このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


ひ と り ご と


鹿島鉄道  平成18年12月 自己紹介は次に回しまして

【湘南電車に似てるでしょ】
  平成19年3月に廃線が取りざたされている 『鹿島鉄道』 を体験してきました。熱海から鈍行列車を乗り継ぎ延々4時間かかって常磐線石岡駅に着くと、駅前食堂ウォッチャーとしましては最初に『ヨット食堂』が気になりました。

  鹿島鉄道のホームは常磐線に隣接しています。さして広くはない車両置き場に数両の気動車が休んでいます。少し離れて昭和32年製の『キハ432』が端座していました。かつての湘南電車80系を彷彿とさせるその端正な顔には美学があります。

 車庫の中にはディーゼル機関車も垣間見えました。ホームのお客さんはほとんどが鉄ちゃん。思い思いにカメラを構えています。ふと気がつくと、駅舎の外側に色があせて判読に努力を要する看板がありました。『ヨーグルトカステラ 鹿島鉄道公認』これは押さえておく必要がありそうです。玉造というところで売っているらしい、それではそこで降りてみましょう。

 いかにも千葉から茨城といった穏やかな丘陵地帯を、一両編成のワンマン気動車は終点『鉾田』を目指して走ります。あちこちに雑木林が点在します。突然、わきの線路に雨ざらし!になって留置されている錆びた『DD901』が目に飛び込んできました。これは国鉄の『DD13』の原型になった重要なディーゼル機関車じゃなかったかな。ホントにいいのかなあ、あんなことしておいて・・・。ものすごい存在感だったけど、唐突に現れ過ぎ去ったので写真に収められなかったことは痛恨の極みです。

 雑木林を抜け、左右にレンコンの水田?や、稲作田が広がる平野をしばらく行くと右手に広大な霞ヶ浦が見えてきました。天気は高曇り、筑波山こそ望めませんでしたが、からっ風も吹かないなんとものどかな風景です。目指す玉造に到着しました。古い小さな駅舎は良く見るとクリスマスの電飾が施されています。もうすぐ廃線、夜に見れば綺麗なんでしょうが、イルミネーションの努力は昼間見るとなんとも切なくなります。

 駅前の小さなロータリーではタクシーが一台、暇そうに客待ちをしていました。そこから伸びる駅前通りは閑散としています。日曜日ですからね。霞ヶ浦方向にひなびた町中を歩いてみました。何処にもヨーグルトカステラの看板が見当たりません。しばらく歩いて駅に戻ってきました。駅中で立ち食い蕎麦屋さんが開いていて、そこのおばちゃんに件のカステラを尋ねてみました。いわく、ボクらの歩いてきた道筋にそのお店があって今日は確かに開いているはずだ、とのことですが結局ボクらが見落としたのでしょう。数少ない次の列車の時刻も迫りもう一回行ってみるのも無理です。次の機会にしましょう。この町は『新撰組は芹沢鴨』の出身地だそうでした。

  今度の列車は運よく例の湘南電車型の車両でした。ボクとしてはこれに乗れれば大満足です。車内はベンチシートなので、まあ横須賀線仕様の70系と考えましょう。天井を見ると古—い扇風機がぶら下がっていました。いまどき珍しいクーラーなしの車両です。真夏、車窓を全開にして風に当たりながら乗りたかったものです。

 終点、鉾田でも多くの鉄道マニアがこの車両に群がりました。駅前にはいくつかのバス停留所があります。道路網が発達した今日、古い鉄道が次第に追い込まれてしまうのも時代の趨勢かな、と自分に思い込ませてみました。それでも何とかこの貴重な技術遺産を動くまま残してもらえないものかな、と考えてしまうことは、鉄道マニアの単なるわがままなんでしょうかね。

 鉾田も随分静かな町でした。鹿島臨海鉄道の新鉾田駅まで約1キロメートル。いつの間にか太陽が顔を出していた昼下がり、眠ったように静かな町の中を歩きました。高架線の臨海鉄道も単機の気動車です。鹿島神宮駅からJR鹿島線、成田で成田線に乗り換えるとそのまま横須賀線の戸塚に直行、東海道線鈍行で帰ってきました。約14時間の鈍行列車旅行は、のんびりすること自体が目的、という大変贅沢な一日でした。

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