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習志野原の掲示板 過去ログ 2014年8月


オリンピックをめざして 投稿者:くるみっち 投稿日:2014年 8月29日(金)23時08分46秒 返信・引用
神奈川のくるみっちです。
8月はJRの羽田空港延伸やりんかい線買収、蒲蒲線、はたまた東京モノレール延伸まで
オリンピックをにらんだ羽田空港周りの計画が目白押しですが、東京〜羽田ばっかりで
神奈川県側や千葉県側への配慮がないような気がします。貨物線を田町から
上野東京ラインに繋ぐなどは東海道の輸送状況を無視した乱暴な計画に思います。
それはさておき、前の交通審議会で京葉線から船橋付近へ伸びる路線を作る案がありましたが、
りんかい線をJRが使えるなら、オリンピックまでに京葉線と総武成田方面を結ぶ連絡線を作り、
成田ーお台場ー羽田/新宿アクセスに使えると思うのですが、いかがでしょうか。
その際、連絡線は船橋ではなく幕張イオン裏手から幕張駅地下を通過して花見川付近に繋ぐか、
ミスターマックス裏手から大深度を使って千葉駅の地下にホームを作り都賀の方に繋ぐか
した方が総武線の輸送力を邪魔しなくていいと思います。
私としては、審議会の案がなぜ船橋付近に繋いだのかがよくわからないのですが、
船橋付近の方からみるとどちらがいいのでしょうか。またはどちらも無駄ですか。





♪ミナミが京成、キタ東武 投稿者:dai 投稿日:2014年 8月24日(日)01時16分55秒 返信・引用
京成が船橋を開発していれば、第2の池袋になっていたかもしれませんね。

ちなみに、八幡に京成百貨店というのは、総武線フィーダー戦略の一環だったのかもしれませんね。世が世ならば、北千葉線が北総沿線の客を連れてきてくれたわけですし。

あとやはり不思議なのが京成千葉の開発が中途半端に終わったこと。都市計画で移転を強いられた見返りに用地を求めることができたはずですし、そもそも都市としての力は西武の所沢や小田急の町田の比ではないわけです。

何より湾岸新線や海士有木線を考えていたわけですから、そのターミナルとして京成千葉は重要だったはずですが、何故かそうなっていません。



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もうすぐ登場新塗装 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2014年 8月24日(日)00時09分30秒 返信・引用
ネット上で8月29日デビューの新京成新塗装の写真が出回っています。

まあ塗りたての状況で言えば、思ったより悪くはない、というか、色遣いはウィラーそっくりであり、ウィラーで定着している白とピンクの取り合わせなら極端な違和感はありません。
まあ色遣いが他社そっくり、というのもどうなんでしょうね。バスも3社時代に独自塗装になった際、どこかで見たような色遣いが現れましたし。

ただ、やはり懸念は時間が経っての状況です。
塗りたてのきれいな状態だと映える色遣いも、雨風にさらされて、日差しを受けて汚れや褪色が目立ってくるとどうなるのか。それ次第で新塗装の評価は全く違ってきますから。



その手があったか 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2014年 8月24日(日)00時03分7秒 返信・引用
東怪人さん、久々の深夜急行お疲れ様です。

平和交通のCNT線は盛況ですね。
足が長い客が増えている、というのは経営的には好ましいですが、どこまでも混んでいる、というのは結構厳しいです。

IC料金の適用ルールには笑いました。
なるほど、10円でもあればいいんですね。不足があると現金料金だと思ってチャージをしていただけに、今後は無理してチャージをしなくてもいいということですね。

ちなみに私はGW前後に3回乗って以来深夜急行はご無沙汰ですが、そろそろ乗る破目になるかも。



押上と浅草の間には 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2014年 8月23日(土)23時55分49秒 返信・引用
押上(業平橋)は厳しいでしょうね。浅草との連携、という意味では、東武が業平橋を拠点にした理由でもある水運との連携、つまり、北十間川に面して貨物輸送を水運に引き継ぐ貨物ターミナルが押上と浅草の間にありました。

葛生のセメントなどの到着を受けたセメント会社のヤードもあったわけで、旅客的にはどう見ても場末ですから、だからこそ何が何でも浅草へ、という意思が働いたのでしょう。

京成の戦略としては、自虐的にはなりますが船橋を開発する、という手はあったでしょうね。
並行区間を半ばあきらめて総武線のフィーダーに徹することになりますが、船橋が目的地化すれば、京成成田線の開発が遠方に伸びる効果もありますし、柏のようなポジションを狙えたかもしれません。

ただ、船橋の京成側も都内下町どころでない状態だったわけで、京成の高架化、そして再開発ビルの竣工まで何十年もかかったわけです。再開発はFaceが1本建ってあとは沙汰やみ状態というところからお察しいただければ、という状況です。



1年ぶりの「千葉NT線」実見 投稿者:東怪人 投稿日:2014年 8月23日(土)22時04分7秒 返信・引用
こんばんは

昨日は1年ぶりに平和交通・千葉NT線のご厄介になりました。
実は総武線の定期券を持っている(ただし馬喰町回り)のですが、金曜夜の総武線は混むしダイヤがあてにならないし
北本町2丁目バス停から家まで徒歩3分だしということでバスに決定、と。

1年ぶりの数寄屋橋バス停は深夜急行のりばというより成田空港行きのりばとなった感じはありますが、
「ちゃんと帰っておいで…」のキャッチコピーは健在。成田に行く時しか使わない利用者にとってはブラックユーモアな気も。

で、バスは「THEアクセス成田」の間合い運行。ちなみに1本前の成田行きはビートランセ共通カラーでした。
1年前の成田行きは城西国際大学バスの間合いだったのですが…。

運賃はICカードと現金の併用でもICカード運賃になるので、残額が足りないといって現金を出そうとする
お客さんには運転士がその旨を説明していました。とはいえ、残額60円で割引適用のお客さんの時は
内心苦笑いが出そうになりましたが。(残額が10円以上あればOK)

兜町発車時点で43人の乗車で補助いす使用。
1年前にまとまって乗車した時の印象では、「乗車率は市川・船橋市内に左右され、北本町2丁目発車時点では
だいたい30人前後の乗車になっている」というのがあったのですが、今回はさにあらず、
原木中山と本郷町で2人ずつ降りただけ。遠距離客が多めでした。

なお乗車時の切符販売で行き先を告げますが、やはり千葉ニュータウンが一番多く(南のほうが多い)、近距離だと
初富交差点や鎌ヶ谷高校など。なお昨日は私の何人か後から西白井が4人続きましたが、グループだったのでしょうか。



「築く」べき街はどこであったか 投稿者:リリカルゆかりん 投稿日:2014年 8月20日(水)20時26分29秒 返信・引用
京成が繁華街を築くとしたら、日暮里よりも押上の方が価値があったのではないでしょうか。
もちろん山手線の外側と言う大きなハンデはあるものの、ここは東武のターミナルでもあり
(両社とも暫定的なものとしか考えず、浅草を目指したために京成疑獄が起こり、浅草乗り入れは東武の勝利となったのは周知のことですが)、両社が浅草乗り入れではなく、押上の開発を競い合えば、また違う展開もあったかに思えます。そう、梅田が阪急と阪神が競い合って発展したようにです。

大正期までは東京一の繁華街である浅草も徒歩圏内であり、隅田川を挟んだ、個性の異なる繁華街ができればどうだったか。史実より早く地下鉄もやってきたでしょう(戦前のうちに銀座線が伸びてきた可能性もあります)
ただし、あまり発展すると、業平橋の貨物ヤードは93年に用済みになってからすぐに再開発され
第二東京タワーの構想が出るのは98年ごろですから、スカイツリーは別の場所に建った可能性もありますが。

もちろん押上とて、管理人様ご指摘の通り、下町は土地の権利関係が複雑で開発が難しかったのは事実ですが、関東大震災で下町の木密地域が強制クリアランスになってしまった時が、ある意味で好機であり、この時点で押上なり日暮里なりを一気に開発する。「災い転じて福となす」ができた可能性もあったかに思えます。

上野乗り入れを京成が果たしたのは昭和になってからですが、大震災を機に上野乗り入れは目指すにしても、街づくりに関しては好機があった筈であり、これを逃したのは京成のデベロップメント志向の弱さを端的に表していたといえます。東武についても同じことがいえ(池袋での西武との勢力差からも明確)結局は、両社ともに沿線開発志向でスタートした私鉄ではなかったというのが、全てであったと思えますが。



Re: 日暮里という街 投稿者:dai 投稿日:2014年 8月19日(火)22時18分32秒 返信・引用
早速ありがとうございます。

確かに始発駅ではないターミナルを開発して勝算があるかは微妙なわけで、副都心線直通後の渋谷の地盤沈下という話はあるわけです。全国的に見ても名鉄名古屋ぐらいしか思いつきませんが、運転の都合上始発駅ではないようなものですしね。

ただ、日暮里の場合は、常磐線と京浜東北線があったのに…という思いは禁じ得ません(高田馬場はそれがない)。埼京線開業前までは池袋より充実した国電網を抱えていながら、上野の前に霞んでしまった感じでしょうか。

また、戦前のセレベス開発鉄道に始まり、常磐急行自動車や南部開発鉄道など、京成の投資にはHONDAの本業主義のようなDNAがあるのかもしれませんね。その点、全国展開しながら、地方のバス会社を傘下に納めることのなかった西武とは対象的です。



日暮里という街 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2014年 8月19日(火)00時39分14秒 返信・引用
京成が日暮里を開発しなかったのは、西武がBIGBOX以外の開発を高田馬場で行っていないのと相似形です。
要は京成は上野、西武は新宿を「都心ターミナル」としていたわけで、重複して隣接駅周辺を開発する必要を感じなかったわけです。

上野は街そのものがターミナル足りえなくなり、西武新宿は新宿駅乗り入れのための仮駅だったのが本設になったことで中途半端な状態になり、山手線など他線に乗り換えて「ターミナル」へ向かえる日暮里や高田馬場が事実上のターミナルになっています。

もちろん隣接していても開発する妙味があれば開発に乗り出すでしょうが、日暮里は微妙でした。
山手と下町の境目、まさに高低差がある段差に駅があり、山手側は谷中墓地と寺町では再開発どころではありません。
下町側はどうかというと、駄菓子と繊維の卸や小売が立ち並び、好きな人には好きでしょうが、一般人が近づきづらい雰囲気を持つ街とも言えたわけで、だからこそ10年以上前のスカイライナーのラジオCMで、成田に行くつもりで乗った社用車が「確実なスカイライナー」に乗るべく日暮里に着いて「にっぽりぃ?」と仰天する自虐的なCMが成立したわけです。

そういう意味では池袋も「焼跡闇市」の本場ですが、西武がある東口側はそこまで荒んでなく、戦前からデパートが建っていたわけです。東武がある西口はディープさが圧倒的であり、東武デパートが大規模増床する前はねぇ、という状況でした。これも東上線のイメージに一役買っていたことは想像に難くありません。

ちなみに日暮里と言うと、1963年の吉展ちゃん誘拐殺人事件の解決のきっかけになった「日暮里の大火」があったわけで(犯人が都内にいないとアリバイがあると主張した日に「日暮里の大火を見た」と口走り、その瞬間アリバイが崩れて自供に至った)、上記のような業態の商店に加え、町工場や住宅が密集するいわゆる「木密」地帯でした。権利関係も入り乱れているであろう状態では、なかなか手を出せなかったでしょう。特にデベロッパー業務が得意でない京成は。




なぜ京成は日暮里を池袋にしなかったのか 投稿者:dai 投稿日:2014年 8月17日(日)00時24分21秒 返信・引用
今週のテレビ東京「アド街ック天国」は柏でした。茨城県という隠れた肥沃な後背地(その証拠に、参議院選挙は北関東で唯一2人区)と、常磐線から山手線西側への便の悪さを背景に、番組のネタになるような店がたくさんあるという切り口でした。

取り上げられた店舗も、地元の経営者が中小資本の物件で営業するような店が多く、さすが不動産下手の東武沿線という感じです。(野田線はただでさえ傍系ですし、総武鉄道自体もキッコーマンの貨物輸送発祥の会社ですから、鉄道と不動産をリンクさせる発想がなかったのでしょうね)

常磐線にしても、上野は戦前からの繁華街で成熟している、乗り入れた地下鉄はビジネス街一直線の千代田線と、これまた柏が新興の繁華街として栄えるのを下支えする方向に作用しています。

ここでようやく習志野原につながるのですが、なぜ京成は日暮里を池袋にしなかったのか。池袋も同じく新興の繁華街ですが、電鉄が街をデベロップメントし、そこに電鉄のみならず国鉄が客を送りこんできて急成長しました。(赤羽線の埼玉直通という神風があったとはいえ)

京成が暗黒期を迎える前(京葉線計画をぶちあげるなど羽振りの良かった頃)、日暮里を再開発して池袋のようにする発想はなかったのか。今の柏の繁栄を否定するわけではありませんが、日暮里を京成と常磐線から客の集まる街にしておけば、京成グループのあり方も変わっていたんでしょうね。

ちなみに上野東京ラインの試運転が始まっていますが、使われているのが185系とE223系。常磐線はやはり特急だけなのでしょうか。(E223が常磐快速として直通してくる…わけないか)



お盆の出張(涙) 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2014年 8月16日(土)02時42分6秒 返信・引用 編集済
今年は貧乏ヒマ無し状態ですが、お盆のさなかに出張というやり切れない事態になってしまいました。

7時過ぎのリムジンに乗りましたが、前回と一変してほぼ満席状態。こうなると前回の「ガラガラ」はやはり交通情報を見て回避した人が多かったのか。
到着前に京成バス社有車の軽がやってきて、予約確認と預け荷物のタグ付けをしていましたが、お盆とあって客僧も家族連れが多く、荷物も多かったです。

伊丹に着いてリムジン情報を見て愕然。三宮まで通常なら40分程度のところ、120分の表示。
住んでいた時に、盆とGWは午前中の3号神戸線が西宮から須磨までべったり渋滞になるということを何度も実見していたのに、つい忘れていました。
結局定時運行とあった梅田行きに乗りましたが、今度は阪神が休日ダイヤなんですね。これも忘れてましたが、お盆の平日に休日ダイヤで運行する在阪私鉄独自の風習です。

復路は客先で時間を食ってしまい伊丹発最終に間に合わないタイミングになってしまい、神戸からのNH416に転進。19時頃に予約変更をかけたら残席2という綱渡り状態。時間帯が悪くなってからまず満席にならないという経験則がありましたが、お盆はさすがに違ったようです。

遅くなった挙句に結局満席便でぎっしりで席も悪く散々でしたが、さらに落ち込んだのが、日中の1往復が休止している7月中旬から8月いっぱいはNH416が通常の73Mから73Hとなり、プレミアムクラスが付いていたこと。搭乗口の優先搭乗の案内で「プレミアムクラスご搭乗の方」と来て「なんで?」と怪訝に思って乗り込むと設置便で気が付いた次第ですが、P席は空席を残していたわけで、ならばアップグレード権を行使して酒と箱弁当ですが食事も付いたわけで、注意が足りませんでした。

羽田着は南風荒天時コースとなり15分遅れでしかもバス連絡。バスを3台も用意するくらいならゲートに付けてほしいですね。バスのカウンターに出たのは50分近くになり、23時10分の最終津田沼行きを待つかどうかですが、55分の市川行きに乗ってみました。

千鳥町で降りて高浜を左折すれば妙典(富浜)に至るのに、高浜で折り返して千鳥町で右折して行徳という微妙なルートですが、2タミから35分、1タミからだと30分程度で着いた行徳では5分以上の余裕を持って東葉勝田台行きを拾い、北習志野には23時10分から乗り継ぐ新京成より20分程早い到着。新京成の接続はやや待たされましたがそれでも1本、12分早いのですが、ただお値段の方が東葉高速の分がずっしりとのしかかってくるので、今後多用するかは微妙です。




野鳥公園東交差点 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2014年 8月16日(土)02時17分17秒 返信・引用
確かに羽田以外を目的地にする場合は事実上ここを通らざるを得ないのでしんどいですね。
平日はもちろん、土曜もに荷役の関係なのかトラクターヘッドやトレーラーがわんさかいます。

困るのはゲートブリッジ側から来た時の右折車線に滞留していることや、左折すると真ん中の車線に滞留していて湾岸アンダーに入り損ねそうになることです。
渋滞による滞留ではなく、順番待ちや時間待ちの「駐車」が主因であり、事実上の港湾道路という特殊事情であるとはいえ、それこそお台場に抜けるルートが確立した時点で一般車の通行も少なくないのに、道の真ん中に大型車が駐車するという異常事態を放置する現状は厳しく指弾されるべき話です。



ゲートブリッジのボトルネック 投稿者:リリカルゆかりん 投稿日:2014年 8月11日(月)23時38分43秒 返信・引用
ゲートブリッジは千葉県民にとって、羽田や川崎・横浜方面に行く際に大変重宝しますが、
唯一のボトルネックが西側出口と環七をつなぐルートにある野鳥公園東交差点です。

特に平日は大型車が交通量の大半ということもあって、渋滞に遭うと「溺れる」ようになるため
圧迫感がきついので、心理的に走りたくない感があります。

一方で開通前にボトルネック化が懸念されていた、新木場の交差点は立体完成以降は全く問題ないという水準になっており、R357の東京港や多摩川のトンネル完成までの辛抱とはいえ、
信号サイクルの改善などはお願いしたいところです。





迂回も駆使して定刻着 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2014年 8月11日(月)00時46分12秒 返信・引用
台風は結局兵庫県を縦断しながら日本海に抜けましたが、神戸空港で時間雨量60mm超とか、最大瞬間風速40m超とか、かなり大変だったようです。
船橋も昼過ぎにまとまった雨が降りましたが、明け方まで東北方から冷たい空気を巻き込んでいたのが、台風が北上するに従い南から暖かい空気を巻きこむように変わり、昼前までの間に10度近い上昇になったのには参りました。さらに台風が北上して南からの吹き込みが増して、風も一日中強かったですし。

その台風を避ける格好で週中に出張してたんですが、珍しく津田沼7時頃のリムジンに乗ると、発車オーライネットでは残席5だったのに実乗は半分もあるか、と言う状況に面食らいました。
発オラ枠が少ないのでは、と思ったんですが、早朝便では20人以上既に予約している状況でも残席表示が◎になっているわけで、カラ予約だったのでしょうか。

というのも湾岸道路が混んでいたわけで、谷津船橋から大井までノロノロ、特に千鳥町から葛西付近は停滞と言う状況で、交通情報を見て転進した人が多く出た可能性も否定できません。
ただ羽田到着はほぼ「定時」だったわけで、さすがに京成駅から68分の設定は伊達ではないというか、どんだけ余裕を織り込んでいるのか、と言う感じです。

ちなみに停滞する渋滞の虜になりかけた浦安でバスは降りました。さすが東空交と思ったのは、すかさず「迂回ルートを走行します」と言う自動放送が入ったこと。そんな放送をあらかじめ用意するとは芸が細かいです。

湾岸線復帰は葛西でした。表示では大井までの断続渋滞だったので、新木場から東京ゲートブリッジ経由か?とひそかに期待していたのですが、残念でした。



市川花火 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2014年 8月 3日(日)22時58分44秒 返信・引用
土曜日は市川花火に行ってきました。
昨年は三陸に出掛けていて見ていない、というか神戸時代は最終の2008年以外皆勤だったのに、船橋に戻ってからは2009年と2012年だけという倒錯した状態でした。(2011年は震災の影響で中止)

18時過ぎの総武線で市川に向かったのですが、江戸川区側の人出が多いようで、小岩駅で「お客様混雑」のため徐行運転をしていたとのことで、下り電車が5分ほどの遅れになっており、上りも影響で遅れ気味と、安全のためとはいえ年々状態が厳しい感じです。

少なくとも船橋方面からの電車はぎっしりと言うほどでもなく、市川駅もホーム上は人が滞留していません。
唯一言えることは改札の処理能力が低く、改札を抜けたところの通路もゆったりとしていただけに、Suicaなのになぜ、というところです。

有人改札のところに精算済(チャージ済)の乗客用に簡易改札機が置いてありましたが、それは本来出場用に使うべきで、半ば遊んでいる簡易改札機とを横目に明らかに足りない普通の出場用改札口の行列が厳しかったです。

出てしまえばあとはのんびり土手に向かうだけ。定価で売ってるビールを買って、おつまみを買って、というお約束の行程。上流側のいつもの場所に向かいましたが、「D通路は2時間掛かっています」という警備員はいかがなものか。確かに正面に近い通路とはいえ、有料席側でもあり、そんなに混んでいたら産業道路側に人が溢れるはずですが、そんなことはないわけで、口から出まかせにも程があります。

ちなみに上流のB通路はずんずん進めて、強いて言えば土手の取り付のところで屋台待ちの行列と輻輳するくらい。帰りもフィナーレを見てから立ちあがっても楽勝で、産業道路に出てしまえばあとは道なりです。

で、肝心の花火ですが、昨年見てないので比較が出来ませんが、1昨年比で言えばオープニングもフィナーレもしょぼかったです。中押しの市制80周年記念の「ジャンプアップ市川」と題した花火の方が見応えがありましたね。この花火は江戸川区との共催ですが、お互い協賛が集まらなかったのかな?





北千葉道路関係 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2014年 8月 3日(日)00時57分38秒 返信・引用
ようやくアップできました。
内容がかなりやっつけ仕事ですが、ご容赦のほど。



Re: 生活バス 投稿者:dai 投稿日:2014年 8月 2日(土)20時31分38秒 返信・引用
確かに新鎌ヶ谷発の最終は21時半でしたね。鎌ヶ谷の会社が運行しているので、CNT→新鎌ヶ谷が最終と言う思い込みに支配されていました。朝も片道回送なんでしょうか。

あと考えられる需要パターンは、大学生の登下校や、小中学生の塾やお稽古事の行き帰りでしょうか。生活バスのおかげで後者の需要が開拓された、となれば理想的な展開ですが。

※直前の投稿は削除願います。



サテライト間搬器 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2014年 8月 2日(土)12時26分16秒 返信・引用 編集済
予告通り今月からトップページなどで撮り溜めていた海外ネタを出しています。
ちなみに旅行記に載せた関空のサテライト間移動の新交通ですが、意外と本格的で、入出国で共用する際のドア扱いの妙など見どころも多いです。(制限区域外ですが、入出国で動線が分かれている)
これはいったんサテライト側のラウンジに入った後、免税店で買い物をしに本館側に戻った際に撮影したんですが、そういうイレギュラーな動きをすると空いている状態で撮影出来ます。

空港の新交通と言うと成田空港第2ビルの黄色いやつでしたが、動く歩道にリプレースされてお役御免になって久しいです。結局先日芝山町に保存展示されたそうですが、あれは20年近く前に乗ったことがありますが、関空のそれと違い、何とも中途半端で、あまり意味が無いように感じましたから、動く歩道で正解でしょう。

最近は羽田(国内)を筆頭に延々と歩くか動く歩道と言うのがデフォですが、羽田(国際)も歩きますね。
まあ海外は動く歩道は少なく、延々と歩くのがお約束で、国家の威信をかけた巨大空港は見た目は立派ですが、利用して見るとうんざりというわけです。
まあそこで時間を稼いでいるから、イミグレで並んで、バゲージクレームに行くと時間がちょうどいい、というオチもありますが...(混むと評判の某国で、プライオリティタグ付とはいえ、もう回っていたのには苦笑するしかなかった)




生活バス 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2014年 8月 2日(土)12時24分43秒 返信・引用
北千葉道路の記事がアップ出来ていませんが、生活バスの記事も遅れに遅れてしまっています。
夏休み前に朝の様子をもう一回見るつもりが叶わず、夏休みに入ってしまったわけで、秋になると定期切り替えの時期に差し掛かるので、朝の様子は開業1週間内の「お試し」の様子でお茶を濁すしかなさそうです。

新鎌ヶ谷発の最終は21時半ですよ、と言うツッコミはさておき、daiさんのレポートによると最終絡みの時間帯で5人前後と言う実見と、300人超の実績の整合性が今一つピンとこないのですが、CNT勤務の客層が主力という仮定はおそらく正鵠でしょう。

まだ見る機会がありませんが、CNT夕方発の退勤需要、特にパート系の需要が太いのでしょうが、そうなると「生活」バスと言う看板も微妙ですね。域外居住者¥が一番メリットを享受できるわけですから。


この生活バスについて、さっそく書籍等で引用するケースが出ています。
最近出た千葉県の地理ネタに関する新書や、RJ(この書評も3ヶ月ストップしている...)の記事とか、高い北総線と立ち上がる住民、と言うステレオタイプの評価ですね。

RJのほうは毎度の著者で、この人の言説が北総線運賃問題で「反北総」側の拠り所になるなどどちらかと言うと一方当事者なんですが、さらっと北総鉄道の財務問題について言及があるものの、その原因となる負債がなぜ積み上がったのか、公団からの千葉ニュータウン鉄道の引き取りとか事実上京成電鉄が負担し続けてきたという「不都合な真実」への言及が無いのでは、「専門情報誌」の記事とは言えません。





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