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習志野原の掲示板 過去ログ 2016年6月


誤削除のお詫び 投稿者:エル・アルコン@管理人 投稿日:2016年 6月30日(木)22時48分18秒 返信・引用


表面上は非表示ながらデータが残る迷惑投稿の削除をしていたら、daiさんの、「京成HPでの鉄道など交通事業者が写真入りのグループとそうでないグループの2手に分かれる」、という解説が書かれた書き込みを誤って消してしまいました。復活できない仕様なので、お詫びさせていただきます。




通勤よりも遠出が主眼の時間帯 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2016年 6月30日(木)22時40分47秒 返信・引用 編集済


常磐快速線だと津田沼よりはちょっと都心寄りになりますが松戸段階で4時台2本、5時台3本、6時台8本です。これは都心側で「別線」になるかどうかで運命が分かれるようですが、「別会社・別料金」になる常磐線はさらに手厚く、「大回り」になる総武線も相対的に手厚いということでしょう。

だから文句を言うなといわれると憮然としてしまうのですが(苦笑)、逆に新宿方面だと緩行線乗り通ししかないというように錦糸町以西どころか全線で「別物」になってしまっているのもどうかな、という世界ですね。

3番手の快速は確かに津田沼での緩行線からの接続がありますが、西船橋で抜かれるということは対都心では「戦力外」ですし、「接続が悪い」とするそれより早い時間帯は、なまじ緩行線が逃げ切っても秋葉原経由で東京に着く頃にはほぼ拮抗する、ということで、緩行線を積極的に選べません。特に5時2分のあとが21分、35分という間隔も微妙で、新京成からだと5時2分は激走して間に合うかどうかなうえに東京着は17分の快速のほうが早く、21分は17分の快速の後、35分も東京着は46分の快速のほうが早い、という状況です。

航空のみならず新幹線でも早朝時間帯の割引があり、かつ早朝時間帯の列車の充実もあるわけです。総武快速線の場合は2番手快速の場合、土休日、特に土曜は新幹線客があからさまに見えますし、平日も緩行線との接続が悪いこともありますが錦糸町で降りる人は少なく、かつ馬喰町でもラッシュ時のように降りる人は見当たらず、でも東京駅で改札を出る人は少ない、ということで、かなりの数が新幹線改札のほうに向かっているのが実情です。(あるいは浜松町に向かう人が結構いる。東海道新幹線含めて品川まで行った方が便利だと思うけどこれが意外と少ない)

ちなみにJR神戸線ですが、神戸在住当時、神戸空港開港前は始発の新幹線にそれなりに乗りましたが、摂津本山から立った記憶がないんですが。10年以上経っているので情勢が大きく変わったのかもしれませんが、新幹線に乗るという風体の客がそこそこいましたし(もちろん阪神間で積み上がっていますが)、六甲道で座席が埋まると言うのは驚きですね。

そして快速系があってナンボのJRというのに、確かに朝は悲惨です。さらに悲惨なのが朝の東播方面で、平日も三ノ宮7時台の新快速が2本、土日は8時8分が1番手とあっては、あの山陽電車ですら戦力になってしまいますから。




評価の観点とサービスの主眼 投稿者:リリカルゆかりん 投稿日:2016年 6月29日(水)22時08分2秒 返信・引用


総武線の早朝事情にはさほど詳しくないのですが、管理人様のリポートを見ますとやはり快速線の増発(千葉発4時45分から6時まで15分ヘッドに)は必要と感じます。

一方で4時台から快速が運転されるという点はもっと評価されてもいいように思えます。
中央線側では総武線緩行より遅い、快速さえ新宿に6時までに到着する電車はなく、特快の1番手は7時を回ってから新宿到着です。つまり早朝出発の利用者は鈍足の各駅停車しか選択肢がありません。そう考えますと快速に加え、緩行もそれなりに俊足な総武線は恵まれているのかもしれません。接続については他社線よりは自社線を優先して考えるものでしょうし、3番手の快速も津田沼で千葉発、新小岩で津田沼発の緩行から好接続なのでまずまずといったところでしょうか。
尤も1番手、2番手の快速は緩行との接続もダメですが、前述のように緩行もそれなりに速いのであれば、快速とあわせて乗車チャンネルを確保するという考えかもしれません。

京成や新京成の立場にしてみれば、敵に塩を贈るような快速への好接続など避けたいでしょうし。

ところで中央線の例示をしましたが、もっと悪いのがJR神戸線です。JRの都市鉄道の中で最も理想に近いダイヤと評されることもある路線ですが、早朝に関しては理想にほど遠く、貶められることの多い千葉支社がずっと上なのです。

神戸在住時代、前日の発表会の打ち上げがあったために、10時に松本の信州大であった用事にどうしても前乗りできず、やむなく始発ののぞみとしなのを乗り継いだことがありますが、神戸線の始発(現506C)が唯一始発のぞみにつながるスジでして、六甲道では辛うじて座れましたが、あとは乗ってくる一方で尼崎発車の時点では相当な圧迫感を感じる状況になりました。
これで住吉から立ちっぱなしの各駅停車ではご愁傷様としか言いようがありません。

なおこの列車の乗客の流れとしては7割以上が大阪で降り、ここで乗ってきた客は新幹線に乗り継ぐ風体も目立ちましたが、神戸市内からの客で新幹線乗り継ぎは見たところ5%もなく、早朝の都市鉄道において長距離交通につながる客が主流とはいえません(その意味で管理人様の投稿は少し視点が偏り過ぎではないでしょうか。もちろんそうした面での利便性向上も大切ではありますが)




返す刀で?2番電車 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2016年 6月29日(水)17時47分46秒 返信・引用


さて今度は5時17分の快速に乗ってみました。「ゆう活」などの浸透で状況に変化があるかもと思いましたが、結局津田沼時点では従来と大差なしです。津田沼では増結車でも1両あたり10人程度の乗車で、次発5時46分発の半分以下という感じ。船橋でほぼ座席定員になり、市川では1、2人が座れてあとは立席です。

まあ新小岩で席が完全に埋まるのが理想なんですが、許容範囲でしょうか。この状態が6時台前半まで続いてほしいのですが、現実は次の列車から津田沼でも座れません。





5時台の総武快速線 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2016年 6月28日(火)22時22分53秒 返信・引用


ブログのほうにも書きましたが、まさか5時台から座れないとは思いませんでした。
6時台は何回か利用してピーク時よりも悪い状態とは知っていましたが、津田沼で朝座れるのは7時台以降の始発に並ぶか、4時55分の始発か、5時17分の2番手しかないというのを当然視は出来ません。

そもそも始発と2番手の間が22分で、その次が29分空きというのがおかしいわけです。
もう何十年も同じパターンですが、京成との接続が比較的よく、東武と新京成はイマイチ、というのは利用実態に合わせたというには偏っており、京成が総武快速線に合わせてきたということかもしれません。

昔のように始発から窓口が開いていて、というのであれば、急な出張などで始発の新幹線に乗る、というような需要に対して、長距離切符を買う時間をある程度確保するため敢えての時間確保もありでしたが、当日その場で購入する形態がかなり減っているうえに、えきねっとの受取りがそもそも5時半以降というような状態では、乗り換え時間を確保する意味は小さくなっています。

その意味で新京成から総武快速線上りへの接続が、始発で18分、2番電車で25分というのは何とも冗漫です。(3番電車から同じ快速に5分だが、荷物があったりするとちょっと厳しい)
総武快速線は京成線からの接続があるので繰り上げが困難ですし、新京成は新京成で下りへの接続や京成線、津田沼リムジンへの接続もあるので繰り下げが困難、という事情はわかりますが、もう少し何とかならないのか。

今回分かった事実を踏まえると、快速を増発することで対応すべきでしょう。京成からの接続を考えると、津田沼5時33分頃の発車があれば円満に解決するんですけどね。東海道新幹線への乗り継ぎでも、津田沼5時17分だと99A、1Aに乗り継げる反面、5時46分だと6時半の5Aになり、6時16分の3A、20分の概ね平日運転の293Aが総武快速線からだと意味がない状態になっていることの解消にもなります。



臼井と佐倉を交換 投稿者:ぶなっしぃ 投稿日:2016年 6月25日(土)17時19分43秒 返信・引用


勝田台以東通過運転がある特急と快特は特に志津・ユーカリが丘・臼井を通過してしまうので、
実情に即していないように思えます。
臼井は折り返し設備があるので隣の佐倉と比べると退避設備を設ければ特急等を停車させれば
快速等の折り返しもしやすくなります。
そもそも佐倉と言えども乗降客2万人台ですしMLELからすべての列車が止まるのは優遇されている
気もします。
通勤特急がベストな停車駅かと思いますが成田民の事もありますから停車駅の選定は
悩ましいものがありますね。



飛行場と専用線 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2016年 6月23日(木)23時19分21秒 返信・引用


戦前・戦中ですから飛行場への資材搬入などの手段にトラックを用いるとは思えず、勢い鉄道に依ったはずと考えれば、藤ヶ谷も松戸も専用線があっておかしくありません。

特に松戸はもともと鉄道連隊の演習線があったとはいえ、軌間600㎜ですし、ほかの鉄道との接続がないわけで、飛行場近辺は鉄道連隊を活かして、1067㎜軌間で接続線を持っていたと考えるのは自然です。そう考えると、今までその発想がなかったのも迂闊だったのかもしれません。

北初富付近から緩い弧を描いて野田線に接続するルートも、「捕込」などがある谷津田地形を回避しての線形と考えれば得心が行きます。船橋で受け渡した軍用貨物列車が北初富に至り、松戸飛行場や建設中の藤ヶ谷飛行場に向かう、というシーンが戦争末期に見られたのでしょうか。米軍の空襲もあったかもしれませんが、北総台地の内陸部ではあまり空襲の被害を聞きませんし、厚木など帝都防空の各基地を直接攻撃したという話も聞かないだけに、この近辺はエアポケットのようになっていたかもしれませんね。

藤ヶ谷に向かう路線は工事用と見ていますが、気になるのは北初富付近からの直線の延長線上にあること。
今も90度以上の大カーブとして残っていますが、野田線との交差角が南方の初富に向かうにしては逆を向いた北東向きであること。藤ヶ谷方面の線路から分岐して津田沼方面に向かう、という順序だとしっくりくる線形ですが、鉄道連隊のほうが明らかに早いわけで、ここも気になる部分です。





Re: 情報がまったくないですね 投稿者:あそうかい 投稿日:2016年 6月22日(水)01時14分56秒 返信・引用


> No.4440[元記事へ]

なるほど、鉄道連隊は直接は関係なくて、松戸飛行場への引込線ですか。両方とも鉄道連隊跡よりくっきり残ってますし、確かにありそうですね。

五本松への線は飛行場の敷地(?)に入るあたりで鉄道としては不自然に曲がって既存の道路につながっていますから、道路だといわれればそうかもしれませんけど、その手前までは鉄道っぽい感じです。
ひょっとしたら建設途中で終戦になって未成線と化した可能性もありますし、完成してないから情報も残ってない、ということかもしれませんね。




ミニうちわ 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2016年 6月22日(水)00時00分54秒 返信・引用


新京成の駅でミニうちわを配っています。
よく駅前でフィットネスクラブなんかが配っているアレで、扇いでも全然涼しくないやつですが、まあないよりはマシだし狭いところでも使えます。

で、そのデザインですが、「新京成の電車、ジェントルピンク化、推進中」と書かれて島式ホームに千葉中央行きの8811Fが停車しているシーン。背景にマンションと林とヒマワリという取り合わせ、どこなんでしょうね。
反対側は常盤平の高層団地から撮影したお馴染みの構図です。






情報がまったくないですね 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2016年 6月21日(火)00時08分11秒 返信・引用 編集済


あそうかいさん、情報ありがとうございます。
不思議なことに情報が全くありませんね。紙ベースの資料が鎌ヶ谷市あたりにあるかもしれませんが、ネットにはありません。

航空写真を見る限り、少なくとも野田線から現北初富駅付近へゆるくカーブする路線は鉄道でしょうね。五本松付近へ向かう区間も、道路のようにも見えますが築堤らしきものが見えるので、鉄道の可能性が高いです。両者と鉄道連隊が北初富付近で接していて、その付近にちょっとした広場が見えるのも意味深です。

1940年頃には鉄道連隊は廃線状態だったということもあり、鉄道連隊の線路を擬定するのが難しい状態でしたが、一方で両線ともくっきり、ということは、鉄道連隊とは無関係に、ただし、鉄道連隊のルートを活用しながら「何かの目的」で建設されたと考えます。

下総基地(←米軍白井基地←海軍藤ヶ谷飛行場)の開設が終戦間際の1945年ですから、地図上の有無と平仄が合います。
一方で下総基地への「アクセス」としては六実駅からの引込線が有名であり、今の基地範囲外になるエリアに「第二ルート」が建設される必要性に乏しいのも事実です。ただし、路線末端付近に接するあたりから北側は現下総基地にかけてその延長線上のような矩形の地割になっており、基地拡幅の工事用か、あるいはその付近に掩体壕か防空壕といわれる遺構があることから、実際にそこまで基地だったのかもしれません。

所属部隊の動静から見ると、今の松戸駐屯地の前身である松戸飛行場が藤ヶ谷飛行場に引っ越した格好になっており、鉄道連隊(休止)を活かしてその移動に使った軌道を敷設した可能性があります。
それと同時に建設用の軌道が総武鉄道(野田線)側から延伸され、現北初富付近で接続したとか。あるいは野田線側から松戸飛行場への引込線が戦争末期に建設され、そこに藤ヶ谷への新線もつながったか。

RP1996年6月号の新京成特集では、鎌ヶ谷付近の終戦前後の軌道は改測の関係で地形図に記されていないとあり、公式記録として残っていないのです。同誌では複線化前後の新鎌ヶ谷付近(野田線乗り越し付近)の写真がありますが、単線の新京成の北側に路盤があり、野田線を跨ぐガーターもあったとあることから、休止状態の鉄道連隊線に並行して藤ヶ谷飛行場への仮線が存在し、それがあたかも複線用地のように残っていた可能性があります。

当初は利根川増補(昭和放水路)も絡むかと思ったんですが、放水路は鎌ヶ谷、白井両市と船橋市の境を行く格好であり、建設基地も鎌ヶ谷付近では一本椚(鎌ヶ谷6丁目付近)にあったので、関係はなさそうです。





25分のメリットも無に 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2016年 6月20日(月)23時02分28秒 返信・引用


嵐のような東奔西走状態がようやく一区切りついたのですが、その往路、前日の予約で番号がやけに大きく、これはかなり混むなと思っていたら案の定京成津田沼の乗り場にはかなりの列ができていました。京成本線の電車が来ない段階でこれでは、と思っていたら、早々にバスが着き、やはり2台口運行です。30名程度の予約者は京成津田沼仕立ての車両に誘導され、これも10名ほどに達していた未予約者はJR駅始発の車両に誘導されました。

で、長逗留した土曜日帰路の便、羽田のドアオープンは22時5分過ぎ。出口は遠く、ようやく到着ロビーに出たのは14分と、15分のリムジンに乗れない時間です。京急の案内を見ると18分に快特があり、これで急いでも40分のリムジンに後れを取る懸念はありましたが、待つのもしんどく京急に乗りました。
結局品川でいい感じに接続があり、津田沼到着は23時24分。40分のリムジンと同じ新京成に無理なく乗れましたが、その意味では快特と快速が絶妙に接続しても20分以上の差がつくわけで、定期持ちでもない限りは品川経由のインセンティブは無いも同然です。

ちなみに休日料金ということで快速はグリーン車を奢りましたが、東京で満席どころか立客が出る盛況には驚きました。






新鎌ヶ谷の廃線跡 投稿者:あそうかい 投稿日:2016年 6月20日(月)01時13分35秒 返信・引用


こんばんは。
先日、古い航空写真を見ていたら新鎌ヶ谷付近に鉄道連隊関連の廃線が2本あるのを"発見"しました。
(もしご存知でしたらごめんなさい。書籍やWebサイトで見たことなかったもので)

まずは1947年撮影のこちらの航空写真をご覧下さい。
http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?specificationId=1177611

1本目は新鎌ヶ谷駅付近で東へ分岐して五本松十字路付近へ向かう路線で、こちらは線路跡の大半が道路として残っています。
下記の写真を見ての想像ですが、現在でいう下総航空基地に関係がありそうです。
http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?specificationId=284349

2本目は北初富駅付近から南に分岐して大きなカーブを描いて初富駅の近くで東武野田線に合流しています。
東武経由での貨物輸送にでも使おうとしたんでしょうか。
こちらは現在、跡形もなく、強いていえば初富の稲荷神社の西側境界が痕跡といえるのでしょうか。

両方とも1944/11撮影のものには全く存在しないので敗戦直前に作られた模様で、それゆえあまり知られることがなかったみたいですね。

あと蛇足ですが、上記路線のことを調べていたら新京成建設時に東武から仮設の連絡線を使用したという記述を見つけました。
ただこれは上記の連絡線を使ったのではなく鎌ヶ谷から初富まで線路を作ったようで、1955年撮影の航空写真にバッチリ写っています。
http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?specificationId=186347

知られていない廃線跡ってあるもんだなあと思った次第です。




房総各線 投稿者:しぎね 投稿日:2016年 6月19日(日)15時44分57秒 返信・引用


高速バスに比べ大量輸送や定時性確保に優れているのに日本は他の先進国との比較では線路への補助があまりにも少なすぎで、房総各線は抜本的大整備が進まないです。

港湾や道路、空港の様に建設整備では特定財源が無くて殆どを運賃収入で賄う必要が有り、公共的扱いを受けず住宅と同じ扱いを受けさせて有税としており、車や高速バスへの依存度が高く、収斂は問題で、車は自分での運転が必要で利用価値が本来低く、高い金を払う価値が無く、渋滞ありで快適に移動出来ず、地域経済に大影響無く、観光客増加と活性化も出来ないです。

今後、総武線では移動閉塞導入で混雑時に更に本数増加させて150%前後の混雑率を目指さないといけないし、快速線ではやる気になれば一時間当たりの最大運転本数を24本に出来、最低2本増えれば普通車全車をセミクロスシート車と出来ます。

山手線のE235系に準じた車両が総武快速・横須賀線とともに房総各線に投入も予想されますが、その折には全普通車をセミクロスシート車とすると同時に起動加速度と最高速度を上げて所要時間短縮を行い、房総地区の209系をこのような車両に置き換えないといけないです。

東京駅から各方面へ90分以内で走れればバス以上に便利になり、特急が末端部普通化で遅くならず、普通が削減されて不便にならなくなります。

特急は表定速度が70km/hを下回っているため遅く、名ばかりなので急行格下げしないといけないです。

改良は道路整備より遙かに安上がりで、道路整備予算を何%か投入すれば良く、用地を新たに買収する必要が少ないから買収に難航せず二年程で出来ますが、道路は地域分断を招き、拡幅でないなら商店や住宅を潰す必要があり、車のため道を今や造る必要無いです。

茨城県内では鹿島線があっても全く乗ったこと無い人も多いのです。

これは貨物列車の本数が多く、単線区間しかなく、交換不可能駅もあり、旅客列車増発と所要時間が全くされず、頻繁に東京方面行きの特急や快速が運転されず、沿線の駅前に中高一貫校等の大型集客施設が無いためです。




株主総会参考書類 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2016年 6月15日(水)23時05分45秒 返信・引用


京成のサイトのグループ会社の一覧で2グループに分かれているというのはどのあたりでしょうか。
確かに連結子会社、持分法適用会社の別ではない区分が見え隠れしていますが。

さて、6月7日に京成電鉄の株主総会の招集通知が発信されており、サイトにも掲載されていますが、タクシー事故で遭難した取締役の扱いが微妙です。
事業報告の3月31日時点での名簿には入っていますが、特に注記はありません。

株主総会参考資料(議案)では、取締役15名が任期満了につき15名選任とあり、既報の新任予定者2名が「新任」で、残る13名が「再任」となっていますが、前回総会で選任され、事業報告に記載されている取締役は16名であり、何の説明もなく1名減少になった格好です。

事業報告のガバナンスに関する記載や、選任議案では取締役1名減員についての説明はありません。本来であれば、16名で担当していたマネジメントが15名で「事足りる」という理由がないといけないし、来年16名に戻すのであれば「増員の理由」が必要になるのですが。

再任予定だった現職役員の遭難というのは重要な後発事象であり、きちんと開示したうえで「今年は減員となりますが...」という感じで暫定色を出すべきなんですけどね。だから前にこの件に触れた際に、「法務や総務は大変だ」と言ったんです。





京成グループ会社一覧 投稿者:dai 投稿日:2016年 6月12日(日)23時52分9秒 返信・引用


京成電鉄のサイトのグループ会社紹介ページが二段階に分かれているのが面白いですね。

特に関鉄は第一グループなのに、小湊は第二グループ、そして九十九里は名前がありません。

Wikipediaで見る限り小湊にはオーナー家が存在するようで、オーナー家から見れば親が小湊で子が九十九里だが、税金対策上小湊を孫会社にしてある感じでしょうか。

九十九里も戦時統合で京成の傍系になったと公式サイトにありますが、京成公式サイトの扱いからして、経営危機の時に全株式が小湊のオーナー家に譲渡されたんでしょうね。
ひょっとしたら、その時すでに小湊は九十九里の子会社になっていたのかもしれません。

ちなみに小湊も九十九里も千葉駅乗り入れを目指して果たせませんでしたが、実現していたら相鉄みたいな感じになっていたかもしれませんね。
千葉市にとって、京成が東京と新勝寺をバックにした外資だったというのも不幸でした。




深夜帯の阪神なんば線に思う 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2016年 6月12日(日)23時20分49秒 返信・引用


私自身の異動や皆さんのネットでの活躍手法の変化もあり、ここ10年ほどいわゆる「オフ」で会うことがなかったのですが、久々に当時を偲ぶ趣旨の会合があり、参加しました。懐かしさもひとしおでしたが、この歳でハンドルネームで呼ばれる気恥ずかしさもさることながら、乗り鉄や撮り鉄の話題よりも血糖値やコレステロールの話題で盛り上がるあたり、10年という歳月を感じます。そしてかつては少年だった顔が、今や立派なおっさんとなって酒をガンガンやる、というのも時の流れでしょうね。

たまさか関西地区の出張が週末に絡み、日程が合ったことが大きかったのですが、神戸在住当時は工事中で「完成すれば便利だろうな」と指をくわえてみていた阪神なんば線(近鉄線)沿線での会合でした。
当時は千日前線で野田に出るか、地下鉄などで梅田に出て、という帰り道だったのが、今回は三宮で連泊としたので満を持して?阪神なんば線経由での帰り道です。

三宮直通を含めて快急が終わった深夜帯でしたが、程なく尼崎行きがやってきたタイミングにやはり開通効果は大きいと思いつつ尼崎に至ると暗転です。接続は西宮行き急行。三宮へは10分以上待ちです。実は阪神なんば線の1本後でも同じ特急というダイヤホールです。
緩急接続もぐちゃぐちゃで、急行は西宮についても接続がなく、乗車した特急は甲子園と御影で接続。その前の特急は尼崎と御影ですからまだマシとはいえ、深江や青木に帰るのに尼崎で早や普通車に乗り換えというのでは悲惨です。

小一時間かけて日付も変わって三宮に着きましたが、じゃあ梅田に出ていればと後で調べたら、これが難物で、鶴橋に出て環状線経由、谷町九丁目から谷町線東梅田経由ともに大阪0時の新快速が最速。尼崎10分待ちでも阪神なんば線がやはり早かったというオチでした。

まあこのあたりは普段使いの利用者にとっては先刻承知の話なんでしょうね。阪神なんば線の電車も、私が乗った電車は空気輸送だったのに、特急にすぐ乗り継げる1本あとはそこそこ乗ってましたから。でも特急は御影まで立客が目立つ有様ですから、西宮以西への有効列車が20分ヘッドというのはいかに深夜帯でも少ないです。それでも阪神が一番充実しているのですが...

そう考えると、津田沼までなら0時の最終まで10〜15分間隔で確保されている総武快速線も捨てたもんじゃないですね。




小湊と戦時統合 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2016年 6月12日(日)22時35分39秒 返信・引用


小湊と京成の関係は今一つはっきりしませんね。小湊は京成の持分法適用会社ですが、小湊の大株主は九十九里。実務面では九十九里は小湊の子会社的存在ですが、資本面では親会社(と連結子会社の関係)です。
(九十九里→小湊63.89%、京成→小湊19%。なお京成は役員を派遣しているので影響力基準で持分法適用会社になる)

小湊の社長が九十九里の会長を兼務しており(どちらも代表取締役)、一般的な資本関係だと「親会社の会長」が「子会社の社長」を兼務している格好ですが、一般に九十九里は小湊の支配下にあると言われることも多いです。
しかし小湊は九十九里を連結子会社、持分法適用会社のいずれとも認識しておらず、小湊の社長が九十九里の大株主という話も聞くので、小湊、九十九里の共通のオーナーの下にある会社ということでしょう。

京成の戦時統合ですが、千葉県北西部を東武と分け合った格好です。この時もともとは京成系だった総武鉄道(現アーパー線)を東武に取られています。それ以外の鉄道については京成の傘下に入っており、地域統合という意味では独立系で残った流鉄を除き成立しています。

あとはバス事業ですが、これも内房方面の日東交通くらいしか有力な会社がなく、日東交通自体が戦時統合の産物だったということもあり独立系で残っています。3月に一部受託路線を除き路線バスから撤退したHMC東京の路線の前身である都自動車は戦後の展開であり、東葛地区の阪東自動車もまだ独立系で戦後印旛郡市を中心に展開を開始した段階であり、東洋バスも戦後の設立なので、戦中という意味では東武、京成と日東に3分割された格好でしょう。

あとは省営バス(→国鉄バス)というラインナップで、戦後都自動車と東洋バスが独立系として存在し、高度成長期に今のビィー・トランセ系が出てきたという感じです。






Re: (無題) 投稿者:新参 投稿日:2016年 6月10日(金)12時43分1秒 返信・引用


daiさんへのお返事です。

ありがとうございます。私の勘違いだったようです。




Re: (無題) 投稿者:dai 投稿日:2016年 6月10日(金)08時40分37秒 返信・引用


京成バスを分社化したのが各子会社なのではなくて、京成電鉄自動車部の不採算営業所を各子会社として独立させたあと、自動車部に残った営業所を京成バスとして分社化したという流れになります。
電鉄からバスを分社化するときは、組合はストの構えを見せていたと記憶します。

ちなみに小湊は戦時統合だったのではないでしょうか。
京成本体に吸収しなかったので、株式が経営危機の時に処分可能資産とみなされ、九十九里に買収されたと認識していました。

埼玉県と神奈川県は東武と大東急に戦時統合されたのに、千葉県はそうならなかったのは何故なんでしょうね。
以前話題に出た、地元資本のデパートが残っていない話と通じるものがあります。




(無題) 投稿者:新参 投稿日:2016年 6月 9日(木)20時06分17秒 返信・引用


初めて投稿させていただきます。
京成バスをグリーンバス、フラワーバス、京成タウンバス・・というように、バラバラに分社化したのはどうしてなんでしょうか?



グループ化と分社化 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2016年 6月 9日(木)19時32分39秒 返信・引用


小湊(とその「親会社」の九十九里)は関鉄と同じく事業拡大の中でグループインした会社ですよね。
京成グループのバス会社は、戦前戦中の吸収組、千葉内陸と千葉海浜のように大規模開発に伴う輸送の受け皿として見合いの補助金の受け皿としてのグループ、そして分社組に分かれますよね。

吸収組(と新京成)は独立色が強く、昔から別会社だったのに対し、内陸と海浜は「本来なら京成なのに」というエリアに出来た別会社ですが、これも京成ではなかったわけです。
分社組は京成だった時代があるわけで、そこが大きな違いでしょう。

「本来なら...」組は、かつての船橋バス(←大成運輸)もそうですし、京成が全く手が回らなかったことで発足した平和交通やあすか交通(←団地交通)のように回り回ってライバルになったケースもあります。

組合対策、というのはどうなんでしょうね。
確かに京成の労組は過激でしたが、分社化したらその影響から切断できるとは限りませんし、より先鋭な組合になるリスクもあります。まあ現実はどうだったんでしょうか。京成本体の組合自体がおとなしくなってきた時期でしたし。

ちなみに、時刻表検索などについては、「K'SEI GROUP」を謳うのなら、グループ全体での検索ができる、というようにすればいいのに。まあ小湊や千葉交通は「遠縁」だから除外しても、分社組や「本来なら」組はまとめてほしいですね。
グループ全体での利便性を謳えば、「バスって意外と便利だね」と利用促進にもつながるのに。





湘南新宿ラインとの比較 投稿者:ぶなっしぃ 投稿日:2016年 6月 9日(木)18時19分30秒 返信・引用


宇都宮線と高崎線は池袋まで運転開始後、湘南新宿ラインを介し新宿方面への直通を開始しました。
池袋まで時代は申し訳程度の本数でしたが、池袋付近での立体交差を行いJR東日本にしては
本格的であったと思います。
埼京線や東横線がそもそもありましたから、こちら方面の志向が総武線よりかは強いのかも
しれませんが、昼間限定なら10両でも問題ないでしょうし、錦糸町ーお茶の水は詰まるので
各駅停車、出来れば東京ー錦糸町に区間運転の列車が出来れば良いのでしょうが、
この会社はしないでしょうね。京葉線の例もありますし・・・
通勤時並の混雑はしないと思われるので補完列車はいらない気もしますが、
休日はどうなんでしょう・・・
あまり乗ったことないので良く分かりませんが、




バス分社化 投稿者:dai 投稿日:2016年 6月 9日(木)08時08分45秒 返信・引用 編集済


京成の場合は組合対策という部分も大きかったのでは。
東武もそんな感じがしますし。

東武は越谷や春日部まで子会社化したので、バスロケやネットでの時刻表検索ができないという格差が生じています。

あと京成の場合は鉄道もそうですが、役所対応で子会社化するケースが多いですよね。

古くは小湊・九十九里、新京成、北総、子会社ではありませんが千葉急、東葉高速…。バスでは海浜交通がそうですよね。



分社化のメリットが見えない 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2016年 6月 8日(水)22時23分24秒 返信・引用


京成グループのバス会社は確かに濫造気味です。
1980年代以降、西鉄を皮切りに地域分社が「ブーム」になったわけですが、「地域密着」はお題目で、要は子会社化で本体の業績を良く見せる、という単体決算主義だった当時の企業会計がベースにあったことはいうまでもありません。
それと、別法人にすることによる給与体系の変更(切り下げ)という側面もあり、この流れは各地の事業者に広まっています。

一方で2000年(1999年度決算)から連結決算が原則となり、子会社に損失などを押し込めなくなったことで、分社化の旨味が減りましたが、給与水準のメリットが大きいこともあり、バス事業そのものを分社化する動きは継続しています。このあたりは同時期の持ち株会社解禁が追い風になる反面、足下は内部統制の強化により管理コストが法人の規模よりも数にかかってくる状態にあっては多数の子会社を抱えることにリスクすらあるわけで、京成のように小規模な子会社を多数抱えている状態は疑問です。

利用者から見たら、運行形態もバスの姿かたちも変わらないのに、別会社ということで乗車券類の取り扱いが変わるとか、グループ経営のしわ寄せを被る格好ですし、法令対応で肥大化する管理コストが転嫁される問題もあります。
新京成ではおそらく一つの法人を維持するだけの規模でなくなったという判断でしょう、習志野新京成バスを船橋新京成バスが吸収していますが、こうした再編をすべき事業者が京成グループの中には多いと考えます。






京成系列バス会社再編はあるか? 投稿者:しぎね 投稿日:2016年 6月 7日(火)08時09分28秒 返信・引用


千葉県では、千葉市内でも同じ京成系列ながら会社が分かれ、別の市になるだけでも会社が異なってよくわからなくなり、神奈川県等の小田急グループ以上によくわからないという声もあり、小田急グループ、神奈川中央交通グループが再編を行うなら京成系列も再編が必要なところです。






Re: 確かに電柱だが 投稿者:インバマルコ 投稿日:2016年 6月 6日(月)08時54分30秒 返信・引用


エル・アルコン さん

北千葉道路進捗確認、ありがとうございます。

先日成田空港に行く際、アク特の中から状況を確認していましたが、
舟形〜押畑間も少し進み始めた印象を受けました。

湯川駅手前から湯川駅に行く際のトンネルの横にしっかりと道路のトンネルの入口が整備されており(まだ貫通はしていない)、こんなの以前あったっけ?と思いました。

また、そこまでの道も、舟形から少し橋がかかっている部分が増えたかな、と感じました。

確か、いには野〜北須賀開通が今年度中(来年3月迄)だったと思うので、少しずつ進み始めたのでしょうね。

北須賀迄開通するだけで時間短縮効果が見込めますが、
それ以上に現状の464を走らなくて良くなるストレスが減るかと。

今は道が狭くクネクネしている上、タヌキ等野生動物が度々引かれており、そうした事故も減るのでは、と思っています。

最も、新規開通した橋桁の中に動物が飛び込んでくれば全く意味がないですが。







Re: 東西線と都営新宿線 投稿者:dai 投稿日:2016年 6月 5日(日)17時17分11秒 返信・引用


茅場町や日本橋に通勤するから東西線沿線を居住地に選ぶ層が多いんでしょうね。だから混もうが遅れようが関係ないと。

だからこそ、当初の計画に反する話になりますが、西船橋から先の利用者を並行路線に誘導するしかないわけです。

その意味で、都営新宿線なり総武緩行線を東葉高速に直通させる意味はありそうです。東西線の津田沼直通もやめて、跡地をうまく転用できないもんですかね。

ウルトラCとしては東葉高速を高架ホームにつないで京葉線に入れるか。




痛すぎる事故 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2016年 6月 5日(日)15時07分37秒 返信・引用 編集済


話はガラッと変わりますが、先日、京成電鉄の取締役さんがタクシーの事故で急逝しました。
環七の3車線区間で、2車線だけ立体になり分岐するところに突っ込んだようですが、運転手は怪我で済んだのに、後部座席の重役は全身を強打したとありますからシートベルトをしていなかったのでしょう。

タクシーの後部座席も自家用車同様シートベルトの装着義務がありますが(義務者はあくまで「装着させる義務」として運転手)、あまりそういうお願いを聞いたことはありませんから、重役もそのまま座っていたんでしょう。
それが徒になっての事故死ですが、最近のタクシー事故は側面からの衝突も少なくなく、シートベルトで助からないリスクもありますが、リスクヘッジには確実になるだけに、装着したほうが無難です。

さて、この時期の取締役の遭難、職業柄下世話な話になりますが、会社の総務や法務の人にとっては大変なことになりました。
この方は今度の総会で改選されないので、欠員を出す覚悟でなければ急遽1人選任する必要があります。総会の議案はすでに決まっており、それに対する取締役会の承認は終了しているであろうタイミングで、総会の招集通知もすでに印刷しているはずです。

委嘱業務を見ると平取とはいえかなりの重責のようですが、その方が急逝となると電鉄本社の経営計画にも影響するわけで、目先は総会関係のやり直しコスト、中長期的には経営陣が欠ける、という「損害」が発生しています。
おそらくタクシーは系列でしょうから法人にその賠償を求めても、というところでしょうから、何とも痛い事故です。






喰われるレインボーが心配です 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2016年 6月 5日(日)14時41分4秒 返信・引用


4日の朝日千葉版に、鎌ヶ谷観光バスが「生活バス」の第2弾を2系統6日に申請し、秋からの運行を目指すと出ていました。

申請される系統は、CNT中央駅と印西牧の原駅間を住宅街、オフィス街を経由して循環する系統と、新鎌ヶ谷駅とCNT中央駅の間をオフィス街と住宅街、白井市役所、白井駅を経由する系統とあります。

こう書きだすと、また大企業勤務のあいつが交通弱者の住民のことを批判して、というのでしょうが、チェリーピッキングの弊害を理解しないで、「北総と京成ケシカラン!」の一念で地域の交通を破壊しかねないリスクに気づいていないのですから、最終的に目先の溜飲で後々苦しむのはご自由に、というか、後述するように一部の住民が大多数の住民を巻き込みかねない状況です。

そもそも鎌ヶ谷観光という非公開会社だからこんな不透明な「営業」ができるのです。
記事にあるように、年間9万人超の利用者は立派ですが、採算ラインの1日400人にはわずかに届いていない模様で、記事でも「採算ラインには届いてない」「何とかやっていける状態」とあります。公営や、公的補助のあるコミバスであれば立派過ぎる成績でしょうが、鎌ヶ谷観光がこれを運行することに対する経済的合理性はどこにあるのか。彼等も私企業ですから、「生活バス」が採算ラインに達していないのなら、その「損失」は誰が補填しているのでしょうか。

同社は貸切バスが本業で、鎌ヶ谷市のコミバス「ききょう号」も受託していますが、その収益が「生活バス」の損失補填に回っている、ということでしょう。もちろん世の中の企業は赤字受注をすることが多々ありますが、固定費の回収とか、別ジャンルでの回収が見込まれるといった理由があるわけで、別のセグメントから付け替えて、ということはしていません。「生活バス」を運行することで、CNT地区での知名度が上がり、CNTでのビジネスによる利益が「生活バス」の赤字を補って余りある、とでもないと、貸切のお客や鎌ヶ谷市を「生活バス」の支援に使っているような話になります。

1日利用者数が採算ラインの一歩手前で横這いというのも何とも皮肉ですが、スタートダッシュでの数字から大きな伸びがなかった(定期切り替え時期に一段の伸びがなかった)というのは、この「市民運動」の主な支持層が透けて見える話ですし、住民の大半が、というレベルの「支持」がない証左でもあります。そして今回の「新路線」も同じ傾向になることが予想されます。

さて、地域の交通に対するリスク、ですが、今回の申請は高花や桜台、木刈あたりを巻き込むことになるかと思います。
路線の形態的には北総線並行というよりも、フィーダー部分を相当含む(CNT中央−印西牧の原路線はフィーダーそのもの?)わけで、ライバルは北総線からちばレインボーバスになります。

レインボーバスにとっては北総線のフィーダー路線で、従来からのローカル路線を維持しているという構図の中、フィーダー路線の収益が落ちることは何を意味するのか。さらには「生活バス」レベルの運行をするとなれば、「そこまでするのなら鎌ヶ谷観光さんどうぞ」とケツをまくる可能性すらあります。既にグループ内とはいえ、滝野地区の輸送をレインボーバスから北総交通に移管し、平日朝晩だけという状態になっていますし。

鎌ヶ谷観光がそこまでの体力があれば話は別ですが、そうでないでしょう。であれば、「できる範囲で」しかないでしょうが、だからといってレインボーバスにも、ということは無理でしょうね。「地元の声」で運行するバスなんですから、撤退の大義名分もたちますし。





東西線と都営新宿線 投稿者:ぶなっしぃ 投稿日:2016年 6月 5日(日)14時01分38秒 返信・引用


東西線の混雑緩和ですがハード的なものを考えると巨額のコストがかかり現実的ではありません。
いつも不思議に思うですが、東西線の駅から北上すると都営新宿線があり
何でこの路線をもっと活用しないのでしょうか?
確かの東西線に乗れば日本橋大手町へ一直線ですし、メトロのネットワークを使えます。
でも遅延が日常的であんな混雑にもまれるぐらいなら、都営新宿線を使うべきです。
8両編成が主体でまだまだ増発の余地があります。
都営バスと連携し通し運賃か割引運賃で通勤客を優遇すれば、東西線の混雑にも繋がり
都営にとってもお客が増えるのでいい事づくめです。
環七などの周辺の混雑状況が分かりませんが、バスが定時で走ることが出来れば
有効策になるかと思います。




ダイヤの穴が心配です 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2016年 6月 5日(日)13時51分14秒 返信・引用


よく総武快速線を御茶ノ水、新宿方面に、という声を聞きますが、錦糸町での混雑が新宿まで届いているか、という話ですね。
秋葉原以遠での緩行線の状況、御茶ノ水での乗り換え状況、中央快速線の状況を考えると、今一歩届いていないようにも見えます。
秋葉原の乗り換えがメインで、あとはせいぜい緩行線内(市ヶ谷あたりまで)という状況だとわざわざ直通するニーズはどうなのか。一つのベンチマークとして「ホームライナー」や千葉「あずさ」がありますが、同時間帯の東京駅方面のライナーや特急に対して有意に混み合っているか。1本しかない「目玉商品」なら相当な狙い乗車が発生しますが、そこまでには見えないことも事実です。

総武快速線の電車を秋葉原方面に向かわせるとなると、日中でも5分ないし5分半間隔の緩行線に余力があるのか。あるいは毎時2本として、その分が緩行線の間隔を空けるのか。総武快速線方面も間隔が空くのか。各駅の有効長からMAX10連になりますが、それで総武快速線内は大丈夫なのか。

特に間隔が空くことについては懸念が大きく、湘南新宿ラインに被る時間帯は品川、新橋の本数が少ないですが、この現象が、東京、新日本橋、馬喰町でも発生します。そういうデメリットを考えると、下手に直通するよりも、方向を決めて乗り換えチャンスを増やす方が得策でしょう。




第二会社方式しか手段はなかったが 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2016年 6月 5日(日)13時40分15秒 返信・引用


国鉄の分割民営化は、労務問題を除けば国鉄でも、全国1社でもできた話であることは確かです。
一方でその労務問題が残れば「国鉄でも出来た」はずの大半の実現はまた不可能だったわけで、結局は不可避だったといえます。
とはいえ労務問題を白紙で対応出来たかというと、土壇場で恭順の意を表明した動労は労組として残りましたし、民営化直前の極左暴力団によるケーブル切断、放火テロに対して、「彼等なりの支持活動」と評して事実上是認した動労千葉のような労組も生き残っているように、労働法制の制約はあるとはいえ、すっきりしない状況です。

一方で30年近くにもなると「時代の流れなんだし」と会社主張を無批判で受け入れるどころか批判を許さない主張を垂れ流す人も出てくるわけで、独占性が強い事業におけるフリーハンドを容認したら、利用者が選べないのですから受容しているように見えるのは当たり前、ということすらわからないのか、と言いたくなるケースもありますね。
逆に競争原理が働く分野であれば一目瞭然なわけで、ローカル輸送、在来線による都市間輸送に至るまで劣勢です。それでも企業としては大都市圏輸送と新幹線があれば収益は確保できますし、逆に赤字体質のローカル輸送や在来線の都市間輸送は縮小したほうが体質強化につながる、という補助線を引いたら、足下の流れは「理に適って」います。

国会答弁で繰り返されたが付帯決議に残さなかった「サービスの維持」が結局問題になるわけです。
もちろん「使命を終えた」サービスまで残すべきとは言えませんが、特定地方交通線の整理で用いた尺度を残して数年ごとに見直すとか、一方でサービス水準を切り詰めて「使命を終えた」を演出することがないようにする、とか、細かい条件を詰めていない、いかにも日本らしい性善説が今の諸問題の根源になっています。

ついでに言えば、国鉄債務の負担にしても、「もうからない」ローカル線や夜行列車、さらには自動車線の収支を合算して、「払えるレベル」を計算して本州3社に帰属させているわけです。「サービスの維持」は国会での答弁の裏切りだけでなく、債務負担の踏み倒し(事業撤退=負担額の見直しでないとおかしい)の問題でもあるのですが、「経済テツ」の皆さんを中心にだんまりです。






高架か地下か 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2016年 6月 5日(日)13時16分53秒 返信・引用


地下化については用地買収の手間を考えると安くつく、という話ですが、地盤対策とどちらが安いんでしょうか。
ゆりかもめの延伸となると、これは効果が薄いかと。都心へのアクセスという意味では、お台場を迂回してようやく新橋ですから必ず乗り換えを伴います。しかも豊洲だと有楽町線ですからもう一回という人も多いでしょう。(有楽町線延伸案の最大の泣き所でもあります)

何が何でもLRT、という人にも言える話ですが、郊外区間が長くなると、AGTやLRTは最高速度の遅さが所要時間の増大というデメリットとしてのしかかってきます。またAGTだと高架線が必須になるわけで、アストラムの都心部のように地下化という手もありますが、そこまでするのならHRTでしょう。葛西橋通りなどに高架軌道を併設できるのであれば、有楽町線延伸も高架線で、という手もありますよね。

しかしゼロメートル地帯はそこまで地盤が悪いのか。埋立地はともかく、葛西にしても旧海岸線沿いに流れる水路以北は「本土」なんですが。その意味で荒川放水路も謎で、周辺の土地と変わらないはずなのに、地下を通る構造物がないということ。埼玉高速はギリギリ岩淵水門の上流でトンネルを通しており、放水路区間ではないですし。
新宿線が前後トンネルで放水路だけ橋梁という不自然な構造にもなっていることからくる「都市伝説」なのか、本当に根拠があるのか、気になりますが。






Re: 総武中央ライン 投稿者:しぎ 投稿日:2016年 6月 5日(日)11時24分39秒 返信・引用


> No.4410[元記事へ]

ぶなっしぃさんへのお返事です。

千葉県内から新宿方面は流動はあまり多くないはずです。




ゆりかもめの江戸川区延伸でも 投稿者:リリカルゆかりん 投稿日:2016年 6月 4日(土)13時54分9秒 返信・引用


東西線の混雑対策として、有楽町線を葛西(清新町付近?)に延伸するという管理人様の案ですが、建設距離は短いものの荒川河口に新たな架橋が必要なこと、荒川河川敷以外への敷設は軟弱地盤の地下線となることを考えると建設費は相当な金額になると考えられます(清新町を経て葛西仲町が終点として2,000億円弱でしょうか)
しかも葛西南部地区からの利用しか期待できませんからコストの割に効果は限定的ではないでしょうか。

そうであれば、私が以前に書きました半蔵門線に扇橋〜浦安新町の新線を単線で建設すれば浦安以西から利用は相当な転移が期待できます。半蔵門線のポテンシャルは高く、東京の旧都心以外ならば東西線を上回る利便性があります(渋谷・青山に直結しており、大手町の丸ノ内線や千代田線への乗り換えも東西線より便利なので、新宿や池袋、原宿が目的地でも勝ります)

しかし単線でも15km余を架空線式10連の規格で建設するので4,000億円近い建設費を要しますから、いくら財政の豊かな浦安市などの公的支援があっても一朝一夕とはいきません。

そこで次善の策として勝どき延伸が頓挫したかに見えるゆりかもめを江戸川区方面に延伸するというのはいかがでしょうか。豊洲から枝川・潮見を経て清新町から東葛西、浦安市役所、新浦安を経て新町地区、あるいは環七の交点から北に変針して小岩付近といった路線も考えられます。後者であれば課題が多いとされるメトロセブンを部分的に実現させることも可能です。どちらに向かうにしても全体の建設費が1500億円程度でしょうから、豊住線の代替も兼ねると考えれば悪くない選択かもしれません。






分割民営化 投稿者:しぎ 投稿日:2016年 6月 4日(土)10時07分25秒 返信・引用


国鉄分割民営化は災いで「必要なかった」、「間違いだった」との指摘があり、無人駅が増えてみどりの窓口も減っていき、あっても窓が開いている箇所が少なく、いつも行列ができていて時間がかかる等、いまやJRグループはフジテレビよりましだとしてもマクドナルド以上に期待できないです。

各社の繋がりが薄れ、分割民営化の折に約束をしていたことと逆に下関(山口県)や亀山(三重県)で全旅客列車が分断されてしまった弊害も出て嘘をつかれて不便になっただけでなく電話での相談にも応じず、自動改札普及等で係員が旅客に相対する場面自体が著しく減少し、多様な企画乗車券が発売されても周遊券や周遊切符みたいに使用条件が厳しくなって国鉄時代より使いづらくなったのもあり、民営化したとはいえJRグループにはもっと大局を見て計画経営が必要で、いまやJRグループとは名ばかりでJRグループと言えず「最初から夜行列車はJR貨物受け持ちとすればよかった」、「最初から北海道と東日本は一社ならよかった」、「旅客会社は分割でないほうが良い」と結論を出した大学生等も居ます。

生活の足、物流の長距離大量輸送に貨物列車が不可欠で、在来線の幹線等の線路も必要で、在来線の所要時間短縮ではいけないのかと。

新幹線でJRの在来線が途切れ途切れになって災害時等に問題が生じ、平成8年12月25日の「整備新幹線の取扱いについて政府与党合意」では「建設着工する区間の並行在来線について従来通り開業時にJRの経営から分離」とした上で貨物輸送は並行在来線のJRからの経営分離後も適切な輸送経路並び線路使用料を確保し、新幹線上走行を含め関係者間で調整を図ると言ったようです。

国鉄は膨大な累積赤字を計上していましたが経営再建が理由で分割民営化が進められ、国鉄労働組合等の労組分割や弱体化が狙いだったのは公然の事実で、後年、中曽根康弘氏はマスコミで国鉄民営化は国労潰しがその目的だったと明言しました。

不動産資産が速やかに適価で売却されていれば国鉄債務はかなり軽減されていた筈で、一度分割民営化されたら元の利便性の良い形には戻らないのです。

JR貨物等は各社の線路を走って行くから車両故障や輸送障害で遅延が発生すれば旅客会社から責められましょうが会社が別という事は大変で、ヨーロッパの先進国等、国鉄として経営しているのは現在も多く、日本がそうならなかったのは惜しいです。

分割時にJRに採用されないで国鉄清算事業団に残され駅前の駐車場の係員で終わった方がいて、国労の役員をしても、本人はさぞ無念だった筈です。

三セク化区間は団体列車や臨時列車、検査時の回送列車、夜行列車は合意されずに無責任に人を無視しており、国際的な流れに日本だけ逆行で、赤字三セク経営という流れも悲しく、一度失ったものは戻っては来ない地域も文化もJR各社はどう責任を取るかと。




総武中央ライン 投稿者:ぶなっしぃ 投稿日:2016年 6月 3日(金)17時30分30秒 返信・引用


総武快速線から秋葉原経由の列車は極一部しか設定されていませんが
平面交差と言うネックはあるものの非常にもったいないような気がします。
総武快速線を10分毎としたとき、その内30分毎を新宿方面にし中央快速と直通しては
どうでしょうか?
昼間なら10両でもなんとかなるでしょうし、一部は成田空港へ直通すれば東京西部から
アクセスも良くなります。
なんと言っても津田沼ー新宿間が38分程度で結ばれる事になり非常に魅力だと思うのですが
単に需要がないから設定されないんでしょうか?



Re: 成田新幹線跡 投稿者:CNT 投稿日:2016年 6月 3日(金)06時39分28秒 返信・引用


ひさおさんへのお返事です。

> 北総線との間の成田新幹線跡になにやら電柱を数十本単位で建てていました。
> 何のための工事でしょうか?

県有地の成田新幹線跡にメガソーラー発電所を設置する予定と聞きました。
恐らくその関連工事だと思います。




確かに電柱だが 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2016年 6月 2日(木)23時07分3秒 返信・引用


ひさおさんの書き込みが気になり、北千葉道路(掘割部)を中心に見てきました。

その電柱ですが、確かに電柱でした。
しかしその位置は新幹線用地と目されている空間の、R464掘割部東行き側。茶色のフェンスが立てられ、その線路側に立ち並ぶ電柱。見た目は電柱ですが、何に使うんでしょうね。R464からは微妙な距離があり、街路灯をつけるような位置関係じゃないし、延々と電灯線を引くのか。

印西牧の原駅のあたりまで延々と立ち並んでいますが、意図も用途も謎です。
わざわざフェンスで区切られた「新幹線用地」にはダートながらクルマの走行空間が用意されており、ところどころフレコンバッグが置かれ、重機も入っているのですが、工事内容を示した看板がないので仔細どころか名目もわかりません。

なんだろうな、と思いながらいには野ランプに至りましたが、西行き車線の出口ランプ路が、これまでいつ見ても桁が架かっておらず、どうするつもりかと思っていたのがいつの間にか架かっています。
これで瀬戸の北総自動車学校のところでのR464現道との交差点までは線路を挟んで両方向の整備が見えてきました。
瀬戸から先は線路北側のみの整備で、交差点の整備もそのようになっています。

北須賀で引き返しましたが、交差点部分はR464現道を南側に切り回しています。どのように改良するかが謎ですが、今後の進捗が気になります。






はぐみの杜の新道現況 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2016年 6月 2日(木)23時05分30秒 返信・引用


緑が丘(はぐみの杜)の新道が開通して1ヶ月余りが経ちました。
緑が丘にちょくちょくクルマで出かける家人も行きやすくなったと好評ですが、粗も見えてきました。

東署から坪井小経由で坪井近隣公園を左折してr57に出るまではスムーズです。ここの十字路、新道開通でわざわざはぐみの中を通って出てくる意義が小さくなったこともあり、右折車が直進車に阻まれることは少ないようです。
問題はその先、ファミマとまいどおおきに食堂を過ぎ、ガソリンスタンドのところです。4車線分の用地がありながら暫定2車線で開通しているのですが、交差点に右折車線を置いていません。

そのため坪井方面からきて右折するクルマが塞栓となり、渋滞するのです。対向側もはぐみの中に帰るクルマが案外多く、こちらも渋滞しますが、右折車同士で示し合わせて右折することで両方向の塞栓が解消できます。ただ、動きが鈍く合わせられないとこっちだけ割を食う破目になりますし、往々にしてそうなるので大変です。

イオン方面はr61との交差点で右折になり、ここがネックになるため、イオン方面はGSのところで右折してr61にT字路で出るのが出やすいなど、右折ニーズがそこそこあるのに、右折車線は置かない、あまつさえ暫定2車線のため隅切りが不十分なので有効幅員が狭い、ということがさらに拍車をかけています。

ファミマのところの交差点も東西方向の信号の割り当てが短く、これも滞留を生んでいます。南北方向、というか、この交差点で西から南に曲がるのがr57ですが、坪井町入口の変則交差点から新木戸に誘導するよりも、道なりに高津団地入口のところでR296に合流させればいい話で、南北方向の割り当てを減らすべきでしょう。

そんなこんなで、本来あまり通過流動を呼び込みたくない、坪井近隣公園からゴルフ練習場のところに抜けた住宅地内の道路が「使える」となってしまっています。
そしてここの住宅地も設計がダメダメで、坪井東3丁目側(近隣公園側)は、この基幹道路とは別に住宅にアクセスする道路がありますが、5丁目側(練習場側)は基幹道路にしか面していない家が並んでおり、通過流動と生活道路の分離ができていません。

ちなみにゴルフ練習場前のT字路も改修中ですが、開通時点でもう少し整形して供用できなかったのか、といいたくなるような屈曲です。






力尽く... 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2016年 6月 2日(木)23時04分21秒 返信・引用


飲んだ帰りに小腹が空くと寄っていた新津田沼駅ホームのラーメン屋が閉店していました。
グループ会社全体のサイトによると5月1日に閉店したそうで(それを5月12日に発表というのも)、すでに1ヶ月経っていましたが、駅構内や外側階段下の広告類はそのままなだけに、開いてる気配はないけどいつみても開いていないな、という疑問を常に抱いていました。

一時期月替わりのメニューがあり、定番の「赤」「黒」のほか、「青」「白」とか楽しみましたが、力尽きたようです。
まあ完全6連化で最低でも2連分を無駄に往復する必要が生じた時点で足を運ばなくなることは必至であり、これも6連化の被害者でしょうか。





川越は微妙で 投稿者:リリカルゆかりん 投稿日:2016年 6月 2日(木)23時02分15秒 返信・引用


TDRへの近距離高速バス最大のセールスポイントは「不便な東京での京葉線乗り換えの回避」にあり、そうなりますと川越は新木場への直通電車もあり同駅で乗り換えはまずまず便利ですから、新木場まで延々と各駅停車で行くのと同じ時間で、運賃が倍近く、便数も限られるでは利点がありません。その意味で街の規模自体が格段に大きく、ここから北の方の需要も当て込める大宮にシフトしたのは至極当然といえます。

舞浜側からのアウトバウンド需要ですが、たしかに川越は観光地ですが求心力を考えるとバス路線を成立させるほどではなく(かつ前述のように新木場乗り換えでよい)、大宮であれば新幹線乗り換えでそれなりにニーズはあるものの時間差(東京での乗り換えに20分かかるとしてもまだ30分以上の差)を考えますとやはり積極的に利用されるとはいえないでしょう。




Re: 新浦安〜川越高速バス 投稿者:dai 投稿日:2016年 6月 1日(水)23時32分6秒 返信・引用


一部訂正です。

TDR10時台→川越12時台という、小江戸対応?の東武便が残っていました。
もっとも復路の設定がないのでツアーも組めないでしょうし、全くをもって謎のダイヤです。

> 私も話の腰を折ります(笑)
>
> ディズニーと小江戸の両方向を睨んで開設された高速バスでしたが、4/1から大宮経由のうえディズニーに特化したダイヤになっていました。
>
> 朝から晩まで遊べるディズニーと、昼間のお出掛け先として人気の小江戸の差が出たのでしょうか。
> 昼間のお出掛け先なら、時間を合わせなければならない高速バスは不利ですよね。




新浦安〜川越高速バス 投稿者:dai 投稿日:2016年 6月 1日(水)10時48分2秒 返信・引用


私も話の腰を折ります(笑)

ディズニーと小江戸の両方向を睨んで開設された高速バスでしたが、4/1から大宮経由のうえディズニーに特化したダイヤになっていました。

朝から晩まで遊べるディズニーと、昼間のお出掛け先として人気の小江戸の差が出たのでしょうか。
昼間のお出掛け先なら、時間を合わせなければならない高速バスは不利ですよね。




Re: 京葉新線と東西線 投稿者:しぎ 投稿日:2016年 6月 1日(水)08時23分25秒 返信・引用


> No.4400[元記事へ]

新木場が関所のようになっていることを問題視されています。

りんかい線は何か癒着があって利息が高いか単に何か取引があって誤魔化しているから運賃が高いです。

経営基盤が弱くて独立は危ういにしても「JR東日本臨海線」にでもなれば全体がよくなり、人の流れが変わり、京葉線沿線西部地域が臨海副都心や神奈川県方面、京浜工業地帯、羽田空港の通勤圏や関係者の居住地にもなり、通学圏も広がり、青春18きっぷや週末フリー切符等で周遊の際の利便性が向上し、湾岸地域への観光にも好影響が与えられ、経営基盤強化にもなります。

東京モノレールは天王洲アイルで、りんかい線と乗り換え可能で、8駅中3駅がJR東日本との乗換駅であるため沿線地域の重複率が高いことから沿線住民や客にはJR東日本管轄の方が便利になり、構造物補強が必要ですが、貨物列車が武蔵野線経由から、りんかい線経由になれば東海道から武蔵野線経由より4時間程短縮になり、武蔵野線ではダイヤに余裕ができて貨物列車の本数を増やせるし、航空コンテナや海上コンテナも貨物列車で輸送すれば良く、茨城県や埼玉県にも福音をもたらします。




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