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主目標:新潟・東京方面へ到達
平成20年の夏休み、私は昨年12月の香川に続いて2度目の単独遠距離旅行に出ることになった。
京阪を皇子山で降りて、大津京駅に向かい、そこから青春18きっぷの旅が始まった。今回の旅の最初の列車は普通近江今津行きで、車両は117系、セミクロス化された緑色のラインの福知山色である。朝晴れの湖西線を北上し、近江今津へ。
近江今津からは、新鋭交直流電車521系の福井行きに乗車。滋賀県を離れ、福井県に入る。新疋田のループ線や北陸トンネルといった鉄道の名所を次々と通過していく。その間近江塩津で特急通過待ちに手間取ったのか、5分ほど遅延が発生していたらしいが、敦賀でそれを回復。福井行きだが、福井鉄道に乗るため武生で下車。
3年前に乗った福井鉄道に再び乗りにいった。前回は田原町からベル前まで乗ったが、今回は乗り残した区間全部乗るつもりでいた。大きく変わった点は旧名鉄の低床車両が入り、ホームも低められたところである。ホーム屋根の支柱のコンクリート土台が高床ホームの名残を表している。乗ったのは名鉄のお古で、かつての福鉄らしからぬオールロングシートだった。電車は北上し、途中の一部の踏切では未だに電鐘式の警報機が使われていて「チーン、チーン、チーン」という音が鳴った。福井市内で併用軌道に入り、3年前は仮鉄橋だった幸橋はセンターポールの併用軌道になっていた。市役所前電停でスイッチバックし、福井駅前電停に。
再びJRに戻り、金沢行きの普通列車に乗車。車両は元急行形の475系交直流電車。急行形だったので、デッキ付き。1時間半で金沢に到着。北鉄金沢駅に寄り、昼食をコンビニで買った。
北陸本線をさらに東進し、富山行きの列車に乗る。車両はまたしても475系。途中、石動で信号トラブルのためか5分ほどストップしたが無事富山に到着。富山地鉄の電鉄富山駅に入場し、地鉄の電車を撮影。
富山からはかつての寝台特急電車583系を改造した419系で直江津へ、途中、滑川で5分ほど運転を見合わせるものの、それ以外はすんなりと列車は進み、魚津あたりで富山地鉄と並走、泊あたりから日本海が見え始め、親不知付近では北陸自動車道が海岸すれすれに高架がかかっていて、糸魚川ではレンガ造りの車庫に大糸線のキハ52が発車を待っていた。車内ではある父子が新聞紙を敷き酒を飲んでいた。そしてトンネルの中にある駅・筒石ではホームで待っていた駅員に「写真撮ってや」とまで言われるくらい、普通の地下駅では見られないようなダイナミックな光景と。富山を発ち2時間近くで直江津に到着。ここからJR東日本の管轄である。北陸本線では見られなかった自動改札機がコンコースでお出迎え。
直江津からはいよいよ快速列車のお出まし、車両は特急形の485系電車、快速くびき野は新潟県の新井から新潟を結んでいて、1日3往復ある。直江津をでてしばらくは日本海沿いを走る。途中、1年前の新潟県中越沖地震で大きな被害を受けた青海川を通過。柏崎からは海沿いを離れ、長岡を通り、新潟に到着。料金不要で乗れる回転リクライニングシートに2時間居られるのは良い体験であった。
夕食を立ち食いうどんで済まし、次に乗る列車はらくらくトレイン村上、快速という種別だが、300円の乗車整理券が必要な実質ホームライナー扱い。しかし、グリーン車が普通車として開放されている。グリーン車は半室で、普通車よりやや広々とした2+2シートだった。村上に到着すると、折り返しで快速新潟行きとなる。今度は料金不要で、私はこの後乗る夜行快速ムーンライトえちごのためか、寝る訓練をしたが、なかなか寝付けなかった。
いよいよ1日目の宿は夜行快速のムーンライトえちご、出発の前に、新潟駅で列車撮影し、売店でお茶を購入。再びホームに戻ると、北海道を旅していた5人の中学生グループと遭遇、会話でもしつつ、出発までの時を過ごした。途中、長岡、水上(運転停車)、で目が覚め、高崎で完全に起き上がり、そこから新宿までは一睡もしなかった、大宮であのグループと別れ、新宿へ到着。するとそこに待ち受けていたのは・・・
新宿で中央本線に乗り換える、するとやってきたのは各駅停車高尾行きで、車両は201系、すでにほとんどの車両がE233系という中央快速線で、希少な存在となった201系と遭遇したのである。朝と深夜しか味わえないオレンジ色の各駅停車で八王子へ。
八王子に到着し、コンビニで朝食を買い、八高線に乗る。来たのは「走ルンです」こと209系で、八高川越線を走るのは3000番台で、橙と黄緑のツートンラインに半自動ドアが装備されている。八高線は東京都唯一の地方交通線、電化されたのも10年ほど前のことで、全線単線。当初は電化区間と非電化区間の境界である高麗川で気動車に乗り換えて倉賀野まで八高線を乗り通すつもりだったが、川越線経由で川越まで電車を乗り通すことにした。途中、東福生付近に米軍の基地があり、その関係で線路が曲げられている区間があったが、先の夜行快速であまり眠ってないせいか、眠ってしまった。高麗川を目が覚め、そこから川越線に入ると、その各駅から通勤客が一気に入り、4両編成が大混雑した。川越へ、朝の駅前の街頭演説の声と共に、大宮への電車を待つ。
川越からは通勤快速新宿行きで大宮へ、もうすっかり東京の通勤圏内、しかしまだ川越線。でも実質川越を境に運転系統が分断されている。10両編成の205系電車に座席収納式の6扉車があり、朝ラッシュともあり座席は収納され、後ろの車両は女性専用車両となっていた。途中、ゴルフ場が目の前に見栄たり多少通勤路線とは言い難い光景も見られた。地下に入り大宮に到着。大宮と言えば鉄道博物館、しかし、開館時間まで1時間半もあったので、大宮駅で時間を潰すことに。
大宮から鉄道博物館までは、埼玉新都市交通で鉄道博物館駅まで乗るというのが一般的だが、敢えて東武野田線で一駅先の北大宮まで歩き、そこから歩いて鉄道博物館(以下鉄博)に向かう特異な手段を使った。東武野田線の車両は8000系、私鉄の中で最大の生産両数を誇る東武の看板車両である。北大宮で降りて歩く、だが思ってたよりも遠かった。
今回の旅の目的には鉄道博物館訪問も含まれる。夏休みだっただけにファミリー客を中心に開館前は大行列。いよいよ開館、入場券をICOCAで買い、入館。まず本館の車両展示室へ、広々とした本館には多くの名車が飾られていた。国鉄の急行型交直流電車455系、旧型国電の40系電車、200系新幹線電車、20系寝台客車、歴代のお召し客車など、いろいろと飾られていた。不気味だったのが、衣装を着せた真っ黒な人形、なぜマネキンを使わないのだろうか。最大の楽しみは運転シミュレーター、ファミリー客の的にされ大混雑だった。私は211系のほうを選択したが、オーバーランしてしまった。昼食を含め、2時間程度滞在し、退館。最後は入館記念カードをもらい、埼玉新都市交通の鉄道博物館駅へ。
ニューシャトルこと埼玉新都市交通で大宮に戻り、再び鉄道旅へ、ニューシャトルはSuicaのエリアで、ICOCAも使える。しかし、運賃は初乗り180円と東武よりも高い。私自身、新交通システムに乗るのが大阪のニューシャトルに次いで2番目、大阪と違うのは無人運転ではなく、運転士がしっかりと列車を制御していることであった。3分程度で大宮へ。
大宮からは東北本線で小山まで北上し、そこで水戸線に乗り換え水戸まで行くことにした。まず大宮に来たのが快速で、車両はE231系、JR東日本の主力電車である。快速は飛ばし、途中、蓮田、久喜、古河に停車し、小山に到着。
小山からは水戸線で水戸まで向かう、水戸線は全線単線ながら、かつて貨物輸送で栄えたためか幹線扱いである。車両は415系のステンレス車。かつては常磐線の主力として走っていたが、E531系に活躍の場を追われたという。小山を出た直後にデッドセクションがあり、交流区間に入る。途中下館は真岡鐵道との乗換駅で、真岡鐵道の気動車が見えた。水戸線は実質友部までで、友部からは常磐線に合流。途中内原には大型ショッピングモールが見える。偕楽園の前を通り過ぎ、水戸に到着。
水戸からはE531系で上野まで、しかもグリーン車に乗車。実は常磐線に乗りに行くことになったのはとある映画がきっかけだった。「ある機関助士」、主人公の機関助士が急行列車に乗務し遅延を回復するというものである。一ヶ月前、東海道線でグリーンアテンダントが相次いで強姦を被った事件があり、グリーンアテンダントの乗務が自粛されていると思っていたが、乗務されていた。途中土浦で15分停車する。先発電車の乗り継ぎや、特急列車との緩急接続、付属編成の増結が行われた。土浦の次は通り魔事件が記憶に新しい荒川沖。やがて取手に入り通勤圏に入る。46年前、その翌年に「ある機関助士」が作られたきっかけとなった三河島事故の三河島を過ぎると上野に到着。
上野から銀座湯という銭湯に入るため、京浜東北線で有楽町へ。車両は209系。有楽町で下車してまず吉野家で夕食をとり、徒歩で銀座湯へ、華やかな銀座といいながら、暗い場所にあり、周辺にはホームレスが住んでいた。いざ入ってみると、彫り物をした男が居て、ややダーティーさがあり、シャンプーや石鹸はスーパー銭湯と違い別売りというところで、とまどわされた。
銀座から東京駅まで歩き、そこから山手線を一周する。山手線内回りは教育テレビで「鉄道唱歌」の譜で歌われたという。車両はE231系500番台。山手線の最新車両である。車内のLCDには運行情報が流れていて、そこには中央快速線が人身事故で遅延しているという情報が流れていた。ネットで「また中央線か」とまで言われるくらい人身事故が多いのだろうか。混雑が続いていたものの、上野あたりから意外にも空き始めたが、途中から大崎止まりとなり、やむなく乗り換えることに。そして東京に再び到着。
いよいよ東京を離れるときが来た。あの有名夜行快速ムーンライトながらで岐阜県は大垣へ行くのである。車両はJR東海の特急型電車373系、しかし特急型とはいえ、デッキがないのが特徴。普通列車の定期運用もあるらしい。東京を発つと品川に停まり、そして寝てしまい、次に目を覚ましたのは午前2時の静岡だった。その後再び寝て、豊橋を過ぎたあたりで目が覚めた。豊橋からは一部の駅を除き各駅停車。全車指定席も豊橋で全車自由席に代わる。名古屋では後ろ3両が切り離され、私は後ろの9号車にいたので、移動を余儀なくされた。早朝の名古屋で列車の切り離しを見て、いよいよ大垣へ、普通なら5分後の加古川行きの電車で乗り換え競走に参加するところだが・・・
大垣駅前のロッテリアで朝食をとり、乗るは美濃赤坂支線。ワンマン運転されてもおかしくないような超マイナー路線だが、なぜかツーマンだった。しかも女性車掌乗務。途中、荒尾に停車して美濃赤坂へ、隣には貨物駅があり、コンテナなどが積まれていたが、貨物列車が来そうな気配はしなかった。それから大垣に戻る。区間が短いので乗務員は2往復連続で乗務していた。
いよいよ近畿地方に戻る。米原行き普通電車は117系4両、朝ラッシュでもないのにかなり混んでいた。みな18きっぷで西進しているのだろうか。米原からはいよいよ関西の象徴・新快速で大津へ、一時帰宅して荷物を整理し、西へ。
いよいよ近畿地方に戻る。米原行き普通電車は117系4両、朝ラッシュでもないのにかなり混んでいた。みな18きっぷで西進しているのだろうか。米原からはいよいよ関西の象徴・新快速で大津へ、一時帰宅して荷物を整理し、西へ。またも大津京からリスタート、そして姫路へ。
まず単なる駅制覇として網干、それから播州赤穂へ。そこでいよいよ宇野線以来となる213系に乗車。ワンマン2両の電車はまず工業地帯を通り抜け、自然の中へと入る。途中日生で行き違いでもないのに10分程度の停車があり、遅延ではないかと目を疑ったが、大丈夫だったらしい。80分程で赤穂線の終点東岡山に到着。とはいっても赤穂線の列車は全て岡山まで直通する。山科のような扱い。
東岡山からは山陽本線で再び近畿へと戻る。まず来たのは和気止まりの普通。これでとりあえず和気まで乗り、改札を通り、駅制覇。その後30分ほど待って、姫路行きに乗り、それから帰宅。こうして3日間の大旅行は終わった。
(準備中)
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