このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

最終章〜寝台特急「出雲」〜別れ


最終の見送りは、山間部に有る居組駅と決めておりました。
山陰本線らしい、神秘的な駅です。
山と山の間から、出雲が、顔を出して来て、居組駅を、超低速で通過して神話の国へと、タイムトンネルへ入って行った。

山陰本線 居組駅 2006年3月18日 天候:曇 時刻:7時47分 3分遅れ
牽引機関車:DD51-1179号機

撮影データ 使用カメラ:NewF-1×4機 A-1
使用レンズ:NewFD50mm f1.2・NewFD85mm f1.2L・NewFD135mm f2
NewFD200mm f2.8・NewFD300mm f2.8L
使用フィルム:FUJI FILM PROVIA 400F ・Velvia 100F・fortia SP
NewFD50mm f1.2・ f1.4 1/250 ↓Velvia 100F
 
NewFD85mm f1.2L f1.2 2コマ増感 fortia SP 1/250 ↓ 
ホームのコンクリートの間から、雑草の新芽が、出てきています。焦点を雑草に合わしてみました。
居組駅名と共に、出雲が入るように・・・・
 
NewFD135mm f2  f2.5 1/250 PROVIA 400F ↓
  
NewFD200mm f2.8  f2.8  2コマ増感 1/250 PROVIA 400F ↓
  
NewFD300mm f2.8L f2.8 1コマ増感  1/250 PROVIA 400F ↓
 

最後に

私が、出雲を写したのは、2005年の6月から、鉄道写真を再開しました。
余部鉄橋を、写したく思い、どうせ撮るのなら、長い編成でと
寝台特急「出雲」について調べた所、牽引機関車である、DD51で、
私が、所有している残り少なくなっているプリントの中に、昭和52年9月頃に、大阪駅にて、撮影した
普通客車を、牽引している「DD51-1186号機」が有りました。
調べると、なんと、現在は、後藤に所属しており、出雲を牽引しているのが、解りました。
月に、1回のペースで、出雲を写しに行けば、1186号機と出会えると思い山陰路へ通い出しました。
色々な噂の中に、出雲が、廃止されると聞いていましたが、まさかと思っていました。
JR各社より、2006年3月18日のダイヤ改正の発表が、2005年12月22日に、正式に
寝台特急「出雲」廃止と発表されました。
それから、出雲の撮影回数を、無理を承知で家内に、頼み増やしました。
1186号機と再会出来たのは、1月28日玉造温泉ー来待間でした。
もっと他の撮影地で、記録を残したい出雲が、廃止される日まで
次に、出会ったのは、但馬地方の初めての撮影をした3月11日竹野ー相谷(信)間でした。
この間でも私の横で、ホイッスルを鳴らして行ってくれました。
そして、最終の17日福部ー滝山(信)間、ラストランの9004レ来待ー玉造温泉間でした。
私には、1186号機が、別れの挨拶に、長い汽笛を鳴らしたように、聞こえました。
3レでの撮影場所は、どの場所も、ゆっくりと走行して行きました。
18日9003レは、神秘的な居組駅で、見送りました。
寝台特急「出雲」の廃止で、悲しんだのは、私達、鉄道ファン・沿線住民では、無く
出雲の運行に、携わって来られた、運転士・車掌・駅員・客車区の人達では、ないのでしょうか?
これまで、長きに渡り「出雲」の運行を、支えて来られた方々に、有り難う
そして、寝台特急「出雲」に、さようなら


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