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習志野原の掲示板 過去ログ 2015年3月


珍京成 投稿者:通りすがりの者 投稿日:2015年 3月31日(火)13時19分45秒 返信・引用
こんにちは。
いつも楽しく読ませてもらってます。
新京成=モラハラ!!
なんてね。


只、昔の新京成は結構サービス良かったんですけどね。
(松戸駅では深夜でも必ず電車がホームに居てくれて、いつもホッとしてた)
沿線の客も客なので(お隣りのファミマ!に比べると車内の雰囲気と駅の清潔さは劣る)仕方無いのかもしれませんけど
その内に沿線が外国人だらけになって、ワンマン運転になってしまうかもしれませんね。
ハゲタカ株主さんには関係無い話でしょうけど。
あと、小金持ちは新京成は使いませんね。(自動車出勤が奨励されている為)

冗談で言ってるだけですけど、その内東武と経営統合に(ファミマ!とココストア経営統合!!※車体の色)なったら(爆)ですね。
その内になったりして…

これからもお世話になりますので
よろしくお願いします。




朝に夕にと京浜東北線 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2015年 3月31日(火)00時17分14秒 返信・引用
年度末、といってもTVなんかは新年度になったが如き様子ですが、通勤はダイヤ改正後初の広域影響となりました。
家を出るときには何もなかったのに、前首相が辻立ちしていた津田沼駅に行くとざわついています。
始発快速が軒並み間引きとのことで、何事かと聞き耳を立てると京浜東北線鶴見駅での人身事故の影響で横須賀線も止まっているそうです。

マリ出区の740Fまで間引きと言うのも悪乗りですが、折り返し便は軒並み上がってこないわけで、間引きも止むなしです。ブルーな気分で3番線に出て、長蛇の列に1本見送って乗り込んだのですが、東京まで各駅に詰まっているそうで抑止がかかりました。
これは1時間コースですが、吊革にありついたので様子を見ていたら動きません。結局緩行線に移動しましたが、幸運にも本八幡で座れたとはいえ,秋葉原まで小一時間です。

それでも上野東京ラインの威力で山手線は空いているはず、と思いきや、混んでいます。おまけに有楽町で非常停止装置作動とのことで詰まっています。ダイヤ乱れが湘南新宿ラインを介して上野東京ラインにも波及したようで、上野と東京で打ち切りとのこと。総武快速線のように東京分断なら乗り換えで済みますが、上野と東京で折り返しはきついですね。仲を取り持つ京浜東北線が人身事故の当該路線ですし。

そして散々だった朝を振り返りながら家路に就くと、「京浜東北線の人身事故の影響で...」と表示が出ています。
朝の影響がまだ残っているのか、と思いきや、夕ラッシュにも人身事故で、今度は東海道線に影響が大きく出ていました。
上野東京ラインも混乱で、朝に夕にとひどい1日でした。




春めいてD滑走路降り 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2015年 3月31日(火)00時12分13秒 返信・引用
春一番が吹かなかった関東ですが、一気に気温が上がって桜も満開になっています。
先週後半の出張は、帰りの日は一気に気温が上がると判っていましたが、そこまでの朝方が冷えるという予報にコートを着ていきましたが。案の定帰りの羽田からはコートどころかスーツの上着も足手纏いでした。

春めいて南風が吹くと、羽田着の便もAラン、Cランへの南からの着陸ではなく、Bラン、Dランへの着陸になります。
金曜日のNH040も外房の海岸線に並行気味に北上していたため、Bラン降りを確信し、あとは蘇我上空で切れ込んでゲートブリッジまで短絡する好天時コースか、自宅を見下ろすように大迂回する荒天時コースか、という状態になりました。

いつになく東寄りを飛んでおり、大迂回か、と思ったのですが、大きくカーブを切って千葉市街地方面に向かったため、好天時コースのようです。しかしいつもなら千葉の製鉄所を見下ろしながら東京湾に出るのに、製鉄所はあまり見えず、かなり切れ込んでいます。

結局Dラン降りだったのですが、北日本と西日本便がクロスする通常運用と違い、西日本便が大きく切れ込んでDランというのは初めてです。




北千葉道路の現況 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2015年 3月29日(日)23時47分43秒 返信・引用
インバマルコさんさんの情報を受けて北千葉道路を見てきました。
まずは橋桁ですが、松崎TNに向けて八代の盛土区間との間にある市道を跨ぐところですね。松崎TNもようやく進捗しているのですが、八代の盛土区間はまだまだですし、大谷津付近からR408の区間も変わりがあまりありません。

ちなみに、成田スカイアクセスとの関係ですが、北須賀から船形までの区間、船形終点で道路が線路をくぐるところは、船形から先が開通し、さらに4車線化した時には、現在供用されている道路は東行きになり、西行きは現在北側から南側に線路を潜っているとkろで、今と逆に南側から北側に線路を潜り、ここから東側では線路の北側に寄り添う形になります。

ですから松崎TNの手前の橋桁が北側にあるのは正しく、松崎TNも線路の北側を開削しています。

後の確認ですが、瀬戸でのR464現道との交差点付近はR464現道の線形改良も実施する格好です。
そして山田橋から案能橋方面への印旛捷水路の岸辺は刈り払われ見通しがよくなっているのを見ながら印旛沼渡河点付近を見ましたが、変化はほとんどないですね。

いには野IC付近も、東行き側はかなり進捗していますが、西行きはニュータウン萩原線へアプローチする側道の橋桁が未だ架かっていません。
平成28年度というと最長で約2年後ですから、ゆっくりやっているのかもしれませんが。



Re: 沿線の目は甘くない 投稿者:dai 投稿日:2015年 3月29日(日)17時42分29秒 返信・引用
Wikipedia情報で計算すると、
今回の増配で京成電鉄が手にする現金は1000万円くらいですから、
さすがにそこまで追い詰められてはいないでしょうね。

もしくは、新京成株の株価上昇→京成電鉄持ち分の高値放出、
的なシナリオを書いている誰かがいるのか。

管理人様ご指摘のとおり、
増配のメリットが見えないだけに、
年度末のこの時期にいろいろ気になります。



春休みの羽田界隈 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2015年 3月29日(日)15時49分30秒 返信・引用
さすがに週1ベースを超えるピッチで行き来をしていると身体がボロボロです。
春休みと甲子園が重なり、さらに学会まで入ったせいで、先週後半は宿も満足に取れなかったので余計に疲れました。1ヶ月以上前の段階で神戸市内がいっぱいで、尼崎に何とか確保しましたが、直前になると大阪や姫路も含めて一杯でしたし。

ただ飛行機のほうは休暇シーズンは混まないのが東阪間の特徴です。羽田に早朝着いても、ずらっと並ぶ×表示のなかに、伊丹や神戸行きの○がある、という状況です。ただしリムジンのほうはビジネスだけでないので、混み合う訳で、しかも普段使いでない不慣れな客が多く、列の並び方から荷物の預け方までいつもと違います。

なかには高校の野球部の遠征まで重なった日もあり、ガタイのいい、しかしどことなく汗臭い男子高校生の集団に早朝から取り囲まれると得も言えぬ気分です。リムジンだけで賄えないようで、空港の車寄せに乗り付けて生徒と荷物を降ろすクルマもいましたし。

羽田発も満席便で、補助席を埋めての便に当たることも複数。普段は家路を急ぐビジネスマンが数人、というところ、家族連れが20分は待てない、と乗り込むあたり、普段と大きく違います。

そういう影響でしょうか、土曜日はクルマで横浜方面に行ったのですが、夕刻の復路の湾岸線が湾岸環八の先から新木場の先までの渋滞です。
中央環状線の影響も、と思って敢えて乗り通しましたが、時間を優先するのなら湾岸環八で降りてゲートブリッジ経由にすれば。千鳥町まで楽勝で逃げ切っていました。
もともと羽田付近と辰巳付近の2つの渋滞が合体した格好でしたが、羽田付近の渋滞は明らかに空港からの流入ですね。そして減回に膨れ上がった交通量だと、空港北トンネルから先の上り坂、東海の合流(と大井南出口のクロス)が塞栓になり、大井本線まであっという間につながります。

中央環状線の影響でしょうか、いちばん右側車線のETCレーンが兼用になっており、ここも処理能力が下がって滞る原因です。中央環状線に向かう車列が集中する左側に兼用や一般を押し付けない変更でしょうが、本線に影響がでています。
ちなみに大井からの中央環状線方面は流れており、大橋から先がべったり渋滞ですが、見た目は順調です。



沿線の目は甘くない 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2015年 3月29日(日)15時33分33秒 返信・引用
コトデン(≠ことでん)のように「嫌われ者」にはならないと思いますが、いろいろな面で影響はでてくるでしょうね。
特に足下見えているのはバリアフリーやホームドアの投資ですが、増配するような余裕がある会社に税金を支出することはない、という動きは確実に議会筋からでてくるでしょう。ここでの「否決」は北総線に関する沿線議会の対応よりも正当ですし。

京成の投資回収という見立ても面白いのですが、持分法適用会社ですから、グループとして恨みを買う割りに実効性が低いです。
しかし筋書きが見えないと言うか、整合性が無いというか、将来の利用者減少、設備投資、津田沼再開発といったメニューに対し、利用者からふんだくってでも利益を積み上げる、というのはまだ理屈が立ちますが、記念配でも特別配でもない単なる増配で外部流出を恒常化するというのは、お湯を張りながら栓を抜くような話です。

あるいはそういう費用をエクイティファイナンスで賄う意図がどこかにあれば、なんとか理屈が立つのですが、増資分への配当を考えると、金融コストとしてみると安い調達なのかも疑問ですしね。

ちなみに掲示板なんかで吠えてても意味が無い、というご指摘もあるようですが、誰も見向きもしない意味が無い存在であれば言う必要もない話ですから、このネタに関しては掲示板であっても人に知らしめられることがどうも都合が悪いのですかね。キジも鳴かずば、にも見えますが。

まあ掲示板やブログでクダを巻くだけじゃないんですよね。リアルの世界だと、地域ではいろいろな「お付き合い」があるわけで、そういうところで新京成の動きは結構話題になるんですよね。そういう席にはいろいろな「顔役」も出てくることが少なくないですし。
ちょうど桜のシーズンを控えて、自治会などのイベントの会合も多い季節ですし。

無人化のときはまさにそうでしたし、ビートラが先鞭をつけ、新京成が追いかけた深夜急行もそう。ラーメンやカレーのスタンプラリーなんかよりもよほど話題になりますね。
無人化や6連化のときは、「沿線も高齢化が進んでくるしいのかな」と理解を示す声がそこそこありましたが、それが増配ではどうなるんでしょうね。乗らずに歩く、自転車にする、という手段が意外と効いてしまうだけに。



北千葉道路 続報 投稿者:インバマルコ 投稿日:2015年 3月28日(土)23時50分42秒 返信・引用
本日、下総松崎そばの道路を走っていたところ、北千葉道路の船形-押畑の未開通部分に新たに橋桁がかかっているのを発見致しました。

現在のそのあたりの北千葉道路は一部開通(片側を使用)という状況ですが、そこから先の動きも少しずつ見えてきましたね。

ただし気になったのが、新たな橋桁が、松崎から見て、電車の線路より手前側だったという事です。

現在の片側使用のつくりでは、北千葉道路の終わりが線路をくぐるという、謎のつくりになっていますが、片側通行のみの開通となった場合、またしても線路をくぐるのでしょうかね。

ほぼ1年前に発行された北千葉道路ニュースによると、印西市若萩〜成田市松崎を平成28年度中の部分供用を目指すと書いてあります。
https://www.pref.chiba.lg.jp/kitachi-do/documents/news_vol6.pdf

この成田市松崎がどのあたりまでを意味するのかを含めて、そろそろ発行されるであろう北千葉道路ニュースも注目してみたいです。



Re: 利用者を騙した鉄道会社 投稿者:あ 投稿日:2015年 3月28日(土)11時40分33秒 返信・引用
いつも拝見してます。あなたたちが、この掲示板で不満を言っただけでは、なにも変わりません。
実力行使できないなら文句を言わないほうがいい。。



Re: 利用者を騙した鉄道会社 投稿者:dai 投稿日:2015年 3月27日(金)07時58分57秒 返信・引用
何かコトデンみたいな話ですね。

増配で最も恩恵を受けるのは京成電鉄ですが、
スカイアクセスへの投資を今一つ回収できていないのでしょうか。

上野東京ラインの話でも触れましたが、
JRの培養線としての役割が大きいですから、
身売りすればいいのにと思ってしまいます。



利用者を騙した鉄道会社 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2015年 3月26日(木)23時35分51秒 返信・引用
さすがにキレましたね。
新京成のサイトで、「適時開示情報を掲載しました」とあり、何事か、まあ代取関係か、と思ったら、増配のニュースです。

普通の企業なら業績が良くなりよかったね、となりますが、新京成の場合は違います。
駅は無人化、電車は編成短縮で利用者にしわを寄せてのコストダウンで利用者ではなく株主に還元です。ふざけるにもほどがあるでしょう。

明日にも業績が悪化するようなことを並べ立ててサービス削減を進めてきたわけですが、早い時期から業績が別に悪化するわけでもなく、ただの方便であることがバレバレ、とは思っていましたが、利用者を騙して増配ですかそうですか。

完全に信用を失いましたね。客を騙してふんだくっていたわけです。サービスがどうのと二度とほざくな、というしかありません。
こういう企業に対して、何とかに追い銭、となりかねないような収入を与えることは絶対に嫌ですし、公共も絶対に甘やかしてはいけません。
この会社は将来が心配だ、収入が先細るといいながら、先行きのために内部留保にするでもなく、配当として外部に配ってしまったのです。

いちおう増益ですから配当をすることは可能ですが、本業でサービスダウンを強行してその収益を配当に回すというのは、タコ配よりも悪質ですし、地域と利用者はこの先本当に新京成が苦しくなっても誰も信じないでしょうし、支援するとしても熟柿が落ちてからでしょう。交通は必要ですが、こういう企業はいりません。




改正後のホームライナー 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2015年 3月25日(水)00時34分37秒 返信・引用
こちらは今日の帰りはホームライナーにしました。
改正で号数も変わり、E257-500系の10連になった「HL千葉3号」ですが、やはり電車の造りが段違いで、重厚さに欠ける軽い車内ですね。

オール普通車で1両増えたので、いかに中間に運転台付車両が2両あるとはいえ、従前より定員は増えています。とはいえ21時のライナーがそこまで乗っていた記憶もなかったのですが、結論から言うと空いていました。

まあ窓側は何とか埋まった感じで、平均して6割乗っているかどうかという感じ。
こんなものかな、と思う反面、ちょっと寂しいです。




高根木戸の珍客 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2015年 3月25日(水)00時29分0秒 返信・引用
西習志野の知人から、今朝高根木戸で野田前首相を見た、とメールがありました。
なんでも、市議選に立候補する若手現職のビラ配りをしていたそうで、まあそれがあの人の良いところとはいえ、普通は遠慮するだろ、と言いたくなるような出来事です。

しかも西習志野側、つまり駅の「裏口」でやってたそうで、せめてイオンのある正面側に立てばいいのに。その人によると、毎度のビラ配りにしては目つきの悪いスーツの男衆がいるな、と思ったら野田さんらしき人からビラを受け取ったので、近くにいたそのうちの一人(聞いた感じだとたぶんSPでしょうね)に聞くと本人だと分かり、スマホで写真を撮ったそうです。

そのうちツーショットで撮る人も現れたよ、とまで聞きましたが、町丁でいえば西習志野は前首相宅の「隣町」とあって、未だ人気衰えずというところです。



リムジンの粗探し 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2015年 3月22日(日)12時03分59秒 返信・引用
年度末で期限が切られている仕事が終わりません(号泣)
管理屋なので年度末用に報告書をあれこれ作るのが仕事ですが、取り敢えず客先に行ってあれこれ、というのは先週で何とか終わらせたのですが、行きっぱなしでは終われないのが辛いところです。

このところ週2回の航空機利用とか、それこそ航空機→タクシーというような移動形態が日常茶飯事になっていますが、勿体無いように見えてもまさに「時は金なり」です。セキュリティ上あまり宜しくはないのですが、リムジンバスや空港のラウンジでレポートをまとめ上げて上司に送信報告、というパターンに陥っています。

そういうわけで、航空機とリムジンバスも頻繁に乗っていますが、詰め込み789になった伊丹からの最終便(NH040)で、何を考えているのか、ビジネス客が多い平日なのに、機内の照明をレインボーカラーにするケースが目立ちます。
まあ珍しいのでスマホで撮るビジネスマンも少なくないので話題としては成功かもしれませんが、蛍光灯を消して七色の照明が交互に光るモードになるとさすがに行き過ぎでしょう。
ちなみに羽田到着時にはCAが気候の話や良い週末を、と締めくくるのですが、金曜日は何を勘違いしたのか「良い三連休を」と来ました。
今年の春分の日は土曜日で、週末は土日とも休日ですが、月曜の振休はないのですが...

そしてリムジンですが、ここにきて粗が目に付くと言うか、首を傾げるケースに何回か出会いました。
まず早朝の羽田行き。京成駅5時15分発ですが、JR駅を5時5分に出ており、5時10分より早く大抵は到着します。
ところが某日の便は5時10分を回っても来ず、12分を回ってようやく到着です。
おまけにその日は無予約の客がいつもより多く、最終的に2名の補助席を出しましたが、荷物の収納も何かもたついてしまい、京成駅を出たのは7分遅れの22分過ぎになったのです。
結局羽田2タミ着は定刻より10分近く遅れた6時頃でしたが、車内では東海JCTのあたりから時計を気にする人が結構いました。

それが京成クオリティ、といいたくなるところですが、東空交もいい勝負です。
羽田の乗り場では事前に乗車券を確認しながら預け荷物を受け取り、引換証を渡しているのですが、大きな荷物を積み上げているグループが列についているのになぜかスルーしてしまい、バスが到着したときに慌てて荷物を受け取って引換証を渡していました。
相席の協力要請も毎度のことですが、手元で混み具合が見えているはずなのに、漫然と「満席になる予定です」と繰り返しても、「どうせ埋まらないから」と荷物を積み上げる手合いが後を絶たず、満席便の場合1タミで慌てて荷物をしまう、というお馴染みの光景を見ると、満席便の場合は「強く」要請するとか、濃淡が必要でしょう。
目の前でちらつく何ヶ月も変わらないし到着まで何回も繰り返されるモニターの映像も鬱陶しいだけなんですが、割高な運賃を取るだけのサービスになっているのか。渋滞回避術にしても、ビートラや京成の非リムジンと比べてどうなのかを考えると、値段見合いのサービスなのかを考えたくなりますね。




製造業のインバウンド 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2015年 3月22日(日)12時02分43秒 返信・引用
リリカルさんからのご提示ですが、製造業でもさらに業態によって違うので一概には言えないと思います。
規格品を大量生産する、というスタイルであれば事業所は生産計画に基づいて生産するだけですが、オーダー品だったり、多数の品目を調整しながら生産していくような場合、営業部門や管理部門と事業所側の間で生産や納期に関する調整が発生します。

そしてその打ち合わせはまず事業所で実施されると思いますし、その他の会議体も事業所で行われると思います。大きな事業所ですと事業所長が役員ですから、マネジメントレベルの会議体も事業所で実施されることも少なくないでしょうし、このあたりは技術屋が強いメーカーと事務屋が強いメーカー(代々の社長を見れば判ります)によっても違ってきます。
逆に事業所の人間が本社や営業拠点に行くというのは、研究所や他の事業所へ技術交流などで行くケースしか思いつきません。

結局は製造装置という動かせないもの、離れられないものが事業所にあるということです。
「現場主義」であれば事業所に足繁く通いますし、装置関係の保守点検、また購買行為なども少なくありません。大きな事業所ですと、通勤対応以外に出張者や来訪者用に送迎バスを出しているケースもあるわけです。

このあたりは、事業所への通勤や、地元企業の来訪こそクルマがメインですが、自社、取引先とも本社からの訪問となると、公共交通機関に頼らざるを得ない部分があります。ただし、空港や新幹線など幹線の駅からは直接タクシーになってしまい、二次交通機関として公共交通機関を使うケースは相当少なくなります。(毎時1本レベルだとまずタクシーですね。料金が4桁後半でもタクシー利用が推奨されることもしばしばです)



特別快速に乗りました。一駅だけ(爆) 投稿者:東怪人 投稿日:2015年 3月21日(土)14時19分16秒 返信・引用
こんにちは。

木曜日の話ですが、会社の帰り道(今は仕事先が幕張本郷になっています)総武線に乗っていると、津田沼の乗り換え案内で特別快速の声が。
ちょうど時間だったのか、と思いながら無意味な乗り換えを敢行し、折角ならと館山発になる増結編成で1区間だけの試乗となりました。

駅での案内では市川・新小岩・馬喰町・新日本橋に止まらないことを案内していましたが、車両が車両なので乗車をためらう動きはなく、むしろ誤乗が心配なレベル。
そういえばしもうさ号の運転開始日は209系だったせいか、乗車をためらいがちな動きもあったのですが、こちらではそんなことはないようです。

(ただ単にスマートフォンに夢中で放送聞いてないだけ?ということはないでしょうが…。)

津田沼での乗車率はロングシートの半分が埋まるぐらい。
ちょうど改正前にこの時間帯にあったさざなみに海浜幕張から乗る機会があり、座席選び放題だったことを考えれば「こんなもの」でしょう。
車内の自動放送は「次は船橋です。携帯電話の〜」と快速と同じ。まぁ(ホームがある駅としては)連続停車ですし。そのあと車掌の案内が入りました。
船橋到着時には「次は錦糸町に停車します」と入りましたが、通勤快速と違い、通過駅利用者への乗り換え案内はありませんでした。

なお、船橋でも乗車をためらう動きはありませんでした。



ふとした疑問ですが 投稿者:リリカルゆかりん 投稿日:2015年 3月20日(金)21時46分2秒 返信・引用
かしま号の需要は鹿島臨海工業地帯に直接・間接的に支えられてることは疑いないのですが
そのうちインバウンドにおける各工場へのビジネス需要というのはそこまで巨大なのでしょうか。

私の周辺で製造業で働いている方がいない関係で、どうもピンと来ない面があります。
というのは非製造業あるいは、官公庁ですと出張は基本的に「支社や出先機関の人が本社庁に行く」ものであり、その逆というと監査か、当該の支社・営業所と何らかのトラブルが発生した場合に限られます。その意味ではビジネス関係でも鹿島からのアウトバウンド需要は理解できますが、インバウンドの需要というのはそこまで多いものなのでしょうか。

管理人様は製造業で働かれており出張も多いようですで、その辺りの事情を説明してくださるとありがたいです。



新京成→東京・品川 投稿者:dai 投稿日:2015年 3月20日(金)07時55分28秒 返信・引用
連投失礼します。

上野東京ラインによって、新京成から東京・品川へ、松戸経由で行くという選択肢が生まれました。京成津田沼経由は遠回り、新津田沼経由は徒歩連絡、東葉高速と北総は速いが高い、八柱経由は遠京駅ピンポイントになる、と帯に短し襷に流しの中で管理人様のように新津田沼経由を選んでいる人が多いのが現状でしょう。

そこに乗り換えが便利な松戸経由という選択肢が登場したわけですが、新京成にはどんな影響を与えるんでしょうね。北総と親戚関係でなければ、開業キャンペーンに乗っかることもできたのに惜しまれます。



かしま号 投稿者:dai 投稿日:2015年 3月19日(木)08時26分34秒 返信・引用
実は東関東道開通前から特定輸送のような形で存在していて、東関東道開通を期に一般にも解放した…とか?

管理人様ご指摘のとおり、鹿島工業地帯は鹿島線より成田線の方が近いんですよね。小見川付近で車窓から見えるので、初乗りの時に驚いた記憶があります。

鹿島線の対東京ダイヤは、鹿島神宮観光を意識したものだったんでしょうね。石岡から鹿島参宮鉄道などという企画が実現したあたり、当時はこんぴらさんなみの観光地だったのでしょう。

そう思うと、寺社観光の衰退とともに鹿島線の優等の本数が減ったのも説明がつきます。

余談ながら成田駅から成田空港への急行バス、これも殆ど文献に登場せず、実態がいまひとつ分かりません。



「あやめ」の謎(長文失礼) 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2015年 3月19日(木)00時04分16秒 返信・引用
幸薄い特急「あやめ」の話題に皆さんいろいろなご見解を頂きありがとうございます。
今一度調べてみますと、意外と奥が深く、ますます分からなくなりました(苦笑)

まずは歴史ですが、鹿島臨海工業地帯の事実上のスタートが1970年です。この年、国鉄鹿島線が北鹿島までの全線で開通し、鹿島臨海鉄道も北鹿島−奥野谷浜までの全線で開通しています。なお地域の旗艦といえる当時の住金鹿島製鉄所は1968年に操業を開始していますが、高炉に火が入り銑鋼一貫製鉄所になったのは1971年なので、1970年が節目といって良いでしょう。

鹿島線の電化は1975年3月ですが、電化前の段階で早くも成田線との間の「主客逆転」が発生しています。
当時、急行「水郷」が7往復設定されていましたが、5両編成のうち指定席車1両を含む3両が鹿島神宮行きで、2両が銚子行きだったのです。鹿島線内は普通(小見川方面も大半が普通)でしたが、しかも銚子行きが無い列車もあり(接続はあった)、新規開業後間もない段階からメインは鹿島、という状態でした。
余談ですが、直通する急行の他、成田までの国電快速に接続する普通1往復があり、急行とそう差が無い時間で都内と結んでおり、有効列車として機能していたと考えれるので、実質8往復ともいえます。

1975年の北総電化で特急「あやめ」4往復が誕生しますが、急行「鹿島」の設定は定期1往復、季節1往復で、電化前よりも有効列車は減った印象です。このほかに急行「水郷」が定期2往復設定されていますが、鹿島線との接続は良くないのです。
ただし「あやめ」のダイヤを見ると、東京発7時前、鹿島神宮発19時過ぎの設定があり、お昼前の到着や夕方前の出発もあわせ、都内から鹿島への出張対応という意味では悪くはないダイヤでした。(ただしこれは急行時代、しかも鹿島臨海工業団地が出来る以前からあった)

このダイヤは1982年の房総急行廃止時に、定期「鹿島」のダイヤを引き継いで「あやめ」が1往復増発されたのを最大の変化として、1993年に減便されるまで踏襲され、翌1994年に1往復の通勤特急化されるまで、朝の下り、夜の上りが存続していることから、それなりに需要があったと思われる反面、このビジネスダイヤのスジは快速格下げになっておらず、ダイヤに見合う利用があったのか、確信が持てません。

「あやめ」をわずか5年で事実上駆逐した「かしま号」ですが、1989年の運行開始も実は意味がありました。というか、東関道の整備が制約条件でした。利根川を渡り潮来ICまで開通したのが1987年、そこに至るまでも佐原香取ICまでが1986年、大栄ICまでが1985年、成田ICまでが1972年、宮野木JCT−富里ICの最初の開通も1971年であり、「あやめ」を駆逐しようにも出来ない状態でした。

こうなると「かしま号」開業前のアクセスがますます分からなくなります。
さらに言うと、鹿島臨海工業地帯の工業集積は今の神栖市側に多く、こちらは鹿島神宮駅に出るよりも小見川駅に出るほうが近いのです。
「駅からタクシー」であれば小見川にもアドバンテージがあるわけですが、急行「水郷」の時代から鹿島のほうが小見川より本数が多かったわけで、しかも小見川に出る小見川大橋の開通が1973年と遅く、小見川ルートでの対東京流動は考えにくいです。

鹿島線の需要自体も、特急、急行こそ揃っていますが、ローカルは113系の4連(快速の付属編成)と、房総ローカルではここと東金線だけという4連であり、「かしま号」に対する潜在需要がここまであったことも驚きですが、その分をそれまで鉄道がそれだけ分担していたのか、と思わざるをえないのです。

鹿行地区からの需要は便利で安い高速バスの搭乗で強力に喚起されたといえますが、鹿島臨海工業地帯に対する移動需要はそれでは説明がつきません。高速バスが登場したから本社との行き来が急増した、ということはないからです。事業構造が一緒なら、同じ需要レベルになるはずです。

先にクルマ(あるいは社用バス)での送迎を想定したんですが、利根川を東関道が越えるのが1987年ですから、それまではR51を使うか、小見川に抜けるかしかありません。佐原や小見川に出ても乗車チャンス的には鹿島神宮に出るのと大差が無いわけで、本数がグッと増える成田まで行かないと送迎の実は上がりませんが、一方で成田から先の東関道の整備は1985年以降で、ならば成田までR51か、1973年以降であれば小見川から栗源経由の県道か、というオール一般道の送迎は確かに考えにくいです。

ただ、潜在需要を信じるに足る何らかの流動の兆しがないと、さすがに「かしま号」も生まれないわけです。ビジネスダイヤの「あやめ」に集中していた可能性は排除できませんが、「あやめ」が混み合うという話は聞いたことが無かったのも事実です。
だいたい、「あやめ」の本来需要が旺盛であれば、成田空港開港時の国鉄のアクセスで、成田駅からの急行バスという厳しいコンディションながら、成田までの需要も加わるということで「あやめ」の増発があって然るべきなのに、全然なかったわけです。

この「かしま号」開業までの鹿島への需要はどうやって捌いていたのか。これが最大のポイントです。

ちなみにリリカルさんの鹿島線活用策ですが、ある意味この地域の特殊要因がことごとく阻むはずです。
つまり、「水郷」の名の通り、利根川と霞ヶ浦、北浦の水系が絡み合うこの地域は、近くに見えても橋がなければ行き来できません。
十二橋駅周辺がなぜ空白域なのか。霞ヶ浦から来た常陸利根川と与田浦に囲まれており、「外部」へは潮来に出るだけ。特急、急行停車駅の潮来駅を通って十二橋駅に向かうというのも無駄な話です。

さらに潮来自体も神栖方面へのアクセスがいまいちで、北浦から来る鰐川を越えて直進できるのは当時は有料の水郷道路で、鹿島神宮方面はR51(こちらは北浦に架かる神宮橋が隘路)、地形的にも常陸利根川と鰐川の合流点に外浪逆浦という湖沼が阻んでいます。
十二橋駅が閑散としているのは伊達じゃないのです。




Re: 駅の表示など 投稿者:dai 投稿日:2015年 3月18日(水)08時14分5秒 返信・引用
常磐快速→品川はどちらかというと供給先行型の系統ですから、今のところガラガラなのも仕方ないんでしょうね。特急・中電は高速バスが東京駅に直行する需要を開拓していましたが。

昼間乗った中電は「普通 品川」と案内されていましまから、中電と国電で、普通と各駅停車を使い分けているんでしょうね。





駅の表示など 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2015年 3月18日(水)00時54分1秒 返信・引用
品川から東京まで、常磐線、宇都宮線を新橋で乗り継いでみました。
まずは常磐線。21時前の電車ですが、まだ知られてないのか需要が無いのか、後方はガラガラでした。
電留線の脇を通る区間、総武快速利用者さんのレポートの通り、札の辻で既存上り線と合流するまでゆっくり走るため、かなり掛かりますね。ただ、合流後は韋駄天走りで、「のぞみ」と並走しながら、浜松町の先で減速がかかった「のぞみ」をまさかの抜き返しにかかるのには驚きました。

今日の発見ですが、まず新橋、品川は同じ4ドアですが常磐線と宇都宮線・高崎線で乗車位置を分けています。電車に向かって左が宇都宮線・高崎線で、右側が常磐線。ドアが開くのはその中間ですが、混乱を避ける工夫です。

電車の表示についてはdaiさんが指摘している常磐線系統の「上野東京ライン 東海道線直通」ですが、北行きも「上野東京ライン 常磐線直通」「東京経由取手」と、丁寧ですが、「常磐線」「取手」で別に構わないのでは、というところです。

駅側の表示で判らないというか首を傾げたのが、東海道線、宇都宮線・高崎線関係が「普通」なのに、常磐線快速は北行きこそ「快速」ですが、南行きは「各駅停車」となること。
そのため東京や新橋の表示は、「普通国府津」「各駅停車品川」と並ぶ訳ワカメ状態でした。

あと、駅の表示で気になったのは、東京駅の通路にある表示、交互表示の何回かに一回、種別欄が「上野東京ライン」となることでしょうか。全く意味がない表示であり、改善が必要です。



「あやめ」について 投稿者:えむえす・あっぷ 投稿日:2015年 3月17日(火)13時49分18秒 返信・引用 編集済
エル・アルコンさんへのお返事です。

> 「トワイライト」や「北斗星」、ほくほく線経由の「はくたか」など改正で消える(臨時化される)列車がスポットライトを浴びていますが、トンとそうした話を聞かなかったのが「あやめ」でした。
>
> 白状しますと、房総特急については食指が動かず、183系時代も含めてまともな写真がありません。
> 確か定期組では字マークの時代の「さざなみ」、電光式になった「しおさい」くらいしかなく、E257系もあのホームライナーまがいの「ホームタウンしおさい」と、先月偶然津田沼で出会った回送が「あやめ」の表示を出していたのでそれを撮ったくらいです。
>
> それくらい影の薄い「あやめ」ですが、最終的には2往復、「あやめ」由来の鹿島神宮系統と、「すいごう」由来の成田回り銚子系統で廃止の日を迎えました。

「あやめ」の「引退セレモニー」や「葬式鉄」がなぜ派手に行われなかったのか。その理由は「千葉支社管内で毎年春のダイヤ改正のたびにストライキを行う某労働組合対策」だと考えられます。

某労働組合は、自らのホームページで、「房総特急の廃止や減便に反対し、3月13日〜15日まで本線運転士を含むストライキを実施した」と述べております。(実際は他の労働組合員や管理職乗務員等で対応したため、このストライキによる電車の運休等の影響は生じていない)

さらに、某労働組合は「成田空港反対派」とも連帯しているともいわれ、テロ行為等に対する警備も必要だったため、「引退セレモニー」も「葬式鉄」も派手には行われなかったと思われます。

また、その関係で、「首都圏のJR路線図」や「ダイヤ改正のパンフレット」で千葉支社管内を小さく扱っている可能性があると考えています。



Re: 上野東京ライン駆け足散歩(後編) 投稿者:dai 投稿日:2015年 3月17日(火)13時03分14秒 返信・引用
> No.3588[元記事へ]

今日も仕事で新橋→品川と乗りました。

たまたま来たのがE531系の品川ゆき、
側面表示が「上野東京ライン 東海道線直通」と「品川」の交互表示でした。

品川止めを東海道線直通というのかどうか、
これまた沿線対策かと勘繰らせるに値する表示です。

あと品川駅の留置線で常磐快速のE231が昼寝しているのも新しい眺めですね。
逆にE531系は見当たらず、ダイヤ混乱時には中電のスジにE231が入ったりするのでしょうか。

京浜東北線のリストラを考えるのであれば常磐線は脇役にならざるを得ず、
どこまで行っても不遇な感じです。




HL千葉1号の時間帯 投稿者:総武快速利用者 投稿日:2015年 3月17日(火)00時21分13秒 返信・引用
今日の帰り、品川駅に1850ころに着いたのですが、次の総武快速は明らかに混雑する1900発成田空港行きだったので、1853発の取手行きを使えば東京1905発の始発快速には十分乗り継げるだろうと思って試乗も兼ねて乗車してみました。
ところが田町付近までゆっくりと走るんですね。東京駅ではタッチの差で間に合いませんでした。(走れば間に合ったかもしれませんが)

さて、エル・アルコンさんが悪い予感が当たったと言っていたこの時間帯ですが、新宿駅での人立ち入りの影響でNEXの新宿編成到着が10分ほど遅れており、本来なら1903NEX、1905始発一宮行き、1912HL千葉、1915空港行き、1919千葉行きとなるところ、一宮行きが定刻に出た後、1912頃NEX、1915頃HL千葉、1918頃空港行き、1922頃千葉行きという順での発車となりました。
空港行きの本来の混雑具合が見れなかったのは少し残念ですが、東京での混雑率が発車時は180%以上だったので、遅延の影響を差し引いて考えても、やはりこの列車は今まで以上に混みそうです。



あやめに勝機はあったのか 投稿者:リリカルゆかりん 投稿日:2015年 3月16日(月)21時28分38秒 返信・引用
かしま号は当初鹿島にこれだけの需要があることはバス事業者にとっても想定外であり、
バス路線の新設自体が需要を誘発した好例といえるでしょう。
管理人様仰せの通り鹿島臨海工業地帯の存在は大きく、インバウンドはもちろん、比較的所得水準が高いにも関わらず近辺に百貨店などがなかったことからアウトバウンドの需要も取り込んだこと、さらにアントラーズの存在も大きいといえます(同クラブが必ずしも地域密着ではなく関東一円にファンがいるクラブであることもかしま号の需要を下支えしているといえます)

また工業地帯となると鹿島線の駅から遠く、セントラルホテルの方が便利であること(タクシーも常駐しており、主な工場まで2000円以内)同ホテル〜市役所の間が神栖市の中心地になっています。

ただ成田は距離も30km以上あり、東関道潮来開通前は利根川の橋が大ネックでしたので鹿島の工場からの送迎というのはやや非現実的です。やはり潮来ないし鹿島神宮駅利用が主体だったのではないでしょうか。さもなくばやはりかしま号が需要を喚起したということでしょうか。

ではあやめに勝機があったのかということになりますが、鉄道の特性である大量輸送と定時性ということになりますが、前者に関しては東関道の信頼性が比較的高くあまり優位な条件にならなことを考えると、あやめ祭りやカシマサッカースタジアムでの観客動員数の多い試合の際ということになるのでしょうか。工業地帯は遠くても、あやめ祭りの会場やスタジアム、あるいは鹿島神宮は駅から近いですし、こういったところが第一に取り込む需要であったとえいます。
第二には、駅周辺の土地がいくらでもある十二橋駅にP&R用の大型無料駐車場の整備です。水郷潮来に比べてやや場所が劣りますが、致命的とまでは言えません。

また鹿島臨海鉄道も神栖方面へ全くやる気のない旅客輸送をほんの一時期しておりましたが
こちらもレールバスで鹿島線列車に完全接続のダイヤ、旅客利用に便利ば場所に駅を設置していれば遥かにマシであったでしょうし、今でも旅客列車が走っていた可能性もあります。

このほかにもNEXで130km/h運転が実現していたのですからそれに合わせての高速化やダイヤ面での制約が大きいとはいえ、バスとの差別化を図るなら新宿発着主体にするなど採り得る策は多くありました。

かしま号の利便性が非常に高かったのは事実、鉄道側があまりにも無策であったことは指摘しなければならないといえます。



Re: 「あやめ」の淋しき退場 投稿者:dai 投稿日:2015年 3月16日(月)08時08分12秒 返信・引用
私も関心はあったのですが時間帯が悪すぎ、なにもしないまま改正日を迎えてしまいました。

完全に忘れ去られていますが、成田で成田空港行きの国鉄バスと接続していたんですよね。成田エクスプレスの前史ともいえる列車でした。

鹿島工業地帯から成田まで送迎していた?というのは興味深いご指摘です。暗黒時代の京成スカイライナーとの乗り継ぎルートが成立していたのでしょうか。

そう思うと、成田空港駅開業と、かしま号の開業が同時期であることも偶然ではなさそうですね。グリーン車を外されたり両国止めが残ったり、ビジネス客がついていたとしたら考えにくい歩みですから。




「あやめ」の淋しき退場 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2015年 3月15日(日)17時54分30秒 返信・引用
「トワイライト」や「北斗星」、ほくほく線経由の「はくたか」など改正で消える(臨時化される)列車がスポットライトを浴びていますが、トンとそうした話を聞かなかったのが「あやめ」でした。

白状しますと、房総特急については食指が動かず、183系時代も含めてまともな写真がありません。
確か定期組では字マークの時代の「さざなみ」、電光式になった「しおさい」くらいしかなく、E257系もあのホームライナーまがいの「ホームタウンしおさい」と、先月偶然津田沼で出会った回送が「あやめ」の表示を出していたのでそれを撮ったくらいです。

それくらい影の薄い「あやめ」ですが、最終的には2往復、「あやめ」由来の鹿島神宮系統と、「すいごう」由来の成田回り銚子系統で廃止の日を迎えました。

もともと1975年3月の北総電化の改正で新設された当時は4往復。グリーン車つきの9連は「さざなみ」などと共通でした。
定期1往復、季節1往復があった急行「鹿島」の定期便を吸収したのが1982年11月改正。ここが「あやめ」のピークです。その時に2往復あった急行「水郷」を格上げした「すいごう」が加わりましたが、有効長の関係で9連は無理で、ではMMユニットをカットした7連(急行はグリーン車つきの7連)になるかと思いきや、モノクラスの6連になりました。しかも東京駅に入れず、急行時代同様両国発着というのも異色というか、ぞんざいな扱いでした。

「すいごう」も含めれば7往復という隆盛は長くは続かず、1985年には房総特急の一部モノクラス化(6連をベースに、TcMMの3連を増結)に合わせてグリーン車が消え、高速バス「かしま号」が倍々ゲームで増えるなかで減便となり、1994年に夜の下り、朝の上り1往復のみになっています。
20年以上前に鹿島方面の輸送を断念した格好で、しかも代替で設定された快速増結車による鹿島神宮編成も長続きしなかったわけで、高速バスに対して何一ついいところなしという状態でした。

ところがここから「あやめ」の反撃が始まり、通勤特急に特化したあと、同じような性格の「すいごう」「ホームタウン成田」を吸収し、さらに「しおさい」併結でまさかの増発まであり、上りこそ2本ですが、下りは4本と、設定当時のような「あやめ7号」が出来ました。
しかし再衰退となり、最後の日を迎えましたが、通勤特急としての盛り返しは記憶に残るものといえます。

そういう意味では「あやめ」の歴史は「普通の」特急としてのそれと、「通勤特急」としてのそれに二分されます。
前者は1994年に既に終わっていたわけで、「かしま号」の設定からはわずか5年で駆逐されたことを考えると、これも特筆すべき事です。(しかも「かしま号」の増発対応が追いつかなかったことでそこまで持ったという話もある)
確かに何回か乗りましたし、見かけただけなら数多いですが、鹿島への列車、として機能していたかというと疑問でしょう。「かしま号」設定まではそれでも機能していたのかもしれませんが、絶対数としては多くありません。そう、「かしま号」の賑わいが「あやめ」から奪ったのであればもっと乗っていたはずです。

鹿島地区の工業地帯との流動はどうだったのか。「あやめ」がメインならもっと乗ってたはずですし、ひょっとしたら成田辺りまで送迎していた可能性もあります。ちなみに鹿島神宮駅に着く鉄道は工業地帯から見ると「離れて」いるわけで、神栖市の鹿島セントラルホテルが工業地帯をターゲットにした拠点として機能しているのに対し、鹿島神宮駅は今も昔も淋しい状態です。

このあたり、鹿島セントラルホテルという停留所名だけ見て実態に気が付かない人が多いようで、「あやめ」に勝機があったようなことを言う人もいますが、近隣の事業所との送迎拠点であり、夜半の高速バスまでの間で接待にも使える店もホテルのショッピングモールの中にあるわけで、観光でも鹿島神宮は駅から距離を残す反面、「かしま号」は近い、地元利用なら水郷潮来のP&Rと、「かしま号」の使い勝手をどう評価したら「あやめ」に勝機があるのでしょうね、という状況でした。

一方で通勤特急としては千葉に加え、四街道や佐倉、成田あたりの手堅い需要を掴んだかのように見えましたが、料金回数券での収入よりグリーン券、という政策変更という話もあり、快速格下げという流れになってしまいました。
そう、一度は惨敗し、捲土重来の場面では政策変更、と、房総特急としては幸薄い存在でしたが、房総特急のリーダーたる「さざなみ」の凋落を思えば、「あやめ」はよく永らえたと言う評価で看取ってあげたいです。








ぼんやりと改正当日へ 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2015年 3月15日(日)17時09分6秒 返信・引用 編集済
せっかくのダイヤ改正なのに、改正前日、そして平日初日と東奔西走状態という不幸です。狭間の土日に、と思ったのですが、昨日も時間があまり取れず、中環の確認と兼ねてクルマで品川に乗り込むという状態では、鉄道をじっくりとまだ見ていません。
ちなみに中環は2週連続の厚巻きな確認ですが、先週が大井JCT→熊野町JCT→葛西JCTの1周+大橋JCT→大井JCTで、今週が清新町→熊野町JCT→中環大井南+五反田→大橋JCTという両方向の確認でした。

ただ多忙なあまり行動がどうもぼんやりしており、改正前々日の帰宅時には品川で「HL逗子」に出会い、乗った快速は東京からの続行が「HL千葉1号」だったのですが、改正で消える「HL逗子」の写真を撮るのを失念し、改正で255系でなくなる「HL千葉1号」に乗ったり写真を撮るというのもこれも失念しており、何とも勿体無いことをしてしまいました。

まあ快速は品川から座れなかったのですが、東京で目の前の席が空いて、思わず座ってしまった瞬間に総て忘れてしまったようです。
その快速では、土曜日から改正があり、「あやめ」が消え、ライナーと夜間の快速の増発、館山特快の新設を案内していました。





Re: 上野東京ライン駆け足散歩(前編) 投稿者:dai 投稿日:2015年 3月15日(日)13時14分52秒 返信・引用
東京駅→常磐線方面に用事があったので、実用を兼ねて見てきました。

●東京駅

二面四線は確かに過剰ですが、ダイヤ乱れ時のバッファとして使えそうですね。特急を内側2線に集中させるようです。

●秋葉原駅

クロスフィールドの前あたりにホームを造る空間はありますね。根岸線直通を横浜線にする決心がついたら、京浜東北線をリストラして工事するのかもしれません。

●上野駅

常磐線からの直通が少ないのは不満ですが、上野止めが地平ホームに着いてしまう宇都宮・高崎線に比べると、上野止めでも高架ホーム相互の乗り換えなのは楽ですね。東京・新橋・品川への通勤客が雪崩込んできて問題になるのかも。

総体的な感想としては「常磐線は浦和を擁する埼玉県に負けたか。」
車両の問題があるにせよ、常磐快速ぐらいは東海道線直通の仲間に入れて欲しかったです。




道の川島本(苦笑) 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2015年 3月15日(日)00時28分35秒 返信・引用
久々に清水氏の名前を見ましたね。著作は一部で「道の川島本」と言われていました。

2+2=3で驚いちゃいけません、C2はそれでも「進化」しているわけで、C1は2+2=2だったんですから。
谷町も三宅坂も、JCTの両方向とも2車線分が確保され、そのまま合流して2車線になっています。
さすがにそれは無理とわかったのか、今では渡り線部分は1車線にゼブラゾーンなどで修正されています。

それでも2車線のままで本線に合流させる構造はお好きなようで、有明JCTの11号台場線から湾岸線東行きへの合流部分はまさにその構造です。
右側車線が早く合流して中央車線まで進み、左側車線はその先で合流、とうまくいけば一気に2倍の合流が可能と考えたのでしょうか。湾岸線にクルマが走っていない想定なんでしょうね。







Re: 上野東京ライン駆け足散歩(後編) 投稿者:匿名 投稿日:2015年 3月15日(日)00時23分22秒 返信・引用
> No.3588[元記事へ]

エル・アルコンさんへのお返事です。

> 東京方面の進路を見るとなかなか興味深いです。

参照
品川駅・旧田町車両センター再開発(2014年5〜8月取材/その2) - Reports for the future 〜未来へのレポート〜
http://mirai-report.com/blog-entry-1313.html



「2+2=3」は内規だとか 投稿者:匿名 投稿日:2015年 3月14日(土)23時59分23秒 返信・引用
> No.3586[元記事へ]

エル・アルコンさんへのお返事です。

> 結局熊野町−板橋間がネックなんですが、堀切−小菅と違い、橋脚を差し替えることで階下側も拡幅するという本格的な対応に踏み切るようなので、その竣工を待つしかないですが、期待は出来ますね。それにしても、熊野町の合流が2+2=3というのに、直前が5号線は急カーブ、C2は山手TN出口の上り勾配と、渋滞発生メカニズムとしては教科書通りと言える環境ですから、当初設計のアホさ加減が光ります。

参照
首都高C2全通で渋滞悪化か 原因は「お役所」と政治
http://trafficnews.jp/post/38213/

首都高C2全通でC1が有利に? 想定される渋滞ポイントと賢い使い方とは
2015.02.14 首都高研究家 清水草一
http://trafficnews.jp/post/37907/

首都高研究家って、川島氏みたいな方?



上野東京ライン駆け足散歩(後編) 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2015年 3月14日(土)23時18分13秒 返信・引用 編集済
さて、ヴェールを脱いだ駅の案内ですが、判ったような判んないような、ですね。
上野は北行きは従来通り「宇都宮・高崎線」「常磐線」「常磐(快速)・成田線」で、南行きが「上野東京ライン」です。ラインカラーも従来のものを踏襲したため、常磐線が絡むホームは青とエメグリがセットで入り、オレンジも混ざるトリコロール状態です。
ところが南行きはオレンジのみ。常磐線系統も品川まで行きますが、割り切っています。

東京は今回よくは見ていませんが、南行きの見た範囲では上野と同じオレンジのみで、「東海道線(上野東京ライン)」と東海道線を全面に出しています。

そして品川は先般書いた通り、「東海道線(上野東京ライン)」と「上野東京ライン(常磐線)」という微妙感あふれる使い分けで、南行きは「東海道線」というのは上野の北行きと同じです。
ラインカラーも常磐線関係のカラーが出ているのですが、11番線はエメグリのみと、E531系から降り立ってのこの案内です。9、10番線は青とエメグリになっており、11番線が上野のようなトリコロールにしなかったのはなぜでしょう。

改札と一部通路のフルカラーの案内は東海道線、宇都宮線、高崎線はオレンジ、常磐線中電は青(快速は見ていませんが緑でしょうか。なお中電も「快速」表記)、特急は赤となっています。改正前の段階では湘南ライナーはオレンジでしたが、改正後はどうなんでしょう。従来型の表示ではグリーン車の自由席、指定席を描き分けていましたが、フルカラーではしていないというのも微妙です。

さて、試乗列車がいきなり11番線折り返しだったわけですが、東京方面の進路を見るとなかなか興味深いです。実は全く気が付かなかったのですが、昨年12月に東海道線上りの交互使用ホームが6番線から8番線にスイッチした際に、8番線からの進路は新しい電留線に沿って進み、札の辻で従来線に合流していました。だから中電ではありえないはずの2分ヘッドでの出発が存在したようですが、10番線、11番線からの進路がちょうどその新しい上り線に向けて一直線になっています。

11番線ホーム東京寄りから見ると10番線と11番線から出てきた線路が両渡りの終端でY字分岐気味に合流した後一直線に伸びており、電留線への分岐が整然と右に分かれ、8番線、9番線からの線路が左から合流する姿は幾何学模様のようです。

ちなみに下り本線から9番線に入る線路がユニークで、上記10番線、11番線からの上り線と交差していますが、そこには渡り線もなく、思いっきり平面交差状態です。類型としては阪神尼崎にあったようなきがしますが、近くに他の線路が無い解放感という意味では群を抜いています。





上野東京ライン駆け足散歩(前編) 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2015年 3月14日(土)23時17分13秒 返信・引用
ダイヤ改正の当日、上野東京ラインに乗ってみました。中央環状線の確認も兼ねてクルマでの外出でしたが、品川のインターシティの駐車場が10分100円で2000円頭打ちとリーズナブルだったのは収穫でしたね。都内のターミナルでこのお値段はありがたいです。機械式駐車場の一種で時間を取りますが、係員がいて至れり尽くせりといった感のある対応もこの値段では驚きです。

結局上野までの往復でしたが、惜しかったのはタッチの差で品川始発の常磐線に乗れなかったこと。ダイヤのアヤでしばらく常磐線がなく、宇都宮線直通で北上しました。

これまでは品川まで混んでいてもここからは降りるだけでどんどん空いていく、という感じでしたが、昼下がりの電車はけっこう乗っています。ただ、東京ではけっこう降りて、東京からの乗車もありましたが、新規区間が一番少ないという結果に。

首都高C1をくぐると高高架に駆け上がりますが、周りのビルのせいか高みに上がった気分はいまいち。
秋葉原の手前では元のレベルに降りますから、「見どころ」は思った以上に短い時間でした。
ここで気になったというか気付いたのは、埼京線渋谷駅のように斜交いにすれば秋葉原駅を設置出来たのでは、ということ。上野東京ラインが秋葉原に停車すれば利便性が格段に違うのですが、そうなるとラインが混んで、反面、山手線や京浜東北線が輸送力過剰、となってしまうかも。

上野からは東海道線直通とその直後に来る常磐線中電を乗り継いで戻りましたが、品川までしか行かない常磐線の東京以南はガラガラでした。通勤時以外で新橋、品川だけというのも確かに厳しいですが、かといって東京折り返しというのも、ということでしょう。
両者を東京で乗り継ぎましたが、ちょうど一段上の新幹線ホームにはW7系の「はくたか」がおり、新幹線ホームはカメラの砲列でした。




嬉しい誤算 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2015年 3月14日(土)00時47分51秒 返信・引用
リリカルさん、中央環状品川線開通の分析ありがとうございます。
新規区間と湾岸線への影響という点では、まさに嬉しい誤算という状態ですが、徐々に知られてくるにつれてまだ判らない点はあります。
ただ、外回りの熊野町先頭の渋滞や、3号線三軒茶屋先頭の渋滞は開通の影響と言えるものであり、浜崎橋の渋滞軽減も合わせて「丸く収まっている」と言いたいですね。

実は今日サクッと往復してきたんですが、行きは敢えての6時台、帰りは21時台の通過でしたが、C2起因の渋滞はなく、というか、C2への亘り線自体が空いており、何とも拍子抜けです。

C1を先頭とする放射各線の渋滞は、西側で顕著に軽減されて、C2に合流、交差するところでの放射各線の渋滞は西側で顕著に発生する、というのは、明らかにC2シフトといえます。
結局熊野町−板橋間がネックなんですが、堀切−小菅と違い、橋脚を差し替えることで階下側も拡幅するという本格的な対応に踏み切るようなので、その竣工を待つしかないですが、期待は出来ますね。それにしても、熊野町の合流が2+2=3というのに、直前が5号線は急カーブ、C2は山手TN出口の上り勾配と、渋滞発生メカニズムとしては教科書通りと言える環境ですから、当初設計のアホさ加減が光ります。

余談ですが、往復とも伊丹を使いましたが、往路は阪高池田線で車両火災のため通行止で名神豊中まで下道となり三宮まで75分。復路は摩耶で事故渋滞とでているのに生田川から上がってしまい50分と散々でした。
飛行機も詰め込み789の満席便で、津田沼リムジンも発車10分前で満席便という状況で、普段以上に疲れました。





貨物線は品鶴線にしか行けなかったか 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2015年 3月13日(金)00時22分58秒 返信・引用
うっ、鶴見あたりで渡り線があったと勘違いしていました。そうにゃんさん、ご指摘ありがとうございます。

まあ品川で平面交差を厭わなければ東海道線との行き来は出来ますが、そこまではしないでしょう。
しかしそうなると東京駅の2面4線がちょっともったいない感じです。





C2全通後の首都高速流動に関する所感 投稿者:リリカルゆかりん 投稿日:2015年 3月12日(木)23時13分36秒 返信・引用
去る昨年11月30日にC2全通後の首都高速の渋滞がどのように変化するかのレスしておりましたので、ここまでの状況を踏まえて自己点検してみたいと思います。
http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs/3444

7日の全通以降6日間の状況ですが、端的に言えば「南東高北西低」が鮮明になったといえ、千葉県と神奈川県が得をして埼玉県が損をしたという構図になっているといえます。

各論である私の予想について見ますと

○浜崎橋の改善は「劇的」といえる水準。11号上りの渋滞がほぼ消滅。
○9号上り箱崎もそれなりに改善、渋滞する時間帯は非常に限定的になった感があります
△7号上り両国先頭に関しては効果はさほどではない模様(改善はしましたが)
○3,4,5号上りも改善。ただし3号は大橋JCT先頭の上り渋滞が残りました(以前よりは相当良いですが)
×湾岸西行東京港Tは管理人様も懸念されておりましたが、開通前に比べて悪化は見られずこれは嬉しい誤算です。
○C2熊野町は予想通り悪化。渋滞距離は最大で6~7kmですが流れない渋滞なのは大マイナスです。拡幅完成が待たれるところ。
○3号下り三軒茶屋もC2大橋開通時からさらに悪化、夕方のピーク時は谷町を越えてC1につながることもしばしばです。
×5号下りの夕方は熊野町から竹橋までつながることも。ここまで悪化するのは想定外でした。
×C2大橋JCT先頭の渋滞は3号下りが悪化したにも関わらずむしろ改善しました。特に懸念された外回り側はほぼ渋滞なしのようです。

手前味噌ながら5勝3敗1分けはまずまずの結果でしょうか。

千葉県にとっては、確実に東名や中央が近くなり、今回のマイナス面はほぼ関係ないところが中心と、一見あまり関係のなさそうな3環状の西側の開通によって大いに恩恵を蒙ったとえいます。



Re: 上野東京ライン 投稿者:そうにゃん 投稿日:2015年 3月12日(木)15時26分15秒 返信・引用
エル・アルコンさんへのお返事です。

> ちなみに東京駅での折り返し容量の温存が気になりますが、ここにピタリとはまるのが相鉄からの直通枠でしょう。
> 公式には新宿方面に向かうことになっていますが、湘南新宿ライン(大崎以北)の容量問題があり、相鉄、東急直通と目的地が被ることを考えると、東京折り返しを想定している可能性も無きにしも非ずです。

相鉄は現・東海道貨物線経由で武蔵小杉駅南方で横須賀線に乗り入れとなり、既存路線の活用だけでしょうから、東海道線に乗り入れるとしたら、これまた大変な工事が必要かと。

http://www.jrtt.go.jp/02Business/Construction/const-urbanIndex.html



品川駅 投稿者:総武快速利用者 投稿日:2015年 3月11日(水)22時36分13秒 返信・引用
先週末、品川の様子を観察してきたんですが、上野東京ラインは11番線を使っての折り返しもするようで、「上野東京ライン(常磐線)」の文字が透けて見えました。乗り換え客にとっては9,10番線での折り返しよりは便利かもしれませんね。
また、9,10番線ホームにはひたち・ときわ用と思われる指定席券売機の準備もあります。
かつては9,10番線ホームの駅名票には隣駅として川崎しか書かれていませんでしたが、今度は逆に、相変わらず川崎方面への出発はできるにも関わらず、新橋しか書かれていないのが印象的でした。
なお、6番線、7番線の様子ですが、線路を敷くのは当分先のようです。



Re: 上野東京ライン 投稿者:dai 投稿日:2015年 3月11日(水)08時25分31秒 返信・引用
東海道線の上野止めは、尾久まで回送されて折り返すなり入庫するなりするのでは。東チタと東オクの整理統合も、上野東京ラインの整備目的に挙がっていますから。

あとは上野駅の再開発を考えているのか。宇都宮・高崎・常磐線に加えて東海道線もそれなりに始発があるというのは、不動産価値が向上するというものでしょう。




上野東京ライン(続) 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2015年 3月11日(水)00時40分5秒 返信・引用
その上野東京ラインですが、daiさんがおっしゃるように「●●ライン」の増殖の一環と見ると何とも不細工です。
私鉄界の国鉄と言われた東武が「●●ライン」に先鞭をつけて、JRはそれを拡充というのも(まあ湘南新宿ラインが嚆矢ですが)偶然でしょうが、どこもかしこも「●●ライン」というのもどうでしょうか。

横浜以南、大宮以北からの乗客にとって、湘南新宿ラインか上野東京ラインか、という識別が重要ですが、既存路線名を名乗らない新宿方面はともかく、東京、上野方面は上野東京ラインと同時に東海道、宇都宮、高崎の各線を名乗るのが意外とネックです。
大船−大宮では系統が違う横須賀線は別として、東海道、宇都宮、高崎の各線は名乗らず、湘南新宿ラインか上野東京ラインを名乗るようにすればよかったのです。

系統図も赤が湘南新宿、オレンジが上野東京で、大船、大宮で枝分かれすればよかったのです。
常磐線も今回の上野東京ラインということで売り出していますが、品川までであれば「常磐線」のまま延長するほうが案内的には優れています。両ラインの線上の例外として横須賀線(総武快速線)と常磐線が別途走っている、という方が判りやすいでしょう。

その意味で改正後の案内で気になるのは、東海道線の東京行き(まあ深夜にしか走りませんが)と、宇都宮線、高崎線の上野行きをどう案内するのか。品川駅の表示を参考にすれば、東海道線(上野東京ライン)東京行き、とか、高崎線(上野東京ライン)上野行き、なんでしょうが、上野東京の片方しか行かなくて紛らわしいとクレームが来そうで、ならばこれらは従来通り東海道線、宇都宮線、高崎線のまま東京や上野まで来るのか、悩ましいところです。



上野東京ライン 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2015年 3月11日(水)00時34分18秒 返信・引用
いよいよ上野東京ラインの開通まで1週間を切りました。
拠点のひとつとなる品川駅でも上野東京ライン対応の掲示が出てきていますが、いつ取り替えるのかとやきもきしていた旧式の掲示はようやく10日の日中に取り替えました。
隠し方が中途半端でちらりと見えるホームの構内図によると、「東海道線(上野東京ライン)」と「上野東京ライン(常磐線)」という使い分けをしていました。

品川折り返しが使う7〜10番線のうち9、10番線には、乗り場案内の掲示に常磐線快速と中電のラインカラーがちらりと見えるのですが、品川のホーム繰りはどうなるのか。
7、8番線が宇都宮、高崎線だとしても、品川折り返しは少なく設備を持て余す格好ですが、泉岳寺新駅開業の将来には3面6線での運用と聞いているため、これでいいのでしょうか。というか、あと4日というのに6番線と7番線が仮囲いのままであり、このままで改正でしょうか。

今回の新ダイヤで意外なのは、東海道線の大半が上野へ直通すること。
特急と深夜帯を除き、東京行きがありません。東京始発も特急とライナー、夜半の通快、深夜帯と限定されています。
では全面的に宇都宮線、高崎線に直通するかというとそうでもなく、上野折り返しがそこそこあるのです。

東京駅の2面4線では原則折り返しはせず(特急「踊り子」系統はたかが知れてます)、一方で上野駅の3面5線(東京側への直通可能なホーム)で折り返すというのもどうでしょうね。上野は地上ホームなどで北行きの折り返し余力があるので、上野乗り換えでも本数を確保する、ということかもしれませんが、上野発着となる東海道線は東京−上野間ノンストップですから、わざわざ乗り換え(しかも地平ホームだとかなり面倒)を前提に利用する人がいるかどうか。上野が最終目的地になると言うことも少ないでしょうし、東海道線東京口の着席需要を考えると、折り返し乗車でトラブルを起こすだけのような懸念もあります。

構造上無理とはわかっていますが、秋葉原に停車できなかったのは勿体無いですね。
ここに停車していれば直通効果がさらに発揮できましたし、東海道線の上野発着便も意味が出てきましたから。

ちなみに東京駅での折り返し容量の温存が気になりますが、ここにピタリとはまるのが相鉄からの直通枠でしょう。
公式には新宿方面に向かうことになっていますが、湘南新宿ライン(大崎以北)の容量問題があり、相鉄、東急直通と目的地が被ることを考えると、東京折り返しを想定している可能性も無きにしも非ずです。




Re: 中央環状品川線 投稿者:インバマルコ 投稿日:2015年 3月 8日(日)23時47分45秒 返信・引用
> No.3577[元記事へ]

エル・アルコンさん

早速の中環報告、ありがとうございました。この土日では渋滞はなかったとの事ですが、今後どうなるのでしょうね。世間では北陸新幹線開通の方に目が向いている可能性もあります。ここが渋滞せずスムースな流れを維持できるようだと、渋谷あたりからの羽田空港へのバスのアクセスが向上しますよね。

首都高のHPをみていたら以下に今後の予定が記載されていました。
http://www.shutoko.co.jp/~/media/pdf/corporate/efforts/traffic/kaitekisoukou/vision.pdf

知らなかったのですが、4年後の小松川線JCT新設(小松川(千葉方面)⇔中央環状線(北行き))ができるようになるのですね。今まであちらに用がある時は箱崎を通るか湾岸経由で葛西から北上するしかありませんでした。箱崎を通らずに京葉経由で北上できるのはとても大きいです。

あと、ふと思ったのが、今回の開通で、「1号羽田線昭和島⇔浜崎橋」の道路の直しもやり易くなったのではないかと。1号線は古いですから橋桁の痛みもかなりきているはずです。

どうせなら浜崎橋の渋滞の解消も兼ねて直してくれたらな、と個人的に勝手に思っています。

首都高は部分的な建て替えが始まる日がいつかはくるはずです。
たまーに議論されてますが。




中央環状品川線 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2015年 3月 8日(日)20時08分14秒 返信・引用
あまり天候が芳しくなかった週末ですが、早速7日夕刻に開通した中央環状線を走って来ました。
全般的に交通量が少なく、大井や大橋周辺、さらには山手TNでも日中は目立った混雑がなく、順調に走れました。

2013年11月から閉鎖されていた湾岸線西行きからの渡り線が復活して中環へのアプローチになりましたが、よく考えたらこちら側も渡り線由来ゆえ勾配が急ですね。気になったのは東京港TN内は大井出口への注意がくどいほど出ているのに対し、直後の大井JCTに対する注意が無いこと。早めの車線変更という意味では大井出口以上に周知すべき内容です。

湾岸線東行きからの車線と1+1=2で合流し、そのまま逆落としに山手TNへ。R357などを交わすためにいったん高度を取るせいで、急上昇、急降下のジェットコースター状態です。
山手TNに入ると五反田ランプまでの区間は細かいカーブやアップダウンがあり、60kmの規制速度順守は実態に合ってはいませんが、さりとて80kmまで出すとちょっと不安になる感じです。

大崎付近から山手通りが急カーブの連続ゆえ目黒川の河底に位置を移していてもこれですから、最終開通区間の建設にはかなりの苦労がうかがえます。ランプやJCTでの分岐を考えて、実はトンネルが「右側通行」で設置されているそうですし。

今回の開通区間で感心したのは、五反田ランプが左分岐になっていること。大橋JCTも外回りは左分岐で、メイン流動となるであろう3号渋谷線と中環熊野町方面との流動は分岐こそ右ですが、合流は左からでやり易くなっています。ただ私的には大井方面との行き来なので、大橋JCTでの中環への合流が右からなのでキツイですが。

外回りで全線通した後、大橋JCTから大井JCTに向けて抜けましたが、気づいた注意点としてはこれまで述べたほか、まず大橋JCTでの合分流で、用賀方面から中環外回り方向が2車線確保されているところに左から合流し、少し回ったあとに左に分流すること。この区間だけでも3車線用意してほしかったのですが、ハンドル操作と合流などの判断が難しいです。

あと、大井JCTでのトンネル出口の段階で湾岸線の西行き、東行きの分岐が目前ということ。
西行き横浜方面が2車線で、東行きは左車線から分岐となるので、左車線の停滞(たいがい遅いのはこっち)に苛立って右車線にいると泡を食います。

これから中環の開通「効果」がどうなるか。月曜以降の平日の状況など、注意深く見守っていきたいです。





Re: 修正シールの追記まで出ますから 投稿者:dai 投稿日:2015年 3月 8日(日)09時27分14秒 返信・引用
上野東京ラインは目玉新商品ですから、路線図でも別扱いして売り込みたかったんでしょうね。常磐線を上野東京ラインという呼び名に含めなければすっきりするのですが(紫は日暮里通過、常磐線の青と緑を品川まで細線で延ばす)、地元対策上そうもいかないのでしょうか。

仙台には東北仙石ラインができますし、「●●××ライン」のブランド化を考えているんでしょうかね。別の書き込みで触れた房総ローカルの東京全直通は「東京房総ライン」、神奈川東部方面線は「新宿相鉄ライン
、りんかい線と京葉線の直通は「お台場京葉ライン」???



リムジンへの影響が気掛かり 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2015年 3月 7日(土)22時57分52秒 返信・引用
中央環状品川線が開通し、中央環状線が全通しました。
今日は時間が無くて行けませんでしたが、明日あたり走り初めをしようと考えています。

この時間、中環、湾岸など関係路線はほぼ順調ですが、やはり気になるのは大井付近の交通輻輳です。来週の後半からまたぞろ年度末の東奔西走が始まりますが、いつもの早朝便に加え、朝のピーク時にも敢えて乗車して見て開通後の変化を実体験するつもりです。

今回の開通区間で気掛かりなのは、大井TBを出て中環に向かうところ。これまでは大井連絡線といういわば「抜け道」だったため、本線から駆け上がるところの勾配がかなり急になっています。
これが「本線」格になったわけですが、交通量の増加に伴いボトルネックにならなければいいのですが。




まず採るべき対応に見えるが 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2015年 3月 7日(土)22時45分47秒 返信・引用
房総ローカルの主たる利用者である通学の高校生の「お行儀」が折り紙つきなだけに、特急型車両による普通運用を渋っているのでしょうね、と思う反面、一時期内房線の最終が特急型車両で運転されており、もっと汚しそうな酔客に開放していたわけで、結局はあまり考えていない千葉支社クオリティなんでしょう。

確かに末端区間の普通列車化なら、変に特快なんて設定しなくても良かったはずで、木更津から普通、というような運用でまずは様子見にした方がいいですね。
逆に今回の特快のように、附属4連を末端まで直通させるという手もあったわけですが、こちらは特快設定の際に指摘したように、「あやめ」の日中便廃止時に設定された附属4連の鹿島神宮行き(しかも当初は成田−佐原間無停車)が定着しなかったわけで、特急の末端区間普通扱いも遠しで乗る客はいないという判断なのかもしれません。




修正シールの追記まで出ますから 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2015年 3月 7日(土)22時36分0秒 返信・引用
東怪人さん、情報ありがとうございます。

上野東京ライン関係の路線図は評判が悪いですね。東海道線と宇都宮、高崎線のオレンジ同士をつなげて、常磐線の中電、快速を品川まで伸ばせば事足りたのに、何を血迷ったのか紫色の別線を設定したから分かりづらいです。おまけに日暮里で分岐にしたから宇都宮、高崎線方面も日暮里に停車するように見えるとあって訂正注釈を追記と不細工なことこの上ありません。

品川駅の連絡通路の表示も上野東京ライン対応の物が出てきていますが、透けて見える様子からすると、ごちゃごちゃとした表記になるようですね。

成田空港の「第三」は確かにややこしいですね。ただ、かといって駅名も「第二・第三」「第一」とするとこれも紛らわしいわけで、第三を「LCC」とすればまだ良かったでしょう。

ところで、数寄屋橋の様子の件、タイトルが「降り方は...」とあるのを見て、深夜便だから空港行き、ならば「乗り方」では、と一瞬思いましたが、0時前後まで到着便があったんですね。深夜急行とのバッティングというのも意外です。




Re: 特急末端区間普通扱いの衰退 投稿者:dai 投稿日:2015年 3月 7日(土)17時52分28秒 返信・引用
わかしおを普通列車扱いで館山まで延ばして、館山市の顔を立てるというやり方はあったかもしれませんね。E257系は余っているので運用が増えても痛くはなく、かつ209系は千マリから遠いところでの運用が減るので一石二鳥でしょう。

東武伊勢崎線ではありませんが、E217系の置き換えと合わせて、快速とローカルに系統分割する日は遠くないんでしょうね。11+4の他に7(G)+4+4というバリエーションを設ければ、しおさいの代替も視野に入ります。





特急末端区間普通扱いの衰退 投稿者:リリカルゆかりん 投稿日:2015年 3月 6日(金)23時17分59秒 返信・引用
少し前までは、千葉管内の特急は末端区間を普通列車扱いとする列車が数多くありましたが
来る14日の改正で、わかしおの下り2便のみに縮小されます。

わかしおに関しては勝浦からの普通扱いで安房鴨川まで特急として運転される場合と
東京からの特急料金の差がなく疑問視する声もありましたが(大原から格下げでも問題ないように思えます)車両に関しては昔から好評をあまり聞かない千葉管内の普通列車にあってこれらの特急格下げは乗りトクの列車といえました。

特急が普通に化けるのは特急料金を払った客をバカにしている、普通列車の客(特に高校生)が特急に乗ってきて騒ぐのはいただけないという批判もたしかに耳にしますが、私が利用した限り
普通列車扱い区間の特急で混雑や車内マナーの問題は特段見受けられません。

千葉管内の各路線は東京通勤圏に入る千葉近辺と末端部での輸送量の差が非常に大きい(遠郊区間に有力な都市がないことも大きな原因)ため、輸送量の少なくなる区間で特急を普通扱いにするのは理に適った措置であったといえ、特急自体の衰退が大きな原因とはいえ、よりこの措置を拡大することで、特急の生き残りを図るという方策が採られなかったことは疑問に感じます。
この方策によって、各自治体の求める「東京直行便の特急」の存続という要望にも応えられると思うのですが。

なお、今改正で列車自体が勝浦発着となるわかしおが3往復半設定されますが、安房鴨川方面の普通との接続が悪く、これでは茂原以南で空気輸送になることが濃厚です。これでは近い将来「ご利用が少ないため」という理由で、上総一ノ宮発着への短縮あるいは列車自体の廃止となりそうに思えてなりません。





成田空港関連2題 投稿者:東怪人 投稿日:2015年 3月 3日(火)22時32分39秒 返信・引用
こんばんは(お久しぶりですかな?)。
大したネタではないですが、ちょっとした小ネタを2つほど。

●第三へは第二で
朝、総武線の車内をみあげると、路線図が3月14日改正ダイヤバージョンになっていました。
上野東京ラインが書かれ、着脱式ステッカーで「3月14日に開業します」の注釈が。

よくみると、成田空港のあたりにも着脱式ステッカーが付いています。
みると「成田空港第三ターミナルは4月8日に開業します」の文字。
どうやら空港第2ビル駅の副駅名が「成田第二・第三ターミナル」に変わるようなのですが、
これは初見殺しな気もしないでもない…。
(そもそも第一ターミナルが「成田空港」を名乗っているのが原因だが)

●乗り方は簡単、降り方は…
2月27日の深夜に久しぶりに平和交通深夜バス千葉NT線を利用。
数寄屋橋には20分近く前についてしまったのですが、0時10分の五井行きの後ろにもう一台、
すでにバスが止まっていました。
成田行きがもう来たのかと思いきや、扉が開いており、しばらくするとどこかに回送されて行きました。
これが昨年増発された「THEアクセス成田」の深夜便であることにすぐ気がついたのですが、
まさかの2台縦列停車での客扱いとは、数寄屋橋バス停の「貧弱さ」が出てしまっています。
(ちなみに定刻は0時15分なので早着しています。最も定刻でも成田行きがふさいでいますが)



改正ダイヤを見る 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2015年 3月 1日(日)03時55分34秒 返信・引用 編集済
ようやく時刻表を入手しました。
JTB版ですが、上野東京ライン関係の表示が現行通りの分割で、スルー運転する東海道線が上野、宇都宮・高崎線が東京までの表示というのも不便です。
湘南新宿ラインの独立ページを拡大して、上野東京ラインも併記して、大船−大宮での経由や先着が分かるようにしてほしいですね。

あと、やはりというか残念な話として、グリーン車の乗り継ぎは常磐線を含む上野東京ラインは東海道線、横須賀線との乗り継ぎが可能になるのに、総武快速線は東京から北方面への乗り継ぎが出来ません。千葉方面から見て小田原は同一方向、宇都宮や高崎は同一方向ではない、というのははっきり言って無理が生じていますね。一般的なイメージとして、東京から3時の方向が総武線、6時が東海道線、12時が宇都宮・高崎線ですから。これだと9時の方向の中央快速線も乗り継ぎにはならないのでしょうね。

そして総武線関係ですが、まずは朝の上り快速に大きな変化がないのに安堵しました。
ただ、現NEX2号の廃止の埋め合わせがありません。成田空港は通快の空港始発化でカバーしていますが、成田、四街道、千葉の3駅は純減です。
一方、「あやめ」廃止の穴埋めでしょうか、佐原始発の快速が鹿島神宮始発になっていますが、意味があるのでしょうか。

今改正の「目玉」?の館山特快ですが、木更津で下り8分、上り9分停車でグリーン車を含む基本編成切り離しというのも微妙です。君津まで7分で走るのに、君津の利便性なんて無視したダイヤですから。
下りは「新宿さざなみ」とほぼスジを共用しており、特快の木更津停車時間分だけ遅い格好。そして下りのみ快速を追い抜きますが、その707F、市川でNEX9号と特快のダブル退避というスーパー貧乏くじ快速です。

「あやめ」廃止などが絡む夜の時間帯ですが、まず現「しおさい13号」が「ホームライナー千葉1号」になる部分は悪い予感が当たりました。
1838S〜1839Fは現行の東京駅3分停車が7分停車になり19時15分発に。東京着が19時8分で12分発のHLに乗り継げますが、地下4階まで駆け上がってライナー券を買わないといけません。
この1839Fは品川で前の快速から17分空いているので最前列でも座れないことがしばしばという電車ですが、さらに東京で7分停車とか悪い冗談です。まあ船橋から先はもともとあった「しおさい」退避が無くなったので元に戻りますが。

そして20時台後半の「増発」ですが、これも微妙です。
まず予想通り5分間隔の18時台後半に次ぐ頻度はうれしいです。しかし始発と直通のバランスが悪く、品川での現行20時20分、30分、43分、57分が、改正20時20分、28分、42分、57分とさらに広がりました。

プレスリリースで東京−千葉間増発、と書かれた20時37分の君津行きは何のことはなく現行の20時39分発佐倉行きの建て替え。佐倉行きは42分発に繰り下がって東京始発に。ただこれは現「あやめ1号」が無くなることによる始発着席サービスの補償という意味でしょう。

この時間帯、もともとあった20時32分の君津行きが津田沼行きになり、39分の佐倉行きが37分の君津行きと42分の佐倉行きに分かれる格好で増発ですが、純増と言えるのは千葉行きが増えた計算になります。
あと、佐倉行きを始発にしたため、20時42分と47分に始発快速が連発。21時の「HL千葉3号」、21時2分の佐倉行きと始発が続くため、上記のような新橋以遠でのバランスの悪さが際立ちます。

あとは特急関係ですが、255系は「しおさい」に集中し、房総方面は平日朝の茂原始発の「わかしお2号」と「新宿わかしお」のみ。(3月中は「新宿わかしお」をE257系にして「新宿さざなみ」の1往復に充当)
逆に「しおさい」は平日朝の佐倉始発の「しおさい4号」以外は255系となりましたが、朝のこの2本だけ敢えての運用と言うのは何故でしょうね。次運用がなく回送するしかないとはいえ、錦糸町や新習志野ではなく幕張に持ってかないといけませんから。

それと、通勤時間帯のNEXと「しおさい」で、四街道と佐倉の停車をなぜ揃えないのか。
朝はNEX2号、6号と「しおさい」2号、4号が両方停車なのに、NEX4号が四街道、「しおさい6号」が佐倉のみ、夜はNEX51号、53号、「しおさい13号」が両方停車で、NEX47号、49号が四街道のみ、「しおさい」9号、11号が佐倉のみと基準が見えません。





「赤電」の引退 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2015年 3月 1日(日)02時47分30秒 返信・引用 編集済
京成3300系、というより「赤電」が引退という、京成にとって歴史的な日が終わりました。
1988年の「青電」引退も一つの節目でしたが、同じような塗装で、同じようなデザインの「赤電」が主力だった当時と違い、明らかに世代が違う車両として歴史の1ページになる今回は、一つの歴史が終わる寂しさを感じます。

「開運号」の時とは違い8連フル編成を組んでの「特急」だったため、「乗り鉄」にとっては比較的楽だった反面、せっかく前後で装飾を違えての「さよなら運転」なのに、特に駅では撮影できるスペースが限定的となり、早い時間からホーム端部は鈴なりの人でした。

かく言う私もその1人でしたが、見た感じでは上り方端部で到着する電車を迎え撃つ人は「撮り鉄」ですが、下り方端部で待ちかまえている人は子供が目立ち、かつ装備もコンデジどころかスマホやゲーム機、タブレットと多彩な状態で、こういう「イベント」の客層の変化がうかがえます。

駅でも放送がしばしば流れましたが、沿線も相当な様子だったようで、安全確認をする破目になって途中8分ほどの遅れでの運行でした。下り方先頭は「特急 成田山」のヘッドマークでしたが、前に指摘した通り字体が若干往時と異なっているもの。上り方のテールマークは「さよなら3300形」とこちらは種別表示を隠さないようにささやかな掲示でしたが、向かって右側の前照灯の下に水色の水滴のようなシールが。どうやら前照灯を目に見立てて、「さよなら」ということで涙目を現しているようです。

短区間ですが乗車もしましたが、確かに混み合っていて子供連れで諦めている人もいましたが、乗れないほどでもありません。スタンプラリーの台紙に「生涯通勤電車」とキャプションが入っているくらいですから、ぎっしり乗ってあげた方がいいはなむけでしょう。そういう意味では「通勤電車」として二代目通勤特急の種別表示こそが3300系の生涯の中でも出色の晴れ舞台の再現だったのでしょうが、停車駅的に表示は難しかったのでしょうね。逆に「特急」にこだわったため、大佐倉などに停車したのは御愛嬌というところでしょうか。

列車運行に支障するような立ち入りやホーム端部の人出でしたが、全体的にはまったり感すら感じましたし、上記のように下り方は子供が多く、家族連れも散見されるなど、地元のお別れ会、という雰囲気でした。

そういう意味では一部のメディアが報じた成田駅での真相はどうだったんでしょうね。
8連でホームいっぱいに停車するうえにホーム上のトイレがさらに有効なエリアを奪っているため混雑がひとしおだったとは思いますが、その狭いスペースを脚立か踏み台を置いて占拠してハイアングルで写真を撮っていて「押し合う危険な状態に」とはマッチポンプというか、文字通りの上から目線の記事ですから、自分がその混乱の一因というのが分かっていません。

まあ京成ももう少し考えを回してほしかったですね。
成田は上り1番線着で直接宗吾へ折り返し回送というのは下り5番線だと後続の特急に支障するからやむなし、というのであれば、両先頭車にしかないヘッドマーク(テールマーク)を見たり撮ったりする人が集中するのに、スペースが取れない1番線というのは悪手です。

ならばダイヤを工夫して、成田では混み合うから、と途中駅で撮影タイムを設けるといった分散策を講じるといった対応が欲しかったですね。例えば八千代台で退避がてらそこで撮影させるとか、「特急」とはいえ早く着く必要はないのですから、ちょっとの工夫で回避できる混乱です。







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