このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

50.青函連絡船の旅(昭和63年2月27日、土曜日)・・・終焉せまる青函連絡船に乗りに行ったのは昭和63年の2月。青函連絡船は2週間後に廃止になるころ。冬の津軽海峡は厳しく、西からの強風が吹きつけ、船は大きく揺れながらの航行。 青函連絡船の旅客航送は昭和63年3月13日限りで廃止されました。(青函トンネル開業日も昭和63年3月13日)

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50.青函連絡船の旅でした。末期就航船・・・八甲田丸、羊蹄丸、大雪丸、摩周丸、十和田丸、石狩丸、桧山丸、その他貨物専用船。このうち石狩丸と桧山丸は元貨物専用船で、松前丸と津軽丸が引退時に貨客用に改造されたものの、旅客定員が少なく定期旅客船としての航行は少ない。船内食堂「グリル○○」と船内喫茶「サロン海峡」での利用実績も記載。海峡ラーメン500円、鮭三平汁定食600円、海峡丼600円 など。使用したのは「東京都区内から東京都区内ゆき」乗車券で「東北線三河島亘理東北線青森笹木野東北線経由」。行きは特急「ゆうづる1号」青函連絡船21便。帰りは青函連絡船20便、特急「あけぼの6号」。

「昭和の旅80ズ」は、この「50」の旅をもって終了します。

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