苫前炭田は南北35km、東西15kmで形成され、築別炭田地区と羽幌炭田地区とに分かれ
ている。この地方の調査は明治7年アメリカ人のライマンによってなされ、石炭調査は明治21
年に道庁の桑田技師によって行われたのが始まりです。その後、明治大正期に部分的に鉱区
が設定され、探炭が試みられたが失敗し、昭和2年、太陽産業株式会社に引き継がれ、古賀
六郎に命じて、実地調査にとりかかったのですが、苦闘8年、昭和14年にようやく着手し、よく
15年から採炭を開始して、5317トンの出炭を見たのです。やがて、戦時体制に入り石炭の
増産が要請され、加えて、昭和26年には石炭ブームの到来を見て、炭鉱はますます躍進を続
けるが、時代とともにエネルギーが石油に代わり石炭の需要も少なくなり、ついに昭和45年に
その幕を閉じたのです。 |