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習志野原の掲示板 過去ログ 2013年9月


北初富再び 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 9月29日(日)22時49分28秒 返信・引用 編集済
北初富の高架化工事の続報です。
くぬぎ山方の北総線を潜ってから高架線に上がる部分、斜路になる高架橋が出来てきました。上り線部分だけ出来ていますが、前にも言いましたが北総線高架との間に作業空間を確保するためか、高架橋の位置が若干北総線から離れるため、片側だけ先に立ちあげることが出来たようです。

そしてR464との交差部分の例のスーパー付近ですが、裏手に迫る仮線工事だけでなく、表側(R464側)も露骨に迫って来ました。
店先の歩道部分というか、店舗用地と思しきエリアにも仮線工事と本設工事のラインや橋脚位置が書かれており、さらには仮線用地の柵と、現在店舗の裏に建設中の住居?への通路になる空間が、スーパーの真横のR464南側(仮駅の反対側)に出来ています。

ここまで来てスーパーがそのまま、というのも不思議な光景ですが、裏に建設中の住居が完成し、転居したらあっという間なんでしょうね。

現地を見て気になった、というか気付いたのは、北初富仮駅から仮線用地は真っすぐ伸びるように見えて、実際にはR464のところで軽くカーブを切っているということ。
R464のところに、国道を横切る踏切建設用のマーキングがしてありますが、その白ラインが「仮線用地」と書かれた青ラインと15度程度の角度が付いています。





津田沼リムジンは従来通り 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 9月27日(金)23時28分39秒 返信・引用
9月20日に開通した谷津船橋ICですが、津田沼リムジンが利用していないことを実際に乗車して確認しました。羽田発ですが、相変わらず湾岸習志野ICを出て、浜田を引き返して香澄右折で北上します。

あと、R357本線から浜田へ向かう側道の右側車線が、コーンが置かれて閉鎖されています。
まさか浜田から中瀬にかけての下り側道のように「何とかブロック」が置かれるのでしょうか。コロンブスシティ方面に入るクルマがよく急減速するので、右側車線を塞がれると困るというか危険です。
反面、2車線あるのをいいことに、トラックがここで路駐して休憩や時間調整しているケースも目立つわけで、そういう無法トラックの排除かもしれないだけに痛しかゆしです。

いずれにしてもせっかくの開通を活かしていないのには驚きです。





ダイヤ改正と(飛)マークの終焉 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 9月26日(木)23時44分45秒 返信・引用
京成電鉄が10月26日にダイヤ改正を行う旨、公式で発表されました。とはいえ「修正」レベルで「一部変更」というタイトルです。

内容は成田空港発最終のスカイライナーの時刻繰り下げ。12分繰り下げて22時30分発になりますが、LCC対応を謳うのであれば、やはり夏休み運転のアク特の定期化くらいのインパクトが欲しいですね。

あとは平日朝の上り快特1本が都交線内エア快になるということ。ただし京急線内は快特とあるので、蒲田に停車するようです。
現在走っている朝の(飛)快速は都交〜京急線内エア快ですが、都交線内エア快は京成線内(飛)マークと言う法則があります。そうなると、今回の快特は(飛)快特が復活するのか、と思いきや、リリースの最後に(飛)マークの廃止と出てきました。

1998年11月の改正で登場した(飛)マークですが、当初からその位置づけが曖昧で、成田空港発着の特急と、それに接続する上野−高砂間の特急に付くが、ただし都交直通の特急は都交線内で通過駅があるものだけに付く、というルールでした。
京急側は都交線内通過駅があるもの、と明快で、京急線内快特、特急のそれぞれに(飛)マークがありました。

2002年10月改正で「成羽直結」が廃止されると、同時に上野系統の(飛)マークがなくなり、(飛)マークつきは都交線内通過運転の(飛)快速、それも上りだけとなり、(飛)マークは都交線内で通過運転を行う列車の予告表示となり、上りだけの設定になりました。
2010年7月のスカイアクセス開業時の改正でもこれは踏襲され、上りの都交線内エア快となるアク特には(飛)マークが付きました。

今度の改正では、別途都交線内エア快になることを時刻表では示すそうですが、(飛)マークは消えます。
これで(飛)マークは2010年5月改正で登場した京急のエア急に残るだけになりますが、京成車も朝夕の快特では京急線内エア急の運用が多いので、2002年改正以降も京急線内の都合で(飛)快特が残ったように、(飛)マークが「残る」ことになります。

ちなみに朝のエア快ですが、羽田8時過ぎの到着というのが微妙ですね。セキュリティに駆け込んでも8時半頃のフライトにしか乗れませんから、ビジネス的には中途半端な感じです。




谷津船橋ICを見る 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 9月26日(木)23時08分9秒 返信・引用
20日に開通した東関道の谷津船橋ICを使ってみました。いろいろ見どころや論点もあったので、ブログではなくサイトの記事にするつもりですが、今週はどうも手がつきません(汗)

実際に使ってみて思ったのは、やはり便利と言うこと。船取線南行きから若松の通過は右折ほど強烈なストレスもないですし、船取線北行きへの通過も休日の16時頃で信号2回待ちですからまあ許容範囲です。
とにかく日の出町などの渋滞ポイントを完全スルーできるわけで、時間短縮もさることながらストレスフリーになるのは大きいです。

一方気になったのは、「谷津船橋IC」の告知があまりにも少ないこと。船取線南行きはそれこそ若松手前に来てようやく現れます。「東関東道」の表記も中野木手前にありますが、下り方面の湾岸千葉ICのことを指すのだろう、と思うのが自然でしょうし、その手前は京葉道路花輪ICの表示のみです。
おまけに船取線南行きは、「谷津船橋IC」の案内が出るはるか前に首都高千鳥町ランプの案内があるわけで、本気で誘導したいのなら、若松を直進して回りこむ道筋を描いた案内図を掲げるべきですが。

このほか利用が期待できるまろにえ通りなどにも「谷津船橋IC」の告知が無く、例えば秋津交差点からR357に入っても告知が無く、ブラインドカーブの途中で現れる電光掲示、そして路面の表示ときてようやく緑色の表示が出てきます。

全体的に案内が少ない上に、東関道本線も湾岸市川ICの先にあるこの先のICの案内看板で、本来「2-1 谷津船橋」となっているはずの箇所が、23日夕方の時点でカバーがかかったままというのでは困ります。さらに1kmがなくて900m手前、500m手前、出口手前の表示は「谷津船橋」ではなく「船橋 習志野」で、下に小さく「谷津船橋出口」という花輪ICと同じやり方では一見さんは迷いますよ。(花輪ICも手前の表示は「津田沼」)

さて、ICの構造ですが、まず下り出口は料金所通過後、下り勾配でアンダーパスのレベルになり、そこでR357への車線を左分岐。
こちらは半トンネル状の構造物を通過してから上り勾配になり、R357に合流します。左合流ですが左カーブなので視界は確保されていますし、イエローラインと右側の内側に白破線という左車線からの車線変更だけ禁止と言う規制なので、合流時も安心です。

なおちょうど谷津干潟の駐車場入口付近であり、合流後すぐに車線変更して左分岐の駐車場の分岐車線に入ればダイレクトに行けますが、出口車線から3回の車線変更を一気にする格好であり、あまりお勧めできないと言うか、無理でしょう。本来ならポールを立てて行けないようにすべきですが、ポールを立てるとR357の右側車線にいて、谷津船橋ICから出てきたクルマを交わそうとしての車線変更が出来なくなるので立っていません。

一方アンダーパスしてビバホームの横、海浜大通り方面に出るケースですが、こちらはトンネル内で右カーブして終わると急上昇となりますが、明暗の差と勾配で前がよく見えないのが怖いです。
さらに、出るとR357側から来た道の真ん中に出てくるのですが、IC出口が直進、R357からの道が左折・直進となり、若松・船取線方面はIC出口の車線の右側に現れる右折車線になります。

ここに危険箇所があるのです。ICから急勾配で地上に出て、さてどの車線だ、と前方を注視していると、左からクルマが被さってきます。
これは手前左側の商業施設などからのクルマなんですが、若松方面に向かうクルマが合流してきます。アンダーから海浜大通りを幕張新都心方面に行きたいクルマは逆に向こうに被せるわけですが、これはR357側から来る流動を絞っていないことによる弊害です。

さて、上り入口のほうはアンダーも無く単純ですが、ビバホームの横からR357に突き当たると、R357を横切って左折してIC入路に入る格好です。つまり、IC入路は交差点の時点で既にR357本線から分岐していますが、おかげでICに入るときの左折が小回りにならないので曲がりやすいです。ただ、R357本線から来ると、IC入路への右分岐があり、そのまま目の前の料金所へ、と思ったら、分岐したはずの本線の信号と同じラインに信号があります。これは錯覚を招きやすく注意すべきポイントですが、この信号が無いと、ビバホームの横から来て青信号で谷津船橋ICに入ろうとしたクルマと、R357からICに来たクルマが交錯するので必要な信号です。まあ紛れが無いように、R357本線側は信号手前の段階では「3車線」の仕立てにしておいたほうがいいのですが、分岐した格好になっています。

ちなみに津田沼リムジンですが、谷津船橋IC経由になったかは不明です。困った?ことにここ暫く乗る機会がなさそうだし...





新津田沼の落日 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 9月26日(木)22時51分25秒 返信・引用
迂闊にも気がつきませんでしたが、津田沼ミーナのドンキが閉店してたんですね。唐突な閉店だったようですが、新津田沼駅の駅そばといい、逃げるように出て行くのはちょっと気がかりです。
ミーナでは「なめらかプリン」のパステルも閉店したようですが、ドンキのようなデフレの申し子ですら撤退するというのは何かあるのでしょうか。元々ドンキの進出自体に否定的な私ですが、逃げるような撤退には裏があるのか、それとも進出時同様に礼儀知らずと言うことなのか。

津田沼自体のポテンシャルは南口の奏の杜の街開きで増しているはずで、北口と南口は違うといわれそうですが、目的に応じて使い分けることで相乗効果となって発展するわけで、そうしたプラスのスパイラルアップを図りたいのですが、現時点では微妙です。おそらくイオンはサンペデックにもあるので南北峻別で何も困らないでしょうし。

そうなると開発の軸足が南口に移り、新京成があの体たらくとなると、これまでの商業軸だった「ぶらり東通り」(死語)が「街外れ」になる懸念があります。新京成はヨーカドーとミーナの大家ですが、商業軸から外れてしまうと今回のドンキのようにテナントが逃げ、空き店舗を抱えるか、質の低いテナントで埋めるしかなくなるわけで、そうなると新津田沼のイメージがますます悪くなり、電車の利用者も、というマイナスのスパイラルに陥ります。

細かい話ですが、6連化の進行で夕方以降の電車に乗る際、発車(到着)間際にホームに下りると電車待ちの列が埋め尽くして進めないような状態です。8連が大半だった頃はそんなことは無かったのですが、そうなるとある程度余裕を持って並ぶようになるのが人情です。
こうなると乗り換えの時に時間が少しあるからちょっと買い物でもして、という意思も働きにくくなるわけで、ますますマイナスです。

動力費の増加で増収減益となっている足下の業績ですが、客離れになって減収に転じると「坂道を転がるように...」となりかねない状況です。減車や無人化もそうした状況への備えだと言うのでしょうが、街の魅力、路線の魅力と客を呼ぶことに対し、ポジティブな要素が見当たらない縮み志向では先がありません。




渋滞にはまる 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 9月23日(月)01時39分52秒 返信・引用
内房の方に出掛けてきたんですが、帰りの時間帯はいやいや、3連休というのは分かっていても道路の混み具合が半端じゃなかったです。

館山道が木更津南→木更津北で4km渋滞に始まり、アクアラインが連絡道含めほぼ全線渋滞、陸回りも蘇我から渋滞と詰んでました。
しかも陸回りがひどく、蘇我からの渋滞が東関道ルートは千鳥町、京葉ルートは船橋TBまでの20km超となっており、高速に乗る意欲が失せました。

というわけでR16にしたんですが、木更津の桜井の立体からして詰まっています。ただここは立体に挟まれた交差点が原因で、君津市内もそうだったのですが、青信号の直進も満足にできない(動作が鈍い)クルマが多く、期待される処理台数に達しないことが一因です。

そして高架上に渋滞の車列が見えるR409との交差点では左車線がアクアに向かうクルマが左折できずに停滞。反対側の外回りは袖ヶ浦BTまで渋滞です。右折できずにはまっている高速バスも多く、アクアを渡りきるまで何時間かかるんでしょうか。

その後は順調でしたが、養老大橋を渡ったところから渋滞。ナビの情報だと寒川大橋手前までつながっており、動きがないので内陸に逃げました。
そこから茂原街道に向かえばよかったのに、茂原街道に一時期渋滞表示が出ていたので、もういちど浜側に出てr24に出たのが大失敗。けっこう時間を食って山側に向かうR16に入りましたが、こちらも蘇我IC入口のあたりで渋滞です。

R16も貝塚付近まで渋滞なので、結局ごそごそと蘇我駅東側に出て、末広町経由で県庁、旧R16から千葉公園、穴川、園生からr72で畑町経由で花見川から東習志野、と抜けたのですが、それにしても今日は散々でした。特に東関道、京葉の渋滞は何だったのでしょう。そして下道も千葉市中心部手前でR357、R16とも渋滞常習犯という逃げ場の無さが悲惨です。

これでアクアが値上げになって陸回りの交通量が増えたらどうなるのか。
いや、需要自体が消滅するのかもしれませんが、何とかならないのでしょうか。R357はアンダーの工事中ですが、登戸→千葉西警察署がダメですし、R16もR126との加曾利交差点がネックです。
実はピンポイント的な話でもあるので、改善してほしいですね。



そば屋の閉店 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 9月22日(日)01時47分16秒 返信・引用
前に一度紹介した新津田沼駅の駅そばが閉店していました。
入口に「閉店します」という張り紙があり、ホーム上や駅の外階段を降りたところの案内や宣伝がそのままというあたり、急な閉店というか突然の閉店に見えます。

味は悪くはなかったのですが、場所が悪かったのでしょうね。
ほとんどの電車が6連になってしまうと、2両分離れたホーム先端付近まで行くのも億劫ですし、食べ終わって電車に乗るにも、混雑が激しく、行列が林立している状態ですから、待ち時間を活かすというのも難しいです。

理由はいろいろ推測できますが、急というか、何かありそうな閉店でした。





Re: 谷津船橋 投稿者:takapee200 投稿日:2013年 9月21日(土)23時56分41秒 返信・引用
> No.2884[元記事へ]

エル・アルコンさんへのお返事です。
昨日・チバテレビ:ニュース6&JCNプラスチャンネル:デイリー船橋習志野で東関東自動車道:谷津船橋ICの開通式の映像を拝見しました。

http://jcntv.jp/local/fn/info/channel/1254949_39234.php




谷津船橋 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 9月21日(土)21時59分17秒 返信・引用
昨日開通したというのに、東京方向に使う用事がなくまだ使っていません。
今日なんかは下り向きとの行き来だったもので、谷津船橋出口の真横は通ったんですが...

ちなみに船取線からの案内は若松直進がデフォなので、若松では第2車線に「東関東道」の表示が出ています。
あと、覆いが取れて気が付いたのは、下り出口、海浜大通り方面のアンダーが話題になっていますが、R357への出口車線はいったんアンダーを分岐すべく地下レベルにまで降りてから地平に戻るという効率の悪い、というか出口渋滞を招きかねない構造のようです。





Re: 谷津船橋ICの利便性 投稿者:takapee200 投稿日:2013年 9月19日(木)14時38分4秒 返信・引用 編集済
> No.2836[元記事へ]

リリカルゆかりんさん初めまして!
いよいよ約24時間強後に東関東自動車道:谷津船橋ICが開業しますね,確かに京葉道路(篠崎方面)からは,花輪IC&幕張IC・東関東自動車道(首都高速湾岸線方面)からは谷津船橋IC&湾岸習志野ICといった見たいに,幕張新都心方面への交通分散に期待が込められてると思います!
http://blogs.yahoo.co.jp/tsudanuman1974/39368865.html
http://www.trtk869.com/access.html
http://chiba.drivenavi.net/road/topics/yatsu-funabashi-ic.php




Re: 谷津船橋IC開通 投稿者:takapee200 投稿日:2013年 9月19日(木)14時29分49秒 返信・引用 編集済
> No.2835[元記事へ]

エル・アルコンさんへのお返事です。
>東関東自動車道の谷津船橋ICが明日の15時に開通しますが,若松交差点手前【中野木交差点方面より】と旧ちゃんこ江戸沢を過ぎた先にある青標識に白いマスキングテープの様な物が貼付されていました! 恐らく文字は谷津船橋ICを表示しているかと思います!
http://blog.livedoor.jp/vivit_2012/archives/31261606.html
http://blog.livedoor.jp/vivit_2012/archives/32059322.html
http://photozou.jp/photo/list/2097456/7954207







厳しい話ですが 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 9月18日(水)22時42分48秒 返信・引用
ダイヤ乱れの原因となるトラブルの発生は不可避ですから、責任事故で無い限り発生それ自体を責めることは出来ませんが、その後の取り扱いまでトラブルを理由にいい加減にすることは許されません。

今朝の津田沼駅の取り扱いはまさにそれを痛感するわけで、横須賀線内の踏切安全確認の影響で、快速下りが5分程度の遅れになったまでは仕方がないのですが、そこからが問題だったのです。

折り返しの始発快速は整列乗車を行いますが、遅れの影響が出た832F以降の整列乗車を総て中止するという案内が流れたのです。
なるほど、乗降済み次第すぐに折り返す(この時間帯、運転士も交替するのでエンド交換に時間を要しません)ということか、と思うでしょうが、実態は違うのです。

普通車はそれでいいのですが、快速にはグリーン車があるわけで、座席の転換作業が必要なのです。
このため「グリーン車のお客様は座席の向きを変える作業がありますのでしばらくお待ち下さい」となるわけで(これは整列乗車を行わない東京駅19時台以降の始発快速でも同じ)、結局は折り返しに時間を取るのです。

平常時の整列乗車の段取りを見ると、普通車の車内巡回を終えて、駅員が所定の位置に集まり、「業務放送、千葉方点検終了です」というアナウンスが入ると白旗を振ってドア扱いをするのですが、この業務放送のタイミングは過去の経験上、グリーン車の車内整備終了と100%リンクしています。(グリーン車に乗車するために並んでいたらこの流れはよく分かります)

つまり、グリーン車の車内整備を行って客扱いをして発車する時間を確保する以上、整列乗車を止めても何の時間短縮にもならない、つまり、電車の遅延が整列乗車中止の理由にはならないのです。
同じタイミングで普通車とグリーン車が乗車扱いを始めても、座席定員90人のグリーン車で2箇所から1人ずつ乗り込むことから、普通車よりも乗降に時間を食うわけで、その意味でもグリーン車での乗降の時短が出来ない限り、整列乗車を止める意味はありません。

もちろんごく稀に居座ろうとしていたり、眠りこけている乗客を下ろすのに手間取ることもありますが、それで何分も取られることは見たことがありません。
逆に、ダイヤ乱れだからこそ乗降を整然と整理する必要があるわけで、実際、今朝の電車では特定のドアに降車客が集中したことでほとんど座れなかった乗車口が発生するなど、ダイヤ乱れの上に、並んでいたのに座れなかった、と言うような混乱を招くのは、ダイヤ乱れが原因ではなく、駅側、会社側の不手際の域です。

さて今朝は品川でも「いやなもの」を見ました。
山手線ホームは新幹線まで通じ、改札のに直結する連絡通路が東京側に集中する配置のため、田町寄りが混雑します。そのため始終大崎寄りに進むよう、また東海道線までしか通じていない大崎寄りの階段を使うように案内しているのですが、その東京寄りの階段を駅員の集団が堂々と通行しています。

ちょうど山手線が到着して混乱しているさなかに、階段横の狭い箇所を集団でゆっくり移動するのですから、この電車に乗りたい人や、降りて乗り換え階段に行きたい人にとっては邪魔以外の何物でもありません。この時間帯は通勤対応のシフトが終了する時間ですが、どうやら山手線ホーム事務室で点呼か何かをするのでしょうか、ここに集まっているのですが、場所の選択、そして移動経路とも論外です。どうしても通るに必要があるにしても、ドア扱いが終わるまで狭い箇所を通るのを待つくらいの配慮も出来ないのか。

通路やホームの混雑を理由に「お客様」に遠回りしてください、とお願いしながら、社員がそこを通る、しかも集団で、というのは普通の客商売、いや、客商売で無い企業でも来客に対する対応としてはありえないレベルです。
以前ブログで指摘(指弾)した立客が出ている中で座席に座り続けた社員もそうですが、新入社員レベルの教育が必要なレベルと言えます。
そして冒頭の津田沼駅の整列乗車の扱いの件も同じでしょう。まず「お客様」という感覚が欠けています。さらに言えば品川駅の対応は、以前は駅員の立ち位置一つとっても工夫が見られたのに、最近ではお座成りになっているのは残念です。






運転、運航再開 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 9月16日(月)14時29分13秒 返信・引用 編集済
14時現在の風は若洲と千葉で11m、他は10m未満となり、風向きも西に振りつつあります。

交通機関も運転再開が相次いでいます。

総武快速線が13時50分に再開。総武緩行線は13時30分にお茶の水−西船橋間に不通区間が短縮。
常磐快速線、緩行線は12時50分に運転再開。
メトロ東西線は13時20分に運転再開。

道路は首都高4号新宿線、11号台場線が復旧(台場入路は閉鎖中)。さっき見落としていましたが、湾岸線の東扇島−幸浦、K5号大黒線全線、K3号狩場線の新山下−本牧JCTが通行止です。

NH024は1415に羽田着。羽田の受け入れが再開されています。
出発も新千歳への羽田発1300のNH065が1318に出ており、空路は再開と見ていいです。

なお、新京成のサイトで10分程度の遅延証明が発行されており、Yahooの交通情報で13時半ごろに遅延が出ているとの情報もあり、先の投稿以降に遅れが出ているようです。



高速、航空の様子 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 9月16日(月)13時51分36秒 返信・引用 編集済
気象庁のサイトだと、湾岸方面の風速は20mを保っており、もうしばらくは影響が続きそうです。
道路関係では、アクアラインと連絡道で浮島−木更津金田(川崎方面行きは袖ヶ浦から)が通行止。京葉道が事故で下りが武石−幕張、上りが幕張−千葉西TB(宮野木JCT)で通行止です。

首都高は11号台場線全線、C2中央環状線が江北JCT−板橋JCT(内回りは滝野川からの利用は可能)で通行止。また事故で4号新宿線下りの外苑−三宅坂JCTが通行止です。

一般道路は東京港ゲートブリッジが通行止。県内に規制はなく、荒天のせいか交通量も少なめです。

航空は東阪間ANAでは、朝方は羽田620のNH411が欠航した他は運行。羽田910のNH3821(MQ共同運行便)から欠航で、午後は1510のNH3825(MQ共同運行便)から運行の予定。
羽田行きは関空1105のNH3822(MQ共同運行便)まで欠航。神戸705のNH412は神戸を出したものの伊丹に引き返し欠航です。
なお伊丹1200のNH024が1305に、1300のNH026が1312に伊丹を出て飛行中であり、運行を再開している格好です。

SKYの羽田神戸線は、羽田発720と1105が欠航。1405のBC107は遅れ運行ながら出す予定です。神戸発は神戸1300のBC108まで欠航しています。

JALの東阪間は羽田発が830のJA107まで出した後欠航し、1430のJA121から現状天候調査中。
伊丹発はANAと違い伊丹730のJA104まで出してから欠航。1330のJA118から再開の模様です。
ただし関空発は740のJA172が引き返しになり、関空1325に再出発の予定となっています。

ちなみにNH3825以降のMQ共同運行便が機種変更となっていますが、SFJは機種が1種類のはずで、ANA機材で運行でしょうか。



台風情報 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 9月16日(月)13時31分46秒 返信・引用
台風は宇都宮付近を進行中です。暴風域はなくなり、船橋でも昼前までの強風が少し収まった感じです。
完全な雨台風で京都などで大きな被害を出していますが、首都圏では南からの吹き込みで風による被害が出ています。

渡月橋を洗う桂川の濁流のシーンには驚きましたが、以前サイトで記事にした通り、あの橋は実はコンクリートの永久橋で、コンクリート製の流木除けもあるので、流出といった事態には至っていません。
ただ、宇治川も含めて京都市南部の低地に被害が出ているようで、明治期まで巨椋池があったという地形、地勢がこういう時に現れるようです。

交通の影響ですが、臨海部や千葉方面の長大橋梁区間での運転見合わせが出ていますが、強風の影響を受けにくい内陸方面では運転を再開しています。

県内関係ではJRが総武快速線、総武緩行線、京葉線、総武本線(成東−銚子)、成田線(佐原−銚子)、内房線(君津−安房鴨川)、外房線(勝浦−安房鴨川)、鹿島線、久留里線、常磐快速線、常磐緩行線が不通。武蔵野線は13時前に運転を再開、我孫子線は常磐快速線への直通中止となっています。

川越線が昼過ぎに運転を再開するなど、荒川方面の強風の影響は峠を越えたようで、千葉方面の運転見合わせが目立ちます。

なお、公式によるとNEXは東京13時過ぎの27号から東京始発で出そうとしていますが、快速電車が止まってますから無理でしょう。

私鉄各線はメトロ東西線が東陽町−西船橋で不通。千代田線は遅れを持って運転しており、不通区間は綾瀬以遠に限られている模様。東葉高速は折り返し運転で運行中。京成、北総線は遅れを持って運転中。運休はシティライナー80号のみ。そして新京成は平常運転。何と言う安定感...

なお、常磐方面では関東鉄道が守谷−水海道で不通。TXは平常運転です。



台風接近中 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 9月15日(日)23時57分34秒 返信・引用
台風が接近しています。当初は午前中に通過してしまう感じだったものがやや遅くなり、昼過ぎに通過するようです。予報円と進路を見ると、どうやら台風の東側になりそうで、そうなると南からの吹き込みがきつく、交通機関への影響も懸念されます。そういう意味では、防風柵の整備が2014年度めど、と発表された総武線の改善はスピード感がないですね。

特別警報も、という声もあった今回の台風に伴う雨ですが、明け方に激しく降った後は降ったり止んだりで、昼過ぎには上がり、晴れ間ものぞきました。

さて、まだ雨が残る昼前に所用で出かけたんですが、家のほぼ真上をD滑走路降りの航空機が流れ飛ぶ雨雲の合間から顔を出し、エンジン音が雨雲に反射してか響きました。
明日は南風の影響が懸念されるわけですが、この手の悪天候の時、鉄道が復旧に時間がかかり、さらに正常化に四苦八苦しているのに対し、航空は悪天候のピーク時こそ欠航しますが、回復すると思いのほか早く復旧しますね。

東阪間を多く行き来する身としては、悪天候のピークから最終便までの間に時間が残っていれば航空の方が確実、と言えるケースが多々あっただけに、新幹線よりも航空の方に実は信頼を置くこともしばしばです。

まあ年に何度もない異常事態の話ではあるのですが、レアケースの異常事態を持ち出して、定時性が普段は高い路線のバスを信頼性が低い、だから鉄道が一番だ、というレトリックが交通論の世界では平気で横行しているわけで、そのロジックでいえば、悪天候のリカバリーを考えたら航空が一番だ、という話になりますが、鉄道至上主義、軌道系ラブの人々には見えていないようです。





都交をにらんだ様子見 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 9月15日(日)23時44分8秒 返信・引用
都交が本八幡に来る前に北千葉線が開業というのはないでしょう。本八幡乗り換えしかない、というのは新京成を介して松戸乗り換えという北総1期線より筋悪です。

本八幡だと、市川か錦糸町で快速に乗り換えるか、秋葉原で山手線などに乗り換えるしかないうえに、新宿線がないという前提であればメトロのネットワークへの連携が悪いのです。(4年間本八幡近辺に住んでいて痛感しました)

北総1期線が開業している前提だとしたら北初富(新鎌ヶ谷)からの運賃を考えても松戸経由に分がありますね。東菅野や柏井地区の需要もあるにはありますが、本八幡からの京成バスのボリュームを見ても、高塚方面と本数に格差がありますし、今の市川学園付近から北はけっこう田畑が広がってますよ。

そしてもう一つ。都交側は「東京都営」が千葉県に路線を伸ばす是非を問う声が最後まで根強かったわけです。もし北千葉線が先に本八幡に入ってきたら、都側は真顔で篠崎までも千葉県が建設すべし、本八幡に伸ばさなくても都は困らない、と言いかねない訳で、万が一にも分界点が篠崎になったら、本八幡から2社合算になる新宿線ルートなど誰が乗るか、ということになるわけで、北千葉線沿線からの利用がメインという厳しい状況だったでしょう。



Re: 北千葉線 投稿者:dai 投稿日:2013年 9月15日(日)10時37分39秒 返信・引用
>新宿線延伸が遅れ、当然北千葉線着工も遅れているうちに、

北千葉線でもう一つ不思議なのがこの点なんですよね。分界点の本八幡には緩行とはいえ総武線が乗り入れているわけですから、北千葉線区間を先行整備することもできたわけです。(上飯田連絡線開業前に新交通を建設してしまった桃花台との違い)

ひょっとすると千葉県は鉄建公団のごとく北千葉線を建設するだけで、実際の運行は京成がする予定だったのでしょうか(当然京成は引き受けを渋るはず)。デベロッパーである千葉県の、分譲地の価値を向上させる北千葉線計画に対するこの態度は明らかに変です。



北千葉線 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 9月15日(日)01時35分27秒 返信・引用
北千葉線ルートがメインというのは、1972年答申時点では「都心」を避けた筋悪のルートと言えますし、馬車軌ということで他線への乗り入れも考慮できない訳です。
さらに誤算が続いたのが都の財政難で、東大島から先の延伸が1980年ごろまで塩漬けになり、本八幡に辿りついたのは1989年、それも仮駅で、本設になったのは1991年です。

このあたりはマイナスの連鎖というか、もともと筋悪のルートに加え、新宿線延伸が遅れ、当然北千葉線着工も遅れているうちに、CNTの計画が縮小されたことで凍結されたわけです。
「解凍」の可能性も、中途半端なアクセスで街開きしたCNTの苦戦が表面化し、都心アクセスを2ルート建設するだけの需要が見込まれなくなり、作るなら既に1期区間が開通している北総になるのは陶然の理、と、どんどん可能性が遠のいていったわけです。

このあたりは2000年の事業廃止から12年も「検討」し続けるような往生際の悪さですから、「解凍」時期を探っていたのでしょうし、既に用地買収も始まっており、事業廃止を決断すると損失確定ということで、歴代の担当責任者が先送りを続けてきたのでしょう。

ご指摘の退避駅ですが、確かに岩本町、大島、瑞江の3駅で可能で、5〜7kmおきの設置は比較的バランスも良く、北千葉線内に1駅退避駅があれば完成形ですが、コスト削減が至上命題の新宿線建設において、岩本町と大島が2面3線と退避駅というよりも折り返し用の配線になっています。

このあたりはCNT輸送を考慮した当初計画が縮小したという感じでしょうか。岩本町と大島は折り返し用の配線に変更され(?)、急行運転の際に瑞江の準備工事を本設にして、2面3線駅も活用したのは、逆に「夢の跡」があったが故に可能になった施策です。





都営新宿線 投稿者:dai 投稿日:2013年 9月15日(日)00時30分24秒 返信・引用
瑞江という都民へのメリットがない位置に通過線があるのは、千葉県側からの働きかけがあったのではないかと思うのですがいかがでしょうか。京成は暗黒時代であてにならないのに、千葉県が北千葉線を放置しつづけたのは何故なのか。

CNTのメインルートは北千葉線で、北総は新京成の支線のような格好で松戸〜千代田線ルート重視。北総がバブルの最中に第二期線を建設せざるを得なくならなければ運賃問題もなかったわけで、北千葉線が未成に終わった罪は大きいですね。



渋滞対策よりも... 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 9月14日(土)09時58分3秒 返信・引用 編集済
ANAの10月27日改正で、NH416の神戸発が10分繰り上がり21時5分になったことで、羽田でのリムジン接続時間が確保されることになり、安心して利用できるようになりました。まあ現状でも22時40分のリムジンに間に合うケースは多く、三宮−北習志野が最短で朝は3時間4分、夜は3時間1分という奇跡のようなスジが、夜は約10分プラスになります(苦笑)

NH414も神戸18時5分と5分繰り下がり、NH411もリムジンから乗れる6時20分のままと、ビジネスに使えるダイヤが定着した感じです。あとは谷津船橋IC開通でリムジンがどう変わるかですが、朝の津田沼、夜の羽田の発時刻はあまりいじらないでほしいですね。

そのリムジンですが、運行会社、乗務員によっての所要時刻のばらつきは困ります。
先日乗った東空交便は最悪で、ほとんどを左端車線で過ごし、他のリムジンに抜かれてもマイペースを保つわけです。

湾岸習志野を降りてからの走りも最悪で、浜田で右折(Uターン)するのですからR357の陸橋側道に入ったら右側車線キープが鉄則なのに、なぜか左車線走行を続け、先行するトラックの後走り。コロンブスシティ方面への左折車で減速するのにもお付き合い、と散々です。

浜田の信号待ちの段階で京成津田沼の定刻の3分前。さすがに遅れていると察したのか、そこからはスピードを上げましたが、香澄の信号待ちでも時間を食うなどして(R357西行きが赤になった時に辿りついた)、京成津田沼は8分延の到着。新京成は1本遅い12分後となり、これでは困ります。
(同時間帯のエア急〜エア快〜通特でも1本後の新京成に乗れるので、リムジンと京成電車の差がわずか12分になってしまう)

運行管理その他の「神業」で東空交の評判は高いですが、津田沼リムジンに関しては定時到着率が低く、しかもトイレ無し車が当たる率も高いなど、京成に比べて劣ることが目立ちます。
運行管理がいかに優れていても、渋滞でもないのに定時に着くことすら出来ないのでは困ります。ダイヤに無理があるわけでもなく、京成便は概ね定時かやや早着ですから、明らかに道中の走り方です。

乗客にとって、渋滞で遅れるのは想定内ですが、渋滞でもないのに遅れるというのは、どちらが顧客満足度に影響するかを考えてほしいものです。



12年半も何をしていたのか 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 9月14日(土)09時26分36秒 返信・引用
県企業庁が無理筋な案件を引っ張り過ぎたこともあるけど、住都公団に事実上引き継いだ時にバブルもあって持ち直す可能性もあったわけで、結局は交通問題に帰結するという見立てです。

都心から距離がある大規模ニュータウンで、都心直結の交通整備が事実上無い段階でプロジェクトを進めても駄目だという反面教師ですから。多摩は京王があり、小田急も当初は過剰なルート確保に見えながらも、本線の複々線化の進捗に伴い大化けしました。泉北は泉北高速があるし、千里はそもそも都心から近く、バス便でも既存鉄道からの二次交通のエリア内でしたし、万博で北急を整備できましたから。(東側には阪急千里線が当初から整備された)

1991年まで都心直結の鉄道がなく、松戸での1回乗り換えとはいえ、常磐線という「ブランドイメージ」と現実の不便さが重なり、道路交通も域外連絡は言わずもがな、CNT地区内ですら素寒貧でしたから。(R464の4車線化も相当後でしたし、北環状線、南環状線の整備も遅かったです)

県のマスタープランのいい加減さが総てですが、軌道系アクセスの基軸を県営鉄道に置いたセンスもまた然り。これから整備する、という段階の10号線計画を都と連携して「高速地下鉄」とでもいうようなスペックにするならまだしも、普通の地下鉄、しかも馬車軌というスタンドアロンのスペックでは、という話です。
新宿には直通できるが、京王線しか受け皿はなく、北総線は必ず乗り換えになり、印旛松虫(仮)からの延伸も馬車軌になるという「孤高の戦い」を選択したセンスですから。

ならば京成系の北総、というところ、北総はあくまで小室までという刺身のつま状態に冷遇しておいて、県営鉄道の目途が立たなくなったらメインルートだとおだてても、ということです。最初から経営資源を北総ルートに集中して、街開きに間に合わなくとも1980年代の早い段階(北総1期の開通は1979年)で高砂接続を実現していたら、バブルにも間に合いました。

今回検討委員会が解散、ということについては、そもそも2000年の12月28日に県が県営鉄道北千葉線(本八幡−小室間)の事業廃止届を当時の運輸省に提出しているわけで、そこから12年半もの間検討委員会をだらだら続けてきたという「無駄」こそを厳しく指摘すべき話です。

正直言って、20世紀のオーラスに棚卸しをして廃却したはずなのに、まだやっていたのか、というところです。




(無題) 投稿者:イカ太郎 投稿日:2013年 9月14日(土)07時59分20秒 返信・引用
何も知らないんだな。北千葉線を表に出すとNT開発失敗の原因県企業庁のドタバタが表に出るからだけど。何せ県営鉄道だからね。
北総問題も北総の赤字の問題に目を引き付けておいて県企業庁のずさんさが水面下に隠れてしまったのが問題。県が万歳してURに助けを求めた時点で身を引けばよかったのに中途半端に関与するからこうなった。
京成が北総問題で被害者面するのも結局は押し付けられてひどい目にあった。千葉急行の二の舞だと考えているから。一番最初のプランをよく読み直すこと。京成はCNTに興味が無かった。
住民が北総問題にひきつけられればられるほど企業庁の問題が遠ざかる。県は高笑いだろうな。



北千葉線 投稿者:ふなっしーあんち 投稿日:2013年 9月12日(木)18時48分31秒 返信・引用
北千葉線の建設中止はもったいないですね。過去のことを言ってもしょうがないですが、
千葉ニュータウンは北千葉線が最初に建設されていれば、北総よりは繁栄したかもしれませんね。
やっぱり新宿(といってもJRとか離れていますけど)直通はインパクトがありますしね。
千葉ニュータウンが計画より人口が増えなかったのは、北総の影響もあるような気がします。
多摩ニュータウンも計画通りには行きませんでしたけど、京王・小田急とも北総に比べたら
輸送人員が多いですしね。
新鎌ヶ谷ー本八幡だけでもいいから建設してもよさそうな感じがします。建設距離も10キロもないですし、心配するほど高額運賃にならない気がします。
野田線・新京成から乗客の転移が見込めそうですし、下手すれば北総からも転移してきそうです。
将来は成田空港まで伸ばして・・・ これは妄想ですが・・・



北千葉線 投稿者:ななし 投稿日:2013年 9月 8日(日)14時11分29秒 返信・引用
新鎌ケ谷への延伸計画廃止 検討委員会が解散 都営新宿線
http://www.chibanippo.co.jp/c/news/economics/154647

県が確保していた土地はどうなるのでしょうか?
半蔵門線松戸延伸も断念かな?
東京オリンピックが決まったし、北千葉道路の市川〜鎌ヶ谷区間も事業化にならないかな?



北初富の進捗 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 9月 7日(土)17時39分34秒 返信・引用
北初富の状況ですが、7月30日に交差点変更があった後、9月18日から北初富仮駅の新鎌ヶ谷寄りの踏切の幅が仮線部分にまで伸びる予定であり、仮線への切り替えが本格化してきました。

北初富駅付近の様子ですが、仮線はR464に向けての区間で盤下げを行い、まず舗装してバラストを盛るべく工事をしています。

例のスーパーですが、盛業中で、移転などのお知らせも出ておらず、どうなるのでしょうか。
実は仮線にかからない位置でR464沿いに住宅が新築されており、同様に仮線にかからない位置までセットバックしてスーパーの裏手に家屋が間もなく出来る感じです。

スーパーの裏手にも仮線工事が迫っており、現ホーム中ほどの裏手まで枕木とレールが用意され、そこからスーパーの裏手まで舗装された状態で、50m程度でしょうか、残区間は。

スーパーの裏手の家屋が店舗であればスーパーの移転ということで仮線移設もカウントダウンですが、私有地なので正面に行けず、斜めに遠望しての判断ですが見た感じ床面積が狭いですし、開口部も商店っぽくありません。

そして何よりも、仮線になった時点でR464から建設中の家屋へのアプローチは、スーパーの横に新設された住宅と線路の隙間を通る感じであり、スーパーとして営業するには苦しいシチュエーションに見えます。

とはいえ動きが出てきたということは何らかの解決を見たであろうということですから、間もなく最終形が見えてくると思います。



可能性がある時期としては 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 9月 7日(土)17時18分59秒 返信・引用
1960年代の県内関係の鉄道記事(の見出し集)にも入っていませんね。
1972年答申の頃から「県営鉄道」関連の記事は独立していますが、そこにも出てきません。
1973年にゲージ幅の差が問題、という記事がありますが、県による北千葉線〜成田空港計画がもともと北総線との関係もあり標準軌で、10号線計画が馬車軌という食い違いをどうするか、という論点です。

一つの仮定として、京成の湾岸新線が標準軌で建設するとした場合(千葉寺で京成千葉から延伸されてくる小湊鉄道延伸線と接続。京成千葉で分断は考えづらく、少なくとも海土有木以北は標準軌という見立てが有力)、東陽町で東西線と乗り入れは無いので(既に西船橋延伸が決まっている)、1968年答申で住吉までの計画が出てきている10号線計画との連携を想定していた時期があるのかもしれません。

あるとすれば湾岸新線が免許申請になった1964年よりも前。ただこの時期は京王線からの都心乗り入れ計画が一回ポシャっており、そこにつけ込んだ構想を川崎社長が抱いたのかもしれません。
ただ、当然の前提として、京王線系統の全線改軌が出てくるでしょうし、都市化の進捗等を考えると、1950年代中盤以降に京王は改軌構想を断念しているわけで、公式非公式を問わず企業間での申し入れがあったとは思えません。




(無題) 投稿者:イカ太郎 投稿日:2013年 9月 6日(金)09時41分45秒 返信・引用
常識的に考えてありえないし単なるに西側かぶれでしょ。
総武線を利用していれば新宿までの利用客が少ないことくらいわかるだろうし、わからないのならラッシュ時に利用していないことがバレバレだし。
新宿に通うなら千葉に越さないのが常識。学生かなんかで2chに毒されているんじゃないかな。



有り難うございました(京成の構想について) 投稿者:一愛読者 投稿日:2013年 9月 4日(水)00時51分5秒 返信・引用
エル・アルコン様,貴重な情報と分析を有り難うございます。

今日の副都心優位の状況から見れば新宿直通というのは大変魅力です。それの可能なJRと不可能な京成の優劣は明らかと思われますし,そういう視点から見ればたとえ途中経路が微妙であれ八幡まで新宿線が出来れば当然直通したいだろうと思ってしまいます。
また,時系列的にも東京10号線の免許が初めて交付されたのは昭和43年,京成が改軌を行ってから僅か9年後ですから,免許に先立つ時期には「京王の改軌で10号線による新宿直通」というプランがありそうに感じてしまいます。
しかし当時の状況を考慮するとその可能性は大きくない・・・とのことですね。

勉強になりました。今後ともよろしくご指導ください。



学生輸送が帰ってきて 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 9月 2日(月)23時46分45秒 返信・引用
夏休みとともに6連化が最終局面を迎えているため今朝が最初の「平常運転」になりました。
いつもの電車はその前回から6連になっているとはいえ、先週に比べてやはり混み具合がひときわです。
特に今朝は何を考えているのか、新津田沼での階段前でもないドア前に陣取る人が異様に多く(北習志野時点で車幅半分以上の人だかり)、おかげで乗降に手間取ってましたが、前後のドアに比べて明らかに異様なこの状況、何がどうしてこうなったのか。

この状況が冬休みに入るまで続くと思うとうんざりですね。混み合うくらいが良いんだ、という声もありますが、都心から25km程度のエリアの枝線でこんな状況だと、ますます嫌われて利用者が減少し、6連でも昔の8連のように、となりかねませんね。中期的には。



時系列的に見てどうか 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2013年 8月31日(土)10時48分27秒 返信・引用
京成が協議をしていたという話は寡聞にして聞きませんでした。

京成と京王の都心乗り入れ計画、それと実際の改軌計画を重ねると、どうなのかな、という疑念が先に立ちます。ネタの宝庫(失礼!)である55年史にもそこまで書いてあったかどうか。記憶にありません。

双方とも馬車軌だった戦後すぐの時にあった都心乗り入れ計画は、京成が今の浅草線計画をほぼトレースする格好で、京王は靖国通りを進んで両国までと、市ヶ谷あたりで分岐して上野へ向かうルート。
この時に何らかの接触があったのなら自然ですが、当時は都営地下鉄もない時代です。

京成などの都心乗り入れ計画が1950年ごろ。1956年には都市交通審議会の答申が出ており、この時点で私鉄各社の独自乗り入れの目は無くなりました。
1957年の建設省告示では京王からの乗り入れ路線自体がなく、1962年の審議会答申でようやく京王関係の路線が出てきますが、京成との接点はありません。それよりもその時点で京成は既に改軌を済ませて浅草線に乗り入れています。

次のタイミングは新宿線(10号線)計画ですが、1968年の審議会答申ではじめて住吉以西の路線として登場し、1972年の段階では北千葉線を含む計画になっていますが、この時点では京成の改軌は京急も絡む話になるためあり得ないですし、京王の改軌しかありえません。

一方で京王が改軌を探っていたことは確かで、1960年前後に製造された2010系や5000系の一部は台車が改軌を前提にした設計と聞いています。
京王が全線改軌を達成し、新宿線が標準軌になるという前提であれば京成の直通も可能になりますが、新宿線計画を前提にして京成が直通を望んでいたのかどうか。

1964年に京成は湾岸新線の免許申請をしていますが、それの見通しが立たなくなって転進したのか。(この時期だと55年史がカバーしない時代ですが)
だとしても、新宿線ルートだと高砂回りに対する優位性が微妙で(特に都心ルートが厳しく、新宿も「乗り換え駅」の色彩が強かった)、合理的な理由が見出しづらいです。

あるとしたら、北千葉線計画絡みで調整を試みた程度では。改軌するのであれば北総線と北千葉線の直通を、というレベルの。




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