このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
調査日 皇紀2666年 平成18年8月
宝塚尼崎電鉄が、1922年に尼崎〜宝塚まで路線免許を取得。
阪神出屋敷駅から阪急・国鉄の宝塚駅までを結ぶ予定だった。
1927年末までには両端部を除く西大島〜小浜間の路盤が完成した。
がそこから先は高架化にしろだの阪急等の嫌がらせで工事費が嵩み着工する間なく廃業
阪神系子会社の阪神バスの前身の阪神国道自動車に吸収合併され宝塚尼崎電鉄は消滅
詳しくは.wikipediaで読んでください。
今回は、西大島〜小浜間の幻の遺産 路盤を探す調査をします。
現在この路線は県道42号線の尼宝線になり、阪神バスが走ってるだけです。
ですが阪神バスの前進の阪国バス時代に宝塚まで乗り入れた開始したんですが、阪急はバイケードで妨害と阪急VS阪神の舞台になったのだ。
西大島交差点には、もう路盤の路の字もありません。
約80年前だからなくて当たり前ですね。
西大島交差点から北上し、宝塚に向かいます。
この辺りは、道幅と歩道が広くなってます。これも鉄道時代の名残なんでしょうかね?
JRとのオーバークロス地点
高架下等に架線用の名残があるかもと思いましたが、震災の影響なのか新しくなってるので当時の計画の遺産は見れなかった。
阪急電車のが開業が早かったので、橋台は遺産かも
阪神国道自動車の遺産を発見
中国道の宝塚ICを越えて安倉付近で古い橋を発見! 恐らくこの橋台も当時の遺産かと思われる。
調査中にローカル掲示板で、この辺りは危険と過去に読んだことがあったのを思い出し、お尻の穴を警戒しながら、もうダッシュで進みます。
_,,,,,,,,,,,,,,,__尼宝線の終点宝塚市の旧朝銀前の小浜交差点に到着。
小浜交差点から先は路盤工事も行われなかったので、遺産を探しても無駄なので終了。
約80年前なのに土地境界票の遺産が発見できだけ収穫あり
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