このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


なんだかなあ?ベトナム!
KHONG VIET

その27 ベトナムの狛犬


ベトナム航空機内誌の2018年2月号にベトナムの狛犬についての記事があった。狛犬写真収集家の白鳥氏にデータを送ったところ、サーバーの問題で新たな記事の掲載ができないということであったので、こちらのページに掲載することにした。ベトナム語と英語で書かれていた記事のうち英文の部分だけを和訳して提示する。
Long Tuyen ロン・トゥィエン著
「使徒と狛犬」というおとぎ話にあるように、ベトナムの民族文化において、狛犬の形は女神にリンクしていて死すべきものの平和を守護するものと考えられている。この物語では狛犬が神として描写されており、神の計算と未来を占うものとして考えられている。ハノイのダンプオン郡のデッチ・ヴイ村ではこの狛犬を祀るお寺があるほどである。女神のようにあがめられ「石の偉大な役人」と呼ばれており、狛犬は村社会における重要な役を演じている。

昔、ベトナムの中北部のほぼすべての村には、その入り口の外側に一対の狛犬が置かれていたのであった。家族の一員として考えられ、狛犬たちは親しみのあるオブジェとしてまた村落社会の固い団結の中で礼拝の対象となっていた。ベトナム人たちが故郷を思う時、村の入り口の両脇に立ち、静かに遠くを睨んでいる一対の狛犬を想起するのである。湿潤な低地帯から小高い丘陵地帯まで、ベトナムの伝統的村落は同じように組織されている。ヤシの葉で葺かれた密集した屋根たちは竹やぶで囲まれている。村落で最も重要なのは寺院である。最もにぎやかな場所は村の共同井戸だ。村の入口の門と一対の狛犬は村における重要な要素である。
闇が訪れるとき入口の門は閉ざされ、夜明けとともに開かれる。狛犬たちは一年中それを守護しているのである。彼らの信仰が他の女神たちと比べられなくなった時に、これらの創造物は悪霊の一撃をかわし、その村の平和を守る義務を課せられているのである。
ベトナムでは人々が田畑を守るためにまた鶏舎を守るために犬を飼っている。他の家畜とは異なり、犬たちは一般的に家族の一員として考慮されている。彼らの賢さと忠誠心に感謝し彼らは相棒として見られているのである。山岳部においては、森の中のゲームのために狩猟を行うときには、狩人たちは猟犬を使う。犬と彼らの主人との密接な結びつきは、古代の人達を精神的な守護を求めた狛犬を作り出すことに駆り立てたのであった。これらの狛犬の像は大きくもなく精緻でもない。単純な犬の像を一つの岩から削り出したものである。狛犬たちは頼りになる形をしている。村の門の両脇に鎮座し、石の狛犬たちは人生の浮き沈み、別れと出会い、幸と不幸を見つめてきた。激動の世紀を通じて、どれだけの狛犬たちが作られたかを誰が知ろうか。遠く広く歩き回ったことがある誰が故郷の村の外で忠実に待っていてくれている親しい狛犬と出会って涙を堪えられようか。
ベトナムでは犬がより深い役割を担っている。ベトナム独特で、高次のレベルでは犬が神聖な生贄に供される。中華文化から派生したキリンと比べても、この存在は犬の不死の隠喩なのである。命ある心を通じてみることができるのは、寺院の山門の前の台に置かれたそれなのである。狛犬が守護のとして取り上げられた時、礼拝のための聖なる区域に入る人々の内なる心を聖なる犬は見ることができたのであった。われらの先祖たちがきれいな考えを持ち正しい理由のために礼拝することを人々に注意喚起したのであった。
時代の変遷により、ほとんどの伝統的な村落では彼らの村の入り口の門が無くなってしまった。一対の狛犬はベトナムの地方でも珍しくなってしまった。しかしながら、ベトナム人の心の奥底には、狛犬たちがいまだに彼らの故郷では立ち続け、時の流れを見つめ命あるものの安定を守っているのである。あたかも田舎の村の共同井戸あるいは区画されたあぜ道を渡る稲の香りのように、狛犬たちは我々の地域的な遺産の一部なのである。

終わり


2018/06/16作成


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