このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


なんだかなあ?ベトナム!
KHONG VIET

その25 休暇帰国時の難行苦行


2008年9月27日土曜日は忘れられない日になってしまった。
その日の晩のフライトで休暇帰国するために金曜日の朝にムオンラを出る予定だったが、迎えの自動車が来なかった。
三日前から豪雨が続きムオンラからソンラまでの道路は土砂崩れと洪水でずたずたになってしまっていた。、いつになったら帰国できるかわからず、不安になっていたが、土曜日の午後に無理やり帰国の途に着いた。もちろん四輪車は通れないから、オートバイタクシーに打ちまたがって、スーツケースは抱えたりもう一台のオートバイタクシーに乗せたりしたのだった。同好の士はネパールのカトマンズ出身のネパール君で、ダサインの祭りにあわせて帰国するために前々から切符を取ってあった。もちろんこの時期はカトマンズ行きは満席で、乗り逃したらもうしばらくはフライトが取れないというギリギリの状況にあった。
土曜日の午後二時に現場宿舎を出発し、最初の土砂崩れ現場まで四輪車で送ってもらった。

IMG_1523 ここは土砂崩れ現場を越えたところ。

080927-01s 左は同行のネパール君、ベトナム人ではない
ここは宿舎から3.5kmしか離れていない場所であった。これから先ソンラまでの30kmで何が待ちかまえているのかが不安であった。
四台のオートバイを使ったので、残りの一台が来るのを待っていた時に撮影したもの。
マー川本流沿いの道から、ソンラに向かう支流沿いの道に入ってしばらくは崩落も洪水もない道路を後ろの座席につかまって走っていたところ、ぽつぽつと雨が降ってきた。オートパイを止めて持参したレインコートに着替える。

ネパール君はレインコート持参していなかったので、沿道の店で購入した。二台で前になり後になりして走っていると、谷の終わりにある壁の手前の山が崩れていて道路がどろどろの粘土でいっぱいであった。


080927-02s

この壁をトラバースして登る坂道も落石がたくさんあり、それを左へ右へとよけながら高度を稼いでようやく平地に出た。これで一安心とおもったのがそもそもの間違いだったしばらく進むと道路が水没している箇所に出た。オートバイで冠水箇所を突っ切るのかとおもいきや、ドライバーいわく、「ここまでだ」とのこと。筏でわたっている時見たら、深いところでは腰まであった。


080927-03s 最初の水没箇所

IMG_1524 どういうわけかうれしそうなおっさん
われわれの渡し賃が村人たちの格好の小遣い稼ぎになっていたのは間違いない。

ここをわたってみると、まだ数百メートル先にも冠水箇所があった。


080927-04s 対岸から来た筏

IMG_1525  対岸から来た筏 乗っている人はみなサンダルかはだしだ。

IMG_1526 オートバイだって竹の筏に乗せてしまうのである。

IMG_1527 途中の水没家屋。

IMG_1528 前の方が運転手君、後ろがもう飽き飽きした顔の筆者。

080927-05s その対岸から。右の白シャツの男性はわれらが事務所の運転手君

ここから先、まだ水夫没箇所があったのだ。


IMG_1529 どこが道路かまったく不明。
ここを渡りきったら、対岸に自動車が待っているとおもったのが大間違いだった。 まったくその気配がない。それよりも、沿道の人たちが家財道具や豚を少し高くなっている道路に持ち出して、まるで市場の雰囲気だった。 洪水の後のむんむんした空気の中をスーツケースとパソコンを背負ってひたすら2km以上も歩いた挙句ようやくたどり着いた橋のアバットメントが流失していたのだった。

080927-05s アバットメント補修中 ここの奥にこんな大きな湖があったとははじめて知った。

080927-07s アバットメント補修中

橋の対岸にはプロジェクトに納入するセメントをつんだ大型トラックが数珠繋ぎであった。客先のランドクルーザーが迎えに来てくれていてほっとしたのだった。結局ソンラ町にたどり着いたのは午後6時近くになってしまった。いつもなら40分で行ける距離を四時間近くもかかったのであった。

写真の約半分は同行のネパール氏提供のもの。

このサイトのトップに戻る 「なんだかなあ?ベトナム」!の表紙に戻る 次に進む

2008-11-13 作成

スカム防止のために画像ファイルになっています。お手数ですがメールの宛先は手でご記入ください。


このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください