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習志野原の掲示板 過去ログ 2018年5月


3・3・15号美浜長作町線 投稿者:名無し 投稿日:2018年 5月31日(木)17時57分48秒 返信・引用


都市計画道路3・3・15号美浜長作町線、事業認可取得朗報ですね。
設計速度が時速60キロメートルなことに驚きました。
これで幕張千葉ニュータウン線の自衛隊の南側はめどがつきましたね。
北側は東葉高速鉄道と自衛隊までの区間がかなり建て込んでいるので最大の難所になりそうです。
また八千代市の都市計画道路整備プログラムでは八千代西部線はランクAbですが、3.4.1新木戸上高野原線を全通してからでないとr296の渋滞がより酷くなりそうですね。
ttps://www.city.yachiyo.chiba.jp/content/000074474.pdf



Re: 遂に事業認可取得、r57〜r262、しょいか〜ご管理境界〜閉店酒店の486m間 投稿者:都営沿線民(元八千代台民) 投稿日:2018年 5月30日(水)23時46分44秒 返信・引用


> No.5838[元記事へ]

地図はPDFでURLのページになります。

都営沿線民(元八千代台民)さんへのお返事です。

> 都市計画決定のみで、昨年の千葉市管理区間4車線幅開通のr57とr262の468mの区間に3月23日に国交省より事業認可が下りていました。 これで暫定開通の作新台のコンビニ付近から武石IC越えての全区間が4車線化事業開始になります。 ただ、コンビニ〜長作郵便局少し南の着工区間でもあの通りの立ち退きで、事業予算ベースで平成29年度末で事業進捗は7%の遅さで事業期間は今年度ですのでこれは5年〜以上延長になるでしょう。 事業期間は今年度から平成36年度、(平成でなくなっているので2024年度ですね)には完成は全く見込めないと思います。5年延長か?

https://www.city.narashino.lg.jp/joho/doroshuhen/toshikeidoro/chibatoshikeikakudouro.files/H30-3.3.15zumen.pdf





遂に事業認可取得、r57〜r262、しょいか〜ご管理境界〜閉店酒店の486m間 投稿者:都営沿線民(元八千代台民) 投稿日:2018年 5月30日(水)23時44分19秒 返信・引用


都市計画決定のみで、昨年の千葉市管理区間4車線幅開通のr57とr262の468mの区間に3月23日に国交省より事業認可が下りていました。 これで暫定開通の作新台のコンビニ付近から武石IC越えての全区間が4車線化事業開始になります。 ただ、コンビニ〜長作郵便局少し南の着工区間でもあの通りの立ち退きで、事業予算ベースで平成29年度末で事業進捗は7%の遅さで事業期間は今年度ですのでこれは5年〜以上延長になるでしょう。 事業期間は今年度から平成36年度、(平成でなくなっているので2024年度ですね)には完成は全く見込めないと思います。5年延長か?
10年延長されるのか?。 京成のアンダーパス区間も予算は債務負担で予算は全て付いた
着工状態のハズなのに手つかずですね。 予定区間の4車線化開通はいつの事になるのでしょう?。

習志野市の紹介ページ https://www.city.narashino.lg.jp/joho/doroshuhen/toshikeidoro/chibatoshikeikakudouro.html
地図 r300mのカーブが3か所、実籾3丁目の交差点には以前の書込みの幅16m市道が西に
あり5差路へ北行車線は左折r57、r262向き2車線、路地右折レーンの4車線に100m程度は必要かも? https://www.city.narashino.lg.jp/joho/doroshuhen/toshikeidoro/chibatoshikeikakudouro.html



Re: 京葉道路 武石IC〜船橋TB 間5車線化へ 投稿者:都営沿線民(元八千代台民) 投稿日:2018年 5月30日(水)22時58分14秒 返信・引用


> No.5836[元記事へ]

リリカルゆかりんさんへのお返事です。

> 都営沿線民(元八千代台民)さんへのお返事です。
>
私が八千代台なので武石IC利用者でしたが、あちら離れたのはアクアライン以前ですが、子供
の頃の1970年代後半でも渋滞は酷かった記憶があります。湾岸開通以前は京葉乗って船橋TBまで
渋滞、そこから首都高7号一之江辺りまで流れてそこからC1越えまで渋滞でしたね。
武石いc〜幕張ICの交通量は統計では1990年代半ばの10万台/日少し超えがピークでいまは
9万台も無いはずですが仰る通り4車線の捌ける交通量ではないですよね。 アメリカのニューヨークの周辺なら京葉も東関道も東京から宮野木JCTが両線とも5X2か6X2の10車線か12車線あっていい交通量です。宮野木〜千葉東JCTも上り3車線にはする検討していますね。貝塚のトンネルは外に
2車線をもう1本掘り、現R16のトンネルを京葉道に転用する予定で今年は千葉市が遺跡調査を請け負っているそうです。 10年後にはどうやら武石IC〜宮野木JCTは放置されそうですが前後は5車線にはなりそうな方向ですが、料金が不安ですね。確かに外環はまだ書いていませんが、俺の外環で質問しましたが、渋滞はするだろう、開けてみなければ解らない、市川JCTが圏央道海老名JCTの様にと質問してもありあえるかもとのことでした。



Re: 京葉道路 武石IC〜船橋TB 間5車線化へ 投稿者:リリカルゆかりん 投稿日:2018年 5月30日(水)18時03分48秒 返信・引用


> No.5835[元記事へ]

都営沿線民(元八千代台民)さんへのお返事です。

上りの花輪はアクラライン値下げ前は何でもない日に2桁の渋滞が頻発していましたし、
今でも5km程度の渋滞は珍しくありませんから何からの対策は必須ですが、ついにという思いです。
もっとも京葉道路の交通量を考えれば千葉東以西は往復6車線必要であり、それはいつのことやらという
現実もありますが、まずは大きな前進でしょう。

外環開通後、市川以東の京葉道路は一般道路からのシフトなどで交通量が増加する予測もあり(圏央道との比較になる流動は多くなく、限定的だとは思いますがR16経由からの転換は考えれる)ますから、この点からも費用対効果の大きい事業です。
2年という工期も道路そのものは拡幅しないなからこそのスピード工事であり、
同様の改良はを東名や中央でも計画されているようですが、
工事も比較的容易であり、なぜもっと早く行なわれなかったとも思います。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO93810740Q5A111C1000000/



京葉道路 武石IC〜船橋TB 間5車線化へ 投稿者:都営沿線民(元八千代台民) 投稿日:2018年 5月29日(火)08時22分28秒 返信・引用


一昨年から、ネクスコ東日本が幕張JR高架橋の路肩側拡幅の準備設計などの入札を募集して準備が整い次第順次着工と発表していましたが、京葉道路の武石IC〜船橋料金所バリアの間を約2年の工期で上り付加車線付加の3車線、下り部分付加車線の5車線に拡幅を発表しました。 強化型の薄型中央分離帯に左右の路肩幅員は縮小して本線の1車線あたり幅員は3.5mで車道部は道路構造基準令の標準幅員で3車線化される様です。

http://www.e-nexco.co.jp/pressroom/press_release/kanto/h30/0528b/


>京葉道路の渋滞対策として付加車線を設置します
〜船橋IC〜武石IC間(上下線) 工事に伴う交通規制の実施〜

平成30年5月28日
東日本高速道路株式会社
千葉管理事務所

E14京葉道路 船橋インターチェンジ(IC)〜武石インターチェンジ(IC)間では、朝夕の通勤時間帯を中心に慢性的な渋滞が発生しており、現在、渋滞緩和を目的とした対策工事を進めております。この工事を行うため、平成30年6月から概ね2年間、車線をシフトし、中央分離帯側へ固定規制(仮設防護柵)を設置するほか、夜間には必要に応じて車線規制を実施する予定です。また、付加車線の設置は京葉道路の上り線で行いますが、工事によっては下り線においても車線規制を実施することがあります。

お客さまには大変ご迷惑をおかけしますが、お出かけの際は交通情報などをご確認のうえ、お時間にゆとりをもってお出かけ下さいますよう、ご理解とご協力をお願いします。




「小湊」にどう出るか 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 5月28日(月)22時01分19秒 返信・引用


小湊はr82ルートですか。総元から夷隅川源流の上植野までは順当なルートですが、ここからが悩ましいです。そのままr82をトレースするのは一番峻険なところを選ぶ格好で、小湊側の谷筋も細く、さらに誕生寺付近から小湊駅の間も地形が厳しく、外房線はトンネルを穿っています。

鹿島の資料、また空撮の様子から、小湊駅を出た計画線は左カーブを描いて山に向かっており、r82とは2本西側の谷筋になる大風沢川の谷筋に入っています。
これだと内浦山県民の森の手前までで高度を稼ぎ、内浦地内で東に向かい、東西方向で稜線を越えてr82の名木地内に出るルートが見えており、戦前の非力な内燃動車でもいけるでしょう。

中野から総元まで来て大多喜経由は大回りだが地元の反発が強くて、というくだりで、大多喜町が小湊鉄道の大多喜通過を断念した理由に木原線ルートの別表採択が上がっており、亀山までつながるかはともかく、小湊鉄道まではつながるという判断で実利を取ったとみます。





先週末 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 5月28日(月)21時59分54秒 返信・引用 編集済


いろいろ話題の岡山に行ってきました。平日に時間が取れなかったので休日の様相してか見ていませんが、まあ意地悪く「良い競争」「悪い競争」の状況を網羅的に回ってみました。

とりあえずブログのほうに書くかとは思いますが、時間を見つけて記事にすべき内容ですね。それくらい根が深いというか、まあ一言でいえば、まがいなりにも政令市でありながら、その主力となる交通がここまでわかりづらい、利用者のほうを向いていないというのも珍しいですね。運営、設備、いろいろな面で大時代的なものが温存されており、利用者との乖離が限界にきているのでしょう。

わざわざ泊りで出かけて両備に2000円以上、岡電に1700円以上と両備グループに4000円近く、八晃にも1100円、中鉄、宇野にも、と「お布施」をしてきました。
観光が満足にできなかったということと、路面電車に全く乗っていないので、遠からずまた行こうと思います。

さて、今週末は外環ですね。天気も週末だけ高確度で晴れの予報が出ており、悲願の開通に花を添えるようです。取り敢えず2日は谷津船橋から入って高谷JCT→三郷中央で走り、三郷中央→京葉JCTで戻ると。
メインは3日で、R298ともども走って回りましょう。市川南〜松戸の全ICも通るつもりです。




鉄道板ですね(笑。外環、北千葉その他 投稿者:都営沿線民(元八千代台民) 投稿日:2018年 5月27日(日)13時25分7秒 返信・引用


 鉄道板状態で、遠慮、書込み難にくかったです。 都営浅草線の新型車5500系は6月30日泉岳寺〜
西馬込の区間限定のデビューが決まりましたね。 それに先立ち、京急へ昨日から貸し出しけいきゅ線内を試運転のことでしょう。 誘導障害にブレーキは7段にステップ増加とかあるからでしょう。
12日の俺の外環の夕のウォークとイベントには参加しました。 良くある、役人さんや議員さん、
各関係のお偉いさんの参加の物と違い、いままでにない斬新な企画(知人の案)で、作業員や現場監督の写真展とか、説明会のビデオも楽しめる作品でした。 それは次回にでもして、首都国道事務所の所長、ネクスコ東日本の課長も参加で深いことまで質問できました。 北千葉道路の
JCTの準備工のイカの耳は4か所にあります。  スリットのシェード、ペースメーカライトの新機能、日本初の外回り松戸IC先の下り区間に設置、ここでウォークの際に試験点灯のデモがありました。 長くなりますので近日中にします。 応募は25日に締め切られましたが、開通全日の1日夜にはこれまた初の開通祝いのイベントがあります。




小湊鉄道2 投稿者:dai 投稿日:2018年 5月26日(土)13時08分45秒 返信・引用


http://ecotran.or.jp/act/100206/100206.html

白土貞夫氏は県道82号線沿いという論考を残していますね。
これだと誕生寺の前に駅を作れそうです。
鴨川や千葉への延長も目論んでいたようで。

埼玉県における西武、千葉県における京成、どこか余所余所しさを感じるんですよね。
小湊が相鉄のように地元資本だったら、千葉県の交通史は一変していたかもしれません。



Re: 千葉駅からの優等バス 投稿者:神奈中沿線民 投稿日:2018年 5月26日(土)12時13分28秒 返信・引用


> No.5819[元記事へ]

エル・アルコンさんへのお返事です。

昔は路線バスの優等が多かったのですね。快速大網線はその名残なのかもしれません。回答ありがとうございます。今のフラワーライナーにつながる成東行の急行があったのは納得ですね。




外環千葉区間への載せ替え 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 5月25日(金)23時39分8秒 返信・引用


外環千葉区間の開通に合わせて、小湊の蘇我・千葉−さいたま新都心・大宮線が外環経由に乗せ換え、さらに2往復増発の6往復化とは驚きです。

千葉駅−さいたま新都心駅でこれまでの100〜105分が70〜80分という大幅な短縮。外環も川口西付近で恒常的な渋滞があるのでどうかな、と思いますし、迂回ルートとしてこれまでのC2経由も温存するでしょうから、新ダイヤはカツカツな気も。ただ昨春の試乗時(大宮→千葉)に板橋からC2経由で約30分の早着だっただけに、迂回でも大幅に遅れることはなさそうです。

しかし、「ちばたまライナー」なんて愛称があったんですね。
「テレ玉」とか埼玉を「たま」「玉」と略すことが増えていますが、「たま」というとやはり「多摩」なわけで、「ちばさいライナー」のほうがイメージしやすかったかも。

あとは新京成が参入するといわれている羽田−松戸線ですが、まだ音無しです。






安房小湊から見ると 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 5月25日(金)22時09分22秒 返信・引用


建設担当の鹿島がこんな資料を残していたとは知りませんでした。
確かに小湊駅付近に用地確保の跡がありますね。そして空撮を見ると蓮生寺付近までそれっぽい地割が見えます。

しかしこの先はどうやって清澄山系を越える気だったのか。「妄想」のようなコース(中野から総元付近まで出て南下)が一番簡単そうですが、小湊側の用地確保を見ると、麻綿原のほうにまともにつっかけて行きそうです。





念のため船橋市内 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 5月25日(金)21時53分12秒 返信・引用


船橋市内も書いとこうかなと思っていたら・・・(苦笑)

まひろさんも書いていますが、船橋市内はR357、R16、R464に、R14の京葉道路船橋ICから現道までの間。船取線の駿河台以南、夏見バイパス(大半が自転車レーンになりましたが)、海浜公園からR14までの道路、行田団地を南北に貫く区間、臨海部の一部道路、津田沼駅北口のわずかな区間。あとは北環状線が例の区間が完成したら4車線になるでしょうね。






小湊鉄道/久留里線 投稿者:dai 投稿日:2018年 5月25日(金)21時38分0秒 返信・引用


https://www.kajima.co.jp/gallery/kiseki/kiseki37/index-j.html

小湊鉄道の小湊駅は着工していたとする説もあるようですね。

木原線は赤字83線にも指定されていましたが、久留里線は久留里〜上総亀山すら指定されなかったんですね。
木原線という壮大なネーミングといい(国鉄で類例は名松線ぐらい?)、いろいろ考えさせられてしまいます。




Re: 4車線一般道路 投稿者:まひろ 投稿日:2018年 5月25日(金)19時33分17秒 返信・引用


名無しさんへのお返事です。

> 船橋市には一般道としては4車線道路は湾岸道路と16号しかありません。
> 市川、松戸と道路事情では圧倒的な差がついてしまいましたね

船取線の若松交差点から駿河台交差点やR464小室地区もありますよ。
(前にも見た気がするネタですね。)




4車線一般道路 投稿者:名無し 投稿日:2018年 5月25日(金)14時41分23秒 返信・引用


船橋市には一般道としては4車線道路は湾岸道路と16号しかありません。
市川、松戸と道路事情では圧倒的な差がついてしまいましたね




一般道としては初めて? 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 5月25日(金)00時00分43秒 返信・引用


外環千葉区間の開通まで10日を切りました。開通時刻は16時なんですね。埼玉区間最初の開通から26年近く、あの時も初日に走っており、今回も巣穴から出て走りに行く予定です。
ただR298もあるし京葉JCTもあるしと、どう走るか。何回も「お布施」をせざるを得ないのは仕方がないですが、2日3日の限られた時間でどう効率的に回るか、頭を悩ませています。

その外環関係の記事を発信した「のりものニュース」を見てトホホです。

「今回開通する国道298号は、千葉県松戸市、市川市の一般道としては初めての4車線道路です。」

いくらなんでもそりゃないでしょ。
松戸市内なら既開通区間のR298がまずありますし、R6も市内は全線で4車線です。二十世紀が丘の東西方向の道路も4車線ですし、21世紀の森と広場の横の区間も4車線です。新松戸付近にもありますね。
市川市内もR357が市内全線4車線、市川大橋は6車線、高浜立体、二俣陸橋は本線4車線、側道も4車線ですが。船橋海浜公園から二俣新町、原木ICを通り市松道路につながる道路もR14以南は4車線ですし、R14ですら市川駅前から都県境が4車線。R14からコルトンの横を通りr6の市川浦安バイパスも4車線、今井橋から塩浜に向かう道路も4車線で、福栄から南は6車線です。千鳥町付近にも4車線区間がありますね。

いやいや、どこを見てるんだか。







LCD化された3007編成に乗る 投稿者:東怪人 投稿日:2018年 5月24日(木)22時09分43秒 返信・引用


こんにちは

昨日所用で京成を使用したところ、やってきた3007編成の車内案内表示がLCDに換装されていました。
3700系はLED表示器をそのまま同サイズのLCDに置き換えていますが、この3007編成は「広告枠+通常サイズのLCD」という、手の入った置き換えになっています。
LCDサイズは3031編成以降の横長タイプなので、例によって日本語固定表示、ひらがな→ローマ字→中国語→韓国語で右側に交互表示のわかりやすいタイプです。
ただ、LCDが置かれたのは換装前のLEDがあった場所のみ、つまり千鳥配置です。これは電気配線等の都合などでしょうがないのでしょうけれども…。

それにしても、漢字5文字読み10文字の「船橋競馬場」が表示されると、
「つぎは 船橋競馬場 ふなばしけいばじょう」と横に並ぶので結構きつめの配置になっています。
まぁ、かつてのセンター競馬場前だったら細い文字になったかもしれませんが。




「ぽんぽこ」も捨て難かったが(爆) 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 5月24日(木)22時02分11秒 返信・引用


特定地方交通線指定の除外規定、ピーク時1時間1000人は確かに達成できそうですね。久留里方面と馬来田の半分以上がなくなるので厳しいかと思っていましたが、その除外規定はいけますね。東横田までの各駅と、馬来田の半分くらいとしても、確かに楽勝です。
指定自体に無縁だった久留里線ですが、馬来田以南がなければさすがに、と思いましたが、地力がありますね。
「国鉄小湊線」は電化されていたかどうか。房総西線の木更津電化が1968年ですから、まずそれ以降になります。房総西線(内房線)の電化は1969年に千倉、1971年に安房鴨川に至り、1972年の房総一周電化に至りますので、房総東線(外房線)を差し置いての電化はないでしょう。

1973年に東金線、我孫子線。1974年に総武本線、成田線、鹿島線が電化され、1975年のダイヤ改正に至ります。その際に小湊線と南総線はどうなったか。上総牛久以北を1973年に電化し、以南と南総線は非電化。機関区は牛久か木更津か。

ただそこまで刷新するかという感じもするので、国鉄時代は非電化のまま残り、1991年の相模線、1996年の八高(南)線の電化タイミングで小湊(北)線を電化し、老朽化したキハ30系を淘汰。小湊(南)線、南総線はキハ110で置き換え、という感じ。
史実の小湊鉄道も1976年に光風台駅が開業したのに象徴されるように、京葉工業地帯に通勤する人向けの住宅開発がまずあったわけで、1990年代まで電化はお預けと見るのが妥当です。
全線電化は隧道の盤下げの問題もあるでしょうし、小湊(南)線と南総線は非電化で残ったのでは。

外房方面の主力になっていたかですが、南総線は南から茂原駅に入ってきたでしょうから、勝浦方面を南総線経由にしたら茂原でスイッチバックになります。小湊線経由は茂原も勝浦もカバーしないわけで、結局電化などの近代化は外房線になり、小湊線は牛久、大多喜で段落ちするローカル線でしょうね。

久留里線〜木原線ルートが成立していない前提ですから、大多喜は途中駅。
五井経由で千葉に向かう軸は確立しているので利用は底堅いでしょうが、ベースとなる人口が厳しいです。そこから勝浦に出ていれば需要もまだマシでしょうが、安房小湊だと極端に少なそうです。養老渓谷を通らないので観光面でもマイナスですし。

そうなると牛久以南、以東の存続問題がくすぶる格好でしょうし、今よりも(いすみ鉄道がない状態よりも)鉄道は減少してしまう可能性がありますね。

あるいは南総線ではなく別表通り木原線だったらどうなっていたか。大原に抜けられる、山越えの建設問題、と来るので小湊線の総元以南は建設されなかった可能性が。
といろいろと妄想が伸びますね(笑)




Re: 房総内陸妄想鉄道(ぉぃ) 投稿者:リリカルゆかりん 投稿日:2018年 5月23日(水)23時23分6秒 返信・引用


> No.5818[元記事へ]

エル・アルコンさんへのお返事です。


南総線は木更津側で、特定地方交通線の除外条件であった「ピーク時1時間あたり片道1000人以上の輸送量」という条件を満たしたと思われますから、特定地方交通線とならなかったのではないでしょうか。
また小湊線ともども、電化された可能性が高く(ネットワークを形成していて峠越えのある路線だけを管内で非電化のまま残すことは考えにくい)、閑散区間である、牛久—小湊間は昭和末期まで72系や80系が活躍していたかもしれません。

一方で、小湊線は小湊・鴨川方面への最短ルートになるため、夏季の臨時快速・急行は確実に運行されたでしょうし、場合によってはこちらがメインルートとなった可能性もあります。茂原の需要は無視できませんが、これも牛久経由での東京からの直通列車が走ることはあり得ますし、そうであれば大網駅改良はされず、結果として外房方面も五井から牛久に向かう方が東京直通列車の主要ルートとなり、牛久以北は複線化もされることも考えられます。このルートの場合わかしおの停車駅は、五井・牛久・大多喜・小湊でしょうか。しかし茂原や勝浦よりも需要が乏しく、衰微はより早かったようにも思えますが。

そうなりますと外房線は史実よりも複線化が遅れ、80年代になってようやく蘇我—大網が複線化(以南は単線)、あるいはその時点での国鉄財政を考えると、手つかずのままになって、鎌取の開発が進んでパンク状態になる2000年以降に県と市が負担してという可能性もあります。

なお茂原は貧乏くじを引くような結果に思えますが、千葉からの最短経路はr14のルートであり、京成もここに目を付けてちはら台から長柄を経て茂原を目指した(千葉急行電鉄に茂原市も出資した?)かもしれませんがやはり未成となったでしょうか。もう頑張りしては白子まで延伸し、ここでマリンレジャー開発を大々的にやってとすれば、現実の延伸計画よりポテンシャルがありそうにも思えますが。





千葉駅からの優等バス 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 5月23日(水)20時33分30秒 返信・引用


千葉中央バスの快速大網線は、外房線の早朝の上総一ノ宮行きが土休ダイヤでも運転されるようになったことで乗りに行ける、と思っているうちに機会を逸してしまいました。

1980年台前半の記憶ですが、路線バスの「優等」は結構ありましたよ。
千葉中央バスの快速大網線は、誉田行きまでが普通便で、大網行きが快速でした。(土気行きはなかった)

小湊が一番賑やかで、観光タイプを使った茂原急行、前中扉だけどカバー付きの2人掛けシートが並ぶゲテモノ?が充当された大多喜急行の両急行バス。大多喜、牛久への準急バス。茂原街道から分かれて長南車庫に向かう快速バス(のちに大多喜行き)が長距離便。

市内近郊では白旗行きが千葉寺経由、末広町経由、今井町経由、新今井町経由で快速便があり、淑徳大学大巌寺行き(千葉寺経由)、北生実、農業センター、落井椎名小学校行き(末広町経由)も快速でした。
変わり種はR16(産業道路)経由の辰巳団地労災病院行きが特急を名乗り、それぞれ「快速○○○経由」「特急産業道路経由」の副標をドア側のフロントガラス下部や満員札のところに出していました。

京成は成東行きの急行。フラワーライナーの祖先で、R126経由で中野操車場まで通過運転でした。
このほか蓮沼南、南浜行きの特急バスがあり、観光タイプの車両が充当されていましたが、晩年は一般車となり、ちょうどその時期に試乗した際に一般車が来て、しかもR126経由(東金市内まで中野操車場のみ停車)だったことに落胆した記憶があります。
余談ですが、新小岩−TDRの特急バスはその時以来の一般車特急ですね。

長距離便は小湊が姉崎行き、京成が成東行きの他、八街行きが吉岡経由と川崎十字路経由。四街道経由の京成佐倉行き、勝田台行き、八千代台行き、津田沼行き(畑町経由、広尾経由)あたりでしたね。








房総内陸妄想鉄道(ぉぃ) 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 5月23日(水)20時32分28秒 返信・引用


「房総横断ルート」最大の謎は、改正鉄道敷設法別表に木更津−茂原ルートが採択されなかったことでしょう。採択されたのは木更津−久留里−大多喜−大原ルートと上総湊−鴨川ルート、そして八幡宿−大多喜−安房小湊です。

大多喜がジャンクションとなっており大多喜の重みが分かる感じですが、史実はかなり異なった結果となりました。上総湊−鴨川ルートが採択されるのであれば、木更津−茂原ルートも当然あって然るべきですが、なぜ採択されなかったのか。

南総鉄道は鶴舞町をまず目指しましたが、市原市域に入ったところで力尽きており、郡境を越せなかったわけではありません。ただ終点だった奥野から鶴舞を経て現上総鶴舞までは高低差があり、台地の下、養老川沿いの鶴舞町駅へのアプローチはひと波乱ありそうです。上総鶴舞の構内が結構広いのは南総鉄道を想定していたのか気になるところです。
あとは鶴舞から平岡へはちょっとルーティングが難しかったかもしれませんが、それでも全通すれば一番期待が持てた路線です。

小湊鉄道となっているルートも別表ではR297のルートになっており、実はこっちの方が期待が持てたのですが、現在の市原市、大多喜町の境の片峠が難物です。いまだに改良されないのも謎ですが、ここをよじ登るにはハーブガーデンのあたりまで進んでから斜面に取り付き、東から西に向けて高度を稼ぎ、若干西側で市原市側に入るイメージでしょうか。ただ迂回による距離のロスも、上総中野を回ることを考えれば近いでしょう。

その後を想定すれば、総元付近からR297に沿い、さらにr82に沿って夷隅川上流域に入り、どこかで小湊側の谷筋に向けて峠を越えますが、そこのルーティングがかなり難しいですね。おそらく興津か勝浦に出るように変更したでしょう。

久留里線は木更津−茂原ルートがあれば大多喜に向かわず、r24沿いに鴨川を目指したか。なければ大多喜を目指しますが、小湊線が大多喜を経由していたら、大原へ抜ける路線の利用はかなり少ないはずで、大多喜止まりになるか、あるいは久留里以南を手堅く建設しないかのどちらかでしょうか。

妄想版房総内陸部の鉄道網としては、
「国鉄南総線」木更津−横田−上総牛久−上総鶴舞−笠森−長南−茂原
「国鉄小湊線」五井−上総牛久−上総鶴舞−大多喜−総元−安房小湊
(別表採択後小湊鉄道は買収され、鶴舞町−里見の建設はせずに大多喜を目指した)
「久留里鉄道」横田−馬来田−久留里−松丘
「夷隅鉄道」大多喜−国吉−大原
が整備され、民営の久留里鉄道と夷隅鉄道は戦時の不要不急鉄道の休廃止の中で廃止されて復活せず、という感じ。

南総線は第2次特定地方交通線指定となり、木更津口はそれなりの利用があることから第三セクター「かずさぽんぽこ鉄道」(笑)として木更津−上総牛久間のみ存続。ただ、路線の半分だけ廃線というのは例がないので長南町、茂原市の反発が強かったが、牛久、鶴舞を挟んで輸送量も段違いで運行も分断されていたので、最終的に東半分のバス転換を受諾した。

小湊線は五井口での通勤輸送で指定を免れるが地方交通線扱いとなり、もともと大多喜以南の利用が極端に減少しているなか、鶴舞以南の減少も近年顕著になっており、地元では区間廃止に対する危機感が出ている。牛久以南を「かずさぽんぽこ」が引き受ける案も出ているが、現状は表立った廃止の申し入れはない。なお最近は牛久以北を電化して千葉直通を果たすのとセットで南部の「かずさぽんぽこ」転換を飲むという案も出ている。

という妄想も楽しいものです(爆)






大網→千葉の快速バス 投稿者:神奈中沿線民 投稿日:2018年 5月22日(火)19時51分58秒 返信・引用


千葉中央バスに、大網発千葉行の快速バスが運行されています。このバスは途中誉田駅〜千葉駅間が「快速」で一部のバス停を通過します。

土休日の朝、片道1本のみの運行ですが、昔は千葉駅発着のバス路線ではこのような「快速」は結構運行されていたのでしょうか?




房総半島内陸部の鉄道建設 投稿者:リリカルゆかりん 投稿日:2018年 5月22日(火)18時33分31秒 返信・引用


房総半島横断ルートで最も需要があるのは、R409に沿う
木更津ー茂原を牛久経由で東西に結ぶものですから、南総鉄道が全通していればとは思いますが。同時期に建設がすすめられた地方私鉄同様、南総鉄道も国による買収を期待していたものといえますしその可能性が低いと判断された時点で早々に見切りをつけたというのが真相でしょう。

半島内陸部の中で有力地点といえるのは、大多喜のほか、牛久(戦前期までは鶴舞の方が有力でしたが)と久留里であり、大多喜と久留里を通るという意味で木原線のルート選定にも理があります。そうしますと大原を起点としたかですが茂原から大多喜に向かう場合、低いとはいえ峠越えがあり、前身の人車軌道では平坦ルートの選定が絶対条件ですから夷隅川に沿う大原ルートが選定されたと考えれれます。

中野ー亀山の峠越えはより険しいですが、昭和期には土木技術も進歩していた一方で、夷隅軌道がすでに存在していることから、それを活かす方が安上がりなこと、すでに開通した地域の既得権があることからこのようなルート選定になったといえます。当時、大多喜からどこに向かうにも舗装道路などなく小型のバスやトラック1台で間に合う程度しか1列車当たりの輸送量がなかったわけではないですから(部分開通であった南総鉄道は輸送量が非常に少なく、それで間に合うと判断されたといえます)将来の横断鉄道に懸けたのでしょう。未舗装の道路が相手であれば大原に出てから、茂原に向かうくらいの遠回りは問題になりません(外房線も茂原や鴨川から千葉へは遠回りですが、茂原に関しては短絡ルートを走るバスの方は撤退してしまいました)


一方図らずも婚姻相手となって しまった小湊も、中野から険しい清澄山地を越えて
小湊というもやや無理があるルートに見えますが、誕生寺という観光資源があり、当時の安田財閥のトップ安田善次郎は仏教の信仰篤かったため、資金提供を受けるためにもそれを名目としたというのが最大の理由のようです。

ただ地形の制約さえ解決できれば、千葉から小湊・鴨川へ向かう最短ルートになったのは事実であり、五井から千葉市方面への独自ルートも確保して、路線の高規格化も果たしていれば小湊鉄道も沿線風景もまるで違うものとなっていた可能性はあります。




早くも7月用の取材(苦笑) 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 5月20日(日)23時48分35秒 返信・引用 編集済


さて巣穴に戻る前に北千葉道路などを見てきました。あまり行く機会がなくなったので、はやくも7月の半期報告書の取材です(苦笑)
そうそう、東成田のイベントは行きませんでしたが、大行列だったそうで行かなくて正解だったようです。と思っていたら、ポストカードがなくても入れたようですね。1000人限定だと最後の方は閑散とするはずだし、と想定していましたが、その勘を信じて行けばよかったか(苦笑)

八代の終点は十字路が出来上がった格好。舗装はしていませんが隅切りなどもはっきりして、角によっては出来上がっています。ただ、松崎への市道の調整池を交わして元のルートに戻るところのクランクは直す気があるのか。現地に掲示されている工期は来年2月末なので「ぼちぼち」なんでしょうか。

八代地区の盛土区間は下から見るとかなり様になっています。松崎TNを遠望できる地点から見ると、向こうの空が見えてトンネルが貫通していることが分かります。そして線路と道路沿いに台地に上がる道路はさすがに「車両進入禁止」の立看は消えていましたが、何度見ても「廃道」があからさまにわかるこの箇所、経緯を知りたいものです。

湯川駅側はあまり変化なし。高架橋の橋桁があとちょっとでつながる感じ。NTから来る都計道は我孫子線旧線の盛土手前まで出来て、盛土の取り崩しを待つ格好。反対側も盛土手前まで出来ていますし。この都計道とを結ぶランプですが、新鎌ヶ谷方向は上下線からのランプになっていますが、成田空港方向は西行きから外側に振って本線を潜るランプ路だけが建設中なんですよね。東行きはどうやって入るのか気になる構造です。

大谷津のTNも貫通していますが、そこからR408まではまだまだという感じ。成田線までは工事していますがそこから先もまだ。
R51との交点付近、取香川の橋の北側の拡幅用地はいったん整地したところで中断してしまっています。

今回の目玉は4月13日に変化したR408の北千葉道路との交点付近。4車線となるR408は北行き2車線の位置に変更していました。工事区間のエンドは従来線とかなりズレていましたが、手前から合流する格好でクランクにはなっていませんでした。沿線の民家などが南行き車線の開通まで道路に面さなくなるので、旧道の形で残していますね。

あと、我孫子線の上記都計道との交差用の橋を含む新線に切り替えも4月14日深夜に実施されましたが、これも乗ってみました。
まああっけなく、という感じではありますが、いきなり高規格な新線の区間というのも面喰いますね。成田NTとそんなに離れていないところを走っているのに、成田駅を出てから里山の中を走る感じでしたから。








別表の区間も微妙 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 5月20日(日)23時25分31秒 返信・引用


木更津から房総半島横断というとまず思いつくのは茂原方面であり、圏央道やR409も通っていますが、別表に指定されたこととがないんですよね。房総半島では小湊鉄道のルート、久留里線〜木原線のルート、上総湊から鴨川のルートが指定されていますが、最後の鴨川への道も保田からの日東バスのルートから山越えで上総湊へ出るなど一筋縄でいかず、政治的思惑とかの産物なんでしょうね。

茂原ルートは県営人車軌道から南総鉄道となりましたが、普通鉄道としてはわずか9年で破綻しています。
木原線ルートは大多喜の存在がそれでも大きかったのでしょうが、「大多喜10万石」とはいうものの、厳密には本多忠勝の所領は「あわせて」10万石であり、以後の大多喜藩は他国の飛び地をあわせて1万〜2万5千石なので、純粋な版図としてはそう大きくはなかったようです。それでもかつては県の出先などもありましたが、これも千葉〜市原〜勝浦を結ぶR297の街道沿いという面が大きかったと思います。






Re: 最初から無理筋・・・ 投稿者:dai 投稿日:2018年 5月20日(日)14時31分30秒 返信・引用


小湊鉄道が上総中野に達したのが1928年なのに、同時期に木原線と久留里〜上総亀山を着工したというのも不思議な感じがしますね。
県営鉄道救済のためのパフォーマンスだったのかな?

改正鉄道敷設法で決まっていたからと言えばそれまでですが、終点が茂原ではなく大原というのも謎です。


>



もう少し蒸し返してみましょう 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 5月20日(日)09時54分34秒 返信・引用


せっかく良い提起もあったので蒸し返してみましょう。
でも数字がきちんと理解できない無意味な「反論」の類は「貴重なご意見」ではありますがご遠慮願います。

数字をどれだけ示しても理解できない人には永遠に見えない論点ですが、いすみの問題は営業損益、経常損益が悪すぎるということ。同じ1次廃止対象路線で鉄道転換を果たした由利高原鉄道、南阿蘇鉄道と比較すれば一目瞭然で、経常で由利が約90百万円、南阿蘇が熊本地震前で約25百万円の赤字。2次廃止対象ではあるが路線延長が似ている錦川鉄道も約80百万円、どうしようもないけど覚悟の開業となった阿佐海岸鉄道も約50百万円なんですよね。

自治体がどう支えていくかという時にこの赤字幅の差は小さいように見えて大きなわけです。最大の開き直りである阿佐は基金を取り崩す格好で営業を継続していますが、もしこれがいすみのように約140百万円の経常損失であれば、取り崩しでしのげる期間が約1/3になるわけで、さすがに沿線も持ちませんから開業を断念したでしょう。

ある意味特筆すべきは錦川で、副業で約15百万円と赤字額には遠く及ばないまでも黒字を計上して「赤字の足し」にしています。自治体も岩国市という大都市の市内に全線が入っており、その自治体関係の地域サービス業務を受託するなど、制度設計もしっかりしています。
ヲタから見ればノーマークの路線ですが、「必要な赤字」の範囲にとどめる経営を達成しているのです。

ついでに言えばこちらも「公募社長」の由利高原。わずか5百万円とはいえ経費の計上時期を意図的にずらした会計不正をやらかしましたが、「本業」に関しては流動の動線と合っているという地の利もあり、輸送人員の回復を計るとともに、外部からの受け入れも「乗車する」という売上につながる方向であり、ベクトルに問題はありません。だから不正の再発防止などへの厳しい評価や注文はあれど、運営は継続しています。

さらに言えば「レールを残す」だけでいいのなら、神岡の「ガッタンゴー」があるわけで、レールバイクでの体験乗車で売上が約60百万円と聞いており、当時の車両の維持と公開イベントなど、「文化的意義」でもある程度の維持が可能です。公共交通は飛騨市によるバスに任せての話です。





最初から無理筋・・・ 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 5月20日(日)04時04分46秒 返信・引用


1922年の改正鉄道敷設法に「木更津より久留里を経て大原に至る鉄道」とあるわけです。
ただし1912年に大原−大多喜間の県営鉄道が開通していますが、これは人車軌道であり、しかも経営が振るわず1921年に民間払い下げ、1924年に内燃化、1927年に木原線着工に伴い買収、廃止されています。まあ人車軌道で開業した時点で輸送量などはお察しの話だったんでしょう。

木原線は1930年に大原から大多喜まで開通。1933年に総元、1934年に上総中野に至った時点で打ち止めになっています。
ちなみに片割れの久留里線は1912年に木更津−久留里間が県営鉄道として開通、と「やっぱりいすみと同格」と勘違いされそうですが、こちらは蒸気機関車による軽便鉄道と規格が全く違います。1923年に軽便線のまま国有化され、1930年に1067㎜へ改軌、1934年に内燃化、1936年に上総亀山まで延伸されてこちらも打ち止めです。

県営鉄道があるし、この辺りで東西横断ルートを、という感じでしょうかね。輸送の目的という強い目的意識が見えません。
クルマが普及していない1970年で既に上総中野−上総亀山間のバスが消えており、需要が極端に無かったことがうかがえます。

では木原線沿線から内房方面への移動需要がなかったかというとさに非ずで、1970年代中盤の段階で(1975年の国勢調査)大多喜町からの通勤需要は、町内完結が8割以上というオチはありますが、町外へは市原市がダントツで、次いで千葉市、茂原市、夷隅町、大原町(いずれも当時)であり、内房方面がメインで、次いで茂原というのは、小湊鉄道に乗りつぐ需要が考えられない(当時大多喜方面からは朝一番ですら上総中野を7時44分に出る列車に乗り継ぐ1パターンしかなく、五井はおろか牛久でも通勤には困難であり、通勤で使えるダイヤではなかった)状況では、木原線ではなくバスかクルマが町外への通勤ではメインだったと考えられます。

手元の資料では大多喜駅に到着した上り列車から大量の通学客が降りてくる写真がありますが、1970年代後半の木原線時代はキハ30系が3連で大量の通勤通学客を捌いていました。1976年のデータでは大多喜以東で輸送密度が2000人、大原口では3000人を超えており、計算と条件のアヤで第1次廃止対象となってしまった「実力派」だけに、鉄道転換も説得力がありました、当時は。

でも今はどうか、という話です。残念ながら絶望的なまでの減少となり、あらゆるテコ入れも地元輸送の回復につながりませんでした。少子化による通学人口の減少がまず大きいでしょうし、通勤需要という意味ではそもそも大昔から流動と合っていない。それでも平日は茂原、牛久、勝浦へまとまったバスの運行が維持されている。高速バスも結構な本数がある。特に茂原は昔から近郊区間内であり電車の本数も多い。アクアラインバスを寄せ付けなかったくらいに強い志向を持つ茂原からの外房線との結節は重要でしょう。

手段である交通がどうあるべきか。住民のベクトルと合った方向に、税金という限られた原資をどう配分するかです。



蒸し返すようですが… 投稿者:dai 投稿日:2018年 5月20日(日)00時28分37秒 返信・引用


木原線の建設趣旨ってなんだったんですかね。

小湊鉄道は誕生寺の救世済民事業という大義名分が見えますが、
木更津と大原を鉄道で結ばなければならない理由が見えません。

強いて言えば天然ガスを木更津港から出荷しようとしていたのでしょうか。





名残の路線 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 5月19日(土)00時45分53秒 返信・引用


まあ口直し(苦笑)

先日ガウライナーなどに乗った際、往年の長距離路線の分断である千葉−八幡宿、八幡宿−姉崎の路線に乗りました。
「ちばまく」試乗の兼ね合いで、中央2丁目からになったのが画竜点睛を欠いた格好でしたが、幹線を行かず、旧道をひたすら走る地味な道中でしたが面白かったです。

姉崎は駅で降りましたが、往年の千葉発もそうですが終点は少し先の別荘下。どこにそんな別荘が、という感じの場所ですが、昔の海岸線沿いでもあり、かつては風光明媚な別荘地だったのでしょう。そのあと免許維持路線のような姉崎−長浦線に乗ったら、別荘下でそこそこ降りる人がいるわけで、確かにここまでの路線というのも意味がありそうです。

しかし八幡宿からの便は姉ヶ崎駅東口に入る、長浦行きは西口から回り込んで東口は通らず、とか、スーパーのわきの「姉崎ターミナル」とか、微妙にわかりづらいですね。「ターミナル」利用がそこそこいるので切るわけにもいかないのでしょうが、車庫との出入りの関係で路上バス停を「ターミナル」としているのもある意味珍しいでしょう。

昔は広小路経由だったので中央2丁目から乗る場合は京成千葉駅−中央2丁目−国鉄千葉駅−広小路方面、と回り込むのが、逆向きに乗ることになり、中央4丁目、県庁前、本千葉駅と進みます。これは喜多行きなんかがこういうルートでした。

R16の1本山側の旧道を進みましたが、急行はR16経由とかいろいろパターンがありました。
昔は「今井町経由」「新今井町経由」「末広町経由」「千葉寺経由」とか、快速、準急、急行、特急といろいろありましたね。
その名残の一つが今井町を経由する八幡宿行きです。



根拠のない空論はお引き取りください 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 5月18日(金)23時32分9秒 返信・引用 編集済


輪島をとらえて「鉄道の廃止という失敗」と言うのがdisなんですよ。現実を見ていない輪島に対する侮辱です。論外です。
鉄道しか見てない人が陥りやすい視野の狭い評価ですが、あなたの場合は超弩級の見当外れです。

いすみ鉄道と久留里線のラッシュを同等と思っているのも3年前と同じですが、あれだけ言われてまだ同じ見当外れの主張を繰り返す神経を疑います。大原方面と大多喜方面の両方向の通学需要があってこの輸送量ということは、分散されるわけですから1本あたりの混雑は低くなりますよね。小学生の算数もできないのですか。

前も言いましたが、1970年代に大きな水害があって木原線が長期運休した際、バス代行で大過なく対応できたんですよ。まだ国鉄型の大きなディーゼルカーが2連以上で走っていた時代です。それと大多喜から「外部」に出るメインルートはR297、大多喜街道です。
牛久の米沢交差点や蘇我付近の渋滞がネックで消えましたが、牛久、八幡宿、生浜高校経由で千葉駅とを結ぶ準急、急行バスが一番便利だったんですよ。バスが長南経由になったり腰が据わらない状態だったことも災いして逸走を招き、千葉からの直通が消えた。大原経由にせざるを得ないというのは特殊事情の域です。

千葉は別として、今でも牛久駅、勝浦駅へ8往復、茂原駅へ10往復のバスがある。そして小湊の大多喜線6往復ができる前からある東京−勝浦・小湊線が6往復あるわけです。いまじゃ東京へのバスが12往復あるんですよ。この時点でいすみ鉄道に振り向けるリソースに意味があるのか、よく考えてください。

地元は確かに鉄道を選びましたが、いすみ市や大多喜町が自腹で存続させてますか?違うでしょ。それでも地域の足として不可欠、というのならまだしも、それだけでは到底足りないから観光鉄道、とあなた自身が認めるような本末転倒状態で県税を突っ込んで存続させる意味があるのですか。

木原線は木更津でしょ、目的地は。千葉以南で一番の大都市、海陸の拠点だった木更津を目指した房総横断鉄道。木更津の「木」に大原の「原」が由来ということくらい知ってるでしょ。
夢破れて上総中野止めになった時点で運命は決まりました。申し訳ないですが、大多喜や国吉を目指した鉄道じゃないんですよ。

わかりますか、昔から鉄道は地域の「主たる動線」でなかったんですよ。鉄道しか見えない人には永遠に見えないでしょうが。
それでも鉄道を維持するだけの需要があったものが力尽きた。そこにわざわざ税金を突っ込んでまで過剰なスペックを維持する必要があるのか。いわんや赤字を積み増す格好の観光鉄道など論外、という主張は確かに厳しいですが、税金を使う以上、それくらいは当然という社会の常識を少しは理解してください。

赤字であっても必要であれば採算度外視で、運賃も低廉にして残す。欧米の鉄道はそれで残っていますが、そのために突っ込む税金の使い方については、日本の比ではない厳しい目が光ってるんですよ。夢見るお花畑で鉄道を、なんて甘い考えは通用しません。






いすみ鉄道にもラッシュはあり、同じ郡市内の繋がりはある。 投稿者:happy102890 投稿日:2018年 5月18日(金)22時44分48秒 返信・引用


こんばんは。

輪島、輪島としつこいくらい、耳にタコができるくらい連呼するのは、鉄道の廃止という失敗から学んでほしいからです。空港ができる寸前に廃止し、その後新幹線も伸びてきて、能登半島の観光需要が増えているのに、代表的な観光地である輪島まで行く鉄道がないことで、観光列車は輪島に直通することができずどれほど損していることか、考えてみればわかるでしょう。廃止しなければ、観光列車で夢を広げることができたのにです。

輸送量は無視していませんよ。いすみ鉄道も、朝夕の通学時間帯はラッシュといえるほどの混雑が存在するほどの需要がまだあるわけです。久留里線を廃止したら京福電鉄の二の舞というなら、いすみ鉄道だって数字だけ、予測だけで廃止してバスにしたら、実際は京福のような混乱が出てしまう可能性は考えられるでしょう。大原高校と大多喜高校があるため、双方向に需要があり、現に平日はそのくらいの混雑がある。いくら、久留里線よりいすみ鉄道の輸送量は少ないといっても、少なくとも大多喜-大原間はラッシュといえる混雑があるほどの需要はあります。

馬来田は木更津に行くには久留里線、姉ヶ崎に行くにはバスと使い分けていますが、それを言ったら大多喜や国吉は、大原に行くにはいすみ鉄道、茂原や勝浦に行くにはバスで国鉄時代から80年以上、いすみ鉄道になってからは30年、ずっとそれで定着しているわけです。
地元が大原に行く鉄道よりも、茂原や勝浦に行くバスのほうが便利だと考えれば、今いすみ鉄道に向けているお金というリソースをバスに向けると思いますが、茂原や勝浦に行くバスよりも大原に行く鉄道のほうが本数が多いということは、地元が大原に行く鉄道を一番重要だと考えているからでしょう。バスよりも大原に向かういすみ鉄道のほうが需要があるからです。それが地元の選択で、税金で電車ごっこと荒げるほどのことではないでしょう。地域にふさわしい交通が何かを考えた結果、バスよりいすみ鉄道を選んだのが地元の選択です。

理屈的に考えたってそうでしょう。大多喜から市原に向かっては小湊鉄道があります、山に囲まれた大多喜から見たら、牛久も勝浦も茂原も山越えになり、大原に向かう鉄道が最も平坦で市街地や人家の多い方向に走っています。茂原は長生郡市で地域が違います。同じ郡市・地域での繋がりを考えれば、いすみ鉄道が大原に向かう路線であることは普通でしょう。夷隅川にも沿い、大多喜から大原に向かう主要なルート、国道465号にも沿っています。それを考えたら、いすみ鉄道は名前の通り夷隅郡市を結ぶようなルートになっており、木原線として大多喜や国吉といった町を結び、大原へ向けて建設されたのは至極普通のことですよね。大多喜から見たら、勝浦や牛久方面より、大原方面のほうが家や集落が一番多く、国吉は旧・夷隅町の中心部を通っています。




「まずは鉄道を維持」の本末転倒 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 5月17日(木)23時43分8秒 返信・引用 編集済


観光鉄道として築き上げてきたもの? 数字一つ残せなかったわけでしょ。その悲しくも厳しい現実を直視できないから情緒に訴えることから卒業できないのです。
バスの「定時性」にしてもやり方はいろいろあるわけです。鉄ヲタが吹聴するようなことはありません。

そして輪島と同様あいも変わらずの久留里dis。久留里線といすみ鉄道との輸送量の差を無視して何を言うんですかね。久留里線の廃止は少なくとも久留里以北では非現実的ですし、いすみ鉄道の数字は比較にならない。ざっくり3倍の差があります。前回、2015年8月にブログで数字をあれだけ示して猛省を促しましたが、またこりもせずに蒸し返してきましたね。いい加減にしてください。

馬来田が姉崎に出るのが不思議に見えるようですし、久留里線沿線の君津市域から君津に出づらいと大変と思っているようですが、馬来田は木更津は久留里線、姉崎はバスというだけ。久留里方面への街道筋はr24〜R410の久留里街道であることを知っていたら、姉崎方面の流動が理解できるはずですが。
久留里線方面の市街地は旧君津郡の町村が1970年前後に袖ヶ浦、木更津、君津にそれぞれの事情でくっついただけ。君津郡市は木更津が拠点ですし、それこそ君津ならクルマで短絡するのがメインです。

久留里線といすみ鉄道、DCが1両の運転があるから同じって、数合わせ、数遊びじゃないんだから。
20m3扉の久留里線と18m2扉のいすみのどこが同等?20m3扉を最大4連で運行している需要はさすがにバス転換は無理ですし、18m2扉2連がやっとのいすみと一緒にしないで、というところでしょう。

「まずは鉄道を維持できることが一番で、鉄道を末永く残せる、それによって鉄道のメリットを地域に持たされる、それに越したことはありませんよ。」って、まさに馬脚ですね。鉄道は魔法使いか何かだとお思い?
まず鉄道を残すことしか考えていない。地域に相応しい公共交通は何か、でしょ。本来の順序は。だから「税金で電車ごっこ」なんですよ。そういう倒錯した発想は。






ワンマン運転の車両の規格 投稿者:happy102890 投稿日:2018年 5月17日(木)23時08分1秒 返信・引用


それと補足で、久留里線もワンマン運転になって単行(1両)列車が設定されており、その点ではいすみ鉄道と変わりありません。

標準型の車両が会社が違うから、久留里線はキハE130形、いすみ鉄道はいすみ300形を使っているというだけで、各社標準のワンマン気動車を使っているという点ではどっちも同じです。JR東日本のレールバス相当がキハE130で、第3セクターであればNDCタイプ、JR東海はキハ11、JR西日本はキハ120ということで、各社にレールバス相当の標準型があります。

どっちの鉄道も、ワンマン運転タイプの気動車であるという意味では同じです。




バスはメリットもデメリットもある。 投稿者:happy102890 投稿日:2018年 5月17日(木)23時00分28秒 返信・引用


こんばんは。
本来であれば、いすみ鉄道は「鉄道を卒業すべき数字」だという考え方は今も変わっていないのでしょうか?

地域交通だけなら、バスでいいという意見もあるかもしれませんが、観光鉄道としてこれまで築き上げてきたものはどうなるのか?地元の人の鉄道で活性化したいという思いはどうなるのか?という心配があります。鉄道があるから、線路際に写真を撮りに来るだけかもしれませんが、いすみ鉄道が盛り上がるまではあまり人が来なかった地域に人が来ているというのはどうやったって否定できないでしょう。

バスに転換すれば、鉄道ではできなかったことが可能になるというメリットもあるでしょう。いすみ鉄道で言えば、大多喜病院やいすみ医療センター、大多喜高校や大原高校といった病院や学校に直接乗り入れられるようになること、久留里線であれば君津中央病院や木更津高校までの乗り入れ、仮定の話ではありますが、バスにはバスの長所があり、バスならではの利便性を生かせるという可能性も考えられるでしょう。一方で鉄道ならではの定時性がなくなり、今までより時間がかかるようになること、車両を連結することができなくなるというデメリットもあります。特に通勤通学の時間帯であれば、まとまった需要は多く、車両を連結できなくなることはとても痛手でしょう。時間がかかるようになれば、これまでよりも通学時間が長くなり、進路の選択肢が狭まることもあるでしょう。

以前のコメントで、久留里線は京福電鉄の二の舞になるといい、いすみ鉄道は大丈夫だというのは、ダブルスタンダードそのものではないでしょうか?
中標津のことを例に挙げており、鉄道時代とほぼ同等の本数を維持した上で、根室行きや釧路行きが新しく設定され、バスの総本数は鉄道時代より増えたという例示をされていますが、いすみ鉄道でいえば鉄道を廃止するのと引き換えに、茂原行きやいすみシャトルのバスの本数を増やすようなものでしょう。久留里線であれば、廃止と引き換えに姉ヶ崎行きのバスや、現在久留里から設定のない君津行きのバスを増やすようなものでしょう。

バスは鉄道と違ってきめ細かなルート変更や、需要のある方向に即座に本数を振り向けることがすぐできるため、バスになってからも長期的に鉄道と同等の本数が維持されればいいのですが、状況が変わってくれば大原行きや木更津行きのバスが減便され、茂原行きや姉ヶ崎行きのバスにリソースが振り向けられることも考えられるわけです。そうなってしまえば、鉄道であったから大原や木更津との結びつきが強く維持されていたのに、バスになったら本数が減り不便になる、バスの主力のルートそのものが茂原や姉ヶ崎に変われば、大原や木更津に行くルートは2・3時間に1本となり、設定のない時間帯は大回りしていかなければならないという問題も起こり得るわけです。そうなれば、鉄道がなくなったら不便になります。鉄道があるから、地域の繋がりができている、利便性が維持されているという点は大きいと思いますよ。

久留里は君津市内でありながら、市の中心駅である君津駅や中心市街地を市内完結で結ぶ公共交通は全くなく、君津駅に行く場合は久留里線で木更津駅を一旦経由して、迂回するような格好で行かなければなりません。そういった観点では、鉄道の廃止と引き換えになるかもしれませんが、君津駅へ路線バスが設定されれば、従来の木更津行きや東京行き、千葉行き(高速バス)に加えて君津行きが加わり、その点では市内の繋がりが便利になるでしょう。

木更津市の形成計画の29ページ(下記リンク)に、市内の路線バスの乗車密度が示されていますが、バスについては馬来田線(木更津駅-馬来田)よりも姉ヶ崎線(姉ヶ崎駅-馬来田)のほうが輸送密度が多く、馬来田線が2.0なのに対し姉ヶ崎線は4.4あります。木更津行きより姉ヶ崎行きのほうが2倍多いです。そのことを考えると、中標津のことを例示していましたが、久留里線もバス転換されると木更津行きより姉ヶ崎行きのほうが需要は多く、久留里線だったら木更津だったのが、バスになればリソースを木更津ではなく姉ヶ崎に向けられてしまうことも考えられると思います。そうなれば、鉄道時代より久留里線は木更津、いすみ鉄道は大原に行くのが不便になりますよね?

まあ、いろいろありますが、まずは鉄道を維持できることが一番で、鉄道を末永く残せる、それによって鉄道のメリットを地域に持たされる、それに越したことはありませんよ。
http://www.city.kisarazu.lg.jp/resources/content/66408/20180327-095542.pdf





Re: 鉄道会社の合併 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 5月17日(木)21時36分17秒 返信・引用


> No.5801[元記事へ]

ぶなっしぃさんへのお返事です。


バスは地域での独占状態にしてスケールメリットを追うことで効率が上がる面があるので、合併は結構ありますよね。ただそれでも地方では状況が厳しく、昭和時代ですら全県単位で合併しても倒産したケースもありますから。

鉄道のような装置産業は合併してもその効果は出しづらいです。それぞれの路線網で完結しているので、合併メリットとされる共通化その他の手段がとりづらいですから。
製造業でも装置産業とされるジャンルだと生産設備の統廃合が実現しないと合併効果はでないというのが定説ですね。




次期社長に望むことは情報開示 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 5月17日(木)21時35分41秒 返信・引用 編集済


いすみ鉄道の社長が任期満了となる今年の定時総会で退任するという報道が出ています。
まあ「社長」を決めるのは取締役会ですが、取締役として続投を判断するのは株主であり、惜しまれつつ退くのか否か、どうとでも邪推できますね。

今回が最後、というような前振りがなく、決算の数字が確定したであろうタイミングに退任表明というのは、決算という「成績表」が芳しくなく、重任させ得ないレベル、ということでしょうか。

新しい社長がまずやるべきことは、情報、特に会計情報の開示。税金で存続している会社として当然の話です。
ヲタ路線での投資とその効果がどうだったのか。また、パシナとの利益相反取引に関しての開示。
2016年度の物販で営業損失計上という不可解な結果を見せていますし。


ところで、このニュースを伝える千葉日報のサイト、現社長の功績として「知名度引き上げ」とは苦しい表現です。社長として、経営者として、その評価は経営を立て直したか、ということにあるはずですが、さすがにそうは言えない。

でも、「全国区に引き上げた」のであれば訪問者も増えて収益も、となるはずですが、そうはなっていないのがまた辛いところです。






鉄道会社の合併 投稿者:ぶなっしぃ 投稿日:2018年 5月17日(木)16時00分35秒 返信・引用


銀行とか家電量販店など業種に関わらず会社の合併はよくありますが
鉄道は昔は別としても阪急・阪神も完全に融合したわけでなく
運賃などを見るとやはり阪急・阪神として別々に存在しているようにみえます。
そもそも鉄道事業では基本儲けを出す事は出来ないのは皆さんご存知の事ですが
そう言う点を考えると地方に鉄道を残すメリットもないのでしょうね。


ケツ持ちは誰が… 投稿者:変速1段直結4段 投稿日:2018年 5月17日(木)12時44分14秒 返信・引用


朝日新聞デジタルに、いすみ鉄道社長退任の記事が。







「旅行業」の中身は 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 5月16日(水)21時16分6秒 返信・引用


いすみ鉄道の決算を見て気が付いたんですが、観光鉄道としての収支がどうなっているのか。

何をいまさらと言われそうですが、2016年度の旅行業収入44百万円を積み上げで考えたときにはたと迷ったのです。

「レストラン・キハ」の営業は最近週末のみ1運用で1人当たり15000円か16000円です。
大型連休など運転除外日もあるので、年間90日も運転すればいいでしょう。そうなると15000円として90日分で1人あたま135万円。平均20人の利用で27百万円の収入です。
キハ28はテーブル付きの貸切で最大50人定員ですが、レストランとしての運行であれば半分以下でしょう。つまり、MAXでも30百万円程度にしかなりません。

一方で観光バスの「ちょい乗り」を想定しても、バス1台ざっくり40人で1人500円(日帰りツアーの代金を考えたらそんなもんでしょう)として1日20000円の収入。年間100日で2百万円ですが、レストランが年間24百万円程度として、残る20百万円を観光バス関係とすると、年中毎日3台は来ないと数字が合いませんし、週末に集中しているとしたら、何かしらの苦情が聞こえてきそうです。

貸切列車を走らせても1本18万円がMAXですから(定期列車増結だと54000円)、なかなか積み上がりません。積み上げサイドの検証をしていなかったのは手抜かりですが、「観光列車」路線が盛況だとしても決算の数字と合わない。原価の按分の問題もありますが、収入側もどういう配分なのか。

ついでに言うと、運輸収入が95百万円で旅行業収入が44百万円。売店業以外の収入の1/3が旅行業であり、地元輸送からの乖離が相当なレベルになっています。売店業は2016年度はついに20万円とはいえ赤字を計上しているわけで、観光鉄道という意味では大井川鉄道がグッズや弁当などの販売が重要、と常日頃言っているのに、いすみはその販売で赤字という説明がつかない状態になっています。

なにか支援策のような売上があるようにも感じますが、それこそ税金が投入されている中でははっきりさせたい部分です。






Re: 「観光列車」路線の是非 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 5月15日(火)23時49分13秒 返信・引用


> No.5796[元記事へ]

happy102890さんへのお返事です。

長々と書かれていますが、言っていることの実現が「鉄道である必要」についての合理的な理由が全くありません。バスという「公共交通」で十分です。廃止に伴う一過性のイベントで賑わっても、「持続性」はどうなのか。今後10年、20年と鉄道を維持していくことが可能なのか。

鉄道は「大量の」輸送が「同じ方向に」集約して存在することで初めて意味がある交通機関です。
下に例示した中標津はバスで鉄道時代以上の利便性を確保していますよね。身の丈に合った公共交通を適切に整備する、ということが理解できていないとしか言えません。







東成田のイベント 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 5月15日(火)23時34分10秒 返信・引用 編集済


20日の日曜日、成田空港開港40周年の日に、旧成田空港駅開業40周年を記念して普段は往時のままに保存?されている東成田駅の旧スカイライナーホームを開放するイベントが開催されます。

旧成田空港駅の開業は1978年5月21日と1日ずれますがそこは固いことを言わないでおきましょう。
ちょうど佳境の成田山開基1080年祭にも重なるわけで、有楽町シャトルの2階建車もあわせて、と盛り沢山に楽しめそうです。

ただ残念なのはホームに入れるのは先着1000名に配布されるポストカードの入手が必須だということ。
いかに東成田とはいえ、1000名だとかなり早い段階でなくなりそうです。(一部には「入場券だけで入れる」というネットの記事もあるようですが、公式サイトをご確認ください。ポストカード必須とあり、さらに別途入場券や乗車券類など改札内に入れる切符類が必要とあります)

20日なら行けるタイミングがあるのに、ポストカード入手までは無理です・・・






「観光列車」路線の是非 投稿者:happy102890 投稿日:2018年 5月15日(火)23時24分34秒 返信・引用


輪島をバカにしたり、デマを流しているわけではありません。輪島みたいに代表的な知名度を持っている観光地でも、鉄道が廃止された事例があることを考えれば、大多喜を輪島みたいに「鉄道のない町」にはしたくない、鉄道のない町をこれ以上増やしたくないということです。鉄道がなくなってから、鉄道の魅力に気が付き、もう一度線路が欲しいと思っても遅いのです。

輪島は確かに能登半島を代表する観光地で、朝市や輪島塗といった観光資源もたくさんあり、鉄道がなくて不便でも来たい人はそれでも来ると思いますが、鉄道が繋がっていて、話題の観光列車「のと里山里海号」「花嫁のれん」が輪島まで直接乗り入れることができれば、鉄道が廃止されてない今とはまた違った展開が待っていて、観光地の魅力にもっと磨きがかかっていたでしょう。そこが、のと鉄道と「あまちゃん」ブームにたくさんの人が訪れ、震災復興のシンボルとなって、こたつ列車も走っている三陸鉄道の違うところです。

さて、いすみ鉄道のほうに話は戻りますが、いすみ鉄道が仮に全線無くなれば、輪島駅がなくなったのと同様に大多喜駅がなくなるわけです。春先には菜の花や桜が咲き、観光バスツアーが何本もやってくるようになったほど、春のいすみ鉄道というのは房総を代表する観光スポットの1つとして成長してきました。いすみ鉄道という夷隅地域の大事な観光スポットを失えば、内房や南房総(安房)地域と比較すると押されて少ない夷隅地域の観光客数が、今より更に減ってしまう、もちろん大多喜だってマニアのような鉄道目当てに留まらず、バスツアーの経路の途中でいすみ鉄道に乗るという需要もあるわけで、鉄道があるから来ている人が廃止で来なくなれば、ただでさえ内房や安房地域に押されて夷隅地域は少ないのに、更に観光客数は減ってしまうのです。春は菜の花に桜、それ以外の季節も四季の花や新緑の里山の景色が楽しめるいすみ鉄道は、夷隅地域にとって大事な観光スポットになっていると思いますよ。

確かに今のいすみ鉄道で、老朽化したキハの後継はどうするのか、キハの後継はどういった観光列車を導入するか、キハの維持費が老朽化でかかり赤字を余計に増やしてないだろうか、など、キハの老朽化がギリギリで使えなくなってからのことを考えているのだろうかという観光列車をやっていく上で課題はありますが、いすみ鉄道の沿線規模では地域の生活交通一筋に徹するには限界があり、観光路線としてよその人にも来てもらえる魅力を高めなければ厳しいのも事実だと思います。ひたちなかと比べていますが、ひたちなかは人口15万人に日立製作所という大手の企業集積があるのに対し、いすみ鉄道の沿線は大原の求心力そのものが小さく、人口もいすみ市が3万7000人、大多喜が9300人と4万強しかおらず、過疎化の進んでいる地域ですから、地域の生活交通一筋でやっていくというのは厳しいものがあると思いますよ。それと、房総半島の東西の均衡ある発展のために、西の久留里線と小湊鉄道、東のいすみ鉄道という形で、海沿いの内房線と外房線だけじゃなくて、内陸に入る鉄道は地域の交通の発展に必要です。いすみ鉄道がなくなれば、外房には内陸に入る鉄道がなくなってしまい、地域の均衡ある発展が難しくなります。

過疎化も進み、車社会が定着している地方において、地域の生活交通一筋で貫き通し、脇道にそれず本筋一本でやっていくのは限界があるでしょう。車社会の地域ですから、どこに行くにでも車という人に今更公共交通に乗ってもらうことは難しいことです。しかし、地域に人を呼び寄せるためのツールとしては使えるのがローカル線で、そのことを観光列車や沿線の人たちの活性化の取り組みが実証しています。普段鉄道を生活交通としては使わないという人たちも、沿線に観光客が増えて町に活気が出てくることは嬉しいようで、お出迎えやイベントの主催、沿線の花の植栽などといった形で協力しています。いすみ鉄道でも、菜の花の植栽ボランティアの他に、駅で定期的にイベントをやったり、駅弁を売ったりしています。沿線の活性化に関わっている人は、鉄道を定期的に利用する人ばかりではなく、自分たちの地域に観光客が来てほしいという気持ちで協力している人も多いでしょう。

大がかりなものといえば、三江線の宇都井駅のイルミネーションは、高架橋から下の水田まで隅々まで電飾を施し、たくさんの電球と取り付ける人出が必要だったでしょう。その努力の甲斐があって、天空の駅として知られ、廃止の年を迎えたからとはいえ今年は「ゆく年くる年」で全国放映されるほどになり、11月は2日で2万人の来場があったと新聞記事がありますが、宇都井駅、三江線そのものの生活利用は少なく、ボランティアで協力した人も、これまで毎日のように三江線を生活交通として利用してきたという人は少ないでしょう。2万人の全部が三江線で来たわけではなく、一部は車で来た人もいたでしょうが、それでもローカル線があることで、ただでさえ過疎化で疲弊している田舎の衰退を食い止め、人が来るためのツールになっているというのはいすみ鉄道に限らず事実だと思います。その点では、老朽化の後をどうするのかなど課題はありますが、いすみ鉄道の観光列車路線を批判することはできません。




「最終レース」の意味 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 5月15日(火)23時22分34秒 返信・引用


イベント時の大量輸送で忘れられないのは2002年W杯での和田岬線ですね。神戸ウィングスタジアム(現ノエビアスタジアム神戸)での試合当日、輸送力と和田岬駅のホームの狭さが危険と判断され、終日運休となり、観客はスタジアムのサイド別に兵庫駅と御崎公園駅に分かれて誘導した、というエピソードです。20M車7連の入線が可能、現行ダイヤで18分間隔の運転が可能ですが、無理との判定でした。

軌道の場合、市民球場時代に広電はどうだったんでしょうね。電車に乗るなら紙屋町(西)か原爆ドーム前ですが、どの程度の増便や混雑ぶりだったのか。ギャンブル関係では富山ライトレールの競輪場前、広電の宮島競艇場前がありますが、中央競馬と違って集客力も小さいから問題ないのかもしれません。中央競馬であれば関西だと淀や仁川、関東だと府中に中山とあるわけで、HRTの長大編成が臨時や臨停で捌いています。

終了時の集中防止としては、そもそも中央競馬は「第12レース」(最終レース)がありますよね。メインの競争は1つ前の11Rであり、メイン目当てに膨れ上がった観客が、せめて1レースだけでも当てて帰りたい?と未練がましく居残ることで分散されています。
野球のヒーローインタビューもその類でしょう。さらに応援団が気勢を上げるのも結果として分散に寄与しています。
その意味でコンサートなどの「イベント」はどうなんでしょうね。分散させる仕掛けがあるのかどうか。

意外と優れているのがバスで、目的地を分散させることが可能であり、1台当たりの輸送力は小さいものの、輸送規模に応じた感じで輸送量を分散させることができます。
先日幕張のアウトレットに行った際、家人が買い物をしている間、ちょうどマリーンズ戦が終わった直後の様子を見てみたんですが、海浜幕張駅、幕張本郷駅への連接バスをメインに、稲毛海岸、検見川浜、稲毛、幕張への路線があるわけで、大きくわけて3つのルートで捌いていました。(千葉中央バスや千葉内陸バスが参戦していました)

このあたりはルートが限られる軌道よりもトータルの輸送力は優れているといえます。






多客輸送と鉄道 投稿者:リリカルゆかりん 投稿日:2018年 5月15日(火)22時31分6秒 返信・引用


先週の日曜日、飛田給で所用があり、京王電鉄を利用したしましたが、
多客輸送への対応という点ではもともと競馬輸送でノウハウを蓄積しているだけに
なかなかの対応をしると感じました。
味の素スタジアムなどが集まる一角は集客施設が多く、一方でこれらに観客用の駐車場はなく
周辺の道路事情もよいとは言えないため、多くの利用者が鉄道を利用します。
京王飛田給駅のほか、西武多磨駅も徒歩圏内にありますが、武蔵境までしか行かない路線のため求心力は低くなっています。

京王は多客予想時には特急や準特急を臨時停車させる措置がとられますが、これも状況に応じて停車本数を調整しているようで、予定外の臨時停車も珍しくありません(当日も1 本停車増でした)

終演は20時20分でしたが、規制退場の影響もあって飛田給駅のコンコースに着いたのは20時48分、電光掲示板を見ますと、特急が臨時停車するようで20時50分に新宿行き特急があり、臨時なしの場合府中ターン(本当はルール違反ですが)も考えていたのですが、ガラガラの状態で到着した10連の列車はホームいっぱいの人を見事に吸い取りました。それでも車内は80%程度の混雑率で、調布での降車も多く、明大前でほぼ立ち客が消えました。しかしこれでも1列車で1000人近くを輸送した計算ですから、1万2千の観客のうち7割弱が京王線新宿方面に集中したと考えましても見事に捌き切ったといえるでしょう。ただし明大前駅の待合室はベンチの座り心地が非常に悪く、そのせいか誰も利用しておりませんでした。京王は関東大手の中で最も早い時期からホーム上待合室の整備に取り組んできましたが、これは大変残念で他社に広まってほしくないと思います。

多客輸送に話を戻しますと、さらに収容力の大きい味の素スタジアムや東京競馬場でも、これまで決定的な問題が生じていないのは
鉄道の輸送力を存分に活かしていますが、一方で先日、東近江市で行なわれたももいろグローバーのライブでは近江鉄道は輸送力が限られるため、利用するなというまさかのアナウンスがされました。これはローカル路線において限界輸送力を極端に低下させたために起こってしまった現象で、1回限りの催事であればそのためのハード面の対応ができないと言われれば反論はできま せんが、鉄道本来の特性が発揮できないというのは由々しき事態です。

この点はやりHRTが優れているのですが、一方で軌道の場合、単位輸送力こそ小さいものの、
閉塞という概念がないゆえに多客時は車両や人員があれば大増便も可能であり、例えば函館市電は競馬輸送時に問題なく対応できており
結局施設が貧弱(貧弱にした)ローカル線が最低ということになります。

一方で施設の側での対応として、今回は規制退場があり退場者が駅に殺到しないための措置が取られました。多客輸送の問題は、圧倒的に行きよりも帰りに生じますが、規制だけでなく様々な方法で帰宅者の流れを分散させる取り組みも必要でしょう。
例えば、中央競馬では観客動員数の多いレースが行われる日は、 レース終了後に著名人のトークショーなどを行ないますがこれなどは他の主催者も見倣うべきことといえます。交通事業者の対応は大切ですが、多客輸送の発生源である側も何もしなくても構わないということにはなりません。




「赤字の足しに」なっていれば 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 5月15日(火)21時54分15秒 返信・引用


うーん、ちょっと違いますね。
高根台や常盤平の場合、街そのもののリニューアルがないと立ち行かないのに対し、鉄道というバスなど他の交通機関という代替策が存在するなかで鉄道を、というのは同じではないでしょう。鉄道がなくても街の価値を高めることは可能ですが、高根台や常盤平の場合、街そのものが瀕死の状態ですから。

確かに紋別や岩内は人口が減少していますが、それが鉄道の廃止とリンクした推移をたどっているでしょうか。例示の倶知安は「本線筋」であり、鉄道があったとしても枝線の先、という紋別や岩内とは異なります。また、隣接するニセコの人気による労働力供給源としての人口増(維持)という面もあるでしょう。
ご指摘の常呂、というか旧湧網線沿線は転換バスの中でも悲惨な事例であり、ならば岩内はどうなのか。公共交通がきちんと機能していますし、中標津にしても土休日はかなり厳しいですが、標茶4(3)往復、釧路5(2)往復、厚床6(3)往復、根室4(4)往復、札幌夜行1(1)往復(カッコ内は土休日)を維持しており、標津線当時の標茶6.5往復、厚床4往復、阿寒バス釧路3往復と比べても廃止から30年弱で現状維持以上の状況です。

観光鉄道がおっしゃるように赤字縮小、つまり観光セグメントで黒字を計上出来ているのであれば、鉄道は装置産業だけに意味があるのですが、いすみ鉄道に関しては観光セグメントが事実上赤字といえます。
(決算書を見ると旅行業は13百万円の黒字ですが、営業収益44百万円に対し営業費31百万円となっており、列車運行に関する営業費が按分されているとは考えづらく(鉄道事業の運送費が184百万円、一般管理費54百万円。専用車両を使用する観光列車の運送費と管理費がわずか6%程度、13百万円相当で済むか? また旅行業の営業費に運行費と管理費が入っているとしても全体の約12%です。レストラン列車の仕入原価もあるわけですが・・・)

これでは赤字の積み増しというしかない状況であり、税金の支出を正当化できる水準といえるかどうか。
観光ははっきり言えば「水もの」であり、今青息吐息のJR北海道にしても、かつてはスキー輸送を中心に先進的な観光列車を揃えてかなりの実績を上げていましたが、ひとたび歯車が狂うとこの体たらくです。その意味では今花盛りの「観光列車」で有卦に入っている各社の中で、同じ末路を歩む危険はないのか、気になるところです。






定性的な効果に税金を投入することは許されないか 投稿者:リリカルゆかりん 投稿日:2018年 5月15日(火)20時01分12秒 返信・引用


鉄道路線の廃止はバス路線のそれと異なり、ほぼ確実に全国ニュースでも報じられますが、「鉄道が廃止になるようなところ」という形での報道は地域のイメージにとって、確実にマイナスに作用します。このような定性的な効 果は数値化が難しく、ゆえに公金投入の
理由とすることへの批判がありますが、たしかに行政の無駄遣いの口実とされがちではあるものの、それを全く認めないとなれば特に商工や教育といった分野の行政は成り立ちません。
そもそも、町おこしや村おこしの成功例も、いくらの金がもたらされたというだけでなく、住民や出身者がその町や村に誇りをもてるようになった知名度が上がったという面もあってのことですし、先ごろ話題になった旧常呂町のカーリングなどはこの点でも成功例と言えるでしょう。

とはいえ、定性的「逆」効果の防止というのはなかなか理解されない面もありますが。管理人様も
2012年 9月20日(木)の投稿で「高根台(高根公団)といえば孤独死」というマイナスイメージが全国区になったら致命的ですよ。そして常盤平に高根台と「新京成沿線はそういうところ」となったらこれも致命的です。と書かれておりますからご理解いただいていると思いますが、これも賃貸住宅が供給過剰のところで更に供給戸数を増やし、で建設費も高騰している昨今、建て替えが事業として採算性があるのか、ない場合、公金で穴埋めをすることが許されるのか(その額がいすみに投入している公金の10倍以上の金額に達する可能性があります)ということは検証する必要があります。

その常呂は湧網線廃止後の代替バスが佐呂間方面はほぼ失われ、網走方面も朝夕のみの運行となっており、結局のところ鉄 道時代よりも利便性は低下しています。もちろんその程度しか需要がない(末期の湧網線は5往復)といえばその通りですが、もはやバス転換しても採算が取れないというのであれば、観光鉄道に近い形態での存続もあり得ました。地域輸送も最小限の形で維持できれば理想的であり
何かと批判されがちないさぶろう・しんぺいの自由席も、極端に基礎需要が少ない区間での公共交通維持の方策としては一つの解といえます。

平成以降に人口が増えた中標津は空港のジェット化というプラス要因(これも標津線廃止の見返りと言われますが、標茶ー中標津のみ存続という選択肢はあったかと思います)
があって人口が増加していますが、紋別や岩内は鉄道廃止時との比較で3割以上人口が減っており、近隣の名寄、遠軽や倶知安が2割は減っていないことを考えれば鉄道の廃止と地域の衰退に因果関係が全くないとはいえません。特にローカル列車のみの運行である倶知安の数値は注目に値します。

各論は地域の事情を強く反映しますから、これをそのまま当てはめればよいという結論は導きにくいですが、
バス転換しても赤字ならば、それに対する公的補助はいくらになり、それは鉄道の場合よりどれほど少ないのか(バスであれば黒字になるのであれば非常に合理的ですが)
あるいては鉄道のままでも、サービス向上や観光輸送への取り組みといった投資でそれ以上に収入を増やせる、すなわち黒字化できないまでも赤字を縮小し、それがバスにした場合の赤字よりわずかに多いとしても、その程度は定性的な効果で 説明して許される水準であれば許容されうるものといえます。




次運用がないんだから柔軟にできないのか 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 5月14日(月)23時16分31秒 返信・引用 編集済


この3726Mとあとの3728Mが東京地下駅着、3724Mと3730Mが貨物線経由で品川着。3732Mが貨物線経由で品川から東海道線に戻っての東京着で、普通に東海道線を進む東京行きは初便の3722Mのみなんですね。交互発着ができない川崎の問題ですが、東京地下駅に突っ込めないというのも大変です。ATS-P化で185系も入れるはずなので、純粋に容量の問題なんでしょう。

こういう時はやはり総武快速線側からは品川14番、横須賀線側からは錦糸町電留線を活用してほしいですね。品川14番は以前その先の運転見合わせが発生し、とっさの判断?で取り込まれたことがあり、やればできるはずです。
運番変更などの小細工が効かない特急やライナーを一時的に取り込むといった対応を決めておき、異常時発生の際には実行する、という準備があればいいんですが。

4004Mも3726Mも次運用はしばらくないんですし。




まさかの磁気定期 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 5月14日(月)22時55分2秒 返信・引用 編集済


連休初日に乗った羽田行き、隣席のスーツ姿のおじさんがお土産らしきものを持っていたのですが、レジ袋とはまた簡素だな、と中身がすべてカールです。そう、チーズ味とうすあじのみ西日本で発売継続となったカールを首都圏へのお土産にしたのでしょう。なるほど、とうなりました。

さて連休も終わりまた巣穴から行き来しているのですが、まさか17年ぶりに磁気定期を買うとは思いませんでした。
まあPitapaの使えなさが総ての元凶です。いや、購入すればいろいろユニークなサービスがあるんですが、購入に手間がかかりすぎます。

同様に転勤した同僚が「IC定期をすぐに買えないなんて」と驚き、かつおかんむりでしたが、阪急主導のPitapaの「終戦」に立ち会うように磁気定期を買い、来年のICOCA導入を待っています。

導入当初はあったはずのプリペイド方式の採用をせずにポストペイにこだわった結果、各社の離反を招き、かつ全国的に見ても異質なカードとなってしまったことで万事休すです。
全国共通のプリペイドをベースに、独自サービスはこちら、とポストペイもメニューにすればまだ違っていたんでしょうが、プリペイドをメニューに持たないというのは無謀すぎました。

それでも大阪メトロのようなポストペイならではの独自サービスがあれば時間がかかってもPitapa、という動きもあるでしょうが、差別化が難しい単純な路線では無理だったということです。
あくまでICOCAの軍門には下らない、とスルKANカード廃止時にレールウェイカードなる新規SFカードを導入しましたが、ICOCA導入を決めたことで、発売開始からわずか1年もたたないうちにICOCA導入とサービス終了のお知らせに追い込まれたのは阪急の断末魔というか、お山の大将にすらなれなくなったということを示しています。






銀色のでかいにくい奴(冗談 投稿者:東怪人 投稿日:2018年 5月14日(月)21時45分59秒 返信・引用


こんばんは

朝船橋駅に到着すると、発車票の時間が10分近く前の時間を出していました。
どうやら通勤快速2644Fが車両点検をしているようで、停車したままでした。

通勤快速があまりに混んでおり、品川まで乗るので2本後の660Fへ。
以下の展開は想像通りかと思いますが、新日本橋で「東京駅満線」になりました。

さて、2644Fが1番線を抜けた後の東京駅ですが、708Fが2番線、660Fを市川で追い抜いた4004Mが3番線に入っての折り返しです。
単純に折り返すだけなら詰まることはなく(これも何回か経験している)、下り列車の発車順序を入れ替えて対処するので問題ないわけですが、
今回は3番線を本来4004Mの回送発車後に到着する「湘南ライナー6号」がふさいでいたためでした。
横須賀線側は定刻なわけでしょうがないですが…。

結局、4004Mは2番線に発着線変更、809Fの折り返しを待ってから入線したようです。
この時間帯、総武線から3番線に入線するのは782Fと4004Mだけ。交差支障を避ける意味でも理想的ですが、その4004Mが引っかかってしまったのは不運としか…。

東海道線との椅子取りゲームに負けた、哀れな総武特急。勝ち誇った銀色のでかいにくいやつを、そのあと品川で見送る(増結1号車から歩いている間に回送で通過)のでした。

乱文ご容赦。




難しく考えないで税金を食べましょう、ですか? 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 5月14日(月)21時30分44秒 返信・引用 編集済


それを「税金で電車ごっこ」というんです。コストのことを考えないで情緒に浸る。今そこにあるものを所与のものとして楽しむ、というスタンスに徹するのであれば、趣味人としての王道ですが、存続に関して文句を言うことは慎まないといけません。

これがもし黒字事業の投資先選定で、経済効果一辺倒ではなく投資効果は劣るけど情緒にあふれる鉄道に振り向けよう、というのであれば賛成しますが、限られた原資の中でどういう事業に振り向けるか。県税の納税者として理解も納得もいかない話です。もちろん赤字事業であっても振り向けるべき事業は多いですが、シビルミニマムの維持として10000円拠出することに賛成しても、ヲタのお楽しみに5000円を拠出することはお断り、という当たり前の選択になります。

今のいすみは、さすがにのり弁で我慢しろとは言わない、幕の内弁当を提供すればいいのに、ステーキ弁当を提供しているようなものです。しかもステーキを喜ぶのは一部の人で、幕の内のほうが喜ばれるというのに、高いコストを税金で賄っているようなものでしょう。

経済効果にしても経営実績にしても、数字の話になると定性的な話、しかも個人の感想レベルの評価を繰り返すだけで、数字ひとつ示していませんよね。大多喜町の観光入込の数字は、細目も含めて毎年公表されていますが、いすみがヲタ向け路線を始めた2011年度以降をみてもほぼ横ばいです。

総数だけ見ると2014年度、2015年度に落ち込み、2016年度に回復しているのでいすみ効果と勘違いしそうですが、主要施設の入込数を見れば、入込の増減は道の駅(たけゆらの里)の集客に完全にリンクしているわけで、沿道の撮り鉄、キハの乗り鉄が沿線の観光に寄与していないことがよくわかります。

それでもヲタの収入がいすみの収益に寄与しているのであればまだしも、いすみの観光セグメントが赤字ですから、「赤字の足し」どころか「赤字の積み増し」という状況では、予算を何にどう振り向けるかは自明の話です。

ちなみに鉄道至上主義の人が平然とまき散らす話に、バスは運転手の確保が、というものがあります。
大型2種免許取得者の確保が難しく、鉄道の運転士の確保が簡単というわけがあるはずもなく、鉄道が免許取得費用を内部化していること、バスがトラックなどとの免許取得者の取り合いになっていること、という特殊事情があるわけで、免許取得費用の内部化はもちろん、給与面での待遇改善で対応できる話です。

鉄道の運転士の場合、いすみは「自腹運転士」で話題になりましたが、その総額700万円と聞くと、いすみの収入で回収できる数字なのか。上場企業の所得でいえばマイホームを購入するようなレベルのコストがかかるのに人が集まるわけがないでしょう。いすみの場合もあまりの高額にどんなブラック企業と批判がありましたよね。

それと、輪島市が観光地として終わっているようなデマをまき散らさないでください。
道の駅の立ち寄りが半分以上という「水増し」?の大多喜町と違い、「真水」で年間100万人以上の入込があるんですよ。
輪島市のデータでは能登半島地震の影響が大きかった2007年度を除き100万人台で推移して、2015年度が北陸新幹線開業で140万人台と大きく増加して足元は120万人台と漸減傾向ですが、のと鉄道の影響が目立って出ているのかどうか。

穴水−輪島間の廃止による直接的な影響がある2001年度、能登線区間の廃止による「鉄道を利用した」周遊が困難になった2005年度はどう変化したか。実は1997年度にかけて減少傾向が続きましたが、その後は横ばいになっています。(過去データは資料により門前地区の数字の扱いが異なるので実数による比較が困難)
2005年度の数字は門前地区を含む数字で2004年度比10%ほどの減少となっていますが、2003年7月開港の能登空港の開業効果一巡とみるべきであり(2003年度および2004年度は2002年度比20%ほどの増加)、2001年度に目立った減少がないこともあり、能登空港の開港、2013年の能登有料の無料化、2015年の北陸新幹線開業といった高速交通の整備による効果と比べれば、のと鉄道が観光にどの程度寄与していたのかと言えば極めて限定的としか言えません。






いすみ鉄道のことで 投稿者:happy102890 投稿日:2018年 5月14日(月)01時05分51秒 返信・引用


まあ、難しく考えていますが、「税金で電車ごっこ」と難しく考えないで、日本の田舎のローカル線を残したい、その素直な心でいいじゃないですか。

いすみ鉄道の存続、廃止を巡る持論を展開されていますが、今せっかくいすみ鉄道が夷隅地域を代表する観光スポットとして、春は菜の花に桜、夏はあじさい、秋は紅葉と四季折々の景色が楽しめる路線になっているのに、それを廃止してしまっては、地域にとって代表的な観光スポットを失うも同然になってしまうと思います。

輪島のように日本を代表する観光地として知られる市であっても、鉄道が廃止され失われた事例がありますが、今大多喜には輪島と違い「鉄道」が残っています。それを廃止しては、いすみ鉄道そのものが観光鉄道としての役割を果たしており、大多喜の城下町としての付加価値はいすみ鉄道があることで上がっていると思います。

一方で廃止してメリットになるとすれば、いすみ鉄道は大原の町としての求心力が小さいため、上総中野から大原までの通し利用は意外と少なく、生活交通としては大多喜が利用状況上の境界線になっているため、バスに転換すれば時間帯の需要に応じて大多喜-国吉といった区間便が運行できることや、大多喜病院やいすみ医療センターといった病院の前にバス停を設けられる、国吉駅前ではなく医療センター経由のバスを新設できることくらいでしょう。小湊バスも慢性的な運転士不足で、26kmとある路線の代替を引き受けるのはかなり厳しいと思いますが、30年近く維持してきた地域に密着した鉄道を捨てるのか、せっかく観光スポットとして盛り上がってきた鉄道を捨てるのか、バスの運転士の確保をどうするのかなど課題は多く、廃止することはメリットよりデメリットのほうがはるかに多いと思います。

鳥塚社長が就任して今年で9年、観光鉄道としての活性化はかなり進んできていますが、一方で生活交通としての活性化はほとんど進んでおらず、大多喜病院については病院のすぐ目の前を線路が通っていながら、新駅設置の話すら出たことがないという状況です。城見ヶ丘駅は先代の公募社長である吉田社長時代の設置なので、鳥塚社長の実績ではありません。観光列車を走らせてきていても、生活利用が年々減っているのは止めようがなく、生活利用が減れば結果的に全体の利用者数は少なくなったことになり、結果として「経営改善に至っていない」という答えになってしまう、これは仕方ないことだと思います。観光鉄道としての活性化はやりつくした感があり、生活利用をどう伸ばすかが次の課題だと思います。

ひたちなかは生活交通として利用してもらうことが重要という考えで、活性化の取り組みを具体化させていますが、その土台には人口集積がある程度あることも大きいと思います。ひたちなか市は15万人の人口がいる、日立製作所のような企業集積もあるのに対し、いすみ鉄道の沿線はいすみ市が3万7000人、大多喜が9300人と4万強の人口しかおらず、それだけの人口しかない地域で、しかも車社会の地域ですから、どこに行くにでも車という人に今更公共交通に乗ってもらうことは難しく、地域の生活交通としての需要だけで鉄道を存続していくことは無理があると思います。いすみ鉄道に限らず、ローカル線を本来の目的である地域の生活交通としてだけで存続させるというのはどこも難しくなってきていて、存続のためには観光鉄道としての活性化、地域交通としてはなかなか使う機会がなくても「地域を盛り上げるために、人を呼び込むためのツール」として活用していくことが重要だと思います。

ひたちなかの事例を挙げていますが、いすみ鉄道の場合、大原の町としての求心規模は小さく、沿線全体でも単独市制基準である5万人にも満たない田舎の地域ですから、生活交通としての利用だけで存続させようって言ったって無理がありますよ。今のいすみ鉄道の規模で、どっちかだけで存続させようというのは、車の両輪を外すようなもので、生活交通と観光鉄道の両方が揃っていなければ厳しいと思います。




アーバンパークエクスプレス 投稿者:dai 投稿日:2018年 5月13日(日)18時58分10秒 返信・引用


土休日の夕方大宮発だけ、先発の確定の6分後(それ以外の時間帯は10分後)に大宮を出て、岩槻で緩急接続するんですね。

船橋口もこんな感じになるのでしょうか。




歴史は半世紀 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 5月13日(日)14時09分43秒 返信・引用


昨夜の報道ステーション、じゃなくてサタデーステーションで、お天気関係の話題物で京成バラ園の中継がありました。
夜間ですが特別にとのことでライトアップされており、まもなく見頃を迎えるバラが懐かしかったです。

しかしいただけないのが、バラ園開園が約20年前、という紹介。
京成バラ園芸自体は半世紀以上の歴史があり、もともと谷津遊園のバラ園管理からのスタートで、そのバックヤードとしての八千代のバラ園ももうすぐ半世紀になる歴史を誇る京成の異色であり、有名な副業です。

おそらく1999年の全面リニューアルを指しているのでしょうが、地元民としては昔からの「バラ園」であり、そんな浅いものではないだけに、ちょっと残念な紹介でした。






新系列なのか番台区分程度なのか 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 5月13日(日)12時00分44秒 返信・引用


N800系が2018年度導入の新3000系にない機能、ということは、2019年度以降の3100系?のプロトタイプとか。3050系(3000系7次車)のように蓋を開けてみたら新3000系のマイナーチェンジかもしれませんね。




12日外環松戸公開、写真展、俺の外環 投稿者:都営沿線民(元八千代台民) 投稿日:2018年 5月12日(土)13時07分2秒 返信・引用


題名のイベントが外環松戸の矢切駅徒歩10分のr1号との交差点近くの外環、高速部地下で開かれています。 夕は予約のナイトウォークも開催ですがこちらは満席とのことです。 知人の企画会社が運営している様です。お近くお時間ある方は15時まで入場可です。 関係者も居ると思いますので詳しく質問できる開通前の最後のチャンスかもしれませんね。https://www.city.matsudo.chiba.jp/shisei/matsudo_kouhou/teireikishakaiken/h30/20180426.files/02_gaikanevent.pdf




Re: 次期新系列は悩ましい 投稿者:都営沿線民(元八千代台民) 投稿日:2018年 5月12日(土)11時22分49秒 返信・引用


> No.5781[元記事へ]

エル・アルコンさんへのお返事です。

 期待したいですね。 先日の新京成事業計画の中に示唆する一文がありましたね。 今年導入のN800にsic VVVFを搭載する。 新京成ではご存じの通り過去の経緯で三菱製となるでしょうが、
京成の場合ですと、sicでも東洋電機のrhomのモジュール採用のsicの確立が高いですが、2018年
導入の3000には事業計画見てもsicではなさそうです。 sicといえば、浅草線の5500系がそろそろ
2編成目も総車から納車時期になっても、ネット上では誘導障害が発生らしく、馬込車庫から出られないと書かれています。 京急のsicも浅草線〜SA線と近く乗入開始予定なのでどうなるでしょうね?。 SICといえばモーターはメンテフリーで静かで省エネのPMSMを期待したいですが、開発メーカーが東芝なので次期車両の1次導入には無理かもしれませんね。 カーブの多い本線ですので、操舵台車とかも・・・。 LCDはメトロにあるシームレス感の3画面式を千鳥ではなくドア全ての上に欲しいです。 今の1画面に紙の路線案内図ではいかにもチープで粗雑です。 車体は製造メーカが日本車両に総車ですので、SUSブロック工法か東急時代最後のサスティナのボディーは確定だと思います。 電動車比率も下げずに6M2Tは通して欲しいですね。 京急絡みで無いですが、メトロもボルスタレス台車からボルスタアンカー付きに回帰していますので、これは形式に変化ないでしょうね。 京急品川カーブと浅草線のホーム長と大風呂敷きと言われるでしょうが、もう
いい加減に噂の様に20m4ドアの7両か8両にでも大型化してもらいたいですね。 これは一番困難
でしょうが、他にもインテリアにシート色々ですが、フロントは流行りのブラック基調の歌舞伎
ずらかもしれませんね。





次期新系列は悩ましい 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 5月12日(土)10時12分18秒 返信・引用


京成の新3000系増備は3600系8連の残存5編成と2017年〜2018年の8連増備編成が5編成とバランスするので、3600系は4連組を除き全廃でしょうか。3500系更新車が相当数残りますが、これと3400系の置き換えが新系列車(新3100系?)になるのか。

「赤電」は3300系まで一連の系列のように扱われましたが、こんどはどうなるのか。合理性から言えば、都交5500系との共通化でしょうが、新3000系の延長線のほうが京成としては圧倒的に楽なはずです。
登場パターンとしては、まず4連の新車として登場し、次いで6連で3500系、3600系を完全に置き換え、最終的に3700系の置き換えに向かうのでしょうが、3700系を置き換えるとなると、1次車でも車齢30年弱で置き換え開始になりそうで、ちょっと早い気もします。
その意味では、4連置き換えと、それと共通運用できる6連として、3500系、3600系を置き換えるマイナーチェンジ車かも。

あと気になるのは新京成のN800系。2018年度にN858Fが増備されても8000系がまだ2編成残るわけで、これと車齢30年を超えてきた8800系全16編成をどう置き換えるのか。
新3100系?ベースの新車か、あるいはN800系をそのまま増備するのか。新3100系がマイナーチェンジ程度で、3700系置き換えにはフルモデルチェンジとするのであれば、新京成の8800系置き換え系列はちょうど谷間に落ちる格好になるわけで、8800系を40年選手で使い倒すのか、あるいは新3100系タイプが本家京成以上に繁殖するのか。




Re: いよいよ打ち止め 投稿者:吉吉 投稿日:2018年 5月11日(金)21時48分53秒 返信・引用


> No.5779[元記事へ]

エル・アルコンさんへのお返事です。

新3100形、期待したいです。

新3100形は駆動装置統一で二種併用廃止、妻面への番号表記廃止、側面の車番は東急新5000系方式に変更、側面の帯を3700形と同じ幅にすること、前面の黒い部分を狭くして角張った形状にしないこと、乗降扉や貫通扉の車内側に化粧板貼り付け、原点回帰のためにもハイフンなしの従来方式による車両番号付与方法に変更、力行や制動の台車単位制御やイーサネットを活用した車内伝送システム導入、側構体のレーザー溶接の採用、部材別組立・後取り付けのユニット化や構体の全車共通化、新製時に複数年一括発注や車体以外の殆どを可能な限り流用を行い、同業他社や各製造会社と話し合って車体や機器等に共通性を可能な限り持たせること等が望まれます。

マイナーチェンジは駄目で特急車同様、企業の看板で斬新さと華やかさで乗客に夢を与える通勤車が必要で「北総線空港延伸開業時にはもっといけている車両を」と言ってもやらず「3700形や京王9000系に準じたのが良かった」という声も。




いよいよ打ち止め 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 5月11日(金)21時13分9秒 返信・引用 編集済


京成の2018年度設備投資計画で、新3000系8連2本、6連2本の増備と、来年度以降の新形式車両の設計開始がアナウンスされており、新3000系は3050系8連6本のほか、8連13本、6連29本の326両で打ち止めになるようです。

旧3000系シリーズ(3000系〜3300系)のいわゆる「赤電」が258両、3700系が132両なので、群を抜いて多い勢力になりました。

同系の北総7500系が8連3本、千葉ニュータウン鉄道9200系が8連1本、新京成N800系が6連4本あり、2018年度にN800系6連1本が増備されるので、グループ全体では388両で打ち止めになりますが、私鉄各社でも稀有なレベルの「標準化」ではないでしょうか。8000系全盛期の東武がどのくらいだったかですね。8000系の両数は私鉄の103系と異名をとるほど多かったですが、標準化という意味でです。
※当初N800系を8連で計算していましたが、6連ですよね。お詫びして訂正します。

ただ、京成も1972年の3300系最終増備時であれば、8割方が「赤電」だったはずで、今回もそこまでは及ばないとはいえ、3000系といえば京成の標準車という伝統が確立したのかな。

初代3000系列は1958年〜1972年の足かけ15年間の増備。
新3000系列は2003年〜2018年の足かけ16年間の増備。
となると、三代目3000系列は2049年〜2065年の足かけ17年間の増備、かな。直接置き換えだとして、車齢40年としたら2043年〜2058年、いずれにしても生きて見ることは無いでしょうが・・・





エアレースはどうなる 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 5月11日(金)21時11分6秒 返信・引用


いつのまにか恒例行事となった幕張のエアレースですが、離着陸は新浦安の海岸沿いの公園であることはあまり知られていません。幕張側でも4日間にわたる大会と公式練習がもたらす騒音が少なからぬ批判を招いているのですが、今年は浦安側でも問題が発生しました。

今月、海岸沿いにホテルがオープンしたことで航空法上の高さ制限に抵触することが判明、今更他の場所に滑走路を確保することも無理で、離着陸ができないのでは大会の開催も不可能という頭を抱える事態になりました。

結局ホテルを全館借り切り「無人」とすることで危険はないとして特認を得るようですが、今年は公式練習を含めて3日に短縮したのにケチがついた格好です。

まあホテルの建設がどのくらい前から計画されていたのか。航空法の問題は当然わかっていたはずで、ホテル開業までの時限的なイベントというつもりだったのか。あるいは折り合いがつかず、浦安市としても幕張のイベントであり、ホテルのほうが重要ということで調整をしなかったのか。何もなかったとしたらそれこそおかしな話です。

ちなみに「無人」ならいいのか。ホテルは滑走路と平行の関係にあるので、異常事態が発生して接触するという可能性に対する規制ですが、ホテルのゲスト等への影響だけがリスクでないわけで、接触して操縦不能になった飛行機が別のホテルやマンションに突っ込むリスクは排除できていません。
その意味では特認はあり得ないのですが・・・






鉄道至上主義、クルマ敵視では利用者は迷惑 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 5月11日(金)21時10分34秒 返信・引用


結局鉄道至上主義、クルマへの敵視というバイアスが掛かっているわけです。
クルマではなく、というのであればその手段として検討するのは「公共交通」という枠組みであり、輸送量などからどういう交通モードが適切なのかを判断すべきであり、決して「鉄道ありき」ではありません。

「交通権」を持ち出すのはいいですが、それは「移動する権利」であるべきであり、「公共交通」が適切な規模で整備、提供されうる環境とはいえても、それは鉄道であるべき、とは到底なりえません。
それよりも「○○権」として国家が保障すべき権利として定義するのであれば、それは最小限の水準を示すものでしょう。税金という限りある原資で整備するのであれば、納税者への最低限の説明責任として、より厳格な「適材適所」の判断が求められますが、鉄道である必要性を合理的に説明できている試しがないのが現実です。

「コンパクトシティ」「串とお団子」にしても、「税金で電車ごっこ」の方便にすぎないわけで、先進都市ともてはやされている富山市にしても、じゃあ「公共交通」を串にして、と言ってたはずなのに、幹線道路が貫通して都市軸を構成しているR41で「串とお団子」を取り組んでいるのか。既存の都市軸を無視して地鉄上滝線のLRT化にご執心のあたり、路面電車という手段が目的化している証左でしょう。

ちなみに富山ライトレール(TLR)を「串とお団子」のモデルというのも怪しいわけで、デフォルメされた路線図だけしか見ていない人にはわからないでしょうが、TLRはあいの風と「並行」している、つまり、団子に串を二本差しているわけです。さらに東には地鉄があり、TLRとの並行が消えると今度は地鉄が寄り添ってくるというあいの風に経営責任を負うのも行政です。バス路線だと串を1本も刺さないのに、鉄道だと2本、3本と刺しているんですよ。

そしてクルマへの敵視政策は、「利用者の視点」を全く無視しているわけです。
「交通」は目的ではなく手段。その大原則が分かっていない。「電車ごっこ」はその典型ですが、クルマを敵視して「誤った政策」とまで言い切りますが、じゃあクルマによりもたらされた生活の向上は無視ですか、という話です。毛色の変わった話をすれば、実際に重篤だった救急患者の病院へのアクセスにおいて、自家用車が占める割合が実は多い、という調査結果があるわけで、生活レベルの向上は言うまでもなく、道路整備と鉄道整備の効果、価値はどう違うのか、考えるまでもない現実を無視した議論です。

「利用者の視点」というフレーズをよく目にしますが、本当に寄り添えているのか。
交通は手段である、という大前提に立てば、鉄道至上主義やクルマ敵視の発想は、不便な手段を利用者に強いて、税金の無駄遣いが住民でもある利用者が得られるはずだった行政サービスの原資を略奪するという、およそ利用者の立場とはかけ離れた結果をもたらすのです。






Re: のと鉄道で付け加えになりますが。 投稿者:吉吉 投稿日:2018年 5月10日(木)23時00分8秒 返信・引用


> No.5759[元記事へ]

happy102890さんへのお返事です。

今は北陸新幹線が開業したこともあり穴水以遠廃止が惜しまれ、復活希望の声も出ています。

線路への公的支援は近代化名目で年間約25億円。日本の過疎化問題にしても公共交通機関廃止と無関係でないのです。

平成10年には能登三井で交換不可能となり輪島-穴水間が1つの閉塞区間となって廃線。

七尾線一部区間の引き受け後、のと鉄が多額の赤字を計上しモータリゼーションが加速し穴水以北は簡易線規格で造られたため線形が悪く、速度向上できず、並行して道路網が開通。

金沢-輪島間には当時から平行して高速バス「奥能登特急」(現輪島特急)が運転されていたがバスの所要時間が2時間で運賃が2000円なのにJR西日本・のと鉄経由では所要2時間50分で運賃2400円、急行「能登路」を利用しても所要2時間20分を要し七尾線の運行に関わる支出は前述の経緯でJR西日本に対する約1億3400万円にも上る使用料が含まれ、これが経営を圧迫したとも考えられています。

能登空港開港に伴う交通再編が想定されたこともあって平成12年3月に廃線決定し翌年廃止。

線路上を走る列車はバスよりも最高速度を高くできるしバスは積雪時に実用的でないのです。

廃線跡は全区間で線路や枕木、鉄橋が撤去され跡地の一部が住宅、駐車場等に利用されるなどしていても復活は強ち不可能でなく廃止が危ぶまれても商機も旨みも有ったし高速化工事、立体化工事、リフレッシュ工事等と同じ様なのと思っていれば良く、類例は過去に複数存在。

何か政策的に誤りがあったからで自動車社会助長を進め、車の購入費用や燃費、維持費、税金としてお金を消し続け年間1km辺りの渋滞損失額1億円以上も問題です。

ドイツならギリギリの所で新しい考えを取り入れて復活しており廃止各線もそれなりに対策は考えられたましたが経営コンサルタント等では従来の路線上での考えでは打開できないのです。

復活には自治体、政府、民間企業からの出資が必須で、やる気にかかっていますが最大の問題は一旦廃止後の復活は新線扱いとなり原則として踏切を置くことを認めない国土交通省の決まりに触れ、なかなか工事できないことで休止なら踏切云々の問題は無かったのです。

場合によって廃路が再開され、地域づくりの核として遠方からの来訪者にも交通権を提供する装置として活用されてほしく、地方路線の存在意義の一つに遠くに居る者でもその地域に訪れやすくなるし改良しようと思えば使いやすいよう改良できたわけです。

三セク方式は寄り合い所帯で責任の所在が曖昧です。

交通権は明確に認識されないといけないし法的整備されると地方路線の存在意義がより大きくなるから路線や駅を中心に都市機能を集約させた富山県富山市の「お団子と串」が全国的に行われるようになり自家用車を経済的に保有できず地方移住できなかった状態から解放され、一極集中緩和を期待したいから地方路線がこれ以上廃止されないことを願っています。

ドイツでは前に行われた改革で合計5000kmに及ぶ500の区間、現在稼働している路線の10%に当たる区間が廃線になっているにしても廃線復活は集客効果になり廃駅になった駅舎は民間住宅として売りに出されることもあります。

希望通りの復活が実現すれば各地域で交流が深まり、地域の象徴にもなれ、バスだと時間がかかる問題が消え、住民に福音を齎し、各地域で通勤通学圏や商圏が拡大し、地域の印象の向上や活性化、PR、渋滞覚悟等が要る車も所有の必要性が薄れ、車社会が定着していても抜本的大整備で一割以上客を増やした例は多いのです。

ドイツなら更なる復活に積極姿勢で一早く成功を収めた例がドイツ北部の保養地として知られるバルト海のウゼドム島の路線で南西部バーデン=ヴュルテンベルク州のベーブリンゲン—デッテンハウゼン区間は路線復活で3倍の集客効果が見られ、この成功を受け廃線復活の可能性がある路線の査定等を行っていくというが日本は逆です。

バスは列車と違い運行本数削減が容易いことが問題で線路は容易に無くすことは難しく、より撤退しやすいため低コストでも赤字続きなら減便や運休の可能性も否定できず、渋滞による遅延の危険性も高まり、渋滞が無い定刻発車はBRTの大きな長所だが長所が失われてしまうこともあり明らかに舵取りを誤ったわけです。

廃止より必要だったのは可能な限り最大限に開発計画への組み入れ、現状の3倍程度では甘過ぎるし不正乗車に屈服している様なのだから不正乗車で通常の十倍以上の運賃徴収、更に企業等に使って貰える様にダイヤ等の改善、線路へ特定財源立ち上げ、周辺住民への意識改革、線路の最大限強化等による所要時間短縮、旅客列車で宅配便の荷物を運ぶ貨客混載事業実施、企業や自治体等が列車運行を支える株式発行、他社や専門家とで合理化や増収の協議会や委員会の立ち上げ、潜在能力の最大限活用、社有財産貸出、新規出資者開拓等による授権資本充足金融機関から安定的に資金調達可能な環境整備、沿線に中高一貫校等を造ること、再度において官民連携を確かなものにすること、愛好家が様々な将来像を描き、社会や企業に提言できる様にどんどん声を上げて社会貢献、高齢者活用、あえて観光に依存しない施策、線路等との組み合わせで自転車を積んで移動可能にすることで周辺への足を良くすること、駅や運転密度を多くして何より総合的な地域創出、経済振興のためにも車に頼らず線路を中心に徒歩、二輪車、バス等の交通手段を適時使い分けられる交通機構構築、沿線住民や企業等も経営に参加等々だったのです。

経営コンサルタントの助言を受けながら最盛期には100kmを超えた営業路線も現在は三分の一にまでになり、乗客減で厳しい経営が続き平成27年から「のと里山里海号」を運行して普通が減便されたが、それはよくないです。

平成24年3月10日よりNT211号車に永井キャラが描かれたラッピング車運行を開始。これは輪島市に永井豪記念館があり永井豪さんの出身地であるためで永井豪記念館の広告も兼ねていますが穴水以北が既に廃止されているため記念館までは穴水からは愛知県や岐阜県の名鉄や北鉄の系列である北鉄能登バスの移動となるのが惜しまれ意味ないです。

今や何処も車社会となっていますが車社会への収斂は悪く、運転できないお年寄りも急増し車中心の地域社会から再び線路を注目しないといけないわけです。



連休最終日のアク特など 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 5月 7日(月)22時06分39秒 返信・引用


巣穴に帰ったんですが、さすがGW最終日とあって混んでましたね。利用した便も満席でした。
往路に乗り損ねたアク特を試そうと、羽田行き最終のアク特をチョイス。新鎌ヶ谷から羽田まで63分、国際線なら60分で、新京成沿線からだと津田沼リムジンに対する競争力を十分持ちます。
と言いたいところですが、青砥での長時間停車はいただけません。5分ほど停車して本線特急との相互連絡を演出していますが、羽田アクセスどころか対都心での速達性も全部無駄にしています

だいたい、品川まで各駅停車の羽田空港行きを新鎌ヶ谷で抜くわけですが、この電車が品川時点で10分ヘッドの羽田快特になるわけで、アク特〜エア快と10分しか時間差がつかないという時点でおかしいわけです。エア快が押上で追い抜く本線快特が品川で5分後になるのですから、押上以北で5分しか早くない、というのは、10駅通過で得られる時間差ではありません。

成田空港側での制約が厳しく、京急との兼ね合いもあるとはいえ、青砥で漫然と待つのは厳しいです。
ちなみに乗り通し状況ですが、スーツケースが目立った車内も東松戸以降ぱらぱらと消えていき、青砥でまとまって降りますね。結局「京成は日暮里」であり、成田で来た方の電車に乗った、という感じでしょうか。都交線内では浅草、大門、三田で乗り通しが消えた、という感じです。逆に羽田行き需要ですが、国内線で19時台後半以降、国際線で21時以降の搭乗というニッチな時間帯ですが、その太宗は品川から。これも都交からの乗り通しはイマイチでした。

前運用の遅れで羽田発が5分のDelayでしたが、これが命取り。到着が集中する時間帯で、ターンテーブルが2つしかないのに3便が集中し、空港の公式では最後の行に羽田発が書いてあるとはいえ、通常ならまず先に着いていたのにこの日に限って最劣後。荷物の多い沖縄線の受け取りを延々と流した後にようやく出てきましたが、プライオリティタグで降機後20分では嫌になりますね。昔は競合便がなければ歩いてきたらターンテーブルが回っていただけに、最近の球出しの異様な遅さもあり、CSの劣化が著しいです。

そういうことをしているから機内に無理やり持ち込む人が後を絶たないわけで、55×40×25あるいは総和110cmのルールが空文化しています。一時保安検査場に「枠」を設置していましたが、係員がヒョイと持ち上げてしまっているようでは話にならないわけで、保安検査になっていません。
この日も総和110?クラスのジュラルミンバッグに一抱えもあるリュック、さらに小さなカバンと3つですよ、ドアクローズ間際に乗り込んで当然スペースがないからCAに収納させていましたが、保安検査場は何やってんだか。ハンドバッグ等を除けば持ち込みは1個なのに3個とは。2個はもう日常茶飯事であり、預け荷物の球出しの遅さもあいまって、正直者が馬鹿を見るを地で行っています。

海外では搭乗口で違反者の荷物を強制的に預けさせるとか(そのためのシューターがある)、小型機では待合室で係員が巡回して大きめの荷物(キャリーバッグ)にタグをつけて専用の荷物室に預けさせるとか、実効性のある対応がなされていますが、日本の甘さが目に余りますね。





外環ネタ 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 5月 6日(日)16時57分53秒 返信・引用


もうすぐ巣穴に帰ります(苦笑)
外環を走ってみたんですが、三郷南で降りるのも矢切のところで二十世紀が丘方面に曲がるのも今回が最後ですかね。外環三郷西もあれだけ使っていたのに全く使わなくなりましたし、三郷市内の土手道や並行する市道ももう10年以上走っていません。

高谷開通時の看板が既に設置されていて隠されているものも少なくないですが、JCTまでの距離表示はまず京葉JCTがあることが透けて見えます。直進方向が三郷南となっているものはあからさまにカバーが掛かっていますが、高谷なのか東関道なのか。京葉JCTで京葉道から見える表示では高谷ですが。

三郷中央のオフランプもできていますが、オンランプは「外環三郷東」改め、ということになります。
三郷南の「鷹野出口」はカバーの上になっていますが、最終の出口のところはまだ本設で、「鷹野」は生き残れるか。

しゃくなのは東埼玉道路分岐予定地の「イカの耳」に設置された横断幕で、高谷開通で1,020円に値上げとそこだけは早々に宣伝です。

ちなみに大泉付近、都内西側区間の設営で重機の姿も見えており、高谷開通後はこちらに専念ですね。
高谷開通で埼玉区間、都内東側区間、千葉区間と一気に完成して、残りは西側になりました。





Re: 何がしたいのか判らない実証実験 投稿者:変速1段直結4段 投稿日:2018年 5月 6日(日)11時13分24秒 返信・引用


> No.5772[元記事へ]

エル・アルコンさんへのお返事です。

> アクアライン高速バスで伝説の大コケとなった東京−茂原線ですが、茂原絡みの高速バスが5月から増えます。
>
> 茂原、木更津、長南の2市1町の実証運行で、小湊が運行する茂原駅−MOP木更津線、土日(月〜金は祝日でも運休)運行で6往復と強気ですが、ツッコミどころ満載としか言いようがありません。
>
> 茂原駅−長南駐車場−木更津うまくたの里(木更津東IC脇の道の駅)−金田BT−MOP木更津で、うまくたの里のみ乗降扱いのクローズドドア制ですが、もしうまくいけば鶴舞BTに停車させたうえで東京−茂原線の置き換えでしょうか。
>
> しかし、MOPターゲットで茂原、長南からどれだけの需要があるのか。MOP幕張や酒々井プレミアムアウトレットをターゲットにした路線が軒並み討ち死に(幕張−酒々井、幕張−ユーカリ)しているなかで、人口規模といい、6往復も誰が乗るのか。実証実験とのことですが、税金の無駄遣いの誹りを免れません。
>
> 金田BT経由なのでアクアラインバスとの連携というのでしょうが、既に羽田・横浜へのリムジンがあるわけで、東京駅へはあの惨状と、実験前から結果が出ている状態です。だいたい、茂原16時(金田17時5分、MOP17時10分)、18時20分(金田19時25分、MOP19時30分)が金田BTで乗り継ぎなんて無茶もいいところ。折り返しも無ダイヤ必至です。
>
> 今回ガウライナーの試乗での袖ケ浦17時52分発、以前東京−茂原線を利用した時の茂原17時発(当時)では乗車時に「乗車拒否」を食らいましたが、実証実験で乗車拒否が出るんでしょうか。5月19日から11月11日までの期間限定ですが、全う出来るかも心配です。
>
>

木更津市は、『うまくたの里』の利用率が観光のトップシーズン以外は
芳しくないのを何とかしたい、らしいですね。

茂原市と長南町は・・・・・。
ぶっちゃけ、税金でMOP木更津に遊びに行きたいってだけなんでは?
と、勘ぐりたくなりますね。半年も走らせれば、需要は一巡しますし。




何がしたいのか判らない実証実験 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 5月 6日(日)09時23分49秒 返信・引用


アクアライン高速バスで伝説の大コケとなった東京−茂原線ですが、茂原絡みの高速バスが5月から増えます。

茂原、木更津、長南の2市1町の実証運行で、小湊が運行する茂原駅−MOP木更津線、土日(月〜金は祝日でも運休)運行で6往復と強気ですが、ツッコミどころ満載としか言いようがありません。

茂原駅−長南駐車場−木更津うまくたの里(木更津東IC脇の道の駅)−金田BT−MOP木更津で、うまくたの里のみ乗降扱いのクローズドドア制ですが、もしうまくいけば鶴舞BTに停車させたうえで東京−茂原線の置き換えでしょうか。

しかし、MOPターゲットで茂原、長南からどれだけの需要があるのか。MOP幕張や酒々井プレミアムアウトレットをターゲットにした路線が軒並み討ち死に(幕張−酒々井、幕張−ユーカリ)しているなかで、人口規模といい、6往復も誰が乗るのか。実証実験とのことですが、税金の無駄遣いの誹りを免れません。

金田BT経由なのでアクアラインバスとの連携というのでしょうが、既に羽田・横浜へのリムジンがあるわけで、東京駅へはあの惨状と、実験前から結果が出ている状態です。だいたい、茂原16時(金田17時5分、MOP17時10分)、18時20分(金田19時25分、MOP19時30分)が金田BTで乗り継ぎなんて無茶もいいところ。折り返しも無ダイヤ必至です。

今回ガウライナーの試乗での袖ケ浦17時52分発、以前東京−茂原線を利用した時の茂原17時発(当時)では乗車時に「乗車拒否」を食らいましたが、実証実験で乗車拒否が出るんでしょうか。5月19日から11月11日までの期間限定ですが、全う出来るかも心配です。






京成が首を縦に振らなかった?理由が知りたい 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 5月 6日(日)08時57分30秒 返信・引用


まあ松戸にリムジンがないというのは首都圏の中でも異様なまでの空白域になっていますから、設定の陳情があってもおかしくないでしょう。ただ成田行きがR6柏経由、さらにそこからも一般道ということで使い物にならずに消滅したとはいえ、いったんは設定されていたので、まったくの処女地ではないのですが。

しかし2013年の段階では「具体的協議には入っておりません」とはいえ、事業者との会話はしているはずで、それだけの時間をかけていながら京成バスに袖にされたというのは何とも意味深な話といえます。新京成初の高速バスといえば聞こえはいいですが、特にノウハウが求められる空港リムジンですから懸念材料は尽きないわけで、実績ある京成が参入しなかった理由を知りたいですね。

まあどんでん返しとして、松戸方は京成、松戸新京成の共同で、という線もあるので何とも言えませんが、あとは空港方がどこと組むのか。東空交か京急か。京成も津田沼は東空交、西船橋は京急と全方位外交ですからどっちになるかです。





あの図は何を意味しているか 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 5月 6日(日)08時31分58秒 返信・引用


あの図は急行運転区間に絡む「路線図」を示しているといえますね。急行停車駅の選定というのは地元自治体も絡む話でセンシティブなものですから、「乗換駅」と逃げを打てる状況にしていると思われます。

ちなみに成田スカイアクセスのアクセス特急停車駅にしても、当初の京成による3種免許申請に東松戸が入っていなかったことから、東松戸停車を否定する人が少なくなかったですが、結果は現状の通りですから、今後紆余曲折があるでしょう。






Re: 野田線急行 投稿者:あれっ? 投稿日:2018年 5月 6日(日)01時12分44秒 返信・引用


> No.5766[元記事へ]

エル・アルコンさんへのお返事です。

東武の2018年度設備投資計画の1ページ目に大きく描いてあるように、
  運河ー流山おおたかの森ー柏ー新鎌ヶ谷ー船橋
に停車するのではないのですか。

http://www.tobu.co.jp/file/pdf/b1e4bcb6437304f83ddad9116a845968/180427.pdf

> daiさんへのお返事です。
>
> 確かに野田線の各駅にて柏経由の宣伝をしていた時期もありましたからね。
> 柏の葉のように目的地になるような駅でもないし、「敵に塩」だし、通過するかもしれませんね。4駅連続通過で3分短縮。そのほうがトータルでの効果が高そうです。
>
> ただ、柏での直通運転や接続がどうなるかですが、船橋方面からのおおたか乗り換え取り込みという問題もあるんですよね。新京成沿線でも、実は新八柱〜南流山の武蔵野線ルートのほうが速くて安い、というまさかの現実があるわけで、船橋も西船橋〜南流山のほうが、という状況を甘受するのか。つくばを目指す需要はあるでしょうし。
>




野田線急行2 投稿者:dai 投稿日:2018年 5月 5日(土)13時39分41秒 返信・引用


運河〜柏間の急行運転は、増発の必要がないラッシュ時の通勤急行的なものになるかもしれませんね。
遠近分離と言えば、社内外のおおたか止めろ圧力も凌げるでしょう。




2013年3月の松戸市議会でリムジンバスを。Re: 紙敷に高速車ということですね 投稿者:都営沿線民(元八千代台民) 投稿日:2018年 5月 5日(土)13時17分47秒 返信・引用


> No.5749[元記事へ]

市議会で質疑があり、松戸市側も、工事完成の遅延の延期以前の平成27年外環開通時から
のリムジンバスの運行開始を事業者と協議開始予定とありましたので、これが新京成との
協議でその結果の運行開始なのでしょう。 質問者の関根ジロー市議のブログを引用しておき
ます。

https://ameblo.jp/sekine-jiro/entry-11484233776.html

>羽田空港と松戸駅間リムジンバス 本格的に検討へ
2013年03月05日(火)
テーマ:松戸市政
3月議会代表質問におきまして、「羽田空港と松戸駅間のリムジンバス導入について」を質問しました。今現在、松戸駅から羽田空港へ直通のリムジンバスはありません。リムジンバス導入は多くの市民の皆様の願いです。

今回の質問で、平成27年の東京外かく環状道路開通にあわせて、羽田空港と松戸駅間リムジンバスを運行開始できるように事業者と具体的な協議を始めることが明らかになりました。

下記、質問と市の答弁です。

◆質問
「広域幹線道路の整備につきましては、外かく環状道路が27年度の千葉県区間の開通に目処が立ちつつある」と施政方針にあります。先般の議会におけるわが会の一般質問で、「羽田空港と松戸駅間リムジンバス創設が出来ないものか?」と質問をしたところ、「外かく環状道路が27年度を目途に創設できるように研究していきたい」とお答えいただきましたが、その後の進捗を教えてください。

◆市の答弁
ご質問の空港と鉄道駅などを結ぶ空港バス、いわゆるリムジンバスにつきましては昨年、二階堂議員の代表質問にもお答えした通り、現段階では高速道路を活用した効率的なルート設定が難しいことから、羽田・松戸駅間では実現に至っておりません。しかしながら平成27年度を目標に整備が進められている外郭環状道路千葉県区間が開通いたしますと、松戸から臨界副都心や羽田空港方面へのアクセスが飛躍的に向上するためリムジンバスの実現性も大いに高まってまいります。市といたしましても、羽田空港と松戸駅とを結ぶバス路線は、市の交通利便性のみならず、都市間競争力を高めるうえでも、非常に重要な施策と認識しており、安藤議員と同様、外郭環状道路の開通にあわせた運行を強く望んでおります。現在のところ、運行主体として想定されるバス事業者と具体的な協議には入っておりませんが、今後外かく環状道路の進捗にあわせ、協議を本格化してまいりたいと考えております。

【要望】
羽田空港と松戸駅間リムジンバスについて答弁頂きました。答弁のなかで、「松戸市としても市の交通利便性のみならず、都市間競争力を高めるうえでも、非常に重要な施策と認識していること」及び「平成27年度の東京外かく環状道路開通にあわせて、羽田空港と松戸駅間リムジンバスを運行開始できることを強く望んでいること」が明らかにされました。私たちの会派と同じ想いであることが確認できました。この羽田空港と松戸駅間リムジンバス創設にむけて、バス事業者と具体的な協議を本格化させて頂きたくことを要望するとともに、来年の代表質問で再度、進捗をお聞きしますので、よろしくお願いします。
エル・アルコンさんへのお返事です。

> 新京成の高速バスは外環千葉区間開通を理由にしているので松戸関係でしょう。ただノウハウや車両という意味では船橋側にあるわけで、紙敷ではなく大仏を車庫にするでもないでしょうから、松戸新京成としてはまさに初めてです。
>





Re: 野田線急行 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 5月 5日(土)01時00分54秒 返信・引用 編集済


> No.5764[元記事へ]

daiさんへのお返事です。

確かに野田線の各駅にて柏経由の宣伝をしていた時期もありましたからね。
柏の葉のように目的地になるような駅でもないし、「敵に塩」だし、通過するかもしれませんね。4駅連続通過で3分短縮。そのほうがトータルでの効果が高そうです。

ただ、柏での直通運転や接続がどうなるかですが、船橋方面からのおおたか乗り換え取り込みという問題もあるんですよね。新京成沿線でも、実は新八柱〜南流山の武蔵野線ルートのほうが速くて安い、というまさかの現実があるわけで、船橋も西船橋〜南流山のほうが、という状況を甘受するのか。つくばを目指す需要はあるでしょうし。





願望と思い込み、数字を見ない空論 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 5月 5日(土)00時46分42秒 返信・引用 編集済


のと鉄道は輪島まで残すか、和倉までJRで残すかの二択でした。穴水まで残したことはどう見ても中途半端です。ただ、ここは下物をJR西日本が所有していたという特殊条件があり、地元が上下分離で支えるという手段が取りづらかったことは留意すべきです。(本来需要がより多い区間を引き受ければ経営はさらに良くなるはずでしたが、下物を資産として「塩漬け」にできず、利用料という外部流出が首を絞めた格好です)

それでも旧能登線区間があれば、というのは鉄路に対する幻想でも見ているとしか言いようがないわけで、アトラクションとしてあれだけの線区を残すだけの価値と効果などありません。自治体も住民に対する税金支出についての説明責任を果たせません。能登空港とのと里山海道の活用と天秤にかければ、限られた原資をどちらに投入すべきかは常識で分かる話です。

そもそも能登半島への公共交通への入り込みは能登空港やのと里山海道経由の特急バスであり、鉄道として残す価値があったと思われる輪島ですら金沢から10往復の特急バスが行き来しているわけで、廃止代替バスの成功例といえるこのエリアのバスとあわせて、公共交通のスクラップアンドビルドが成功した事例といえます。ただ、廃止末期のスカスカダイヤを基にしているため、一般路線バスは早朝の上り、夜の下りがあまりにも手薄で、そこは要改善事項ですがその改善は鉄道で無いと実現しないものではありません。

とにかく現地を知らない、言っていることは鉄道があれば可能性がという主観的な願望だけでは、鉄道を残す残さないの議論の入口に立つ資格すらありません。
「スケールの大きな観光列車」ってなんですか? 仙台から三陸を縦貫して八戸まで、そういう臨時列車がありましたよ、震災前まで。でも夏臨で運転するのがやっと。最末期は運転日も2日程度、定期列車をその日だけ置き換えて運転する区間も多く、指定席もなくなって、どういう状況だったかは言うまでもないでしょう。震災前ですらそういう需要は幻なんです。

代行バスの系統分割は事業者エリアの都合もありますが、流動実態に合わせているのが実態です。三江線でまさか三次から江津までの直通需要があるとでもお思い? 旧能登線にしても、リアス式海岸を短絡する中距離系統と、丹念にたどる単距離系統を組み合わせ、遅延波及防止で能都町で一部を系統分割しているのが見えませんか。穴水から珠洲への直通便もありうまくできています。
山田(海)線にしても、山田から釜石、大槌から宮古といった上閉伊郡、下閉伊郡の郡境をまたぐ需要がどれだけあるのか。同じ郡市の宮古から山田、釜石から大槌の区間はよく使われていますし、106急行に代表されるように幹線バスへの馴染みが深い地域(盛岡−山田便もあります)でありながら、船越乗継便の利用は正直非常に少ないわけで、代替バス運行初期に設定された宮古−釜石の臨時直通便もすぐに消えて復活していないのですが。鉄道なら需要が湧いてくる?まさかの世界ですね。

いすみ鉄道は数字を示してください。「明らかに」ってどれくらい? いすみ鉄道の数字につながっていないことは決算が示していますし、いすみ市や大多喜町の観光収入にどれだけプラスが出ていますか?
一時期のヲタ路線から完全に決別したひたちなか海浜鉄道は、観光ではない、日常利用だ、と王道の施策を掲げ、目覚ましい数字になっていますが。これとて茨城交通バスとの食い合いの面は否めませんし、国営ひたち海浜公園への延伸は本来勝田駅からのバス輸送を強化すべきところ、遠回りのルートを観光客に強いるという、土産物屋などを迂回させる「田舎の観光地」を地で行く施策であり首肯できませんが、いすみとは真逆の経営理念とそれを裏付ける需要が鉄道維持には必要という証左です。







野田線急行 投稿者:dai 投稿日:2018年 5月 4日(金)23時58分8秒 返信・引用


まさかのおおたか通過とか。
東武的には柏経由UTL、もしくは船橋東武百貨店への誘客を狙っているでしょうし。

横浜線の快速が菊名と長津田を通過していた時代を思い出しました。




あまりに対照的、正反対な三陸とのと 投稿者:happy102890 投稿日:2018年 5月 4日(金)23時06分0秒 返信・引用


のと鉄道みたいに、輪島までの路線と半島の大半の路線を廃止してから気がついても、遅すぎるのですよ。のと鉄道が観光鉄道として注目されるようになったのは、北陸新幹線が開業したり、花咲くいろはの舞台としてブームになってからで、廃止してからブームになっても遅すぎで、輪島まで繋がっていれば、花嫁のれんやのと里山里海号を輪島まで直通させることもできたのに、それができないのです。反対に三陸鉄道は、日本最長距離のリアス線を維持する覚悟を決めたことで、能登海岸とは対照的に三陸海岸の鉄道の半分以上が維持されることになったわけです。

山田線区間は、高規格な新線の既存区間と違い、国道や三陸道に対する競争力がないという話がありましたが、それを解決するために復旧と合わせてPC枕木や高規格レールに交換されることになっています。それにより、高速化とスピードアップが図られ、JR時代より多少の時間短縮はできると思います。なので、心配は無用で、三江線みたいに新線と旧線で極端な規格の差が出るようなことにはならないでしょう。

新幹線の二次交通にはならない区間をどうして維持するのかという話ですが、山田線区間が復旧すれば新花巻や盛から、釜石経由で久慈や八戸まで、盛岡から宮古経由で釜石や盛までといった観光の横断ルートが形成され、三陸海岸が一体となって広域の観光振興に繋がってきます。リゾートしらかみのように、盛や釜石から久慈、さらには八戸線に直通して八戸までとか、そういうスケールの大きい観光列車を走らせることも夢ではありません。対照的にのと鉄道は、その先を廃止にしてしまったため観光列車が和倉温泉や穴水までしか行くことができません。その先の線路が残っていれば、輪島や珠洲に観光列車が行くことができたのに、今ではもう行けません。廃止したことで、三陸海岸全体のネットワークである三陸鉄道と違い、のと鉄道は七尾から穴水までしか行けない中途半端な存在になってしまってます。定期列車はもちろん、観光列車もそれぞれで分断されており、のと鉄道自体が二次交通として能登半島の先端や、金沢にもどっちにも直通できないというものになってしまっている。

知名度のある輪島はともかく、珠洲は集客が難しいと思う。あれば半島の隅々まで、観光鉄道の効果が波及したでしょう。入江沿いの大量リストラでは先輩である能登海岸と、これから維持する覚悟の三陸海岸を比べて、三陸に鉄道を残したことで良かった、報われたと思うことが、観光面でも地域交通でも両方に出てくると思います。特に観光面は、盛や釜石から久慈までみたいな長距離の観光利用が期待され、鉄道の観光客の恩恵が三陸全体に及ぶこともあるでしょう。地域交通では、線路が枕木やレールの交換で高規格化されるので、バスよりも時間が短縮されたり、通学の需要が釜石と宮古両方の学校に行きやすくなるというメリットがあると思います。すなわち、進路の選択肢が広がるわけです。ちなみにのと鉄道は、廃止にしたことで輪島や能登線から七尾の高校に通うのが厳しくなったそうです。気仙沼線にしても、鉄道時代から比べて、BRTはかなり時間がかかってますよね。

バスであまりに長いと系統が分断され、能登線も三江線系統がかなり分断されているので、山田線区間のバスが分断され、それを主力交通にするというのは宮古と釜石という繋がり、大槌や山田は両方に需要があり、その点からどうなのか。分断されたバスを主力交通としては、不便になると思いますよ。

いすみ鉄道にしても、先日の春祭りはキハ30の展示、ボンネットバスの展示、出店販売といったイベントが開かれ、かなり多くの来訪がありましたよ。観光シーズンだけじゃなく、土日の列車でも明らかに観光客が増えました。鉄道を維持してプラスになっていますよ。




高柳の2面4線がキーだが 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 5月 4日(金)13時08分46秒 返信・引用


野田線(と言っちゃいますよね)船橋口の急行ですが、高柳の2面4線化が絡むわけです。
今回の一連の出歩きの中で利用しましたが、柏方面行きが新設ホーム側に移転していました。

急行運転開始時のダイヤは、大宮口同様に現行の毎時6本に急行2本を増発という感じでしょうか。
現在大宮口では追い抜きはなく、7駅通過(3駅通過、1駅停車、4駅通過)で6分短縮というダイヤ。春日部口で10分ヘッドになるように調整されていますが、そのあおりで各停は急行が入る時間帯は10分ヘッドが6-14分ヘッド(大宮発。大宮行きは7-13分ヘッド)になっており、ちょっといびつです。

柏−運河間はおおたか停車で3駅通過、それも1駅通過、1駅停車、2駅通過なので、いいとこ2分の短縮でしょう。
そうなるとこの区間で急行運転をする意味があるのか、とも思いますが、全線乗り通しを、という需要喚起であれば、1分でも短縮したいのでしょうか。毎時2本増発のコストをかけてまで、の話ですが。

船橋口は新鎌ヶ谷だけ停車という最も速いパターンを想定して9駅通過。4駅通過、1駅停車、5駅通過ですからスピードも乗るし、8分程度の短縮が期待できます。しかしそうなると急行が入る時間帯は、例えば各停が船橋を発車後12分後に急行が発車して柏では4分後に迫る。急行の3分後に各停を出して、各停の運行間隔は15分−5分と相当いびつです。
いびつなパターンダイヤという意味ではJR神戸線の普通が毎時8本ながら7-8分ではなく電車線を行く快速が絡むことで芦屋−須磨間では5-10分のパターンになっていますが、さすがに15-5分はバランスが悪すぎます。

そこで高柳の2面4線ですが、緩急接続をするのであれば退避する各停毎時2本が有意に空くでしょうし、高柳に停めるくらいなら、という他駅からの反発もあるでしょう。各停の運転間隔調整だけが目的で通過追い越しとした方が乗車率を平準化できそうですが、果たしてどうなるか。各停の運転間隔を8-12分程度(退避後は逆に12-8分か?)に出来ますし、新鎌ヶ谷での片接続で新船橋〜鎌ヶ谷間も対柏での速達効果を享受できますが。

急行停車駅の増加はどうでしょうか。新船橋と馬込沢は対柏の需要はあまり期待できず、対船橋での増発という感じになりますが、大宮口で需要が多めの駅をカバーする格好の急行停車がなかっただけに、速達性を犠牲にしてまで停車するかは微妙です。





アトラクションで残す意味と「あまちゃん」での評価 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 5月 4日(金)02時54分51秒 返信・引用 編集済


鉄道復旧が「イベント」になることは否定しませんし、利便性が確保できれば定住促進にもなります。
しかしそれが無理な交通モードの採用であれば、そのツケを払うのは誰か。復興支援のために国民が負担します、という特例を制度化するのであれば、そういうルールなのだから輸送密度や採算だけで見ません、というお約束になりますが、あくまでそれは特例であり、国の制度として議論された上で採用されることが大前提です。

ニワトリとタマゴの関係になりますが、震災で大きな被害と犠牲を出したことで需要が喪失された、ということは鉄道による復旧を断念すべきという結論になりますし、復興と需要の復活のために鉄道の維持や再開は必須である、という結論もあり得ます。

しかしそこで鉄道を金科玉条とする必要はあるのか。モードはどうであれ「便利な公共交通」こそが需要に直結するのではないか、という話であり、BRTによる復旧は、その発展性、可能性も含めて、「公共交通」の維持という点での最適解と認識しています。
そもそも鉄道の輸送力を必要とする輸送量はかなり高いレベルであり、その輸送力と輸送量のギャップが償却前レベルでの「赤字」になるわけです。震災前の段階でギャップがなかったとは到底言えないわけで、輸送力の最適化とそれで浮いた運行コストをフリークェンシーの確保に振り向ける足下の施策は、推奨すべきことであっても、disることではありません。

あるいは被災地に人を呼び込むという「遊園地のアトラクション」的な存在として鉄道を維持する、という選択肢もありえますが、「きっかけ」「意義が大きい」というレベルでの鉄道復旧論は、まさに「アトラクション」としての復旧であり、交通を語る土俵で論じるテーマを超えています。

なお、三陸鉄道が「あまちゃん」の主役ともいえる存在であったことで当時観光資源化したことは確かですが、それはあくまで観光資源、すなわち「アトラクション」であり、観光バスでやってきて、「こたつ列車」にご乗車、という利用形態が「交通」なのか。いすみ鉄道の路線と共通しますが、それで日常利用を維持するための原資を稼いでいる(「アトラクション」のセグメントで営業利益を上げている)のでなければ、実は話題以外のメリットはないのです。ちなみに三陸鉄道の場合は「アトラクション」利用が(一時的であることに注意)大きく収支改善に寄与していた点がいすみ鉄道とは異なります。

そして「アトラクション」に過ぎないから、ネットワークという意味では新幹線から三陸鉄道までの一貫輸送などほとんどないわけです。いみじくもブームになった「あまちゃん」ですら、東京との行き来に「北鉄」ではなく、新幹線に乗ったという表現はしばしば出てきたわけで、唯一出てきたのは別離のシーンや震災被災のシーンという演出の都合に過ぎません。震災被災のシーンで14時25分に北三陸(久慈)を出て20時半に上野に着くという設定があり、確かに当時のダイヤでは、久慈14時12分で宮古、盛岡乗り換えで上野20時42分着の乗り継ぎが可能でしたが、久慈15時24分のバスで二戸乗り換え、上野19時42分を普通なら使うでしょう。

さらに言えば、初回冒頭のシーンも「北鉄」利用でしたが、それを説明する劇中の鉄拳のパラパラまんがで、仙台から石巻(小牛田や前谷地でないのはご愛敬)、気仙沼、盛、釜石、宮古で乗り換えて北三陸までヘトヘト、という物が披露されていたわけで、鉄道でつながっていた震災前の段階で「使い物にならない」という評価がなければこんな表現は成立しないでしょう。




何も勉強していませんね 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 5月 4日(金)02時07分18秒 返信・引用 編集済


相変わらず変わっていませんね。「レール」があるだけで効果があるというナンセンスな考えは捨てるべきでしょう。
のと鉄道を相変わらずdisっていますが、人口減少は鉄道云々とは無関係です。レールがあれば地方の衰退に歯止めがかかるなんている出鱈目は、北海道の中標津や紋別、岩内などの路線廃止を経験した都市と人口増減を見れば簡単にわかる話ですし、兵庫県の宍粟のように近隣の鉄道がある都市より発展しているケース、高知県の土佐清水のように観光資源を生かして高い知名度を持つケースと枚数にいとまがありません。

山田(海)線は鉄道を残す道を選びましたが、自社での復旧を拒んだJRとの妥協の産物であり、もともと鉄道としてのネットワークが希少だったのに、今後どうなるかは未知数です。それこそ能登半島のように新幹線という鉄道の特性を最大限生かした交通手段開通の恩恵を受けているケースと異なり、新幹線の二次交通機関になりえない路線を鉄道として生かす意味があるのか。ネットワークという意味でも地域の拠点である宮古や釜石を跨いで(飛び越えて)山田(海)線区間と既存区間を結ぶ流動がどれだけあるのか、という話です。

上記の諸都市にしても、土佐清水を除けば適切な交通モードの維持(幹線バス)や、高速交通機関との連携(空港や高速インターの存在、また高規格道アクセスの改善)があるわけで、人的流動とともに物流の確保があることで産業すなわち雇用の維持が可能になり、都市が衰退を免れています。(土佐清水はブランド力で水産という産業が維持できている)
その意味では既存の三陸鉄道は高規格な路線が道路に対する圧倒的優位性を持つという特性が「鉄道」というモード以前にあるわけで、自身が高速交通機関となっています。対してR45や三陸道に対する優位性を見出しにくい山田(海)線区間は、既存区間とは全く様相が異なります。

それと、公共交通の維持という意味では、現在特に宮古市−山田町や釜石市−大槌町間で確保できているバスによるフリークエンシーサービスが鉄道復旧でどうなるのか。毎時1本どころでない本数という利便性が維持できなくなることは必至であり、通学輸送のような鉄道の特性を生かせる分野では賑わっているように見えても、他の利用局面では利便性を喪失することで全体の利用を押し下げる懸念があります。

BRTに対する無理解も相変わらずですが、BRTにすることで最低でも毎時1本、本吉−気仙沼や陸前高田−盛のように毎時2本が基調のサービスの意味が見えていません。ネットワークという意味であれば、皮肉にも小牛田−前谷地−柳津や一ノ関−気仙沼の「鉄道である区間」の本数の少なさがネックになって、高速交通機関や大都市へのアクセスを阻害しています。三陸道経由での仙台や石巻への直通があれば、鉄道時代より格段に優れた交通機関になりますが、まだそこまで踏み切れていませんが、前谷地までBRTが延伸されたのは、まさに「鉄道頼みにならず」の証左でしょう。

上記の山田(海)線もそうですが、高いフリークェンシーは非常に便利です。実際にこれらの区間を利用していますが、このレベルのフリークェンシーがあれば、生活が交通機関の都合に律されるという印象が相当低減されるわけで、言い換えれば鉄道でそれだけの高頻度を維持できるだけの需要がない区間は鉄道という交通モードが不適切なのです。

「レールがないと目に見えないので・・・」という妄言も、BRTに関しては時刻表や地図への掲載が継続しており、関係各位がやる気になればできる話ということが露呈したわけで、BRTだから、という積極的忌避などありません。

ちなみに、今回もちらちら推しているいすみ鉄道ですが、散々遅れた挙句にようやく開示した業績はどう評価するのですか。
国鉄型気動車によるヲタ向け路線や物販で絶好調というには程遠いばかりか空回りしているとしか言いようがないのですが、税金を原資に無理な維持をし続けることが地域のためになるのか、言うまでもない話です。


のと鉄道で付け加えになりますが。 投稿者:happy102890 投稿日:2018年 5月 4日(金)01時05分55秒 返信・引用


付け加えになりますが、能登は新幹線による北陸ブームや、特に輪島は朝市や輪島塗といった町の観光の他に、まれブームでの観光客も来ていることで、観光客は増えていると思いますが、市そのものの人口は減少に歯止めがかかりません。観光流動を考える上で、金沢に線路が繋がってないどころか、七尾へも繋がってないというのはどうなのか。鉄道は金沢も七尾も直通で行けたのが、七尾どころか穴水までしか行けなくなった。珠洲も人口減少に歯止めがかからない。

三陸も被災者の方が多く亡くなり、町に戻らない人もいるなど、人口減少していることに変わりないが、三陸鉄道があることで人口減少のスピードに歯止めがかかるなら、それだけでも三陸鉄道は意義があると思っている。




三陸鉄道のことについて 投稿者:happy102890 投稿日:2018年 5月 4日(金)00時46分34秒 返信・引用


こんばんは。いすみ鉄道の件以来、久しぶりにお邪魔します。
三陸鉄道と周辺の鉄道、BRTの交通事情について詳しく書かれているので、私として思うところを。

いすみ鉄道も含め、輸送密度の低いローカル線を3セクとして税金で維持するのはどうか・・・みたいな論説をかなりされていますが、震災で大きな被害を受け、思うように人が戻ってこない山田や大槌といった被災地にとって、鉄道が戻ってくれば人が戻る1つのきっかけ作りになるのではないでしょうか。鉄道の意義を、輸送密度だけでは片づけられないと思います。三陸海岸を1つの三陸鉄道として繋がるということは、交通ネットワークとしてはもちろん、観光的な意味合いでも意義は大きいと思います。何より、復興が大きく進んだことで地元の人の喜びにも繋がります。

JR東日本が復旧してから三陸鉄道に移管することになりますが、既存の北リアス線や南リアス線との線路の格差も、山田線区間の線路はPC枕木に交換して、レールも三陸鉄道が使っているものと同じ規格に交換する「プラスアルファ」まで施行されることで、宮古-釜石間の高速化は多少図れると思います。山田線区間も三鉄と同じ規格に交換しての引継ぎになるので、三江線ほど新線と旧線の差は出ないと考えます。(三江線は中間部が新線なのに対し、三鉄は両端が新線ですが。)

「北」の山田線沿線は、2回もBRTの提案を断って鉄道の復旧にこぎつけましたが、JRの提案を素直に受け入れ、BRTで妥結してしまった「南」の気仙沼線や大船渡線と比較して、後々で将来的には鉄道を残した北と、BRTとなった南で差が出ると考えます。北は盛から久慈まで、三陸海岸を縫う鉄道ネットワークが残され、三陸鉄道そのものが「あまちゃん」ブームに代表されるように貴重な観光資源になっていますが、南はBRTになったことで鉄道網が分断され、盛から気仙沼、気仙沼から宮城県の柳津までという長大な線路のネットワークが断線してしまいました。鉄道であれば仙台や一ノ関までも直通で行けたのが、バスになったことで大船渡からは気仙沼、気仙沼線は柳津止まりになってしまったわけです。

線路が繋がっていれば気仙沼どころか、仙台や一ノ関までも直通で行けたのが、分断されて気仙沼までしか行けなくなったのは大きいと思います。のと鉄道も輪島への路線と半島の大半の路線を廃止してしまったことで、金沢どころか七尾までも直通で行くことはできなくなり、穴水までしか行けなくなってしまったのです。同じ海沿いの小さな集落を縫うように走る鉄道でも、日本最長の距離の路線を維持する覚悟を決めた三陸鉄道と、半島の大半の路線を廃止したのと鉄道ではあまりに対照的で違いが大きく、三陸海岸の人たちの鉄道にかける情熱は並々ならぬものがあると思います。三陸鉄道そのものが復興のシンボルであり、地域を代表する観光スポットになっています。能登半島も、北陸新幹線が開業するタイミングで盛り返してきましたが、輪島まで行ける鉄道がない痛手は大きく、観光列車の「花嫁のれん」や「のと里山里海号」は和倉温泉や穴水までしか行けません。しかし、三陸鉄道は山田線も合わせて復旧することで、盛から久慈までの自社線内はもちろん、盛や釜石から山田線や八戸線まで直通して盛岡や八戸、更にはその先の青森までといったスケールの大きい観光列車を走らせることも夢ではありません。昔の「リアスシーライナー」に負けないくらい、三陸を横断する観光列車を走らせられば、夢が膨らんできますね。三陸は南と北であまりに対照的な結果になりましたが、三陸海岸に意地でも鉄道を残したことが報われる日が必ず来ると思います。そして、BRTで妥結した南と鉄道を残した北の大槌や山田で、鉄道のある・ないが人の戻り具合に差をもたらすのではないかと、いすみ鉄道の社長が言うように「代替バスは不便になり、鉄道がなくなった町は寂れる。」という形で、北が頑張って鉄道を残した甲斐が現れると思います。




新京成が高架しましたね。 投稿者:新京成 投稿日:2018年 5月 3日(木)21時15分38秒 返信・引用


私は、北初富〜新鎌ヶ谷の高架をずっと楽しみに待ってました。2000年の
薬園台駅の移転新設以降、変わらない新京成線だったからです。




京葉市川PAなど 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 5月 3日(木)12時17分2秒 返信・引用 編集済


その他ですが、サイトの習志野原の表紙に写真を上げた通り、京葉市川PAを見てきました。

いろいろ確認する意図もあり、「前菜」に前原駅前の改良を確認。角の建物がなくなりマンション建設となっており、セットバックされている感じなので、あとはイオン方面へのT字路正面の寺院だけになっています。これ、そのままにするわけにはいかないとはいえ、いったんは寺院のところだけ歩道が狭くなってでも右(左)折車線の運用を開始すべきでしょう。

実籾街道から武石に出て市川へ。r57とr66の交差点はあそこまで広がっているのなら屈曲覚悟で右折車線を至急設置すべきです。r66広尾、長沼方面への右折車はr262長作交差点ではなくr57から右折と誘導すれば、r262の渋滞解消にも寄与するはずですし。
長作入口の手前絞り込みは武石通過の段階で左車線に集中して武石渋滞の一因にもなっているわけで、絞り込みは新道区間内とし、長作入口までは2車線運用とし、左右に散らばって武石は通過するように促す工夫が必要です。

京葉道路に入ると、花輪手前の表示板見物渋滞。ここまではっきりした渋滞も珍しく、見物による減速を防ぎ、加速を促す注意が必要です。市川を出て、いったん高谷まで往復しましたが、「高谷」というローカル地名をJCT名に採用したのはいかがなものか、という声もある中(まあ美女木とか先例はありますが・・・)、高谷の名称普及を考えたのか、工事に伴うルート変更の注意喚起の看板に「高谷方面」と出ていました。

r6BPからの左折となる稲荷木南交差点はR298のオーバーパスを挟むように内回り、外回り線が分離しており、本設化の一環でしょうか。ただこれまで田尻方面に右折できた内回りからのルートが消えた格好で、下手に稲荷木南に突っ込まないように手前での誘導が必要です。

R298で気になったのは、内回りが妙典橋ルートと交差する高谷3丁目交差点を先頭に渋滞していたこと。
その先も信号ごとに引っかかる感じでしたが渋滞はなく、信号制御がおかしいようですが、全面開通後もこうだと本線に渋滞が伸びそうで心配です。市川南ICはこの先ですから、外環道を使うクルマも巻き添えを食います。(湾岸線浦安か東関道谷津船橋より手前だとここまで下道を使うしかない)

篠崎まで往復して京葉市川PAに向かいましたが、篠崎手前で「←小松川」「→首都高」という表示はどうなのか。(実際の矢印は斜め向き)出口名は篠崎だし、小松川はハーフで降りられないとはいえ首都高にありますから。
そして下り線を走り京葉市川PAへ。(京葉)市川IC出口は上り出口同様分離後2車線化し、右車線が行徳方面とPA入口。行徳方面の出口を分離すると左から(京葉)市川の入路と合流しますが、右へ右へと意識している市川IC側のクルマがいきなり突っ込んできそうで、合流地点に少しポールを立てて並走してタイミングを見計らってからクロスさせた方がいいでしょう。PA出口も左から来る外環からのランプ路(2車線)に合流しますが、ここも同様です。

斜路を上がって本線を横断して上り線側に出来たPAへ。3階が駐車場とコンビニ、情報板で、2階がトイレと松屋。レストラン表記ですが松屋というのはどうかと思う反面、供食サービスが偏らないようにそば、うどんを提供する不思議な松屋です。麺類も出すとなるとなか卯じゃないですか。

トイレ回りは広々。ソファーを置いてくつろぎスペースとしていますが、居座りが懸念されます。メンテも大変でしょうし。









ガウライナーの悲惨な試乗(後編) 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 5月 3日(木)11時42分37秒 返信・引用 編集済


トイレ休憩を含んで2分停車でブースを出ましたが、これ、トイレ無し車だったら死んでましたね。
R16への最終ストレートに入るまで13分、そこからR16まで20分はもうどうにでもなれ、という心境です。R16への右折が出来ない、というわけでない(じわじわと空間が出来ていて曲がれる)ので、ひとえに事故処理の問題。警官を10人近く繰り出して交通整理を全くしていないのですから、もはやこれは警察による人災です。道路を封鎖して何をやっているかといえばときおりメジャーを道路に伸ばして何やら、という繰り返しで、今それをしないといけないの?というレベルです。田舎警察にありがちな「お仕事しているふり」の典型でしょう。

R409に入るとすぐ袖ケ浦ICから連絡道へ。ちょうど渋滞最後尾でしたがノロノロながら動きます。金田手前で交差する木更津からアウトレットへの道路は交差点を先頭に長い渋滞で、袖ケ浦駅からアウトレット経由でも渋滞は不可避とはいえ、短絡ルートですし、アウトレット線の高速バスの渋滞が深刻化しているという話も聞かないので、本来はアウトレット経由、あるいは金田経由にすべき路線です。

金田TBは下手に拡散したら収束で渋滞すると理解したのか、2線だけの運用。金田上がりの車列も2線で、合流は比較的スムーズであり、袖ケ浦ICからTB通過まで全線渋滞で18分は上出来でしょう。アクアTNまで12分さらに渋滞を進み、TN内に入って4分後に渋滞解消。大井連絡線が通れないのでレインボー経由で進み、浜崎橋も順調に通過してどこで降りるかと見たらなんと汐留降り。ここで袖ケ浦駅から3時間12分です。

京橋か銀座と思っていたのでこれは意外。環2工事で柵だらけで進路が見えない汐先橋交差点から蓬莱橋交差点へ。昭和通り北上ではなく深夜急行でおなじみの新橋駅銀座口を右折して外堀通りを北上。しかしこの数寄屋橋などを通るルートの信頼性もどうでしょうか。

ようやく鍛冶橋に着きましたが、左端を八重洲から伸びるタクシーの車列が埋めて誘導員が遮ってようやく左折できるというのはどうか。タクシーの待機禁止を強く訴えたいですね。しかし最後の落とし穴がこの鍛冶橋で、袖ケ浦駅発車から3時間25分の21時17分に左折入場してから着線を指示されて入線まで6分。既に夜行便の発車ラッシュとはいえ、これは酷いです。
結局袖ケ浦駅から3時間31分、実に2時間38分遅れですが(袖ケ浦BTからでも2時間7分、所要時間比で1時間22分延)、場内では21時40分の最終ガウライナーの案内となっており、運転手の休憩はどうなっているんでしょうね。

鍛冶橋はお初ですが、狭い待合室に乗客が入り切れず、地べたに座り込む人多数という状況に、暗い照明もあり、なんとも悲惨な雰囲気です。ひっきりなしにキャリーバッグを転がす乗客が集まり、活気があると言えば聞こえはいいですが、途上国の長距離バス乗り場を彷彿とさせる雰囲気です。誘導から案内までバイトなんでしょうね、手際がいいようには見えません。少なくとも発着以外に待機場として使っているバスを分離しないと、既にパンクしています。バックして着線というスタイルも手間を食うだけですし。

例の「撮影禁止」がやたら貼ってありましたが、為にする意図があるというよりも、この状況だと指示があるまで動いてくれるな、乗降者以外は来てくれるな、という純粋なものでしょう。ただ、スナップもできないのか、と読めるわけで、ヲタは理解するでしょうが、普通の観光客にとっては「何それ」と印象を悪くするだけでしょうね。






ガウライナーの悲惨な試乗(前編) 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 5月 3日(木)11時40分54秒 返信・引用 編集済


さて、天候がいいという予報が出ていた前半にあれこれ見物を集中させていました。
近場ではバスを乗り継いで行ったり来たりしたんですが、KBSの柏井線の西船橋駅発便や、小湊の袖ケ浦駅→長浦駅といった「免許維持路線」を組み合わせての小さな旅。話題の路線も組み込みましたが、まずは土休の運転を開始したフラワーバスの「ちばまく」に乗りましたが、やっぱりの空気輸送というよりも貸切でした(涙) 内陸バス車両まで出して捌いていたマリーンズの試合目当てが多いとはいえごった返していた海浜幕張界隈の流動に全く無視された格好です。車両も残念でIC関係が故障していて現金で、とのお願い。バス特の分損した格好ですが、降車した中央2丁目界隈はひっそり閑で、千葉駅界隈が集客のネックなのかも。

アンカーはこれも話題の路線と「東京ガウライナー」を選びましたが、確信犯的に選んだ連休中の夕方の東京行きとはいえ、遥か斜め上の展開になりました。着線したバスに乗り込もうとしたら、休日夕方のアクアラインバスではおなじみの「乗車拒否」の洗礼。既に合計15㎞程になっていた渋滞情報を承知しており、「2時間かかるか3時間かかるかわからないよ」の「忠告」を無視して乗りましたが、今回だけは従っておけばよかったという事態に・・・

まあメインのロータリーが南口なのに北口からの発着ですが、結局南口側(山側)に回るし、ロータリーが窮屈というわけでもないのに南口を使わない理由がわかりません。姉ヶ崎駅でも上記の免許維持路線がそうでしたが、別荘下までは八幡宿からの便が山側発着であるわけで、少ないバスが分散してどうするのか。

北口(海側)に着けられるようになった理由であるアンダー経由で山側に出ましたが、北口からはアウトレットへ毎時3本見当で頻発しているのだからアウトレット(金田)経由の方が理に適っているのに、袖ケ浦市肝煎りの袖ケ浦BT経由とするしかない路線なので「迷走」しています。

袖ケ浦発はとにもかくにも右折が多いのがネック。まずは神納でのR16への右折。直進方平川方面からのクルマがけっこうあるため右折が難しく、R16に入ったのは駅を出てから15分後です。後述する悲惨な状況の影響もありましたが、この時点では詰まっていて曲がれないというほどじゃありませんでしたから、単純にルーティングの影響です。南口から福王台を右折した方が簡単でしょうに。
その後もBT入口、R409への右折とこれでもかという右折の嵐。それが信頼性の象徴である所要時間に直結しますから、利用状況もむべなるかなです。実際、この便も「貸切」でしたから。

R16に入ったあたりで異変に気づきました。明らかに流れが悪く動きません。右車線が全く動かず、アクア渋滞(金田先頭のR409側道渋滞)で曲がれないのか。まだまだ距離があり、BTにいったん入ることを考えると絶望です。前方には品川駅の表示を出した京急バスがいますが、一蓮托生です。しかし酷い状況で、結局BTへ右折できたのはR16に入ってから実に1時間6分。BT着線は駅から82分と東京まで行って折り返せそうな時間です。とはいえ降りて戻るとは言えない状況で、運を天に任せます。

この前代未聞の渋滞の原因は、BT入口での交通事故。大破した車両は既に撤去されて駐車場内でキャリアカーの上に載っていましたが、検証にもたついており、BTの出入りを何度も止めているのが原因です。R409への右折は渋滞していますがじわじわと動いており、実際この後はR16に出てから13分でR409に入っています。

BT内も大混乱で、上下の高速バスが10数台構内に閉じ込められています。そこに送迎、駐車のクルマが加わり収拾が付きません。高速バスとの動線が一緒になっているのがネックで、R16との出入りの動線を分けていない設計段階の問題です。
BTまで80分超というまさかの事態に運転手は着線するなり後方のトイレに。ごゆっくり、というしかない状態で、無線の指令も安全運転で、と祈るような口調です。






日中の津田沼リムジン 投稿者:エル・アルコン 投稿日:2018年 5月 3日(木)10時32分14秒 返信・引用


GWということで巣穴から出てきて戻ってきています(苦笑)
予定もあり、金曜夜便ではなく土曜の昼便で帰ってきたんですが、伊丹の改装工事に伴い到着ロビーが中央に集約されたことで、これまでの(リムジンの)出発2ヶ所、到着1ヶ所体制が逆になり、出発1ヶ所、到着2ヶ所になり、荷物タグも登場。JAL利用者には不便になった感じですが、伊丹発のように5分後と決まっていないので南北の時間差は然程ありません。

羽田は連休初日ということで昼間っから発着便混雑で5分強の遅れ。しかし正面着というのに荷物の球出しが決定的に遅く、降機開始から25分後にターンテーブルが回り出すようでは話になりません。定刻ベースで30分近い余裕があったはずのエア快〜アク特に乗れず、トランクを転がしてのアクセス利用というちょっと前の議論を実践できると思っていたのにまさかの流れです。
次発のエア快で本線特急というのは決定的に遅く、結局約1時間ヘッドの津田沼リムジンを30分ほど待った方がマシという事態で待ちましたが、降機から家まで2時間というのはあんまりです。夜間は70分程度なのに・・・

大型連休初日の日中とあって、6番乗り場の主役はTDR行き。10分ヘッドの運行で満席便の連続。時間的にこれからパークに入るというよりも、チェックインして初日はのんびりというところでしょうか、壁側の待機列も長く、旺盛な需要がうかがえます。
平日夕夜間の主役である葛西方面も形無しで、いわんや津田沼イムジンは、と思いきや、思ったよりも列が長く、乗車時には「ほぼ満席でのご案内となります」と夜のようなセリフ。相席協力要請で盛ってるのかと思いきや、1タミではまさかの満席便宣言で、確かに数席の空席を残すだけの状況は満席便の証左です。

まさかの状況に目を丸くしましたが、まあ夜半は毎時3本のところ毎時1本ですから待ってでもという客が多いということなのか、いや、土休日は夕夜間でも空いていることもしばしばなので特殊事情なのか。高速が流れていて40分程度で京成駅に着いたのは幸いでしたが、驚かされました。







Re: 野田線急行 投稿者:インバマルコ 投稿日:2018年 5月 2日(水)08時37分34秒 返信・引用


リリカルゆかりんさんへのお返事です。

ご返事いただきありがとうございます。

馬込沢もですか。木下街道も混雑してますし利用者多いのですね。新船はイオン利用者を考えると、というのはございますが、停車運動なし+船橋の隣駅という事を加味すると通過なのでしょうね。

新鎌〜大宮の速達性が向上すると、千葉県西や、埼玉県民の成田へのアクセスがしやすくなりますね!!大宮まできれいに繋がると、千葉県民の大宮アクセスも武蔵野線経由以外にも選択肢として浮上します。最近大宮発の新幹線の話も浮上しているので、これは地味に大きな変化なのではないでしょうか。

で、おっしゃる通り「新京成」が「速達性」では置いてけぼりです。

元々の設置の経緯から「ウネウネ」した線路を走っているので致しかないですが、もう少し向上する必要はありそうですね。現在「高架化」を進めているので、それと同タイミングで「急行運転」できるように退避ホーム設置する駅作っても良さそうな気もしますが・・・。

最近松戸〜新鎌を時々乗りますが、この間で利用客が多いのは、おそらく「五香」「常盤平」「八柱」でしょう。夜なんかは松戸で常磐線から乗り換えると、常磐線よりも「パンパン」に人が乗ってますし、速達性向上させる事により、利用客も増える見込みもある気がしますが・・・。

常盤平団地は高齢化も進んでいると聞きますので、この地域の利便性が向上すると、高齢化の解決の1つの道筋に繋がるかと。




Re: 野田線急行 投稿者:リリカルゆかりん 投稿日:2018年 5月 1日(火)19時34分33秒 返信・引用


> No.5748[元記事へ]

インバマルコさんへのお返事です。

急行運転の区間が運河〜船橋とのことですので、おおたかの森、柏、新鎌ヶ谷は当確、
それに加えて、この区間で上記の各駅に次いで多い馬込沢が可能性ありといったところでしょうか。
江戸川台も比較的多いですが、同駅に停車するのであれば、運転区間は江戸川台〜船橋と発表される筈です。
あとは新船橋も買い物需要に対応するために土休日に臨時停車も考えられます。
ただ、設定後に停車駅を減らすことはやりにくく、今のところ停車運動のような動きも見られないので、当初は3駅に絞ってくる可能性が大でしょう。

http://www.tobu.co.jp/corporation/rail/station_info/

また現状では大部分の列車が柏で系統分断されていますが、急行については直通化されるか、
その場合は大宮側でも急行運転をするスジにつなぐか(早朝や夜間は区間急行登場もあり得る)気になるところです。

どちらにしても柏と船橋という県北西部の重要地点間の所要時間短縮の意義は大きく、各駅停車ばかりの新京成との差が相当開きそうです。新鎌ヶ谷〜千葉でも東武・JRルートが勝ることになりそうですし。




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