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習志野原の掲示板 過去ログ 2018年2月
R464草深IC再開通 投稿者:インバマルコ 投稿日:2018年 2月28日(水)21時59分26秒 返信・引用
以前エル・アルコンさんの書き込みにあったかと思いますが、草深ICが再開通しました。
土日は元々草深〜原山間は元々最近流れが悪くなるので、あのあたりの渋滞は再開通が原因かはわかりません。時間帯によってはスムースに捌けています。ただ、カインズ・コストコ利用者の右折とぶつかるので、そこがやはり少しネックでしょうか。
以前のような混乱までにはなってないですし、吉高のような重い渋滞でもないです。
吉高は相変わらず日と時間帯によって混む日はありますね。
西千葉駅発着の京成バス路線消滅 投稿者:神奈中沿線民 投稿日:2018年 2月28日(水)19時20分10秒 返信・引用
皆さまの話を切るようで申し訳ございません。
3月16日から西千01系統・西千葉駅〜千草台団地が京成バスからちばシティバスに移管されます。
長沼営業所からちばシティバスへの移管は初めてでしょうか。これで西千葉駅発着路線から京成バスは消滅します。
バス会社同士の移管(子会社・関連会社への移管)は結構落ち着いたかのように見えたのですが、まだあるのですね。京成バス千葉駅発着路線もそのうちちばシティバスになるか…??
京成バスも京成電鉄本体から分社されているわけですが、やはり京成バスがバス会社の中では一番収益の上がる路線を担当するという立ち位置は変わっていないのですかね。
お詫び 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 2月28日(水)19時00分13秒 返信・引用
すみません、少なくとも堀江橋と押切橋については千葉県側が道路橋梁整備調整会議で「検討中」としており、行徳橋架け替えと妙典橋架橋が終わるまでは手が付けられないというところです。従って予算化も出来ないのは千葉県となります。
こういう表現になった原因は、大洲橋につき、2013年6月の市川市議会で道路交通部長が、2009年に当初計画の半分の幅ででの暫定整備を目的とした仮称大洲橋暫定整備検討会が東京都、千葉県、江戸川区、市川市をメンバーとして設立されたが、2010年まで3回の開催で途絶えていること、また江戸川区が交付金の財源確保が困難であると説明して、いったん元計画に立ち返ったうえで都と区の間で調整している状況、という答弁をしていることから類推したものです。
冷静に考えたら、堀江橋と押切橋については旧江戸川まで都道が整備されているのに対し、千葉県側はその延長線上に都計道は整備されていますが、後は架橋だけ、という段階とは言えないことから、千葉県側の問題と簡単にわかる話でした。
市川市ではなく千葉県側の情報にあたれば、県議による再三の追及でも、縦断勾配をどうするといった今更の理由を挙げて「検討中」と逃げている様子がありありとしており、市川市側も外環受諾の条件としての架橋整備実行を千葉県に要請しているわけで、大洲橋はともかくとして、堀江橋と押切橋は千葉県の問題でした。
思い込みで不正確どころかほぼ正反対の記述をしたことを深くお詫びします。
Re: 塩漬け案件 投稿者:都営沿線民 投稿日:2018年 2月28日(水)01時00分8秒 返信・引用
> No.5607[元記事へ]
江戸川三橋ですが、それは逆です。 東京都、江戸川区には予算があり、都県境で片方の自治体
の予算では一方的に施工ができません。 時期的には鈴木、青島都政の頃で江戸川区の区長は
現在まで、任命区長の頃からの故中里喜一氏、現在の多田正見区長と二代なのですが中里区長の
時代に着工の機運がありました。 3つの橋の内、一番下流の仮称、堀江橋、現清砂通りが都道ですが、江戸川〜行徳の仮称 押切橋、 篠崎〜大洲の名称未定の2つは江戸川区道と接続になります。 堀江橋は都側が4車線X2の8車線、現在は余裕ある車線運用(東京都庁の言い方)で
6車線運用されています。 この都側と千葉側の4車線計画の車線数の擦り合わせ、と施工予算
の東京と千葉の負担割合で交渉が頓挫状態です。 江戸川区側は江戸川の土手まで用地確保され
手前まで開通しています。 江戸川1丁目と行徳の仮称押切橋ですが、これも江戸川区側は土手まで都市計画道路は6〜7年前に開通しています。土手道の交差点から陸側は土手道とは立体交差の計画らしく、道路は土手手前250mくらいの位置から道路幅員が広くなっています。この道は
北では柴又街道となりますので橋が架かれば柴又街道がR357湾岸道路までつながることになります。ここの過去でも言及はなかった様ですが、ここも6年かそれより少し(新宿線瑞江駅付近の開通時)前に京葉道路、首都高の高架と京葉道路が分れる地点ですが、開通時に京葉道路上り車線に柴又街道への矢印信号併用の右折レーンが新設されましたが、右折車が非常に多く滞留して
京葉道路本線への渋滞になりラッシュ時には江戸川大橋上にまで渋滞端末が伸びたために今は
右折レーンはゼブラゾーンにされ元の右折禁止に戻されています。 橋の話題とズレるのでまた
にしますが、都内と神奈川県の警察は右左折レーンに関しては問題があると禁止や廃止は簡単に
しますね。吉高につながりますのでこの件は別にします。
千葉側からは大洲の橋ですが、これは14号の江戸川区役所北の八蔵橋の交差点(完全供用時には変形五差路交差点になる)からの都市計画道路の補助線街路第286号線であり、八蔵橋交差点から環七は大杉橋西詰交差点、東に進み上記の柴又街道とは鹿骨2丁目交差点で交差、都営公園(嘗ての東京グリーンベルト地帯計画で残り今も建設中の都営篠崎公園)の暫定完成開園の
上篠崎の虹の家交差点まで完成しています。 この道に区画整理計画地域と江戸川スーパー堤防
の施行と関係するでしょう。 江戸川右岸土手からは篠崎街道とは上篠崎2丁目で橋側が高架の
立体交差での計画で土手から約280Mまで幅員が広くなり橋が真ん中にの計画地図になっています。篠崎公園東端からの江戸川架橋地点までの1kmはまだ手付かずですが、総武線江戸川の橋と国道14号の北小岩のスーパー堤防工事も完成に近づき、篠崎公園東でもスーパー堤防も立ち退き
がかなり進んでいますので、都市計画事業の進展の早い、都と江戸川区ですから決まれば早く
動き出すでしょう。 江戸川区と都側の事情で塩漬け案件とありましたが、そのエビデンスの
出元はどちらでしょうか?。 この件は1990年代から気にかけていまして、東京都、江戸川区
行政側と都議、区議と話したことがありますが、一番下流の仮称堀江橋にの通り、千葉県と市川市側に施工予算の負担が無理で、負担割合で話にならなかったと聞いています。 重要ですが、
人口に自動車の登録台数に実通行量が違います。 現状でも外環開通後には変化もありましょうが、環七や放射幹線道の千葉向きには右左折レーンが2車線運用されていてそれでも朝夕のラッシュ時は渋滞して捌けていません。 環七まで半立体交差の新大橋通り、新今井橋は平日は
上り篠崎街道へ降りるランプの渋滞は南行徳側は行徳バイパスとの交差点近くまで末尾は伸びる
時があり、環七との葛西工業高校前交差点は右折レーンが1車線で短い為もありますが、ここは
午前から夕まで渋滞したり流れたりの繰り返しで江戸川渡河橋は通常時でも決して交通量に対して充足しているとは現状でも言えません。 スーパー堤防は江戸川区、国の国交省相手の訴訟
が現在も進行中の案件ですが、公共事業には千葉とは比較にならない速さと予算で進められる
地域ですので、塩漬けが何処から出たのは全く疑問ですね。 近日中に懇意な都議と区議に
聞いてみようと思います。
塩漬け案件 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 2月27日(火)22時58分35秒 返信・引用
例の河原番外地の水門橋を忘れてました。同じように水門の上にある行徳橋は架け替わりますが、ここはそのままですね。
さて、今回の3橋は都市計画決定されている塩漬け案件だったようです。
清砂大橋通りの橋は「堀江橋」、柴又街道の橋は「押切橋」、そして大洲の橋は「大洲橋」として、市川市などの議会では進捗についての質疑の常連になっています。
市川市としては、1993年に市民の真意がバレて外環建設を受け入れた際の交換条件として、大洲橋、押切橋と、行徳橋の架け替え、妙典橋の「江戸川4架橋」が挙がっており、外環が完成することもあって動き出したようです。
ちなみに大洲橋は大洲平田線となって外環に接続しますが、地平部の幅員20m、橋梁部15mは、妙典橋の地平部20m、橋梁部12mとほぼ同レベルです、(妙典橋の橋梁部は3.5mの歩道を片側のみ設置するので、両側設置なら一緒になる)
ところが江戸川区が予算がつかないと着工を渋り、災害対策用に幅員を半分に削った人道橋でどうか、という提案を行うなど迷走した状態で塩漬けになっていました。
今回帰宅難民対策ということで専ら都側が渋っていた結果としてのゾンビが蘇った格好ですが、その真意は橋で千葉県民が滞留し、渡れない千葉県民が都側の避難施設に押し寄せるのを防ぐのと、都内への救援物資搬入ルートの確保が目的と公言しているわけで、何とも浅ましい意図と言えますね。「江戸所払い」「江戸回漕」対応と言って憚らないのですから。
ナンバリングと江戸川と 投稿者:トロッピー 投稿日:2018年 2月27日(火)11時54分5秒 返信・引用
どうやら快速線のE217がLED・自動放送共にナンバリング対応とのことですが、そうなってくると緩行線の編成の方の放置具合(LEDはまだしも自動放送の放置具合は‥‥)が目についてきますね。
中央総武専属の黄帯の編成といい、東西線対応の編成といい英語の駅名の発音が日本語準拠に変更されていないままですし。
また、変えて間もないせいかあるいは朝夕しか設定がないからか西船橋の東西線ホームの駅名標では総武線のナンバリングをつける修正はなされてないようですね。
江戸川の橋については正直江戸川水門の道(歩行者専用?のはずだが自転車やオートバイの往来も頻繁にある)の補完するようなものをかけない限り効果が薄いと思いますがどうでしょう。
欲を言えば篠崎〜(京葉)市川で京葉道路を通行できない層向けの補完手段が欲しいところではありましたが間にジャンクションが造成されつつある今それは絶望的でしょうしねぇ。
Re: 江戸川に橋を3本新設 投稿者:リリカルゆかりん 投稿日:2018年 2月27日(火)01時17分13秒 返信・引用
> No.5604[元記事へ]
エル・アルコンさんへのお返事です。
この3本の架橋計画ですが、少ないように見えて江戸川の都県境部に関しては道路容量はほぼ間に合っていて、渋滞対策ではなく、帰宅難民対策でというのが気になるところですね。
管理人様指摘の大洲付近については計画の趣旨からしますと歩行者・軽車両限定となる可能性もありますが、そうでなければ鹿骨街道とr263をつなぐルートになると思われます。自動車通行可であれば市川広小路の渋滞緩和に資するのですが、その効果にしても管理人様提案の矢切付近の架橋の方が勝りますのでやはり今一つ意図が図れない計画ですね。ただ、この橋ができますと京葉道路の篠崎〜市川を有料化する理由の一つになりますのでその狙いがある可能性はあります。それならば鹿骨街道の拡幅と大型規制の廃止も必要ですが(どちらにしても前後の道路も大改良して京葉間の亜幹線になれば最高ですが難しいでしょう)
清砂大橋通りや柴又街道延長線はもともとある計画ですが、千葉県側のアプローチを考えるとさほど価値のあるものではありません。舞浜立体化で、舞浜大橋の渋滞も今後解消される見込みですし、そうであれば江戸川の橋で最も渋滞が深刻な流山橋の対策をする方が価値があります。
江戸川に橋を3本新設 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 2月27日(火)00時08分21秒 返信・引用
今日のWeb版読売に、都県境の江戸川に新たに3本橋を架けて帰宅難民対策にする、という記事が出ていました。
清砂大橋通り、柴又街道の延長線上と、江戸川大橋のすぐ上手(対岸が大洲)の3ヶ所とあり、前2ヶ所は架橋計画がもともとあるものを具体化した格好ですが、大洲の橋は計画があったかは記憶にありません。両岸ともそれらしいアプローチ道路が見えないだけに。
ただ、3本中2本が浦安市、行徳地区への架橋となるため、千葉県「本土」への帰宅難民対策としては、江戸川放水路の架橋が増えないと効果は限定的です。妙典橋が出来るので1本増えますが、橋のキャパが大きくないので、もう1本、という感じです。
大規模災害での帰宅難民対応とするのであれば、市川橋と新葛飾橋の間、北総線のあたりに欲しいですね。災害の被害や市街地火災の影響を受けにくいところで架橋があれば、かなり助かります。
運河以遠はネットダイヤ 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 2月27日(火)00時01分13秒 返信・引用
清水公園まで入れようとすると、運河−梅郷間がほぼネットダイヤなので進めなくなりますね。
運河で折り返して、ソライエは豊四季やおおたかの紹介で終わるとか。船橋方面も塚田がありますし、既存シリーズを見せて清水公園をよろしく、とか。
船橋口も定期が単線区間のど真ん中の高柳で交換ですから、柏行きが逆井に着いた瞬間に団臨を出し、定期の柏行きと六実で交換できれば成立しますが、高柳の発着に速度制限がかかるはずで、若干の時刻変更をかけないと成立しなさそうです。
時間調整としては、3線ある六実を使ったか。あるいは信号上可能かは不明ですが、高柳の留置線にいったん取り込むとか。
アーパー線夕ラッシュ 投稿者:dai 投稿日:2018年 2月26日(月)23時41分13秒 返信・引用
船橋線は10分ヘッドだったんですね。
朝は5分ヘッドですから、臨時スジや退避といったお遊びも可能ですね。
柏1825→清水公園1855(車窓見学?)1910→船橋2010/2015→柏2102
みたいなダイヤだったのかな。
所要時間は同時間帯の電車を参考にしましたが、
清水公園〜船橋で1時間とは千葉県の奥の深さを感じます。
ビール列車の旅 投稿者:dai 投稿日:2018年 2月26日(月)22時51分0秒 返信・引用
この寒いのにプレミアムモルツ飲み放題と清水公園ソライエ見学で4980円ですか。
最少催行人数48名とありますが、無事に催行できたのでしょうか。
ダイヤは柏1825発→2102着ですが、管理人様の目撃情報からすると、船橋〜柏間のどこかで長時間停車していたんでしょうね。
E217系のナンバリング表示 投稿者:あそうかい 投稿日:2018年 2月26日(月)01時00分29秒 返信・引用
こんばんは。
ナンバリング表示はこんど成田空港までナンバリングされるのに絡んでの対応でしょうね。
最初見たとき、もともと1行表示用のLEDに無理やり2行表示で入ってるのに驚きましたが、よく考えれば新日本橋なんかは最初から2行表示だったからやろうと思えばできないことはなかったんですかね。
窮屈な感じはしますがスクロールで流れてしまうよりはいいと思います。
ところで、東武のスカイツリートレインはこの「ビール列車の旅」でしょう。(本家からのリンクは削除されてるのでそのうち削除されるかもしれません)
http://www.tobu.co.jp/file/pdf/cc7496d609e1baf42f4c40812d6766b6/newsletter_180129.pdf
プレミアムフライデーを意識した企画と思われますが、プレミアムフライデーがほぼ掛け声倒れに終わった感がある中で、参加者って多数いたんでしょうか?
上下線が分離されたR298 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 2月25日(日)21時08分36秒 返信・引用
今日もいろいろ回ってみました。
まずはr57を幕張まで。しょいかーごからの新道区間は残工事も終わっていましたが、南行きが海浜大通りまで2車線になっていることに気が付かないのか、道なりに入る右車線にばかり並び、左車線が開いたままというのは困ったものです。
北行きはなりたけの向かいでいったん1車線に収斂する状態はそのまま。そのせいで田所のあたりの合流渋滞が目立ち、青信号での処理台数を下げているのは問題です。
R357で高谷に出て、上下線が分離されたR298へ。R357から来ると外環道に入る最初のICとなる市川南ICのところ、開通前なのに「市川南インター入口」という看板が出ています。
妙典橋への分岐となる十字路から工事中の妙典橋が見えますが、片側1車線という将来のことを全く考えていない構造に、太鼓橋のようなアプローチも含めて、実際の処理台数はかなり低くなり、渋滞が発生しそうな構造です。
そして上下分離区間ですが、工事の進捗の関係か、右側になったり左側になったりとややこしく、特に見えにくい夜間はバリケードに突っ込まないよう注意が必要です。
気になったのは東西線交差部で、東西線が外環本線を跨ぐ橋桁が微妙に短く、地上にあるR298本線は1車線が本設の橋桁の下に入り、外側1車線ずつはその外側の橋脚の間を通過します。つまり、片側2車線のR298本線は、この部分で1車線ずつに分かれるのです。ちょうど首都高都心環状線の銀座付近の橋脚を交わすシーンと同じ感じになるわけで、新設の道路としては何とも不細工ですし、事故も懸念されます。南行きは直後に交差点がありますが、右左折車は橋脚の手前で進路を決定する必要があるだけに余計にです。
京葉道路から見える京葉JCTの表示ですが、内回りが三郷方面というのは順当ですが、外回りが湾岸線でも東関道でもなく、高谷方面となっています。まあ妥当ではあるんでしょうが、今まで交差点名、またインターやジャンクション名にもなっていない地名だけに、高谷と出て正しく位置をイメージできるかどうか懸念されます。
軌道系交通と路線バスの共存 投稿者:神奈中沿線民 投稿日:2018年 2月25日(日)11時53分41秒 返信・引用
埼玉高速鉄道の場合、埼玉高速鉄道の真上を並行する国際興業バスがほぼそのまま残ったという状況があります。これが残ったのは赤羽岩淵が不便で赤羽まで直通するバスが便利で運賃も安いから、というのが大きいのですが。
千葉都市モノレールの場合、千葉駅の乗り換えなしなら路線バスを使うけど、わざわざ路線バスでモノレールの駅まで行って、乗り換えて都賀まで行く(そしてそこから総武線)というのはなかなか面倒で定着しないのではないかと思うわけです。
dai様のリンク先にあるように「民間バス主体の公共交通は慢性的な交通渋滞と利用者の増大で限界に達し」他のでモノレールを作ったわけですが、ある程度モノレールに流れせば渋滞なども減り千葉直通のバスもそれなりに生き残れたのではないか、とは思いますけどね。
千城台始発やスポーツセンター駅始発と千葉駅始発では利便性が違いますからね。結局はモノレール開業によって千城台らの今現在コミュニティバスが運行している区間や吉岡などから千葉駅まで運行しても採算が合わないから、というのが一番の理由なのでしょうが。
御成台車庫〜千葉駅がたくさんありますし、これが事実上の代替なのだとは思いますけどね。
スポーツセンター駅止まりよりも千葉や稲毛まで伸ばした方が需要はあるとは思うのですがね。
今更無理でしょうが。
アーバンパークライン解禁 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 2月25日(日)00時28分6秒 返信・引用
車内LEDは一斉交換ではないんですよね。金曜日の帰りに乗った通快1本目はナンバリング非対応でした。ナンバリング対応車がアーパー線になっているのは気が付きませんでした。
まあいろんなところで「スカイツリー線」とするJRなので「野田線」を押し通すのかと思っていました。先週も客先訪問で乗った「ときわ」が堂々と「東武野田線」と出していましたから。
ちなみに金曜日、通快で船橋に着いて市川で追い抜いた快速を待っていると、アーパー線ホームからスカイツリートレイン(634系)が発車していくのを見てびっくりしました。定期運行から離脱していますが、団体か何かだったんでしょうか。それにしても20時台前半(送り込みは19時台でしょう)に単線区間もあるのによく挿入出来たもんです。
「ドル箱」の運命 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 2月24日(土)23時51分36秒 返信・引用
バスのドル箱、というのは輸送効率が非常に良いわけで、概ね輸送量が極大化しているわけです。
そうなるとより大量の輸送手段が望ましいわけで、軌道系交通にとってかわられる運命にありますし、それが難しい場合は自社で輸送力増強を図るしかありません。
バスと軌道系交通の事業者が異なる場合は、ドル箱を失い経営に支障するため、補償金の支払いや事業規模縮小に伴う固定費部分、すなわち要員や設備の引き受けとなるケースもありますが、京成の場合はどうなんでしょうね。
ただ何がなんでも補償、となると、既存事業者への保護になってしまうわけで、いわんや既存事業者の経営に差し障りがあるから軌道系交通の導入をしない、というのも本末転倒です。
これの変形が今話題の岡山市内であり、不当な競争でない限り競合路線が容認されるというルールである以上、「儲かる路線」への競合参入は端から想定される結果であり、それをクリームスキミングと称して排斥するのは、ルールが分かっていないか、もっともらしいことを言って新規参入を阻止したいだけ、と厳しく言えばそうなります。
都営新宿線絡みでは総武線のフィーダーから新宿線のフィーダーに変換した部分もありますが、総武線のほうが近い、総武線の方が便利、という需要もあるわけで、新宿線のフィーダー需要が発生(変換)することで、両方向ともピーク方向になるという高効率路線に化けている可能性もあります。
一方のモノレールですが、スポーツセンター駅分断はモノレールがほぼ並行しているので理に適ってはいましたが、乗り換えなしなら使う、という需要を切り捨ててしまい、結局フィーダーとしての成長はありませんでした。
千城台や都賀での分断はそれ以前の問題で、スポーツセンターを迂回するモノレールに乗り換える意味がなく、都賀でさらにJRに乗り換えなんて論外だし、誰得状態でしたね。
さらに千城台の場合、千葉営業所の御成台移転で御成台発着のバスが増え、千葉直通が欲しい利用者の大半をカバーしてしまったわけで、それ以遠のローカル区間へ引き回す意味もなくなりました。千葉市内はコミバス化して対応し、八街方面は切り捨てた格好です。残念ながらマイタウンダイレクトの乗車を見ても、需要は非常に厳しいですし。
駅ナンバリングの副産物 投稿者:東怪人 投稿日:2018年 2月24日(土)23時34分26秒 返信・引用
こんばんは
最近になって、総武線快速のE217系ドア上LEDに駅ナンバリングが入るROM更新がされています。
この更新に伴い、自動放送も駅ナンバリング対応になったのですが、その副産物で
船橋駅での乗り換え案内がようやく「東武アーバンパークライン」に変更されていました。
夜遅い時間だったのですがふっと目が覚めた記憶があります。
草深西行き出口を走る 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 2月24日(土)23時26分9秒 返信・引用
2月21日に再開した草深ランプを走ってみました。
5年9ヶ月前の掘割部開通、そしてわずか1週間での閉鎖となった西行き出口が再開されたわけですが、案の定という事態になっており、その意味では閉鎖を続けたのも理解できるところです。
側道側が車線変更禁止(内側から外側への変更は可能)に引き直されていますが、原山の交差点で右折してコストコやカインズに向かうクルマが多く、出口車線がその右折待ちのクルマに塞がれています。合流すると左車線は空いているのですぐ車線変更すれば問題はないのですが、側道を進行してきて車線変更をかけるクルマもおり、なんとも鈍い状況判断で、こういうクルマが無用な渋滞を呼んでいます。
原山の交差点というか跨線橋部分が完全に滞留しており、本線部を塞ぐように右折車が強引に待機しています。交差方向はやがて流れるので本線側が青になるころには進路を塞ぐクルマはさすがにいなくなるのですが、逆に青信号の中盤以降に跨線橋上が埋まってしまい、右車線からの直進が困難になっています。
なおここが新しい渋滞ポイントになったせいで、多々羅田インターからコスモス大橋にかけての渋滞が軽減された感じなのは皮肉です。
まあだからと言って草深を再閉鎖せよとは言えないのですが、草深を出て多々羅田からr61に向かうといったありがちな流動がコストコ、カインズ渋滞に巻き込まれるのもいただけません。CNT中央の先の跨線橋を使った引き返しを余儀なくされていたことを考えると、コストコ、カインズ渋滞の主を迂回させるべきであり、時間帯によって原山での右折を禁止する、といった荒療治も考えていいでしょう。ただ、これは多々羅田引き返しとなるため、多々羅田ICのランプが塞がるとr61北行きからR464東行きの流動に当たりが出てしまうので、悩ましいところです。
千葉都市モノレール 投稿者:dai 投稿日:2018年 2月24日(土)23時14分50秒 返信・引用
https://www.city.chiba.jp/toshi/toshi/kotsu/monorail1.html
これを読む限りではバスとモノレールの併存は考えにくいですよね。
京成電鉄自動車部は、都営新宿線といい千葉都市モノレールといい公営鉄道にドル箱路線を持って行かれているきらいがありますが、
何か補償はあったのでしょうか。
Re: 京成の歴史的幹線がありました 投稿者:神奈中沿線民 投稿日:2018年 2月24日(土)21時02分36秒 返信・引用
> No.5589[元記事へ]
エル・アルコンさんへのお返事です。
>坂戸や吉岡というR51きっての難所の存在もあり
難所というのは渋滞地点ということですか?
千葉内陸バスの千城台駅〜吉岡〜四街道駅も非常に本数が少ないですが、これも昔の八街線(吉岡周り)の名残なのかもしれませんね。
>今度の佐倉市コミバスが通るルートは千葉佐倉市境付近が狭隘区間で設定はありませんでした。
この区間は狭隘区間なのですね。バスを運行する道がなかったのでしょうね。ポンチョのような小型バスは通れるのでしょうが。
しかし、千葉都市モノレールは京成バスグループの路線網をかなり破壊しましたよね…。もちろん便利になったのでしょうが都賀はまだいいとしても千城台発着とかスポーツセンター発着だとその先のバス利用者が不便そうです。やはり千葉駅まで行く方がバスの利用客が増えると思いますけどね。
傍から見ればですが、国際興業バスと埼玉高速鉄道が国道122号を並行していたり(しかも今度のダイヤ改正で埼玉高速鉄道は日中は赤羽岩淵止まりが増え減便)、多摩モノレールと立川バスが玉川上水〜立川で並行していたりするケースがあるので、千葉都市モノレールも京成バスと両方共存できなかったのかな、と思いますね。
「これでいいのか」は刊行する側では 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 2月24日(土)12時04分45秒 返信・引用
昨日昭和堂に行ったら「これでいいのか千葉県船橋市」なる本が山積みになっていました。
「日本の特別地域」と銘打っており、船橋をそこまでdisるとは、と思ったんですが、シリーズ79冊目ということは手あたり次第刊行しているようです。
で、手に取ってみたんですが、見ただけ時間の無駄でした。
「あんなとこ」や「こんなこと」が出てるのかな、と思いきや、たいして知識もないライターが聞きかじりと机上調査で適当に書いた、という印象です。
地元じゃこんな表現はしないよ、とか、この呼び名も知らないの?とか、土地勘がないことが丸出し、というレベルの内容が続いちゃいけませんね。
湾岸道路関係 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 2月24日(土)11時29分46秒 返信・引用
2月24日早朝までの予定で行われていたR357市川大橋東行きの工事に伴う昼夜間連続車線規制の影響は酷かったですね。
22時から5時までは3車線のうち2車線規制ということもあり、今週初めに乗ったリムジンから見ていると、千鳥町出口の段階で既に停滞しています。
10分前に出た西船橋リムジンが未だ高浜立体の上にいるとか、作業時間をもう少し後ろ倒しにして、日数を数日余計にかけてもいいのでは、と思います。22時からの2車線規制は無謀ですよ。せめて23時です。
ただ22日の21時前にまたまたリムジンから見た感じでは工事関係の車両が見えず、交通に大きく影響を及ぼした一方で、大幅に早く終わったということでしょうか。だとしたらまあよくやったという感じです。
周辺の状況ではR357の東行きは、若松の右折車線が伸びています。それでも滞留しているケースもありますが、改善は一歩一歩です。
とはいえこの交差点の要諦は東行き左折車線の設置。右車線が海浜大通り方面の右折車で潰れ、左車線が船取線への左折車が減速して左折、ということで処理台数が大きく減っているのが渋滞の原因です。
また栄町の右折車線も伸びましたが、ここも平日朝夕は混むんでしょうね。土日ユーザーから見ると、東行きは左折車線と、二俣立体側道からの3車線化(左端は栄町で左折でいい)なんですが。
京成の歴史的幹線がありました 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 2月24日(土)11時21分33秒 返信・引用
もともとこのエリアは千葉駅からR51を通り坂戸交差点でr22に入り八街に向かう八街線(吉岡回り)と、R126を通り坂月からr53を経て八街に向かう新八街線(川崎十字路回り)の2つの幹線格が京成により運行されていました。
モノレール開業で前者は都賀駅、後者は千城台駅起点に改められ、前者はフラワーバスの都賀線となり2014年まで、後者もフラワーバスに移管後、現在は千葉市内区間を循環するコミバス(平和交通受託)になっています。
どちらも千葉まで直通しなくなったこと、沿線の過疎化、そして前者は坂戸や吉岡というR51きっての難所の存在もあり、路線が維持できなくなっています。
支線格の路線がいくつかありましたが、今度の佐倉市コミバスが通るルートは千葉佐倉市境付近が狭隘区間で設定はありませんでした。また、マイタウンダイレクトの千城台経由八街、成東行きと、川村美術館経由歴博行きが近くを走りますが、前者は停留所の設置がなく、後者は第三工業団地を経由して停車します。
千城台にはある程度の商業集積がありますが、鉄道駅への接続という意味では物井駅の方が利便性が高いでしょうね。あるいはそのまま四街道駅に出るとか。
佐倉市コミュニティバス 投稿者:神奈中沿線民 投稿日:2018年 2月24日(土)10時23分17秒 返信・引用
いろいろ調べてみましたが、千葉内陸バス運行の吉岡線(現在は千城台駅〜四街道駅)と1日1往復しかない貴重な佐倉駅〜西御門はありますが佐倉市コミュニティバスのように第三工業団地のあたりから千城台駅に行くようなルートはなさそうですね。
千城台自体ニュータウンで昔は何もなかったと思うのでバスは多分繁栄していた四街道の方に向かっていたのかもしれませんね。
Re: 佐倉市コミュニティバス 投稿者:えむえす・あっぷ 投稿日:2018年 2月22日(木)11時10分59秒 返信・引用
神奈中沿線民さんへのお返事です。
> 佐倉市コミュニティバスが1月末から運行開始しましたが、
>
> そのうちの南部地域ルートで第三工業団地から千城台駅に行くルートがありますが、このルートは昔、京成バスが路線バスとして走らせていたルートでしょうか?
>
> 佐倉市コミュニティバス↓
> ttp://www.city.sakura.lg.jp/0000018049.html
路線バスの代替として走っているコミュニティバスとしては、港区がフジエクスプレスに委託して運行させている「ちいバス」や渋谷区が東急バスグループに委託して運行させている「ハチ公バス」等があります。(この2つのコミュニティバスはルートの一部が都営バスが赤坂見附方面から渋谷駅東口に運行させていた路線の代替となっている所があります)
佐倉市コミュニティバス 投稿者:神奈中沿線民 投稿日:2018年 2月21日(水)22時43分3秒 返信・引用
佐倉市コミュニティバスが1月末から運行開始しましたが、
そのうちの南部地域ルートで第三工業団地から千城台駅に行くルートがありますが、このルートは昔、京成バスが路線バスとして走らせていたルートでしょうか?
佐倉市コミュニティバス↓
ttp://www.city.sakura.lg.jp/0000018049.html
丸17年ぶりの特集 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 2月18日(日)23時28分32秒 返信・引用 編集済
今更の話題ですが、1月に発売されたピクの3月号は「横須賀・総武快速線」でした。発売直後に買いそびれ、昭和堂やくまざわでは早々に売り切れており、地元ネタゆえの現象でしたが、丸善でまだあったので買えました。
実は17年前の2001年3月号も同じ「横須賀・総武快速線」の特集でしたが、この間E217系のみ、という状況に変化がないわけで(113系の退役は1999年12月)、ちょっと残念な17年間です。
前回が横須賀線に偏った感もあったのに対し、今回は総武快速線の内容が濃かったです。
あと、東京地下駅地下4番線が当初なかったとか、113系の電動横サボが当初グループは「東京行」というように「行」が入っていたとか、新川崎が仮称新鹿島田だったとか、トリビアネタも豊富。複々線化前の急行折り返しの気動車快速の仔細も新聞記事など証憑付きでしっかり書かれていました。
惜しかったのは佐藤信之氏の快速の編成推移。横総直通当初、マリの基本編成が16編成でサロ113が17両あったため、サロ113を2両組み込んだ横須賀線殺しの編成があったのに、当初から18編成あったように書かれていること。マリ117と118編成は千葉までの複々線本格使用に伴う1981年10月改正対応で増備されたもので、普通車は総て1500番台。118編成はサロ113の組み込みはありません。
ちなみに1984年2月改正対応で増備された119編成は、寄せ集めの編成でグリーン車とサハ111は東海道線で使用されていたものが入るなど(サハは2000番台)、分割民営化後の千葉支社の凋落を暗示させる編成でした。
外環関係 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 2月18日(日)22時39分32秒 返信・引用
外環関係を見てきました。
まずは京葉道に設置された京葉JCT対応の大きな案内標識、「京葉JCT 1㎞」というような表記が隠れていたりします。
外環分岐、京葉市川出口、PA入口と分岐が続きややこしいですが、下り線は特に江戸川大橋からの右緩カーブの出口に分岐が続き、分岐を間違えて急ハンドルを切るとあっという間にコントロールを失いそうです。
例の怪しいフリーフロー型ETCセンサーは原木の下り入口、上り出口と料金所の無いランプ路に設置されています。現金車は料金所で最大料金を徴収し、ETCは距離制、という首都高型の徴収に変更するにしても、篠崎−市川間をどうするか。首都高からのクルマだけを狙い撃ちにするにしても難しいです。ただ、一連の京葉JCTの工事で市川IC下り出口が1車線分外側にズレた格好で完成形となるようで、そうなると無理矢理料金所を置くのか。ただそうなると特に下り出口は今でさえ本線上に噴き出す渋滞になることもしばしばなんですが、外環分岐を塞ぐような状態になりかねません。あるいは篠崎から無料で来るクルマが激減して減ると見込んでいるのかもしれませんが、R14やr6市川浦安BPの負荷が高まりそうです。
R14との交差点付近ですが、標識類は未設置。ここから都内方は4車線になるかと思っていたんですが、どうも間に合いませんね。まだ居座っている案件があります。国分街道を分ける新田5丁目から西は4車線化で開通を迎えるようですが。(もともと下り線は2車線運用、上り線もラインを引きなおしただけ)
国分から矢切にかけても地上から見る限りは交差点の整備もまだで、6月の完成もR298側はかなり暫定的な開通になりそうです。
産業道路を走ってみましたが、大和田兜橋で交差するr6旧道と三角形を形成する交差点はどれも平面交差と、開通後の一大難所になりそうですね。
市川ICは6月以降京葉市川ICに改称されますが、「京葉」を隠した案内もちらほら。
高谷へ向かうR298は2月22日から対面通行ではなく本来の上下線の位置に1車線で運用となりますが、ちょうど三郷南まで伸びたときと同じ感じですね。高谷の本線料金所もはっきり見えています。
京成千葉中央駅 投稿者:dai 投稿日:2018年 2月18日(日)22時03分52秒 返信・引用
海士有木〜本千葉間の小湊の免許線と接続するために現在地への移転を選ぶ前は、千葉中央公園のところにあった訳ですが、
これって東急桜木町と並ぶ都心型のターミナルだったんですよね。
桜木町は本牧方面を始めとする市電に連絡していたわけですが、京成の場合はバス連絡だったのか、
それとも横浜と千葉の都市規模の差で二次交通は不要だったのか。
考えてみれば小湊のバックには日蓮宗の誕生寺がいるわけで、真言宗の新勝寺がいる京成と千葉市内でぶつかる形になってしまっていますね。
Re: グループ会社 投稿者:神奈中沿線民 投稿日:2018年 2月18日(日)21時55分54秒 返信・引用
> No.5580[元記事へ]
エル・アルコンさんへのお返事です。
> 有価証券報告書(金商法)と事業報告(会社法)で記載要項が定められており、連結財務諸表規則などにより規定された連結子会社と持分法適用会社のうち、主要なものを掲載しています。
>
> ちなみにホームページ掲載分は、上記法令による連結子会社、持分法適用会社のほか、重要性がないとして会計上は除外されている非連結子会社と持分法非適用会社が含まれていますね。(持分法適用会社の子会社が該当)
そうなのですね。回答ありがとうございます。ただHPには法令で定められているよりも多くのグループ会社を記載しているのですね。
千葉急行電鉄 投稿者:dai 投稿日:2018年 2月18日(日)20時47分52秒 返信・引用
小湊が免許を取得したのは1957年で、当時は内房線は単線非電化でしたから、当然狭軌での計画だったでしょうね。
その後内房線が複線電化されて「小湊→千葉市内」のメリットが薄れる一方、京成の拡大路線に乗って「京成→小湊」のメリットが出てきたので、
現在の千原線につながる標準軌の計画になったものと思います。
ちなみに千葉急には小湊も出資していて(免許の現物出資か?)、清算処理にあたっては損害を被っているんですよね。
Wikipediaには21世紀に入って京成の持株が九十九里に譲渡されたような記述がありますが、千葉急の破綻処理と何らかの関係があるのかと思ってしまいます。
グループ会社 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 2月18日(日)19時15分28秒 返信・引用
有価証券報告書(金商法)と事業報告(会社法)で記載要項が定められており、連結財務諸表規則などにより規定された連結子会社と持分法適用会社のうち、主要なものを掲載しています。
ちなみにホームページ掲載分は、上記法令による連結子会社、持分法適用会社のほか、重要性がないとして会計上は除外されている非連結子会社と持分法非適用会社が含まれていますね。(持分法適用会社の子会社が該当)
気になったのは筑波観光鉄道と鋸山ロープウエー。両社ともホームページでは「レジャー・サービス業」に区分されています。鋸山は有報、事業報告では省略され、筑波は記載されていますが、「レジャー・サービス部門」となっています。
グループ会社に記載するかどうか 投稿者:神奈中沿線民 投稿日:2018年 2月18日(日)18時38分41秒 返信・引用
京成グループのような会社一覧に記載するかどうかというのは、小湊は記載されているが九十九里がないなど、こういうことはなにか契約書?かなんかに書くのでしょうかね?
グループ会社に記載する契約とかしない契約とか。
京成千原線が仮に海土有木まで延伸したとして京成は標準軌、小湊は狭軌なので直通運転は不可能ですよね。この辺りどういう計画だったでしょうか。
>レインボー
神崎線・白井線・鎌ヶ谷線の長大路線はどれも厳しいのですね。確かに団地などはありませんが、集落を縫うようには通っているはずなのですが、それでも厳しいのですね。
ただ確かに道路事情は悪いのは確かですね。
こみなと・くじゅうくり 投稿者:dai 投稿日:2018年 2月18日(日)15時19分51秒 返信・引用
京成の公式サイトで小湊はグループ会社として紹介されていますが九十九里は無視なので、小湊のオーナー家の石川家は京成とは無関係なんでしょうね。
小湊サイトの会社沿革でも、安田保善社の名前は出てきますが、京成の文字は出てきません。
この辺の醒めた関係も、海士有木新線が形にならなかった一因かもしれませんね。
小湊・レインボー 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 2月18日(日)01時51分2秒 返信・引用
小湊と九十九里の関係がよくわからないんですよね。
小湊の株主は、九十九里が約64%で京成が19%、九十九里の連結子会社であると同時に、影響力基準で京成の持分法会社になっています。ところが九十九里の株を100%小湊が持っているわけで、厳密には小湊社長の同族会社とはいえ、このケース、相互保有として議決権の制限が適用されるケースにも見えます。
であれば小湊の議決権のうち実際に行使できるのは36%で、京成が握っているのは19/36、すなわち過半ですが、会社法上の解釈はどうなんでしょう。影響力基準の適用は15%以上ですから、持分法適用にするなら15%残せばいいのに19%としたのは、実質18%はないと支配できないから、という理由が透けて見えます。
レインボーの各線になった京成の長大路線は、ニュータウンや団地絡みの収益区間を持たないこと、道路事情の悪化による信頼性低下で厳しい状況ですね。鎌ヶ谷線は五香以西を切り捨て、さらに五香口と高柳以東も分断した格好で、高柳以東も下総基地付近までですよね、客がそこそこ乗っているのは。
白井線も木下街道の信頼性低下が厳しく、白井車庫以遠も切り捨てましたし、神崎線は秀明学園関係の輸送もあり一番マシとはいえ、緑が丘−CNT中央で持っている感じです。
Re: 人形町・水天宮前と新富町・築地 投稿者:吉吉 投稿日:2018年 2月17日(土)21時17分19秒 返信・引用
> No.5575[元記事へ]
神奈中沿線民さんへのお返事です。
あれは大英断だったかと。地下通路で繋がりがないなら地上で乗り換えになり、誰かが交通事故にあったら補償できないことが理由と言われます。
人形町・水天宮前と新富町・築地 投稿者:神奈中沿線民 投稿日:2018年 2月17日(土)19時23分3秒 返信・引用
ようやく3月17日から人形町・水天宮前と新富町・築地が乗り換え駅になりますね。
都営浅草線から半蔵門線が押上以外のいわゆる都心に近い地域でも乗り換えできるようになり、有楽町線から日比谷線の永田町以外での乗り換え、それに今までできなかった日比谷線と半蔵門線の乗り換えができるようになります。乗客の流動も変わりますでしょうかね?
特に有楽町線の有楽町〜新木場間は乗換駅が少なかっただけに朗報と言えますね。
Re: 相鉄/小湊 投稿者:神奈中沿線民 投稿日:2018年 2月17日(土)17時36分38秒 返信・引用
> No.5573[元記事へ]
daiさんへのお返事です。
相鉄は確かに小田急グループではないでしたね。すいません。
相鉄=小田急が主要株主だったからてっきり小田急グループだと思いましたが、違うのですね。ただ神奈中バスの車体にも小田急ロゴはないと思いましたが。
wikipediaの記述から察するに東急による敵対的買収から守るために小田急が株を買ったという感じでしょうかね。
小湊鉄道もなんだかわかりづらいですよね。京成グループのHPに一応は記載されているものの独立系ともいえるわけで。新京成株も放出していたら、新京成も独立系になっていたかもしれませんよね。
小湊も関東鉄道もK'SEI GROUPというロゴを使っていませんが、いろいろ理由があるのでしょうね。
相鉄/小湊 投稿者:dai 投稿日:2018年 2月17日(土)13時07分56秒 返信・引用
小田急電鉄が筆頭株主ではありますが、これは東急による敵対的買収の名残であって、小田急グループではないと思います。
(神奈中バスに入っている小田急ロゴは相鉄バスには入ってないですよね)
小湊が京成と九十九里の両属のような形になっているのは、京成の暗黒時代に、京成が九十九里に持株を放出したからでしたっけね。
この時新京成株を放出しなかったのは、小湊と新京成の立地の差なのか、それとも実子と継子の差なのか???
京成の路線図 投稿者:神奈中沿線民 投稿日:2018年 2月17日(土)12時41分42秒 返信・引用
京成の駅の路線図には京成グループの路線がすべて自社の路線のごとく書いてありますよね。つまり、新京成と京成と北総が一緒に書いてあります(さすがに関東鉄道は遠すぎるからか、書いていませんが)。これは結構珍しいのではないかと思います。バスと同じ鉄道も関連会社が多いからこそ、K'SEIグループのロゴを多用しているのでしょう。
他の私鉄ではあまり見受けられない形態だと思います。
相鉄も小田急グループですが、小田急に相鉄の路線が詳細に書いてあるわけでもなく、逆も同様です。
新京成電鉄が京成電鉄本体直営でもよさそうな気がしますが、さすがに京成本体で経営するにはリスクが大きすぎるということだったのでしょうね。
>逆に創成期は需要がある旧街道沿いは京成ががっちり握っていました。(成田街道沿いの神崎線、大和田線、木下街道沿いの白井線・木下線、松戸から五香を経て内陸に至る現鎌ヶ谷線)
ただその大部分が現在ではレインボーになってしまいましたね…。不採算には見えないのですがね。
千葉内陸バスもエル・アルコン様仰る通り、もともとは四街道周辺の団地路線のみ担当していたんですよね。確か最初は1路線だけだったとか。
もともと京成からバス路線を移管させることを見越して作ったのかもしれません。
資金需要など 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 2月17日(土)11時28分40秒 返信・引用
新京成の上場時期は沿線に公団住宅が展開し始めた時期に重なりますね。会社としては不可避となる輸送力増強工事の資金調達ということでしょうし、京成としては改軌がちょうど終わったあたりで、都交直通の赤電増備の資金が必要だったころです。
新京成を完全に売却するという選択肢は、1960年代前半ではまだないでしょう。将来有望ではあるが、大規模な設備投資を迫られることが必至であり、なによりも足下はまだ公団住宅も常盤平くらいだった時期です。
その意味ではバス事業も沿線の団地開発とリンクしているわけで、逆に創成期は需要がある旧街道沿いは京成ががっちり握っていました。(成田街道沿いの神崎線、大和田線、木下街道沿いの白井線・木下線、松戸から五香を経て内陸に至る現鎌ヶ谷線)
内陸バスは京成の千葉−四街道−臼井−佐倉の臼井線とその支線があり、内陸バスは団地路線として独立して設定された格好でした。その後電鉄本社の分社に準じるように草野車庫を中心に移管が進みました。
余談ですが、新京成と海浜、内陸の社章は、いずれも京成の社章の中に新京成が「S」、海浜が「海」、内陸が「陸」となっていました。(バスの金額式紙式回数券には社章が入っており、海浜と内陸のやっつけ仕事ぶりに驚いた記憶も)
K▼SEI 投稿者:dai 投稿日:2018年 2月17日(土)09時14分8秒 返信・引用
新京成は1961年に上場していますが、京成的には諸々の拡大資金が必要だったのでしょうか。
逆に経営危機の時に売り払うこともできたはずですが、さすがにそれは躊躇われたのか、
それとも運輸省筋からストップがかかったのか。
千葉県の場合は、東京一極集中とは別に、京葉工業地域の開発による交通需要の増加がありましたから、
小規模事業者が林立しやすい環境にあったのでしょうね。
グループの中での親密と疎遠 投稿者:神奈中沿線民 投稿日:2018年 2月16日(金)22時24分44秒 返信・引用
いまさらですが、京成も昔経営不振があったからなのか、バス会社がたくさんありますよね。神奈川の県央のバス会社が神奈中にまとめられたのとは対照的と言えます。
大体新京成電鉄がバス会社を結構大きく営業しているというのがすごいですよね。新京成の開業以前はどこも営業していなかったのかと思ってしまいます。
大体親会社の鉄道会社が大きく行っているところに関連会社はあまり入れないような気がします。例えば、相鉄沿線は神奈中がほとんどを占めており、相鉄バスは本当にニッチな部分しか営業していません。
千葉中央バスはかなり昔からある会社なので独立していてもわかりますが、千葉内陸バスは元友と京成がやっていた区域なのではないか?という疑問があるんですよね。分社化なら分かりますが分社化ではありませんから。
朝日バスと東武バスの関係は、京成グループバスの高齢者向け乗り放題パスである「ゴールドパス」「ダイヤモンドパス」の2社で使えるバス会社の違いと思っています。
朝日バスと東武バスも「朝日バスグループ(朝日・川越観光・阪東・国際十王交通・茨城急行)共通学生フリーパス」が東武バスに適用されず、東武バス3社の「特殊通学定期券」が朝日バスの適用されないのと似ているような気がします。
グループなんだけど、今でも親しい会社同士と疎遠になった会社同士みたいな感じですね。これをもっといい言葉で表すと何というのでしょうかね。
朝日バスグループ乗り放題パスに東武のエリアが入っていたらどんなに便利だっただろうかと思わずにはいられませんね(苦笑) 5社合わせても郊外しかありませんからね…どのぐらい売れているんでしょうか。
「K'SEI」の特徴 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 2月16日(金)19時15分38秒 返信・引用 編集済
京成グループの交通事業者は、京成電鉄と電鉄直営のバスがまずあって、関係会社の鉄道事業者があり、そこがバス事業もしている、という構図ですね。新京成、小湊、関鉄がそれに該当し、千葉交通は戦争中の不要不急路線廃止で鉄道事業を廃止した残り、一時期グループだった銚電はバス事業をしていない、九十九里は資本関係がややこしいですが、これも鉄道事業者でした。
第二段階として70年代以降があるわけですが、端境期に買収した千葉中央バスは、戦時統合をギリギリで逃れ、戦後はどちらかというと独立系でかつ政治銘柄的な存在だったものであり、これだけは異端ですね。
70年代中盤からの「暗黒時代」は手が回らなくて平和交通系の勃興を許したり、デベロッパー系の輸送子会社に任せたりするなかで、かろうじて千葉海浜交通と千葉内陸バスの両社だけは子会社として設立されていますが、新規に子会社を設立した理由は補助金受け皿の問題なのか(黒字会社の電鉄本体に入れられない。後に「暗黒時代」になると電鉄本体の赤字対策になってしまう)、公にははっきりしませんが、こんなところでしょう。
船橋バスとオリエンタルランド交通が京成グループになった時点で、電鉄本体、鉄道関係会社系、大規模開発対応系に区分できる状態になり、さらに電鉄本体の分社、新京成の分社で現在に至っています。
京成の場合、分社や第三セクターへの出資ではない鉄道事業者の関係会社の存在が特徴ですね。
他の大手私鉄では全国展開の途上で買収、出資した東急や西武と、経営再建に乗り出した過程でグループインした名鉄くらいでしょうか。強いて言えば神鉄と能勢電がグループ傘下、山陽と神姫バスが出資先となる阪急阪神が京成のイメージに近いでしょうか。ただ持分法適用にならない山陽と神姫はグループ色が無いですが。
親藩と譜代 投稿者:dai 投稿日:2018年 2月15日(木)10時09分53秒 返信・引用
私がリンクを貼った本によると、東武グループと朝日グループと明確化しているみたいですね。
東武バス××が東武グループ、それ以外が朝日グループです。
京成系の京成と新京成の棲み分けも不思議なところがあって、船橋市域は新京成がメインなんですよね。
これも市川以東は千葉市を別にすれば農村地帯だった、ということでしょうか。
浦安にオリエンタルランド、船橋に新京成、印西に北総、市原に小湊、成田に千葉交通、取手に関鉄と、衛星的に子会社を配置する戦略だったのでしょうか。
協調にビジネスチャンス 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 2月14日(水)23時46分37秒 返信・引用
岡山の両備グループが新規参入者による自社のドル箱への参入申請が認可されたのに腹を立てて、自社グループの一部路線の廃止申請を行ったことが話題になっていますが、京成もビートラやあっという間に消えましたが無料の「まちのバス」とか新規参入の洗礼を受けています。まあオーバーストア状態での参入や、無料バスのようなダンピングはどうなのか、と批判してきたわけですが、岡山の場合は既存事業同士ではオーバーストア状態での参入やダンピングを容認してきた会社がいまさら何を言う、というわけで、競争を前提に対応している京成のように振る舞えば、参入はいかがなものか、と言えるのですが。
さて、北総(京成)憎しで始まった「生活バス」ですが、北環状線と牧の原環状の両ルートはだいぶ毛色が違っています。
北総線への対抗というよりも、フィーダー的色彩や、バス区間で完結する流動対応にも見えるわけで、こうした路線は逆に定着を促したいところです。
特に牧の原循環ルートは、グッドマンビジネスパークという主要目的地を持つわけで、同じルートを走るレインボーの西の原外循環線、さらにはグッドマンの送迎有料バスの「乱立」や、イーストとウェストで乗るべきバスが違うというのをいかにして整理するか。CNT中央駅にグッドマンがバスの案内を出していますが(自社サイトでも掲出)、自社送迎、レインボー、生活バスを一覧で掲載してわけで、本音は整理してくれ、というところでしょう。
直行便が大入り満員にならないこと、客層がはっきり分かれていることからも分かるように、「高くても北総」がメジャーなようです。そうなると「エコノミー派」の「生活バス」ユーザーは、直行便という中途半端な速達性を重視しているのか、という話になります。東行き小室や西行き谷田の渋滞を考えると、直行便もそこまで早いわけではなく、そう考えたら北環状線ルートへ統合して、フリークェンシーを全体で確保することも考えるべきでしょう。(沿線の利便性向上と、安く行きたい需要の両立)
一方でCNT中央をベースとしたビジネス需要対応の整理も必要です。
牧の原に足を延ばすよりも、ビジネスモールからグッドマンのイースト、ウェストを回ってCNT中央に戻るという路線の整備が必要です。現在ウェストはレインボーの神崎線が対応している格好ですが、専用路線を設定することで「神崎線も使える」レベルにしたほうがいいでしょう。必要なのは一連のグッドマンに行くにはこれ、という迷いの無さです。
ラッシュ時は直行便を設定して、新鎌ヶ谷からCNT中央、ビジネスモール、グッドマン、という系統も設定。日中はCNT中央発着で設定あるいは北環状線の延伸の格好を取るという感じ。「生活バス」とレインボーの共同運行として分かりやすさを目指します。
「ナッシー号」の統合、再編も絡んできますが、ちょっとの工夫でかなり便利に出来そうです。
余談ですが、「生活バス」もリエッセを導入していますが、印西市のコミバスと色が紛らわしいです。
昨年暮れに試乗した際に、時間があるので沿道を歩き、途中から乗ろうとした際、思ったよりも早く青っぽいバスが来たので手を上げて乗るとこれがレインボーのコミバス。ICカードリーダーがあるのであれっと思った時には降りるわけにもいかず、乗ってしまいましたが、後発の「生活バス」はちょっと考えて欲しかったですね。
分社と受け皿 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 2月14日(水)23時45分25秒 返信・引用
鉄道系バスの分社で貸切専業を受け皿にするというのは東武独特のやり方ですね。
結局そこには労務費削減という生々しい目論見が透けて見えるわけで、今ある鉄道本社からの分社だと今の水準がベンチマークになっての交渉事ですが、既存会社を受け皿にする場合は、当面は出向扱いになるにしても、将来的に既存会社の水準になるわけです。
ただ、鉄道本体からの分社も併存しているので、従業員の士気という面では微妙ですね。親藩と譜代、というような微妙なヒエラルヒーの発生が不可避ですから。
浦安のバスは、旧市街だけだった時の外との接点に応じた事業者が乗り入れていたわけで、都内方面が浦安橋経由で都営、市川方面が行徳街道(旧道)経由で京成、というある意味単純な構図です。
さて、オリエンタルランド交通は1970年代の大規模開発による輸送量急増に追いつけない京成グループ、という構図の一部であり、デベロッパーが運輸部門を持ったという意味ではのちの船橋バスになる大成運輸による船橋グリーンハイツ線開設と相似形です。この時期、今のビートラになる平和交通、団地交通(のちのあすか交通)が運行を開始していますが、京成は自社エリア内への参入云々ではない状態で、「すまんが頼む」的な状況でした。
ビートラはそのまま一匹狼的に京成のライバルに成長しましたが、大成運輸の路線は新京成に譲渡されて船橋バスとなり、オリエンタルランド交通も京成資本を受け入れて、京成グループが運輸部門を担うという「正常化」した格好です。
余談ですが、ベイシティ交通は新浦安線で羽田に乗り入れていますが、なぜかトランクの積み込みをリムジンバスの地上係員がしないんですよね。運転手がしてるんです。津田沼線は京成便も扱っているのに。
京成バス分社化 投稿者:神奈中沿線民 投稿日:2018年 2月12日(月)23時40分28秒 返信・引用
>dai様
その本、機会があれば読んでみたいですね。
浦安も、もともと都営のエリアだったんですよね。今も葛西側にはその名残のような路線があります。雷(いかずち)・浦安橋を経由する葛西22系統だったと思います。収支を見ると結構な赤字だったと記憶しています。
京成バスも分社化で規模をかなり縮小しましたよね。私が印象に残っているのは花輪車庫(船橋営業所)がなくなったことですね。人口の多いあの船橋から京成バスが撤退し、子会社の京成バスシステムになるというのは衝撃でしたね。
船橋駅南口側の渋滞がひどくてバス離れが進んだ結果なのでしょうね、多分。
また、都心部でも奥戸車庫が京成タウンバスに分社化されました。路線的に一部を除き不採算のようには見えないのですが、やはり不採算なのでしょうね。
分社化もめまぐるしいですからね。京成は現在は比較的落ち着いていますが、神奈中だと神奈中本体+5社の神奈交が昨年の元日に神奈中・神奈中東・神奈中西の3社体制になり、昨年12月に一部の営業所が本体から東会社に移動したりなど変化が続いています。まだ変化は続きそうです。
この組織変更に一体どういう意味があるのかは外部者の私からは分かりかねますが。
京成や東武の分社各社 投稿者:dai 投稿日:2018年 2月12日(月)22時51分53秒 返信・引用
https://book.mynavi.jp/ec/products/detail/id=65931
この本に比較的よくまとめられていました。
浦安のバス事業者の入り乱れぶりも、越谷あたりと似たものがありますね。
もともと京成と都営が路線を持っていたところに、オリエンタルランド計画でベイシテイができた一方で都営は撤退、
京成の分社化も江戸川管轄には影響が及びませんでした。
しかも八幡車庫の分社は朝日自動車方式とイレギュラー尽くしです。
東武系列のバス会社 投稿者:神奈中沿線民 投稿日:2018年 2月12日(月)18時51分13秒 返信・引用
エル・アルコン様の高速道路の話は行ったことがなくちょっと分からないので返信できません…エル・アルコン様申し訳ございません。
>dai様
東武鉄道のバス部門は関連会社にどんどん移管する形をとっていましたね。
朝日自動車、茨城急行、川越観光、国際十王交通…。
結果的に朝日自動車が東武系列で最もエリアが広いバス会社になりました。私としては越谷営業所が朝日自動車に移管されたのが驚きですね。越谷はまだ都心に近いと思うのですが。越谷をもってしても路線バス事業は不採算なのでしょうかね。
足立区コミュニティバス「はるかぜ」2号・綾瀬駅〜六ツ木都住〜八潮駅は、コミュニティバスにしては破格の本数の多さ(1時間に6本程度)ですが、朝日自動車越谷営業所担当で越谷から綾瀬まで延々と回送してきているんですよね。六ツ木都住は足立区の中でも都県境に近いところにありますが。
同じ「はるかぜ」でも東武バスが受け持っている4号(足立区役所〜鹿浜都市農業公園)は1時間に1本もないところを見ると、東武と朝日の違い=採算・不採算の違いではないのかもしれません。
京成バスの場合は、もろ子会社移管=不採算路線な気がしますが、東武はそうでもないのかもしれません。
篠崎と市川の妙な動き 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 2月12日(月)00時43分57秒 返信・引用 編集済
話の腰をへし折って恐縮ですが...
年度末開通の予定が6月に伸びた外環ですが、京葉道路と外環を結ぶ京葉JCT付近で気になる動きがあります。
京葉JCT自体が、京葉道路側では分岐と合流の間に鬼高PAと京葉市川IC(市川ICから改称予定)を挟み込むという複雑な位置関係になっており、外環から京葉市川IC、鬼高PAへは行けません、という注記が付くことになります。
京葉道路側では、下り線に続き、上り線側もJCTの大きな案内看板が出来ており、隠された表示にいろいろ想像を逞しくさせてしまいます。京葉JCTの分岐後、さらに外環の両方向への分岐(京葉上りから外環外回り、外環内回りから京葉下りは当面未開業)の分岐部の看板も見え、開通近し、を感じます。
で、「気になる動き」ですが、妙なものが見えるんですよね、(京葉)市川ICと篠崎IC、京葉口本線に。
フリーフロー型のETCゲートがランプ路に出来ているんです。篠崎・京葉口−(京葉)市川間は現状無料なだけに、この設備が何を意味しているのか。
NEXCOが京葉道路の完全有料化を目論んでいるのは事実であり、料金所は横浜新道のような無理矢理な設置をイメージしたら、JCT工事の切り回しの結果微妙にスペースが捻出されており、設置不可能とは言い切れませんが、今のところ料金所設置はなさそうなんですし、設置すればそこにETCゲートもできるはずなんで、ランプ路途中のゲートの意味が読み切れません。
現金車から徴収不可能でETC車から徴収はあり得ないので、何か乗り継ぎ割引の判定に使うのか。ただ、(京葉)市川は外環から行き来できないので、首都高(京葉口)あるいは篠崎からの行き来で何か判定する必要が生じるのか。カード挿入で通過してはじめて成立する割引が出来るのか。
首都高との連続走行であれば谷河内に設置されている首都高側のゲートで判定可能であり、実際、前回の値上げまでの間は連続走行割引がありましたし、連続走行をしていない車両への割引も現状で実施できているので、設置の意義が見えません。外環との連続走行であれば、外環のランプ路に設置すればいいだけですから。
東武系列/資本金 投稿者:dai 投稿日:2018年 2月11日(日)20時05分2秒 返信・引用
東武はバス事業を単純に分社化せず、系列の貸切バス会社に営業所ごと譲渡したケースがあるので、社名と路線エリアにズレが出てますよね。
川越に路線がない川越観光自動車とか。
私鉄に限らず、他社を傘下に入れる場合、経営がガタガタで、現経営陣が資本を手放したいと思っている方が手を出しやすいでしょう。
茨城急行と茨城観光 投稿者:神奈中沿線民 投稿日:2018年 2月11日(日)19時25分23秒 返信・引用
習志野原から離れてしまいますが…
茨城県のバス会社と言えば関東鉄道と茨城交通の2社が一番ピンとくると思いますが、東武系列に茨城急行があります。また、独立系として茨城観光というバス会社がありましたね。
この茨城急行、エリアと社名が謎ですよね。岩井・野田・松伏と3県にまたがっておりエリアを作っているかと思えば、古河にもある。特に今の主力は北越谷〜松伏が主力になっています。
しかし、昔は下館〜笠間〜水戸という路線があったらしく、いったいどこが本元なのかという感じですね。
阪東自動車も本来の印旛から我孫子方面にエリアが移動していますが同じような感じで移動したのですかね。そもそもエリア移動自体が阪東自動車以外に聞いたことがありませんが。
もう1つ、茨城観光自動車というバス会社もありましたね。阿見や土浦・筑波を関東鉄道とともに競合しながら運行していました。なぜか大手のグループにはならず、そのまま廃業、今でも旧茨城観光の路線の一部は関東鉄道が肩代わりして運行しています。
東武からの不採算路線を受け持っているバス会社のイメージが高い朝日自動車も土浦が発祥というのも驚きです。東武系列とともに京成のエリアから撤退という感じなのでしょうかね。
資本金と経営 投稿者:神奈中沿線民 投稿日:2018年 2月11日(日)19時10分19秒 返信・引用
経営がしっかりしていないほうが、大手からの資本参加がしやすいというのは具体的にどういうことでしょうか? しっかりしていないから「増資するために資本金をお願いします」という感じでしょうか?
茨城交通は当時は経営がしっかりしていたのですね。私は茨城交通=民事再生法手続きのイメージしかないもので。
境 投稿者:dai 投稿日:2018年 2月11日(日)14時20分14秒 返信・引用
経済力は充分にあったであろうに、自力で鉄道を引かなかったのは利根川水運の町だったからでしょうね。
東武日光線が杉戸分岐を選んだのも、少しでも境に近づけたかったからでしょうか。
ちなみに圏央道沿いに国鉄土飯線の計画がありましたが、これと筑波学研都市の都市計画は関係あるのでしょうか。
旧下総国/茨城県央 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 2月11日(日)11時19分14秒 返信・引用
茨城の西部は東北線の勢力圏でもあり、南東部の鹿行エリアとともに独自色が強いですね。
戦時統合で関鉄が成立した際も、今の坂東市から西は東武の縄張りという感じであり、東北線筋の扱いです。
市街地の生い立ちとしても水戸方面への街道筋というよりも、利根川水運で発展した街であり、霞ケ浦水運がキーとなる鹿行との共通点が指摘できます。
境は今でも独特の発展がみられる街ですが、昔はもっと拠点性が強かったわけで、東武杉戸(現東武動物公園)へのバスも、都市へのアクセスというよりも、逆に境への流動が目立ったようです。これが確立したのが1964年の道路公団による境大橋の開通ですが、1958年開通の野田−岩井間の芽吹大橋も道路公団による有料橋であり、有料道路として整備してでも早期開通を計った、という意味でも、常磐線系とは別の流動路が確立していました。
流動の分断を見ると、何気に鬼怒川が境界になっているわけで、それは同時に旧常陸国と下総国の境です。江戸初期の利根川東遷事業までは関宿・境と布佐付近までは大河が隔てるという状況ではなかったため、鬼怒川が様々な境界になっていました。
茨城県西部はまさに旧下総国であり、交通もそれをトレースしていたのでしょう。
一方で茨城県中央部の茨城交通エリアですが、やはり東京との距離があり、水戸徳川家の城下町ということでの拠点性も強かったわけです。水戸市街地の展開もあり、茨城交通の鉄軌道線はバラバラのように見えて「使われる」区間が最後まで残っていたといえるわけです。戦時統合も中央部は水浜電車を中心とする茨城交通であり、京成も東武も手を出しづらかったんでしょうね。
逆に経営がしっかりしていなければ進出しやすいわけで、常総筑波なんかはその典型でしょう。
水戸市内の茨城交通の軌道は、駅が中心市街地から離れていて、中心市街地が駅からの大通り沿いに展開するという軌道には申し分のない環境であり、ゆえに水浜電車など路面電車が郊外展開する格好になっています。水戸京成百貨店も京成とは思えないような立派なデパートで、中心街の立地に恥じないスケールです。
ただ、いかんせん今でも4車線ポッキリの道路事情で軌道があると厳しいわけで、中心市街地の軌道撤去が命取りになっています。
こういうとクルマ優先ガー、と言われそうですが、今でもバスの頻繁運転で通過に時間が掛かるわけで、軌道があったら大丈夫とは到底思えず、「公共交通」としてのインフラ整備の問題といえます。
北への展開 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 2月11日(日)10時32分32秒 返信・引用 編集済
ピクの京成増刊号(97年の方)には、55年史に戦争なかりせば京成線が筑波まで伸びていた、と書かれているという記事がありました。筑波高速度電気鉄道の「不要な」はずの免許を生かす意図があったわけで、1937年の段階で筑波山ケーブルを傘下に収める前段階として、筑波高速度電気鉄道を買収した1930年の段階で15%弱の資本参加をしています。
ちなみに同記事では、1941年の段階で本社会計課長だった川崎千春氏が筑波山ケーブルの監査役に名を連ねているとあり、親会社の経理など管理部門の管理職が子会社の監査役を兼務するのは今でも一般的とはいえ、なんとも役者がそろった感じです。
筑波山ケーブルはもともと常総筑波になる前の筑波鉄道の傘下にあったわけですが、京成が手中に収めた後、1950年代に再び常総筑波が資本参加して現在に至る、というややこしい状況です。
東武との関係については、もともと常総筑波(常総)における京成系の役員は東京川崎系でもあり、実質的な京成による系列化は1950年代後半とみていいでしょう。そこで東武との確執はあったわけですが、陸上交通事業調整法と陸運統制令に基づくエリア分けで常総筑波、鹿島参宮は茨城県南とされており、京成の系列化は京成優位であったため、東武も露骨にちょっかいは出せなかったかと。
余談ですが、同記事には京成の「北方志向」として東北進出に紙幅を割いていますが、前述の常磐急行バスのほか、路線トラック事業を買収して、R4、R6沿線を押さえたり、北海道に至るまで不動産開発をしていましたが、これらが「暗黒時代」の引き金を引いたことは既にご存知の通りです。
南部縦貫への出資は20百万円、約10%となり、第3位の大株主という俄かには信じられない規模ですが、十和田湖や浅虫温泉方面への観光進出を目論んでいたようで、七戸は十和田湖への伝統的なルート(通年運行が可能な貴重なルートでもある)の拠点でもあり、一応説明は付きますが、十和田観光電鉄を傘下に収めた国際興業を相手にどこまで出来たかと考えると、やはり無謀に過ぎました。
関鉄の前身各社 投稿者:dai 投稿日:2018年 2月10日(土)22時40分46秒 返信・引用
労使対立もあって京成が経営に参加した側面もあったようですね。
茨城交通は県都や大洗をエリアにしていたので、モータリゼーションや東京一極集中の影響が遅れて現れたんでしょうね。
同族会社特有の労使関係もあったのでしょうが、会社の業績がよければ労働側も積極的に対立しようとはしないでしょう。
大手私鉄の茨城進出 投稿者:神奈中沿線民 投稿日:2018年 2月10日(土)20時20分26秒 返信・引用
古河〜境は今でも東武系列の朝日バスがありますね。境町は昔は大きなバスターミナルだったと聞きます。境〜結城、境〜下妻などですね。
ただ結城〜下妻は関鉄パープルバスなんですよね(約10年前に廃止)。うーん、難しい。
ただ水戸線沿いに東武が伸ばしていて水戸まで行っていたようですね。
dai様の発言によると
>茨城交通は竹内一族の同族会社で結束が固かったのか東武も京成も手が出せず
とありますが、逆に言えば、関東鉄道の株主は結束が弱かったという見方もできるのでしょうか?
それとも京成の傘下に入ることで「大手の傘下に入り会社経営が安定する」という考えがあったと言えるでしょうか?
水戸 投稿者:dai 投稿日:2018年 2月10日(土)14時05分15秒 返信・引用
習志野原から外れて恐縮ですが…
水戸線筋から東武、常磐線筋から進出する京成に対し、地元資本である茨城交通が迎え撃つという構図ですかね。
茨城交通は竹内一族の同族会社で結束が固かったのか東武も京成も手が出せず、大洗や阿字ヶ浦が東京資本の手に渡ることがありませんでした。
最終的に茨城交通もみちのりHDに救われるわけですが、その時に京成の名前があがらなかったあたり、私鉄のエリア拡大は過去のものになったんでしょうね。
草深、谷田、小室 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 2月10日(土)11時37分43秒 返信・引用
草深西行き出口は2月21日ですか。あの悪夢のような閉鎖から長かったですね。
首都高の「板熊」、そして小菅堀切の4車線化が3月にありますし、10号晴海線の延伸もあり、結構細かく見ると動きますよね。
本来はここで真打ちの外環開通だったんですが。
原山の交差点の拡幅ですが、1車線分の張り出しと、跨線橋への接続ですか。線路側に橋脚を立てて人工地盤を支えるというのは可能でしょうが、たぶんコスパの問題でやらないでしょうね...
さて、西の小室以西の専用部整備が具体化しつつありますが、谷田地内のCNT中央IC以西の整備手法が気になりますね。
ランプから谷田の交差点までの間でいったん線路レベルに降りて屈曲する箇所をどうするのかも。ここは成田新幹線が三咲方面からきて、ここで掘割部に入る箇所であり、その処理が未定だからいったん堀割部が切れた格好になっていると理解していますが、成田新幹線が幻に終わった今、西側専用部の整備もあり、ここを含めた改良も必要です。
ただ、掘割の使い方が、南側から専用部西行き、北総線、太陽光、専用部東行きとなっており、CNT中央ICから西に本線を伸ばした際に、どう用地を確保するのかが気になります。すなわち、西行きはR464本線の南側にずらさない限り、西行き専用部本線を確保しながら出口ランプを確保することが困難なのです。
東行きは専用部整備の際に、既に本線らしき空間を少しIC西側に延ばした格好で整備しており、問題はなさそうですが。
あるいは現行のICを廃止して、上記の谷田地内での未整備箇所に両方向のランプを設置するとか、ちょっと知恵をひねらないと難しいかもしれません。
あと、小室の整備ですね。R16との交差が中途半端(R16両方向→R464一般部東行き、R464東行き→R16外回りのみ完成、R16外回り→北千葉専用部東行きのランプ路だけ準備)に過ぎるわけで、R464と北千葉、R16をフルに結ぶ整備が必要です。
茨城への足掛かり 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 2月10日(土)11時15分37秒 返信・引用 編集済
公開企業の場合は株主が多いですから、持分法のレベルに達しなくても影響力を持つことが出来ますよね。
ほんの数パーセントの「大株主」であってもその企業の系列、と見做されることがしばしばです。
さて、東武の茨城進出ですが、バス事業は京成系列になった常総筑波のエリアを避けるように進出してるんですよね。
茨城急行も岩井から下妻に出ていましたが、古河から境は東武バスのエリアで、境から結城、下館と路線があり、水戸線沿いに東武のバスが水戸まで進出しています。1960年代の「急行バス」ブームの際の常磐急行バスは東京側の事業者は京成と東武でしたし、常磐高速バスの時代になって「いわき号」に東武バスが参入したのも、綾瀬駅に立ち寄るから、という理由だけでない歴史的経緯を感じます。
東武鉄道の茨城進出 投稿者:神奈中沿線民 投稿日:2018年 2月 9日(金)19時06分26秒 返信・引用
北関東にたくさんのローカル路線を持つ東武鉄道ですが、群馬県と栃木県には路線がたくさんありますが、茨城県には路線がないんですよね。
東武動物公園〜境町までは東武バス(今は朝日バス)が運行しているわけですが、東武動物公園から境町を通り、現在も「首都圏に近いのに鉄道空白地帯」となっている坂東市まで伸ばせたら面白かったのに、と思ってしまいますね。
東武動物公園から太田・伊勢崎方面(群馬)、日光・宇都宮方面(栃木)、境町・坂東市方面(茨城)と3つに分岐していたら東武動物公園駅から北関東3県に伸びる路線網になります。
ただ、茨城県県西には日光のような観光地はないので、東武鉄道の不採算路線が増えただけで大赤字になっていたとは思いますが。
どちらにせよ「利根川の架橋」という大工事があるわけでそこまで踏み切れなかった(踏み切る必要もなかった)のでしょうが。
グループ化・買収 投稿者:神奈中沿線民 投稿日:2018年 2月 9日(金)18時55分57秒 返信・引用
なるほど。平和相互銀行という銀行が総武流山電鉄を買収したのですね。実はこの掲示板を見るまで存在すら知りませんでした。
関東鉄道もそういえば、京成との人的交流が盛んだというのは聞いたことがありますね(wikiで見ただけですが)。関東鉄道の路線バスの車両も京成バスなどからの中古が多いと聞きます。
グループ化について
確かにその通りですね。小口株主だけでは経営が不安定になりがちですから、筆頭株主として影響を持たせたい会社がいくら持分法とはいえ、大きい割合で出資するのは当然かもしません。
ただ、東武の資本が入っているからか「K’SEI GROUP」と書かれていませんが。
要は、自分で経営するにはリスクがあるから直営にはしたくないけど、エリアは掌握したいという感じでしょうか?
草深ランプ 2月21日開放予定 投稿者:都営沿線民 投稿日:2018年 2月 9日(金)01時31分28秒 返信・引用
昨年の書き込みは新年のレポートのお役に立てたそうで良かったです。
インバマルコさんの書き込みの草深ランプの改良使用再開日のプレスリリースが
千葉県より発表されました。 あの6車線改悪騒動と言い、URの道路設計運用の
未熟さが原因でしたが、一コマ進みましたね。 右折レーンの設置は無いですが、
掘割の本線と線路の間に橋脚分のスペースがありますので、ここ10年程度の間に
敷地の無いところでは、東京都内の甲州街道R20と山手通りの初台交差点が新宿区
西新宿にありますが、R20のアンダーパス上に、中央分離帯のスペースを橋脚を作り
、側道との間に庇の様に6m幅くらいで約60Mの長さの庇をアンダーパス本線上に新設
で上下線に作り右折レーンを2車線増設した例もありますから、金と時間をかければ
対策は出来ると思います。
他にも北千葉道路に県内他の道路関係の新な情報はありますので、またの機会に
書き込みましょう。
1 開放日時 平成30年2月21日(水) 正午
なお、降雪等悪天候が予想される場合は、翌日以降に延期する可能性があります。
2 開放箇所の概要
(1)所 在 地:印西市原山2丁目地先
(2)幅員(ランプ):5.5m(車道3.25m)
(3)車 線 数:1車線
●改良工事の概要
● 側道部を2車線確保したうえで、掘割部から側道部へ合流
● 掘割部から側道部へスムーズに乗り入れるための並走区間を確保
● 合流時の安全対策の実施
【路面標示】
① 「進路変更禁止」の区画線(側道部の第1走行車線から第2走行車線)」
② 「合流注意」の文字
③ ランプ部の速度抑制のための「減速マーク」
【標識設置】
④ 「進路変更禁止」の模式図
⑤ 「鎌ケ谷方面は左車線へ」
⑥ 「合流注意」や「交差点有」の注意喚起
http://www.pref.chiba.lg.jp/dousei/press/2017/soufuke.html
地方私鉄 投稿者:dai 投稿日:2018年 2月 9日(金)00時56分14秒 返信・引用
流鉄の設立時もそうだったようですが、地域の有力者が資本を出し合って設立したパターンが多いようですね。
小口株主ばかりだと経営がまとまらなくなるわけで(しかも相続で人数が増えたりする)、大手私鉄の経営参加はエリア拡大の他に、このような事態を収拾するという目的もありそうです。
流鉄の場合は既に京成がバス事業で流山街道を押さえていたので食指を伸ばされなかったんでしょうね。
国鉄武蔵野線開業の時点で補償を受けて廃線とならなかったところに、紀州鉄道的なものを感じます。
平和相銀/グループ化 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 2月 8日(木)22時12分16秒 返信・引用 編集済
平和相銀と来てピンとこないあたり、30年以上の時が流れたことを痛感しますね。私の世代だと金屏風とかパッと思いつくんですけど。
流鉄は今でも平和相銀の末裔ともいえる企業が株主に並んでいるわけで、その意味ではあれだけ騒がれて、平和相銀本体は住友に吸収されてペンペン草も生えないくらいに粛清されたというのに、生き残ってるんですね。
紀州鉄道のように「鉄道会社」のブランドを買った企業もありますが、流鉄の場合は鉄道が親会社に対する色眼鏡で見られてしまうという逆の影響があるのかもしれません。
さて、グループ化ですが、当然50%超の子会社化、また持分法でも1/3を超えて拒否権の取得、とまで行けば、経営を掌握できるわけですが、関鉄の場合は30%そこそことはいえ、代々社長が京成出身ですし、筆頭株主として影響力を与えていることは確かですから、十分意味はあるかと。
実質的には、小口の株主が多ければ、持分法の筆頭株主に対応しようにも、たくさんの株主を糾合して議決権で逆転することは事実上不可能でしょう。
平和相互銀行 投稿者:dai 投稿日:2018年 2月 7日(水)23時51分8秒 返信・引用
Wikipediaを見てみてください。
バイアスのかかったものの見方かもしれませんが。
TXに資本を入れている鉄道会社は関鉄だけなのも、管理人様ご指摘の京成の優先権の成れの果てなのかもしれません。
グループ化の意義 投稿者:神奈中沿線民 投稿日:2018年 2月 7日(水)18時55分16秒 返信・引用
前から思っていたのですが、鉄道会社が少し東京から離れた地方の私鉄やバス会社に出資する理由とはどういう意味があるのでしょうか? しかも子会社のようにその会社の経営を握れるならまだしも持分法適用会社ですからね。経営に参画できる、ということが大事なのでしょうか。
関東鉄道が京成の資本になると京成にとってどういういい意味があるのか? がよく分かりません。関東鉄道に出資したところでそんなに大儲かりするとは思えません。
これは他の鉄道会社においても同様で例えば、西東京バスは京王資本ですが、京王が西東京バスをグループ会社にしても、檜原村や奥多摩町などのエリアを京王が持つことの意義が私にはあまり見いだせないのですよね。
>船取線
船取線の「取」は取手ですが、取手のどこが終点だったのでしょうか?
dai様
>平和相互銀行の傘下
平和相互銀行の傘下だと国策に乗っかって…とはどういう意味でしょうか?
無知ですいません。
東武サイエンスシティライン/総武流山電鉄 投稿者:dai 投稿日:2018年 2月 7日(水)01時27分41秒 返信・引用
東武バス時代には岩井から北越谷まで直通していたことを考えると、伊勢崎線の複々線が北越谷で終わっているのも意味深な感じがしますね。
ただ東武は関東大手の中で唯一戦後の新線開通がない(高島平線や熊谷線にも消極的だった)ので、
エリア拡大と新線建設は切り離して考えていたのかもしれません。
流鉄ですが、総武流山電鉄時代には平和相互銀行の傘下にあったわけで、国策に乗っかってつくば延長(都心側は千代田線乗り入れ)という
噂があってもよさそうなもんですが、こちらも聞いたことがありませんね。
戦時統合にしても、似たようなロケーションの西武多摩川線と違って、東武にも京成にも併合されませんでした。
京成と茨城 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 2月 6日(火)22時13分41秒 返信・引用 編集済
京成がつくば直通というとそのまんま「筑波高速度電気鉄道」ですな。
筑波研究学園都市が具体化してきたのが1960年代ですから、南部縦貫への出資と同時期ともいえるわけで、あの黒歴史の「湾岸新線」的な大風呂敷を広げていた方がナンボかマシか、ということですね。
まあ投資簿価は20百万円。減資されて2百万円に過ぎず、20百万円の出資金で北東北に布石を打てるのは安いもんだ、と考えたんでしょうね。筑波に本格的に鉄道新線を作るとなるとそれこそ3桁は違いますから。
ただ、つくば関係で不思議なのは、1970年代後半からの常磐新線計画まで具体的な鉄道計画がなかったこと。学園都市のデザインは鉄道を前提としたものがあるやに聞いており、「誰かが鉄道新線を作る」という状態で見切り発車したのか、ひょっとしたら1930年代に免許失効とはいえ、あの「筑波高速度電気鉄道」の免許をいったんは引き継いだ京成に優先権がある、という暗黙の了解があったが、京成が動かなかった、ということかもしれません。常磐新線計画が動き出したのは京成が「暗黒時代」に突入してからであり、京成が動くことが絶望視された段階ともいえます。
京成が動かなかったのは、需要への不安でしょうね。首都機能の移転というより、研究開発部門の移転であり、移動需要がどのくらいあるのか、という未知の分野への恐れ。常磐線に並行し過ぎると共倒れだし、離れると都内の段階から田園風景が広がっていたわけです。高度成長期、常磐線の混雑は深刻でしたが、混雑の源泉はつくばではなかったわけですし。
ただ、関東鉄道とのコラボは特に常総線においては期待できたわけで、関東鉄道を持分法適用会社としたのは1950年代から60年代ですが、霞ヶ浦の観光ルート含みの鹿島参宮はともかく、常総筑波はそろそろ噂が出かけてきていたであろうつくばエリアに含みを残した進出かもしれません。単に筑波山の開発だけだと鉄道開業とセットであれば距離的に日帰り観光地になるわけで、うまみが少ないですし。
では京成がつくば新線を具体化させたらどうなっていたか。東武野田線の「妨害」は流鉄がTXとの交差協議に応じず営業補償を吹っかけた一件を思い出しますが、あり得る話です。ただ、東武がつくばに行くかというと、野田線から分岐して岩井、水海道を経て、という進出に全く動かなかったわけで、東武系の茨城急行バスも下妻に向かってしまいました。(ここからつくばエリアの大外を通るR125経由の国鉄バスが土浦〜下妻〜古河間にあった)
既存の路線を踏まえると、北千住に向かうのちの常磐新線ルートではなく、北総線ルートから船取線に沿って取手に出て、常総線に一部重なってからつくばエリアへ、というルートもあり得たでしょう。
今の新鎌ヶ谷で新京成、北総と並んで野田線を乗り越せば、東武も文句は言えないかと。
私鉄の賃率 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 2月 6日(火)22時12分37秒 返信・引用
私鉄各社の賃率は各社の戦略もあるので判断が難しいです。
典型なのが関西私鉄で、阪神や京阪は都市間輸送のステージでは「安い」と評判ですが、途中までに関しては怨嗟の声が上がるほど阿漕な賃率です。
例えば京阪、京橋から46.3㎞の三条まで410円に対し、18.8㎞しかない枚方市まで330円とか、阪神は梅田から31.2㎞の神戸三宮まで320円なのに、14.1㎞の甲子園まで270円とか、スタートダッシュで上昇して、中間点あたりからは一向に上がらない、といういびつな、というか極端な遠距離逓減です。
関東私鉄もその傾向がありますが関西ほどじゃないです。京成の場合は国鉄が値上げを繰り返した時期と経営危機の時期が重なって、上野−船橋で京成の方が高い、と新聞記事になったこともあるくらい、例外的に高かった経緯があります。
新京成は独自路線ですが、遠距離逓減というよりも一定のままで上げていっただけのようにも見えますね。バスもそうで、新京成の津田沼線とレインボーの神崎線が並行する成田街道沿いのルートを見ると、新京成がもともと並行していた新木戸までと、レインボーの縄張りだったミヤコシ以遠の格差が激し過ぎます。もちろんレインボーの近距離はそう高くないわけで、中距離以遠で稼ぐという発想があるかどうかの差でしょう。
Re: 私鉄の運賃水準 投稿者:神奈中沿線民 投稿日:2018年 2月 6日(火)21時20分45秒 返信・引用
> No.5535[元記事へ]
リリカルゆかりんさんへのお返事です。
> 京成の場合、経営が思わしくなかった時代が長かったせいもあり、その時代の値上げ時に他社より高い引き上げ率としたことが尾を引いています。
京成が他よりも値上げしたのですね。昔の大手私鉄がこぞって鉄道運賃が値上げしていた時代は知らないので、どうだったのかなあ、とは思います。
>神奈中沿線民様仰せの通りローカル線を多く抱えるところは高い傾向があり、東武も然りですが、一方で東武は加算運賃が全くないのは良心的ですね。
> 一方路線の奥行きが浅い=市街地にしか路線がない東急・京王・阪神などは安くなっています。
ただ、東武はローカル線に加算運賃がないというのはすごいと思います。それだけ首都圏で儲けているのでしょうが(15㎞ぐらいまでの短距離が高い)。
京王は北野〜高尾山口がローカルっぽいですが東武のローカル区間に比べれば全然違うでしょうからね。
北野〜高尾山口ぐらいではローカルとは言わないですね。
> また大手私鉄は例外なく、JRに比べると近距離は高く、遠距離は安い傾向があり。これはどの事業者も濃淡あれど共通なのが興味深いですね(定期も通勤はJRより高く、通学は安い傾向あり)新京成のほか関西の私鉄はその傾向が濃い一方、京急はさほど遠距離逓減がありません。
大手私鉄が相対的に近距離利用者が多いということなのかもしれませんね。遠距離が安いのはJRより高くすると乗ってくれなくなるというのが大きいような感じがしますね。新宿〜藤沢しかり新宿〜小田原然り。
西武なんかも近距離が高いですが、遠距離逓減が強いですね。あまり高くすると秩父に観光に訪れなくなるからという感じでしょうか。
京急は、三浦半島があまり儲かっていないのでしょうね。ただでさえ、品川〜横浜でJRとの競争にさらされており、路線長も長めなので思っているほどではないのかもしれません。小田急のようなほぼ完全独占ではないのが京急の大きな違いだと思います。
> もっとも新京成は近距離も安く、周辺の高額路線との差で物価の優等生ぶりが際立ちます。ただ東武を意識しているかといいますとそこまでの競合性はないかと思います。東武の県内もそうですが乗車距離が比較的短いために客単価はそう悪くなく、前述の東急や阪神も同様のことがいえます。
新京成は初乗り運賃で儲けているのでしょうね。短距離の方が長距離より儲かるとよく聞きますので効率がいいのかもしれません。
私が東武を意識しているのではないかと思ったのは柏〜船橋が310円なのでそれよりも若干安いから[松戸〜京成津田沼260円)と思ったわけです。運賃が高いと線形がクネクネしているから長距離利用も見込めませんからね。
そういう時代 投稿者:dai 投稿日:2018年 2月 6日(火)15時10分1秒 返信・引用
京急:1966年、久里浜線三浦海岸延長
東急:1961年、伊豆急行線開業
小田急:1955年、御殿場線直通開始
京王:1967年、高尾線高尾山口延長
西武:1969年、西武秩父線開業
東武:1958年、新大間々→赤城改称
京成が常総筑波や鹿島参宮の買収に乗り出し、また小湊に海士有木〜京成千葉間の免許を出させたのもこの時代ですよね。
なぜ京成は茨城を目指したか 投稿者:dai 投稿日:2018年 2月 6日(火)10時08分10秒 返信・引用
先日管理人様から京成沿線の神社仏閣の多さが言及されましたが、これは京成的には自社主導の観光開発を進めにくい側面があります。
これは東武も同じで、二社一寺の力が強い日光とは別に赤城山を開発しようとしていました。
ここでひとつ不思議なのは、当時の京成には南部縦貫鉄道に出資する資本力があったのに、都心と筑波山を直結しようとしなかったこと。
これも東武が野田線の壁で妨害したのかな?
私鉄の運賃水準 投稿者:リリカルゆかりん 投稿日:2018年 2月 6日(火)00時48分24秒 返信・引用
京成の場合、経営が思わしくなかった時代が長かったせいもあり、その時代の値上げ時に他社より高い引き上げ率としたことが尾を引いています。70年代初めまでは特段高い水準ではなかったのですが。神奈中沿線民様仰せの通りローカル線を多く抱えるところは高い傾向があり、東武も然りですが、一方で東武は加算運賃が全くないのは良心的ですね。
一方路線の奥行きが浅い=市街地にしか路線がない東急・京王・阪神などは安くなっています。
また大手私鉄は例外なく、JRに比べると近距離は高く、遠距離は安い傾向があり。これはどの事業者も濃淡あれど共通なのが興味深いですね(定期も通勤はJRより高く、通学は安い傾向あり)新京成のほか関西の私鉄はその傾向が濃い一方、京急はさほど遠距離逓減がありません。
もっとも新京成は近距離も安く、周辺の高額路線との差で物価の優等生ぶりが際立ちます。ただ東武を意識しているかといいますとそこまでの競合性はないかと思います。東武の県内もそうですが乗車距離が比較的短いために客単価はそう悪くなく、前述の東急や阪神も同様のことがいえます。
地下鉄は建設費の償還が重いために、特に近距離では割高(しかも近距離客が圧倒的に多い)ですが、隣接駅間を100円としている福岡の地下鉄は優れていますね。東京メトロは他の事業者より安いだけでなく、長距離運賃は特に割安で、結果として東西線の県内区間や和光市あたりが非常に恩恵を受けるという構図になっています。
京成と東武の運賃比較 投稿者:神奈中沿線民 投稿日:2018年 2月 5日(月)23時16分0秒 返信・引用
最近気づきましたが、京成は東武よりも微妙に運賃が高い区間が多いですよね。大体同距離で東武+10〜30円ぐらいが多いです。東武も群馬にたくさんローカル線がありますがそれよりも京成の方が経営が厳しいということなのでしょうか。
新京成は初乗りや短距離区間が少々高めですよね(京成よりは安いですが)。ただそのあとの遠距離逓減がすごいですが。これは東武野田線の柏〜船橋を意識しているのでしょうかね。
Re: 東武と京成の境界など 投稿者:神奈中沿線民 投稿日:2018年 2月 5日(月)19時36分3秒 返信・引用
> No.5531[元記事へ]
エル・アルコンさんへのお返事です。
> エアポート成田が何気に競争力がある証左として、京成のリムジンバスが千葉−幕張−成田空港と運行することもあってか、千葉発着が極小化して事実上稲毛海岸、幕張新都市リムジンと化したことでしょう。一方で新参の草野車庫−稲毛−成田空港線は路線自体がかなり厳しいわけで、地味ながら強みを発揮しています。
やはり1時間に1本でも効果は絶大ということですね。
> さて、陸上交通事業調整法と陸運統制令によるエリア分けですが、茨城県は京成も東武も関係なく、県南の常磐線以西(以北)が常総筑波、以東(以南)が筑波参宮で、県央が今の茨城交通、県北が今の日立電鉄です。京成の関鉄系各社への資本参加は1950年代です。
何で京成は関東鉄道に出資したのでしょうかね?
あまり儲かりそうなエリアでもないのに。筑波山の観光客目当てですかね。
> 新京成は地味に柏市に侵食しているんですが、黎明期の一時期は柏駅に乗り入れていたようでもあり、今はなき五香駅−北小金駅の路線は柏市域(逆井地区)を通り、今も柏陵高校方面は柏市を通りますが、1954年に柏市に合併されるまでの土村であり、土村、小金町までが新京成、ということもいえます。
ただ、今も東武には「土小学校」というバス停がある通り(1日3本だけですが)、土村は東武も通っていたようですね。
北千葉道路西側 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 2月 4日(日)22時30分47秒 返信・引用
インバマルコさんのおっしゃるように草深ランプの出口は舗装が完了していましたね。線路側の擁壁というかガードレールが仮設然としていて、道路側に食い込んでいるようでもあり、せっかく延長した合流車線の有効長を減殺しています。
出来上がってみると「伸ばしたの?」というくらい短く見えるので、開通後がどうなることやら。
さて、北千葉道路の西側を見てきたんですが、松飛台、大町団地、紙敷あたりはおそらくこの空間だろうな、という空間はあるのですが、ここと断言できる状況ではありません。
高塚交差点北方でr51と交差し、パチンコ店のあたりでR464現道と交差し、梨香台の脇を経て北千葉JCTに向かうはずですが、現地を見て思ったのが、松戸市川市境を越えた稲越町のあたりで台地から平地にという高低差があり、台地側は民家が密集しており、ここが難物ということ。平地に降りると遊水地と川、そして北千葉JCT用地と思しき広大な空間がありますが、JCTらしい空間として土地が確保されているわけではなく、外環とは全く別に動いています。
高低差というと大町駅西方の北総線交差部が谷底で、そこから串崎新田交差点付近の台地にどう取り付き、現道と交差するのか。高架であれば高低差が大きく、さらにその先新京成車庫を高架アンダーどちらで交わすのか。
民家もそれなりに建て込んでおり、一筋縄でいきそうにない感じです。
東武と京成の境界など 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 2月 4日(日)22時19分6秒 返信・引用
エアポート成田が何気に競争力がある証左として、京成のリムジンバスが千葉−幕張−成田空港と運行することもあってか、千葉発着が極小化して事実上稲毛海岸、幕張新都市リムジンと化したことでしょう。一方で新参の草野車庫−稲毛−成田空港線は路線自体がかなり厳しいわけで、地味ながら強みを発揮しています。
さて、陸上交通事業調整法と陸運統制令によるエリア分けですが、茨城県は京成も東武も関係なく、県南の常磐線以西(以北)が常総筑波、以東(以南)が鹿島参宮で、県央が今の茨城交通、県北が今の日立電鉄です。京成の関鉄系各社への資本参加は1950年代です。
千葉県東葛地区と東京城東の京成と東武の境界線は自治体に従っているようでもあり、足立区は東武、葛飾区は京成、という感じですね。松戸、流山は京成で、野田は東武というか茨急。ただし松戸のうち馬橋や北小金界隈は新京成と複雑です。
新京成は地味に柏市に侵食しているんですが、黎明期の一時期は柏駅に乗り入れていたようでもあり、今はなき五香駅−北小金駅の路線は柏市域(逆井地区)を通り、今も柏陵高校方面は柏市を通りますが、1954年に柏市に合併されるまでの土村であり、土村、小金町までが新京成、ということもいえます。
千葉で空白域が阪東の元々のエリアや東洋のエリアである印西、印旛、八千代(阿蘇)で、戦前にバスの進出がなく、独立系として運行を開始したエリアです。印旛沼の干拓完成前で道路がない状態でもあり、我孫子線と京成線を結ぶという状態でもなかったので、独立系が地域の足となったようです。
阪東は東武系になり、我孫子や柏、沼南で東武とすみ分ける格好でエリアを確保しましたが、東洋は八千代市内から千葉市にかけて新川、花見川に沿う格好で独自のエリアを築いています。
路線バスのエリア 投稿者:神奈中沿線民 投稿日:2018年 2月 4日(日)22時16分21秒 返信・引用
総武線沿線の路線バスは、途中までは都営ですが小岩以東は京成グループほぼ一辺倒、
東海道線は大東急系(京急・東急・神奈中など)と市営、
宇都宮線と高崎線は大宮までは大東急系の国際興業がほとんど(浦和・大宮西口周辺に西武、大宮東口・北方向周辺に東武はありますが大規模展開とは言い難い)ですが、
常磐線はdai様の仰る通り、北側が東武、南側が京成ということになっているものの
常磐線の北側の八潮も京成が一部運行しており、松戸〜南流山〜江戸川台までが京成、その代わり(?)柏は南側も東武バス(昔は高柳まで東武バスが乗り入れていた)、我孫子も東武系、取手以北の茨城県内は京成系になっておりごちゃごちゃしていますよね。
中央線は北側も南側もごちゃごちゃしていますよね。
北側は吉祥寺までは大東急系の関東バスと西武が両方運行しており、三鷹〜国分寺は西武、国立は小田急系の立川バス、立川も小田急系の立川バスと西武、日野から先は京王と京王系の西東京バスになります。
南側は荻窪付近までは関東バス、吉祥寺〜武蔵境は小田急、武蔵小金井〜国立は京王、日野以降はやはり京王で占められています。
常磐線が東武と京成の縄張り争い、中央線の南側が京王と小田急の縄張り争い、北側も関東バス、西武、小田急系(立川バス)の縄張り争いがありますね。
千葉市からの成田空港アクセス 投稿者:鎌取駅利用者 投稿日:2018年 2月 4日(日)21時13分0秒 返信・引用
ビートラ西岬観光の乗り合いタクシーが、1月末日をもって終了してしまいましたね。2月三連休に利用したかったのですが、残念です。稲毛または海浜幕張からのバスもありますが、やはりエアポート成田が一番よさそうです。
船橋駅/常磐線筋の路線バス 投稿者:dai 投稿日:2018年 2月 4日(日)15時59分31秒 返信・引用
戦時中は川越駅に西武新宿線と川越線の非公式な渡り線があったようですから、船橋駅も同様だったのでは。
陸上交通調整法(いまだに有効な法律ですね。第一交通産業進出前の沖縄で発動されかけたような)では常磐線が東武と京成の結界ですが、
今でも金町と松戸では東武側も京成バスがメインですね。
これが柏になると京成側も東武バス、我孫子も東武系の阪東自動車なのに、取手は東武側が京成系の関東鉄道になります。
さらに京成バスは埼玉県内に戸ヶ崎操車所という拠点まで擁していますね。
直通と本数、そして荷物 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 2月 4日(日)13時04分54秒 返信・引用
エアポート成田の「上下格差」は、空港行きは狙い乗車できるが、空港発は出来ないということに尽きますね。
空港駅に辿り着いたらちょうど出たところで小一時間待ち、ときて待つかどうか。総武快速を使いこなすような人であれば、待つくらいなら乗り換えや上下移動があっても京成にするか、となるでしょうし、都内や横浜方面であれば、運が悪かったと諦めてNEXに乗るのでしょう。それと、疲れてるから特急にしよう、という人もいるのでしょうね。
NEXと快速を毎時2本ずつというダイヤは現行設備でも可能であり、早々に実現してほしいものです。君津快速を拡充するよりも先にすべき施策でした。あるいは我孫子線を直通させて快速系は1本が総武快速、1本が常磐快速で、それぞれ成田始発の常磐快速、総武快速に接続、とすればいいでしょうね。特快化も魅力ですが、新小岩や市川、稲毛といった中間駅の需要への対応(京成との競合)を考えると、直通と本数がサービスと割り切ってもいいでしょう。
エアポート成田の設備で不満なのが荷物への対応で、特にグリーン車が全く対応できていないのが問題です。
国内線プロペラ機材対応のスーツケースでようやく網棚に上がるレベルでは、平屋部分にしか乗れない上にそれでも限定的ですから、グリーン車乗車を躊躇してしまいます。
軍事輸送を念頭に置いたか 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 2月 4日(日)12時49分54秒 返信・引用
もともと北総鉄道(船橋−柏)が野田の醤油資本の要請で建設された経緯があるし、非電化とはいえ規格も統一されていたので、総武鉄道として一貫で東武になるしかなかったわけです。
面白いのはこの時期京成はバス事業で松戸地区から流山、野田、沼南南部(藤ヶ谷)、白井に進出していたわけで、トレードオフの格好になっていますが、その意味ではまだ東葛地区は総武線側を除き京成の縄張りという印象も薄かったのでしょう、だから柏−船橋間が東武になっても京成の縄張りを大きく浸食したようには見えなかったのかもしれません。
ただ、野田線南部が貨物輸送で機能したかというと謎ですね。複々線化前の船橋駅の配線図をネットで見たことがありますが、貨物列車の受け渡し線がないんですよね。通常なら野田線ホームの外側、あるいは野田線と総武線の間に貨物側線があり、両国、千葉両方向に出せて然るべきですが、それがない。短命に終わった海神線も、京成の成田延伸時の砂利受け渡しが主たる用途だったわけです。都内方向は袋小路の総武線に向かう意味がなく、千葉方面も1926年に新金線が出来ており、それ以前は東武亀戸線経由で常磐線と受け渡しをしていましたから、常磐線〜総武線千葉方面の貨物需要がどれだけあったかというと疑問ですし、野田の醤油を船橋受け渡しで総武線に流してもどこが目的地か。
陸上交通事業調整法での統合は、一つには軍事輸送が念頭にあったのでしょう。
東京湾要塞の房総半島側への貨物輸送について、新金線でスイッチバックを繰り返すか、我孫子線経由の大迂回か(旧千葉駅はそのまま房総西線に行けたが)、という細道であり、常磐線、東北線などへの連絡を踏まえて船橋接続ルートの確保は意義があったのでしょう。
Re: 続・陸上交通調整法 投稿者:神奈中沿線民 投稿日:2018年 2月 3日(土)22時37分52秒 返信・引用
> No.5523[元記事へ]
daiさんへのお返事です。
> 神奈中沿線民さんへのお返事です。
>
> 当時の京成は路面電車に毛が生えた程度だったでしょうから、国鉄規格の貨物列車を運行するノウハウがなかったでしょう。
>
確かにその通りですね。東武は貨物輸送由来でしたから国鉄への貨物受け渡しも得意でしょうからね。
そして京成は、路面電車で貨物輸送はしたことないはずですからね(そもそも当時でさえレール幅が違う)。
だから東武野田線は船橋・柏・大宮それぞれ国鉄と駅舎が同じなのかもしれませんね。京成は船橋で乗り換えることができるとはいえ、微妙に離れています(あの微妙さが何かの歴史を感じます)。
やはり国鉄と競合する路線ではなく別のルートに路線を引いて国鉄仲良くしていた方が会社にとっては良かったのかもしれません。
北千葉道路 草深IC 進捗について 投稿者:インバマルコ 投稿日:2018年 2月 3日(土)20時51分22秒 返信・引用
本日、草深ICそばを通ったのですが、進捗が感じられましたのでご報告致します。
工事の看板には「2月28日まで」との記載がありました。一週間前にはなかったと記憶しています。
また、アスファルトも敷かれ、ラインも引かれていたので、開通可能な状態に近いと思います。
今年度中の開通だったので、まぁそろそろといえばそろそろてすが、カインズホームそばで降りられるので、開通するととても便利です。その一方でまた渋滞が起きないかという懸念もまだあるかといったところでしょうか。
Re: 続・陸上交通調整法 投稿者:dai 投稿日:2018年 2月 3日(土)20時31分22秒 返信・引用
神奈中沿線民さんへのお返事です。
当時の京成は路面電車に毛が生えた程度だったでしょうから、国鉄規格の貨物列車を運行するノウハウがなかったでしょう。
Re: 続・陸上交通調整法 投稿者:神奈中沿線民 投稿日:2018年 2月 3日(土)18時57分1秒 返信・引用
> No.5521[元記事へ]
daiさんへのお返事です。
> ごく最近まで千葉県内への貨物列車は新金線経由だった訳ですが、野田線柏〜船橋間を東武にしたのは、
> 新金線が空襲被害に遭うことを想定したのかもしれませんね。
>
野田線柏〜船橋が京成だとまずいのですか?
続・陸上交通調整法 投稿者:dai 投稿日:2018年 2月 3日(土)15時51分11秒 返信・引用
ごく最近まで千葉県内への貨物列車は新金線経由だった訳ですが、野田線柏〜船橋間を東武にしたのは、
新金線が空襲被害に遭うことを想定したのかもしれませんね。
阪和電気鉄道を南海が一旦統合して、戦時買収で国有化したような流れを想定していたのかもしれません。
陸上交通調整法/エアポート成田 投稿者:dai 投稿日:2018年 2月 3日(土)11時29分59秒 返信・引用
柏〜船橋間も含めて東武になったのも、貨物輸送の影響が大きいのでは。
同時期に似たようなロケーションの川越〜大宮間で、西武の軌道線を廃して国鉄川越線が建設されるという動きもあったわけです。
エアポート成田は空港行はそれなりに乗ってますが、空港発はガラガラなイメージがあります。
空港行は定時性が評価されて選ばれるけど、空港発は本数の少なさが仇となって京成やバスに分散するんでしょうかね。
京成を蹴散らす私鉄 投稿者:神奈中沿線民 投稿日:2018年 2月 3日(土)10時30分36秒 返信・引用
> No.5513[元記事へ]
エル・アルコンさんへのお返事です。
>千葉県内に公団住宅が続々完成した高度成長期であれば京成を蹴散らすような高規格の私鉄ができたかもしれませんが
なんというか、京成線がもうちょっと高規格であればなあ…という印象は拭えないですよね。
上野〜津田沼まではカーブが多くクネクネしており速達とは無縁の本当の路面電車のようですからね。
やっと成田スカイアクセスが誕生してようやく「私鉄」らしくなったかな、という印象です。
別な私鉄ができて競合させていればまた違っていたのかもしれませんが、神奈川の東急・小田急などと違い千葉は京成とそのグループの一点張りですからね。
バス会社も千葉駅周辺まではほとんどが京成グループになっています。陸上交通調整法の影響が大きいのかもしれませんね。
現・新京成電鉄が西武に行っていれば、この辺りもまた違っていたでしょうね(苦笑)
西武バスが恒常的に鎌ヶ谷あたりで見られていたりして。
ただ千葉県の覇権を握っている京成ですが、東武野田線の船橋〜柏間でここだけは京成が入り込めませんでしたよね。陸上交通調整法がありながらも埼玉・群馬・栃木中心の東武がここだけ守れたのも不思議です。
しかもかなりのドル箱区間です。
新京成よりは線形もよく今後急行運転するようになれば新京成からさらに客を奪えるような気もします。新京成は新津田沼とJR津田沼の乗り換えが不便なのに対し、東武は船橋の乗り換えは便利ですからね。
エアポート成田の存在 投稿者:神奈中沿線民 投稿日:2018年 2月 3日(土)10時15分38秒 返信・引用
やはり単線がネックなんですね。こればかりは仕方がないですね。成田まで複線で成田空港が単線というのもどうかと思いますがね。JRと京成とレール幅が同じであればお互い融通しあえたのにと思わざるを得ません。
なんだか私から見れば「空港直結にしては存在意義の薄い微妙な電車」「ただ千葉ローカル輸送で成田まで行っているものを成田空港まで伸ばしただけ」というイメージが拭えなかったもので(内房線直通の君津行きなどは空港直結ではないので1時間に1本でもあまり何も思いませんが)。リリカルゆかりん様の仰る通り、空港従者者の通勤定期の値段などを勘案するとそれなりの需要があるということなのでしょうね。分かりました。皆さま回答ありがとうございます。
でもJRはあまり力を入れてないような感じがしますよね。成田エクスプレスと違いほとんど宣伝もしていないし、地域ローカル輸送とそんなに変わらないような雰囲気ですよね。
もちろんJRとしては特急料金が取れる成田エクスプレスに誘導したいと考えるでしょうけどね。
JRの一般列車 投稿者:リリカルゆかりん 投稿日:2018年 2月 3日(土)09時13分49秒 返信・引用
エアポート成田についてはこの掲示板でもたびたび改善すべきという意見が出ているのですが、やはり空港側の単線がネックになります。それでも毎時2本は必要ですし、そこまでであれば可能なので、完全毎時2本化が望まれます。うち1本は特快とすれば(停車駅は錦糸町・船橋・津田沼・千葉・都賀・四街道・佐倉)とりあえずは及第点という水準になります。
いろいろと問題の多いエアポート成田ですが、千葉市からの需要は独占していますし、京成と競合のある駅でも通勤6カ月定期の価格で圧倒的に優位(遠回りになる船橋でも京成より安い)ですので空港への通勤需要での役割は大きいです。
また荷物の多い旅行者は乗換への抵抗が大きいですから、直通だけでも相当な利点であり、総武線内のNEX通過駅に加えて、その先航空需要が多い横須賀線沿線在住者、さらに数は多くないですが有力な観光地である鎌倉、米軍関係の需要がある横須賀などにも乗換なしで行けることも快速を選択する理由になります。
NEXが新宿系統シフトの傾向なのも、横浜系統は快速と競合する(京成京急ルートとの競合もありますが)というのが一因ですし、
とはいえ、繰り返しになりますがそのようなポテンシャルを活かせていないのは残念(鎌倉直行も首都圏以外の人にどれだけ知られているかのか)であり、ダイヤの改善や快速利用に対応した企画商品(これはNEX対象商品の特急券別売化という改悪で実現する可能性がありますが)の拡充などをする必要があります。
快適性についてもE217が長距離乗車向きでないアコモなのは事実ですが、これもE235?への置換えで改善されそうでしす、現状でも長距離のグリーン料金は割安感がありますから、企画商品+グリーン券という利用法などもPRすべきでしょう。
Re: 意外と乗っている 投稿者:神奈中沿線民 投稿日:2018年 2月 2日(金)23時46分58秒 返信・引用
> No.5515[元記事へ]
エル・アルコンさんへのお返事です。
あ、結構利用があるのですか。私が見た時間帯(日中と夕方の下り)はガラガラだったので。大変失礼致しました。
確かに京成の快速は京成津田沼以東は各駅停車ですから遅いですし、千葉経由で遠回りのエアポート成田でも大して変わらなさそうですね。
京成の無料特急が運行するとたちまち所要時間的には負けるでしょうが…。ただあの無料特急も京成佐倉〜京成成田が各駅停車なんですよね。昔は快速特急と同じ停車駅だったようですが、やはり需要が少ないので各駅停車の肩代わりをするようになったのでしょうね(京成佐倉〜京成成田が特急通過していた時代は京成は利用したことがないのでわかりません)。
そうですね。スーツケースを持って移動という観点をすっかり忘れていました(汗
当方、たまたま先日、成田空港ではなく「成田駅周辺」に用事があり総武線で船橋まで行き、京成の特急に乗り換えたところスーツケースを持った人たちが溢れていました。
帰りはたまには京成でなくJRで帰ってみようと思い成田空港始発の総武線快速直通に乗ったところ見事ガラガラで、大丈夫かあ、と思ってしまったわけです。そのまた以前成田から京成で無料特急で船橋まで行ったときは成田の時点で座れなかったので「京成一人勝ち」だと思っていました。
ということでスーツケースなど持っていなかったので船橋の乗り換えも楽ちんだから何も気づきませんでした。
確かにスーツケースを持っていたら船橋〜京成船橋は少しきついですね。東武野田線とJR線みたいに駅舎が同じならまだいいものの京成は少し離れていますからね。
仰る通り、京成の駅はどこも駅前広場がなく、車が乗りつけにくい状況ですよね。京成電鉄のグループの京成バスでさえ、京成の駅は「〜駅入口」でほぼスルー気味ですからね(苦笑)
そういえば、京急も駅前広場はない駅が多いですね。横須賀中央でさえロータリーがないです(ロータリーはJRの横須賀にあります)。旧路面電車の宿命? 東武とか西武には駅前ロータリーがある駅が多いのですが。
錦糸町、新小岩、それに亀戸や平井も…確かに京成では行きにくいです。
そう考えると1時間に1本という本数ながら、やはり成田エクスプレスでは補えない需要がたくさんあるということですね。千葉止まりはどうか、などといって失礼致しました。千葉駅の広い駅構内でスーツケース転がすのも大変ですからね。
逆に1時間に1本は不便だと思いますか?
意外と乗っている 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 2月 2日(金)22時56分44秒 返信・引用
これが意外と乗ってるんですよね。特に本線特急が無い早朝は津田沼段階でスーツケース持ちが目立ちます。
京成も快速だと船橋段階ですら互角になってしまうわけで、さらに京成が離れる新小岩や錦糸町では唯一の空港アクセスです。
特急相手では旗色が悪く見えますが、乗り換えにかかる時間や手間を考えると、そこまでの時間差ではないですし。
注意すべき点として、船橋での乗り換えは普段ならいいですが、スーツケースを持っている状態でインセンティブが働くかということ。それと、駅までのアクセスの問題。京成の駅はクルマやタクシーで乗り付けにくい構造です。特急停車駅の八幡はその典型、船橋も厳しいですよね。どちらかというとJR駅側の施設です。
市川市内では市川に快速が停まるけど、京成は八幡になってしまい、市川真間や国府台は送迎対応も厳しいので、棲み分けが発生してますね。市川在住の上司に仕えていた際、海外出張では「エアポート成田」一点買いでした。船橋で乗り換えることもしてませんでしたね、乗り換えられるということは知っているはずの人でしたが。
総武線快速〜成田空港の直通 投稿者:神奈中沿線民 投稿日:2018年 2月 2日(金)22時26分44秒 返信・引用
皆さまの「鉄道の成り立ち」という大変面白い話の流れを切るようで本当に申し訳ないのですが、
総武線快速〜成田空港の無料直通電車(下りは「エアポート成田」という名前がついていますが)の存在意義はどのぐらいあるのでしょうか?
ガラガラで15両で空港に行くぐらいなら、209系の房総ローカルの車両を使い、千葉〜成田空港の普通電車の折返し運転でもいいような気がしますが(朝夕には空港従事者向けらしきもので現在もありますよね)どう思いますか?
大体の時間帯で1時間に1本しかなく、特急料金を払いたくない人は千葉〜JR佐倉付近の住民でない限り京成に流れると思います。京成の本数の方が無料特急も1時間に3本で多いですし船橋まで行けますからね。現在は成田スカイアクセスもあります。
それにエアポート成田は横須賀線の影響を受けるので、遅れも起こりやすいです。
もちろん車両の運用上の問題や千葉以西〜成田間のローカル輸送の観点などいろいろあるのでしょうが。
「エアポート成田」という言葉とは裏腹にどちらかというと千葉以西〜成田のローカル輸送のついでに成田空港まで行っているという感じでしょうかね。
武蔵野鉄道/大軌/千葉県内陸鉄道 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 2月 2日(金)11時30分49秒 返信・引用
そうですね、東上線、伊勢崎線も貨物輸送を前提とした蒸気鉄道が出自ですし、武蔵野鉄道も最初は蒸気鉄道でした。
この地域の鉄道の元祖ともいえる川越鉄道が入間、狭山エリアの養蚕を主客として国分寺で甲武鉄道に接続でよしとしたわけで、それくらい「儲かる」事業だったのかもしれません。
ただ、武蔵野鉄道は前述のとおり社債償還が出来ずに抵当を実行されたり電力を制限されたりと極めて厳しかったのですが、これも秩父を目指した吾野延伸がダメ押しになったという話もあります。ただ、秩父延伸後はセメント列車が行き交い、当初は池袋で国鉄と受け渡しをしていたくらいですから、貨物の存在が大きかったようです。
このあたりが標準軌のなんちゃって軌道が中心の関西私鉄との違いでしょうね。もちろん貨物輸送がなかったわけではなく、山陽電車のように貨物扱い側線の跡とそこに隣接する通運会社の倉庫、という国鉄チックな光景が残るケースもありますが、国鉄との受け渡しができませんから、どうしても限定的になります。
ちなみに近鉄奈良線、当時の大軌ですが、あれで「軌道」なんですよね。大阪市内と奈良市内で併用軌道区間を持つことで「軌道です」と言い張ったようですが。
で、大軌が目指した奈良ですが、人口規模は千葉と大差ないとはいえ、周辺の村落の展開、また移動需要の多寡が違いますよね。
それと、生駒を越えるという意味では暗越と清滝街道があるわけで、蒸気鉄道では不可能なため王寺、柏原経由になった関西鉄道〜官鉄に対し、旧街道をトレースする形で短絡したともいえます。近世以前でも、官道が大和路線ルートのところ、短絡する暗越が賑わっていたわけで、歴史は繰り返すを地で行っています。
翻って海側ルートで千葉を目指すとした場合、大軌のように顕著な短絡効果を出しづらいのが厳しいですね。
京成黒歴史の湾岸新線もそうですが、都心ターミナルをどうするのか、という問題も出てきます。総武線は当時としては破格な構造物を建設して秋葉原から御茶ノ水に向かいましたが、まさか都電の一大ターミナルでもある亀戸で総武線乗り換えというわけにもいかないでしょうし、全く独立した地点で都電接続だと、かつての名鉄小牧線上飯田も真っ青の状態でしょう。さりとて江戸時代に市街地化されていた浅草以南の隅田川右岸に山手線まで線路を敷くことは困難です。
震災復興計画に織り込めるタイミングであればわかりませんが、あれも既存権益により骨抜きになりましたし、戦災復興もまた然りで、南下すればさらに隅田川の分流が発生して架橋の手間となります。
地下鉄での接続しかないわけですが、城東や千葉方面にそこまでの資本力はなく、既存財閥にしても千葉方面で投資が回収できると読めるかどうか。
千葉県内に公団住宅が続々完成した高度成長期であれば京成を蹴散らすような高規格の私鉄ができたかもしれませんが、陸上交通事業調整法が亡霊のように生きており、蹴散らされるべき?京成が当該エリアの主として公認されていたため、どうしようもなかったのでしょう。実際、京葉地区内陸部を走る「千葉県内陸鉄道」「千葉山手線」の構想が1970年代に県によって検討されていたわけで、船橋付近に至る予定の地下鉄各線や京葉線を前提にした構想であることを考えたら、可能性があったかもしれません。
西武池袋線 投稿者:dai 投稿日:2018年 2月 2日(金)02時20分35秒 返信・引用
旅客より貨物重視で武蔵野を突っ切ったのではないでしょうか?
戦後になっても黄金列車が走れるほど開発が進んでいなかった訳ですし。
朝な夕なに 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 2月 2日(金)00時45分54秒 返信・引用
またぞろ雪の予報ですが、昨夜から今朝も運転見合わせに悩まされました。
昨夜は「横須賀線は、総武快速線内の人身事故の影響で、東京駅で折り返し...」と流れる案内に、せめて運転再開であってくれという願いも虚しく運転見合わせだったのですが、どうせ新小岩、と思ったら期待を裏切らない状況で、人海戦術の警備は一体、という有様です。
早帰り強制の水曜日だったのが却って徒となった格好で、19時15分の復旧予告に15分程度なら待つかどうか悩みましたが、どうせダイヤは混乱しているでしょうし、繰り下がりのリスクもあるので振替にしました。
雪の日に京成線を使ったので、今回は東西線。新橋で銀座線に乗り、日本橋で乗り換えという楽なルートにして、日本橋で先発が東葉勝田台行きとラッキーでしたが、振替客が集中して激混みでした。
15000系だったの乗りやすかったのが不幸中の幸いでしたが、スマホを楽しむために自分の前に空間を確保して後ろを押すバカの多いこと。人の腕にスマホを押し付けて空間を確保しようとする論外のバカもいるわけで、そのスマホをしまえば扉あたり10人は乗れて積み残すこともないのに、事業者はもはや歩きスマホ云々ではなく、混雑時の立客のスマホ使用を禁止してほしいですね。空間を確保して人間本体は通路のど真ん中に立ちはだかる超弩級のバカも少なくなく、迷惑というようなかわいい話ではありません。
南砂町まで詰め込む一方だったのに、西葛西でドッと降り、葛西ではつり革が空き、入れ替わりもあり座れました。
葛西で快速退避ということもあったのでしょうが、総武線直通中止のため快速は西船橋止めなので、東陽町で快速狙いの人はそう多く見えませんでしたから、やはり葛西地区の利用が多いわけです。ただ、振替客が来ても葛西でこうなるのであれば、この混雑は恒常化しているか、葛西から先はかなり空くというわけで、西船橋方面への直通需要が減少して葛西地区の需要が大きいというアンバランスが顕著です。
ちなみに快速に乗り換えていれば、通常なら妙典で1本前の東葉勝田台行きを追い抜くダイヤですが、混乱時はうまくいかないリスクもあるので、快速には乗りませんでした。
そして今朝は770Fに乗っていたんですが、東京トンネルを出て15番への分岐を越えてさあ品川、というところで急停車。
非常無線受信とのことですが、程なく東海道線新橋での人身事故との案内。数分で動き出しましたが、停止時点で既にホームにかかっており、自駅でないと分かっているのだから場内に入っている電車は停止位置まで進行出来るとか、何とかならないものか。
西大井引き返しも考えましたが、動いているのが横須賀線と湘南新宿だけなので西大井で乗れないリスクもあるので見合わせ。
当該が東海道線下りなので程無く山手線、京浜東北線は運転再開と読んでいたら予想通り運転を再開しましたが、運転間隔がめちゃくちゃで混乱。乗り込んだ山手線は間隔調整で2分停車のはずが、遅れ増幅でさらに5分停車となり、まさかの品川7分停車でした。
私鉄のモデル化 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 2月 2日(金)00時44分28秒 返信・引用
街道と鉄道の関係ですが、大山街道は厚木以東で田園都市線に並行していましたね。その意味で開発型路線である田都も開発の基本軸として大山街道があったわけです。実際、荏田とか旧家が目立つ集落もありますし。
小田急は町田まで脇街道としての津久井道に沿っていますが、これは大山街道沿いよりも平坦ということが大きいでしょうね。
そんなこんなで粗っぽく分類したら、街道沿いに輸送が近代化された格好の路線、都市間連絡の路線、そして沿線開発型と、神社仏閣など目的地型の路線といったところです。
東急は田園都市線が開発型ですが、多摩田園都市計画自体が大山街道をトレースしており、完全に無から有を生んだともいえません。母体の目黒蒲田電鉄も田園調布の開発への足付けですし、東京横浜電鉄も田園調布の開発と、東横間の都市間連絡です。その意味で街道沿いの輸送を近代化した格好の路線とは一線を画していますが、そもそも行って横浜までという「都市圏内」の鉄道という側面もあります。一方で玉川線(玉電)は大山街道沿いに敷かれたわけで、街道沿い鉄道の一環ともいえます。
開発という意味では、旧江戸市街の周縁部に広がる農村地帯が明暗を分けたわけですが、このあたりは地主の先見性でしょうね。
特に大正期の急激に進む東京市の拡大や震災を受けて、当時の郡部の各村の中で見られた耕地整理の動きが総てと言えますね。代表格としては玉川や野方があります。
実は性格が見えないのが西武で、旧武蔵野鉄道の池袋線に沿った街道がありません。所沢、飯能を結んだ路線は都市間路線とも言い難く、かといって自社開発でもありません。大正末期に堤康次郎の箱根土地会社が大泉学園の開発を行っていますが別会社です。
だから経営は厳しく、昭和初期には運賃収入を差し押さえられたり、電力供給を絞られて速度が出せないという伝説になった事件もあり、その後箱根土地の傘下に入っていますが、どういう成算で今のルートを選んだのかは謎です。
ロールモデルとしての近鉄奈良線 投稿者:リリカルゆかりん 投稿日:2018年 2月 1日(木)21時51分57秒 返信・引用
dai様ご指摘のとおり旧来の街道筋と関係ないエリアにブルーオーシャンを求めた私鉄は
東急と阪急(京都線系以外)ですね。まっさらに近い土地を自社主導で街にしていったという手法で他の大手私鉄とは別格といえますし、現在でも企業集団の規模としてみれば両社と京成では懸河の差があります。これ以外では西武池袋線や近鉄奈良線もやはり旧街道を関係なく、しかも決して好条件といえないような建設当初あまり需要を見込めないような経路で建設されています。
前回投稿で書きました海側ルートの私鉄として考えた路線のロールモデルがこの近鉄奈良線なのですが。この路線は旧来の街道筋を全く無視して阪奈間を最短経路で結ぶような線形が採られ、
1914年の開業当時としては大変な難工事であった生駒トンネルの貫通、
それでも生じる急勾配に対応した高出力車の投入といった相当思い切った資金投下をしています。一方で需要源は街道筋を外した路線ゆえに限られ、上本町が市街地の外縁に近く、あとは生駒が宝山寺の門前町であったものの、ほぼ大阪市と奈良市の都市間需要に限られるといってよい路線でした。
奈良市は平城京以来の都というイメージがありますが、実際には平安遷都以降は東大寺と春日大社の門前町でありそれなりに賑わっていたとはいえ、1920年の第一回国勢調査では人口が4万1千に過ぎず、門前町+県庁という産業構造でした同国勢調査時のの千葉市(市制執行直前ですが)は人口3万3千で、もともとが千葉神社の門前町であり県庁所在地という意味で
奈良市と似た構図でした。どちらにせよ当時の基準でもギリギリ中都市に入るかという規模ですが、阪奈間で都市間輸送を主眼にした鉄道が建設されるのであれば、京葉間でそれが実現したともいえます。海側ルートの場合中間の需要は、船橋大神宮くらいしかなく、あとは生駒山へのハイキング客か谷津・稲毛方面への海水浴客かの違いで、後年集客のために沿線に遊園地が建設される(あやめ池遊園、谷津遊園)とすれば行楽客頼みの側面が強いというのも似たような環境になっていたといえます。
軟弱地盤にいくつもの大河川と建設を困難にする条件はありますが、生駒トンネルに比べれば
ハードルは低く、ほぼ平坦な地形という点は恵まれています。もちろん管理人様ご指摘の通り大正末期〜昭和初期に開通してもその後受難が続いたのですが、近鉄奈良線の沿線も当時は夜明け前であり大変な苦境でしたから、何とか乗り切れたのではないでしょうか。
この近鉄奈良線は軌道法準拠で開業し、当初は600V でしたが、より省線との競合性が高い新京阪が土壇場で地方鉄道法準拠になっていますし、
同じ近鉄の大阪線は高田や松阪、宇治山田で競合があるものの最初から地方鉄道法でしたから、
船橋以西で省線と競合せず、東京側のターミナルも総武線と大きく離れていれば
地方鉄道法で当局の許可が取れた(この辺りは政治力もありますが)可能性は十分あります。
関東大震災なかりせば 投稿者:dai 投稿日:2018年 2月 1日(木)00時58分28秒 返信・引用
省線は両国止まりのままで、千葉県内は京成が覇権を握っていたかもしれませんね。
京成は1923年の被災をもろともせず、1926年に津田沼〜成田間を開業させる体力があったわけですから。
本多貞次郎は名前は存じておりますが、京成電車疑獄のほか、自ら主導した野田線を東武に取られるなど、
事業家としてはいまひとつのイメージがあります。
ちなみに街道筋と関東私鉄の関係ですが、京急も東海道上の需要を拾うように駅をこまめに設けており、むしろ街道とは関係なく発展したのは東急ではないでしょうか。
自ら開発した田園調布を根城に、渋谷・目黒・大井町・蒲田・横浜・溝の口と放射状に路線を伸ばして行ったのは独特です。
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