下支えすることで、本格運行へのハードルを下げたいものです。(船橋芝山高校はちょっとバス通りから離れており、飯山満駅利用が優位。そもそも徒歩で飯山満駅に出るのと北習志野駅に出るのが10分も違わない)
飯山満駅への医02を分けて設置するのも微妙で、医01を飯山満駅まで往復させてもよかったわけです。かつての飯01(飯山満駅−高根公団駅)は大コケしましたが、新高根、芝山地区との結びつきが根強い高根木戸駅前のイオン目当ての利用を期待出来るわけですし、芝山団地入口までの所要は延びますが、それだけを目を瞑れば、飯山満駅往復で所要時間が延びるのは医療センターへの乗客だけと言えますから、所要時間増で逸走したり志向しないということはあまりないといえます。
そうすれば全体の本数を減らすけれどサービスレベルを下げずに、朝は毎時2本、日中は毎時1本といった分かりやすいダイヤで実験が出来たはずです。
モリシア津田沼バス停 投稿者:よこむき 投稿日:2013年 5月30日(木)21時20分22秒 返信・引用
ご無沙汰いたしております。
既報のとおり今月27日より京成バス「モリシア津田沼」バス停が設置されています。対象は屋敷線の津田沼駅行き片方向のみ停車、駅ロータリーまで目と鼻の先の位置にあり、ポールには時刻表や運賃も貼られているものの実質的に降車専用でしか意味がありません。
新津田沼駅 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 5月26日(日)02時13分57秒 返信・引用 編集済
モリシアのパネル展で見た現行新津田沼駅の開業直後の写真ですが、これに関連して、ネコパブから出ているRMライブラリー164号「昭和時代の新京成電車」にかなり貴重な写真が出ています。
筆者はお馴染み石本祐吉氏ですが、1968年5月の開業当日の写真もさることながら、1976年10月と12月の写真が非常に貴重です。
というのも、1977年のヨーカドー津田沼店開業に対応した橋上駅化に伴う工事期間の写真なのです。
キャプションには一言も触れていないのが残念ですが、松戸寄りにあった仮設の跨線橋がしっかり写っており、特にP21、1976年12月の写真は橋上駅部分の躯体が見えており、今の階段、かつての地下道、仮設階段と改札口の位置関係がはっきり分かります。
またモリシアのパネル展に出ている写真は上り2番線ホームですが、わずかに地下道への階段が見えています。反対側1番線の地下道への階段もはっきり見えています。
RMライブラリーのP21から、現在の階段の松戸寄り、元からある方の橋上駅部分を支える脚の少し松戸寄りに地下道への階段があった事が見て取れます。
また、仮設の階段は当時は露天だった松戸寄り(今は屋根があるが構造が違うのですぐわかる)にあり、改札は元からの屋根がある場所の松戸方に開いていたようです。
写真を見ればわかるように、ホームの壁がコンクリートブロックなんですが、これが今も残っています。
仮設改札口があったあたりの壁はブロック積みで無いのは、その時に崩して、別の素材で塞いだのでしょうか。おぼろげな記憶ではパチンコ屋にかなり近い位置だったのですが、写真から見る限り、ヨーカドーの食品売り場へ降りるESのすぐ脇あたりのようです。
実はこの写真を頼りにホームに地下道の痕跡でも、と凝視してみましたが、舗装を盛った形跡が感じられるものの、それが地下道埋め戻し工事の痕跡なのかは定かでありません。
北千葉道路詳細 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 5月23日(木)22時34分46秒 返信・引用
ちょっと早く帰宅できたので、夜陰に乗じて5月31日に開通する北千葉道路の北須賀−船形区間の様子を見てきました。
北須賀、というか「けたろう」があった甚兵衛大橋東詰の現道との交点ですが、舗装とマーキングはほぼ終了していました。ただ、信号も看板もありません。印旛日本医大駅横の区間、いには野ICのような、道はあるが案内も信号も無い、という状態になりそうです。
終点となる船形の松崎方面への市道との交点ですが、斜めに交差する形態だったのを、市道側を切り回し、直角に近い交差になるようにしています。先日の段階ではこの工事はなされておらず、この処理のために開通を延期させた模様です。
なおスカイアクセス北側に並行していた暫定2車線が、南側に並行する今回未整備の西行き2車線が北側に回り込むためにある特殊な橋脚区間で、完成形とは逆に南側に回り込み、市道と交差させています。
あと、農道との交差については、場所を限定したためか、R464に側道を設置して、R464と交差させずに交差ポイントまで迂回するようになっています。
そして船形でも信号も看板もありません。
今回の開通区間の意義については疑問の声も多いですが、意外と甚兵衛大橋方向から松崎方向や成田NT方向に抜けるクルマが多く、集落内を緩カーブで抜ける区間が続くので、そこをバイパスすることで通過流動を排除できる効果は確実にありそうです。
パネル展第3弾 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 5月23日(木)22時22分55秒 返信・引用
新京成の運転開始65周年企画の写真パネル展の第3弾が津田沼のモリシア1階ホールで開催されています。
27日まで開催されている「千葉県指定伝統的工芸品展」の協賛企画ですが、会場ではこちらがメインという感じもします。
第1弾のヨーカドー津田沼店に比べて格段の進歩を見せた船橋市役所での企画に対し、今回はというと、市側が追加した写真がないので寂しいのですが、一方でパネルは松戸までの全駅を揃え、さらにパネル写真もいくつか入れ替えており、小粒ながら充実です。
今回の写真で特筆したいのは、1968年6月の新津田沼駅の写真。モハ102を先頭にした高根公団行きが停車中ですが、これ、5月に開業したばかりの現行4代目の新津田沼駅なのです。まだホームが未舗装という状態が開業直後らしいですが、ホームの曲がり具合、屋根の形状は当時のものが45年経って残っていることを示していますし、ホーム上には地下道への階段も見えており、地上改札から地下道経由でアクセスしていた当時の様子が垣間見えます。
後は鎌ヶ谷大仏の写真でしょうか。高根公団、高根木戸と並んで島式ホームの端部に駅舎がありましたが、まだ遮断機がない時代です。(のちに木下街道踏切に接続する部分に遮断機がつき、3方に遮断機がある面白い構造になった)
初富側は、新津田沼以北の複線化完了の最後まで単線で残っていましたが、写真の時代は安全側線のようなものがあったようです。単線時代末期にあったかどうかは定かでないというか、無かったような記憶があるのですが。
それと、今更のように気が付いたのがパネルの説明で、高根公団駅の説明で、駅名の中に「ねこ」が含まれる全国でも6つしかない駅の一つ、と真面目に説明しているのが何とも言えません。企画者が猫好きなのか、まさか本当に好事家の中では有名な話なのか。
昔話ついでですが、帰りに本屋を覗いたら、「カメラが撮らえた 千葉県の昭和」という写真集があり、パラパラと目を通すとなかなかの内容でした。
その時はちょっと逡巡して買わなかったのですが、以前話題になった西船橋駅の「初代」につき、1969年の東西線乗り入れに備えた現行駅の建設中の空撮写真があったり、1977年の津田沼駅付近の空撮(ヨーカドー、長崎屋、パルコにサンポーがあり、南口のサンペデックが建設中の時代)とか、資料的価値が高い写真もかなりありました。
高速車が追加されています 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 5月21日(火)21時45分54秒 返信・引用
新京成の深夜急行ですが、1060号車ただ1台で運用しており、点検や故障時にどうするのか、と思っていましたが、2台目が入りました。
読者の方から情報が入り、大仏の車庫を見に行ったところ、1071号車とされる高速車がいました。(車番は暗くて分からず)
1060号車と微妙に意匠が異なり、また、表示は幕式ではなくLEDです。おそらく京成の中古ですが、既に新京成カラーになっていました。
これで代車も確保しましたが、深夜の1運用のために2台確保というのも効率が悪いですね。
日中に何か打って出るのか、それとも本当に予備なのか。気になります。
なお、森のシティカラーの車両が2台しかおらず、夕夜間のシャトルに2台就いているということでしょうか。
北千葉道路一部開通 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 5月21日(火)21時40分35秒 返信・引用
2012年度開通予定が延期になっていたR464北千葉道路の北須賀−船形区間が5月31日に開通します。千葉国道の図面を見るとスカイアクセスの北側で暫定開通のようです。
成田市街へはR464現道を推奨するでしょうから、北須賀での青看はどうなるのか。「松崎」もしくは「安食」を出すのか、それともまさかの地名非掲載でおにぎりだけ表示とか。
実需で使ってばっかり... 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 5月19日(日)01時35分7秒 返信・引用 編集済
どうも深夜急行の定点観測ならぬ実需利用が定着してしまっています(苦笑)
まあ深夜急行があるから最後までお付き合い、ということなんですが...
ということで金曜日も乗ってしまいました。快速最終が出た後のタイミングで、緩行線で津田沼に出てタクシーの方が早く、もしくは船橋から新京成の深夜急行に乗車、ということも考えたのですが、緩行線で深夜に立つのもしんどく、都内から深夜急行にしました。
新橋で少し観察して、0時45分の大仏行き、ではなく有楽町に移動して平和交通利用です。500円高いですが、早く着きますし、あとから来る新京成の実見も出来ますから。
新橋の様子ですが、0時半の西船橋、CNT経由成田空港行きの人気が高く、渡航客はほんの一握りなのに、20分のグリーンバス成田行き(10人程度で発車)が入線する前から長蛇の列です。発車まで見届けずに離れたのですが、25分過ぎの段階で30人を超えており、驚きです。
驚きと言えば、有楽町へ1駅移動しようとした時です。10月に乗った池袋行き(新橋0時33分、有楽町0時36分)が実は山手線の最終で、36分の京浜東北線赤羽行きと、53分の上野行きで打ち止めということ。深夜急行の様子を見ての掛け持ちは実は薄氷だったようです(汗)
しかも金曜深夜で混雑したのか、山手線は8分遅れ、赤羽行きも2分遅れで、有楽町では走りました。
有楽町の京成系乗り場には6〜7人がおり、さっき新橋で見たバスがやって来ましたが、あのあと新橋の状況次第では厳しい状況かも。八重洲で三度見ましたが、通路に補助席が見えない状況なのでそれなりに空いていたのか。ただ、補助席が無い仕様という説もあり、だとしたら積み残しの可能性も否定できません。
平和交通乗り場に着くと既に乗車中で、結局30人弱で発車です。
八重洲で15人程度と補助席使用となり、1時過ぎの発車は5分程度の遅れですが、1時18分の新浦安、海浜幕張、千葉行きと勘違いする酔客に、電光掲示板を見てください、と案内していましたが、行列があるんだからそちらに並んでください、と言えばいいのに。中途半端な案内だから何度も乗り込もうとして時間を取られていました。
兜町で1人乗車で、乗客2名と添乗員1人の3人が補助席に座りました。44人乗車は新京成もあるのに盛況です。添乗員の確認を聞くと、津田沼駅がけっこういます。村上や勝田台もいる中、目立ったのが船橋日大前駅でした。
谷津駅で3人降車。奏の杜経由のルートを取り、どうやらまろにえ通りは経由しなくなったようですが、モリシア手前でモリシア一周コースに入り、正規の停留所で降車扱いです。
1時35分は5分遅れですが、8人ほど降車です。なお、添乗員の声掛けサービスですが、降車客のほか、通路側に座る人、補助席の人にも声を掛けて、通れるように配慮しています。
再度モリシア南面を通りましたが、ロータリー周回は無し。3回乗車して3回ともルートが違います(苦笑)
南口ではタクシー待ちが10人弱ですがタクシーが出払ってます。北口に回り込むと40分。タクシー待ちが50人はいる状態で、タクシーはひっきりなしに来るけど待機はいない状態です。山手線最終が8分遅れだったので、緩行線も10分は遅れているとしても、終電到着から10分以上経つのに厳しい状態です。
駿河台で1人降車、そして驚いたのは飯山満駅入口で7人ほど降車です。
ここでトイレに行った乗客を想いやってか発車待ち。2分ほど停車して50分過ぎの発車となり、高根木戸駅は1時55分着と10分遅れです。
後から考えれば着順と停留所位置も順目なので、北習志野駅で観察すればよかったのですが、酔った頭では思いつかず、高根木戸駅で降りましたが、5人降車と、新京成と被る3ヶ所で13人降車で、日大前駅が4人程度いたようなので、北習志野駅、緑が丘駅を含めると20人以上が「敢えて」平和交通を選んでいます。
そして毒を食らわば皿までで、新京成の到着を待ちましたが、結局29分遅れの2時19分着でした。
降車は4人、残る車内は15人強で、船橋からの乗車もあるでしょうから、有意に差がある状況です。
都内からだと500円の差がありますが、平和交通が10分遅れ(実質8分)なのに対して新京成が29分遅れとなったように、定時性が影響しているのかもしれません。実際の時間だと1時55分と2時19分。この差は大きいですから。
看板時刻の謎 投稿者:dai 投稿日:2013年 5月14日(火)21時48分35秒 返信・引用 編集済
前向きに考えれば他駅での深夜需要(北朝霞ですら2330までやっていて驚き)を見て人員の手当てをつけた、後ろ向きに考えればJREから駅構内を占有する条件として深夜営業を要求された、というところでしょうか。
22時過ぎてから手軽に温かいものを食べようとすると、牛丼かラーメンになるのが30過ぎてからは重く感じていたので、駅そばの長時間営業は素直にありがたいですね。
品川は独立系では 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 5月14日(火)00時32分15秒 返信・引用
品川駅の「駅そば」は記事にした後NRE系が撤退し(跡地にNEWSDAY)、常盤軒がホームに伝統的なスタイルで残るという意外な結末になっています。万葉軒などのようにNREの資本参加を受け入れていないので、メニューも天ぷらのバリエーションがあるとはいえ基本的に揚げ置きですし、あとは卵に山菜など、伝統的なレベルに留まっているのも「駅そばらしさ」が残る格好で好ましいです。
そういう意味ではNRE系ゆえの人員シフトと言う見立てが必ずしも当てはまらないわけで、ならば23時半と言う看板時刻の謎も残るのですが、実際に23時過ぎに暖簾をくぐった感覚としては、客が入れ替わり立ち代りでカウンターが埋まりっ放しと、飲んだ後の締めと言うか小腹対策に絶妙の営業と言えます。
余談ですが、ざっかけない駅そばとはいえ、ひと工夫あるのも嬉しく、卵入りにしたら、つゆを半分くらい入れて卵を落とし、その上からつゆを張る、つまり、卵に微妙に火が通るのと、つゆの温度を下げない工夫がいいですね。大半の立ち食いは最後に卵を落として刻みネギをかけて終わりですから。
そういう意味では、新津田沼の上りホームの1000円カット跡に出来たそば屋が気になりますが、営業時間帯に帰れないので試していませんが、今のところ評判を聞きませんね(苦笑)
駅そば 投稿者:dai 投稿日:2013年 5月13日(月)06時47分46秒 返信・引用 編集済
> 納期に迫られ食事も満足に取れない中、気が付いたというか収穫?は、品川駅13番線の駅そばが23時半までやっているということ。コンコースのコンビニご飯にしようか、と思ってまさかと思ってホームに降りると、やっていてビックリしました。
これはNRE化の数少ない収穫なんですよね。人繰りは大手の方が明らかに得意ですから、立川や南浦和等始発で出勤させて終電で帰らせるようなシフト組を窺わせる遅寝早起き営業になっています。
もっとも、東海道新幹線開業前の名古屋駅は終夜営業だったそうですね。
敢えて非公認キャラを「否定」する 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 5月11日(土)17時11分10秒 返信・引用 編集済
連休中からずっと高原状態でしたが、ようやくこの週末は休めるようです。ただ、傍らにはいわゆる「風呂敷」がありますが(苦笑)
昨夜は週末休むために行ける所まで行って深夜急行か、と覚悟していましたが、幸か不幸か22時頃に終わりました。
納期に迫られ食事も満足に取れない中、気が付いたというか収穫?は、品川駅13番線の駅そばが23時半までやっているということ。コンコースのコンビニご飯にしようか、と思ってまさかと思ってホームに降りると、やっていてビックリしました。
前日には牛丼屋に行ったのですが、ブログで批判した状況に変化はなく、牛丼1杯出すのに10分もかかる有様では困ります。
さて、地元船橋の「非公認」ゆるキャラですが、公認しないことへの市への批判が出ているのを見ると、何だかな、としか言えません。呆れたことに市議会で、公認しないのか、と質問する馬鹿な議員まで出る始末ですが、こういうリスク管理、ブランド管理のイロハも分からないような手合いがリスクを招くのです。
人気がある、知名度がある、確かにそれは事実です。面白ければ何でもいい、というメディアは積極的に取り上げますし、イオンモール船橋のようにイベントに呼んじゃう売れればいいという企業もあります。
でも、「船橋市」の看板を背負うからには、最低限守ること、というか条件があるわけです。
「船橋が好きだから」と言えば良い、許されるわけではありません。ある日突然貴方に、「貴方が好きなので貴方を宣伝します」と訳の分からない人が押し掛けて来て貴方をプロモーションしてくれたとして、貴方はそれを歓迎しますか?知名度が上がったから大歓迎です、とは言わないでしょう。
船橋市の宣伝であれば、船橋市がそのキャラクターをきちんと管理しなければいけません。
発言、行動、営業箇所、商品、その他あらゆることにおいて、船橋市の方針に反したり、船橋市に不利益になることをしないかどうか。さらに「中の人」の運動能力やしゃべりに負う部分が多いこのキャラクター特有のリスクとして、「中の人」の素行が管理できるか。
現状はそうしたリスクへの対応が考慮されている形跡はありませんし、「中の人」の自主規制に委ねられているに過ぎないのです。
おりしも地場産品を宣伝する「目利き番頭・船えもん」が公式キャラクターとしてデビューしましたが、非公認の方がかわいい、という声も少なくありません。でも、「公式」というのはきちんと目的に沿って、そこから逸脱しない事が最低限求められるのです。
非公認のリスクを思えば、非公認の活動自体も船橋市に対するリスク要因です。
それは言い過ぎ、何か恨みでも、と言う人は、そのリスクを負うだけの覚悟があるのか。61万市民の「代表」とするのであれば、きちんと考えるべき部分です。
初富連立の進捗 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 5月 6日(月)23時10分48秒 返信・引用
新京成の初富付近の連立で進捗が遅れていた北初富駅付近に動きが出てきました。
出来上がって何年も店晒しの北初富仮駅が、4月の健康ハイキングで立ち寄りスポットになっており、黒歴史的な存在でなく周知すべき対象になっていることを示しましたが、北初富駅付近でR464(r57)渋滞の元凶となっていた踏切南側の交差点が変更されるようです。
店舗が立つ中、どうするのか、と言うところでしたが、何と交差点を南側に移設するようです。
入道溜方向から中沢への通りを、交差点に立つ商店を飛び越えて、北千葉線(県営鉄道)用地として確保されていたスペースに強引に移設するのです。現状では仮線の踏切と交差点の間隔が取れないので苦肉の策のようですが、R464に右折レーンが出来るわけでもなく、交差側も強引なカーブが入ることで、渋滞の元凶としての交差点の「改良」にはつながらないでしょう。
なお、完成期限が延びた連立完成時には、交差点位置は元に戻り、全方向に右折レーンがつくようですが、いったい最終形に至るのは何時なんでしょうね。
ちなみに、初富交差点脇の東武高架化でR464、r8、r57の状況が良くなるかと思いきや、南北方向の右折禁止はそのままだし、東西方向のボトルネックぶりもそのままというわけで、このままでは連立が終わっても本当に良くなるのか、という疑念が先にたちます。
そういう意味では隣接する市を走る計画道路が鎌ヶ谷市に入った瞬間に消えるだけに、船橋以上の道路整備の遅れを痛感します。
人身事故に遭遇する 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 5月 6日(月)01時28分14秒 返信・引用 編集済
連休後半戦も出社が大半という状況に頭を抱えていますが、平日のようなラッシュがない、と思いきや、大型連休とあって人出も多く、総武快速も都心目当てよりも横浜や鎌倉方面へという足の長い乗客が多く、平日なら中途半端な時間の電車が激込み、という状況です。特に夜の帰りに予想外の混雑ですから参りますね。
そんな中、3日の出来事には参りました。
この日はかなり遅くなってしまい、平日ならそれこそもうひと踏ん張りして深夜急行の方が楽、という感じでしたが、休日ゆえそれもなく、すごすごと品川から快速に乗りました。
その2263Fが大変なことになったのです。地上に出て、さあ錦糸町という時に突然「急停車します」の自動放送とともに急停車です。何なんだ、と思った次の瞬間、車内放送を聞いて愕然です。
「この電車で人身事故が発生しました」
それらしい衝撃もなく単に急停車した感じだったのですが、やってしまったとあっては大変です。
そしてこれが当該となると長期戦です。
列車番号からお分かりの通り、品川23時8分という深夜帯の電車。津田沼23時45分で新京成には余裕、と思っていたのですが、一気に暗転です。事故発生は23時24分頃ですが、ややあって流れた放送では、運転再開見込みは0時半となり、これで新京成の最終は難しくなりました。
並行する線路を見やると、緩行線の西行きが停車中。位置はと見ると、緩行線から快速線の渡り線が分岐するあたりで、先頭車両がホームに掛かったところでやらかしたのか、と思っていたのですが、5日の朝刊にようやく仔細がベタ記事ですが出ており、ホーム手前800m付近で線路上にいた人をはねたそうです。高架線上ですから迷い込むには無理があり、自殺でしょうか。いずれにしても迷惑な話です。
運転再開見込みが0時40分に伸び、影響がないと確認された緩行線が0時10分過ぎに動き始めましたが、こちらは乗車列車が当該ですからどうもこうもありません。
車掌がまめに放送するのですが、状況が変わらないのでは聞いても意味がありません。それどころか、当初「救出作業中です」と言っていたのが、「難航しております」となったわけですが、あまりそういう実況は聞いても気持ちがいいものではないでしょう。ケースによってはもっと「具体的な」説明があったこともあるようですが、言えばいいってもんじゃありません。
気分がすぐれないなどの方は非常ボタンで通報を、という案内が流れていましたが、運転再開に際してはその解除が必要なようで、「7号車でボタンを使ったお客様.、もう一度押してください」というアナウンスが流れていました。
その後最徐行で動き出したのは0時20分過ぎ。見込みより早く、新京成最終は無理としても帰宅は早まりそうです。黄色い非常線が張られ、警官が居並ぶホームに入線しましたが、ここで発車準備などがあるのでしばらく停車とのこと。お急ぎの方は緩行線へ、という案内です。
結局出発したのは0時35分。なぜか発メロを10回近く流しての発車ですが、1時近くとなった津田沼到着時点では緩行線に乗り換えても抜き返した格好で、結果論ではありますが「誤案内」でした。
放送で千葉からの接続が取れないお詫びそしていましたが(この電車は内房、外房、成田の最終連絡です)、津田沼でも当然接続はなく、タクシーに並びました。幸い回転が良く、20番目くらいでしたがほどなく乗れましたが、災難でした。
さて、不幸中の幸いだったのは、連休中なのに遅くまで、ということで、休日事前料金を活かしてグリーン車に乗っていたことでしょうか。おかげで70分の足止めも耐えられました。
しかし、何だかな、と思ったのは、急停車して人身事故とアナウンスがあった瞬間、アテンダントのところへ行って、アルコール類を買い込む乗客が何人もいたこと。長期戦になるので気持ちは分かりますが...
まあアテンダントも抑止中に、「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」と言いながらも何回も車内販売に巡回してきており、どっちもどっちですが。
良い企画だがお役所仕事 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 5月 2日(木)00時10分31秒 返信・引用 編集済
続いては、少し前に「やっつけ仕事」と批判した、新京成運転開始65周年記念のパネル展が、今度は船橋市役所で開催という話です。
「写真展 新京成沿線の風景 〜古き良き街並み〜」と題して市役所1階、入口を入ってすぐ右手のスペースで開催されています。
コの字型に配置された内側に京成津田沼から鎌ヶ谷大仏までの各駅の電車に掲示されたパネルと、関連するこれも電車に掲出された電車のパネルがあり、外側には初富から松戸までの各駅のパネルと、電車のパネルがあり、ヨーカドーの時とは大きく違う「完全版」です。
さらに今回の目玉は、船橋市側が用意した駅関係の写真や空撮写真。これがまたお宝で、電車掲出の写真がもっぱら昭和30年代から40年代前半なのに対し、昭和40年代後半から50年代の、まさにこの駅を使っていた、という思い出が甦る写真がいっぱいあるのです。
空撮もお宝で、昭和30年代の津田沼駅を取った写真は配線が分かる優れものです。
習志野台団地、高根台団地のそれぞれ竣工当時の写真も、その周辺地域の様子が分かるのが重要ですし、平成17年の高根台の空撮も、アートヒルの第1期が完成し、2期が更地の状態で、それ以外の団地構造物が総て残っている、いわば「最後の姿」として貴重です。
特に「昭和55年ごろの新京成駅舎」と題した前原から二和向台までの駅舎の写真は涙が出るほど懐かしく、橋上駅や駅ビル化される前の貴重な写真です。(高根公団はサンプロになっている)
そのほかの写真も見応えがあり、それなりの値段になっていいから冊子にして販売してほしいです。
ただ、一つだけ苦言を言えば、ヨーカドーでの開催が「やっつけ仕事」でしたが、今回は船橋市との共催で市役所が会場ということもあって、文字通りの「お役所仕事」ということ。
そう、4月24日から5月10日までの開催といいながら、開場は9時から17時まで。しかも市役所開庁時のみ、ということは、この大型連休中もカレンダー通りの開庁です。
つまり、この後は明日2日と、連休明けの7日から10日の都合5日間しかチャンスがないのです。
内容がいいだけに、開庁時間が長く、第1、3、5土曜とその次の日曜以外は開いているFACEの庁舎でやって欲しかったです。
森のシティシャトルバスを見る 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 5月 1日(水)23時47分28秒 返信・引用
連休前半戦はほとんど出社という悲惨な状態でしたが、そのおかげで社休日のメーデーが休めました。
ゆっくり休みたかった反面、メーデーは社休日だけど平日ということでいろいろ見て回ってしまい、あまり休まっていません(苦笑)
まず出掛けたのが森のシティの通学バス。
最初に白状しますと、小学校の始業時間を勘違いしていて、船橋駅に着いたのが7時50分過ぎ。総武線の中から海老川に架かる橋を渡って市場小(船橋小)に向かう児童の列を見て「しまった!」と思った時には後の祭りでした。
バスルートを逆行する形で市場小通学路入口バス停(といってもポールは無い)に向かうと、あと少しでバス停のある通り、というところでちょうどシャトルバスが右折して来ました。
表示は「『通学』(四角囲い)プラウド船橋 ⇔市場小通学路入口(⇔以降は下段の二段書き)」です。
バス停にはちょうど8時頃の到着でしょうか。ただし長津川沿いの通学路に人影は無く、通常は1本前に乗るようです。
駅からグランドホテルのところを右折して来ましたが、前便を見ていないため、5分ヘッドではなく10分ヘッドのイメージと思われます。
遅刻対応の便がないと大変なので(寝坊などではなく、トイレなどで出遅れることはありますよね)、まだ来るはずと張り込みましたが、次に来たのは10分後。しかも「通学」ではなく「ふなばし森のシティシャトルバス(1段書き)」表示の混乗便です。
これはなかなかシビアですが、さらにシビアだったのが、実は暇にまかせてさらに次を待ってみたら、何とその次もシャトルバスでしたが、30分空きました。(何という暇人...)
前便は無人でしたが、こっちは何人か乗っています。しかも市場小通学路入口で1人降りたのはどういう重要なんでしょうか。
このバスを見て駅に戻りましたが、バスが信号に引っ掛かたせいもあり、天沼へ右折した後も見えましたが、「船橋駅」を過ぎたら「回送」表示になっています。
しかしバスがあるのはいいのですが、通学は大変ですね。
10分ヘッド(ピーク時は5分ヘッドもしくは2台口か)で、7時50分頃着(40分頃発?)が事実上の「門限」です。バス停は市場の通用門の南側、長津川に架かる橋の手前に欠き取りが設けられていて、そこに発着しますが、市場小までは500m以上あるわけで、バスに乗った上に、歩行距離も他校並みでは厳しいです。
8時10分に着席、というのが標準だったと子供に聞いたのですが、だとすると7時半過ぎには各戸を出て、40分頃にバスが出て、8時前に学校に着く、というタイムスケジュールです。
しかも遅れると10分単位でスライドするのですから融通も利きません。
時間に正確な子供に否応なく育ちそうですが、小学1年生からというのも厳しいですね。
何という消極的対応 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 5月 1日(水)23時45分17秒 返信・引用
かつては終電近くなるとコンコースに白タクの客引きが入り込んでいたJR津田沼駅ですが、最近は宵の口から飲み屋やカラオケ屋の客引きが駅の軒先ギリギリまで出没し、キャッチセールスなのかスカウトなのか、日焼けサロンで焼きました、という感じの怪しげな男がコンコースで女性に声掛けをしており、雰囲気が悪いのは言うまでもないですが、かつ通行の邪魔です。
そうした状況に対応したのか、先週末にコンコースからペデに出るところの床面に、「キャッチセールスに注意」と言う趣旨の広告?が貼られました。
まあお札じゃないんですから、貼って効き目があるとは思えません。
それよりも、そんなお茶濁しで済ませる体質が問題でしょう。所管の習志野署とJRが積極的対応を取っていない証拠です。
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