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主目標:香川観光
冬休みに入って、私は青春18きっぷを使って以前から行きたいと思っていた香川に行くことにした。
京阪を皇子山で降りて、西大津駅(現:大津京駅)に向かい、そこから青春18きっぷの旅が始まった。トップランナーは湖西線鈍行のエース・113系、それを山科まで乗った。湖西線は何度も乗ったことあるし、冬至が過ぎて数日しか経ってないとても暗い早朝に乗る以外特に変わったことはなかった。そして程なく山科へ到着。
山科で快速網干行きに乗り換えた。この時間帯に新快速は走っていない。しかし大阪までの停車駅は新快速に長岡京と茨木を足しただけである。列車はいつも通学でお世話になっている221系の6両編成で、山科から乗車するときは席は埋まっていた。でも京都に着く頃には席が若干空き始めた。が、出発時にカルピスを一気に飲んだせいか腹が痛い。そうしているうちに、大阪に着いた。
大阪からは新快速に鞍替えし、一気に姫路まで進む。そこで私と同じく18キッパーの青年のグループと出会った。彼らは熊本に行くらしい。列車はハイスピードで西進し、平日故にラッシュで混雑はしているものの、遅延することなく姫路に着いた。
姫路からは再び鈍行で岡山を目指す。姫路〜岡山間は、山陽本線の中で特に本数が少なく、尚かつ鈍行しか走っていない区間である。113系4両の車内は混んでいた。英賀保、未開業のはりま勝原、網干、龍野、相生、有年、上郡と旧型車両の奏でる轟音と共に西進していく。上郡と三石の間は長く、86分の走行時間のうち、11分もかかっている。吉永、和気、熊山、万富と徐々に岡山の近郊に入っていく。瀬戸でようやくマンションが見えた。上道付近からは山陽新幹線の高架の隣を進んでいく。東岡山、高島、そして終点の岡山に着いた。
岡山は人口60万人を擁する中国地方有数の中都市である。毎年お盆に岡山の田舎に帰っているものの、岡山駅の構内に入るのは初めてである。そこから四国へと向かうため、快速マリンライナーで南進する。車両は西日本の223系と四国の5000系で、自由席を利用。関西圏で見られるような223とは違い、乗務員室のしきりはガラスですっきりしている。宇野線はかつて宇高連絡線があった時代から全線単線である。茶屋町から本四備讃線に入るが、こちらは全線複線である。そして児島に到着。
児島からは最初の目的地であるゴールドタワーに行くため、普通琴平行きに乗車する。いよいよ四国上陸の醍醐味である瀬戸大橋を通る。鉄骨の中を通り抜けて見下ろす海には趣がある。が途中の島々には住宅や化学工場などが建ち並んでいた。
四国の玄関口・坂出市にほど近い宇多津町にあるゴールドタワーを訪れた。ゴールドタワーはバブル期に建てられた娯楽施設で、一度は倒産したが別の企業が引き受けて現在に至る。入り口で入場料金を払い、いよいよタワーへと登る。タワーの麓の従業員によると、この日初めてタワーに訪れたのは私だという。平日なのか客足は少なく、バブル期に調子に乗って建てられた施設だけあって今もおそらく経営難であろう。
琴電琴平線に乗るべく宇多津を後にし、いよいよJR四国の車両に初乗車。乗ったのは121系で、これは国鉄末期に予讃線の高松近郊を電化する際に作られたもので、高松近郊の主力車両となっている。途中、多度津で10分ほど停車し、そして土讃線に入り、琴平へと向かう。金比羅宮で有名な琴平の駅舎は派手。某鉄道アニメで登場人物の一人が「パチンコ屋みたいな駅舎」と評したくらい。
そしていよいよ香川の私鉄・高松琴平電気鉄道に乗車。JRに負けじと琴電琴平駅も駅舎の造りに力が入ってる。中に入って切符を買う。券売機は地方の私鉄にありがちな食券用。で、改札を通ると、そこには元京王の車両が待ち受けていた。この元京王の車両は琴電だけでなく、隣県愛媛の伊予鉄道や島根の一畑電車でも改造されていながら、その姿を見ることが出来る。いよいよ電車は動き出す。琴電では地方私鉄では珍しい終日ツーマン運転を全線で実施しており、車掌の肉声が聞ける。電車はローカル線にありがちな田園や道路脇を走っていく。沿線の学生はICカードを利用しているのをちらほら見かける。琴電はICカードが広く浸透しているという。自動改札すらないJR四国とは対照的に。やがて電車は高松に近づくと、住宅街に入る。三条あたりになると複線化工事の光景も見られる。栗林公園を出るとそこから複線、ようやく都会に近づいてきた。瓦町駅は高松の中心駅。駅ビルにデパートが入居し、琴平線、長尾線、志度線と琴電三線が集うターミナル駅である。瓦町を出るとほぼ都会と変わりない光景が見られる。そして終点高松築港、玉藻の城が間近に見える。
高松築港で一度琴電と別れ、高松市内を散策する。まず、JR高松駅に入る。かつて宇高連絡線で本州と結ばれていたが、今はその面影がなく、駅舎も建て替えられ、近代的になっている。ホームは地上にあるので、入り口からホームまで階段無しで行ける。広々とした改札だが、自動改札はない。駅員が立っていて手動で改札をする。高松駅前にはサンポート高松と呼ばれ、高松シンボルタワーや全日空ホテルがそびえ立つ。高松駅を離れ、市街地へと歩き出す。都会でもよくある綺麗な全蓋式のアーケードが高松には多い。歩いていくうちに、瓦町駅へと到着。それからしばらくして今回泊まる瓦町駅近くのホテルにチェックインして一休み。
夕方になり、再び鉄旅を開始する。ホテルにほど近い高徳線栗林駅から普通列車で高松へと向かう。高徳線は非電化で、全列車がディーゼル車で運用されている。
四国で一度訪れてみたい駅があった。それはカタカナ七文字の「オレンジタウン」という駅だった。その駅は宅地で、最近できた駅だという。利便性を図るため、一部の特急が停車するようになっている。私は別途運賃と料金を払って、特急うずしお21号でオレンジタウンへと行くことにした。乗る車両はN2000系、最近登場した新幹線車両N700系と似ているが、N2000のほうが10年早い。振り子機構を採用し、カーブでも速度を落とすことなく走れるのが特徴。JR四国の特急は安い。近距離(25kmまで)の自由席料金が310円。大都市で見かけるホームライナーみたいな感覚で利用できる。20分ほどでオレンジタウンに到着。地方都市のニュータウンだけあって閑散としている。特急停車の意義も問われるほどである。近くには商店やコンビニ、スーパーなどは一切ない。駅は無人駅でクリスマスの翌日でイルミネーションが飾られていた。
30分オレンジタウンで過ごしたあと、ホテルに戻るため、高松方面の列車に乗り、志度に向かい、そこから琴電志度線で瓦町へと向かう。オレンジタウンに現れた高松行きの列車はキハ47、国鉄が70年代に作った気動車で、現在も全国各地の非電化ローカル線で活躍中だという。四国でも1000形などの新型気動車に活躍の場を奪われながらも、徳島地区を中心に活躍している。この時間帯はまだツーマン運転で、車掌が乗務していたが、その車掌がなんと女性であった。よくよく調べたらJR四国では2003年に特急列車の車内販売が廃止されたこともあり、しばらく女性乗務員不毛の地であることがわかり、2006年頃からデビューされたと思われる。私は一駅先の志度で降り、そこから琴電志度駅まで歩く。琴電志度に着き、切符を買う。琴電琴平でも見たような食券用の券売機であった。待っていた車両は元名古屋市営地下鉄の車両で、最近長尾線と志度線を中心に増えてきている。夜の志度線下りはガラガラ。私以外に一人乗ったような乗らなかったようなぐらい。そして19時半頃に瓦町に到着。志度線ホームと改札は遠い。そのため動く歩道がある。地方都市の夜は早い。20時にもなるとほとんどの店が閉まり、アーケードはシャッターだらけ。マクドナルドで夕食を取り、ホテルに戻り、就寝。
二日目、ホテルをチェックアウトして瓦町駅に向かう。いよいよ琴電を全制覇するべく三つ目の路線・長尾線に乗る。下半分を緑色に塗った元名古屋市営地下鉄の車両が姿を現す。乗り込み、向かうは長尾へ。途中水田駅は高架化されており、ホームには簡易発車案内を兼ねた電光掲示板も設置されている。約40分ほどで長尾に到着。高松琴平電気鉄道全線完全乗車達成。
長尾からは徒歩で高徳線造田駅へと向かう、地図で見た感じ厳しいとは思わなかったが、途中で道に迷う。高徳線は非電化ゆえ、目立たない。それから近隣住民に道を尋ねてようやく造田に到着。そこには午前中の一部時間帯だけ準社員の駅員が配置されていて、18きっぷに判を押してもらった。
造田からまずオレンジタウンまで普通列車に乗る。単行のワンマン気動車だった。オレンジタウンで特急うずしおを待ち、別途運賃と特急料金を払い乗車、振り子機構でカーブをも速度を維持するのもぞうさなし。特急料金が安く、中高生の通学にも利用されているのか、冬休みにもかかわらずセーラー服の女学生を車内で見た。高松に到着し、そこで見たのはなんとあの名車だった。
高松到着時、特急の隣に停車していたのはあの国鉄気動車急行の看板キハ58で、赤とクリームの国鉄色だった。私は急遽それに乗ることにした。車内はデッキと客室の仕切りが一部取り払われたり、座席も一部ロングになったり近代化され、とても往年の急行列車という雰囲気ではなかった。しかし私はこのような名車に巡り会えて感無量だった。普通列車編成両数表で、すぐさま次の予定を考えると、これまた四国では希少な6000系電車の運用があることがわかった。それに乗車すべく、端岡でキハ58と別れ、7000系の快速サンポート松山行きに乗り換えて、丸亀へと向かった。四国では数少ない複線を電車は快調に飛ばして、丸亀へ。
丸亀から待望の6000系に乗車。もとは111系の置き換え用として登場したが、資金難で増備が頓挫し、2編成のみが存在するレアな車両である。1999年に『だんご3兄弟』が大ヒットし、その人気にあやかろうと「3兄弟電車」がこの車両で運行されたという。車内は転換クロスシートで、なぜか「自由席」の札が立てられていた。LEDの車内案内表示器では駅名がカタカナで出て来たのも特徴的。坂出からは快速マリンライナーで高松に戻り、そこで連絡船うどんを食すのであった。
鉄道以外にも、フェリーに乗ろうと考えていた。かつて瀬戸大橋が開通する前、本州との交通手段は船が主流だった。宇高連絡船、岡山県の宇野から高松を結ぶ、かつて国鉄が運行していた連絡船であった。だが、今でも宇高間のフェリーは健在だった。瀬戸大橋の通行料金が高く、特に大型トラックなどは橋を敬遠してフェリーを積極的に利用するため、今でも宇高国道フェリーと四国フェリーの2社が競合しあっている。フェリーはたいへん高頻度で運行されており、なんと28分間隔、それも24時間コンスタントに28分ごとに並んでいるのである(現在は原油高の影響か一部間引かれているらしい)。私は四国フェリーを選び、390円の乗船料を買い、船に乗った。出発すると、その四国フェリーの社歌が船内に流れた。瀬戸内海を横切り、1時間程度で宇野に到着。
本州に上陸し、最初に本州に来たと感じたのは、宇野駅前にセブンイレブンがあったことである。四国にはセブンイレブンは一切無く、高松にも無い、しかし、高松より寂れている宇野にはあった。そして宇野駅で瀬戸の花嫁の接近メロディとともにやってきたのは213系、もとはマリンライナーに使われた車両だが、新型に置き換えられ、ワンマン化改造され、支線に転用されている。宇野線も連絡船の廃止と共に盲腸線と化してしまったのである。茶屋町止まりだったので、茶屋町で岡山行きに乗り換え、岡山へ。
岡山で30分ほど待機したのち、一日目同様、113系4両へ近畿地方へと戻った。女性車掌が東岡山を高島と言い間違えたのと、放送装置が不調で音飛びがあったことが印象深い。80分ほどで姫路に到着。
姫路で夕食のあと、いよいよ家路へ、新快速で京都まで乗り、そこから湖西線に乗り換え西大津へと帰ったことだが、その湖西線の電車はなんと最新鋭通勤型の321系、4扉車は一日に数本しか走らない湖西線の中で、希少な存在だった。
(準備中)
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